休載のお知らせ

皆様

ご無沙汰しております。

今年の6月頃から体調を崩し、現在複数の疾患を患っております。仕事ができないほどの体調ではありませんが、夜遅くの業務、土日祝の業務は医師にしないよう禁じられており、ブログへの投稿もままなりません。

ので、この度思い切って一時休載を宣言することにしました。

たまに裁判所でお会いする方は、不健康には見えていないと思いますが。

ブログに対する考え方も最近変わり始めており、最終的には打ち切りも視野に入れております。

業界には休みにも働いている自分をそこはかとなく自慢するオレ、みたいな風潮がありますが、皆様お身体にはお気をつけください。

土日祝日はメールチェック、電話チェック、一切行なっておりません。

ではまたいつか、万が一お会いできる時にはよろしくお願いします。

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# by terarinterarin | 2017-11-05 10:05
先日も書いた通り、テラバヤシ、やすらぎの郷にはまっております。
さすがにウィークデーにリアルタイムで観るわけにいかないので、録画を週末に観ています。

今週は非常に考えさせられる回でした。

やすらぎの郷の創設者が死の間際に、主人公の菊村、すなわち石坂浩二を呼び出します。
そして、山で死にたいか、海で死にたいか、と、問うのです。
菊村は山と答えますが、創設者の答は海でした。
その理由は、人生観とはまた違う、戦争とも関わる奥深いものでした。
彼は直後に絶命し、遺言に従って、水葬に付されました。日本海軍の方式での水葬だったようです。

劇中、水葬は違法だというセリフがありましたが、確かに調べてみたところ、ごく例外的な場合を除き、少なくとも日本では、水葬は禁止されていました。違反には罰金刑も定められていました。

ウチの母は、もう何十年も前から、自分が死んだあと、焼場で焼いたら、適当にその辺に撒いとくれ、墓は要らないから、などと言い続けており、ザ昭和の男である父を悩ませています。

今回のやすらぎの郷を見て、死んだあと自分をどうしてほしいか考えたのですが、適法か違法かはさておき、波際に遺体を運んで置いておいてもらいたいなあと思いました。

そのうち、波がテラバヤシの遺体を海へ運び、海底に徐々に沈め、その過程で魚やその他の生き物が私の遺体を食べ、残骸は長い時間をかけて海の一部と化していく。

一見恐ろしそうにも思えますが、肉体を支える精神が朽ちて消えているのに、焼かれた肉体の残骸が、後生大事にダレソレ家の墓の下で、どこにも帰ることなく冷たく放置されることは、経済的に云々、土地が云々とか言う前に、自然の摂理としてものすごーく不自然に思われるのです。

ゾロアスター教を始め、いくつかの宗教では、遺体を鳥についばませ、死者の魂を天に運んでもらう鳥葬が行われています。
遺体を野ざらしにして風化するに任せる風葬という方式もあります。
思想と結びついてはいるものの、地球から生まれた命を朽ちた後も地球の一部としてあつかう点において、理にかなった埋葬方法のように思えます。

やれ、戒名だの、やれ永年供養だのなんだのかんだのと、死人に口なしをいいことに生きてる人間の思惑で、死んだ後まで自由にさせてもらえない国って、なんだかホントにめんどくさいなあ、と思うのでありました。

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# by terarinterarin | 2017-09-23 20:48 | Comments(1)
先日、BLOGOSのブロガーをやめさせてもらいました。

最大の理由は、自分の個々のblogの紹介のされ方が、我慢ならないということでした。

サイトで新着記事などとして紹介される際のリード、ツイッターやフェイスブックにアップする際に抜粋される記事部分、全て、その投稿の中核部分とは全く違うところでした。

もちろん、ブロゴス側としては、ひとりでも多くの人の目を引くように選択していたのだと思いますが、結果は、少なくとも私にとっては芳しくないことばかりでした。

そのリードなり抜粋部分しか読んでない、お門違いのタタキコメントがどんどん並ぶ。
言いたいこと、結局なんなの?というテラバヤシという書き手自体に対する懐疑が生まれる。

弁護士寺林に対する風評、評判によろしくない影響が及ぶ。

ブロゴスの試みは面白いと思うし、小林よしのりさんを始め、使い方がお上手だな、と思う方は何人もいらっしゃいました。

が、私は、申し訳ないけど不信感を持ち、やめさせてもらいました。

事務所開設からもうすぐ三年です。
ウェブ対策や執務体制含め、大幅リニューアルもちょっと考えているところです。

ま、その前に明日から裁判員裁判なので、まずはそちらをしっかりやらねばと。

ウェブだけで、なんとかなるなんて幻想です。
そう洗脳されがちな怪しげなお誘いも多いけど、若い皆さん、気をつけて。
使いこなす才覚がない方は、やらない、早めに撤退する、が懸命です。

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# by terarinterarin | 2017-09-10 12:55 | Comments(4)

ハマる、やすらぎの郷

さて、先日もお伝えした通り、テラバヤシ、ただいまやすらぎの郷にはまっております。

昨日今日で先週放送分を全部見ましたが、姫はまだ死なんのか、引っ張るなあ、とか、撮影中に亡くなられた野際陽子さん、確かに今週のシーンは具合が悪そうだ、などなど、ハエが止まるようなスピードの展開ゆえ、様々なことを感じながら見ています。

このドラマを見ると、自分のこの先の老いを自然と考えます。
やすらぎの郷にいる高齢者たちは、日本の高齢者の中では、富士山のてっぺんにいるくらいの幸せな老後を送っている人々です。

でも、だからこのドラマが現実離れしているかというと、そういうわけではないのです→ご老人3人のレイプ犯退治は除きますが…あれ、人違いだったらどうなっていたことやら。

例えば、姫が自分の身の回りをどんどん捨てていこうとしたシーン。
私の祖母は、自分が死んだ後の後始末にみんなが困らないようにと、いつもタンスや押入れを整理していました。
もう死ぬ!と身動きできなくなってからでは遅い…何も遺産に限った話ではないのです。

また、このドラマは、高齢者の恋愛もよく描かれます。目ん玉飛び出そうなカップルが生まれたりします。
バーに行けば、いつもの連中がいたりいなかったり、1人もよし、何人かで過ごすもよし、そんな当たり前にできるはずの日常の風景も違和感なく見せてくれます。

やすらぎの郷は、高齢者が本来いるべき環境はこんなもんだ、ということを描くと同時に、いずれ、誰もが直面しうる問題を、じっくりゆっくり、リアルに見せてくれます。

ここ数ヶ月、体調不良のため、特に用がないときは自宅で仕事をしており、すっかりやすらぎウォッチャーになっていました。

そういう中で見ているせいか、起こることひとつひとつが、現実に見えてしまいます→レイプ犯退治は除きます。

しかし、同時にそう遠くない老後に対する不安や恐怖も少なくなってきました。
私はたぶん孤独死すると思いますが^^;、それならそれで、しかるべき人と相談して、間違えて残してしまったものはしかるべく処理してもらえるようにしておこうと思います。

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# by terarinterarin | 2017-09-03 20:24 | Comments(0)
ドラマはほとんど見ません。
しかし、今は珍しく、「ひよっこ」と「やすらぎの郷」を見ています。
テンポがちょうどよいのです。特に「やすらぎの郷」のテンポは、自分にマッチしています。
昔からおばあちゃんぽいところがあるといわれてきましたが、拍車がかかったように思います。

さて、今回はもし「ひよっこ」の登場人物が何らかの紛争に巻き込まれた場合、どんな依頼者相談者になるかを妄想してみました。

まず、みね子や鈴子さん、すずふり亭のシェフなどは、巻き込まれたとしても事故みたいなもんでしょうし、非常に理路整然と弁護士に相談し、受任しても非常にスムーズにコミュニケーションを取れる優良依頼者になるでしょう。

漫画家連中は、原稿料の不払いといったトラブルに巻き込まれる可能性が高いと思いますが、おそらく契約書もろくになく、原稿料がいくらだったかの記憶も乏しく、法的請求が困難な案件になる可能性が相当程度高いと考えられます。

愛子さんは、依頼者としては特に問題がある人ではありませんが、話が脱線しがちで、相談時間が長いわりに「核」の部分はほんのちょっとというタイプの相談者さんになるでしょう。
また、案外しっかりしているので、本格的なトラブルになる前に予防的に無料電話相談などを有効に活用し、難なく過ごしていけるタイプではないかと思います。

実は、弁護士泣かせなのは、私の愛するムネオではないかと思います。大したことはやりませんが、盛り上がって大声を出しすぎて内容証明が送られてきたり軽く慰謝料なんかを請求されるんだけど、あの手の性格なのでシャウトせずには生きていられない、そして、弁護士が打ち合わせの際に、トラブル回避のために必要なことなどを話しても、自分のスタイルやこだわりをとうとうと語りだし、結局わかっているのかわかっていないのかよくわからない状況で終了するというパターンかと思います。資力を考えれば法テラス利用者になるかと思います。
また、リピーターになる可能性もあると思います。

大家さんは、今の入居者が皆さん現在優秀なので家賃滞納などの憂き目にあっていませんが、案外人が好いので取り損ねたりする可能性があり、将来的に被害者予備軍かもしれません。
ですが、帳簿をきちんとつけているかどうかはかなり怪しく、銀行振り込みにしていなければ、証拠がそろわない可能性があるのではないでしょうか。

最後に番外編を2つ。
早苗さんは、案外男に騙されて慰謝料請求なんてのがありそうだと思っています。
そして、豊子はトラブルに巻き込まれても、自分で内容証明の書き方から訴状の書き方からなんでも調べて本人訴訟を起こし、勝てるタイプと思います。そんじょそこらの弁護士より相当優秀だと思います。
すくなくとも、こいつよりは100倍優秀だぜという具体的な弁護士が、いま私の頭の中には、少なくとも3人います。

というところで、明日のひよっこも楽しみたいものです。
やすらぎの郷もね。


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# by terarinterarin | 2017-09-01 00:57 | Comments(1)
皆様ご無沙汰しております。

体調不良や夏休みもあり、すっかり投稿から遠ざかっておりました。
今回は、たった今あった出来事についてお伝えしたいと思います。

土日の不在中、事務所に冷凍の宅急便が送られてきたようでした。
送り主は記憶にない名前の方でした。
過去のデータやインターネットを検索してても名前が出てこない。

思い切って宅急便の方に、送り主の確認をお願いしました。
そうしたところ、このブログの読者の方で、私の記事に感動してくださったのでお送りしました、とのお話があったことがわかりました。

とはいえ、お受け取りはお断りさせていただきました。
もちろんその方が全くの善意で、私の書いたことに対して「ありがとう」という気持ちでお送りくださったこと自体に疑いを持っているわけではありません。

ですが、(ここは弁護士によって考え方が違うところかもしれませんが)弁護士というのは、「物をもらう」ということについて、かなり慎重にならざるを得ない生き物なのです。
もちろん、顧問先の方からお中元をいただく、依頼者の方が手土産をもってきてくださる。
そういうものは、ありがたくちょうだいします(注:催促しているわけではないので誤解しないでください)。

しかし、我々の職業というのは恨みを買う職業です。
私も今まで脅されたことが何度かあります。
ブログやWEB記事のコメントで、心ない言葉を容赦なくかけられたこともあります。
そういう立場からすると、面識のない方からの贈り物を受け取るということは、「職業的な一線」として引いておくべきであろうと考えているのです。

もちろん、大きな事務所で事務方が何人もいたり、メディアによくご出演になっていて、直接面識のない方から色々送られてくる弁護士などは話が別なのでしょうが、ともえ法律事務所のような超小規模事務所は、「何かが起こる前の一線」というものは厳然と画しておかねばならないわけなのです。

そういう事情ですので、面識のない方からの贈り物は一切お断りさせていただいておりますので、この場を借りてその旨お伝えさせていただきます。
もし、私のブログやWEBの記事を読んで少しでも心が明るくなった方がいらしたら、それはそう思っていただいただけで、こちらとしては幸せです。
思い浮かんだことを適当に並べているだけのブログですので、どうかお気遣いはなさらないでください。
却ってご迷惑をおかけすることになってしまいますので。

今回贈り物をしてくださった方、ありがとうございます。
お気持ちはありがたく頂戴します。
お応えできなくて申し訳ありません。
お返ししたものは、ご自身や周りの方とともに楽しんでいただければと思います。


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# by terarinterarin | 2017-08-28 12:45 | Comments(3)
年々早まる「クールビズ」期間。
今や裁判所(をはじめとする官公庁、なんでしょう、きっと)は5月からクールビズとなっており、暑さ対策、すなわち冷房のためのエネルギー対策のために、軽装での通勤が認められております。
別に、裁判所にやってくる弁護士もこれに同調しろというわけではないんでしょうが、裁判官や裁判所の職員も比較的ラフな格好でおいでになるこの時季、かっちりした格好で行こうというモチベーションはぐんと下がります。

テラバヤシはジャケットというアイテムはかなり好きな方で、「ジャケット万能論」という持論があります。
ジャケットさえ羽織っていれば、なかに(ある程度)カジュアルなもの、かっちりしていないものを着用していたとしても、それなりにオフィシャルな雰囲気に見えるもんだという持論です。
そのため、ジャケットを羽織って苦にならない程度の気温(個人的には最高気温25度が限界)の時は、裁判所に行く日であろうとなかろうと、仕事がある日には、基本的にジャケットを羽織って出かけます。

うだるような暑さが続く夏のシーズンも、「クールビズ」の概念が今ほど浸透しておらず、裁判所の皆々様が夏場でもジャケットを着るなどかっちりとした仕事着を着ていた時代(私が弁護士になってから3~4年はまだそうだった)には、テラバヤシもジャケットを手に持って、裁判所の建物に入ったら、ササっと羽織るなどしておりました。
が、ここ数年は、荷物になるだけのジャケットを持って歩く気には全くなれず(しかも手持ちしただけで、汗が染みこみますし)、5月下旬ころから9月中ころまでは、仕事もジャケットなしで通しております。

そうすると、特に裁判所に行く日には、「ジャケットを着ていなくても、それなりに仕事着っぽい服装をしていかねばならない」というプレッシャーにさらされることになります。
男性の場合は、それほど悩まなくてよろしいようにお見受けされます。
最近は、ノーネクタイでもだらしなくならないカッターシャツがかなり出回っておりますので、それにスラックスを履いていけば、なんとななるでしょう(もちろん、くたびれていないベルト、くたびれていない靴など、ジャケットを着る期間よりも配慮すべきポイントはあるのかもしれませんが)。

しかし、実は「仕事をする女性のためのクールビズのお洋服」というのは、意外と売られていないのです。
昨年までの数年間は、夏場はワンピースを愛用しておりました。ワンピースはさまざまなバリエーションがありますが、ある程度かっちりした形のものも出回っており、なにより1枚で事足りるため、仕事着としては非常に使い勝手が良いのです(人によると思いますし、背が高いためスカート丈が足りず、選ぶのは難しかったりします、私の場合)。
が、ここで問題なのは「冷房対策」です。
ぺらっぺらのワンピースは中に着るものを気を付けないと、冷房でかなり体が冷えるのです。
しかも今夏は、夏本番になる前に、持病の咳喘息が悪化。寒暖差は大敵なので、ワンピース中心に夏を乗り切るのは危険ということになってしまいました。

「じゃあ、ストッキング履けばいいじゃん、ジャケット持てばいいじゃん」という方がいるかもしれません。
が、外はうだるような暑さ。
しかも、テラバヤシは有働アナもびっくりの汗っかきです。
ストッキングはもともと苦手ですが、こんなもの履いてジャケット持って…なんて熱中症予備軍になるだけです。

ワンピースを着なくなったことによって、今夏の仕事着にはかなり悩むことになりましたが、ここにきてようやく、裁判所に行くなど、ドレスコードにそれなりに気を使わねばならない日は、ノースリーブのニットにパンツスタイルというのがほぼ定着することとなりました。

まさかTシャツを着ていくわけにはいかないですし(注:仕事でも着られそうなフリルやリボンがついたカットソーなるものは、私の場合着ると仮装状態になります)、シャツやブラウスは汗が目立つため回避。消去法で、ノースリーブのニットという結論です。
そして、冷房対策に一番楽なのはやはりパンツスタイルです。ぺらっぺらの素材のものさえ履かなければ、冷えにさらされることもありませんし、パンスト履くよりは暑さにも十分耐えられます。
冷房対策には、ストールと場合によってはカーディガンを持参します。どちらもカバンに無造作に突っ込むことができるので、ジャケットを持ち歩くよりは全然気を遣わなくて済みます。

裁判所に行くと、この時季の女性弁護士のファッションは、春秋冬よりもバリエーション豊かで、皆さん悩んでいらっしゃるんだろうな、あるいは悩んだ結果この人なりにここに行きついたのだな、などと推察されます。

女性は好みの洋服が人によってかなり違うので、男性のように「クールビスにこれ!!」というのは製品化しにくいのかもしれません。
が、それにしてももう少し「夏用の仕事着」が豊富に選べるようになってほしい、などと思うのでありました。


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# by terarinterarin | 2017-07-30 19:06 | Comments(3)
津久井やまゆり園の事件が起きて、ちょうど1年が経ちました。
ここ数日、事件に関連する報道がいくつか続いています。
例えば、裁判のめどが立っていないとか(これだけの事件なので、証拠や争点の整理にそれはそれは時間がかかっているものと思われます)。建て替え問題が迷走しているであるとか。

その中でも特に大きく報道されたのは、植松被告人が報道機関に対する書簡の中で、改めて「障がい者に対する差別」を述べたということでした。意思疎通が取れない障がい者は不幸しか生み出さない、安楽死させるべきだという信念(?)を彼が事件後も変わらずに持ち続けていることが、書面の一部の紹介とともに報じられました。
それとともに、犠牲になった入居者の遺族や、襲われたけれど亡くならなかった入居者の家族のインタビューもテレビやインターネットの記事でいくつか目にしました。

やまゆり園の事件の犠牲者、被害者の家族の皆さんの話で、テラバヤシがいつも感じるのは、被害を受けたことに対する感情(あるいはその表現の仕方、と言った方がいいかもしれません)が、他の事件の遺族、被害者家族の皆さんとは違う、ということです。

殺人事件や放火事件等々で命を奪われた被害者の遺族の人々は、単に「悲しい」というにとどまらず、犯人に対して「許せない」という言葉を使ってその感情を表すことがとても多いと思いますし、時には「殺してやりたい」「死刑にしてほしい」という報復感情をストレースに表す言葉を発する人もいます(ただ、刑事弁護に携わる者としては、犯人の命を奪いたいという趣旨の発言をする被害者家族の方は案外多くないという印象です)。
しかし、やまゆり園の被害者家族の皆さんのほとんどは、「許せない」という言葉を使いません。「殺してやりたい」「死刑にしてほしい」などと言っている人を、少なくとも私は見たことがありません(ひとりもいないなどと断定するわけではありませんが)。

ただただ、「悲しい」「生きている意味がない」などと、家族を失ったことや凄惨な事件の傷跡が被害者に残っていることについての感情を述べており、その表情もやりきれなさや打ちひしがれた様子が色濃く、怒りのようなものはあまり見受けられません。
報道する側が、報復感情が込められた言葉や怒りの表情を表に出すことをあえて回避しているというわけではないでしょう。
なぜなのだろうとしばらく考えていたのですが、ふと思いついたことがありました。

うまい表現が見つからないのですが、もしかすると、被害者の家族の皆さんにとって、やまゆり園の事件は「植松被告人という一人の男によって引き起こされた」ものではなく、「それまで受けてきた差別の果ての結果」なのではないでしょうか。
「障がい者を駆逐しようという極端な差別主義者の勢力」に、抵抗することもできずに、むざむざと駆逐されてしまった。
その実行者が植松被告人だったに過ぎない。そんな風にとらえているのではないかと思えるのです。

ネットを見ると、(愉快犯的な書き込みもあるとは思いますが)植松被告人の思想や今回の事件について支持する意見が多数あり、先ほど書いたような極端な差別思想の持ち主は、決してごくごく少数というわけではないように見受けられます。
障がい者本人やあるいはその家族の皆さん方の中で、差別的な対応や言動に接したことがないという人はおそらくほとんどいないでしょうし、こういう極端な差別思想の持ち主による嘲笑や脅迫的な嫌がらせにさらされてきた人も、傍観者である私たちが想像するよりはるかに多いのではないかと思います。
おそらくは、やまゆり園をはじめとする障がい者の入居施設にも、そういう連中による嫌がらせの電話やFAX、手紙が届いたり、園の外に入居者の皆さんが姿を見せたときには、直接嫌がらせを行うような人間もいるのではないかと思うのです(なかなか報じられないだけで)。
そういう差別思想を持つ連中がいて、隙あらば駆逐してやろうと考えていることを、家族の皆さんたちは日常的に感じていたように思うのです。

障がいのある人々も家族の皆さんも、そして施設の職員の人たちも、なかなかそういう連中の嫌がらせに対して毅然と対応することはできないのでしょう。嫌がらせがさらに大きくなり、その声が高くなってしまうかもしれないからです。抵抗せず、障がいのある子どもたちが、幸せに苦労少なく生活していけることを祈って、多くの皆さんは、日々暮らしてきたのだろうと思います。
やまゆり園では、職員も常駐しているし、みんな一緒に暮らしている。そういう「得体のしれない敵」がいたとしても、守ってもらえるという安心感を持っていたかもしれません。

しかし、安全なはずの園の中にいたにもかかわらず、いとも簡単に、何の抵抗もできないうちに、駆逐を狙う連中によって命を奪われてしまった。
植松被告人は、「差別思想の持主」の一人でしかありません。植松被告人の後ろには、同様の思想の持ち主がどれだけいるかわからないのです。
そういう絶望感や「これが終わりではないかもしれない」という恐怖心、そういう感情が、やまゆり園の被害者家族のみなさんの、他の被害者家族とは異なる言葉や表情に現れているように、テラバヤシには思われます。

数日前でしょうか。やはり、やまゆり園の事件関連の報道の中で、被害者の家族のおひとりが「こういう人間(植松被告人のこと)がいるということを、自分たちは覚えていなくてはいけない」などと話しているのを目にしました。
これがまさに、やまゆり園の事件の被害者家族の心情の一端なのではないかと思われるのです。

「生きている人間の命の価値は平等である。」
障がい者の差別問題が起きたときに、よく言われる言葉です。実際、障がい者の家族の皆さんは、介助や付き添い等で身体的精神的経済的に苦しい生活の中で、この言葉を一つの励みにされていることでしょう。
このブログでも何度か書いたことがありますが、私には幼いころ、自閉症と言われていた男の子の友達がいました。言葉は少ないけれど、いつも静かに私の隣にいてくれたその子は、当時の私にとって、一番大切な友達でした。
「生きている人間の命の価値は平等である」とは、きれいごとではなくて、まさにその通りの意味を持つ言葉であろうと思います。

しかし、皮肉なことに、だからこそ、大勢の抵抗できない人々の命を奪っていった植松被告人の命もまた平等であるということになります。
被害者家族の方の中には、そのことを突き付けられて苦しんでいる方もいるかもしれない、だからこそ、大きな声で彼を糾弾できないのかもしれない、そう思うとやりきれない気持ちになります。

裁判の結果、植松被告人に下される判決は、大方予想がつくところです。
判決が下されたとき、被害者の家族の皆さんはどんなことを感じるのでしょうか。
「植松被告人の後ろにある同じような連中」がいるとすれば、家族の皆さんにとって「終わり」はないのかもしれません。

差別のない、誰もが平穏に豊かに暮らせる社会はどうやったら作ることができるのでしょうか。
作ることは果たしてできるのでしょうか。
テラバヤシには、今の日本では、難しいように思われてなりません。








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# by terarinterarin | 2017-07-26 21:57 | Comments(3)
暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
北海道出身のテラバヤシは、「内地」の夏の暑さには滅法弱く(冬の寒さにも滅法弱いのですが)、6月以来の体調不良も手伝って、早くも夏バテ気味な毎日です。

そう、6月から体調不良でした。
元々咳喘息という持病がありました。
時折何かのきっかけでひどい発作が現れます。
発作というのは、夜中早朝を中心とする激しい咳が続く状態です。
一番ひどい時は時間帯問わずずーっと出っ放し。
それが何日も何日も続く。
日頃飲んでいる薬を飲む程度では全く収まらない。
咳のしすぎで喉は荒れるわ、腹筋も背筋も痛いわ、頭が振られるので頭痛はするは首も痛いわ、全身で痛くないところの方が少ない、とんでもない状況が続きます。
ここ数年、こんなにひどい状況になったことはありませんでした。
が、6月の初旬頃から発作が出始め、徐々にひどくなり、一番ひどい状態に陥って、病院に行って薬をもらってもなかなか治らないという状態まで陥ってしまったのでありました。

途中で病院を変えて薬を変えて増やして、ここ数日なんとか元に戻ってきたという状況です(注:血液検査の結果待ちなので、本当はまだ咳喘息かどうか結論は出ていないのですが)。

処方されている薬の中に、アルコールを飲むと作用が強く出るので飲まないようにという注意書きのあるものが含まれていました。
ただでさえ薬の副作用は出やすいたちなので、万が一間違ってアルコールと一緒に飲むとえらいことになります(昏睡状態とか)。
なので、6月中旬頃から、一滴たりともアルコールを飲まない生活を送っております。

昨年あたりから、夏場はビールやハイボールを夕飯と一緒に飲む日が多くなりました。
今年も徐々に暑くなってきた5月末頃から、自宅で缶ビールを開けるのが楽しみになってきました。

元々「飲んじゃいけない」」「食べちゃいけない」となると、好きなものでも結構普通に断ててしまう方なのですが、そんな自分でも不思議なくらい、この暑い最中、アルコールを飲みたいという気持ちには、ほとんどなりませんでした。
とある宴席に出たときに、お料理に合うソフトドリンクがあまりなくて、ワインを飲めたらもっと美味しく食べられただろうな、とは思いましたが、取り立てて苦痛ということもありませんでした。
自宅ではノンアルコールビールをたまに飲みますが、「お酒の代用品」というよりは、「この献立だったら、お茶を飲むよりはノンアルコールでもビールテイストの方が合うだろう」という感じです。

そこで、ちょっと気づきました。

自分は、「酔いたくて」酒を飲んでいたわけではないのだと。
酒の味が好きで飲んでいたのだと。
つまり、酒と同じ味のものがあるのであれば、別段アルコールが入っている必要はないんだなと。
自分では、たまには酔わないとやっていられないという気分でアルコールに接していたような気がしていたのですが、実はそうではなかったようです。
だって、この間、仕事を中心として「やってられるかバーロー」と思うことがいくつかありましたが、「あー、飲めなくて悔しい!!」などと思いませんでしたから(いや、そうならないほど体調が悪かったんじゃないんですか、と言われたらそれまでなんですが)。

そうでなくても、最近酒に酔った状態がなかなか厄介だなあと思うようになっていたところでもありました。
例えば、夜、お酒を飲んだ後、部屋の片付けであるとか洗濯であるとかやりたいこと、やるべきことがあっても、それをするだけのエネルギーが残っていない、妙にだるい。一寝入りしないと動けない。
それも決して深酒しているわけではなく、例えばワインをグラス2杯程度飲んだくらいでこうなったりしていたわけです。
お酒を飲まないとそういうこともなく、(今はなるべく早寝を心がけてはいますが)夜の「もうひと仕事」の踏ん張りが効いたりします。

実は、我が父もただいま基本禁酒中です。
テラバヤシ父は昔からお酒大好きで、健康診断の前と体調が悪い時以外は、毎晩の晩酌を欠かさないという昭和の男でありました。
ビールはサッポロ黒ラベル、日本酒は山田錦と決まっている、そんなおじさんでした。

が、今年初めにかかりつけのお医者さんから、血液検査の結果、ヘモグロビンA1Cの値がとても悪い上に中性脂肪が基準値を大きく超えていることを指摘され、このままだと糖尿病だのなんだのと脅された挙句、ダイエットを命じられました。

父は、大好きだったお酒をやめました。
運動は、気が向いた時にウォーキングに行くくらい。
それだけで体重が3ヶ月で4キロほど落ち、数値も正常値まで回復したらしいのです。

睡眠の浅さや体のだるさも飲酒をやめたところなくなり、「酒を飲まないことのメリット」を随分感じているようです。
なので、今でも気が向いた時に軽く飲む程度で、基本的には酒を飲まない日々を続けているらしいです(なお、体重に関していうと、テラバヤシも酒を飲まなくなってから多少落ちました。が、これは飲酒をしなくなったせいなのか、咳のしすぎで腹筋を激しく使ったからなのかはよくわかりません。体調が戻るとリバウンドするかもしれませんし)。

テラバヤシは、どうやら「酒に強い人」で通っているようで、今書いたような話も「体が弱っているうちの戯言でしょ」と言われるかもしれません。

が、お酒って飲むメリットより飲まないメリットの方がはるかに大きいんだな、ということを、この度身をもって知ることができました。

9月で弁護士生活満10年にもなることですし、飲酒の件も含めて、自分にとって心地いい毎日とは何かを、食生活も含めて考えていければいいな、などと思うのでありました。




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# by terarinterarin | 2017-07-24 21:47 | Comments(1)
「フィリピンの女の人なんて、日本人の金持ちの男をつかむのが目的で、日本の飲み屋で働いてるんでしょ。そういう男つかんで楽しようという魂胆が許せない。日本に入れなきゃいいのに。」

何年か前に、知り合いにこんなことを言われたことがありました。
かなり古くからの結構親しい知り合いで、家族ぐるみでよくして頂いた方だったので、こんな言葉が出たのを聞いた時には、ちょっとびっくりしました。
と同時に、悲しくなりました。

私は、弁護士登録して3年目頃から現在に至るまで、ぽつぽつとフィリピンの女性の依頼を受けて仕事をしてきました。
日本で生活している人、フィリピンにいる人(故に打ち合わせはスカイプで行ったりします)、様々ですが、そのほとんどは、最低でも一度は来日していて、日本のクラブやパブでショーに出たり、男性相手の接客をする仕事をしていました。
彼女たちの目的は、日本で少しでも多くの金を稼いで、フィリピンにいる家族に送金し、家族たちが少しでもいい暮らしができるようにすることでした。
その過程で日本人の男性と出会い、恋に落ちて関係を持ち、そのまま結婚したり、子供ができたりした後、様々な事情により過酷な環境に突入してしまったりするのですが、少なくとも私がこれまでに会ってきたフィリピンの女性は、先の知り合いが言うようなよこしまな目的で日本に来たわけではなく、毎日を必死に生きている人たちでした(もちろん、中には、「いい男さんをつかんでいい暮らしをするぞ」という人もいると思いますが、日本人の女性だってそういう人はあまたいるのであって、それ自体非難に値するようなことでは全くないと思います)。
私は、自分の考えをはっきり言い、子供や家族に対する愛情が深く、正直なフィリピンの女性にお会いするたびに、「ああ、いいなあ」としみじみ思うのでした。
知り合いが持っている「日本に来るフィリピン女性」に対するイメージは、実際のそれとは全くかい離していて、私は、この話を聞いた後、ちょっとムキになって、「フィリピン女性は素敵な人々である」ということを語ってしまったのでした。

弁護士の中でも、偏見が先に立って話を聞かないという人はいるようです。
これも何年か前の話ですが、SNSで知り合ったものすごく年上の男性と交際し始めて子供ができたので結婚したが、とんでもない変質的な男で何とか逃げてきたという10代の女性から、離婚の依頼を受けたことがありました。
私の前にその女性が相談した女性の弁護士が、彼女の話を聞くや、「そんなふしだらなことをして何を言ってるんだ、自業自得だ」と怒鳴りつけて追い返したということを聞きました。
自分の力では解決できないので、また弁護士のところには来てみたものの、また怒鳴りつけられるのではないかと、その女性は私の前でのびくびくしていました。

確かに、法律相談を受けていると、「その判断はどうだったんだろう」、「なんでここで立ち止まれなかったんだろう」と思うことは結構あります。
実際に依頼を受けても、その人の従来までの発想の仕方や物言いが原因で、事件の解決が阻害されることもなくはありません。
そういうときは、「そういう考え方はこの先やめないとトラブルが大きくなりますよ」と言うこともありますし、その指摘が元で依頼者との関係が悪化することもあったりします。
しかし、根本的には、その人がそれまで歩んできた人生というのは、その人が置かれていた環境があったからこそ出来上がってきたものなのであって、自分がその人生の当事者でなく、実際にその人の人生を体験していない以上、否定したり揶揄したりすることはできないんじゃないか、と、私は思います。

それは、どんな事件の当事者でも同じです。
日本人だろうと、外国の人だろうと、犯罪を犯した人であろうと同じなのだと思うのです。
「犯罪者」などというと、また「犯罪者に甘い」「犯罪者のすべては否定すべきである」などという意見も飛び出してくるような気がします。
しかし、犯罪を犯した人の人生を振り返り、それをみつめて分析することは、その人の更生を促し再犯を防ぐことにもつながります。一般的な犯罪予防の手掛かりになることもあるはずです。やはり、同じだろうと思うのです。

「とにかく話をよく聞いてあげるんだよ」

この言葉は、私が最初に入った事務所のボスが、初めて国選の刑事弁護をやることになった私にかけた言葉でした。
弁護士になってもうすぐ満10年になります。
いつもふざけているボスでしたが、奥にある意味は結構深い言葉なんだなあ、としみじみ感じたりするのでした。









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# by terarinterarin | 2017-07-08 22:46 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin