年々早まる「クールビズ」期間。
今や裁判所(をはじめとする官公庁、なんでしょう、きっと)は5月からクールビズとなっており、暑さ対策、すなわち冷房のためのエネルギー対策のために、軽装での通勤が認められております。
別に、裁判所にやってくる弁護士もこれに同調しろというわけではないんでしょうが、裁判官や裁判所の職員も比較的ラフな格好でおいでになるこの時季、かっちりした格好で行こうというモチベーションはぐんと下がります。

テラバヤシはジャケットというアイテムはかなり好きな方で、「ジャケット万能論」という持論があります。
ジャケットさえ羽織っていれば、なかに(ある程度)カジュアルなもの、かっちりしていないものを着用していたとしても、それなりにオフィシャルな雰囲気に見えるもんだという持論です。
そのため、ジャケットを羽織って苦にならない程度の気温(個人的には最高気温25度が限界)の時は、裁判所に行く日であろうとなかろうと、仕事がある日には、基本的にジャケットを羽織って出かけます。

うだるような暑さが続く夏のシーズンも、「クールビズ」の概念が今ほど浸透しておらず、裁判所の皆々様が夏場でもジャケットを着るなどかっちりとした仕事着を着ていた時代(私が弁護士になってから3~4年はまだそうだった)には、テラバヤシもジャケットを手に持って、裁判所の建物に入ったら、ササっと羽織るなどしておりました。
が、ここ数年は、荷物になるだけのジャケットを持って歩く気には全くなれず(しかも手持ちしただけで、汗が染みこみますし)、5月下旬ころから9月中ころまでは、仕事もジャケットなしで通しております。

そうすると、特に裁判所に行く日には、「ジャケットを着ていなくても、それなりに仕事着っぽい服装をしていかねばならない」というプレッシャーにさらされることになります。
男性の場合は、それほど悩まなくてよろしいようにお見受けされます。
最近は、ノーネクタイでもだらしなくならないカッターシャツがかなり出回っておりますので、それにスラックスを履いていけば、なんとななるでしょう(もちろん、くたびれていないベルト、くたびれていない靴など、ジャケットを着る期間よりも配慮すべきポイントはあるのかもしれませんが)。

しかし、実は「仕事をする女性のためのクールビズのお洋服」というのは、意外と売られていないのです。
昨年までの数年間は、夏場はワンピースを愛用しておりました。ワンピースはさまざまなバリエーションがありますが、ある程度かっちりした形のものも出回っており、なにより1枚で事足りるため、仕事着としては非常に使い勝手が良いのです(人によると思いますし、背が高いためスカート丈が足りず、選ぶのは難しかったりします、私の場合)。
が、ここで問題なのは「冷房対策」です。
ぺらっぺらのワンピースは中に着るものを気を付けないと、冷房でかなり体が冷えるのです。
しかも今夏は、夏本番になる前に、持病の咳喘息が悪化。寒暖差は大敵なので、ワンピース中心に夏を乗り切るのは危険ということになってしまいました。

「じゃあ、ストッキング履けばいいじゃん、ジャケット持てばいいじゃん」という方がいるかもしれません。
が、外はうだるような暑さ。
しかも、テラバヤシは有働アナもびっくりの汗っかきです。
ストッキングはもともと苦手ですが、こんなもの履いてジャケット持って…なんて熱中症予備軍になるだけです。

ワンピースを着なくなったことによって、今夏の仕事着にはかなり悩むことになりましたが、ここにきてようやく、裁判所に行くなど、ドレスコードにそれなりに気を使わねばならない日は、ノースリーブのニットにパンツスタイルというのがほぼ定着することとなりました。

まさかTシャツを着ていくわけにはいかないですし(注:仕事でも着られそうなフリルやリボンがついたカットソーなるものは、私の場合着ると仮装状態になります)、シャツやブラウスは汗が目立つため回避。消去法で、ノースリーブのニットという結論です。
そして、冷房対策に一番楽なのはやはりパンツスタイルです。ぺらっぺらの素材のものさえ履かなければ、冷えにさらされることもありませんし、パンスト履くよりは暑さにも十分耐えられます。
冷房対策には、ストールと場合によってはカーディガンを持参します。どちらもカバンに無造作に突っ込むことができるので、ジャケットを持ち歩くよりは全然気を遣わなくて済みます。

裁判所に行くと、この時季の女性弁護士のファッションは、春秋冬よりもバリエーション豊かで、皆さん悩んでいらっしゃるんだろうな、あるいは悩んだ結果この人なりにここに行きついたのだな、などと推察されます。

女性は好みの洋服が人によってかなり違うので、男性のように「クールビスにこれ!!」というのは製品化しにくいのかもしれません。
が、それにしてももう少し「夏用の仕事着」が豊富に選べるようになってほしい、などと思うのでありました。


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# by terarinterarin | 2017-07-30 19:06 | Comments(2)
津久井やまゆり園の事件が起きて、ちょうど1年が経ちました。
ここ数日、事件に関連する報道がいくつか続いています。
例えば、裁判のめどが立っていないとか(これだけの事件なので、証拠や争点の整理にそれはそれは時間がかかっているものと思われます)。建て替え問題が迷走しているであるとか。

その中でも特に大きく報道されたのは、植松被告人が報道機関に対する書簡の中で、改めて「障がい者に対する差別」を述べたということでした。意思疎通が取れない障がい者は不幸しか生み出さない、安楽死させるべきだという信念(?)を彼が事件後も変わらずに持ち続けていることが、書面の一部の紹介とともに報じられました。
それとともに、犠牲になった入居者の遺族や、襲われたけれど亡くならなかった入居者の家族のインタビューもテレビやインターネットの記事でいくつか目にしました。

やまゆり園の事件の犠牲者、被害者の家族の皆さんの話で、テラバヤシがいつも感じるのは、被害を受けたことに対する感情(あるいはその表現の仕方、と言った方がいいかもしれません)が、他の事件の遺族、被害者家族の皆さんとは違う、ということです。

殺人事件や放火事件等々で命を奪われた被害者の遺族の人々は、単に「悲しい」というにとどまらず、犯人に対して「許せない」という言葉を使ってその感情を表すことがとても多いと思いますし、時には「殺してやりたい」「死刑にしてほしい」という報復感情をストレースに表す言葉を発する人もいます(ただ、刑事弁護に携わる者としては、犯人の命を奪いたいという趣旨の発言をする被害者家族の方は案外多くないという印象です)。
しかし、やまゆり園の被害者家族の皆さんのほとんどは、「許せない」という言葉を使いません。「殺してやりたい」「死刑にしてほしい」などと言っている人を、少なくとも私は見たことがありません(ひとりもいないなどと断定するわけではありませんが)。

ただただ、「悲しい」「生きている意味がない」などと、家族を失ったことや凄惨な事件の傷跡が被害者に残っていることについての感情を述べており、その表情もやりきれなさや打ちひしがれた様子が色濃く、怒りのようなものはあまり見受けられません。
報道する側が、報復感情が込められた言葉や怒りの表情を表に出すことをあえて回避しているというわけではないでしょう。
なぜなのだろうとしばらく考えていたのですが、ふと思いついたことがありました。

うまい表現が見つからないのですが、もしかすると、被害者の家族の皆さんにとって、やまゆり園の事件は「植松被告人という一人の男によって引き起こされた」ものではなく、「それまで受けてきた差別の果ての結果」なのではないでしょうか。
「障がい者を駆逐しようという極端な差別主義者の勢力」に、抵抗することもできずに、むざむざと駆逐されてしまった。
その実行者が植松被告人だったに過ぎない。そんな風にとらえているのではないかと思えるのです。

ネットを見ると、(愉快犯的な書き込みもあるとは思いますが)植松被告人の思想や今回の事件について支持する意見が多数あり、先ほど書いたような極端な差別思想の持ち主は、決してごくごく少数というわけではないように見受けられます。
障がい者本人やあるいはその家族の皆さん方の中で、差別的な対応や言動に接したことがないという人はおそらくほとんどいないでしょうし、こういう極端な差別思想の持ち主による嘲笑や脅迫的な嫌がらせにさらされてきた人も、傍観者である私たちが想像するよりはるかに多いのではないかと思います。
おそらくは、やまゆり園をはじめとする障がい者の入居施設にも、そういう連中による嫌がらせの電話やFAX、手紙が届いたり、園の外に入居者の皆さんが姿を見せたときには、直接嫌がらせを行うような人間もいるのではないかと思うのです(なかなか報じられないだけで)。
そういう差別思想を持つ連中がいて、隙あらば駆逐してやろうと考えていることを、家族の皆さんたちは日常的に感じていたように思うのです。

障がいのある人々も家族の皆さんも、そして施設の職員の人たちも、なかなかそういう連中の嫌がらせに対して毅然と対応することはできないのでしょう。嫌がらせがさらに大きくなり、その声が高くなってしまうかもしれないからです。抵抗せず、障がいのある子どもたちが、幸せに苦労少なく生活していけることを祈って、多くの皆さんは、日々暮らしてきたのだろうと思います。
やまゆり園では、職員も常駐しているし、みんな一緒に暮らしている。そういう「得体のしれない敵」がいたとしても、守ってもらえるという安心感を持っていたかもしれません。

しかし、安全なはずの園の中にいたにもかかわらず、いとも簡単に、何の抵抗もできないうちに、駆逐を狙う連中によって命を奪われてしまった。
植松被告人は、「差別思想の持主」の一人でしかありません。植松被告人の後ろには、同様の思想の持ち主がどれだけいるかわからないのです。
そういう絶望感や「これが終わりではないかもしれない」という恐怖心、そういう感情が、やまゆり園の被害者家族のみなさんの、他の被害者家族とは異なる言葉や表情に現れているように、テラバヤシには思われます。

数日前でしょうか。やはり、やまゆり園の事件関連の報道の中で、被害者の家族のおひとりが「こういう人間(植松被告人のこと)がいるということを、自分たちは覚えていなくてはいけない」などと話しているのを目にしました。
これがまさに、やまゆり園の事件の被害者家族の心情の一端なのではないかと思われるのです。

「生きている人間の命の価値は平等である。」
障がい者の差別問題が起きたときに、よく言われる言葉です。実際、障がい者の家族の皆さんは、介助や付き添い等で身体的精神的経済的に苦しい生活の中で、この言葉を一つの励みにされていることでしょう。
このブログでも何度か書いたことがありますが、私には幼いころ、自閉症と言われていた男の子の友達がいました。言葉は少ないけれど、いつも静かに私の隣にいてくれたその子は、当時の私にとって、一番大切な友達でした。
「生きている人間の命の価値は平等である」とは、きれいごとではなくて、まさにその通りの意味を持つ言葉であろうと思います。

しかし、皮肉なことに、だからこそ、大勢の抵抗できない人々の命を奪っていった植松被告人の命もまた平等であるということになります。
被害者家族の方の中には、そのことを突き付けられて苦しんでいる方もいるかもしれない、だからこそ、大きな声で彼を糾弾できないのかもしれない、そう思うとやりきれない気持ちになります。

裁判の結果、植松被告人に下される判決は、大方予想がつくところです。
判決が下されたとき、被害者の家族の皆さんはどんなことを感じるのでしょうか。
「植松被告人の後ろにある同じような連中」がいるとすれば、家族の皆さんにとって「終わり」はないのかもしれません。

差別のない、誰もが平穏に豊かに暮らせる社会はどうやったら作ることができるのでしょうか。
作ることは果たしてできるのでしょうか。
テラバヤシには、今の日本では、難しいように思われてなりません。








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# by terarinterarin | 2017-07-26 21:57 | Comments(3)
暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
北海道出身のテラバヤシは、「内地」の夏の暑さには滅法弱く(冬の寒さにも滅法弱いのですが)、6月以来の体調不良も手伝って、早くも夏バテ気味な毎日です。

そう、6月から体調不良でした。
元々咳喘息という持病がありました。
時折何かのきっかけでひどい発作が現れます。
発作というのは、夜中早朝を中心とする激しい咳が続く状態です。
一番ひどい時は時間帯問わずずーっと出っ放し。
それが何日も何日も続く。
日頃飲んでいる薬を飲む程度では全く収まらない。
咳のしすぎで喉は荒れるわ、腹筋も背筋も痛いわ、頭が振られるので頭痛はするは首も痛いわ、全身で痛くないところの方が少ない、とんでもない状況が続きます。
ここ数年、こんなにひどい状況になったことはありませんでした。
が、6月の初旬頃から発作が出始め、徐々にひどくなり、一番ひどい状態に陥って、病院に行って薬をもらってもなかなか治らないという状態まで陥ってしまったのでありました。

途中で病院を変えて薬を変えて増やして、ここ数日なんとか元に戻ってきたという状況です(注:血液検査の結果待ちなので、本当はまだ咳喘息かどうか結論は出ていないのですが)。

処方されている薬の中に、アルコールを飲むと作用が強く出るので飲まないようにという注意書きのあるものが含まれていました。
ただでさえ薬の副作用は出やすいたちなので、万が一間違ってアルコールと一緒に飲むとえらいことになります(昏睡状態とか)。
なので、6月中旬頃から、一滴たりともアルコールを飲まない生活を送っております。

昨年あたりから、夏場はビールやハイボールを夕飯と一緒に飲む日が多くなりました。
今年も徐々に暑くなってきた5月末頃から、自宅で缶ビールを開けるのが楽しみになってきました。

元々「飲んじゃいけない」」「食べちゃいけない」となると、好きなものでも結構普通に断ててしまう方なのですが、そんな自分でも不思議なくらい、この暑い最中、アルコールを飲みたいという気持ちには、ほとんどなりませんでした。
とある宴席に出たときに、お料理に合うソフトドリンクがあまりなくて、ワインを飲めたらもっと美味しく食べられただろうな、とは思いましたが、取り立てて苦痛ということもありませんでした。
自宅ではノンアルコールビールをたまに飲みますが、「お酒の代用品」というよりは、「この献立だったら、お茶を飲むよりはノンアルコールでもビールテイストの方が合うだろう」という感じです。

そこで、ちょっと気づきました。

自分は、「酔いたくて」酒を飲んでいたわけではないのだと。
酒の味が好きで飲んでいたのだと。
つまり、酒と同じ味のものがあるのであれば、別段アルコールが入っている必要はないんだなと。
自分では、たまには酔わないとやっていられないという気分でアルコールに接していたような気がしていたのですが、実はそうではなかったようです。
だって、この間、仕事を中心として「やってられるかバーロー」と思うことがいくつかありましたが、「あー、飲めなくて悔しい!!」などと思いませんでしたから(いや、そうならないほど体調が悪かったんじゃないんですか、と言われたらそれまでなんですが)。

そうでなくても、最近酒に酔った状態がなかなか厄介だなあと思うようになっていたところでもありました。
例えば、夜、お酒を飲んだ後、部屋の片付けであるとか洗濯であるとかやりたいこと、やるべきことがあっても、それをするだけのエネルギーが残っていない、妙にだるい。一寝入りしないと動けない。
それも決して深酒しているわけではなく、例えばワインをグラス2杯程度飲んだくらいでこうなったりしていたわけです。
お酒を飲まないとそういうこともなく、(今はなるべく早寝を心がけてはいますが)夜の「もうひと仕事」の踏ん張りが効いたりします。

実は、我が父もただいま基本禁酒中です。
テラバヤシ父は昔からお酒大好きで、健康診断の前と体調が悪い時以外は、毎晩の晩酌を欠かさないという昭和の男でありました。
ビールはサッポロ黒ラベル、日本酒は山田錦と決まっている、そんなおじさんでした。

が、今年初めにかかりつけのお医者さんから、血液検査の結果、ヘモグロビンA1Cの値がとても悪い上に中性脂肪が基準値を大きく超えていることを指摘され、このままだと糖尿病だのなんだのと脅された挙句、ダイエットを命じられました。

父は、大好きだったお酒をやめました。
運動は、気が向いた時にウォーキングに行くくらい。
それだけで体重が3ヶ月で4キロほど落ち、数値も正常値まで回復したらしいのです。

睡眠の浅さや体のだるさも飲酒をやめたところなくなり、「酒を飲まないことのメリット」を随分感じているようです。
なので、今でも気が向いた時に軽く飲む程度で、基本的には酒を飲まない日々を続けているらしいです(なお、体重に関していうと、テラバヤシも酒を飲まなくなってから多少落ちました。が、これは飲酒をしなくなったせいなのか、咳のしすぎで腹筋を激しく使ったからなのかはよくわかりません。体調が戻るとリバウンドするかもしれませんし)。

テラバヤシは、どうやら「酒に強い人」で通っているようで、今書いたような話も「体が弱っているうちの戯言でしょ」と言われるかもしれません。

が、お酒って飲むメリットより飲まないメリットの方がはるかに大きいんだな、ということを、この度身をもって知ることができました。

9月で弁護士生活満10年にもなることですし、飲酒の件も含めて、自分にとって心地いい毎日とは何かを、食生活も含めて考えていければいいな、などと思うのでありました。




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# by terarinterarin | 2017-07-24 21:47 | Comments(1)
「フィリピンの女の人なんて、日本人の金持ちの男をつかむのが目的で、日本の飲み屋で働いてるんでしょ。そういう男つかんで楽しようという魂胆が許せない。日本に入れなきゃいいのに。」

何年か前に、知り合いにこんなことを言われたことがありました。
かなり古くからの結構親しい知り合いで、家族ぐるみでよくして頂いた方だったので、こんな言葉が出たのを聞いた時には、ちょっとびっくりしました。
と同時に、悲しくなりました。

私は、弁護士登録して3年目頃から現在に至るまで、ぽつぽつとフィリピンの女性の依頼を受けて仕事をしてきました。
日本で生活している人、フィリピンにいる人(故に打ち合わせはスカイプで行ったりします)、様々ですが、そのほとんどは、最低でも一度は来日していて、日本のクラブやパブでショーに出たり、男性相手の接客をする仕事をしていました。
彼女たちの目的は、日本で少しでも多くの金を稼いで、フィリピンにいる家族に送金し、家族たちが少しでもいい暮らしができるようにすることでした。
その過程で日本人の男性と出会い、恋に落ちて関係を持ち、そのまま結婚したり、子供ができたりした後、様々な事情により過酷な環境に突入してしまったりするのですが、少なくとも私がこれまでに会ってきたフィリピンの女性は、先の知り合いが言うようなよこしまな目的で日本に来たわけではなく、毎日を必死に生きている人たちでした(もちろん、中には、「いい男さんをつかんでいい暮らしをするぞ」という人もいると思いますが、日本人の女性だってそういう人はあまたいるのであって、それ自体非難に値するようなことでは全くないと思います)。
私は、自分の考えをはっきり言い、子供や家族に対する愛情が深く、正直なフィリピンの女性にお会いするたびに、「ああ、いいなあ」としみじみ思うのでした。
知り合いが持っている「日本に来るフィリピン女性」に対するイメージは、実際のそれとは全くかい離していて、私は、この話を聞いた後、ちょっとムキになって、「フィリピン女性は素敵な人々である」ということを語ってしまったのでした。

弁護士の中でも、偏見が先に立って話を聞かないという人はいるようです。
これも何年か前の話ですが、SNSで知り合ったものすごく年上の男性と交際し始めて子供ができたので結婚したが、とんでもない変質的な男で何とか逃げてきたという10代の女性から、離婚の依頼を受けたことがありました。
私の前にその女性が相談した女性の弁護士が、彼女の話を聞くや、「そんなふしだらなことをして何を言ってるんだ、自業自得だ」と怒鳴りつけて追い返したということを聞きました。
自分の力では解決できないので、また弁護士のところには来てみたものの、また怒鳴りつけられるのではないかと、その女性は私の前でのびくびくしていました。

確かに、法律相談を受けていると、「その判断はどうだったんだろう」、「なんでここで立ち止まれなかったんだろう」と思うことは結構あります。
実際に依頼を受けても、その人の従来までの発想の仕方や物言いが原因で、事件の解決が阻害されることもなくはありません。
そういうときは、「そういう考え方はこの先やめないとトラブルが大きくなりますよ」と言うこともありますし、その指摘が元で依頼者との関係が悪化することもあったりします。
しかし、根本的には、その人がそれまで歩んできた人生というのは、その人が置かれていた環境があったからこそ出来上がってきたものなのであって、自分がその人生の当事者でなく、実際にその人の人生を体験していない以上、否定したり揶揄したりすることはできないんじゃないか、と、私は思います。

それは、どんな事件の当事者でも同じです。
日本人だろうと、外国の人だろうと、犯罪を犯した人であろうと同じなのだと思うのです。
「犯罪者」などというと、また「犯罪者に甘い」「犯罪者のすべては否定すべきである」などという意見も飛び出してくるような気がします。
しかし、犯罪を犯した人の人生を振り返り、それをみつめて分析することは、その人の更生を促し再犯を防ぐことにもつながります。一般的な犯罪予防の手掛かりになることもあるはずです。やはり、同じだろうと思うのです。

「とにかく話をよく聞いてあげるんだよ」

この言葉は、私が最初に入った事務所のボスが、初めて国選の刑事弁護をやることになった私にかけた言葉でした。
弁護士になってもうすぐ満10年になります。
いつもふざけているボスでしたが、奥にある意味は結構深い言葉なんだなあ、としみじみ感じたりするのでした。









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# by terarinterarin | 2017-07-08 22:46 | Comments(2)
小学校の高学年の頃、近所に住んでいる同級生の男の子の用心棒?みたいな役割を都合2年ばかりしていたことがありました(「北のバルサ」とでも呼んでください、冗談です)。

その子は、体は大きかったけれどあまり機敏なタチではなく、よくいじめられていました。いじめられるたびに私のところに泣きついてきたので、私が、いじめた子に対して、しょーがないなと思いながら文句をつけに行き、そこでまた一悶着ということが度々ありました。

当然のことながら、自分はその役割を進んで引き受けていたわけではなく、親同士が仲が良かったり、妹がその子の弟と同じクラスだったりした手前、無下にすることもできず、ズルズルとその役割を担い続けていたという感じでした。

ある日のことでした。
帰宅しようと学校の玄関を出ると、ちょうどその男の子が数名の男の子に囲まれて虐められている場面に遭遇してしまいました。
その子は私を見つけると、助けてくれと言わんばかりに私の陰に隠れてしまいました。
あんたたち、嫌がってるんだからやめなさいよ、ぐらいなことを言ったのではないかと思います。
そうしたところ、男の子たちは私に向かってきました。
登校時に雨が降っていた日で、私は傘を持っていました。
下校時には雨は上がっていました。
畳んでいる傘をブルンブルン振り回して応戦し、どうにか退散させて家に帰りました。
乱闘の結果、傘は曲がってしまいました。

家では、母が待っていました。
母は、男の子と喧嘩したくらいで私を叱るよう人間ではありませんでした。
しかし、さすがに凶器を使用したので、今回ばかりはかなり叱られるのではないかと、私は憂鬱な気分で家に入りました。
目ざとい母は、傘が曲がっていることにすぐに気づきました。
私に、何があったのだと尋ねました。
私は、帰り道で起こったことをそのまま説明しました。
話している間、母は黙って聞いていました。
そして、話し終わった後、ひとつだけ私に質問しました。

自分から手を出さなかっただろうね。

私は、出してない、とはっきり答えました。すると、母はこう言いました。

よくやった。
傘は買ってあげるから。

母は、私をひとつも怒りませんでした。正当防衛の成立を認めてくれたのでした(相当性の判断に問題があるかもしれません)。

こんなこともありました。
夏休みになる前の日のことです。クラスで教室の大掃除をしていました。
例の男の子が泣きながら私のところにやってきました。
私が使っているモップをよこせと言っています。
いつもの連中にいじめられたので、仕返しをする、だからモップをよこせ、そう言うのです。
私は、やめろと言いました。余計いじめられるのが、目に見えていたからです。
しかし、その子は意固地になって言うことを聞いてくれませんでした。
貸せ、やめろ、貸せ、やめろとモップの奪い合いになりました。
そのうち、私は勢い余って、モップの枝で、その子の頭を一回ポカッと叩いてしまいました。途端にその子は、さらに激しく泣き出してしまいました。

しまった、と思いました。
自分自身が暴力を振るって泣かせてしまった。
ショックでした。オロオロしてしまいました。
なすすべなくボンヤリしていました。
すると、担任の先生がやってきました。当時40代の男の先生でした。
ちょっとおいで、と教室の隅に連れていかれました。

お前の気持ちはわかるよ。
だけど、叩いちゃったのは良くないから、それは謝らないといけないよ。

先生は私に優しくそう言いました。
怒られると思っていた私は、びっくりしました。
そして、そのとおりだな、と思いました。
私は、その子に謝りに行きました。その子はまだ泣いていましたが、私を許してくれました。

事件が起こった時、先生は近くにいませんでした。周りで見ていた子が見たままを先生に報告してくれたようでした。
信用できる目撃証言のおかげで、私は不当な処罰を免れることができました。

したことを見れば、私はただの暴れん坊、暴力娘でしかありません。

運が悪ければ、先生に粗暴な子と目をつけられて何かと悪い評価をされたり、ともえちゃんはすぐに暴力振るうから、近づかないほうがいいわよ、なんて噂を立てられていたことでしょう。
友達もいなくなり、大人も信用できなくなり、悪循環に陥って今とは全然違う人生を歩んでいたかもしれない。そう思うこともあります。

ですが、ラッキーなことに、私の周りには、結果だけを見ずに、背景にどんな事情があったのかに目を向けてくれたり、こちらの言い分を聞いてくれる大人がいました。
おかげで?私は卑屈になることもなく、ここまでなんとか生きてくることができました。

芸能人の誰それに不倫疑惑、となると、最近は、やれ「ゲス不倫」と騒ぎ立て、当の本人が二度と人前に出てこれなくなるような扱いをされたりします。
夫婦間の暴力も同じです。一発の拳が「DV」とされて、高額な慰謝料を請求されることもあったりします。

しかし、例えば、日常的に夫からひどい暴言や暴力を受けていた人が他の人に惹かれて交際したとして、それはそんなに非難されることなんでしょうか(こういう場合、不貞の証拠はあるのに、夫の暴言暴力の証拠は希薄という悔しい状況も結構あったりしますが)。
日頃からヒステリックに夫を責め立ててきた妻に対して限界を超えた夫が一発殴ってしまうことが、高額の慰謝料を払う原因になったりするのでしょうか。

強姦(法改正で強制性交等罪になりましたが)や強制わいせつに問われるもののの中にも、知り合いや恋人同士のトラブルに端を発しており、このような重大罪名に問われること自体に疑問を感じるものも少なくありません。

前面に出てくるワードのインパクトだけで、したことを責め立てられ、その人の言い分というものが無視されることがここ最近急激に増えたなあ、自分はいいときに子供時代を送ったもんだなあ、とつくづく思います。

今の自分が、そういう依頼者の「事情」に細心の注意を払って汲み取れているとは到底言えません。
ですが、自分は、弁護士という仕事をするにあたって、私を頭ごなしに叱らなかった母や先生が持っていたある種の大らかさみたいなものを、忘れずにいたいな、と、最近なんとなく思ったりするのでした。

注)このブログも私の母も暴力を推奨するものではありませんので、誤解のないようお願いいたします(私も母も平和主義者です)。






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# by terarinterarin | 2017-06-28 00:19 | Comments(0)
先日行われたAKB48総選挙で20位にランクインした須藤凛ヶ花さんが、結婚宣言したことが話題になっています。

巷では、恋愛禁止のアイドルグループでいきなりの結婚宣言とは何事か、今まで注ぎ込んだ金を返せなどという怒りの声が上がっています。
同じグループの現役メンバーやOGからも厳しい声や困惑する声が上がっており、夢を売るアイドルとしてのプロ意識と、恋愛や結婚の両立というのは難しいものだと改めて感じさせられます。

ネット上にも記事が上がっていますが、所属事務所がアイドルとの契約で恋愛禁止措置を講じても、無効になる可能性が高いと一般的には考えられています。
なぜなら、憲法で定められている幸福追求権や内心の自由を奪うことになってしまいかねないからです。
契約書にストレートに「甲は、乙が、契約期間中、他者と恋愛関係になることを禁止する」とか、「乙が他者と恋愛関係になったことが明らかになったときには、乙は甲に対して罰金として1回につき100万円を支払う」などと、ストレートに定めても無効でしょう。

とはいえ、アイドルが夢を売る仕事であることは今も昔も変わりません。男性アイドルも女性アイドルも、ファンの擬似的な恋愛の対象となっているわけですから、そのイメージと真逆のプライベートが流出したり、突然彼氏ができて公然と交際したりすることがまかり通ってしまったら、ファンが潮が引けるように去ってしまい、事務所に多大なる損失が出ることもあるわけです。
ビジネスのひとつとしてアイドルを売り出している事務所としては、「恋愛自由」というリスク管理が全くできない契約条件は、到底受け入れることはできないでしょう。

そもそも、芸能界では、未だ事務所と所属するタレントとの間で契約書が交わされること自体が少なく、契約内容が不明確ということも少なくないようです。
また、事務所と所属タレントとの契約の性質も曖昧不明確で、雇用契約だったり業務委託契約だったり、両者の性質が混合しているようなものだったりするようです(注:契約の法的な性質は契約書に付されている名称や用語だけで判断できるものではありません。業務委託契約という名目でも、実質は脱法的な雇用契約ということもあります。芸能事務所の場合、専属マネジメント契約などという表題になっていることが多いのでしょうか)。

しかし、雇用だろうが業務委託だろうが、契約の当事者には、契約上一定の「注意義務」というものが課されます(この注意義務というのも、法的には複数の概念があるのですが、ここではそれはちょっと置いておきます)。
具体的には、契約上必要な注意を欠いた場合にどんな事態が招かれるかを予見する義務、そしてその予見に基づいて結果を回避する措置を講じる義務のことです。
この注意義務を果たせなかった時、契約の当事者は、契約違反をしたということになるわけです。
タレント側には、自身の言動や振る舞いによって事務所に営業上の損失を与えないようにすべき注意義務が課されているでしょう。
そうであるにもかかわらず、不用意な発言や行動をして、例えば決まっていたCM契約がキャンセルになってしまったような場合には、注意義務違反すなわち契約違反に問われる場合もあるわけです。

契約違反があったとなると、次に問題になるのが、違反の責任をどうとってもらうか、ということです。

一般的には損害賠償責任と契約解除が考えられます。
損害賠償責任についていえば、例えば、先ほどのCM契約キャンセルによって会社が被った損失(会社の取り分など)を賠償するという話になるでしょう(ただ、実際にタレント側に支払う資力がないケースもあるでしょう。その場合には、たぶん、その分稼いで返せ、という話になるんでしょうね)。

契約解除については、そうそう簡単にはいきません。
雇用契約についてみると、使用者が労働者の契約義務違反を理由として契約を解除することは、俗にいう解雇になるわけですが、実務上は「解雇権濫用禁止の法理」というものがあり、よほど合理的な理由がない限り、解雇してはいけないとされています。
これは、一般の他の契約と同様の契約解除権を使用者に認めてしまうと、力関係で上に立つ使用者側が、気に入らない従業員を難癖つけてやめさせることがたやすくなってしまうからです。
しかも、懲戒解雇が認められるのは、契約書や就業規則に定められた懲戒解雇事由に該当する悪質な事情があった場合に限られるわけです。

これは、アイドルについても当然同じであって、純粋に雇用契約を事務所と締結しているアイドルは、簡単には解雇されませんし、まして懲戒解雇というわけにはいきません。
雇用契約ではなく、業務委託契約やこれに類する契約形態で事務所と契約しているアイドルについても、テラバヤシとしては、雇用に準じて考えられることになるのではないかと思うわけです。なぜなら、雇用だろうと業務委託だろうと、事務所との力関係に変わりはないと考えられるからです(念のため、アイドルです。大御所のタレントさんではありません)。
つまり、契約解除はよほど合理的な理由がない限りできないだろうと思うのであります。

がしかし、逆にいえば、事務所側は、「よほどの合理的な理由」があればアイドルの解雇、契約解除はしうるわけです。

「恋愛禁止ルール」を破って、男性と交際した、一緒の部屋にこもって朝まで出てこなかった。
こういう事態が発覚したAKBのメンバーは過去に数人いたようです。
ですが、事務所を解雇になった、AKBを辞めさせられたという話は聞いたことがありません(注:AKBのメンバーの多くはAKSという事務所に所属しているということなので、解雇、契約解除はイコールAKBを辞めさせられるということに繋がるかと思います)。これは、他人と恋愛関係に陥っただけでは、解雇や契約解除が認められる「よほどの合理的理由」には一般的に当たらないという判断からだろうと思われます。

では、突然の結婚宣言はどうなんでしょう?
事務所の誰にも直前まで話していない。
イメージとのギャップが大きすぎて、いくつかの仕事をキャンセルせざるを得ない。
やはり、恋愛とは違うのか?
相手を取っ替え引っ替え恋愛しているアイドルと前振りなしに「結婚します」と宣言するアイドルを比べて、後者の方を辞めさせる「合理的理由」なんてあるのか?
こう考えてみると、恋愛と結婚を本質的に分けて考えるのは難しいようにも思えます(ちなみにAKBでは、結婚は禁止されていないんだとか)。

40代以上の方は覚えていると思いますが、昔、フジテレビには伝説の子供向け番組「ピンポンパン」というものがありました。
ピンポンパンに出てくるお姉さんは、フジテレビの局アナでした(これがのちのアイドルアナ路線の走りだと思います)。
2代目か3代目かの酒井ゆきえお姉さんが、のちに対談でお話しされていたのですが、ピンポンパンのお姉さんをやっていた頃は、トイレに入るところを見られてはいけない(たぶん子供達にという意味だと思いますが)というルールになっていたそうです。

子供にトイレ入っているところを見られたので解雇となれば、当然そんな解雇は無効です。
が、アイドルの恋愛事情は、そう簡単に片付けられる問題ではなさそうです。


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# by terarinterarin | 2017-06-20 21:59 | Comments(0)
このブログで任意事情聴取における捜査機関の傍若無人ぶりをお伝えしてきました。
そんななか、テラバヤシ自身が任意事情聴取に付き添ってきましたので、そこから感じたこと、今後、必要と感じる取り組みについてお伝えしたいと思います。

なお、この事件は現在も捜査継続中の事件です。守秘義務の問題もありますので、このブログに記載した以上のことはお問い合わせいただいてもお答えできないことを予めご了承ください。

まず、私が任意事情聴取を受ける依頼者に付き添って警察署に赴いたのは今回が初めてでした。
意外に思われるかもしれませんが、法テラス時代は、原則として国選事件しか受けることができなかった手前、身体拘束前の被疑者の方の弁護活動を体験することができませんでした。その後も、裁判員裁判対象事件を中心として身体拘束されて以降の被疑者の事件を受けることばかりで、任意事情聴取段階の事件に縁がなかったのです。

まず、弁護人選任届を警察署に送るときに、一緒に「任意として許される範囲を超えることのないように強く求める」という趣旨の書面を警察署長宛に送りました。内容としては、自由な退出を認めること、供述を強要しないこと、供述調書等への署名捺印を強要しないこと等等を記載した、というところです。

その後、一度依頼者が一人で事情聴取を受けたところ、いくつか問題と思われることが散見されたため、「これは放置しておくとさらに様々、事実上威圧されて強要される」と思い、同行することにしたわけです。

警察署について担当警察官に会ってすぐに、「事情聴取に同席させてください」と言いました。事情聴取への弁護人同席を禁じる法規制はありません。ですので、特に任意事情聴取下では、本来認められてしかるべきなのです。
しかし、あちらは「同席してよいというルールもない」という実に警察らしい理屈で、同席を拒否しました。
一般の方はわからないかもしれませんが、民主社会のルールの基本は「規制がない限りは自由。合理的な理由で合理的な内容の規制のみが許される」というものです。
そういう民主社会のルールの根本について全く理解されていない回答が返ってきたというわけです。

しかも、この回答は実によどみなく担当警察官とその上司の警察官から返ってきました。つまり、警察全体の論理というわけです。

ただ、テラバヤシもここでごねる気はありませんでした(今の日本の警察でこれが認められる可能性は99.99パーセントないだろうと思っていたので)。
そこで、「同席がだめなら録音させてください」と言いました。
以前の投稿でも書きましたが、現在、被疑者が身体拘束されている事件では、原則全件録音録画の建前があります。
だとしたら、任意事情聴取下で録音できない理由がありません。
しかも、「任意」なのですから、こちらが録音することは本来自由なはずなのです。
ですが、依頼者は、以前受けた事情聴取で録音はしないでくれ、と言われていました。
友人から聞いた話だと、任意事情聴取であるにもかかわらず、その前に警察官が何の断りもなくボディチェックすることもあるんだとか(注:ボディチェックそのものはやむを得ないかと思ってはいます。やはり、刃物などの凶器を持っていれば警察官に危険が及ぶ場合もありますので。ただ、当然のように行うことは許されないと思いますし、まして録音機を取り上げるのは任意事情聴取の範囲を超えているでしょう)。

そんな状況だったので、あえて「録音させろ」と言いました。これも断られるのは想定の範囲内でした。
警察側の回答は「録音できるよう申立したのですが、許可が出ませんでした」というものでした。
いったいどこに申立をして不許可になった理由は何なんだと聞こうかな、と思ったのですが、あまりにここでゴネて捜査妨害だのなんだのと突っ込まれると、却って、被疑者に不利益になるかもしれないと思い、それ以上は追及しませんでした。

そこで、最後に「依頼者が私に相談したいと言ったら、いつでも相談させるように」と言いました。
それはさすがにOKで、結果私は取調室にごく近い廊下のベンチで、待機することになりました。
事情聴取は、当初予定されていた時間通りに終了しました。
依頼者から報告してもらった限り、特段の問題はありませんでした。

身体拘束下の被疑者の弁護活動については、相当程度パターン化ルーティン化しており、それ相応に刑事弁護をしている人であれば、大きく外れる活動をすることはないだろうと思います。
身体拘束されていない被疑者の弁護活動も、同じようにパターン化ルーティン化し、多くの弁護士が「はずれのない活動」をすることができるようになることが、先日来発信している「任意事情聴取」を回避することに極めて重要であると思います。

弁選を提出するときに、一緒に「任意事情聴取を逸脱しないように」注意喚起する書面も渡しておく。
弁護人同席や録音の申し入れをする。
事情聴取の問題が判明した場合には、早急に抗議する。
そして、何より重要なのは、早い段階で一度は依頼者と一緒に警察署に赴くということだろうと思います。
「こういう弁護士が付いているんだ」という現実を捜査機関に突きつけることは、「下手なことはできない」というプレッシャーを警察官に与えることになります。
不当な事情聴取により一般の市民が苦しめられるのを回避するには、これが現状一番であることは確かでしょう。

もちろん、任意事情聴取なのだから、そもそも応じる必要がない、応じなければ、先に書いたような問題も生じないという考え方もあろうかと思います。
ですが、一概にはそういえないと思います。応じるか応じないか、応じたとして話すか話さないかは、逮捕のリスクとの兼ね合いで検討すべき問題ではないかと思います。
そういう戦略を立てるためにも、やはり、任意事情聴取段階での弁護人の存在は重要だと思うのです。

以前も書いた通り、今まで、日弁連や各単位会における被疑者被告人の権利擁護活動は、被疑者被告人が身体拘束されているケースが中心でした。
歴史をさかのぼれば、それは必然であり、やむを得ない対応だったと思われます。
身体拘束下での取調べは、可視化をはじめとしていくつかの規制がなされるようになり、以前に比べれば随分マシになりました。
そして、裁判所も(特に東京地裁は)、勾留請求を却下することが増え、不必要な身体拘束が回避されるようになってきました。

身体拘束がなされていない事情聴取には、裁判所の目も届きません。
「しょっぴいて吐かせる」ことが難しくなってきたので、捜査機関は、監視の目が及びにくい任意事情聴取段階で、過去、身体拘束下でおこなってきた事情聴取を再現しようとしているわけです。

私は、多くの弁護士に任意捜査段階の弁護活動を実践してもらいたいと思っています。
そして、そのノウハウを多くの弁護士で共有することが望ましいと思います。
日弁連や法テラスが、任意事情聴取に対する弁護活動に費用を出す仕組みを作ってほしいと思います。
より多くの任意捜査の対象者が弁護士にたどり着くことができるようにするためです。

こういう活動の広がりの中で、身体拘束下の取り調べの録音録画が制度化したように、任意事情聴取の全権録音録画、弁護人の同席の制度化が実現できれば、と思うのでありました。



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# by terarinterarin | 2017-06-11 17:54 | Comments(0)
テレビドラマはあまり観ない方ですが、タイトルに挙げた「ツバキ文具店」は割と楽しみに観ていました。昨日、6月2日、このドラマは最終回を迎えました(本当は最終回前に書きたかった)。

「ポッポちゃん」こと鳩子(多部未華子さん)が、反発していた祖母(倍賞美津子)の死をきっかけに、鎌倉にある実家に戻り、祖母のやっていた文具店と代書屋の仕事を引き継ぐ、代書の仕事や近所の人の温かさに触れながら成長していく…とまあ、こんな感じのお話です。

代書屋とは、要するに「手紙の代書」を請け負う仕事です。
「代書」というと、依頼者が考えた文面を美しい字で清書する仕事、というイメージを持つ方もいると思います。
しかし、ポッポちゃんの代書屋は、そうではありません。手紙の文面や「伝え方」も考えるのです。
そのために、依頼者から相手との関係性を聴き取り(なかなか具体的に話してくれない人もいましたが)、相手に対してどういう心情を持っているのか、何を伝えたいのかをくみ取り、それを伝えるためにどういう言葉を選択すべきか、どんな筆記用具で、どんな紙(紙でないこともありましたが)に書けばよいのか…それら全てを決めるのです。

ポッポちゃんの代書の仕事との向き合い方を見ていて、自分が弁護士として書面を作成するときの向き合い方と相通じるものを感じました。

最も「あ、わかるな~」と思ったのは、実際に手紙を代書するシーンでした。
ポッポちゃんは、依頼された手紙を書く時には、白い「勝負服」(というか仕事服)に着替え、髪を後ろで一本にきりりと結び、間接照明に落とした仕事部屋の中で、集中を高めて取り組みます。
私も、書面(特に民事であれば訴状とか、答弁書、答弁書擬制陳述後の第一準備書面、最終準備書面。刑事事件であれば、冒頭陳述、弁論、控訴趣意書など)を書く時には、少なくとも半日は時間を空けてそれだけに費やせるように日程調整をして、気分を高めて集中して取り組みたい方ですし、極力そうしています。
基本的に、先ほど挙げたような「重い書面」を書く時には、来客や電話にも対応したくないので、状況が許す限り、自宅にこもって書いたりします。
エンジンがかかるのが遅い方なので、入り込めるまでは、お茶を飲んだり、お菓子を食べたりしてソワソワしていますが、本当に乗ってくると食事をするのも面倒になります。

私は、個人の方から依頼を受けることが多く、事件の内容も人と人との間の感情、人間関係の問題が深くかかわっているものが少なくありません。
もちろん、私は弁護士として法的に何かを請求するために書面を作成しているわけですから、ポッポちゃんの代書の仕事とは同じではありませんが、自分の仕事の特性上、相手との関係で依頼者がどう感じたのか、ということを言葉で言い表すことがやはり重要だと考えています。
例えば、慰謝料請求訴訟を起こす際、「精神的に多大なる苦痛を被った」などという言い回しを私だけでなく多くの人が定型的に使ったりすると思います。しかし、それまでに起こった事実から、どんなことを感じて、「精神的に多大なる苦痛を被る」に至るのかという点について、どれくらい臨場感がある言葉を出せるのか、は、担当する裁判官にその事件の本質を伝えるにあたって重要な作業ではないかと思うのです。

なので、書面を書く時にはいつも生みの苦しみを感じます。
書こうと決めた日に、どうしても気持ちが入らなくて、予定を変えて別な日に(あえて切羽詰まった日程にする)エイヤで書き始めることもあります。
たぶん、多かれ少なかれ、似たような気持で書面に取り組む弁護士はいると思うのですが、私の知り合いの中には、「事件類型によって訴状はパターンで書けるから楽だよね」などと言う人がいて、個人的にはかなり信じられないのです(企業系の仕事ではなく、私と同様個人の方の仕事を受けることが多い人です)。
それでも受理されて普通に審理されるのですから、必要にして十分なものは、その考え方で出せているわけです。肩に力を入れずに必要な仕事ができる人は、うらやましいなと思っています。私にはできない芸当なので。

もちろん、私も事件によっては、あえて最初は必要最低限の内容のみに抑えた訴状を出すこともあります。
ですが、それはページ数が少ないだけの話で、「生みの苦しみ」が軽減されているとは必ずしもいえなかったりするのです。
会議なんかに出ながら書面をあげてしまう同業者も相当数いるようですが、そんな器用な真似、一生に一度でいいからやってみたいと思ったりもします。

ポッポちゃんは、代書した手紙を発送する前に依頼者に確認してもらっていました(ひとり、代書依頼後に亡くなった方がいて、その方は除きますが)。
私も作成した書面は、原則として、依頼者に確認してもらいます(軽い内容のもの、法的主張に特化したものなどは事後報告になったりしますが)。確認してもらう最大の目的は、事実の誤りがないかどうかなのですが、その時に「私の気持ちがちゃんと言葉になっていました」などと言われると、ちょっとほっとしたりするものです。
自分なりに「いい書面が書けたな」と思う事件は、結果が伴うことも多いように思いますし。

「物を書く仕事」は、思いのほか、世の中にたくさんあるものです。
書く書面は違っても、私のように、いつまで経ってもうんうん唸りながら書面を書いている人もいれば、必要以上に悩まずに書ける人など、「取り組み方」のタイプは千差万別なのだと思います。

私は今回ポッポちゃんに会えて、自分の書面との向き合い方が、あながち間違いでもなく、悪くもないのかもしれない、と初めて思えました。

ブログも毎回うんうんうなりながら書いています。
なんだかんだ言って、唸りながら書くのが、自分は好きなのかもしれません。






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# by terarinterarin | 2017-06-03 01:01 | Comments(1)
ジャーナリスト山口敬之さんから準強姦の被害に遭ったにもかかわらず、警察が山口氏の逮捕を直前で取りやめ、山口氏が不起訴になったことについて、「詩織さん」という女性が検察審査会に不服申し立てをしたことが話題になっています。

山口氏も酒を一緒に飲んで詩織さんと性交渉を行ったところまでは認めているようですが、それでも自分のやった行為には違法性がないとSNSなどで発信しています。
女性との性交渉が犯罪にならないということは、法的には、山口氏の主張は「詩織さんとの間に合意があった」、あるいは「合意があったものと誤診した」ということになると予想されます。

強姦・準強姦で立件される場合、女性の膣内からDNAを採取して、被疑者男性と同型のDNAが検出されないか、当然鑑定します。
検出されてしまった場合、「合意の上でした。強姦ではありません」とか「合意があったと思っていました」という主張をする人がかなり多いです。

弁護人として関わっていると、本人の主張もごもっともで、「これは美人局とか、なにか金目当てなんじゃないか」としか思えないような案件もあります。一方、苦し紛れに「合意がありました」「合意があったと思っていました」などと言っていると思われるケースや、「どうしてそれで同意があったと思ったんだ…」と理解に苦しむケースが相当数あることも事実です。

ですが、一般的には、「女性がセックスに合意していたか」ということに関する捜査機関の判断は結構厳しく、有罪シフトで捜査が進められたり、起訴されることが多いように思われます(注:そもそも警察の「被害届を受理する」「事件化して捜査する」という判断は、どう表現してよいのかわからないのですが、かなりマチマチかつブレブレで、「こんなもんの被害届受理して、どうしてこっちは受理しないんだ」と怒りを覚えることも時にあったりします。そういうのを見るにつけ、警察の捜査って裏でなにがしか黒いものが動いているんだろうなと思わざるを得ません)。

例えば、バーなんかで知り合った女性に声をかけて、宿泊先のホテルの部屋に誘ったらついてきた。二人でベッドに腰かけていい雰囲気になってきた。チャンスだと思って男性が押し倒したところ、多少女性にバタバタされたけれど、大声を出されることもなくことを終えた、というケース(現在、5月31日12時10分。昼間から生々しいですなあ)でも、女性が警察に被害を訴えたら、男性は「強姦罪」で逮捕されかねません。実際、こういうケースで逮捕されたという話はいくつか聞いたことがあります。
男性にしてみれば、全然普通にOKと思われるケースではないかと推察しますが、これでも、女性の訴え次第では、最低限「強姦罪の容疑」で捜査対象になってしまい、場合によっては起訴されてしまうこともありうるわけです。

個人的には、(話を蒸し返すようですが)高畑裕太さんの一件は、本人の目線からするとこういう感じに近かったのではないかと思います。つまり、おちおちナンパもできないわけです。いい雰囲気になってきたので、野暮な言葉は出さずに阿吽の呼吸で…というのも、甚だしい勘違いになったりするということです。

ただ、こういうケースでは、迷惑料的な意味合いの示談金を支払う形で事件が終了することも少なくないかもしれません。

私が担当した事件では、おそらくは、「途中から合意がなくなった」と判断されて、逮捕されたであろう案件がありました。
知り合い同士の事件で、過去にも性交渉を何度もしていた人同士のことだったのですが、当初は性交渉に応じていたものの、途中から、男性側の行為に女性が拒絶を示したというケースでした。男性の側は、その拒絶の言葉も、いわゆる「プレイの一環」で(うーん、やはり生々しい)、性交渉の合意がその時点でなくなった、とまでは考えていないようでした。
個人的には、当時の状況からすると、示談が成立しなければ起訴もやむ得ないかもしれないと考えていました。が、幸い女性の処罰感情がそれほど厳しくなく、快く示談に応じてくださり(注:それほど高額なものをお支払いできたわけではありません。)、告訴も取り下げてくださって終了しました。

「性交渉に対する合意」というのは、当然「性交渉とは何たるか」ということを理解したうえで「性交渉をする」という認識を正常な意識下で持ったうえでOKを出した場合に初めて認められるものです。13歳未満の女子に対する姦淫行為が、暴行脅迫を伴わなくても強姦罪を構成するのは、年少の女子が「性交渉とは何たるか」ということを正しく理解できていないと一般的に考えられているからです。
そして、「合意」に対するこのような考え方を前提とすれば、お酒とか薬とかで意識朦朧となっている状況下で「いいよ~」なんて返事をしたとしても、そんなものは合意たりえないということになります。

また、先の条件を全部満たしたうえで女性が性交渉に合意したとしても、その意味は「この先何時までも拒まないし、どんなセックスされてもかまいません」などという趣旨に理解することは、おそらく極めて特殊な事情がないと不可能でしょう。
DV夫なんかが、妻に対して妻であることを理由に、拒絶の言葉を一切聞かずに無理やり押し倒して姦淫したりする話を聞いたりしますが、これだって、本来合意のない強姦になるはずなのです。
「セックスしていいですよ」と一度言ったからといって、いつまでも「まな板の上の鯉」になってくれる意思を表したとは言えないのです。

「嫌よ嫌よも好きのうち」が到底通じる理屈でないことはご承知の方も多いでしょうが、「好きよ好きよは今のうち」ということも広くご理解いただきたいと思うのでありました。

追伸
本当は今週は違うことを投稿したかったのです。本来書こうと思っていたことは、また近々…





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# by terarinterarin | 2017-05-31 12:54 | Comments(3)
先週のことです。
阿川佐和子さんが交際していた男性との結婚を発表しました。
阿川さんは63歳、お相手の男性は69歳とのこと。しばらくの間交際をした末のご結婚だったようです。

テラバヤシは、阿川佐和子さんのファンでした。
週刊文春の対談での軽妙なトークが好きでした(最近読んでいませんが…申し訳ありません)。
親友の檀ふみさんとの往復エッセイ「ああ言えばこう食う」「ああ言えばこう行く」も好きでした。
阿川さんの小説「ウメ子」は、泣きながら読みました。

結婚願望を隠さず、実に数十回のお見合いを重ね、それでも結婚に至らないということをネタにして?活躍し続けて、ついにゴールインしたのです。

「ああ、よかったなあ、おめでたいなあ」と、テラバヤシは、まるで親戚のお姉さんが好きな人と和やかに結婚できたかのような気持ちになりました。

そして、2つのことを感じました。
1つは、「女性が、結婚というものから(徐々にではあるけれど)自由になれつつあるのだな」ということでした。
「結婚」というと、少なくとも日本では、従来から、「男女が新しい家族を形成するために行うもの」「一家の長男がその系譜を残すためにするもの」と位置付けられていて、女性は「子どもを産んでなんぼ」という強い世の中の見方がありました。
こういう見方は、勢い、「子を産める年齢での結婚」が当たり前という考え方につながりがちで、そのため、子を産むことが難しくなった(あるいは難しくなりつつある)女性の結婚というのは、「おめでとう」という言葉とは裏腹に、冷ややかに受け止めらえていました。
(男性はいくつになっても子を作る機能が残るため、高齢で結婚しても、女性ほど冷ややかな目で見られることはないように思えますが、実際、男性のみなさん、どうなんでしょうか。まあ、あまりに若い女性と結婚したりすると、「エロじじい」みたいな心ない言葉を投げかけられたりするのでしょうが…)

阿川さんは、子を産める年齢を遠く行き過ぎて、実にさわやかに初めての結婚をしました(こういう年齢の方の結婚は今まで再婚が当たり前…みたいな空気がありました)。入籍発表時のコメントには「穏やかに老後を過ごしていければ幸い」という言葉がありました。
老後を一緒に暮らしていける相手と結婚するという結婚観がありなのだ、ということを示してくれたのでした。

そもそも、結婚に何かを求めるのか、求めないのか、求めるとしてどんなことを求めるのかは、人それぞれ決めていいはずのものでした。
結婚しても、子どもを産まないという選択も、徐々にではありますが、受け入れられつつあるように思えます。
非婚という選択肢も、大きな声で言えるようになってきました。

阿川さんの結婚とその発表は、そんな結婚観の多様化を表しているように思えました。

一方で、「インテリ女性が幸せに結婚しようとすると足を引っ張ろうとする人間がどうしてもいるんだなあ」と感じました。
これは、阿川さんの結婚だけでなく、菊川怜さんの件の報道を見ても感じたことでした。

阿川さんの旦那様は、元々ご友人の配偶者だった方とかで(本当なんですかね)、一部では「略奪婚ではないのか」などと報じられています。そもそも、旦那様とご友人の離婚が相当前のことであるにもかかわらず、こういう報道が出てくること自体、「足を引っ張ろうとする人たちの負のエネルギー」の恐ろしさを感じずにはいられません。

菊川怜さんについては、旦那様が過去に複数の女性との間で婚外子をもうけている、報道番組のキャスターを務める菊川さんがこのような不埒な男性と結婚して果たしてよいのか、などと報じられていました。
しかし、そもそも、「結婚していない男女の間で子を作ってはいけない」なんていう法規制はありません(そんなルールができたら、少なくとも現行憲法下では違憲だと思いますが)。
確かに、子をもうけた女性の中には、婚姻できなかったことで大きな精神的苦痛を被った人もいるのかもしれません。
が、菊川さんの旦那様が、認知や養育費の支払い、(必要に応じて)一定の慰謝料の支払いなど、すべきことをきちんとしているのであれば、それ自体、非難されることではありません(認知や養育費等の支払いをしていないのだとしても、こういう問題には当事者にしかわからない事情があることが往々にして多いので、外野の人間がとやかく言う筋合いのものではないでしょう)。
こういう報道がされたのも、東大卒のインテリ女子にして結婚願望が強く40第一歩手前まで結婚できなかった菊川さんが、非常にハイクラスの男性と結婚したという「世間の感覚とちょっと違う」という結婚だったからこその嫌がらせ、だったのではないかと思うのです。

そうなのです。
阿川さんも菊川さんも、第一線で活躍されているインテリ女性でした。
インテリ女性にして結婚願望が強い人たちでした。そして、結婚したいのにできない人たちでした。「結婚したい」と公言してきた人たちでした。
「頭がいいけれど結婚したいのにできない」という彼女たちを見て、彼女たちよりもインテリの度合いが低い人々のいくばくかは、わずかながらの優越感を持っていたのかもしれません。
それが結婚してしまった。「頭がいい上に結婚までされた」という敗北感を感じた視聴者が少なからずいたのかもしれません。
少なくとも、マスコミの一部は、そういう層の存在を感じていたのでしょう。
だからこそ、ああいう醜聞記事を素早く出すに至ったのです。

女の子は結婚するのが幸せ、母親になって幸せという価値観を押し付けておきながら、一方で、自身の努力で教養を身につけ、活躍している女性の結婚に関しては足を引っ張る。

先ほど、「女性が非婚という選択肢を大きな声で言えるようになった」と書きました。
非婚という選択肢があるように、従来通りの価値観に乗っかった結婚をする自由だって女性にはあるのです。どんな女性にもあるはずです。
ところが、インテリ女性にはまるでそういう選択肢が許されていないかのような感覚を持ってしまいます。

こういうところを突き詰めていくと、「結婚」というものに対して、どんどん女性が自由になっていこうとする一方で、古い古い従来の女性観(女の子は勉強なんてしなくていい)と結婚観に女性を縛りつけようとする層がはびこっていることを感じざるを得ません。

テラバヤシは、いわゆるフェミニストではありません。
男性とか女性とかそういうことではなく、人間一人一人が、納得がいかない理屈を押し付けられて自分を殺して生きていかねばらならいことがおかしいと思っています。
今の日本には、貧困や過労死、LGBTなど、様々な事情で虐げられている個々人の問題があります。個人が真に自由に生きられる世の中を作っていこうという風潮がある一方で、古い古い時代の価値観を復活させようとする動きが急速に起こっているのが今の日本です。

今回、阿川さんの結婚の報道をじっくり考えていくと、改めて「女性の解放」という古くからのテーマは、単に女性の問題だけではなく、性別や人種を超えて、個々人が真の自由を求めて生きていける世の中を作るための象徴的なテーマ、活動だったのだなと気づかされたのでありました。









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# by terarinterarin | 2017-05-22 22:30 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin