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最初の友達について

「人生で一番最初の友達」と言われたら、私が思い出すのは、幼稚園の時に同じクラスにいた男の子です(Sくん、としておきます)。

無口でおとなしくて、いつも微笑んでいるような表情をしている男の子でした。
話す声が「みつばちマーヤの冒険」というアニメに出てくる、ウィリーという男の子のハチにそっくりだったのは覚えているのですが、でも、彼とどんな話をしたのかは思い出せません。
思い出すのは、幼稚園から家に帰るとき、その子と私と、その子のお母さんとうちの母と、いつも一緒だったということでした。

「Sちゃんは、自閉症なんだよ」
あるとき、家で母にそう言われたことがありました。
Sくんのお母さんが、母にそう話したんだそうです。

まだ5歳だった私は、その言葉の意味が理解できませんでした。
母としては、「お話がうまくできないけど、からかったりしちゃだめだよ」と伝えたかったようなのですが、私には「じへいしょう」という言葉だけが耳に残り、Sくんが自分や他の子とは、何か違うんだろうかということが気になりました。

それで、ある日、私は幼稚園でじーっとSくんを観察したことがありました(今にして思えば子供ってひどいことしますよねえ)。
そして、出た結論は「Sくんはふつうだ」ということでした。
確かに、ちょっととろかったり、お話しするのが苦手かもしれないけど、だからって別に…というのが正直な感想でした。

もちろん、自閉症というのは誤診だったかもしれませんし、ウン十年も前の話なので、現在の基準では、彼は自閉症にあたらないかもしれません。
5歳の私の観察眼が足りていなかったというのもあるでしょう。

でも、私にとっては彼は普通の子で、その後も小学校1年生で転校するまで、付き合いを続けたのでした。

弁護士になって、法テラスに入って、刑事事件をいろいろ担当していく中で、知的障害の方や発達障害の方にも相当数お会いしてきました。
そのほとんどの方が、周りの理解がなく、適切な支援も受けられず、孤独に陥って、そうするより他になすすべがない、という状況に置かれていたように私には思えました。
こういう方たちの事件を担当するたびに、私は、Sくんのことを思い出しました。
彼のお母さんは、明るくて優しい女性でした。
今でもそういう人がそばにいて、彼は無事にやれているんだろうか、今どうしているんだろうかと、とてもとても気になりました。

昨夜、NHKで東田直樹さんという自閉症の方の特集をしていました。東田さんが中学生の時に書いた「自閉症の自分」に関する本が英訳されて、今、世界で注目されているとのこと。東田さんは渡米して、講演も行いました(彼にとってはとてもとても大変なことだったようです)。
その講演を聞きに来た自閉症の子を抱える親たちは、「初めて子供の心の声を聞いた気がした」と口々に話していました。

私は、Sくんがどんなことを考えて何をしたかったのか、理解してはいなかったでしょう。気づかないうちに彼を傷つける言葉を発していたかもしれません。
今まで、事件で担当した皆さんのことも、ちゃんと理解できたなんて思ったことはありません。
もしかすると、ただ押し付けるだけの解決をしてしまったんじゃないだろうか。
そんな風に思うことばかりです。

今、知的障害や発達障害がある人の刑事事件では、「寄り添い」「専門性」という観点から、研修を受けた弁護士による国選事件の名簿制が導入されたり、社会福祉士や施設と連携する動きが、全国的に盛んになっています。捜査機関側が施設や社会福祉士と連携している地域も少なくありません。

もちろん、知的な問題や発達上の問題を抱える人がやみくもに刑務所に行かねばならないという事態は絶対的に悪であり、こういう試みの必要性自体に特に異論はありません。

でも、私は、こういう流れに、ちょっとした怖さを感じています。
その人たちの心の声をきちんと聞くなんて、並大抵のことではできません。
専門の弁護士が対応して社会福祉士も協力してくれた解決なんだから、それでOKなんだという押し付けになりはしないだろうか、と気になります。
そういう解決をされたその人たちは、本当はどんな風に思うんだろう?ということが気になってしまいます。

私の課題はさしあたり、東田さんが書かれた本を読むことなのでしょう(売り切れになってそうですね)。
そして、ウン十年前にさかのぼって、Sくんが当時考えていたことを想像してみることから始めるしかなさそうです。



by terarinterarin | 2014-08-17 18:52 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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