最終弁論に涙するとき。

以前も投稿しましたが、テラバヤシは、日弁連の法廷技術小委員会というところに所属しており、ときおり各地の弁護士会を訪れて裁判員裁判における弁護人の法廷技術の研修を他のメンバーらとともに行っています。

12月1日から3日までは、札幌弁護士会の会館をお借りして、3日間の法廷技術研修を行いました。
今回の受講者は、北海道各地の弁護士会所属の弁護士が中心でしたが、中には、東京や栃木、埼玉からの受講者もいました。

冒頭陳述、主尋問、反対尋問、最終弁論、果ては異議まで含めたトータルの研修です。
事前に研修課題として事件の記録を受講者に配布します。それで、どのような事件なのか、登場人物がどのような主張をしているのか、どのような証拠があるのかを確認します(記録は部外秘です)。

座学の研修ではなく、受講者全員が、各パートの実演をすべて行い、それに対して講師側がコメントをするという形式の研修です。
3日間の研修は、各パートの中でも特に尋問に力を入れることになっています。最後は交互尋問といって、弁護側と検察側に分かれて実戦形式で研修の成果を試して終了(その時その時の都合で、何をどの程度やるかは微妙に変わりますが)。
受ける側も講師を務める側も疲労困憊して3日間は幕を閉じる…今回ももちろんそうでした。

研修の中では、冒頭陳述や反対尋問、最終弁論で講師によるデモンストレーションが行われます。
冒頭陳述や最終弁論では、受講者による実演研修の前に、まずは検察側冒頭陳述、論告のデモンストレーション。
その後の実演では、この検察官側デモンストレーションを前提とした実演を行います。
そして、実演研修の後には、弁護側の冒頭陳述と最終弁論の講師デモンストレーションを行います。
見ていただいて、講義の中で触れられ実演の際にコメントを受けたことがどんなことなのかを感じ取っていただくのです。

デモンストレーション前には、講師ミーティングで、担当講師が「リハ」をしてみます。
そこで、他の講師から、こっぴどいダメ出しを食らう場合もあります(特に若手が担当する場合には。テラバヤシも、以前はデモ30分前に全部考え直さなくてはいけない羽目に陥りました。最近はデモをやらなくなってので、そういう目に遭わなくなりましたが)。
そうやって、真剣にできる限りのいいデモンストレーションをしようと、ぎりぎりまで頑張って、受講者の皆さんに見てもらうのです。

今回、最終弁論の講師デモンストレーションは、大阪弁護士会の後藤貞人弁護士が担当しました。
後藤弁護士は、日本が誇る「無罪請負人」のひとりです。
法廷技術に関して語る一言一言に常に説得力があり、講師陣に参加するだけで受講者も講師陣も気分が引き締まる、そんな大重鎮です。

テラバヤシは、研修のちょっとした合間に、隣で後藤弁護士がデモンストレーションに使うパワーポイントや、話す内容のメモを作成しているのを横目でチラチラ見ていました。
昼食休憩の際に、「こういう風に始まろうと思う」というアイデアを他の講師に披露して、ほぼ全員からダメ出しされたのも見ていました。

どんな最終弁論になるんだろう。
ワクワクしていました。
もちろんテラバヤシだけではありません。
受講者も講師陣も、お手伝いに来てくださった札幌弁護士会の弁護士も、裏方の日弁連の職員さんも、そこにいた全員がかたずをのんで見守る中、後藤弁護士の最終弁論が始まりました。

今回使用した記録は、とある公園内で起こった日雇い労働者同士の酒代をめぐるトラブルに関するものでした。
仕事にあぶれた日雇い労働者たちが集まり、金を出し合って酒を酌み交わしあう。
そんな中で起こった事件という設定でした。
被告人は、金を奪い取った仲間の片棒を担いだとして、強盗致傷の共同正犯に問われたということになっていました(重ねて申し上げますが、記録自体は部外秘です)。

後藤弁護士は、グラフ様のものを用いて、被害者や目撃者の証言が信用できないことを淡々と説明していきます。
映し出されたパワーポイントの前に立って、淡々と静かに、そして1つ1つのポイントを丁寧についていきます。
大げさな身振りは一切ありません。
聴衆を煽るような言葉も、もちろん一切ありません。
検察側が出してきた証拠、証人の供述について、それが有罪の証拠にはならないのだと、被告人の主張が真実なのだと、ただひたすらにそんな話を続けていきます。

弁論が終盤に差し掛かりました。
被告人が有罪であることの立証責任が検察官にあることを話した後、後藤弁護士は静かにこう言いました。

○○さんが再び仲間と酒を酌み交わすことができるようにしてください。
お願いします。

涙腺が緩みました。
胸がジーンと熱くなりました。
他人の弁論を聞いてこんな気持ちになったのは、初めてでした。

この言葉だけでは、単に弁護人が裁判官や裁判員に被告人を無罪にしてくださいとお願いしているようにしか見えません。
しかし、そうではないのです。
冷静に、淡々と証拠について議論を尽くした最後の最後に、この言葉が出てきたのです。
(模擬の記録ではあるけれど)たった1つの願いを裁く人たちに伝えるために、後藤弁護士は、それまでの間、持てる技術を駆使し緻密な論理を重ねてきたのです。
(模擬の記録ではあるけれど)この言葉に、膨大な技術と努力が込められているかと思うと、感動せずにはいられませんでした。

以前の投稿でも触れましたが、我々委員が研修を行っている法廷技術のメソッドは、元々は米国の陪審裁判におけるメソッドでした。
そのせいか、同業者の中でも「パフォーマンス重視の中身のない下らん技術」という偏見を強く持つ人たちが少なからずいます。
「日本人には合わない」と決めつける人もいます。

しかし、およそ技術というものは、実現したいことがあるからこそ開発されるものなのであって、「技術ありきで中身がない」などということは存在しないはずなのです。
我々が研修しているメソッドも実際のところ、弁護戦略と深く結びついているものです。技術だけが独り歩きしているわけでは決してありません。

どんな技術も、それを使う人の魂がこもってこそ生きるものだと、テラバヤシはずっと思っていました。
技術の前には、想いが先行していなければならないはずです。
今回見た後藤弁護士の最終弁論は、改めてその考えが正しいと思わせてくれました。

しかし、「あんな弁論やってみたい」と私は決して言いません。
私は後藤弁護士とは違う人間です。
真似をしたって始まりません。
誰もが自分なりの「想いを込める技術」を会得しなければならないのだと、そう思います。










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by terarinterarin | 2016-12-04 22:27 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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