稀勢の里とドナルド・トランプ。

稀勢の里が久しぶりの「日本出身横綱」になりました。
確かに日本出身大関勢の戦いぶりは、しばらくの間物足りないことが多かったですし、相撲は日本の国技。
久しぶりの「日本出身横綱」の誕生が歓迎されること自体は、避けられないことだし、当然のことだと思います。

しかし、明治神宮にびっくりするくらいの人が集まったり、ワイドショーで連日取り上げたりというばか騒ぎぶりを見て、テラバヤシはちょっと嫌な気持ちになりました。

大鵬が持っていた優勝回数の記録を白鵬が超えた時にも感じたことですが、本当は、日本人は、外国出身の関取が日本相撲界で活躍することを快く思っていないのです。いや、正しく言えば、ある程度強くて相撲界を盛り上げてくれること自体は歓迎しているのでしょうが、横綱や大関という頂点の番付に君臨して日本人の上に立っていることを苦々しく思っている人、潜在的に快く感じていない人が思いのほか多いのではないでしょうか。
今回の稀勢の里フィーバーに、私は、「日本人が持つ潜在的な差別意識」を強く感じたのでした(稀勢の里もとんだ重荷を背負ったものだと思います)。

日本では近年在日朝鮮人に対する「ヘイトスピーチ」が繰り返されており、そのような活動を支持する声も存在しています。最近は、日韓合意に反する形で設置された慰安婦像をめぐって日本と韓国の関係はまた冷えたものになりましたし、北朝鮮との関係では、拉致問題について解決の糸口すらありません。
そんな国際関係の問題がお門違いな形で在日朝鮮人に対する嫌がらせや憎悪、ヘイトスピーチの許容につながるようにも思えます。

思えば、戦後の復興期、日本全体が熱狂したプロレスの大スター力道山は、在日朝鮮人でした。
アメリカのプロレス界で「卑劣なジャップ」というキャッチコピーで活躍したグレート東郷というプロレスラーは、その出自が謎に包まれていますが、在日朝鮮人だったとか在日中国人だったという噂が根強く残っています。
アメリカプロレス界から日本にレスラーを招聘したり、アメリカのプロレス界に日本人プロレスラーを送りこんだりして、戦後の日本のプロレス界を盛り上げ、引っ張っていった立役者の二人が、在日朝鮮人の力道山と「生粋の日本人ではなかったのかもしれない」グレート東郷だったのです。

現在の日本の相撲界と非常によく似た構造だったと言えるのかもしれません。
思えば、白鵬がその記録を抜いた大鵬だって、ウクライナ人とのハーフでした。高見山や小錦、曙というハワイ出身力士が日本相撲界の人気を支えていた時代もありました。
なにもプロレスや相撲などの格闘技の世界に限った話ではありません。
私がいる弁護士の業界には、在日朝鮮人や中国人で目を見張るような活躍をしている方が何人もいますし(今回この記事を書くまで、わざわざ思い至ることすらなかったほどです)、少なくとも都市部の飲食店や小売店では、日本出身ではない方々が普通に働いています。

「日本の社会は生粋の日本人のもの」という考えや潜在意識は、根拠なんて全くない空虚なものとしか言いようがありません。

アメリカでは、新しく大統領になったドナルド・トランプが「不法移民の取り締まり」の名目で、メキシコとの国境に壁を作ると言いだしたり、「テロリストの入国を防ぐ」という名目で、中東7か国からの渡航者の入国を規制しようとしました。
確かにお題目自体は正当なもののように思えますが、その芯の部分にある思想は「メキシコ人や中東の人間をアメリカ国外から排除したい」という排外主義にあることはまず間違いありません。

日本では、このトランプの政策は否定的にとらえられており、これに賛同する論調の意見は今のところ目につきません。トランプと仲良くしようとする安倍首相に対して懐疑的な視線が寄せられてもいます。
そして、その否定的な論調の中心は「アメリカは移民の国で、そんなことしたら自国の成り立ちを否定することになるではないか」というものです。
この見方の根底には「アメリカは日本とは違う移民の国」という考えが潜んでいるといえるでしょう。

しかし、ほんとうにそうなんでしょうか?

そもそも、人類の歴史は「移動の歴史」といえます。
アジア人と言えば、日本や韓国、中国等々のいわゆる「アジア諸国」に住んでいる人というイメージがありますが、フィンランドやハンガリー、ロシアにもアジア系の住民は暮らしています。
遠い昔には、中国や朝鮮から日本に渡ってきた「渡来人」と呼ばれる人たちがいました。
テラバヤシの故郷は札幌ですが、今思い返してみると、名前は日本風の苗字と名前ではあったものの、顔立ちから想像してスラブ系のご先祖様が近いところにいるのかもしれないという人が何人かクラスにいました。
「内地の人」に侵略された北海道原住のアイヌの人々も、同じ地域で暮らしていました。

そう考えてみると、日本とアメリカの「移民性」の違いなんて五十歩百歩、大した違いなんかありません。
日本人の多くが想定している「生粋の日本人」「日本出身の日本人」の概念なんて、先ほども書いた通り、実に空虚なもので、トランプが頭の中でこしらえている「アメリカ人」と同じようなものでしかないのだろうと思います。あえて定義するとすれば「支配層の政策によって同化された人種・民族に属する人々」ということにしかならないように思えます

つまり、何が言いたいかというと「稀勢の里万歳」とか騒いでる「日本人」は、実は気が付かないだけで排外主義的な思想に染まっていて、その根っこはトランプやトランプの政策を支持している人々と似たり寄ったりなんではないかということです。
私たち、冷ややかな目でトランプやトランプ支持者を眺めていますが、実は、「日本人くさくない人」に対して、同じような視線を向けているんじゃないでしょうか。

先ほど、今思えば子どものころスラブ系のハーフやクオーターと思しき人がちらほらクラスにいたという話をしましたが、その人たちが自分たちの出自について自ら打ち明けるようなことはありませんでした。
何人か思い当るその人たちは、偶然かもしれないけれど皆おとなしく目立たない人たちでした。
もしかすると、出自がばれた時の差別を恐れていたのかもしれないと、今になって過大に妄想を膨らませてしまいます。

自分の母方の祖母は、輪郭と言い顔立ちと言い、アジア人離れしています(全く私の顔には反映されていませんが)。
祖母の両親は、祖母が幼いころに二人とも早世しており、祖母自体が両親の出自を聞くことはなかったようです。
うちは大した家柄でもないので家系図もありません。もしかしたら改製原戸籍とか丁寧に追っていけば、何かわかることがあるのかもしれないけれど、それで何か知ることがあったとしても、自分の今の生活が変わるわけでもありません。何より面倒です。

自分はこんなことは馬鹿らしいと思っているけれど、世の中にはそうではない人が大勢いるようです。
生産的じゃないと思うのは、私だけでしょうか。








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Commented by 例えば弁護士へのねたみ at 2017-02-10 02:05 x
国籍などを理由とした入国禁止措置の考え方(合理性などの理由付け、選挙公約的な理念の必然性)はよく分からないし、外国出身だから横綱になれない(あるいは横綱になることが好まれない)といった考え方もよく分かりません。よく分からないということは「ない」のかもしれません。ただ、ありうる、現に存在する、としても、それらは各事象の一側面であり、もし私がアメリカ人だったならトランプ氏を支持していたのではないかとも思ったりします(彼ほど優秀でよい人はいないんじゃないかという気がしています)。思えば「優秀で恵まれた人間に対する妬み嫉み」という点では、両サイドに共通のものがあるかもしれません。たとえば「弁護士に対する妬み」といった概念もそれに類するものです。優秀でない人間には優秀な方の優秀さが理解できない結果、現象を「不公平なもの、不合理なもの」と認識してしまう傾向がある気がします。このことを自分自身に照らした場合、自分が何かを不公平さや不合理さを思うときには「自分が理解できていないことがあるのではないか」と自省的になるものですが、そうでない方が多いことも興味深いことだったりします。とにかく、いろんな人はいますが、自分の姿勢が自分にとり正義であることを確信しているところがあります。教科書にあるような「いろいろあって、どれもよい」という考え方よりは、「本当に正しいものに依り頼みたい」という考え方にシンパシーを感じる今日この頃です。うまく言えているかどうか定かでありませんが、そういうわけで、トランプ氏にシンパシーを感じる方が多いことも頷けるところがあります。単に排外主義(そういう側面があることは否めないのかもしれませんが)というわけではないのです。今までに良識があるとされていた人々の傲慢さと怠惰と不親切さとに、おそらく多くの方が呆れや不信感や怒りの感情のようなものを抱き始めているのです。
Commented by ふとっちょ at 2017-02-14 00:20 x
キセノンもドナルドも太っている。
Commented by terarinterarin at 2017-02-16 21:18
> ふとっちょさん
わはは、そうですね。
Commented by terarinterarin at 2017-02-16 21:22
> 例えば弁護士へのねたみさん

優秀でない人間には優秀な方の優秀さが理解できない結果、現象を「不公平なもの、不合理なもの」と認識してしまう傾向がある気がします。
→これ、なるほど!!と思いました。

個人的には、ここに付け込んで扇動していく人間が独裁者であり、扇動される「優秀でない人々」は実は被害者ではないかと思います。
トランプに先導されている人たちは、被害者なのではないでしょうか。
時間が経った後には、やはり不公平は解消されなかったという結論になるのではないでしょうか。
排斥は公平を生むものではないのです。
by terarinterarin | 2017-02-05 21:49 | Comments(4)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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