テラバヤシがフィギュアスケートが好きなわけ。

ここ数日、世界フィギュアスケート選手権にうつつを抜かしていました。

31から1日にかけての深夜は、仮眠をとってから女子フリーの生放送を見て、本日は、しっかり男子シングルのフリーを堪能しました。
毎年この季節の恒例行事です。
今年は、男子も女子も納得がいく結果で、非常にさわやかな気分で見終えることができました(注:北米大陸の世界選手権や冬季オリンピックでは、いわゆる「忖度」的なジャッジが横行しているといわれています。フィンランドの今大会はとても公平公正だったと感じます)。

テラバヤシは、伊藤みどり世代で、10代のころからフィギュアスケートに親しんでおりました。
元々フィギュアスケートを見るのは好きでした。

が、弁護士になってから、より好きになりました。
毎年10月頃グランプリシリーズが始まるあたりには、ドキドキしてきます。放送予定を確認しては、見たい選手が出る大会がある日を手帳につけたりするようになりました。
今年はついにアイスショーや冬季アジア大会で、自腹でスケートを堪能するようになりました(実は、「テレビが特等席」派だったのですが、やはり生は違うということに気が付きました)。
フィギュアスケートに対する愛は、年々深くなっているように自分でも思えます。

なぜ自分は、こんなにフィギュアが好きになったのだろうと、ふと考えました。

1つには、自分が弁護士になる少し前から、日本のフィギュア界が盛り上がり始めたということがあるように思います。
荒川静香さんがトリノで金メダルを取ったのは2006年のこと。ちょうど修習に入る年のことでした。
浅田真央ちゃんが銀メダル、高橋大輔さんが銅メダルを取ったバンクーバーオリンピックは2010年。
テラバヤシは法テラス愛知に赴任中で、名古屋で生活していました。
名古屋出身の有名選手を栄の繁華街で見つけたり、近所のスポーツジムで、真央ちゃんや安藤美姫さんの実家の話を聞いたりして、盛り上がる日本のフィギュアスケートをより身近に感じる環境がありました。
大きな国際大会で、日本人が一人も表彰台に乗れないということは、テラバヤシが弁護士になって以来ほぼほぼありませんでした。
そのうち、ごひいきの海外選手もできてきて、日本人がダメでも全然楽しめるようになりました。

しかし、それだけではありません。美しいものを見たいのです。

普段仕事で、人の裏の顔、Dvに虐待に、金のためならどんな嘘でもついてやる、みたいなドロドロぐちゃぐちゃばかり目にしています。
仕事とはいえ、場合によっては目の前に突き付けられたドロドロぐちゃぐちゃを見て、「ここまでありですか」なんていう絶望にも似た衝撃を覚えることも少なくありません。

同じ人間とは思えない美しい選手。美しい演技に美しい衣装。これらが「氷上」というピュアな舞台に集結するのを見ると、単純に心が洗われる思いがします。
フィギュアスケートを見ている間、普段のドロドロぐちゃぐちゃからは、離れることができます。
幸せな気持ちになれるのです。

案外、弁護士(特に女子)には、フィギュアスケート好きが多いように思います。
フィギュアスケートの話で盛り上がる方が何人もいますし、この度ヘルシンキに世界選手権を観に行った(ほぼ毎年行っておられるとのことですが)といううらやましいお方の話も聞いたことがありますし。
皆さんが、どういうきっかけでフィギュアスケートを好きになったのかはわかりませんが、「美しいものを見て現実を忘れたいの」という同業者が、一定数いるに違いないと確信しています。

フィギュアスケートは、ある選手にとっては戦いの場でもありました。
先日FBにも書いたけど、スルヤ・ボナリーというフランスの黒人選手は、自分が黒人だから正当に評価されないと訴えていました。採点方法が今と違う時代の話でしたが、表現力の評価がいつも低く抑えられていました。
アメリカのジョニー・ウィアーという選手は、LGBTの男性選手で、その演技は男子シングルの世界ではほとんど見ない「美」を強く意識したものでした。ウィアーが体現しようとしていた美は女性的なもの(というか耽美的な感じでしょうか)でしたが、やはり大きな大会になると、演技構成点が低く抑えられる傾向にありました。

フィギュアスケートは、「選手の全人格が出るスポーツ」と言われていて、選手が何にこだわっているのか、どういう人間なのかが垣間見えます。大きな大会になればなるほど、選手はある意味追い込まれるので、その分、選手の人となりや主義主張、想いが前面に出てきます。
最近でいうと、全日本選手権のフリーを終えた瞬間に下を向いて涙をこぼした宇野昌磨選手の姿なんかがあげられると思います。
差別と闘ってきたボナリーやウィアーについては、滑り続けることそのものが怒りの発現であり、主義主張だったといえると思います。

華やかで美しい舞台で、ふっとしたときに、選手の生々しさ、人間臭さがふっと湧き上がる瞬間があるのがたまらなく面白いのです。

結局自分は、美しいものを見たいと言いながら、人間のカオスな部分に惹かれる傾向にあるようです。
これってつまり、「疲れる」とか言っているドロドロぐちゃぐちゃが実際のところ嫌いではない、ということなんでしょうか。

だからといって、私にドロドロぐちゃぐちゃの事件を振らないでくださいね、同業の皆さん。


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by terarinterarin | 2017-04-02 02:08 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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