「依頼者の利益を図る」ということ。
2017年 04月 26日
もちろん、依頼者のそもそもの性格からして、「ああ、この人のこの件に関しては、どんな結論になろうと(注:その依頼者にとって最善の結論が出ることが不可能であることを前提としています)絶対文句が出るなあ」と予想がつくことはあります。
しかし、そういう場合には、最初の段階で受任を回避できるようなんとか持っていくことも可能なんであって、一番怖いのは、最初のうちは依頼者との関係が一見良好だったケースとか、依頼者が弁護士の言うことを理解しているように見えていたりするケースです。
豹変されること、ありますからね。
テラバヤシは(こう見えて)とてもチキンなので、依頼者とトラブルになるのは、もう絶対に絶対に避けたいと考えます。
そのため、受任前の相談の段階で見通しを伝える時には、超ネガティブです。
普通なら「いや、大丈夫ですよ、勝てる可能性高いですよ」と言えるような案件でも、「いやー5分5分ですね。こういうリスクがありますし…」とかマイナス要素をずらずら並べたりします(注:結果を約束してはいけないんですよ、みなさん!!)。
見通しが暗い事件では、「あなたの求める結果にはまず間違いなくなりません」みたいなことを言ってみたりします(そのうえで、次善の策として思い浮かぶものがあれば、それを伝えてみたりする)。
依頼者にとって不利な要素のある調停や和解が打診されたときでも、基本的には説得はしないことにしています。
これは、訴訟外で交渉を進めている場合に「これ以上有利に進めるのは無理だな」という事態に至ったときでも同じです。
メリット、デメリットをできるだけ詳しく伝えて、考えてもらうようにしています。
だって、その人がどういう結論を心の底で求めてるのかなんて、分からないですから。怖くて説得なんてできません。
説得するのは、無理難題を依頼者が求めようとする場合や、「それやったら絶対返り討ちに遭うから!!」というごく限定された場合です。
それでも、トラブルになるときはやっぱりなってしまいます。
トラブルになってしまったケースを思い返してみると、うまくコミュニケーションが取れてなかったなあというケース(自分としては、言っていることを理解してもらえなかったなと思うのですが、依頼者を自分が理解していなかったために自分の言っていることも理解してもらうことができなかったように思います)、珍しく説得してしまったケースです。
結果が芳しくない方向性で受任の段階で見えていて、本当は受けるべきではないんだろうなと思いながら、依頼者の熱意に負けて受けてしまったケースという共通項もあります。
裏切られた、自分の利益のために働いてくれなかったという忸怩たる思いは、時に巨大になって受任弁護士に向かってくるものです。
そうなってしまったら、もう離れるしかありません。
ですが、離れるタイミングによっては、さらに依頼者の利益を損なうこともありえるし、相手方や関係者に不測の不利益をお見舞いすることにもなりかねません。そして、それがまた自分に向かってくることもありえます。
納得できない状況で辞める時でも、周囲に不都合がばらまかれるのは極力回避しなくちゃいけない。
こう考えると、弁護士の仕事も、なかなかストレスフルなものだと思わずにはいられません。
さあ、もう風呂に入って今日は休もう…
私はいつも寝る前に聖書(新共同訳+TEV)を読みます。(どちらかというとソロモン好きの自分が言うのも何ですが)、イエスが復活によりthe power of sinnerに打ち勝つ様子はなかなか痛快です。
また「法内容を改正したり律法に新しい解釈を加えたりするのに、人のものでない権威が大昔は必要だったのかなぁ」という気持ちになったりして、なかなかロマンティックです。先生もいかがですか?
(ただ、畏るべき言葉の数々にあまりに共感されると、それはそれでちょっと、いや、かなりビビリます。)