冤罪は「任意取調べ」で作られる。

愛媛県の今治市で起きた殺人事件で、容疑者として事情を聞かれていた30代の女性が自殺してしまいました。
警察の対応が果たして正しかったのかという疑問が出ていますが、テラバヤシは、かなりな高確率で「正しくなかったのだろう」と考えています。

現在、身体拘束下での取調べに対しては、その際に作成された供述調書について証拠能力がない、信用性がないなどと突っ込まれないようにするために、そして冤罪を防ぐために?、様々な対策、配慮が捜査機関では講じられています。

まず、取調べが録音録画されるようになりました。
さすがに全ての罪名の全ての取調べで、という訳にはまだいかないようですが、裁判員裁判の対象になるような重大犯罪の嫌疑で逮捕勾留されている人物の取調べについては、逮捕直後の1回目の取調べから、原則として全過程録音録画されるようになりました(注:「原則として」と書いたのは、例えば、黙秘で揺るがない被疑者に対しては、時折警察官の取調べで録音録画されないこともあるようだからです。検察官の取調べは例外なく録音録画します)。
録音録画されれば、殴ったり脅したりするようなシーンを残すわけにはいかなくなるので、なかなか「説得」の域を超えた取調べはやりにくくなります。

また、1日の中でできる取調べの時間の長さ、連続してできる取調べの時間の長さも決められており、被疑者が求めたら休憩をさせなければならないと定められるようになりました。体調に不具合がある被疑者に対する取調べも制限されるようになりました。

実際、テラバヤシが弁護士になった頃は、警察官だけでなく検察官が、被疑者に対して暴言を吐くことが結構ありました。さすがに自分が担当した事件で暴行事例までは聞いたことはありませんが、机を何度も何度も叩きつけて恐怖心を煽る真似をする警察官は、何人かいました。
ぶっ通し8時間の取調べというのを聞いたこともありますし、否認している被疑者に対して、朝昼夜と合計で10時間以上に及ぶ取り調べが行われていたこともありました。

最近は、横暴な取調べの話はほとんど聞きませんし、病人を無理やり取調室に呼ぶことも、長時間休憩なく行われる取調べも、少なくとも私が担当する事件では聞かなくなりました。
「身体拘束下」での取調べは、一昔前に比べれば、随分紳士的に行われるようになったと言えるでしょう(もちろん、国際的な基準からすれば、まだまだ人権が十分に保障されているとは言えませんが)。

そう。「身体拘束下」では聞かなくなりました。
その代わり、「任意の事情聴取」の酷さをよく聞くようになりました。

ある犯罪の嫌疑をかけられた少年が、任意での出頭を求められて警察署に赴いたところ、長時間にわたり警察官から怒鳴りつけられ、「ブタ箱に入れて出れなくしてやる」「高校に行けなくしてやる」などと脅されたという話を先輩弁護士から聞いたことがありました。警察官が裏付けのない第三者の話を拙速に信用して、この少年から自白を取ろうとしたのがことの発端だったようです。

私が担当した事件でも、被疑者が、逮捕前に、5、6人の警察官に囲まれて「任意で事情を聞きたい」と言われた、ということがありました。
そのまま警察車両に乗せられて警察署に行かされ、深夜遅くまで食事なしで事情聴取。翌日、早朝に迎えに来ると言われたとのことです。この人はそれで精神不安定になり、自殺を図ったとも話していました。

なお、任意の事情聴取でも、実際に取り調べが行われるのは、身体拘束下で取り調べが行われるのと同じ部屋です。
テラバヤシも何度か刑事さんにお会いするために警察署を訪ねた折に通してもらったことがありますが、窓はあってもかなり上の方に小さいのがひとつだけ。部屋もすごく小さくて、畳2枚か3枚分くらいしかないんじゃないかと思わせます。
よく刑事ドラマに出て来る取調室は、広過ぎます。

そこに最低でも事情聴取のメイン担当の刑事さんが1人、補助役が1人の2人がいるわけです。場合によっては、もう1人2人つくこともあります。
任意でも身体拘束下でも、狭い密室で複数の刑事に取り囲まれる状況で事情を聞かれるわけです。

「任意」というのは、「あなたの意思で」という意味です。つまり、「任意の事情聴取」というのは、本来、「あなたがよければ事情を聞かせてください」という程度のものに過ぎません。
そうであれば、事情聴取に応じるか応じないかは、当然その人が自由に決めていいはずですし、仮に事情を聞くことになったとしても、身体拘束下で「取調べ受忍義務」が科されている被疑者以上の権利保障、配慮がなされて当然なのです。

であるにもかかわらず、実際の「任意」の事情聴取というのは、捜査機関が断れない状況を作り出した上で、本人に何でもかんでも了承させて行われるものなのです。

いかつい警察官5、6人に周りを取り囲まれた結果、「わかりました、事情聴取に応じます」と言っても、任意。
狭い部屋で複数の刑事が取り囲まれて、「休憩なくてもいいよね」「もう少し遅くまで話聞いてもいいよね」と言われて、「はい」と言ったら、それも任意。
警察車両に乗っけて複数の刑事に家まで送り届けられて、「明日また7時に来るから、出てきてよね」と言われた結果、「はい、わかりました」と言ったら、それも任意。

「いいえ」なんて言えたもんじゃありません。
どこが任意なんだよ、という状況です。

しかも、任意の事情聴取では、録音録画もされません。録音録画は、身体拘束下における事情聴取の規制ですから。
一時、任意事情聴取を録音されて、取調べ中の暴言が明るみに出たことが何度かあるので、最近は、任意事情聴取前でも持ち物検査をされることが多いようです。
どんな事情聴取をしても、証拠が残らないのです。

今の犯罪捜査の大問題は、「はいわかりました」と容疑者本人に言わせることによって、身体拘束下の取調べでかかる規制を全て取り払ってしまい、任意事情聴取で、警察官がやりたい放題の取調べを実現していることにあるといえるでしょう

このブログをお読みの皆さんの多くは、犯罪被害に遭う方を心配する方がほとんどだと思うので、「犯人が早く捕まるなら、被害が拡大しないなら、それでいいだろう」と思っているかもしれません。

しかし、この問題を放置することは、冤罪のリスクを拡大することにつながります。
「正義の味方」は、「残忍な虐待者」と表裏一体と言っても過言ではありません。正義を背負えば、人は何をしても許されるという錯覚に陥るものです。「治安の維持」「犯罪捜査」という職務に忠実であればあるほど、手段を選ばなく(選べなく)なってしまうのです。
社会不安が増大している今の世の中では、犯人を早く捕まえなければならないという警察のプレッシャーは非常に大きいと思います。
そう言った事情が令状のない事実上の身体拘束、ルールの及ばない事情聴取、果ては冤罪につながるわけです。

事実、最初に例を出した少年のケースは、全くの事実無根の冤罪でした。
こんな名ばかりの「任意事情聴取」が放置されれば、ある日突然、自分や自分の子どもが罪人に仕立て上げられてしまうかもしれないのです。
また、冤罪というのは、真犯人を取り逃がしていることをも意味するものでもあります。そういう意味でも、社会に暮らす一般市民にとって重大な問題です。

冤罪のケースだけではありません。
「任意取調べ」という名のものとで、容疑者に対して、恐怖心を煽るだけ煽って、拘留できないから自宅にポイとかした場合、どうしていいかわからなくなった容疑者が今回みたいに自殺してしまったら、その人が本当に犯人だったのかどうかすらわからなくなってしまいます。
社会生活を送っている人の不安は、残されたままです。なんの解決にもなっていないのです。

聞くところによれば、今回のケースでは、容疑者本人に疾患を抱えていたようですし、その疾患を抱えていた人に対して9時間にも渡る取調べが実施されていたとのこと。
身体拘束下の取調べでは到底行い得ない取調べが行われていたと言わざるを得ません。

遺書は公開されておらず、現場に指紋も残っていない。
警察からは、取調べは適切に行われていたというコメントしか出ていません。

せいぜい今回のケースで許されるのは、容疑者の自宅前での張り込みや尾行だったのではないかと思われます。
もちろん、警察の負担はこちらの方が重いとは思いますが、拙速に名ばかりの「任意取調べ」を行うよりは、よほど犯人の割り出しに有益だったのではないかと思われます。

いずれにせよ、裁判所がゴーサインを出した令状がない段階で、脱法的な身体拘束や取調べの無理強いは一刻も早くなくすべきでしょう。
誰にとっても、不安な世の中が招かれるだけです。




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by terarinterarin | 2017-05-06 16:57 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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