阿川佐和子さんの結婚に思うこと。

先週のことです。
阿川佐和子さんが交際していた男性との結婚を発表しました。
阿川さんは63歳、お相手の男性は69歳とのこと。しばらくの間交際をした末のご結婚だったようです。

テラバヤシは、阿川佐和子さんのファンでした。
週刊文春の対談での軽妙なトークが好きでした(最近読んでいませんが…申し訳ありません)。
親友の檀ふみさんとの往復エッセイ「ああ言えばこう食う」「ああ言えばこう行く」も好きでした。
阿川さんの小説「ウメ子」は、泣きながら読みました。

結婚願望を隠さず、実に数十回のお見合いを重ね、それでも結婚に至らないということをネタにして?活躍し続けて、ついにゴールインしたのです。

「ああ、よかったなあ、おめでたいなあ」と、テラバヤシは、まるで親戚のお姉さんが好きな人と和やかに結婚できたかのような気持ちになりました。

そして、2つのことを感じました。
1つは、「女性が、結婚というものから(徐々にではあるけれど)自由になれつつあるのだな」ということでした。
「結婚」というと、少なくとも日本では、従来から、「男女が新しい家族を形成するために行うもの」「一家の長男がその系譜を残すためにするもの」と位置付けられていて、女性は「子どもを産んでなんぼ」という強い世の中の見方がありました。
こういう見方は、勢い、「子を産める年齢での結婚」が当たり前という考え方につながりがちで、そのため、子を産むことが難しくなった(あるいは難しくなりつつある)女性の結婚というのは、「おめでとう」という言葉とは裏腹に、冷ややかに受け止めらえていました。
(男性はいくつになっても子を作る機能が残るため、高齢で結婚しても、女性ほど冷ややかな目で見られることはないように思えますが、実際、男性のみなさん、どうなんでしょうか。まあ、あまりに若い女性と結婚したりすると、「エロじじい」みたいな心ない言葉を投げかけられたりするのでしょうが…)

阿川さんは、子を産める年齢を遠く行き過ぎて、実にさわやかに初めての結婚をしました(こういう年齢の方の結婚は今まで再婚が当たり前…みたいな空気がありました)。入籍発表時のコメントには「穏やかに老後を過ごしていければ幸い」という言葉がありました。
老後を一緒に暮らしていける相手と結婚するという結婚観がありなのだ、ということを示してくれたのでした。

そもそも、結婚に何かを求めるのか、求めないのか、求めるとしてどんなことを求めるのかは、人それぞれ決めていいはずのものでした。
結婚しても、子どもを産まないという選択も、徐々にではありますが、受け入れられつつあるように思えます。
非婚という選択肢も、大きな声で言えるようになってきました。

阿川さんの結婚とその発表は、そんな結婚観の多様化を表しているように思えました。

一方で、「インテリ女性が幸せに結婚しようとすると足を引っ張ろうとする人間がどうしてもいるんだなあ」と感じました。
これは、阿川さんの結婚だけでなく、菊川怜さんの件の報道を見ても感じたことでした。

阿川さんの旦那様は、元々ご友人の配偶者だった方とかで(本当なんですかね)、一部では「略奪婚ではないのか」などと報じられています。そもそも、旦那様とご友人の離婚が相当前のことであるにもかかわらず、こういう報道が出てくること自体、「足を引っ張ろうとする人たちの負のエネルギー」の恐ろしさを感じずにはいられません。

菊川怜さんについては、旦那様が過去に複数の女性との間で婚外子をもうけている、報道番組のキャスターを務める菊川さんがこのような不埒な男性と結婚して果たしてよいのか、などと報じられていました。
しかし、そもそも、「結婚していない男女の間で子を作ってはいけない」なんていう法規制はありません(そんなルールができたら、少なくとも現行憲法下では違憲だと思いますが)。
確かに、子をもうけた女性の中には、婚姻できなかったことで大きな精神的苦痛を被った人もいるのかもしれません。
が、菊川さんの旦那様が、認知や養育費の支払い、(必要に応じて)一定の慰謝料の支払いなど、すべきことをきちんとしているのであれば、それ自体、非難されることではありません(認知や養育費等の支払いをしていないのだとしても、こういう問題には当事者にしかわからない事情があることが往々にして多いので、外野の人間がとやかく言う筋合いのものではないでしょう)。
こういう報道がされたのも、東大卒のインテリ女子にして結婚願望が強く40第一歩手前まで結婚できなかった菊川さんが、非常にハイクラスの男性と結婚したという「世間の感覚とちょっと違う」という結婚だったからこその嫌がらせ、だったのではないかと思うのです。

そうなのです。
阿川さんも菊川さんも、第一線で活躍されているインテリ女性でした。
インテリ女性にして結婚願望が強い人たちでした。そして、結婚したいのにできない人たちでした。「結婚したい」と公言してきた人たちでした。
「頭がいいけれど結婚したいのにできない」という彼女たちを見て、彼女たちよりもインテリの度合いが低い人々のいくばくかは、わずかながらの優越感を持っていたのかもしれません。
それが結婚してしまった。「頭がいい上に結婚までされた」という敗北感を感じた視聴者が少なからずいたのかもしれません。
少なくとも、マスコミの一部は、そういう層の存在を感じていたのでしょう。
だからこそ、ああいう醜聞記事を素早く出すに至ったのです。

女の子は結婚するのが幸せ、母親になって幸せという価値観を押し付けておきながら、一方で、自身の努力で教養を身につけ、活躍している女性の結婚に関しては足を引っ張る。

先ほど、「女性が非婚という選択肢を大きな声で言えるようになった」と書きました。
非婚という選択肢があるように、従来通りの価値観に乗っかった結婚をする自由だって女性にはあるのです。どんな女性にもあるはずです。
ところが、インテリ女性にはまるでそういう選択肢が許されていないかのような感覚を持ってしまいます。

こういうところを突き詰めていくと、「結婚」というものに対して、どんどん女性が自由になっていこうとする一方で、古い古い従来の女性観(女の子は勉強なんてしなくていい)と結婚観に女性を縛りつけようとする層がはびこっていることを感じざるを得ません。

テラバヤシは、いわゆるフェミニストではありません。
男性とか女性とかそういうことではなく、人間一人一人が、納得がいかない理屈を押し付けられて自分を殺して生きていかねばらならいことがおかしいと思っています。
今の日本には、貧困や過労死、LGBTなど、様々な事情で虐げられている個々人の問題があります。個人が真に自由に生きられる世の中を作っていこうという風潮がある一方で、古い古い時代の価値観を復活させようとする動きが急速に起こっているのが今の日本です。

今回、阿川さんの結婚の報道をじっくり考えていくと、改めて「女性の解放」という古くからのテーマは、単に女性の問題だけではなく、性別や人種を超えて、個々人が真の自由を求めて生きていける世の中を作るための象徴的なテーマ、活動だったのだなと気づかされたのでありました。









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Commented by 若きおじさんの悩み at 2017-05-23 23:15 x
いや、普通に若い女性から冷ややかな目で見られたり、心ない言葉(心等のこもった言葉?)を投げかけられたりしますよ。だんだんちょっと「気持ちよく」なってくるんですよね。思うに海のように澄んだ目をしたおじさん達はその痛みを暗黙的に分かち合っているのです。

「憐憫の心」や「同情の眼差し」、「大丈夫?」や(失笑)といったものに慰められます。
Commented by terarinterarin at 2017-05-31 11:38
> 若きおじさんの悩みさん
おじ様たちもご苦労なさっているのですね。コメントありがとうございました。
by terarinterarin | 2017-05-22 22:30 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin