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責任をとらない大人たち。

日大アメフト部の選手が、関学大アメフト部との試合で、プレイ後の選手に後ろからタックルをして怪我をさせた件が話題になっています。

この問題、監督がこういうラフプレイをするように選手に指示していたかどうかが現在の世論の注目どころと言えるのではないかと思います。

法的にいうと、この監督、少なくとも具体的な指示がなかったとしても、怪我をさせてしまった選手ともども民事上の責任、すなわち損害賠償責任を問われる立場になりえます。
監督と選手の間には、「指揮監督関係」があることは明らかであり、民法715条が適用される場合に該当すると言えるからです(使用者責任という呼び名が良くないけど、要は、指揮監督下にある者が不法行為を働いた場合には指揮監督者も責任を取れということを定めている条文ですからね)。
もちろん監督は、「相当の注意」をしていたときなどには免責されますが、今回のケースでそれが認められる可能性は高くないと言えるように思われます。
全治3週間の怪我ということですから、賠償額もそこそこの金額になると思われます。

さらに、これは見解が分かれるかもしれませんが、監督がラフプレイをするよう具体的に指示していたことがわかれば、監督自身の責任ということで民法709条に基づく一般的な不法行為が成立するということもできるでしょう。

怪我を負わせた学生は、傷害罪という刑事責任を問われる可能性もあります(被害学生が被害届けを出せば)。
で、監督の方も、ラフプレイに対するなんらかの指示をしたということであれば、共犯の責任を問われる立場にあるわけです(さすがに指示がなかった場合に刑事責任を問われることはないでしょう)。

今回の問題は、こういう重大な法的責任を孕む問題であるということがあまり説明されず、テレビなんかでは「監督の指示があったかどうか」が「監督自身の謝罪の必要性」という枠組みだけで語られたことは残念でなりません。

なんだかこういうのをみると、「スポーツなんだから多少のことがあっても謝ったら済ませればいいでしょ」という風潮があるような気がしてなりません。
しかし、(これは何人かの人が言っていたけど)スポーツで怪我させて済ませられる場合というのは、ルールに則ってプレイした場合に限られるのであって、ルールを無視した状態で怪我させたりする場合には、怪我をさせたことについて正当性がないのですから、一般社会のルールに則って事態が処理されることになるわけです。

…と書いたところで、ニュース速報で日大の監督が辞任しただの関学大に謝罪しただのと流れてきました。
が、これでことを済ませるかどうかはあくまで関学大の学生の意思ひとつということになります。
謝ってもらったからといって、怪我が治るわけじゃありません。
治療が必要です。
精神的にもダメージを負っていることと思います。
治療費や慰謝料を支払ってくれと請求できる権利を、彼は持っています。
傷害罪で被害届を出すことだってできるわけです。

監督の謝罪は「やっとこさっとこ」出てきたというところですが(加害者の選手は謝罪したのだろうか?)、ここまで謝罪が後手後手に回ると、どうしても、「いろんな責任を背負うところから逃げていて、逃げきれなくなってしまった」とか「法的責任を回避するためにも謝罪したほうがいいとだれかに説得された」かのような印象を受けてしまいます。

だけど、繰り返しになりますが、責任とるってそういうことにつきるわけじゃないですからね。謝りゃいいってもんじゃないし、辞めりゃいいってもんでもない。被害を負った人が「こういう形で責任を取ってほしい」というものに応えることこそが責任をとるということの意味ではないかと思います。

しかし、日本というのは、責任取れない大人がいっぱいな国なんですかね。
森友や加計、財務省事務次官のセクハラの問題と今回の問題、大人が責任の取り方を忘れているという点で根が同じのような気がしてなりません。


by terarinterarin | 2018-05-19 16:10 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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