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ゴールデンウィーク突入!!

とはいえ、今日は普通に平日。2日から5連休だけど、今日明日は普通にお仕事、という方多いのではないでしょうか。
テラバヤシは1日から10日は事務所をお休みします(事務所を休むだけであって、作業的な仕事はもろもろ某所ですることになりそうなのですが)。

さて、最近、弁護士の「アレ」な対応が絡む事件の相談を複数受けました。

当然守秘義務があるので具体的なことは書けないのですが、代表的なものをボンヤリ挙げると、1つは一審で敗訴した事例で、弁護士が自信満々に主張したという事実が、ごくごく普通のレベルの弁護士から見れば「あんたそりゃ通るわけなかろう」というものだったという…
相談者は控訴したものの、控訴理由書を提出して戦いを継続すべきかどうか悩んでおり、私から「悩んでいるなら出したほうがいい。取り下げはいつでもできるから」と回答したきり、提出期限をとうに過ぎても連絡がありません。もしかすると他の弁護士に依頼しているのかもしれませんが、個人的に、その後どうなったのか、ちょっと気がかりな案件です。

もう1つ印象に残ったのは、損保会社の顧問が、弁護士特約で受任した案件です。おそらく被告側の事情で訴訟係属すら生じない状況で事件終了したのではないかと思うのですが、「どうして訴訟の維持が難しいのか」ということについても、どうやって事件が終了したのかについても全く説明がないまま終わってしまったという案件でした。相談者は、困惑したまま事件自体も解決できず、数年を経た段階で相談にいらっしゃいました。

数年前にも、依頼をした弁護士との関係が悪化したのでどうすればいいかという相談を受けたこともありました。本音では、その弁護士を解任してテラバヤシに依頼したいというお考えのようでしたが、事件の進行具合や見通し、悪化した原因などから、私に変えたところで結果は目に見えているし、その弁護士とも十分修復可能と思われたので、その旨話をして相談のみで終了したということもありました。

前2者のケースは、事件が進行している途中で、相談者がうすうす、「この先生、ちょっとまずいんじゃ」と途中で気づき始めたようなのですが、結局、事件が続いている最中に他の弁護士に相談するなどの措置をとらずに、そのまま進行してしまったようでした。

東京あたりでは(たぶん、他の大都市圏は多かれ少なかれそうだと思いますが)、法律相談に来る方が、複数の弁護士に相談していたり、相見積もりをとっているようなケースは、決して珍しくありません。先日相談にみえた方も、他の弁護士にも相談したと言っていました。他の弁護士が話したことと違うことを私が話したりすると、「他の先生はこう言っていた」などといって、自説の根拠を詳しく尋ねてきました。

個人的には、こういうことを相談者がするのは当然だと思いますし、むしろ、そうやった上で、自分が信用できると思った弁護士を選んでもらうのが一番だと考えています。
私自身も、ちょっと微妙でいくつかのやり方や考え方がありうるなという事件では、できるだけ考えうる複数の回答を述べた上で、「私がこの事件を担当するのであれば…」とか、「個人的にはこういう展開になると思う」などという言い方をします。そして、「これはあくまで私の考え方なので、心配であれば、他の弁護士にも相談してみるといいと思いますよ」とセカンドオピニオンを勧めたりします。

こういうことを書くと無責任と思われるかもしれませんが、実際、弁護士の知人と話してみると、同じような事件でも事件処理の仕方は実に様々だし、切り口も様々。
そうであれば、できるだけ考え方に共感できる人を選んでもらうのが、信頼関係が築きやすく、トラブルになるケースも少ないと思うのです。

依頼の前にセカンドオピニオン、サードオピニオンを求めて、複数の弁護士に相談する方は少なくないし、増えているのだろうと思うのですが、いざ実際に依頼をした後となると、なかなか他の弁護士に相談する、弁護士を変えるという選択肢は出てこないのが現実のようです。

費用の問題が絡んでいるのは明らかでしょう。
少なくとも数十万円のお金を払ってお財布が寂しくなってしまったあとで、自分が依頼した弁護士が(その人にとって)ハズレだったということになっても、なかなか、他の弁護士に変えるということはやりにくい。少なくとも同じだけの弁護士費用を払わなければならないということになりますから。
実際、着手金貰った方からすると、「着手」した後でお金返せと言われても、なかなかねえ…というところもありますし。

あれなんですかね。他の弁護士に取られるのが嫌だから、自分のところでなるべくスポイルしちゃえって意味で高い料金吹っかける弁護士というのも、いたりするんですかね、このご時世。一般的には価格競争が激しい、なんて言われてはいますけれども。

まあ、どんな弁護士つけてもダメという事案も案外あったりするのですが、勝てない案件でも「いかに美しく負けるか」「ドローにどうやって持ち込むか」ということを検討すべき事件も少なくありません。
そして、実際、美しく負けることやドローに持ち込むことで、トータルで見た場合の支出が目減りする場合もありうる。
当初頼んだ弁護士にこれができない場合、別な弁護士がそれをできるのであれば、弁護士を変えるメリットというのは、結構高いんじゃないかと思うのです。

(注:そんな中途半端な事件を持ち込まれたら大変じゃないか、と思う弁護士もいると思いますし、それは否定しませんが、今回はあくまで、相談者・依頼者目線での話なので、あしからず、ごめんなさい、同業者の皆さんよ。)

というわけで、事件を依頼したあとで「この弁護士のこのやり方、大丈夫なのかしら」と、自分の弁護士を信用できなくなった人には、ぜひ、違う弁護士のセカンドオピニオンを受けてみることをおすすめしたいのであります。
結果が出ちゃったあとでは、どうにもこうにもならんということも多々あります。そんな手遅れになる前に、是非、相談してみましょう。
ちゃんとした対応されてますよ、なんて言われたら、それはそれでいいわけだし。

医者にかかっても症状がよくならない場合、別な病院に行ってみたりしますよね。
で、そこの医者の方が信用できるとなれば転院する。
弁護士もそれでいいと思います。
相談料だけなら、それほどの負担になりません。
気に入ってもらえれば、「転弁」すればよいのではないかと、そう思います。
費用についても、思い切って相談してみることをおすすめします。










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by terarinterarin | 2015-04-30 14:37 | Comments(1)
ひどい雨からスタートした今週。
事件の関係で、赤坂通いが続いているテラバヤシです。
傘をさして、坂を上るのは結構しんどいです。

前回の投稿、非常に多くの方に読んでいただきました。ありがとうございました。
ご批判や異論などもいくつか拝読しました。
そのうえで、改めて考えたことがあるので、今日はそのことについて、つらつらと思いつくままに書いていこうと思います。

(かなり予想していたのですが)「考えが甘い!!」「インテリジェンスが足りない(注:テラバヤシの表現ではないです)相談者を捌くのも弁護士の腕」などという異論についてですが、やはり、そういうことではないんだろうな、と思いました。

一筋縄ではなかなか対応が難しい相談者を捌くこと(個人的に、相談者を「捌く」という表現は好きではないのですが)と、間口を広げて、そういうお客を事務所の利益を上げる柱の中に入れてしまうこととは、全く別な問題です。
間口を広げてこのような相談者や依頼者を多く呼び込むことになると、経済的な問題点と精神的な問題点が生じることになると思います。

経済的な問題というのは、ぶっちゃけて言うと「コストパフォーマンスがかなり悪いお客の相手に相当な時間をとられる」ということです。
しょっちゅう電話がかかってきてそのたびに長電話になる→起案やその他の業務に割く時間がなくなる。
あるいは事件丸投げで、こちらのインタビューに対するレスがない→事件の処理に時間が割かれて一向に進行しない→いつまでも事件を抱えていることになる。
後者の方は、物理的には一見ラクなように見えます。が、当事者に対する連絡に割く時間、本来であれば必要のない書面を起案、発送する手間、料金などなどコストがかさんでいくことは間違いありません。

そして、精神的な問題というのは、「困った相談者・依頼者ばかりでは弁護士のメンタルがやられる」というものです。

今までに何度か書いていますが、テラバヤシは、元法テラスのスタッフ弁護士です。
法テラスには、対応困難な相談者が多数いらっしゃいます。
その相手をしろ、と地方事務所の執行部や事務サイドのお偉いさんから言われたら、なかなか断り切れない、スタッフ弁護士はそういう立場にいます。

桜ヶ丘法律事務所の櫻井先生は、法テラスにはそういう立場に立たされるスタッフ弁護士のサポート体制があるとおっしゃっており、それは嘘ではありません。
が、実際には、個別特殊事案とはいえ、そういうサポートを受けられない、あるいは、スタッフ弁護士に対して意図的に「困ったちゃん案件」ばかりを押し付けられるというケースが、私が聞いただけでも複数ありました。
そして、精神的に追い詰められて休職したり、退職したりするケースも実際にいくつかありました(テラバヤシは大変に恵まれていて、対応困難な相談者の相手をするよう振られた場合には、地元の執行部の先生が必ず折に触れてサポートしてくれました。法テラス愛知の話ですが)。

これも櫻井先生が触れておられましたが、スタッフ弁護士の中には、パブリック系の事務所などしかるべき事務所でそのような対応困難者の件を経験してから赴任する人も少なくありません。そうじゃない事務所でようせいを受けていても(例えばワタシ)、赴任前にも研修などでそういう案件が多いことを知らされたり、扶助相談で経験したりできます。
それでも、先のような休職・退職を完全に防ぐことはできないのです。

いわんや、ごくごく普通の登録2,3年の若手弁護士をや。
間口を広げて、アンビリーバブルな相談者の対応に追われた結果、そのうちの少なくない人数がメンタルをやられてしまうのは、目に見えています。

「間口を絞るなんて非現実的。生きていくためには間口を広げるべき」
「対応困難な人を捌くのも弁護士の腕」
これは、ある程度ご経験を積んで酸いも甘いも知り尽くした中堅・ベテランの弁護士だからこそ言える発言です。
まだまだひよっこの弁護士にとっては、若手使い捨ての原理、一昔前のスポ根ものの精神論でしかありません。

若くして独立という道を選択せざるを得なかった弁護士は、簡単にリタイアしないために自分のメンタルの安定を保ち、かつ、せめて「自分の食い扶持」を稼ぐことを目指すのが最も現実的です。そのためには、広告をドバンドバン打って、法律相談無料にするなんて必要ない、いや、むしろ害悪ですらあるのではないか、そう思うのであります。

ちなみに、ド派手な広告を打って法律相談無料を謳って、種々様々な方々を法律相談や依頼に取り込んでいる事務所は、現在いくつもあると思います。
しかし、そういう事務所が、対応が困難な人を最後までお客として大切に扱っているかというと、必ずしもそういうわけではありません。
「それではうちでは対応しきれませんね」とあっさり辞任してしまいます。
もう少しはっきり言うと、相談者に多少のうつ病があったり、「先生に最初に1回15分あっただけだから先生と話をさしてくれ」と何回か頼んだだけで、このような対応をされるケースもあったりします。

実際、法テラス時代には、こうやってポイ捨てされてしまった方々の事件を引き継いだことも何回かありました。

普通の弁護士の感覚からすると、こういう対応は言語道断で許しがたいと思うでしょう。
しかし、これは経営という観点からすると、良し悪しは別として、リスク管理の1つの方法です(ちなみに私もひどいと思いますよ)。
コストパフォーマンスの低下や、弁護士・事務員のメンタル管理を目的とする、自衛の策だと思うのです。
こういう形でリスク管理ができるのは、①法律事務所の規模が大きく、②弁護士や事務員と相談者・依頼者の人的関係が濃くならないような仕組みをとっているケースに限られます。
いつでも相談者や依頼者とがっぷりよつになりがちな中小零細おひとり様弁護士には、こんなリスク管理はできません。

ダイソーとかキャンドゥとか、100均で買ったものの使い勝手が多少悪かったり、すぐに壊れたりしても、「ま、100円だから仕方ないよね」と多くの人は思うものです。
しかし、若手のおひとり様弁護士は100均ではいられません。
製造も販売も、苦情受付も返品処理も全部一人でしなければなりません。
自分一人でできる範囲を超えちゃうと、事務所の仕事は回らなくなり、精神的にもガタが来てしまうのです。

司法試験は、すんごく難しい試験です。
でもね、それを乗り越えてきたからと言って、何でもかんでもできて、何でもかんでも耐えらえれるってわけじゃないのです。
人間一人でできることなんて、ごくごく限られているのです。

というわけで、本日はこの辺で。











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by terarinterarin | 2015-04-20 21:47 | Comments(0)
真冬のように寒い日も過ぎて、ようやく春らしい暖かな日が戻ってきました。
ともえ法律事務所も、そろそろ開所半年を迎えようとしています。
波はあれど、ここ最近は、それなりの件数の依頼をいただくようになり、少しずつ少しずつ軌道に乗り始めているかもしれない、と思っている今日この頃です。

独立してから、非常に多いのが「広告宣伝」の営業電話。
その何割かは、ホームページ対策、SEO対策をうたった営業電話です。

昨今の都市部の弁護士は、以前と違って、顧問先や顧客を持たずに独立するケースが増えているのでしょう。「いちげんさん」的な依頼を拾うことが、生き延びていくために非常に重要になっています。
弁護士を探している側も、インターネットを検索することが当たり前の時代になっています。
そこで、見栄えのいいホームページ、SEO対策が重要→プロの私たちがやって差し上げましょう…という商売が、我々の業界、中でも「有力な稼ぎどころなくして独立したであろう若手?弁護士」を食い物にしようと、もとい、そこから業績を上げようと、営業を積極的にかけている…ようです。

が、半年やってみての感想。
「SEO対策」「ホームページ対策」
必要ありません。
ま、正確にいうと、検索で上位にくる必要はない、体裁だけを整えるホームページはいらない、ということです。

なぜか。
弁護士に本当に真剣に相談しようとしている人は、検索に検索を繰り返すからです。
気になる弁護士を見つけたら、その人がどんな弁護士なのか知ろうとするからです。
検索して一番上に名前が表示された弁護士や事務所を選ぶ人、きれいに体裁を整えたホームページを見ただけでそこに電話する人は、あなたを必要としているわけではありません。

確かに、一見間口は広がるかもしれません。しかし、広げた間口に意味はありません。
チョイスされても、大切に思ってもらうことはできないでしょう。
相談の前に平気でキャンセル。連絡があればまだしも、連絡もしないでキャンセル。
事案の内容も説明せずに、「いくらで受けてくれますか」。
相談内容を順を追って聞こうとしても、自分の言いたいことしか言わない。
自分の希望しか言わない。
そんな相談者がたくさんたくさん押し寄せる結果になります。

このような事態は、法律相談を無料化すれば、さらに高まります。
「ただでいいや」と思う人の中には、「こういう人にやってほしい」というこだわりはありません。
無料相談では、相談をする側のモラルの悪さが指摘されています。
が、相談を受ける側のモラルも低いことが少なくありません。

SEO対策をして、ホームページ対策をして、法律相談を無料にして間口を広げるにいいだけ広げた結果、「あなたでなくてもいい人」ばかりを呼んでしまって、「あなたでなくてはダメな人」を遠ざける結果になっているかもしれないのです。

こういう時代だからこそ、依頼につながる相談を自分のところに引き寄せることが大切です。
「自分ができること」を正しく発信し、「そんなあなたにお願いしたい」と言ってくれる人に来てもらう。そういうことを考えるべきなのです。
そのためには、お金をかける必要は必ずしもありません。

何かを「ニッチ」的に行っている弁護士は、そのニッチな人々や団体から事件が来るでしょうから、ほんとに別にネット対策なんて何にもしなくていいかもしれません。
しかし、テラバヤシのように「女のマチ弁」的な生き方を選んでしまった場合には(本当にそんな生き方を選んでしまったのだろうか、と書いてから疑問に思うダメな弁護士)、何も発信しないというのは、生き地獄を味わう結果となりえます。
なにがしか「自分はここにいる」という発信をすることは必要と思われます。

では、何を発信するのか。
簡単です。
自分が何者なのか、を発信すればいいのです。

どういう思いで弁護士になったのか。
どういう思いで開業したのか。
どういう姿勢で弁護士稼業をやっているのか。
どんな事件を経験してきたのか。

得意分野はこれこれです、こういう事件を主にやっています、みたいな断片的な情報には、断片的な意味しかありません。「あなた」という人物がどういう人物なのか想像を掻き立ててもらうことは、できないでしょう。
逆にいうと、今の時代、こういうことが発信できない人間は、独立なんぞしないほうがいい、ということになるのではないでしょうか。

開業して半年、国選や他人の紹介以外のルートで、ともえ法律事務所、弁護士テラバヤシにたどりついた方の半数くらいは、弁護士ドットコムに掲載されている私の情報や自己紹介文、ともえ法律事務所のホームページやこのブログを読んでくれていました。そのうえで、「ほう。いっちょテラバヤシっちゅう弁護士に相談してみるか」とやってきれくれた方が多かった。
そういう方との間で行った相談は、ゆったりとした時間の中で、ゆっくりと話を伺い、慌てずに回答を差し上げる、「言葉のキャッチボール」ができるいい相談が多かった。そう感じています。

一時、仕事上のお付き合いで無料電話相談サイトに登録していたことがありますが、お値段の話しかしない人、必要な情報を話してくれない人、そんな方が多かったという記憶です。もはや相談とは言えませんでした。無断キャンセルされた数件も、すべてこの無料相談サイトからの件でした。
ともえ法律事務所では、相場よりはお安いものの、法律相談料をいただいています。良い相談が多かったのは、この法律相談料に負うところも大きかったと思っています。法律相談料には、払う方にももらう方にも、相談に対する真剣さを生む力があると自信をもって言うことができます。

もちろん、無料相談の枠を用意することは必要です。しかし、それは、貧困にあえいでいる方を救済するためにあるべきです。
やみくもな無料化は、法律相談の質を低下させる危険を伴います(私だって、貧乏で貧乏でどうしようもない人、生活保護受給者などからお金をもぎ取るつもりはありません。そんなつもりがあるなら、扶助相談弁護士に登録なんてしません)。
集客のための手段にするのは間違いです。

きれいごとといわれるかもしれません。
そんなことやってたら、いつかカツカツになるといわれるかもしれません。

しかし、そんなこと言う前に、一度試してみてはどうでしょう、半年くらい。
ホームページ対策なんていつでもできます。
SEO対策なんていつでもできます。
やってる人は、一度やめてみることをおすすめします。

でもね。
それでカツカツになることがあるんだとしたら、それは、あなたに弁護士としてチョイスしてもらえる力がないということなのかもしれません。「あなたがいい」と言ってもらえるものが、あなたにないだけなのかもしれません。
テラバヤシが生き地獄を味わうことになっても、同じこと。SEOをやらなかったせいでも、ホームページ対策をしなかったせいでもないのです。
テラバヤシに弁護士としての魅力を感じてくれる人がいない、それだけのことなのです。

法曹人口をむやみやたらと増大させた司法制度改革の是非を論じたって仕方ない。そんなことを言うつもりはありません。
しかし、私たち弁護士(特に若い弁護士)が競争にさらされていることは事実です。
その競争の中で、どう生き抜いていくべきなのか。
世間で言われていること。
こうしたら生き残れますよ、という甘い誘惑。
惑わされないことが、第一歩だと、自信をもってそういえます。














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by terarinterarin | 2015-04-16 21:47 | Comments(2)
東京は久々に?お天気のよい週末でした。
というのに、テラバヤシは、夕方お使いで出かけただけでおおむね自宅で仕事…という状況。
そして、現実逃避的にブログの更新です。

FBにも書きましたが、本日、TBSのサンデージャポンに出演していたミッツマングローブが、米倉涼子の別居報道中の夫のモラハラ疑惑(個人的には、モラハラという言葉は具体的な問題点をうやむやにする非常によくない言葉だと思っています)について、「そんな急に変わる?(注:結婚前には暴言等の類はなかったという前提)」「(付き合ってる最中に)わかんない?」などと発言しておりました。
テラバヤシは、同じく番組に出ていた西川史子と一緒に「変わる変わる」「わかんないわかんない」とつぶやいておりました。
これ、離婚事件を相当程度担当したことがある弁護士の多くは、同じ感想なのではないかと思います。

妻に対して暴力をふるったり、暴言を吐きまくったりする男性の相当割合は、いわゆる「外面がいいタイプ」で、「歩く証拠」みたいなタイプの人は少数ではないかと感じております。もちろん、女性のほうもおそらく同じなんでしょう。我々に持ち込まれる相談の多くが、男性が横暴なケースが圧倒的に多いというだけの話だと思います。

外で愛想を良くしていることに対する疲労感、「自分の家族に対しては何しても許される」という間違った価値観などなど様々理由はあります。
また、こだわりが強い人ほど、自分のエリアにあるものについては、自分の思うとおりにならないと気に入らない、しかし、モノと違って人(配偶者)は自分の思うとおりに是正できない、その苛立ちが暴言暴力につながるということもあるのかなと思います。
いずれにせよ、昨日の良い人が今日のド悪人になるなんてことは、特に珍しいことでもないというのが、こういう仕事をしている身としての感想です。

ミッツさんほどのインテリかつ博識なお方が、夫婦関係についてど素人感あふれる感想を言ったかと思えば、この直後、別なニュースで非常に興味深い発言をしていました。
例のフィリピン女性を中心として今まで12000人余りの人に対して買春行為を行っていたという元学校の先生のニュースの件です。
正確に言葉を再現できませんが、この人は教育者としては、非常にきちんとした素晴らしい人だったと思う(学校内でこういうことは一切やらなかった)、日常と切り離したところでこういうことを思い切りやるということにすごい解放感を感じていたのではないか、自分はそこに共感する、という趣旨の発言をしていたのです(もちろん、「共感する」というのは、日常非日常の切り替えによる解放感、背徳感みたいなものがわかるという意味であって、そういう買春行為を肯定するものでないことは明らかでしょう)。

このときも、西川史子は「何言ってんの、この人」みたいな顔をしていたのですが、テラバヤシは、「ほう、面白いこと言うな、この人」と思いました。
この問題に関する、ミッツさんの感覚は分からないでもないなあと感じました。
一方で、米倉問題のド素人的発言と、この奥深い発言とが、同じひとりの人間から出てきたという点に、若干の気持ち悪さも感じました。
が、少し考えて、この人の中では、特に矛盾したりするものでもないんだな、ということに気づきました。

要は、ミッツさんは、一人の人間の中にある善と悪の部分、背徳的なものを求める心という闇の部分の存在を肯定できる人である一方、ヒトのパーソナリティというものは、そういう部分も含めて観察していりゃわかるもんだという考え方の持ち主なんだな、ということです。

この考え方、前者については同意、後者については不同意です。自分の浅い経験を前提としたうえで…ですが。
ヒトの人格というものは、何層にも何面にもなっている入り組んだもののはずです。
その何層何面にもなった人格のうち、一定期間の交際中、友人としての付き合いしかない関係、あるいは同じ職場で一緒に仕事をしているだけの関係で見えてくるものなんて、ごくごくわずかだと思うのです。

言葉の端々、その人の視線の送り方、そらし方、表情の変化…そういうところから、わかるでしょ、という人もいるかもしれません。

わかりません。
わからんのです。わかってればねえ、こんなに世の中、DVだのなんだのって苦しむ人はいないんですよ!!

ヒトの人格のどの部分が現れるか、どう変わるかは相手との関係性によるものなんでしょう。
さっきも書きましたが、結婚するということは、他人が自分の生活の中に入るこんでくるということ。そこで自分の価値観が肯定されたり否定されたりということに真正面からぶつかることになるわけで。
そういう場面で、それを押し通すことしかできない人は横暴になる(横暴な側面が出てくる)のだろうし、折り合いをつけることができる人は、そうならない、そういう側面が出てこないということなのだと思います。
変わるタイミングは人それぞれ。
その「キレどころ」なんて、本当に四六時中顔つき合わせる関係にならないと、わからんのだろうな。そう思います。

それに。
恋愛しているときなんて「アバタもエクボ」なわけで、そういう盛り上がりの中で、相手の「負」の側面も見ておけよ、なんていう人、あんたこそ、そんなことできるのかよ!!と突っ込みたくもなっちゃいます。

こういうことを書くと大変失礼になるかもしれないのですが、ミッツさんは「おねえ」(徹頭徹尾男性という人とは異なるものの、どこからどこまでそうなのかについてはよくわからないので、あえてこういう言い方にしたいと思います)という、「マイノリティ」にくくられる立場にある人です。
こういう人の中で、自分のアイデンティティを確立できた人の中には、「私にもできるんだからあんたにもできるでしょ」みたいな考え方の人って少なくなくて、それがともすると、無理解や差別みたいに受け取られることもあるんだろうなと、感じることが少なくありません。

ミッツさんは、「スポーツ酒場語り亭」でも披露済みですが、例えばフィギュアスケートの羽生選手の振り付けのしぐさひとつで、その時の調子を読み解くくらい、洞察力が優れた方です。
「人には二面性があるのよ」「自分にはわかると思うわよ。だから、あなたにだってわかるはずよ。」
おそらく、そんなところなんだと思います。

最後にもう一度書きます。
ヒトの人格は、二面にも三面にもなっています。
そんなことはわかっていても、結婚した後、相手がどんな風になるかなんて、誰もわからんのですよ!!
そして、わからないことについて、その人を責めることなんて、できないのです。











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by terarinterarin | 2015-04-12 20:42 | Comments(0)
1日中やる気が起きなかった寺林です。

本日は、8日締め切りのウェブ記事集中執筆日に充てておりました(明日は外に出る仕事もあり、書く時間がない)。結構な量だったもので…
裁判所に提出する書面も含めて、(原則的には)締め切りを守る主義であり、本当は昨日だって時間はあったのですが…4月だからでしょうか?3月末がバタバタしすぎていたからでしょうか?まったくやる気が起きず、料理するか食べてるかで1日が暮れていきました。

で、本日もヤル気全開とはならず、もう既に8時になろうとしている。そしてブログを書いている。これはこのまま、コーヒーすすって、「鶴瓶の家族に乾杯」見つつ、ボケっとブログを書いて風呂に入って寝るパターンになりそうです。

さて、先日のことですが、古くからの知人に、話の流れで「寺林さんはコミュニケーション能力があるからねえ」と言われました。
「他人とコミュニケーションをとる能力に優れている」という趣旨(のはず)です。
実は、過去にも、この手のことを言われたことがあります。
もう、当の本人は忘れてしまっていると思いますが、一番最初に入った事務所のボスからです。「あんたは誰とでも話すことができる」と言われたのでした。
この理由は、わりにはっきりしています。
ひとりでやった初めての法テラスの法律相談、相談者の方から、「夫から頭の中に盗聴用のICチップが埋められた」と言われたときに、「それ、手術でとれませんかね」と即答したというエピソードを披露したことがあったからです(ただ、この方には、その後「癒着してるんです」と返されて、閑話休題)。

寺林は、こう見えて(知ってる人向けの言葉)、元々ひどい人見知り。
白状しますが、大宴会とかパーティとかで知り合いに話しかけるのは、かなり勇気が要ります(ビュッフェの料理をとるのも苦手です。ビュッフェ立食形式の宴会が続くとダイエットできます)。
電車なんかで中途半端な知り合いが近くにいると、見つからないように顔を下に向けたりします。

でも、どうやら「コミュニケーション能力」とやらは、ひと様から見るとあるらしいのです。

こいつなに自慢しとんじゃ。
弁護士なんだから、コミュニケーション能力なんて当たり前だべ、ボケ
なんて、思う方がきっと多いんじゃないでしょうか。
そう、そのはずなのです。
いや、そうではないと困るのです。
しかし…この「コミュニケーション能力」とやら、分解するといったい何を指しているのか、意外に判然としない概念だと思うのです(どうやらネットで調べたところ、コミュニケーション学とかいう学問では、きちんとした定義があるようですが、ここでは、世で流通しているこの言葉のイメージ、概念ということで使っていこうと思います)。

一時期、コミュニケーション能力という言葉に、嫌悪感を抱いていたことがありました。
まだ、弁護士になる前の話です。
前にも書いたけど、寺林は、今はなき早○田セミナー札幌校の公務員試験講座の非常勤講師を8年ほどやっておりました。
ここは、2次対策も当時から非常に熱心にやっていて、普段、民法だの憲法だの数的推理だの歴史だの教えている講師が、2次試験の時期は模擬面接官になり、来る日も来る日も面接の練習を繰り返しておりました。
(ちなみに、あるとき、過度の緊張のために模擬面接中に泣き出した受講生が、2ちゃんねるに「T林先生に泣かされた」という趣旨の書き込みをしたらしいのですが、冤罪です。が、身に覚えはあります)。

で、まあ、あなたの売りは何ですか、みたいな質問をするわけですが、かなり多くの人間が「コミュニケーション能力があります」とか答え、仕事をするうえで、最も必要な資質はどんなことだと思いますか、みたいな質問をしても、かなり多くの人間が「コミュニケーション能力だと思います」と答えていたわけです。
まさに、言葉は悪いが「馬○のひとつ覚え」状態。
試しに、コミュニケーション能力って何ですか、と聞いても、「ほお!!」と膝を打ちたくなるような答えが返ってきたことは一度もなく、印象に残らない回答ばかり。

自分にはコミュニケーション能力があります!!必要な資質はコミュニケーション能力です!!という人間に限って、「コミュニケーション能力とやらがどんなもんかわからんが、あんたにそれがないことだけは確かだ」と言いたくなるようなお人柄だったりしたわけです。
とまあ、つまり、就職試験の現場で安易に使われるだけの安直で耳障りのいいキーワード的な、空っぽの言葉としてイメージしかなく、へそ曲がりの私は「うーん、この言葉好きじゃないわ」と思っていたわけであります。

ただ、自分が「コミュニケーション能力がある」などと、しかも同年代(ちょっと上)の人から言われたとなると、それが一体全体どんな意味合いで使われたのか、一般的にどういう意味合いで使われるもんなのか、気になってしまうものです。

人と話をするとき、特に仕事で相談を受けるとき、大切にしているのは、一言でいえば、話を聞くことです。自分の仕事、7割は聞くことなんじゃないかと思うとります。特に仕事のときには、相談者が、どんな顔で、どんなタイミングで、その言葉を発しているのかが、とても気になります。

例えば、ご主人から離婚を切り出されたけれど「自分は離婚したくない」という相談を受けたとしましょう。
しかし、言葉としては同じでも、その背景にある感情というのは、人それぞれ、状況によってそれぞれであって、「まだ愛情があるから別れたくない」「子供が小さいので今別れるのはちょっと」「頭が整理できていないので今は別れたくない」などなど、様々に分かれるものです。
で、人というのは、自分が出した「答」は認識できていても、その「答」が導き出された本当の理由について、自分自身で認識理解しているとは限りません。
こちらが相談に対する答として、例えば「客観的な状況から考えてご主人の要求は通ってしまうだろう」と言わなければならないとしても、それを、受け入れてもらうにあたっては、できるだけ、その人が自覚していない(かもしれない)「本心」に近づくことが必要なんではないだろうかと。その本心から考えて「こういう言い方すればわかってもらえるかな」という言い方をすることが必要なのかな、と思うのです。
そして、その人が認識していない「本心」を認識するためには、その人がどんな表情をしているか、どんな言葉を発したか、などなど言葉に表れないところから察するしかないはず、なのです。

これが完璧にできる人は、おそらく弁護士なんぞよりはカウンセラーとかセラピストになるのがいいんじゃないかと思うし、寺林が、これを完璧にやりこなしていますなんて、とてもじゃないが、口が裂けても言えません。
ただ、結構人の顔色をうかがって話を聞いていること自体は事実です。
日常生活でも、親兄弟以外の人に対しては、(これでも)結構その人の顔色見ながら話しているんですよ~(友人知人のみなさん、信じないだろ~)。

というわけで、仮に寺林に本当にコミュニケーション能力とやらがあるのだとしたら、その言葉の意味するところは「相手の話を聞いて、相手の顔色をうかがって、相手に受け入れられるよう配慮しながら、意思疎通すること」というところかな、と思います。
なんか、イメージ的には、「自分の言いたいことをわかりやすく伝える能力」みたいな発信及び言語的な部分に比重を置いた言葉のような感じですが、案外、むしろ受身的かつ非言語的な要素が強い能力なのかもしれません。

弁護士って、少なくとも弁護士同士だと、人の話大概聞いてないよなあ…





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by terarinterarin | 2015-04-06 21:19 | Comments(0)
午後イチの予定がキャンセルになり、なんだか急にまったりしてしまったテラバヤシです。
本当は作らねばならない書面等々あるのですが(そんなに重くない)、とりあえず新年度にもなったことだし、ブログを更新することにしました。

3月に入ったころ、それも中旬を過ぎたころから、相談のお電話を立て続けに頂くようになりました。
裁判所の転勤シーズンにも重なるので、年度末はいつもちょっと余裕がある…はずでしたが、お陰様で、あわただしい毎日に。
お急ぎの方にも数日お待ちいただかねばならない、なんてこともありました。
数か月前の自分にとっては、アンビリーバブルな話です(もちろん波があることなので、突如、ぱったり止まったりもするのでしょう)。

あんまりアンビリーバブルなので、おいでになった方には「どうしてうちへ?」などと、相談終わりに伺ったりしています。
相談のお電話をかけてくる方の多くは、弁護士ドットコムの私の広告を見ている皆さんです(郵便局に置いている現金用封筒の広告を見て、という方は残念ながらいらっしゃいません。恐るべし、ネット社会)。
その後、ホームページにお立ち寄りくださる方も結構多い。
そして、その後、なんとこのブログを読んでいる方もちらほらと。

いらした方の中で案外多かったのが、「男の先生が、なんだかみんな怖そうに見える」という感想でした。

弁護士ドットコムは、自分用のサイトに写真を載せるかどうか弁護士自身が判断できますし、写真のチョイスも自分ですることになります。
写真を撮られるのがあんまり好きではないテラバヤシ、ろくな写真がありませんでした。
だからといって、ムンクさんの写真を載せるわけにはいかない。いくらなんでも。

最近ので唯一まともな写真は、昨年日弁連新聞の取材を受けた際に東弁の職員の方に撮って頂いた写真。どういう経緯か忘れてしまいましたが、なぜか手元にデータがありました。
向かって斜め右を見ているような写真で、ちょっと微笑んでいる。フェイスブックで一時期プロフィール写真に使っていたものです。
どうやら、これが相対的に柔らかい雰囲気に自分を見せてくれたようです。

事務所を立ち上げるときには、(もちろんご依頼があれば企業のお仕事も当然お受けするのですが)どちらかというと個人のお客様のお仕事がしたいなあという気持ちがありました。事務所のホームページもそういうことが漂う内容になっています。
ドットコムさんは、私のホームページを見ながら、ドットコム内のサイトの基本部分を作成してくれます。つまり、弁護士のカラーや方向性を生かしてサイトを作成してくれるので、ドットコムからも「個人のお客様ありき」的な雰囲気が漂うわけです。

この雰囲気と、あの写真が妙にマッチしたのかもしれません。
それが、今月末のお電話ラッシュの第一歩につながったのかと。

まあ、私をよく知る人には言わずもがなですが、テラバヤシ、営業・広告的な戦略についてのセンスや意欲、ともに皆無です。
さすがにホームページ作る時には、「ザ・法律事務所」みたいな、いかにも「べんごしせんせー」的センスのものにするのはやめようと決めていましたが、どっちかというと、自分の好みに突っ走ってしまって、見た人がどう思うかとかあんまり考えませんでした…
見た人に指摘受けたら直そう、くらいな感じで(ダメなひとです)。
でも、それがかえって、「ともえ法律事務所はこんなとこ」「弁護士テラバヤシはこんなやつ」というイメージを持っていただくのに役に立ったようにも思えます。

いや。偶然の産物。

しかし、それにしても写真って大事だなと思いました。
実は、この写真、テラバヤシの母に大絶賛されていました。
「この写真はいい!!優しそうに見えるし、それでいて、うまい具合に弁護士っぽくも見える。」と、とにかく繰り返す。
全く信用していませんでしたが、あたりってことだったのでしょう。

ビシッと決まってる写真とか、多少堅めに写っている写真が、ダメってことはないと思うんですよね。
例えば、企業のお客様なんかだと、真面目そうでやり手っぽい人を探すだろうから、そういう顧客を探している人であれば、その手の写真をチョイスしてフロントに出す作戦をとるのがいいのかもしれない。
個人のお客様相手でも、怖い人相手の事件の依頼とか?「真面目な先生にお願いしたい」なんて方にはいいのかもしれない。

でも、ここまで「男の先生怖そう」みたいな話を立て続けに聞いちゃうと(しかも男性相談者からも聞いた)、法律相談に来る人の何割かは、弱っている人々だということも併せて考えれば、写真のチョイスを誤って失敗している人も結構いるんだろうな、なんて思ったりしてしまいます。

見た目ってやっぱり大事なんですねえ。
うーん。あの写真、いつまで使ってよいものやら。


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by terarinterarin | 2015-04-02 11:30 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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