<   2015年 07月 ( 7 )   > この月の画像一覧

弁護士テラバヤシというと、良く知る方のイメージとしては、「刑事事件を一杯やっていて、警察官とか検事とか、裁判所とかと戦っている」というところだと思います。
が、実は、現在手持ちの刑事事件はゼロ件です。
独立してから、圧倒的に家事事件が多くなりました。
そして、家事に含まれない、親子間、家族間、男女間の紛争(刑事事件に付随するものも含みますが)のご依頼も、結構多い状況です。

巷では、離婚調停の申し立ては圧倒的に女性からの方が多い、女性の気持ちを分かってくれるのは女性、だから女性弁護士は家事事件(離婚事件)が多いというのが定説になっているようですが、実際にこの手の相談を受けていると、前者についてははなはだ疑問ですし、後者についても、まあ間違いではないんだろうけど、実際どうなんだろうなと?がつく状況です。
実際、男性からの離婚のご相談は、当事務所でも結構多いです。
女性側に男性の弁護士が付くことも、少なくないなという印象です。

「家事事件なんかでも戦わなあかん場面が結構多い」なんていうと、おそらく多くの方は、女性が男性からDVを受けた案件なんかを想像されると思います。
が、実際には、そういう事件に限られず、家庭内などの紛争なんかですと、特に初動の段階では、相手に対して、がっつり強く出なくちゃいけない場面が多いといえます。
「女性側」を受けている場合に限られません。
「男性側」を受けている場合でも、同じです。

守秘義務の問題があるので、あまり細かいことは言えませんが、「父だ」「母だ」「子供だ」「元彼女」「元彼氏」という立場を利用して、不当な要求を、それはそれは執拗に繰り返すケースの相談が、開業以来、ほぼ途切れることなくコンスタントに持ち込まれます。
もちろん「不当」と言っているわけですから、それは法的に認められる養育費や扶養料等の請求ではなく、どう考えてもいちゃもんだろうとしか思えないような事情を盾にとって行う「慰謝料」請求や、すべき義務のないことについて「こうしろああしろ」という要求なわけです。

テラバヤシは、なぜか以前から、金銭の不当要求の相談を受けることが多くて、結構な件数対応してきたのですが、肉親とか男女関係が絡まない不当要求については、「私が受任しました。あなたの要求は法的根拠のない請求ですので、応じられません。これ以上続けるようなら法的措置を採るからね」みたいな内容の書面を送付すれば、まあ、8割方は終了します(少なくとも私が経験してきたケースはそうです、という趣旨です。民暴関係の事件なんかだと、こういうわけにはいかないでしょう)。

電話で「どんな手使ってでもむしりとってやるからなあ」とたんか切られたり、「不当請求だあ?夕方までに資料FAXするから、その後電話に出ろよ!!」などと怒鳴りつけられたケースでも、結局、そこを通過すれば何もなく、ジ・エンドという状況でした(後者の件なんて、「ああ、わかりましたあ。お待ちしてますぅ」と言って、実際ずっと待っていたのに、結局何も来なかった。来ないのわかってましたけど)。

が、家庭が絡む紛争や、男女関係が絡む紛争は、こうはいきません。
先に挙げたような書面を送っても、嫌がらせが続いたり、矛先がこっちに向いて、とんでもない件数のメールが送られてきたりするケースが、割合的には、ぐっと多くなります。
もちろん、特に家事事件を中心とする家族間の紛争に関しては、こちらの立場からすると「不当な請求」でも、あちらの立場からすると一応理由のある請求であることもなくはない。
ですから、そういう事情が判明すれば、ある程度交渉に応じなきゃいけないわけで、「振り上げたこぶしをどこでおろすか」というタイミングを見計らうことも必要になってきます。

が、そういう「一応の理由」も見いだせないにもかかわらず、「父だ」「母だ」「子供だ」などなどの立場のみを根拠にして、あたかもそれが伝家の宝刀であるかのように自分の請求は正当なのだ、と言い張られることも少なくありません。

個人的に、これは一種の精神的暴力であり、ある種の脅迫・恐喝行為だと考えています。

血縁関係や交際していたことは、何をどうあがいても消すことができない事情です。
特に血縁関係については、一生ついて回るもの。
ある意味、絶対的なものです。
その切っても切れない絶対的な事実を振りかざして、「だから、あなたは私を無視できないでしょ?お金払いなさいよ。言うこと聞きなさいよ」というのは、人の弱みを握って「ゆする」行為の際たるもの。

以前、私が受任した事件で、当事者が、家族関係にある相手方から法的根拠のない多額の金銭の請求を脅し半分で受けているものがありました。
当事者の恐怖心や意思を考えると、相手方との間で以前のような関係に修復できる余地などはなく(脅迫の内容についてはメールで十分に立証可能)、その点も伝えたのに、相手の代理人から「縁は絶対に切れないんだから、今後、関係を修復して円満にしていけるような解決を目指しましょうよ」なんて言われた挙句、慰謝料名目でびっくりするような金額をこちらが支払う内容の和解提案を受けたことがありました。

弁護士ですら、そうなのです。
肉親である、家族であるなどという事情が、不当な請求の温床になり、人を追い詰めるということに気が付かずに、「ね。これからもかかわらきゃいけないんだから修復しようよ」なんて、いとも簡単に言っちゃったりするのです、何の悪意もなく。

男女間の不当請求なんかでも、警察に相談に行ったら「付き合ってたんだから請求に理由がないなんて言えないよねえ」なんて言われて、状況が深刻なのに取り合ってもらえないという話はよく聞きます(「刑事ではできないから、弁護士さんに相談しましょう」すら言われないこともあるようです)。

確かに、病気とか死んだとか、相続なんかの場面で、家族である以上お呼びがかかったりすることもあるでしょう。
そういう場面になったらまた考えるとして、そこに至るまでの場面では、私は「絶対的に排除すべき関係・要求」というものがあると考えています。
明らかに一方的に追い詰められているにもかかわらず、肉親だからという理由だけで請求を一定程度飲むとか、関係を強要するといったことがあってはなりません。
肉親であるとか、男女の関係にあったということは、何かを義務付けられる「絶対的な」価値ではありません。

思い返してみると、刑事事件で検事や裁判官、警察官と戦うよりも、家庭内の紛争や男女間の紛争で相手方と戦う方が、根気もいるし、疲れるような気がします(いや、お前が刑事事件でそれだけ手え抜いてたんじゃないかと言われるとつらいのですが)。
「民事や家事は、要は交渉力」という価値観は正しいと思いますが、それだけでは、紛争を解決できないのもまた事実でしょう。
ガンガン戦うことが依頼者の利益のために必要な場合があるということは、刑事事件も民事事件も同じ、なのです。







[PR]
by terarinterarin | 2015-07-26 19:08 | Comments(3)
7月16日に安保関連法案が衆議院で強行採決されて、議論の舞台が参議院に移ることになりました。
FBやツイッターなどのSNS上では、それ以前に比べて、現在安保関連法案の話題は、若干減少気味かなという感じです。
報道各社の世論調査を見ると、法案に対しては60パーセント以上が反対であり、安倍政権に対する支持率も軒並み30%台に落ち込んでいる。

コアな反対派の中には、これでさらなる盛り上がりを!!廃案を!!と勢いづいている人もいるでしょう。
が、ちょっと待て。そううまくは行かない。とテラバヤシは思うのであります(いや、大抵の人がそう思っているんだと思いますが)。

日程や議席数考えると、もう、ここで勝負決まっちゃたんでしょとあきらめている方が、何割か。
連日流れてくる反対派の濃ゆいメッセージや記事のシェアの食傷気味になり、「いやもう、どっちでもいいす」と引いてしまわれる方が、何割か。
意見表明したり、関わることによって「サヨク」のレッテル張りをされるんじゃないかと恐れる方が、何割か。
「反対だったら集会に行け。デモに行け」と目に見えないプレッシャーをかけられているような気がして、「それはちょっと」と関与をやめてしまう方も、何割か。

そして、これらの分類は、別にそれ自体一個一個独立したものではなく、いくつかのカテゴリーに重複して当てはまる方もいらっしゃると思われます。
で、こういう人がどんどんどんどん増えていくにしたがって、反対派の割合はどんどん落ち込んでいき、7月15日16日直前直後のような盛り上がりがどんどん失われてしまいかねないわけです。
今の状況が続くのであれば、参議院で与党議員の造反で否決、さらに衆議院に再回付された後も与党議員の造反でやはり否決という状況も見込めなくはない。
安倍さんやヒゲの隊長さんがテレビに出て、ずっこけるばかりの不始末をやらかしてくれている現状も、さらに反対を唱えている人間にとっては、好都合。

しかし、それもこれも、反対派の勢いが下火になってしまえば、全ておじゃんなのです。
だって、確固たるポリシーで動いている人間なんて、コアな反対派が思っているより、たぶん全然少ないはずですから。
政治家(特に与党の人間)の多くは、どっちにつけば今有利かで考えている。
世論調査に「反対」と答える人の何割かは、今の時勢の「空気感」でそう言っているだろうし、なんとなく「戦争になるのは嫌だなあ」みたいな感じで回答している人も少なくないはず。

この問題は、「反対派」対「賛成派」の戦いになってしまっているのですから、「反対派」が今の勢力を維持するには、「反対を唱えている限り、コアでいろ」みたいな圧迫感を出すのは得策ではないと思うのです。

と、こういう書き方をすると、非常に戦略的でいやらしい印象を与えてしまうかもしれませんが、言いたいことの本質はそういうところじゃないんだな。

安保関連法案に反対する人は、個人の命や個人の自由を尊重する社会を念頭に置いているわけでしょう。
そうであれば、「反対」という意見表明を表立ってするかしないか、するとしてどういう形でするかということは、個々人の自由に委ねるべきであり、「反対」という意思の中に含まれる多様性も認めるべきではないかと思うのです。

あと、明確な意思表示をしていない人について、言葉尻をとらえて「賛成派」「ネトウヨ」と決めつけて、中身のない糾弾をするようなことは絶対してはいけない。
そういうやり方は、何でもかんでも「サヨク」「ザイニチ」「キョウサントウ」などとレッテル張りするネトウヨの言動そのもの。
よって立つアイデンティティが違うだけで、一皮むけば本質は同じということになります。

全然他人を尊重していない。
嫌悪、嘲笑の対象になります。
誰もついてこなくなるのだ。

なんというか、安保関連法案に反対という立場を表明することは、「サヨク」にならねばならんことだと思っている人もいるんじゃないだろうか。
中国とか韓国とかを好きになれ。
神社はどこも靖国神社と一緒。神道を忌み嫌え。
デモや街宣に参加しろ。
安倍政権やネトウヨの悪口をふりまけ。
みたいなミスリードになってやしないのか、いや、そういう恐怖心を何がしか生み出しているのは、ほぼ間違いないんじゃないかと思います。

だって、テラバヤシだって、媒体によっては、若干引きますもん。
FBで参加していたとある反対派のグループは、つい先日やめましたし。
書き込みが、なんか個人を揶揄するものばかりで嫌悪感を抱いたので。

この際だからカミングアウトします。

テラバヤシの実家には、神棚があり、父は月初めや何らかの行事、祝事、お願いごと、年末年始に合わせてきれいに神棚を整え、お供え物をする人です。
テラバヤシも、神社は大好きで、地元に帰れば北海道神宮に行きますし、自宅の近所の神社にも時折お参りに行きます。
伊勢神宮が大好きですし、今年の3月に妹と広島旅行に行った際には、2日連続安芸の宮島をエンジョイしました。
御朱印帳も持っています。
(なお、神社好きの立場から言わせていただくと、靖国神社には荘厳さやありがたみを感じさせるオーラは全くありません。バチ当たったりして。)

中国で開催されたサッカーアジアカップで、中国サポーターの激烈な「アンチジャパン」の様子を見て、一時期中国の人たちが怖くなったことがあります。
整形美人整形美男子がグループ作って歌い踊るK-popなんて、どれもこれもてんで見分けがつかないし、なにがいいのかさっぱりわかりません。
韓流ドラマなんて、どのポスターも同じに見えるし、たまにあらすじを読んでも何が違うかさっぱりわからん。何でもかんでもストーリーが濃いし。
つけっぱなしのテレビで入ることがあれば、即座にチャンネルを回します。

SEALDsの活動は素晴らしいと思うし、拍手を送りたいと思います。
しかし、一方で、SEALDsが英雄・カリスマと祭り上げられる現象自体は、冷静に観察したいというのが本音です(もちろん、こういう異常事態において1つの立場の求心力を高めるためには、象徴的な存在が必要だとは思います)。
テラバヤシは、へそ曲がりで、熱狂的な何かというものからは、常にある程度の距離を置きたいのです。本能的に、危険な香りを感じるのです(要は苦手ということなんでしょう)。

でも、今回の集団的自衛権を認める一連の安保関連法案には、大大大大大反対なんだよ。
こういう反対派も、反対派なんだよ。

テラバヤシ自身も、今まで、「この動きを止めなければ!!」という一心で、「もちっとゆるくやりたい」という人に対してFB上で圧迫感のある書き込み等々をしていたと思います。
その点は反省し、書き込みの仕方、頻度などに配慮したいと考えてます(それでもどうしても嫌だという人は、遠慮しないでブロック、非表示にしてくださって結構です)。

色んな人が色んな思いで抱く「反対」という気持ち。
これをそっと尊重できることが、たぶん「反対派」の一番の強みになるんじゃないかと思います。












[PR]
by terarinterarin | 2015-07-20 21:44 | Comments(4)
ここ最近、割に短期間の間に、PTAと町内会のトラブルについて相談を受ける機会がありました。
詳しく書くことは当然できませんが、まあ、入った覚えもないのに会費を請求されたり役員をさせられたりして困っている、というご相談です。

そうなのです。
このふたつ、「入った覚えもないのに、入ったことにされている」、そして「入っていることを前提として、会費を徴収されたり、役割を担わされたりする」という点で、共通しています。

つまり、「ここの区域に来れば、自動的に○○町内会に入ったことになる」「ここの小学校に入れば、自動的にその学校のPTAに入ったことになる」という決まり事があるかのような前提で、物事が進められていってしまうわけです。

そもそも町内会というのは、ある集落とか都市の一部地域に居を構えている人たちで作る自主組織であって、住民に共通している利益の実現であるとか(公園や道路のお掃除などなど)、親睦を図るであるとかという目的があるとされています。
PTAは、各学校ごとに保護者と教職員で組織される「社会教育団体」とされており、目的は、その学校に通う児童生徒のために種々様々な活動をボランティアで行うことにあるとされています。

「ここの地域に住んでいるんだから、みんなと一緒に町のために尽くしてもらうのは当然!!」、「ここの学校に子ども通わせてるんだから、親としてPTAやるのは当然でしょ!!」という発想が、根本にあるわけです。そして、「ここにいるんだから加入している」という所与の前提で、様々な義務をほぼ何の説明もなく「役員」と称する人たちが課していく。
そして、こういう発想の起源が、どこにあるのかわからないのが、町内会・PTAの恐ろしいところ。現在役員を担っている人に聞いても、おそらく誰も答えられない。
「昔からそうなっていたんだし…だって、そんなの当り前じゃない!!」という理屈も何もないけど、言い張ってなんぼ、みたいなことになるわけです。

日本国憲法には「結社の自由」というものが定められています。
団体を作るかどうか、団体に入るか入らないか、入っていた団体をやめるかどうかは、すべて自由という原則。
もちろん、憲法の「結社の自由」は、団体の立ち上げや団体への加入不加入等について、公権力からの干渉を受けないという意味です。
が、憲法上の人権規定は、対公権力との間だけでなく私人同士の関係でも、適用があると考えられています。

団体を作ることや加入不加入等を強制できる「強制加入団体」というのは、法律で強制加入が義務付けられているケースに限られています(もちろん、その前提として強制加入とすることが合理的であることが求められます)。
具体的には、我々のような弁護士とか司法書士、税理士、公認会計士等々、一定の職種に限られています。公益性や倫理性を強く求められるので、同業者同士が相互に監視?することによって規律を維持することが必要であるからなどなどの理由が挙げられています。

町内会とPTAには、こういう法律がありません。
強制加入団体ではない。「任意」加入団体なわけです。

この町に住んでる≠ここの町内会に入ったことになる
子どもがここの学校に通っている≠この学校のPTAに入ったことになる

というのが、正しいのです。

だから、本来であれば、その町に転居してきた人がいれば、(噂を聞きつけた)町内会の役員さんは、町内会のパンフレットなんかを持参してそそくさと駆けつけ、「町内会に入るとこういうメリットがあります。逆にこういう義務もあります。入るかどうか考えてちょうだいね」という説明をするのが本筋で、そのうえで「入ってくれると嬉しんだけど」なんて勧誘するのがせいぜいということになります。
PTAにしたって同じで、例えば新1年生の保護者の説明会なんかでPTAの役員がPTAの活動について説明したうえで、「ひとりでも多くの人に加入してほしい」とお願いすることまでしかできないのです、本当は。

むかしっから、当たり前のようにみんながやっていたんだから入るのは強制だ、会費払うのも当然だ、会合に出てこないやつは役員やれというのは、はっきりいって「入らない」という利益の侵害になりかねず、強制の度合いによっては、慰謝料請求ものになりかねんのです。

実際、PTAなんかだと、役員をやらないと言ったとたんにその保護者に対する陰湿ないじめが勃発することも少なくないんだそうです。
保護者が抵抗していると、今度はその子供に対する嫌がらせが始まるケースも少なくないそうで、要は、子どもは人質。
「児童のための活動」というPTAの理念、まさに、どこにいったやらという状況です。
町内会やPTAトラブルで訴訟になっている案件も結構あるようですしね。

確かにね、ごみひとつ落ちていない町の美しさであるとか、家庭ごみの集積場の設置であるとか、学校行事における人手不足の解消であるとか、そういった部分で、町内会やPTAが果たしてきた役割は大きいと思うのです。

でも、そういう運営側が「利益」と信じて疑っていないことを、そこに住む人、そこにいる人みんなが利益と考えるかどうかはまた別な話です。
加入対象者に対して「義務を負担して利益を享受するか、義務も負担せず利益も享受しないか」という選択をしてもらうことが、大前提。それが「任意」加入団体たる町内会やPTAの本来あるべき姿、なわけです。

しかし、実際、この手のご相談を聞いていると、いつの時代からかはわかりませんが、日本て国は、「統制をとることの目的、意味」というものを全く考えずに「統制をとる」という現象が成り立ちやすいお国柄なんだなあとつくづく思います。
繰り返しになりますけど、「町内会は強制だ」「PTAに入るのは当然だ」というお題目の根拠って、合理的に説明できる人なんてたぶんいないと思うのです(いや、実際、ないと思うし)。昔からそうだったとか、それが合理的だからとか、そんなからっぽで意味のない理屈で「統制」をとることの正当性を個人に押し付けるということが、まかりとおるんだよな、この国。

「空気を読む」って言葉がありますけど、これは「その場の空気を理解して個人が自重すべきところは自重しろ」という趣旨であり、やはり、確たる目的のない「統制」を暗に強いる言葉でしょう。
こんな言葉が生まれ、「空気が読めない」ということがネガティブに捉えられるというのは、おそらく日本独特の現象ではないかと思うのです。

つまり、常に私たちの生活は「全体主義」と隣り合わせと言っていいのではないでしょうか。

町内会とかPTAの問題というのは、「昔ながらの考え方といまどきの協調性のない若い人たちの感性の違いによっておこる問題」という単純なものではありません。
「個人」というものをどこまで大切にできる国なのか、という国の在り方そのものを考えるうえで、最も身近な問題なのではないかと思います。



[PR]
by terarinterarin | 2015-07-19 18:13 | Comments(10)
ここ数回、法テラスの悪口とか絶歌の感想文とかのある意味お騒がせ記事や、集団的自由権関係の「あれ?熱でも出した?」みたいな真面目な記事などなど書いていました。
テラバヤシのブログも緩さがなくておもろくなくなったな、などと思われている方も、ひょっとしてひょっとするといらっしゃるかもしれません。

本日は、(なんとほぼ連投ですが)いつもの調子に戻ってお届けします。

ここ最近立て続けに、友人知人の複数の弁護士から「ブログは集客につながっているのか」みたいなことを聞かれています。
中には、「お客が増えるかもしれないからお前もブログやったら」みたいなこと言われている人もいるらしく。
先日も登録以来の大の仲良しから、一緒にイタリアン食べているときに、「で、お客ってどこから来てるの。ブログとかホームページから来るわけ」と聞かれました。

はっきり言いましょう。

ブログで集客なんて、できませんから!!

「そりゃ、あんたのブログじゃ無理だろう」という突込みがどこからか聞こえてきそうです。
言われても仕方ありません。
だって、あなた、あんだけ「出したのがおかしい」とか言われている絶歌の出版を肯定して、世間的に見れば、圧倒的少数派的かつ糾弾の的になりそうなこと、バンバン言っちゃっているんですから(実際、お叱りのコメントがいくつか)。
その他のネタを見ても、集客目的ゼロであることは、一目瞭然、このブログ。

が、テラバヤシのブログだから集客力ゼロ、てわけでもないと思うのです。

テラバヤシが「ともえ法律事務所」の存在を明らかにするためにやっているのは
・弁護士ドットコムの広告
・ホームページ作成(自作)
・FBページ(自作)
・LINE@(自作)→まあ、FBページみたいなものです。
・このブログ
・郵便局においてある現金封筒の広告

あとまあ、存在を明らかにするためという趣旨ではないですが、「シェアしたくなる法律相談所」での執筆も挙げられます(最近ここもドットコムさんみたいな広告業主体になり、元からライターをしていた弁護士も掲載されるようになっています)。

たぶん、独立後に相談・依頼を受けた事件の8割は、弁護士ドットコムを見て来た方です。
弁護士ドットコムには、弁護士ごとの相談用の専用電話番号があるので、着信を見れば「ドットコムから来た」ということがわかります。
メールでの問い合わせも、弁護士ドットコムを経由してから来るので、やはりわかります。
ドットコムを見て、そのままダイレクトに問い合わせという方がやはり多いのです。

次に多いのが、ドットコムを見た後、ホームページにお立ち寄りになって、それから事務所の固定電話にお電話をかけてくる、お問い合わせフォームからメールをするという方。
事務所の電話番号やお問い合わせフォームを使って相談された方には、お会いした時に「どうやってこの事務所を見つけたのですか?」と聞くのですが、ほとんどの方は「弁護士ドットコムで見て、それからホームページを見てきました」とおっしゃいます。
ホームページダイレクトで来た方って、2,3人だったんじゃないでしょうか。

そう、つまり流れとしては、
弁護士ドットコム→電話、メール
弁護士ドットコム→ホームページ→電話、メール
がほとんどで、

ブログ→ホームページ→電話、メール とか、
ホームページ→ブログ→電話、メール とか
弁護士ドットコム→ホームページ→ブログ→電話、メール
なんて方には、未だお会いしたことがありません。

おそらく、
弁護士ドットコム→ホームページ→ブログ→電話、メールするのやめる
ホームページ→ブログ→電話、メールするのやめる
ブログ→終了
という方は、テラバヤシまでたどり着かないのでわからないだけで、実は案外たくさんいるんじゃないかと思うんですが(特にここ最近)。

相談の申し込みをしてから、事務所に来るまでの間にブログを読んでいらした人、というのはちらほらいらっしゃったようです。
また、契約を結んでからブログを読むようになった方もいらっしゃいました。
「申し込んだけど、あのブログ見たら先生に任せるのが怖くなったので、やっぱりなかったことにしてください」という人は、未だいませんが(いや、もしかすると言いたいけど言えないだけかもしれない)。

要は何が言いたいかというと、これ、先の仲良しの友達にも話したのですが、
「ブログに集客機能はない。客の選別機能があるだけだ」ということなのです。

つまり、うちに来るお客のかなりの多くが、弁護士ドットコムを見て来る。
ということは、集客機能があるのは、弁護士ドットコム(ごくまれにシェア法)など、お客さんにとっての「弁護士を探すとっかかり」媒体にほぼ尽きるということになるわけです。

ここで、テラバヤシという人物に興味を持ってくれた方のうち、ちょっと慎重な方?が、「もうちっとどういう弁護士なんか観察してみよう」とホームページにおいでになる。
で、さらに人となりを見ようとしてブログにやってくる。

実は、弁護士ドットコムのテラバヤシページの基本部分は、ドットコムの社員さんが、ともえ法律事務所のホームページを参考に作ってくださったので、ドットコムからホームページに来ても、あまりイメージに変化はないと思います。
でも、やっぱり全部自分で作ったホームページで自分の趣味満載な感じにしてしまっているので、ドットコムページよりは、テラバヤシ色は、当然濃い。

で、どれくらいの割合かわからないけど、濃くなったテラバヤシ色に当たってしまい?、「うん、別な弁護士探そう」といって、ここでサヨナラになる人もおそらくいるでしょう。

そして、ここを突破してブログにやってきた人の中には、さらに濃ゆくなったテラバヤシ色に耐えられなくなり、脱落。

とっかかりの媒体から、ホームページ、ブログと「その事務所、その人」の特色が出る媒体に進めば進むほど、人間性が出てくるのですから、当然その過程で、弁護士探しをしている人は「この弁護士とは合いそうだ、合わなさそうだ」と判断することになります。
この2つのステップを踏むことによって、お客さんとしてその弁護士のところに到達する人は絞られる。
テラバヤシ特有の問題でも何でもない、と思います。

ところで、テラバヤシがやっている広告的なもののうち、ゆうちょの現金封筒は、おそらく弁護士ドットコムのさらに手前に位置する広告手段なんかなあと思います(担当さん、違っていたらごめんなさい)。

弁護士ドットコムは、弁護士を探している人がやってくるところ。
現金封筒は、弁護士を必要としていない人も(いやそっちのほうがかなり多い)手にするもの。
おいてあるのは近所の3つの郵便局。
「へえ、こんなところに法律事務所があるんだ」と覚えてもらう。
何か困ったことがあった時に「あ、そういえば、この近くに法律事務所があったな」と思い出してもらう。
友人に「誰か知ってる弁護士いない?」なんて聞かれて、「そういえば…」と思い出してもらう。

そこから事務所のホームページにダイレクトに飛んできたり、直接電話が来たり、一度検索して弁護士ドットコムに行ったりなんていう、さらに手前のきっかけ作りの媒体ということになるんでしょうか。

まあ、前にも書いたような気がしますが、自分はもともと文章を書くのが好きで、その好きな気持ちが訴状や準備書面や弁論なんかを書くのでは満たされないため、こうやってブログをやっている次第なわけです。
繰り返しになるが、目的は集客では決してなく、機能としてもそういう役割はになっていない。

一番理想的なのは、なーんにも広告してないのに仕事があるということです。
そういう人、周りに案外いたりします。
何も宣伝してないのにそこにたどり着くお客さんがいるということは、ドットコムや現金封筒に勝る宣伝マンがいるってことなんですから。

弁護士として信頼できる人であることの一つの証明だよなあ、と思います。
尊敬。











[PR]
by terarinterarin | 2015-07-13 00:18 | Comments(0)

貧困と排除と戦争と。

昨日、東京三会主催の「集団的自衛権にNO! 女性弁護士101人大集合」というイベントに参加してきました。
まずは弁護士会館で憲法学者の小林節さんのトーク、それから作家の雨宮処凛さんのトークを聞くなどして、その後有楽町駅に女性弁護士が大挙して押し寄せ、安保法制反対の街宣活動を行う、というイベントです。

本来、人と群れるのは好きではなく協調性もない性格。特に「女の集まり」というのは、得意でないタチです。
そして、「女性の視点」というある意味新しさがないお決まりな枠組みでのイベント開催に疑問が呈されるだろうということもわかっていました。
が、今のこの状況下、FBでせこく「集団的自衛権反対」に関する記事をシェアする以外に、自分にできることがないかと思っていました。
そんなところにお声掛け頂いたということで、渡りに船の客寄せパンダになるべく、参加してまいりました。

参加は、私にとって非常に意義があるものでした。
雨宮さんのお話を聞いて「すべてがつながった」とわかりました。
(これから書く話は、もしかすると分かっていた人はたくさんいたかもしれません。テラバヤシが不勉強だったということです)。

もう何年も前から、ネットカフェ難民などしている生活苦の若年層に対して、自衛隊が盛んに入隊のスカウトをしているとのこと。
若いころ、フリーターでお金もなかった処凛さんは右翼のパンクバンドで「平和を壊せ、戦争を始めよう」などと歌っていた。その心理は今にして思えば、この世の中が続いてしまえば、既存の枠組みは変わらず、自分のような人間はいつまでも「このまま」の状態でいなければならない、戦争になればすべての秩序が変わり、自分にもチャンスが訪れるというものであったこと。
貧困で虐げられている立場からすると、少しでも自分より下の人間がいれば、それを叩いて優越感を感じたいという心理になるということ。
かなりザックリですが、こんなことをお話しされていました。

物を破壊し、人も殺しかねない勢いの「ヘイトスピーチ」とそれを支持するネトウヨの存在。
殺人などの重大事件を起こした者に対する強烈な糾弾(元少年Aの騒ぎもこれに含まれるという認識です)。

ここ数年進んでいるこのような事態について、なんだか同じ根がありそうな気がしていました。
が、それが何なのかという核心に迫ることができず、気持ち悪さを感じていました。
「異物排除」という共通項がある、ということしか思い浮かんでいませんでした。

定着してしまった劣悪な環境での非正規雇用。
いくら働いても生活が安定しない。
役所からは生活保護の水際作戦に遭う。
帰る家すら持つことができず、ネットカフェで過ごす毎日。

20年前には想像できなかった貧困がすっかり日本には根を張ってしまいました。
そんな貧困は「自分に対する誇り」を人からすっかり奪ってしまいました。

貧困に陥った人が自分のアイデンティティーを保つには、「自分より下」と位置付けられる人間を見つけて、徹底的に叩くしかない。
そのため、在日の朝鮮半島出身者、アイヌ民族といういわゆる少数派の人々や、犯罪者をやり玉に挙げて、まったく理由のない、あるいは不必要に過剰に、尊厳を奪うほどの糾弾を行う。
その場しのぎの優越感に浸るために。

恐ろしくなりました。
日本の貧困は、一定割合の人をここまでにしてしまいました。

そして、日本の貧困は、「福祉の充実」というキーワードがもはや全くの信用性を持たないほどまでに貧困層の人を追い詰め、全ての社会秩序を破壊することを望むまでに至らしめてしまったわけです。

確かに「戦争」になれば社会秩序は変わるでしょう。
しかし、戦争に参加することによって、自分たちが上に上がれるなんて、全くの幻想です。
貧困層の人が日の目を見るためには、戦地に赴いて(軍人になってという意味だけではありません)、危険な地域で働くしかありません。
命を落とす。
手足をもがれ、社会参加が難しいほどの障害を負う。
あるいは、凄惨な現場に長期間身を置くことにより、精神が蝕まれる。
それがオチです。ヒーローになれる人なんて、たぶんいないでしょう。

でも、そんなことも想像できないほど、自分たちが置かれているバッドな状況を変えるには戦争しかない、そう思い込んでいる人たちが少なくないわけです。
戦闘モノのゲームがどうとか、そんなちんけな問題じゃあないのです。

街宣前の弁護士のリレートークで、とある女性弁護士が「大学生の息子がまだ高校生の時にはなかったけど、今18歳の息子のところには自衛隊の入隊の勧誘の郵便が届いた」と話していました。
徴兵制なんて必要ないのです。
今や、パンフひとつで、「高額」な給料を保障され、ヒーローになれるかもしれない「軍隊」に入隊したいという志望者が、たくさんいるのですから。

いつのころからかはわかりません。
しかし、私たち国民が気づかないように気づかないように、いずれ日本が軍隊を持てるように、戦前の「愛国主義」の国になるように、長い時間をかけて仕組まれていたような気がしてなりません。

「貧困層」は、「愛国」(=異物排除)や戦争肯定の世論を作るために、意図的に作られてきたのではないでしょうか。
財政状況が悪いから。
企業の効率性をアップするため。
優秀な人材の流動性を高めるため。
その時その時で体のいい理由をつけて、そこに批判の目を集中させて、虎視眈々と「戦争ができる国造り」は裏で進んでいたのだと、そう思わずにはいられません。

確かに、戦後、途中で政権が交代することはありました。
一時的に「戦争ができる国造り」の動きが止まったことはあるでしょう。
しかし、細かいことはわからないけど、ある節目の時点から、表に出ている政党や政権とは違うところで、こういう計画はゆっくりゆっくり進められてきたような気がしてなりません。
でも、悲しいかな。それがどんな存在なのか、テラバヤシにはわからないのです。

あまりに壮大で、あまりに不気味で、日本て国や日本人という人間は、この先どんなふうになってしまうのだろうと、不安で不安でたまらない気持になります。

一縷の望みは、若い世代の人たちの中には、「自分たちが狙われている、取り込まれようとしている」ということに気が付いている人がいて、その人たちが、今この時勢の中で大きなムーブメントを作っているということです。
また、雨宮さんのお話では、3.11の大震災を契機に、東北を中心として(と確か言っていたような)若い人たちが権力やマスコミというものに懐疑的になっていて考える力を身に着けているということです。
若い人に頼るのはいけないことだけれども、大きな防波堤となってくれることを今、切実に祈っています。

しかし…
未来永劫、戦争なんてしない国にするためには、どうすればいいんだろう。
「貧困対策」なんて言葉が生ぬるく思える。
通り一遍の貧困対策では、絶望的な貧困にあえいでいる人々の尊厳まで回復することなんてできないんじゃなかろうか。

長年かけてスポイルされた人々を正気に戻すには、さらに長い年月がかかる。
そう思うと、テラバヤシが生きているうちに日本がまともな国になることは期待しない方がいいのかもしれない、なんて思ってしまうのでした。

うーん。
今回のこのブログ、昔研究者の端くれ(あえなく挫折)をしていたころの感覚で書いたかもしれん。
「弁護士テラバヤシ」という看板は、似つかわしくないかもしれませんね。










[PR]
by terarinterarin | 2015-07-11 19:08 | Comments(0)
昨日投稿した「法テラスについて書かせてもらうよ」。
中村元弥先生がシェアしてくださったからでしょうか。なんだかとんでもないビューの数になっていました。
絶歌の感想文よりも遥かに伸びていて、書いた本人もちょっとびっくりという状況です。

で、今日は今少し時間が空いたので、読み返して自分で気になったことや、(中村先生のシェアも含めて)頂いたコメントなどをもとに、少し補足などさせてもらうことにしました。

1 なんで今更古巣の批判をするのか。

法テラスをやめたのは、2013年3月末のことです。法テラス東京に配属されて1年3か月で退職しました。退職してから既に2年以上が経過しています。
どうして今更法テラスの批判を始めたのか、と、不思議に思っている方も多々いるかなあと何となく感じました。
直接的なきっかけは、以前からライター登録していた「シェアしたくなる法律相談所」運営者から、「法テラスの問題について書いてほしい」という依頼を受けたことにあります。

ちょうど依頼される少し前に、刑裁サイ太さんが法テラスについて批判的なことをツイートされていて、それに同調するぶら下がりも結構あった。そこに注目したシェア法の運営者が、法テラス勤務歴のあるテラバヤシに書いてほしいと依頼してきたわけです。
ただ、法テラスの仕組みというのは意外に一般の方はご存じなくて(シェア法の方もご存じなかった)、字数制限がある中で法テラスの仕組みがざっくりわかるようなことも書きつつ、それも踏まえた問題点も書かなくちゃいけないということで、テラバヤシから見ると、非常に浅い「サラーッ」としたことしか書けなかった。

でも、自分が辞めた経緯もある。
辞めた後に知った話の中で、耳を疑うようなものもある。
ある意味中途半端に書いただけに消化不良な思いもありました。
また、うまく言えないのですが、いろんな人から法テラス内部の話を伝えきくうちに、法テラスが「中身は空っぽだけどやたら影響力だけは大きい」化け物みたいな存在にどんどんなっていくような気がして、危機意識を感じるようになったということもあります。
そこで、今更ではありますが、自分に書けることは書こう、そう思ってやり始めたというところです。

2 なんでスタッフ時代にきちんとケンカしなかったのか。

そんなに法テラス東京に不満があったなら、「その方向性はおかしい」ということをどうして内部で訴えなかったのか、昨日書いたような出来事があったときにどうして文句を言わなかったのかと思われた方もいたと思います。

実際、法テラス東京で明確な「福祉との連携」というビジョンが立てられる前に、法テラスは刑事弁護でも民事でも「福祉と連携して解決しましょう」みたいな雰囲気は出ていました。
仲間内(いや、もちっと広いか)では、テラバヤシは「連携連携ってバカみたい」(あたかも福祉と連携すりゃ事態が何でも解決するかのような幻想にスタッフの一部が陥っているように見えたことに対する揶揄)と言っていたので、テラバヤシの連携嫌いは、スタッフの中では、そこそこ知られていたのではないかと思います。

法テラス東京の「福祉との連携」は本部ぐるみで始まった動きであるらしく、その方針が決まってから、それ用のスタッフ弁護士の人事もなされました。
定期的にそのビジョンをどう動かしていくかという話し合いも各所となされるようになり、もう私一人が何か言ったところでどうにかなる話でもないなという印象でした。
とはいえ、法テラス東京とか本部の上の方から、「今後法テラス東京法律事務所は福祉との連携を中心に据えた事務所に転換していくから」という話をきちんと伝えられた記憶は、少なくとも私にはありません。
なんか、知らないうちに決められていて、ずるずるずるずる動いていき、当時現場にいたスタッフ弁護士の意向すら、きちんと確認されていなかったという印象です。

実は、福祉との連携の動きが出る前に、国選の謄写費用の支出やその他もろもろの件で、法テラス東京には少し嫌気がさしているところがありました。
そんなこんなで、私自身に闘う気が薄れていました。今にしてみれば、よくなかったのかもしれません。

また、昨日書いた2つのエピソードについてですが、「施設の内紛に巻き込まれるから関わらないほうがいい」、「刑事施設被収容者(こちらの表記が正しいので今日からこちらに変えます)の相談は負担が重いから他の公設事務所に振ってもらおう」というスタッフの発言は、まるっきり善意でなされたものでした。
これがあからさまに「大変だからやりたくない」「こんな仕事押し付けるな」という語調のものであれば、「ふざけんのもいい加減にしろ」と楯突いたと思います。
まるっきり善意だっただけに、もう価値観が全然違うところにあるんだなと思ってしまい、「言ったところで無駄」という結論になったわけです。

3 法テラスと刑事施設被収容者との関係

中村先生のリンクシェアに対するコメントの中で「法テラスは刑事施設被収容者に元から冷たかった」というものがあり、その点が気になったので、追記したいと思います。

私がスタッフをやっていたころは、各地で刑事施設被収容者の法律相談に臨んでいるスタッフが相当数いました。
何のフォローもなくそんな案件ばかりを地方事務所からやらされて、つぶれてしまった弁護士もいました。
メーリングリストでも対応方法に関する相談や回答がよく流れてきました。
私自身は、法テラス愛知にいた当時は、被収容者から依頼を受けた案件を5件ほど担当したことがあります。
今も、聞くところによれば、受ける人はきちんと受けているようです。
(ただ、これも今まで何度も言っていることなのですが、弁護士登録数年のぺエペエの弁護士が何のフォローもなくできるような仕事でないことは事実なので、法テラスサイドは刑事施設被収容者相談をスタッフに振るのであれば、しかるべくフォローの体制をとってもらいたいと考えています。)

個人的には、民事法律扶助の援助決定の審査が、特に東京の場合、刑事施設被収容者に関しては厳しいのではないか、と感じました。

法テラス愛知でやっていたころは、必要書類がきちんとそろっていれば、援助要件を満たす限り、援助決定は出ていたと思います。
死刑確定者の方の事件も受けたことがありますが、特に厳しいという印象はありませんでした。

しかし、法テラス東京では、個人的には非常に厳しかったという印象です。
昨日お話した死刑確定者の方の件ですが、とある先輩弁護士に相談したところ「一人でやってはいけない」と言われたので、元スタッフ弁護士の同期の友人二人と共同でやることにしました。
法律扶助の申請を出しても、なかなか審査はおりませんでした。
刑事施設被収容者の場合、民事法律扶助の援助決定が出されたとしても法テラスの立替金(弁護士費用)の償還は契約時には猶予となり、最終的には免除となることが圧倒的に多いといえます(刑期が長ければ、事件終了時も償還できる資力がないということになりますので)。それはもはや所与の前提のはず(とまでは職員の方は言えないとは思いますが)。
ですが、この件では、家族に償還してもらうことはできないのか、などと依頼者本人に問合せが行っていたようなのです。

もしかすると審査委員の意向などもあったかもしれませんが、愛知では聞いたことがない話だったので、かなり驚いたのを覚えています。

犯罪に基づく不法行為の損害賠償請求などについては、要件上、民事法律扶助の援助決定が出せないことになっています。
そのため、刑事裁判で判決が出た後の損害賠償命令事件では、弁護人が民事法律扶助を利用して代理人に就任できない事態となっています。誠意ある弁護人は、多くの場合、手弁当での対応を強いられることとなります。

この規定の影響なんですかね?関係ないと思うんですがね?


とまあ、外部の人から見ると、随分ぶっちゃけてひどいこと書いてるな、などと思うかもしれません。
が、実際には、もっともっとひどい話や個人的に許し難いと思う話はいろいろあります。

ただ、書いてしまうとネタ元の人に迷惑がかかるかもしれないし、相当数の人が人物を特定できることになって個人攻撃がされてしまう恐れがあるようなことについては、書くつもりはありません。

法テラスの必要性とか、今後どうあるべきかということについては、ざっくりしたことは考えているけれども、具体的にこれが正しいと思うというところまではまだ行きついていません。

ただ、スタッフ弁護士、法律事務所については、縮小するのが正しい方向性だろうと思います。

今回はいったんこの話題は閉めるつもりです。
が、また何かの機会に、書くかも…






[PR]
by terarinterarin | 2015-07-06 14:02 | Comments(4)
「シェアしたくなる法律相談所」というサイトで2回に渡り、法テラス批判をしました。
このブログでも、ちろっとそれ的なことを書いたことがあります。

どうも、どれも結構話題になっていたようで、色んな人から「読んだよ~」と言われました。
元々法テラスで一緒にやっていた人からも、今現在も法テラスで働いている人からも、コメントをもらいました。

その中に、「何バカなこと言ってんだよ」「訂正しろ」みたいなものはありませんでした(一部事実関係の記載に誤りがあった点について指摘がありましたが)。
この業界では、まだ「言論の自由」というものが、かろうじて?保たれているのかと思い、ちょっとホッとしているところです。

この件で、とあるサイトの記者さんからも取材を受けて、その際に結構色々ぶっちゃけてお話ししてしまったので、本来であれば、その記事が出てからこちらに書こうかと思っていました。
が、「シェア法」の方は、字数制限もありますし、一般の方向けということもあって、まあ、ある意味奥歯に物が挟まった言い方しかできなかった部分がありました。
で、自分のブログで、本音のところ?というか深の部分を書かせてもらうことにしました。

法テラス東京に来てから、居心地の悪さを感じていたことは、シェア法の記事でもこのブログの以前の記事でも書いた通りです。
私が法テラス東京に来て程なくしてから、法テラスは「福祉との連携」というテーマをぶち上げ、各自治体の福祉事務所と連携して高齢者や障がい者が抱える問題に、ケースワーカーの皆さんと協議しながら解消していこうという動きが出始め、急速に動いていくようになりました。

今やこの動きは各地の法テラスで当たり前な動きになっているようで、公設事務所でもこのような試みをしているところがいくらかあるということは聞くに及んでいます。

個人的には、この動きには、はっきり言って反対でした。
なぜかというと、結局、法テラスのスタッフが行政にとって都合のよい「使い走り弁護士」みたいにされてしまうのがオチだし、依頼者を助けるために行政と対決することが必要な場面で、利益相反的な問題で身動きが取れなくなる危険性が出てくるだろうと思ったからです。

実際、私が法テラスにいる間、相談の電話は、当時事実上提携的な関係にあった福祉事務所から何件も持ち込まれていたものの、逆にこちらが「こういう案件で相談に乗ってほしいんだけど」と電話をしても、体よく断られたことが複数回ありました。

また、福祉関係の方から触法障がい者を受け入れているとある施設の内紛で、当時の代表が解任されてしまい、施設入居者さんの処遇が宙に浮いてしまっているのでどうにかならないかと相談を受けた際、法テラス東京の福祉に明るい他の弁護士に相談したところ、「内紛に巻き込まれるだけだから関わらないほうがいい」と言われて、それ以上話すら聞いてもらえず、放置されてしまったこともありました(今だから言いますが、その後も個人的に相談を継続しておりました)。
この一件で、私は法律事務所の方向性にさらに大きな疑問を抱くようになりました。

その後、法テラスをやめようと決心した一件がありました。

法テラス愛知でもそうでしたが、法テラス東京も、刑事施設収容者(まあ、管轄から言って東京拘置所にいる方がほとんどでしたが)からの法律相談の申し込みが数多くありました。

法テラス東京では、民事法律扶助課というところにそのような相談が持ち込まれると、法テラス東京法律事務所のスタッフ弁護士に「相談に行ってもらうことが可能か」と尋ねる回覧が回ってきます。それに〇か×をつけて、全ての人が×であれば「相談に行ってくれる人が見つかりませんでした」という返信を民事法律扶助課が返すという運用をしているということでした。
私が行った直前直後、法テラス東京法律事務所はスタッフの異動が多く、とある時期からは、私ともう一人の弁護士以外、〇をつける弁護士はほとんどいない状況となっていました。

あるとき、とある死刑確定者から法律相談の申し込みがありました。
内容については触れることができませんが、その内容は、非常に真摯で困っている様子がひしひしと伝わってくるものでした。
常に相談を受けていたもう一人の弁護士が、確か体調不良か何かで休んでいるときのことでした。
私以外のスタッフ弁護士のところには既に回覧が回っていた状態でした。
全員が×をつけていました。

刑事施設収容者の法律相談は、受刑者の場合であれば、社会復帰後のトラブルを未然に防いだり、あるいは社会復帰後にこうしてくださいというアドバイスをすることができる点で、有意義であることが少なくありません。
また、死刑確定者というのは刑の執行を確保するために身体拘束されているだけで、執行までは本来一般人に限りなく近い権利が保障されていなければなりません。
しかし、実際には、多くの権利が制約されており、不便な生活を強いられ、かつ心の平穏を保つことが難しい状況となっています。
やはり法律相談に応じることには大きな意味があります(この点は一般の方には、なかなかご理解いただけないでしょうが)。
しかも、手間がかかるうえに経済的には全くペイしない仕事です。
スタッフに回ってくればやるのが当然です。

なのに、全員が×をつけていたのです。

「高齢者や障がい者の権利擁護に努めます。そのために行政と連携します」というのは、とても耳触りのよい、素敵なお仕事です。

一方で、刑事施設収容者というのは、「悪いことをした人たち」。そういう人たちの利益になる仕事をしても、社会からの脚光は全く浴びません。むしろ「税金の無駄遣い」なんて非難されるかもしれません。
しかし、弁護士の立場から司法アクセスという点で考えた場合、行政に守ってもらっている高齢者や障がい者に比べて、遥かに手が届きにくいところにいる人たちです。

そして、法テラスというのは「司法アクセスが行き届かなかった人に対する司法サービスの提供」を標榜して設立された組織なのです。
その組織に属している「弁護士」が、行政とつながっていて司法アクセスが比較的容易な人たちの仕事は受けるのに、司法アクセスに遠い刑事施設収容者の仕事は、あっさり断る。
その価値判断に腹が立って腹が立ってどうしようもなくなりました。
「要はわかりやすく気の毒な人たちの仕事はするけど、気の毒であることがわかりにくい人たちの仕事はしたくないわけね」「褒めてもらいやすい仕事だけするわけだ」と、思いました(腹が立っていたので)。

しかも、後日聞いたところでは、私の知らないところで、とあるスタッフ弁護士が法テラス東京の所長副所長ら(地方事務所も含めた法テラス東京全体の運営のトップ。弁護士と司法書士で構成されます。)に「刑事施設入居者からの法律相談については負担が大きいから、公設事務所などに振ってほしい」などと申し入れて、所長副所長らからも「ここは福祉をするからそうしたほうがいいね」などと了承を得られたとのこと。

この話を聞いて、がっかりしました。

人権擁護って、そういうことじゃない。
たとえ、万人がそっぽを向いて糾弾する人でも、その人の権利を守るのが弁護士です。

こんなところで仕事できるか。
そう思いました。
私は、法テラスをやめる決心をしました。

実際、私が辞めた後に法テラス東京が刑事施設収容者の法律相談をどうしているのかはわかりません。
もし今も続けているのだとしたら、おそらく一部の人にその負担が重くのしかかっていることと思います。
刑事施設収容者の法律相談や、事件受任は、非常に負担が重い仕事です。
ごく少数のスタッフ弁護士に全て任されているのだとしたら、その人たちのケアや「いざという時の対応」の相談の体制がどうなっているのか、とても気がかりです(刑事施設収容者の法律相談や事件受任はトラブルも起こりがちなので、ある程度のノウハウが必要です)。

法テラスのスタッフの中には「スタッフはみんな頑張っている」と言い張る人がいますが、そんなことはありません。
不公平な仕事の配分で負担の大きい仕事を一気に引き受け、つぶれそうになるほど仕事をしている人がいるかと思えば、ろくに事件の受任もせず働かない弁護士も一定程度います。これも「シェア法」で書いた通りです。

聞いたところでは、最近は、手持ち事件の件数が赴任後一定期間を超えても一桁という人もそれなりの数いるようです。
私が愛知でスタッフをやっていたころには信じられない話です。
私なんて、手持ち件数40件で少ないと陰口をたたかれていたくらいです(そのうち刑事事件が9件あったり、裁判員裁判対象事件が複数あったりしたので、許してほしいとやや縮こまりながら内心思っていました。刑事事件は事務員に任せられる仕事が少なく、接見通いもあるので、一件当たりの負担は民事よりもかなり重いのです)。

そんな状況が許されているのは、要はスタッフが余っているからに他なりません。
1年間の養成期間が終わっても赴任先が決まらず、法テラス東京にしばらく留め置きということが私がスタッフをやっていた当時もありました。
また、最近は、法務省にスタッフを出向させたり、法テラスの本部で弁護士業務と離れた業務をスタッフにやらせていることもあります(しかも、ひとりやふたりの話ではない)。

法テラスとしては、こういう人事に一応それらしい理由をつけてはいるのでしょうが、例えば本部でスタッフにやらせている仕事の中には、以前はスタッフ以外の別な弁護士が非常勤という形でやっていたものもあります。
たくさんスタッフはいるけれど、弁護士としての配置ができないからの苦肉の策であることは言うまでもないでしょう。

そして、大分や札幌など、今まで反対派が多くてスタッフ弁護士の配置を断念していた地域に、突如法律事務所を開設するな方針を打ち出したりしているわけです。
札幌に関していえば、人口や弁護士会の人数、その多くが国選契約・扶助契約をしている現状から考えて、スタッフを置く必要性はまるでありません。
これは実は今から何年も前に法テラスに深く関与していたとある弁護士が話していたことです。
弁護士の数が増えている現在の状況では、益々設置する必要性はないと思われます。

やはり、法テラスは、大分や札幌に今更法テラスを置こうとするそれなりの理由をつけているのだと思います。しかし、本音は「スタッフあまりの解消」にあるのではないでしょうか。

新しく法律事務所を作るとなると、新たにお金もかかります。
余っているスタッフに対する給料だって、総額にすれば結構な額になります。
はっきり言って無駄なお金です。

本来、弁護士しか助力ができない人々を切り捨てるようなことを半ば容認し、その一方で必要のない人員を確保し、必要のない法律事務所を置こうとする。
法テラスは、いったい何がしたいんだろう。
どっちを向いているんだろう?

私が愛知でスタッフ弁護士をやっていたころ、1期上の先輩スタッフの一部の人たちはとても元気で、事件処理方法や本部の対応を巡って、頻繁にメーリングリストが炎上していました。
物の言い方や、言っていることの内容が「????」なことも少なくありませんでしたが、事件に真摯に向き合おうとする気概であったり、中にいるスタッフは権力者である本部に右ならえではいけないという姿勢であったり、まあ、ざっくりとした方向性としては「権利擁護の最後の砦」たる弁護士として正しかったのではないかと思います。
そして、本部もいろいろ問題があったとはいえ、そういう元気のいいスタッフのやり取りを容認している雰囲気がありました。

今、当然私はスタッフのメーリスは見ていないので、スタッフ同士のやり取りがどうなっているのかはわかりません。
しかし、今でも現場にいる人たちから聞く話の中に、「おう、そりゃいいじゃないか」と思える話は、最近一個もありません。
一生懸命頑張っている現役スタッフにたまに会っても、出てくる話は、愚痴ばかりです。

法テラスって何のために作られたの?
スタッフ弁護士って、本来何をするために設けられた役割なの?

今でも中にいて仕事をしている人に自問自答してほしいと願ってやみません。




[PR]
by terarinterarin | 2015-07-05 18:49 | Comments(4)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin