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御用納めです。
私の御用も納まったはずです(とりあえず裁判所からの連絡はもう来ないだろう、しばらく)。
先日、今年最後になりそうな投稿です、とか書きましたけど、もうひとつ投稿することにしてみました。

ありがたいことに?12月は、様々な意味において大忙しでした。
日曜日に(アマゾンで買った荷物を引き取るために待機を強いられて)自宅で起案、その日のうちに裁判所に送付せねばならないということがありました。
そして、ちょいと事情があって(仕事もかねて)クリスマスイブの夕方には、札幌に帰省しました。
イブの午前は、東京家裁にいて、手続終了後に、別な裁判所から連絡が入り、書面を1つ郵送しなければならなくなりました。できる限り早く。
そして、帰省してからは、12月に申し立てた調停や申立書の期日がどんどん指定され、受書を送る羽目になりました。

ここで威力を発揮したものが3つありました。
カムスキャナー。
ネットプリント。
インターネットFAX。
もちろん、スマートフォンないしPCが手元にあることが前提条件となります。

カムスキャナー。
知らない人のために若干解説しますと、スマホアプリの1つで、これで文書を写真撮影するとPDFファイルに変換して連携したクラウドサービスに保存したり、メールでそのまま送ったりできる機能を持っています。

そして、ネットプリント。これは同業であれば知っている人が多いと思うのですが、各コンビニエンスストアの複合機で、事前にネット上で登録した書類をプリントアウトできるサービス。1枚20円で、セブンイレブン系とその他のコンビニ系(ローソン、ファミマ、サークルK、サンクス)のサービスに分かれています。
例えば、刑事弁護の世界では、逮捕直後の初回接見の後に勾留却下するよう意見書を作成し急ぎ提出する際によく使われています。

インターネットFAXも既によく知られたサービス。
メールアドレスに送信先の電話番号を組み込んだアドレスを入力し、送付したい書面を添付ファイルにして普通にメール送信すれば、FAXが送れるものです。定額制で決められた枚数を送れます(テラバヤシが利用しているのは送受信1500枚までで月1500円+消費税)。

自宅にはプリンターがありません。
自宅待機しつつ書面作成、郵送しなければならなかった日曜日。作成した書面は、ネットプリントを利用して、徒歩2分のコンビニで受け取り、職印を押した後、カムスキャナーでデータに取り込んでクラウドに保存。その後封筒に入れて徒歩1分のポストに投函してミッションを無事に完了しました。

イブの日は、地裁の弁護士待合でおにぎり食べつつ、書面作成。裁判所地下のファミマのネットプリントでプリントアウトした後、同じく裁判所地下の郵便局でレターパック360を購入。そのまま中身をつめて郵送完了しました。

そして、帰省後の期日受書攻撃。裁判所名や当事者名を手書きで書ける期日受書ひな型を作成して、それを必要な分、実家近くのローソンでプリントアウト。自宅で空欄を埋めて職印を押しまくって、カムスキャナーを利用してデータを取り込み、インターネットファックスですべてFAX送信。
後回しにすると出すのを忘れがちな期日受書の送信を完了することに成功したのでした。

個人的に、必要な連絡をできる限り迅速に行うことは、対依頼者との関係だけでなく対裁判所との関係でも信頼を得るために必要なことだと考えています。たかが期日受書かもしれませんが、可能な限り早く送りたかったので、テクを多用しました(書記官の皆さん、たまに連絡が遅くなるのはお許しください→予防線)。

複合機完備の事務所で仕事をするのと比べて、結構ドタバタするのは否めません。
が、この3つ+パソコンないしスマホがあれば、出先で最低限の事務処理は何とか出来てしまう。
何とも恐ろしい世の中です。
その昔、ポケベルや携帯電話ができたとき、世の営業職のおじ様たちは、ちょっとした隙間に喫茶店やパチンコ屋でさぼれなくなったと嘆いておりました。
そう、こういうものをそろえてしまうと、帰省しても仕事ができてしまうので、やってしまうことになるわけです(ただ、ある程度やりきることができれば、その後ほっとしてお休みできるというメリットもあります。私のような小心者は、細かい仕事でも完了できずに休んでしまうと、気になって却って休めなくなってしまうので)。

こんなことができてしまうと、ほぼ完璧に「ノマド弁護士」が可能になってしまいます。
が、ネットプリントでプリントアウトする書面は往々にして事件に関するものが多くなることは間違いないので、書面の取り忘れにはもちろん注意しなければなりませんし、プリントアウト中、プリントしたものを取り出してしまう場合には、他の客に書面を見られないようあたりにかなり気を配らねばならないこともまた事実です。
急を要するときに利用は限るべきで、多用がまずいことは間違いないでしょう。

なお、個人的には最近はセブンイレブン系よりはそれ以外系のネットプリントのほうが便利だと思っています。
なぜなら、プリントアウトしたいページを指定できるからです。
ただ、セキュリティという点では、書面ごとに番号が変わるセブンイレブンの方が優れていると思います。

さらに、カムスキャナーでPDF化した書面は、普通のPDF書面よりもデータが重いので、カムスキャナーでデータ化した書面を添付ファイルで送ったりするときには、枚数が多いと、送信先の環境によっては受信できないことも少なくありません。
インターネットFAXも同じで、送る書面のデータ量があまりに多いときは、送るのにものすごく時間がかかったり、場合によっては遅れないこともあります。

要は、3種の神器とはいえ、いずれも「ちょこっと使い」「緊急使い」用のアイテムということを忘れてはならんということです。

とはいえ、事務員を置かないお一人様事務所、かつ出歩くことの多いノマド弁護士にとっては、これらのアイテムを使いこなすことで、仕事の効率が上がること、事務処理のための無駄な移動、無駄な時間を節約できることは間違いありません。

事務員がいない分は、アイテムと工夫で切り抜ける。
来年もおひとり様で切り抜ける予定のテラバヤシとしては、様々なアイテムを活用して、事務員がいないハンデ?を埋めていこうと思います。

ではでは。皆さま、よいお年を。






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by terarinterarin | 2015-12-28 23:34 | Comments(0)
冬至です。カボチャも食べず、ゆず風呂にも入らず、おそらく年内最後になりそうな投稿です。

ようやっと、12月16日の最高裁夫婦同姓合憲判決を読みました。
まあ、いろいろ突っ込みどころはあれど、論理的に詰めた批評は、大雑把なおつむしかない私なんぞに似つかわしくないので、判決を読んでのざっくりとした感想と、それを踏まえたうえで、ふと思ったことをちょっと書いてみようかな、と思います。

テラバヤシが、今回の最高裁判決でまず一番「はあ?」と思ったのは、「氏の変更を強制されない自由」の位置づけです。
この判決、氏の変更が「アイデンティティの喪失感」を招くことを認めているにもかかわらず、「氏の変更を強制されない自由」を憲法上の人格権と評価せず、それよりもランクが低い「人格的利益」と位置付けてしまっている。

いやいや、「アイデンティティ」の確立って、まさに「個人の尊厳」の核なんじゃないんですかね…憲法13条で保護すべき自由の根幹がこれなんじゃないんですかね…と判決読みながら、ここでまず突っ込みを入れてしまったという…

で、この一段低い「人格的利益」という評価を前提に、安易に立法裁量論に話が流れていき、まさに水が流れるように、夫婦同姓は立法裁量の範囲内という結論が導かれているわけで。

さらに、寺田補足意見は、まさにこの多数意見に追い打ちをかける「補足」をしていて、極めてザックリまとめれば、「選択肢がないことの不合理は、よほどのことがない限り民主主義的プロセス(つまり多数決の論理)で何とかするしかないわけね。裁判所はいかんともしがたいの」という、「少数者の利益保護」という人権保護の基本、人権の砦たる裁判所の役割を放棄するかのようなことを言ってのけちゃっているわけです。

つまるところ、この多数意見&寺田補足意見は、「法律婚をする以上、個人の利益やアイデンティティは捨てて、『家族制度』に組み込まれることを覚悟してね。制度としてみんな名字は一緒ってことになってるから、夫婦でよく話して、どっちの名字を名乗ることにするか決めてね。でね、結果として夫の名字を名乗る家族が多くなっちゃっても、裁判所は知ったこっちゃないの」ということを言うがために、長々と論旨を述べまくっているわけです。

しかし、この結論、逆説的に読むと、「家族制度に組み込まれるのが嫌で、個を大切にしたい人は法律婚をしなきゃいいだけなのよ」というメッセージも暗に含まれているのではないか、とそんな風に感じなくもない。
いや、そういう風に読む人、感じる人、少なくないと思う。

地方あたりではまだまだかもしれませんが、都市部では、もうかなり前から、「個」を大切にする生き方は浸透してきているように思うのです。これは、結婚するとか、誰かとパートナー関係を築くとかと関係ない。複数の人間で1つ屋根の下で暮らしていくことを選択することと自分の「個」を大切にするということは別に矛盾することではありません。
誰と、どういう関係を結んで、どういう生活を送りたいかということを一人一人が自由に考えて、それをかなえることができる相手と一緒に暮らしていく。これはまさに「個」を大切にすることであり、「アイデンティティ」を確立するプロセスの1つになるものでもある。

誰かと「家族」になりたいけど、でも、なにもかもひとくくりにされてしまうのはいや、という考えはごくごく自然であり、別にわがままでも何でもない。そういう感覚は間違いなく浸透しています。
そうすると、誰かと家族にはなるけれど、じゃあ、「家族制度」に乗っかるのか、乗っからないのかという選択が、この先、ごく普通に行われていくことになるのではないかと。
つまり、とりあえず異性婚を前提とする場合、法律婚は内縁と等置される選択肢の1つにしかならなくなり、法律婚のメリットや自分のアイデンティティを天秤にかけて、どちらを選択するか、カップルごとに判断する風潮がどんどん広まっていくと、そんな風に思うのです。

そもそも、法律婚じゃないと受けられないメリット、法律婚じゃないとできないことって、どんなものがあるんでしょう?
確かに所得税の配偶者控除は、法律婚をしていないと受けられない。
でも、健康保険は、内縁の妻、夫でも「未届の妻、夫」と書いとけば3号被扶養者として適用あり。
子の親権は共同親権にならず、父あるいは母のみが親権を持つことになるけれど、同居している以上それで何か具体的に困るということはないし、内縁関係解消するときに必要があれば親権者変更の手続をとることでクリアできる。
相続の問題も、遺言さえ残しておけばカバーできる。
最近は企業の家族手当も内縁関係を対象に支給されるケースも多いですし…
細かいところではおそらくまだまだ何かあると思うけど、世間が内縁というものに寛容になってきているこのご時世、自分のアイデンティを捨ててまで、法律婚したほうがいいと思わせるまでの制度上のメリットなんて、ないんじゃなかろうか。
つまりそれだけ、明治以降に構築された「家族制度」なんてものは、別に制度として絶対的に保護すべき何かなんて持たない空虚なものでしかない。単に同じ名字を名乗らせて、世帯の識別をしやすくして、おかみが民を管理しやすくしようとした、それだけのものでしかないんですよ。

そういうことを考えると、今回の判決は、「ああああ、やっちまったよなあ」とテラバヤシは思う。
「部屋とYシャツと私」を地で行くような古式ゆかしい男子女子を念頭に置いちゃって、中身がない「社会の構成要素である家族の呼称としての意義」なんてものを重視しちゃって、だからこそ「夫婦同姓」は間違っていないなんて言ってのけてしまったんだから。

そんなものに疑問を持っている人は、このご時世、たくさんいる。
国民はそんなにアホじゃあありませんぜ。
もっと冷静に判断している。
一部の自治体では、同性パートナーシップを夫婦同様に保護しようという動きも出てきているこの世の中。
あろうことか、最高裁が、「家族」「夫婦」の考え方を変えられなかったということになりましょうか。









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by terarinterarin | 2015-12-22 22:19 | Comments(3)
今年は、身の回りで、とりわけ悲しい訃報がいくつかあった年でした(今年の終わりまで、もうそういう訃報には接したくないなあと思う次第です)。
そのうち、最後に接した訃報は、本当にびっくりで、本当に口惜しいものでした。

テラバヤシが弁護士になった当初、法テラス愛知赴任前にいた事務所、その隣のビルに法律事務所を開いていたとある先生が、8月末に亡くなられたのでした。
50代前半の男性の先生でした。
明るく楽しく、決して偉ぶらない、後年は被災地の復興に熱心に取り組んでいらした先生でした。
テラバヤシのFBのくだらない投稿を面白がって、さらに面白いコメントをつけてくださるような、そんな先生でした。
もともと慢性的な疾患をお持ちでした。名古屋から東京に戻り、久しぶりにお会いした際には、かなりお痩せになっていましたが、その後もパワフルに活動されていたので、それほど健康面での問題はないのだと思っておりました。
お亡くなりになったのは、突然のことでした。

先生の事務所は、二人の事務員さんと運営していました。イソ弁やノキ弁、共同経営者はいませんでした。
亡くなった後、継続中の事件の処理、事務所閉鎖のための対応で、当然てんやわんやすることとなりました。
東京弁護士会には、いくつかの派閥があり(どこでも大抵そうなんでしょうが)、私はその先生と同じ派閥に所属していました。
その派閥のメーリングリストから、事件の引き受け手や事務所閉鎖の後始末などは、先生とゆかりが深かった別の弁護士らが有志となって対応していたことを、なんとなく知っておりました。

先日、愛知赴任前に所属していた事務所のボスの呼びかけで、近隣の事務所所属の弁護士や事務員さん(元近隣の事務所所属の皆さんも含む)を集めて、亡くなった先生を偲ぶ会が営まれました。テラバヤシも呼んでもらいました。
亡くなられた先生の事務所で働いていた事務員さんも、もちろんいらっしゃっていました。
その時に初めて、先生が亡くなられたときの状況や、その後テラバヤシの前事務所が、事務所閉鎖のための諸手続のためにかなり尽力していたことを知りました(口の悪い酔っぱらいのボスですが、そういう面倒見の良さは相変わらずだなあと変に感心してしまいました)。
事務処理はあともう少し残っているそうで、事務員の方々は、今でもテラバヤシの前事務所の一角で、その作業を行っているとのことです。

事務所の前のココ一番屋で週14回食事をして、遂には店で腸閉そくを起こした、などの武勇伝?もあり、笑いが絶えない偲ぶ会でした。
が、テラバヤシがつきつけられた現実がありました。
それは、テラバヤシがある日突然死んだりしたら、きっと、この先生の時よりも、もっともっともっともっと、大変なことになるであろう、ということです。
なんせ、正真正銘ひとりでやっている、「ぼっち事務所」。
他の弁護士と一緒にやっている事件以外、事件の内容や進行状況をテラバヤシ以外に把握してくれている人は誰もいません。
「事務所に来ないぞ」「裁判所に行ってないぞ」と、早々と異変に気が付いて気を効かせて生存確認等をしてくれる人も、いないわけで。
そうすると、依頼者にかける迷惑は、それこそ「ハンパない」ことになります。
自宅や事務所で孤独死したりしたら…と思うと、「こりゃ、ちょっと対策せなあかんな…」という気になりました。

実際、偲ぶ会の席では、参加された先生方の何人かが、そんなテラバヤシの状況を非常に心配して、「この際、ノキ弁でも置いたらどうだ」「事務員さん一人くらい雇った方がいいんじゃないか」などとアドバイスをくださいました。
がしかし、まだまだ事務員さんを雇って、きちんと給料が払えるだけの自信がないこのワタシ…「やっぱり収益上がんないから解雇~」なんてできるわけないですから。ノキ弁というシステムそのものも、ちょっとどうなのかと思ってますし、正直。

で、そうすると、おひとり様事務所を当面運営するという前提で、万が一の時に、極力依頼者も含めて仕事関係者にかける迷惑を縮小するための「備え」を施しておかなくてはいけない、となるわけであります。

例えば、倒れた時のために身分証なんかと一緒に「私が倒れたり死んだりしたときには、すぐにここに連絡してください」というメモ書きを一緒に持ち歩いておく。
故郷にいる家族には、テラバヤシ死亡、倒れるなどの一報が入った時には、葬式の手配なんぞ後回しでいいので、とりあえずここに連絡しろという同業者の連絡先を預けておく(その前に、「こうなったら、そちらの事務所に連絡してもらうことにするから」というネゴをしておく)。
そして、業務引継のための覚書みたいなものをきちんと事務所のわかりやすいところに置いておく。

事務的な段取りは、おそらくこれくらいで何とかなると思うのですが(そうかな?)、こんなことよりも先に、最も欠かせないことがあると思われます。
それは、日ごろから、きちんと同業者とつながりを持っておくということです(注:いやいや、事務処理押し付けるために皆さんにいい顔しとくって意味ではないですよ!!)。
この度亡くなった先生の件、有志の先生方が、それこそ手弁当で、事件を引き受け、後処理を引き受け、円滑に事務所を閉鎖できるように運んで行ったのは、何よりこの先生が、最初に書いたように、様々な弁護士と関わり、様々な活動に尽力し、弁護士同士の繋がりを大切にしていたから、です。
こういう繋がりがなければ、おそらく先生が残していった遺産は、深刻なカオスとなり、わずか4か月程度で収束が見える、なんてことにはなりえなかったと思うのです。

6月には、テラバヤシが法テラス愛知にいた時代にお世話になっていた副所長の先生がお亡くなりになられました。
その先生が亡くなられたときも、人との関わり、弁護士同士の関わりってつくづく大切だなあと思いました。
今回も、この時とは違う意味合いではありますが(注:この件もブログで触れておりますので、ご興味ある方は、6月頃のブログをほじくり返してご覧になってください)、やっぱり、この仕事、人とのつながりは欠かせないと痛感したのであります。

で、「同業者ときちんとつながっておく」というのは、複数の弁護士で事務所をやっているケースよりも、おひとり様で事務所をやっているテラバヤシのような弁護士の方が、遥かに意識しなければならないことです。
テラバヤシも最近特にそうなのですが、おひとり様事務所は事務所の切り盛りをすべて一人でしなければならないので、知らず知らずのうちに気持ちが「事件をどう回すか」「仕事をどう切り盛りしていくか」ということに集中しやすくなるのです。内向きになってしまうわけです。
で、飲み会キャンセル、委員会に出なくなる(さぼっている委員会の皆様方、本当にごめんなさい。あ、ブログ書いてる暇あったら委員会に出ろとか突っ込まないでください…)などなどが頻発し、人とのつながりが薄れていくという。

人とのつながりって、単に仕事をもらうためだけに必要なわけではないのです。
自分の万が一の時のために、自分のところに来てくれた依頼者に迷惑をなるべくかけないようにするためにも、必要なのです。
そこのところが盲点だったなと気が付いた偲ぶ会でした。

Y先生、教えてくれてありがとう。安らかにお眠りください。

追伸
後日、テラバヤシの後始末事務所という不名誉な指名を受けてしまった先生方、怒らないで相談に乗ってください、お願いします…





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by terarinterarin | 2015-12-10 18:44 | Comments(0)
師走最初の土曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
テラバヤシは、お昼の仕事が1つキャンセルになり、ブログでも更新するかと思い立ったところです。

ともえ法律事務所というかテラバヤシは、弁護士になって以来、一貫して主に個人の依頼者の事件を受けてまいりました。
そんな中で、最近特に思うのが、解決するとは、これ如何にということです。

企業が依頼者のケースや個人に依頼者でも過払い請求が依頼内容だったりする場合、お金の支払いを受ける、建物の引渡しを受けるということが、そのまま解決につながることが多かろうと思います。
しかし、個人対個人の場合は、必ずしもそうならないことの方が多い。
請求したお金を返してもらっても、訴訟で相手に完勝しても、その後に忸怩たる思いが残ることが多い。
そういう場合、紛争の処理自体はそれで終了なんだけれど、果たしてその人にとって事件が解決したと言えるのかというと、決してそうではないと言わざるをえないわけで。

つまるところ、解決というのは、その人自身が「解決した」と思える状態に至ることなんだろうな、と現時点でのテラバヤシの結論はここにあります。

ただ、「解決したと思えること」というのも分解してみると種々様々あるわけで。
例えば、「思い通りのお金をゲットできたので大満足」という場合、「自分の思い通りには必ずしもならなかったけれど、代わりにお金をもらえたからまあいいか」という場合、「結局負けてしまったけれど、やれるだけやったからもういいや」という場合。どれも、その人にとっては、「解決した」ことになるのだろう、と思います。

あるとき、職場のパワハラでお悩みの方の相談を受けた際、その人は、こういう問題がある場合には、必ず法的手段をとらなければならないんだと思い込んでいたということがありました。
どうしてそう思い込んだのかはわかりませんでしたが、お話をしていて、気持ちを切り替えることで解決を図りたいと思っているのかなとなんとなく感じて、「法的な手段というのは、あなたがそれを採りたいという場合に使えますよというだけの話であって、例えば、違う観点から物事を捉えたら全然気にならなくなった、相手をかわせるようになった、というのであれば、別に無理に法的な手段に出ることはないと思いますよ」ということを思い切って伝えたことがありました。
そうしたら、その方は、すごくスッキリした顔をして帰って行かれました。
その後どうなったのかはわかりませんが。

解決するということが、こういう極めて主観的な問題であるとすれば、テラバヤシのように個人の依頼者の事件を中心に据えて業務を行っている弁護士というのは、相談にみえた方が、本当はこの件に関してどういう形になることを望んでいるのかということを、的確に汲み取ることが必要になるのだろうなと思います。
相談にいらっしゃる方の中には、時として、自分がどうしたいのか迷宮にはまり込んでしまってわからなくなっているケースもあります。
そういう場合には、まずは自分がどうしたいのか考えてください、とはっきり伝えることが必要でしょうし、見当が多少でもつく場合には、その答え探しを一緒にすることも時として必要でしょうし。

こういう問題だったら、これこれこういう請求ができますよ、相手にお金がないからやめた方がいいねえ、くらいのことを言うだけでは、おそらく真の法律相談とはいえないんだろうなと。

以前別な弁護士に相談したんだけど、ちゃんと話を聞いてもらえなかったという話も、実は割りによく聞くのですが、案外、こういう相談者が心の芯で望んでいるところに弁護士の言葉が届いていないことがこういう不満を生んでいるのかなと、なんとなく考えます。

もちろん弁護士は法律家ですので、どんな要望を出されようと、法的にできるかできないかを判断しなくてはなりません。ですから、その人の要望に対して代替手段としての法的措置を提案せざるをえない場合も結構あります。
そういうときに、その代替手段をとることで納得を得られるように気持ちを持っていくようにするのも、ひとつ、依頼者に満足してもらうための技術なんだろうなあ。。。
そして、依頼者にとって真の解決を導くための引き出しが多ければ多いほど、いいんだろうなあ。。。

うーん、こう考えると、なんだかどんどん落ち込んで夜も眠れなくなりそうなので、この辺で終わることにします。
さて、夕方からの仕事に向かいましょうか。
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by terarinterarin | 2015-12-05 15:14 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin