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巷では、イギリスのEU離脱を忘れるくらいの?衝撃だったっぽい高知東生の逮捕劇。
世間の興味はどうやら、高知東生と高島礼子の離婚がどうなるか、に移っていっているようです。

今朝方、ヤフーニュースを見ていたら、テレビで有名なK村弁護士が離婚条件として「慰謝料は1000万円を超えるかも」「財産分与も2分の1以上になるかも(ここはもう少し表現があいまい)」「さらにCMを切られたりしたら財産的損害も」みたいなことをコメントしている記事を読みました。

高島礼子という女優さんの知名度や売れっ子具合を考えると、あり得なくない考え方…とは思いますし、決して間違っているわけではないと思います。
が、私なら怖くてここまでは言えないなあというのが正直なところです。

離婚の原理原則でいうと、財産分与が均等割りにならないことっていうのは、よほどの事情がない限りありえないでしょう。なにしろ、現在では、外に働きに出ない専業主婦も立派に均等割りを主張できる世の中なわけです。
高知東生が、たとえ高島礼子のひも人生を長いこと送っていたんだとしても、高島礼子が稼いだ金でヤクを買っていたんだとしても、「ちゃんと財産分与をしましょう」ということになり、高知東生が自身の権利を主張するのであれば、やはりよほどのことがない限り均等割り、ということになるはずです。

慰謝料だって、離婚にしろそうでないにしろ1000万円に行くのは極めてまれなケースです。
婚姻期間や子の有無、年齢、不貞の期間の長さ等々慰謝料の金額を決めるには様々なファクターがありますが、一般人を基準にしてみる限り、離婚慰謝料に関していえば、300万円を超えると「お、結構いったね!!」と思ってしまいます(注:それはテラバヤシがやっている事件単価からくる感覚かもしれませんが)。

個人的には、財産的損害の話がわりにしっくりきたのですが、それでもこういう芸能の世界の出来事、因果関係がはっきり認定できるような契約の切り方を各社さんしたりするものなのかなあとも思います。また、高島礼子の方から進んで降板を申し出たりした場合には、請求しにくくもなるだろうなと思います。

そんなわけで、もし私が、同じ取材を受けることがあったとすれば、ごくごく一般的なこと原則的なことをお話したうえで、「ただ、高島礼子さんという売れっ子の女優さんが奥様ですので、慰謝料の金額を算定する場合には、その点が考慮さえるかもしれません」くらいなことを言って終わりにするかなと思います。

私も経験がありますが、こういう芸能ネタをもとに法律的な話をしてほしいとWEBサイトから頼まれるケースでは、センセーショナルなことを書いて盛り上げてほしいという期待もありつつ、一方で、これを材料にして、法律の基本的なお話をしてほしいという思惑もあるからです。

以前ヤフトピに掲載されたテラバヤシの「副住職 AV女優 離婚」ネタでは、テラバヤシは、ごくごく基本的なことしか書きませんでしたが、ものすごく盛り上がって2日くらいに渡りトップを張っていたくらいですので。

K村先生はテレビにもお出になっていますし、見た目よりは?サービス精神が旺盛な方なんだろうなという気がします。ですので、思い切って、基本よりも「ギリギリな」線で書いたのかなあなどと考えたりしています。

さて、慰謝料うん百万とか財産分与2分の1などという話は、いわば「権利」であって、当然行使するかしないかは、当事者本人が決めていい問題です。
で、今回の件では高知さんは、離婚原因を作ったばりばりの「有責配偶者」になるので、自分から「離婚してくれ」とは強く言えないですし、お金の請求も当然受けて対応する法の立場。

つまり、離婚に関する主導権は、今さら言うまでもありませんが、高島さんが握っているわけです。

まあ、絶対にありえない話ですが、仮に私であれば、高島さんに対して離婚するなら慰謝料も何ももらわず、財産分与なしで早いところ離婚したらどうだと勧めたりするかもしれないなあなどと思います。

お金を請求して長引いたりするよりも、潔くスパッと汚点(=高知さん)を切ることによって、女優としての活動のダメージを極力少なくする方がトータルな意味で得かもしれないとも思うからです。

なんでもそうですが、特に離婚の場合、トータルな意味で何が得か損かというのは、当事者が置かれている状況によって種々様々、ケースバイケースです。
その時もらえるお金が少ないとしても、離婚に関する紛争が長引くことでどういう影響が出てくるかということは、こういう芸能人じゃなくても感情抜きで考えて計算してもらえるといいな、と思います。

もちろん、当事者の方はそんなこと言っていられるような精神状態じゃない…ということが多いと思いますが。

そういうことをWEB上の記事で書く機会があればいいのですが、なかなかないので、今回ブログで書いてみました。

おわり。


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by terarinterarin | 2016-06-28 23:29 | Comments(1)
最近、テレビを見ていて、「プライバシー」ってなんだろうな、と考えさせられることがありました。

ひとつは、市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんの乳がんに関するニュースです。
これ、確かスポーツ紙がすっぱ抜いて、それでマスコミが海老蔵さんの自宅に押しかけ、海老蔵さんが記者会見をする羽目になりました。

どんな病気にかかっているかということは、極めて個人的なことです。
その病気のことを公開するかどうするかは、その病気の人が自分自身で考え、判断すべきこと。
最近では、自身が重い病気にかかっていること、かかっていたことを公表する人も少なくありませんが、たとえ有名人、芸能人だからと言って、それを公表する義務は全くありません。

今回のスポーツ紙の狙いは、ひょっとしてひょっとすると最近増えている乳がんについて、「こんな若い人でもなるんだよ。だからちゃんと検診に行こうね」というメッセージを送ることにあったのかもしれません。

しかし、それにしてはやり方がひどすぎます。
先ほども書いたように極めてプライベートな「病気」ということがらについて、恐らくはあえて公表していなかったにもかかわらず、本人に対して事前に何の告知もなく、「すっぱ抜き」の形で一面トップで報じるとは。

これに加え、テレビ局の振る舞いもまたひどいものでした。
重い病気の人が静かに暮らしている(当時はご自宅で静養されていたようですので)自宅に大挙して押しかけ、麻央さんだけでなく、幼い子らの生活の平穏さえ脅かしているのです。

もうひとつは、舛添元東京都知事の「せこい」政治資金使途問題です。
一緒に正月に温泉で会議したという故人のxさんについては、結局実名が明かされることはありませんでした。
テレビ局は、その方の経歴については放送しています。
ご遺族のインタビューはないけれど、周辺の人物に対する取材も行って、放送しています。

つまり、テレビ局側、報道する側は「Xさんがだれなのか」ということを知っています。
しかし、それが本当は誰なのか、氏素性を明らかにするテレビ局はありませんでした。

舛添さんが「その人のプライバシーの問題があるので名前は言えない」と言ったからなんでしょうか。
それとも他の圧力があったからなのでしょうか。
ご遺族の方が、名前を出すことをやめてくれと申し出たのでしょうか。

いずれにせよ、何らかの配慮や意向を聞いた結果などに基づいて、名前を公開しないと報道各局が判断したことに間違いはありません。
麻央さんの乳がんのケースでは、こんな配慮は、恐らく一切ありませんでした。

確かに、テレビ局その他のマスコミには、「報道の自由」「表現の自由」、これに基づく「取材の自由」というものがあります。
しかし、これはそもそも、権力を監視するために、政治や国家権力に関する正確な情報を国民が共有できるようにするために認められる自由です。
対国家権力に対する自由なのです。

だからこそ、あまたある人権のなかで最重要のものとして他に優越する地位が与えられているのです。

しかし、マスコミがこの自由を最大限に活用するのは、有名人・芸能人、つまり一般人のプライバシーを暴露するゴシップネタの時ばかりです。
「報道の自由」「表現の自由」を振りかざして、個人が平穏に生活する自由を踏みにじる。
踏みにじられる方は、マスコミを敵に回すと、その後の芸能人生にかかわってしまうので、多くの場合、表立って批判することができません。

それをいいことにやりたい放題です。
つまりは、マスコミは、いいネタのある芸能人や有名人を探しては「弱い者いじめ」をしているといっても過言ではありません。

そして、本来「報道の自由」を目いっぱい振りかざしていいはずの政治の場面においては、様々な配慮の元、問題の核心に迫ることを放棄しています。
その理屈のひとつとして、「プライバシー」が用いられたりするわけです。

舛添元都知事問題も、辞職してしまったら、途端に次の都知事は誰か?ということばかりを各局とも報道しています。
舛添知事の疑惑は何も解明されていません。
そこに突っ込んでいこうという気概が全く見られません。

はっきり言って、誰が立候補するかなんて、立候補すりゃわかります。
今大切なのは、そっちの情報ではありません。

自分たちに逆らえない芸能人をいじめて、たてつくと何するかわからない権力や政治家には下手な手出しはしない。
これって、アメリカにこびて国民からどんどん搾取する時の政権と同じではありませんか。

報道各局の皆様には、プライバシーとは何か、報道の自由とは何か、両者の関係はどうあるべきかを正しく学びなおしていただきたいものです。

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by terarinterarin | 2016-06-16 21:30 | Comments(1)
皆さんは、今土曜夜にNHKで放送されている「トットテレビ」をご覧になっているでしょうか。
黒柳徹子さん(以下「トットちゃん」といいます。)が体験してきたテレビ創成期から昭和のテレビの時代を、ユーモラスに描く連続ドラマです。

トットちゃんが大活躍していた時代(ある意味彼女は今でも大活躍していますが)を語るに欠かせない大俳優の一人に、森繁久彌がいます。
今の20代の方などは「誰それ」状態かもしれませんが、映画にテレビに舞台に、それはそれは大活躍した往年の大大大俳優です。

森繁久彌は、「エッチなおじさん」で有名な人でした。
通りがかりに女性の胸やお尻にソフトタッチするのは、あいさつ代わり。
「今度、一回どう?」と女性と見るや声をかけて回る(もちろんある程度選んでいたと思いますが)。

現在であれば、「セクハラ行為」として糾弾され、いくら大俳優であったとしても芸能界から抹殺されかねない言動です。

しかし、森繁さんのソフトタッチや夜のお誘いは、女優さん方から「もう、ホントに仕方ないわねえ」と笑ってスルーされ、「愛すべき、ショーもない性癖」と扱われていたのです。
それが証拠に、トットテレビの中でも、こういうシーンはところどころに映し出され、向田邦子の直木賞受賞の祝賀会で「僕が出会ったころ、向田さんは処女だったと思うんですが」で始まった森繁さんの挨拶まで、再現されていたのです。

NHKとしては、昨今の状況から考えて、こういう森繁久彌の性癖をドラマの進行上、どう扱うべきなのかということは当然議論したことでしょう(まさかスルーしたってことはないですよね)。この程度なら問題ないという結論だったのか、「森繁久彌がこういう人だったんだからこれはこのまま流すべき」という結論だったのか、わかりませんが、ある程度の苦情が局に持ち込まれることも念頭においての放送ではないか、と思われます。

森繁久彌のこういう行為が芸能界史上問題視されたことはないのか、何かトラブルになったことはないのかがちょっと気になったので、昨日インターネットで調べてみました。
少なくとも私が調べたところでは、特に見当たりませんでした。

もちろん、だからといって、完全に苦情や問題がなかったなどと断言できるわけではありません。
森繁久彌が亡くなって久しいことを考えると、スキャンダルが風化したことも考えられます。
ものすごい大俳優だったので、事務所が必至でもみ消していたことも予想されます。

がしかし、それ相応のスキャンダルなどがあったのであれば、没後、「実は森繁には!!!」みたいな報道が出てくることは十分あり得ることで、それがないということは、とにかく大きく問題にされるようなことはなかったのだろうと推測されるのであります。

昭和の時代だからと言って、ありとあらゆる男の人が、女性の胸やお尻をソフトタッチ、「今度一回どう?」が許されていたかというと決してそういうわけではなく、「セクハラ」という言葉がなかったとしても、痴漢呼ばわりされたり、慰謝料請求の対象にはなりえたはずです。

そう。
同じ言葉を言ったり同じことをしたりしても許されたり許されなかったりするというのが「セクハラ」問題の難しいところです。
もう少し詳しく言うと、「セクハラ」というのは、している方に「ハラスメントの認識」がないのがほとんどであり、さらに、言われた方の感じ方によってセクハラになることもあればならないこともある、そういう極めて相対的な問題なのです。

森繁さんのケースを見てみると、している方に当然セクハラの認識はなく、そして、ほとんどの女性もセクハラと感じなかったということになるわけです。

これは、なぜなんだろうか?
相対性の強い問題であるのに、不思議です。
トットテレビのおさわりシーン1つから、テラバヤシは週末をかけて延々と考え続けました。

つまるところ、女性をリスペクトする気持ちが表れているかということなのかな、と考えました。
具体的に言うと、ひとつひとつの性的な言動に本気さや裏があるかないか、ということでしょうか。とても当たり前な結論ですが。

森繁久彌は、エッチな言動をするおじさんではありましたが、ソデにする女性に対して何か報復的なことをしたかというとそうではなかったのでしょう。
例えば、「今度一回どう?」に応じなかったからと言って、相手の女優を変えさせたり、変えるぞと脅したり、そんなことをする人ではなかった。
向田邦子の才能を見抜いて、「一回どう?」に応じたことのない彼女を、自身のラジオドラマ「重役読本」の脚本家に抜擢しました。
「アドリブを入れないでくれ」という格下の向田邦子の求めを受け入れ、直木賞のスピーチを買って出る。
だからこそ、森繁久彌のエッチな言動は、セクハラとして糾弾されることがなかったのだと思います。

同じことを言っても、本気さや悪意をちらつかせ、女性を自分の思いのままにしようという欲(女性に対するリスペクトがない)が透けて見えれば、それは受け取る側にとって「セクハラ」になってしまうわけです。

とはいえ、森繁久彌の例は、とりわけ稀有ではないかと思います。

今、世の中は、自分は何らかのハラスメントの餌食になっているのではないかと、戦々恐々としている人であふれているといっても過言ではないでしょう。
そして、そういう人が多いからでしょうか。自分の言動がハラスメントと受け取られたらどうしようと戦々恐々としている人も少なくないように思います。

私の知人にも(男性)、私が髪形を変えたのを見て、「とてもよく似合っているけど、あんまりほめるとセクハラになっちゃうから」と、非常に遠慮がちに話していた人がいました。

悪質なハラスメント行為は、人の尊厳を踏みにじる許せないものです。
でもちょっと、ハラスメントを意識しすぎて、自然な言動すらできなくなっている世の中も、とっても悲しいなと思います。

森繁久彌は今を生きてなくて、本当に良かったように思います。




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by terarinterarin | 2016-06-06 00:24 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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