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前回の投稿、「弁護士にはとってもつらい性犯罪」は、犯罪を犯した側に弁護士が立った時の目線で書きました。
今回は、犯罪によって被害を受けた側(被害者やそのご遺族を含みます。)と弁護士の問題について書いてみようと思います。

弁護士の第一の使命が「依頼者の利益を守る」ことにあることは前回もお話しした通りです。
つまり、弁護士は、犯罪を犯した人の弁護人になればその人の利益を守るべく活動しますが、被害者から委任を受ければ、被害者の利益を守るべく活動することになるわけです。
テラバヤシも、比率としては、「弁護人」として犯罪を起こした側、起こしたとされる側に立つ割合が多いですが、被害者側の代理人の仕事をしたことも何度かあります。

被害者側の代理人の活動としては、被害弁償の請求を行うこと、「被害者参加」という刑事手続への参加につき代理をすることが主にあげられます。

被害弁償の請求については、まずは、示談交渉を行うことが考えられます。示談交渉で満足が得られない場合には、従来であれば民事訴訟を起こさなけれがなりませんでしたが、現在は、損害賠償命令といって、有罪判決後に刑事事件を担当した裁判所が、引き続き損害賠償請求について審理を行い、賠償を命じる制度があります。「訴訟提起しなおし」による費用や時間が節約できることになった点で、損害賠償命令は、被害者を経済的に救済する大きな意味を持つ制度であるといえるでしょう。
「被害者参加」というのは、刑事裁判に被害者が参加する制度で、被告人に対して質問することもできますし(質問できる範囲には一定の制限がありますが)、また、裁判の最後に意見陳述することもできます。

もちろんどれも被害者本人が行うことが可能です。
示談に関しては、弁護士が代理人としてついていない場合、捜査中や裁判前、裁判中であれば、検察官が間に入って連絡窓口を務めたりします。
被害者参加についても、意見陳述は、書面に書いたものを裁判官に代読してもらえます。

がしかし、弁護士を頼まずに対応するとなると、なかなかにハードルが高くなって、できなくなることも出てくることは事実です。
例えば、示談の打診を受けたけれど、その金額に納得できないという場合、加害者側についている弁護士と「交渉する」という気持ちを持つことについて気後れする人も少なくないでしょう。
示談書の文言についても、入れてほしい言葉があるにもかかわらず、それがうまく言えないということもあるかもしれません。
なにより、損害賠償命令であるとか民事訴訟に持ち込むということは、一般の方ではかなり難しいように思います。

被害者参加についても、本来であれば、犯人に聞いてみたいことがあるという方も少なくないのかもしれません。
しかし、自分に害を与えた人間と直接対峙することに恐怖心があるでしょう(非公式に検察官が被害者から聴きたいことを聴取して質問していることも少なくないかなあと思いますが)。
弁護士に頼むという選択肢を持たない場合には、あきらめてしまう場合も多いのかもしれないと思います。

犯罪被害者代理人については、法テラスによる費用援助のシステムもありますし、警察や検察庁でインフォメーションがあるようです(一部の検察官は積極的に進めているという話も聞いたことがあります。本当かどうかはわかりませんが)。
そうであるにもかかわらず、思ったほど「被害者に弁護士がつく」という流れは定着していないように思うのです(交通事故による傷害や死亡のケースは除きますが)。

私が被害者の代理人を担当したのはいずれも財産犯のケースで、どちらも示談交渉のみの受任でした。
自身が被告人の弁護人をやったケースで被害者に代理人がついたことは何度かありますが、「被害者参加代理人」として弁護士が関与したケースは少ないです。
性犯罪の被害者の方でも、代理人が付くケースはわずか、という印象です(もちろん正確にデータをとっているわけではありませんが)。

被害者に代理人がつくことは、独りでは躊躇することをできるようにしておくという意味で重要性が高いと思います。そして、さらに「限界を理解する」「できないことを理解する」という意味でも、非常に重要だと思うのです。

一番典型的な問題は、やはり、示談です。

先方から提示された金額が納得できない。
弁護士から見ても、生じた被害を考えれば、本来ケタ一つ違うだろうという提示しかない場合があります(弁護人として示談交渉する場合に、そういう提示しかできない場合もままあります)。
裁判をやれば、もっと多額の支払いが認められることは目に見えている。
それでも、犯人本人に資力がない場合、スポンサーが親兄弟で、出せるお金に限界がある場合、判決で勝っても、その判決が「絵に描いた餅」でしかなくなってしまうことが往々にしてあります。親兄弟のお金を差し押さえたりすることはできませんので。
しかも、刑事事件の判決が出てしまえば、犯人についている弁護人の仕事は終了。交渉の窓口もなくなってしまう。

そういう状況下で「実を取る」としたら、ケタ一つ下がる金額でも、示談に応じる(あるいは被害弁償を受けておく)という選択をしておいた方がまだマシということが往々にしてあります。

もちろん、犯人についた弁護人が、被害者本人に対してこういう説明をすることもすることも多いと思います(まともな弁護人ならやるはずです)。
ただ、被害者からしてみれば、「自分に害を与えた側についてる弁護士」からこんな話されたって、「はいそうですか」とはなかなかなりにくいであろうと思うのです。不条理さが増すばかりということも少なくないでしょう。

「被害者側についた弁護士」が被害者の気持ちを聞いて理解したうえで、「実を取るのはどうですか」と提案してこそ、ある程度納得して受け入れる余地が初めて出てくるのだと思います。
もちろん、「絵に描いた餅でもいいから、犯人に自分がやったことの重みはこれくらいの金額になるんだとわかってもらいたい」と被害者が言えば、被害者の代理人としては示談を蹴って訴訟を選択することになります。そういう意味では、実はとれなくても被害者の意向を反映した手続を踏むことが可能になるわけです。

なのに、被害者の代理人が付かないことが多いのはなぜなのでしょうか。

ひとつには弁護士費用の問題があるように思います。
被害を受けた自分が、さらに弁護士費用を負担しなければならないということの不条理感が、弁護士に依頼することを躊躇させているのかもしれません。

また、特に性犯罪の場合なんかだと、捜査機関に対してだけでなく、弁護士にも被害事実を話さなければならないという心理的負担が足掛けになっているように思います。
それ以前に、外界のあらゆる人物との接触をしたくないという心情から、弁護士にたどり着かないという人も相当数いるのかもしれません。

一般の方からしてみれば、悪いことをした犯人には、金がなくても国の費用で弁護士を付けることができるのに、被害者には弁護士の手が届きにくいという点で、不公平に感じられるのだろうと思います。

そうすると、全ての犯罪とは言わないまでも、性犯罪を中心とした一定の犯罪については、名簿制の弁護士派遣制度を作るのも1つ手かもしれません。
例えば、捜査機関(警察署や検察官)が被害者に対して「弁償などについて弁護士の相談を受けたいか」などと意向を聞き、被害者がイエスという返事をすれば、各地域の弁護士会の担当部署に相談弁護士の要請を行う…といった制度です。
私が思いつくくらいだから、既に導入している弁護士会もあるような気がするんだけど…どうなんでしょうか。

一度犯罪の被害に遭った人の恐怖心や心理面の問題を解消することは(遭った被害の内容にもよりますが)困難で、法律家だけでどうにかできるような問題ではないでしょう。
しかし、助力できる人間が適切に助力することによって、軽減することは可能なはずです。

ちなみに、「優秀な刑事弁護人は優秀な被害者代理人である」と思っています。敵の手の内が大体わかるわけですから。
刑事専門を謳う弁護士の中には、被害者側はやらないという信条の人もいるかもしれません。
が、基準としては間違っていないと思いますので、(必要ない情報かもしれませんが)弁護士選びの参考にしてもらえればと思います。












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by terarinterarin | 2016-08-29 01:07 | Comments(0)
俳優の高畑裕太さんが、宿泊先のホテルの従業員の女性に性的な暴行をしたという容疑で、強姦致傷罪により逮捕勾留されました。
昨日からテレビは、この話題で持ちきりです。

強姦致傷罪は、法定刑が懲役5年以上20年以下の結構重たい犯罪になります。条文上は無期刑の選択もありえます。
しかし、姦淫が既遂の時だけ成立するものではなく、姦淫が未遂の場合も成立します。
強姦致傷罪の量刑を決めるにあたって、一番大きなポイントはこの点で、姦淫が未遂の場合には既遂の場合に比べて、(他の事情によりますが)相当程度刑が軽くなります。

また、致傷の程度も実は幅がかなりあります。数日あれば治るようなかすり傷程度のものからそれこそ瀕死の重傷まで(注:殺意があったことが認められる場合には強姦殺人未遂になると思いますが)「致傷」に含まれ、けがの程度が軽ければ、その分、刑がかなり軽くなることもあり得ます。
その他、手段としての暴行脅迫が、どれほど悪質か、執拗だったかという点も影響します。

高畑さんがこのままの罪名で起訴されてしまえば裁判員裁判が行われることになります。

おそらく、お母様や事務所やご本人の依頼で、国選ではなく私選の弁護人が高畑さんには就いていることでしょう。
捜査段階であれば、まず、弁護人としては、被害者の方に告訴取下げをしてもらい、不起訴にしてもらうことを目標として活動することになると思います(注:強姦致傷罪はいわゆる親告罪ではありませんが、実務的には告訴状を被害者に提出してもらうのが通例のようです)。
すなわち、真摯なお詫びと示談の申し入れをして、これにより被害者からの許しを得る活動をする、ということです。

これは非常に難しい活動です。
被害者にとっては、被害に遭ってまだ間もないころですから、お詫びや示談などを受け入れる気持ちに到底なれません。それも、女性としての根幹の部分を力によって強引にねじ伏せられて侵害されているわけですから、お金をとられたりしたのとは段違いの抵抗感があります。

最近では被害者の住所等が弁護士にオープンにされることはほぼなく、まずは担当検察官を通じて、謝罪や示談の申し入れを行い、OKの返事が来るのを待つ…となることがほとんどです(もちろん、この段階で被害者に代理人弁護士がついていれば、代理人弁護士との連絡はすぐにつくでしょうが、捜査段階で被害者代理人が付くことはそれほど多くないように思います)。

「示談には一切応じません。お金も受け取りません」と言われるケース、「弁償には応じますが告訴は取り下げません。示談もしません(つまり、今後、さらに訴訟などにより慰謝料を請求する余地を被害者が残しておくということです)」と言われるケース、様々あります。

前者のようなケースでも、例えば、起訴されて審理が済んで、残すは判決のみという時点で、被害弁償に応じてもらえることがありますので、テラバヤシの場合はまだあきらめません。時間をおいて、様子を見ながら、可能であれば、何回か打診することでしょう。
後者の場合も、けがが軽い場合には、被害弁償することによって、「強姦罪」という軽い罪名に落として起訴になる可能性もでてきます。そうすると、法定刑は3年以上20年以下の懲役になりますので、場合によっては、執行猶予まで見えてくることもあり得ます。ですので、示談には至らなくてもお支払いをする方向で考えるのが普通かと思います。

どこかから、「軽くするために金払うのか!!」という声が聞こえてきそうですが、第一目的はその通りとしか言いようがありません。だって、弁護人は「被疑者被告人の利益のために」活動するのが使命なのですから。
しかし、だからといって、被害者の心情に配慮しないわけでもないですし、ましてやだまし討ちみたいなことをしてはいけないのは当たり前のことです。

この手の事件だと、「お金を受け取ることによって刑が軽くなる可能性がある」ということを説明しなかったり、示談書の文言をきちんと説明しないでサインさせたりして、あとで「こんなはずじゃなかった」と被害者の怒りを買う(その意味で二重の被害を与える)ケースもままあります。

ですので、弁護人としては、弁償をする、示談を持ちかけることに関しては、慎重でなければなりませんし、決して無理をしてはいけません。そのあたりの気の遣いようが、我々弁護士の胃痛の原因にもなったりするのです…

裁判員裁判が始まってから、性犯罪の量刑はかなり重くなりました。これは巷で言われているとおりです。従来の量刑が軽すぎたともいえます。このこと自体は、やむを得ない、むしろ女性の権利保護という点では当たり前になっただけと考えるべきであろうと思います。

がしかし、弁護人にとっては非常に悩ましいこともあります。
時に、裁判では、検察官の求刑を超える判決が下されることもあるのです。
示談や被害弁償をしていても、それによって、刑が大幅に下がることも減っています。
示談や被害弁償により、被害が一定程度回復されたと、裁判員の皆さんに思ってもらいにくいのです。

「反省しています」「申し訳ありませんでした」「二度としません」なんて言われたって、ほとんどの場合、被害者の方は救われないでしょう。とすると、やった側がお詫びを形にするには「お金」しかないわけです。
で、出せるだけのお金を出す。しかし、刑がかなり重い、となると、もう性犯罪で、かつやったこと自体を認めてしまっている事件の場合には、弁護人、重い刑が下されるのを指をくわえてみているしかない、という状況に追いやられてしまうわけです。
つらいこと、このうえありません。

こういうことを言うのは不謹慎かもしれませんが、時に性犯罪の弁護は、殺人など人が亡くなっている事件の弁護をするよりも、悩ましいことがあります。

殺人というのは「動機犯罪」と言われています。多くの場合、そこに至るまでの経緯を見ていくと、同情する、理解するとまではいかないまでも、「気持ちはわからなくはない」と言えることも少なくありません。裁判員の皆さんも「どうしてこんなところまで来てしまったのか」というスタンスで裁判に臨んでいることが多いように思います。
弁護人もやってしまった本人も、人が死んでいるわけだから、量刑については、大方の覚悟はできている。
重い判決でも、判決理由の中で一定の理解を示してもらっているような箇所があれば、多少救われる気持ちになることもあります。

が、しかし、性犯罪の場合、一般の人から見れば、何をどうしたって正当化される理由なんて出てこないわけです。本来治療すべき障害に基づいて事件が起こされているケースも少なくありませんが、まだまだそのような理解は広まっていません。
示談しても無駄。その他にもアピールできるポイントなし。性犯罪が、弁護人泣かせの事件であることは、このご時世、間違いないことでしょう(うーん、色んな方面から怒られそうだなあ)。

最後に皆さんに理解していただきたいのは、性犯罪を起こす人間が全員「色欲魔」ではないということです。
今回高畑さんは「自分の欲求を押さえることができなかった」と言っているそうで、これがもとで「性欲の強い男が酒によって起こした事件」みたいなくくりにされているような気がします。

確かに、そういう人もいなくはありませんが、実際には、年齢の割に性的な関係が未熟な人が起こしているケースであるとか、ストレスや性的ではない欲求不満が性的暴行という形で発現しているケースでるとかの方がむしろ一般的ではないか、というのが、今までの経験から感ずるところです。

ここから先は、臨床心理士や医師の出番のように思いますが、そこに私なんかは、病的な歪みを感じることも多く、だからこそ弁護のやりようのない性犯罪について、どうしようもない無力感を感じることも少なくないわけです。

今の日本では、犯罪をした人を処罰すること自体が目的化しているような気がしてならないのです。
処罰することの目的は、その人がそれに懲りて二度と犯罪をしなくなることにあるわけです。
で、様々な犯罪について、その方法があまり意味がないということも、昨今わかってきています。
一度犯罪を犯した人を二度と犯罪に走らせず、全体として犯罪を減らしていくためには、刑罰以外の手段で臨むべきことも往々にしてあって、性犯罪なんかは、薬物犯罪とともにその代表的な例だよなあ…なんて思うのですが。

なんだか話がずれてしまいましたが、様々な意味において、性犯罪というのがカオスなものであるということがお分かりいただけただろうと思うので、今日はこれでおしまいにします。

長文失礼いたしました。












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by terarinterarin | 2016-08-25 22:47 | Comments(20)
お久しぶりでございます。
現在遅い夏休みをいただいております。
オリンピックにうつつを抜かして更新を怠っていたところ、あっという間に1か月ほどが過ぎてしまいました。

夏休み前というのはバタバタと仕事が入るもので、初めて会う弁護士と名刺交換したり、相手方についている弁護士の情報収集をするためにホームページを見たり、ということが何度かありました。

ダブルライセンス持ちの弁護士が、増えたなあと改めて感じました。

公認会計士とのダブルライセンス持ちの弁護士というのは、実は古くから一定数いて、特段珍しいという感じでもありませんでした。
「法律会計事務所」なる看板も、都市部では、ちらほら見かけるものです。
先日名刺交換した相手方弁護士も、「弁護士/公認会計士」という肩書がありました。
数字がからっきしだめで、時に精算時の足し算引き算も間違えるテラバヤシから見ると、かっこいいことこの上ありません。

他に、税理士、中小企業診断士、社労士、MBAといった、周辺領域や「わかっていると便利な分野」に関する資格を持っている弁護士も、少なくないという印象です。
最近では、不動産鑑定士、弁理士という、超難関資格を持っている超人も、直接ではありませんが存在することを知りました。
司法書士の資格を取ってから司法試験を受けたという方も従来少なくなかったので、司法書士とのダブルライセンス、という人も、結構いたりします。

こういういわば実務的な資格は、弁護士がダブルで持っていても、一般の方々は特に違和感がないかもしれません。

しかし最近は傾向が違う資格のダブル持ちも見受けられます。
例えば、社会福祉士であるとか、精神保健福祉士であるとか、あるいは介護福祉士であるとかの福祉関係の資格。
障がい者高齢者の権利擁護の機運が高まったり、障がい者刑事弁護が注目されるようになったりしたことが影響しているようです。
また、少年事件の達人の先輩が臨床心理士を取得したこともありました。先日は、相手方の弁護士が、保育士資格を持っていることも判明しました。

ダブルライセンス、百花繚乱の時代です。

「弁護士=儲からない仕事」という図式が世の常識になりつつあるこの状況下だと、「仕事を得るための手段としてダブルライセンスを取得する弁護士が増えた」みたいなことが言われがちかもしれません。
「弁護士」の隣に「不動産鑑定士」なんて肩書がつけば、「不動産取引に詳しい弁護士」というイメージになるので、その手の仕事が舞い込むようになる、それを狙ってダブルライセンスを取る弁護士が増えてる、みたいな。

しかし、先に挙げた資格はどれも、そう一朝一夕にとれるような代物ではありません。「儲け」にそんなにすぐつながるわけではないでしょう(もちろん、受験勉強的なことがお得意な方とかかなりな頭脳をお持ちの方であれば、すんなり受かってしまうのでしょうが)。
それに、実務系の資格はさておき、福祉系の資格や臨床心理士をはダブルで持っていたとしても、そんなに儲かる仕事が来るのかと言われれば、かなり「?」ですし。

ダブルライセンスに至った経緯・動機というのは千差万別だと思いますが、個人的には、案外、弁護士の仕事をやっていく過程の中で、ふとしたきっかけがあり、その領域についてきちんとした知識を得たくなる、「そっち方面」の仕事が多いので、資格試験の勉強しながら知識を得ていく、ということの方が多いのではないかと思います。

実はテラバヤシも、一時、仕事の関係で興味が出た分野の資格を取ろうかと逡巡していたことがあったのですが、それにかける時間や気力の点で覚悟ができず、断念した過去がございます。
なんで、動機はどうであれ、忙しい仕事の合間を縫って、テキストを読み、スクールに通い、場合によってはレポートや論文を書き、試験を受けるなんていう作業を、七めんどくさい司法試験の後もやりのけてしまう人たちのことは、純粋にすごいな、と思うのであります。

人間年をとってからの方が勉強がしたくなるというのは、我々の業界でも同じ、ということなのでしょう。
必要にかられて、あるいは、現場を見て形成されたモチベーションに基づいて始めた勉強は、青臭い時代に受験勉強的に取り組んできた司法試験とは、一味も二味も違う深みをその人に与えるのかもしれません。
そういう意味でダブルライセンスを持っている弁護士というのは、「いい仕事」ができるのかもしれないな、などと感じたりします。

ちなみに、ダブルライセンスとはちょっと違いますが、テラバヤシ、英語の読み書きを勉強したいと思っております。
かつて大学院時代は(すごい苦手だったけど)、フランス語や英語の文献を読んでいました(書けませんでしたが)。
今や、読むのもやっとこさっとこ、たまに書く必要があるときには、「グーグル辞書」を首っ引きという情けない状況です。

英語の読み書きできたら便利だなと思う機会が最近多いのです。なんで、始めたい。
始めたいけど根性ないから続かない、と現在葛藤中なのでありました。



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by terarinterarin | 2016-08-23 16:18 | Comments(0)
いわゆる相模原事件の後、このブログの「事件を起こした精神的にまずい人のその後」という記事のアクセス数が伸びています。
コンスタントにアクセスが多い記事ではあったのですが、この事件でフィーチャーされた「措置入院」について書いていることから、おそらく検索ワードで上位に来るようになったのではないかと思います。

7月31日の夜には、NHKでこの事件を検証する番組が放送されていました。
事件が起こってわずか5日の放送の割には、被疑者が施設を退職してから事件を起こすまでの間の言動のいくらかを明らかにしており、かつ今後の「危険人物」(措置入院歴がある人という言い方をするととても語弊があるので、あえてこの言い方を選択します)への対応方法を考えるうえでの視点を与えるもので、それなりに意義ある番組だったように思います。

この番組を見て、今回の事件は、「他害の恐れがある危険人物に対する医療制度、司法制度の谷間に落ちてしまったために起きた事件」であると強く思いました。

先に挙げた記事でも書きましたし、報道でも取り上げられているのですでにご存じの方も多いと思いますが、「措置入院」というのは、あくまで精神科の指定医が「自傷他害の恐れがある」と診断した人物を強制させることができる制度であり、治療が主目的ではありません。つまり、「自傷他害の恐れ」がなくなってしまえば、その時点で退院をさせなければならないわけです。
相模原事件のケースでは12日間でしたが、ほんの数日で退院になるケースもあります。

実際には、この後、医療保護入院に切り替えて比較的長期間の入院を本人の意思に反して行うことができる場合もあります。これは、対象となる人が自分の意思で入院を選択できない場合(つまり病識がないなど)に適用されます。しかし、医療保護入院はあくまで、その人を「保護する必要性」がある場合に限られるもので、家族や市区町村長の同意が必要となります。

そして、なにより、保護入院が許容されるためには、対象者が精神障害者であることが必要です。
今回の事件の被疑者は、措置入院時に大麻の陽性反応が出たものの、その後、「どうかしていた」などと反省の弁が出た、そこで退院することになったとのことでした。

実際に医療記録を見ているわけではないので、あくまで上記の情報を前提とすればですが、今回の事件では、被疑者の言動が大麻使用による一過性のものであると判断されたか、あるいは依存があるとしても、本人の意思に反してまで入院させる必要性がないと判断された可能性があるように思います。

そのために彼は社会に放たれることになってしまいました。
病院の勧めで、任意に薬物依存の治療に通院したようですが、ほんの数回でやめてしまったという情報も放送されていました。

退院後の彼の言動(友人らに対して犯行を誘ったり障害者殺害の決意を語っていたこと)は、おそらく通報があれば、再び措置入院の対象になりうるものだったでしょう。
しかし、恐らくは比較的狭い人間関係の中でしか語られず、また普通に生活している形跡もあったため、通報に結びつきにくかったのではないでしょうか。友人らとしては、警察に通報したのがばれた場合には、報復されるのではないかという恐怖心もあったかもしれません。
被疑者は、元々善良な人間だったようで、友人らには、自分たちが説得すれば翻意させられるのではないかという思いもあったのかもしれません。

今から振り返れば、退院させるという医師の判断が正しかったのか、友人たちが警察に通報しなかったのはどうだったのかという疑問は当然生じることと思います。

しかし、ここで医師や友人たちを責めても、何の意味もないのは明らかです(特に今日のNHKの番組では、顔をさらしてインタビューに応じていた友人の方がいました。この方には敬意を表するとともに、今後誹謗中傷にさらされることのないよう切に祈ります)。

私も、今まで、措置入院や保護入院の後に事件を起こしてしまった人(あるいは事件を繰り返す人)の事件を何度か受任したことがありました。
主治医に会ってお話を伺ったりもするのですが、私が会った医師は、みなさん、非常に落胆していました。
「自傷他害の恐れがあるかどうか」の判断は非常に難しいものでしょうし、退院後の異変まで読むことまでは到底できないことなのでしょう。

また、こういう「危険人物」の周囲の人々の心境も、また複雑この上ないものです。「止められなかった」ことを後悔し、あたかも自分が犯罪者であるかのように自分を責める人もいたりするものです。

NHKの番組でも示唆していましたが、必要なことは退院後のフォローアップです。
対象者やフォローアップの方法、程度など議論すべきことは多いでしょうが、今回の件に限らず、措置入院後に事件を起こす人というのは少なからずいるわけです。池田小の事件もそうでした。特に「他害の恐れ」があるとして措置入院となった人物については、フォローアップの制度を設けることは必須だと思います。

今回の事件は、健康な?20代の男子という、ある意味の強者が、「重度の障害者」という社会的弱者の中でもとりわけ抵抗できない人をターゲットに、抵抗が極めて困難な真夜中に引き起こしたもので、レイシズムやナチズムなどの危険思想の影響がかなり強いと考えられます。

こういう思想が絡む事件が起こると、事件を「危険思想の蔓延」のせいにして、「危険人物による犯罪の防止」という制度を人権侵害の危険が高いからという理由でやみくもに反対する人が必ずいます。

しかし、そういう社会全体の思想傾向の問題と、「防げる犯罪を防ぐ」という個々の犯罪防止の問題は全く別次元のものなのであって、やはりこういう事件が起きてしまった以上、「制度の谷間」を埋める試みというのは、今後していくべきであると、強く思います。
これは犯罪被害を防ぐためだけでなく、犯罪者を生み出さないためにも必要なものだと思います。


最後になりますが、(これも以前書いたように記憶していますが)テラバヤシの記憶する限り、人生で初めて友達になった人は、当時「自閉症」と診断されていた同い年の男の子でした。
その人とのかかわりは、私の人生に大きな影響を与え、弁護士の仕事をしていくうえでかけがえのないものになっています。

人は、どんな人でも、誰かの人生に影響を与え、導く力があると信じています。

月並みですが、お亡くなりになられた皆さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、負傷された皆さんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。

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by terarinterarin | 2016-08-01 01:02 | Comments(3)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin