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「面会交流について思うこと」の第2弾です(注:今日の話は、当事者間に、DVやストーカーなど一方が他方の生活を脅かす危険がないケースを念頭に置いています)。

別居親と子の面会交流を行うこと自体は合意しているものの、その連絡方法や頻度、時間について双方の対立があってなかなか調整が難しいということがよくあります。
例えば、同居親は月に1回2時間程度にしてほしい、連絡調整は自分あるいは自分の親兄弟を通してほしいという希望を持っているのに対して、対する別居親は週に1回会いたい、月に1回は丸一日会いたい、場合によっては宿泊も、連絡調整は子供本人、同居親、第三者が入るなんてもってのほかと考えているようなケースです。

一般的には、面会の頻度は、同居親よりも別居親の方が多くしてくれということが多く、連絡調整方法も別居親の方が直接行うことを望むケースが多いように思います(たまに、別居親が子と関わることに積極的でなく、同居親の方がもっと積極的にかかわってほしいと望むケースもあります)。

別居親にしてみれば、子供と頻繁に会わなければ、子供が自分のことを忘れてしまうんではないか、自分の親としての存在感がどんどん薄くなってしまうんではないかという恐怖心があるのだと思います(中には、同居親に対する対抗心とか単なる意地にしか見えない場合もなくはないですが)。離れてみて、子供ともっと遊びたい、会いたいという気持ちが募るということもあるのでしょうし。

一方、同居親にしてみれば、別居後、離婚後の生活に子供を慣れさせようとするところで、あまり頻繁に面会交流をさせてしまうとそのルーティンが崩れてしまうのではないかと思う気持ちもあるように思います。
長い時間を相手と過ごすことにより、いろんな懐柔策を施され最終的に子をとられてしまうのではないか、連れ去られてしまうのではないかという不安もあるでしょう。極力相手を自分たちの生活から排除したい、必要最低限以上は会わせたくないという人もいるように思います。

本来であれば、子供と別居親が自由に連絡を取り合って、その中で、いつ会うか、会った時に何をするかを決められるのが一理想的であるように思います。
しかし、子供が小さかったり、親に対してなかなか自分の気持ちを言えなかったり、様々な事情でそういうことがやりずらいということも少なくありません。多くの場合、「会い方」は親が決めることになってしまいます。

「会い方」を決めるときには、子供の事情を極力組んであげるのが、そして、将来的に子供がどういうスケジュールで過ごしていくことになるかを想像してあげるのが、無理なく末永く面会交流を続けていくために一番重要ではないかな、と思います。
要は、子どもはある時期から子どもの世界を持つようになって、年齢を経るごとにその「子どもの世界」で生活する時間が増えていくことを分かってほしいということです。

よちよち歩きの赤ちゃんが、保育園や幼稚園に通うようになる、小学校に入る、中学校、高校に進学する。
ピアノだとか英語だとか、習い事を始める。お友達ができて、一緒に遊んだりお出かけしたりするようになる。宿題が出るようになる。部活動を始める。塾に通うようになる。受験勉強をするようになる…
自分のことをやるために費やす時間がどんどん増えていくことになります。
そして、基本的には(好むと好まざるとにかかわらず)、どれも子どもにとっては大切な欠かせない時間だったりするわけです。

あまりに面会交流の頻度が多くなると、「けっ、父ちゃんと会ってから宿題かよ。今日寝るの遅くなるぞ」みたいな感じになって、別居親と会うことに子ども自身が負担を感じるようになってしまう。
ピュアだったり、気持ちの優しい子だったり、言いたいことを言えないタイプの子だったりすると、そういう風に思うこと自体に罪悪感を感じたりして、どんどん気持ちの上での負担が大きくなってしまう。
ある日突然爆発して「会いたくない」が始まってしまったりする。
子にとっても親にとっても不幸な結末になってしまいます。

もちろん、別居したり離婚したりしたとはいえ、例えば、住まいがごく近くで、学校の帰りに別居親の家をちょっと覗いていくことが可能ということであれば問題ないとは思います。
が、家が離れている場合、隙間の時間を使った面会ができる環境じゃない場合、あまりに頻度が多く長時間の面会交流をルールとして決めてしまうことは、先に見たように子供の世界を邪魔することになる危険性が高いように思います。

ただ、子と離れて暮らす親の寂しさというのもわかるわけであって、思う通りの回数会えないようなケースでは、それを補えるような代替策を設けられるといいなと思うのであります。
いわゆる間接交流と呼ばれるものですが、例えば、学校行事の写真を送ってあげるとか、手紙の交換をするとか。

こういうことを書くと、「子供の気持ちを親がしっかり汲んであげてください」と言っているように見えると思いますが、テラバヤシはそういうことを言っているわけではありません。
なぜかというと、「子どもはこう思っているから」という理屈で、大人の思惑を反映した面会交流のルールが決められてしまうことが往々にしてあるからです。
大人(親)が言っている「子どもの気持ち」なんてものは、結局のところ大人の自己都合の反映でしかないように思うのです。
大人の気持ちや思惑を「子どもの気持ち」にしてしまうなんて、横暴以外の何物でもありません。
あくまで、これからの子どもの人生でどういうことが起こりうるかを想像してください、ということを言いたいわけです。

子供の受渡しや連絡調整については、経緯はともかく「どうしてもこの人とはかかわりたくないの」という気持ちに至ってしまい、第三者にゆだねることが致し方ないことも往々にしてありましょう。
言われた方が釈然としないのはわからないではないです。が、そこは「無理強いして子供とすら会えなくなる」ことと「一歩引いて子どもとの面会を確保する」ことを天秤にかけていただきたい…そうすれば、後者が合理的だということは明らかでしょう(中には、相手方に嫌悪されていること自体を認識できていない当事者もいたりして、そういう方の場合、相手が強固に直接連絡を拒んでも、無邪気にこれを望んだりして対応のしようが難しいことも往々にしてあったりします)。

面会交流は、単純に考えれば、別居親と子が会うという、ただそれだけのことです。
「子供の生活を考えて無理なく行う」、「相手に過度な負担を強いない」ということさえ当事者が理解してくれれば、うまくいくはずです。
円滑な面会交流のルール作りを邪魔しているのは、大人の事情や思惑、割り切れない感情なのです。



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by terarinterarin | 2016-11-24 00:31 | Comments(0)
離婚をはじめとする家事事件は、新人のころからコンスタントに関わっていますが、年々(特にここ最近)よりヘビーな案件、よりチャレンジングな案件を担当することが増えてきたように思います。
そんな中で、子をめぐる夫婦間(元も含む)の紛争に関わることも必然的に増えてきました。
子をめぐる紛争は近年増加傾向にあると言われているようですが、この点は、テラバヤシ自身も実感があります。子の親権を取得すること、子との面会交流の機会をしっかり確保すること、そういうことに男性側がこだわること(別に悪い意味で言っているわけではありません)が以前よりも増えているなあ、なかなか簡単に合意できないなあと思うところです。

違う考え方の弁護士も少なくないようですが、夫婦の間の関係がいくら悪くても、子にとってはどっちも自分の大事なパパでありママであることは、多くの場合間違いありません。面会交流は別居親の権利、とか言う前に、お子さんのこと考えたら、やっぱり原則的には別居している親にはちゃんと会わせてあげないとね、というのがテラバヤシの基本スタンスではあります(あくまで基本かつ原則です。実際の判断は、ケースによります、念のため)。

ところが、子どもというのは、例えばお母さんと同居している場合、「お父さんには会わない」「会いたくない」などと別居親に会うことを拒絶するかのような言葉を吐くことが往々にしてあるわけです。
で、やはりそう言われちゃうと、親としては「嫌っていうもの会わせるわけにはいかない」と考えてしまって、別居以来会わせることができなくなってしまう…なんてことも少なくないわけです(子どもを懐柔してよりを戻そうとされるのが嫌とか、とにかく相手だけを排除したいという思いだけで会わせないケースももちろんありますが)。

そういう方にお会いしたら、「いやねえ、お子さんていうのは大人の顔色見ますからねえ。本当は会いたいんですよ。お父さんとお母さんの仲が悪いのわかってるから、会いたいとか言うと悪いのかな、なんてお子さんなりに考えちゃってるものなんですよねえ」なんて、したり顔で言っていました。
正直に言いましょう。
今までは、こういうセリフは、ものの本の受け売りであったり、あるいは、第三者機関や家裁の調査官から聞いた話を元に吐いておりました。

しかし、最近、子をめぐる紛争が深刻化していて連れ去りされる心配がある、あるいは心配されるケースであったり、お子さんの状況から考えて同居親も面会に同席する必要があるんだけどひとりでは不安という相談などなどがあって、面会交流に付き添ったり、連絡調整を行うということを比較的短い間にに結構な件数体験してきました。
その結果、「いやねえ、お子さんていうのは大人の顔色見ますからねえ。」というしたり顔で吐いていた先のセリフの意味を、今更ながら「ああ、そういうことなのか」と実質的に理解することができるようになりました。

いやだ、嫌いだと言っていたのに、別居親と顔を会わせた途端、嬉しそうに駆け寄って手を差し伸べる子ども。
もっと遊ぼう、あっちに行こうと休みたい親を連れまわす子ども。
面会が終わる時間ぎりぎりになっても、帰り支度をしようとしない子ども。
別居親が帰ろうとした途端、泣き出しちゃう子ども。

少し離れて眺めていると、こんな光景ばかりが目に入ってきます。
子どもにとって良い形の面会交流を行うことが、大人の間の不毛な紛争を終わらせることに役立つのではないかと、考えるようになりました。

面会交流に立ち会えば(注:半径1メートル以内で張り付いて監視するという意味ではありません)、お子さんの様子や相手方の様子を依頼者に伝えることができます。
一緒に眺めてみれば、面会交流の様子を情報として、共有することができます。
自分が見た光景を報告したり、現場の状況を共有することによって、お子さんがいかに同居親に対して気を遣っているのか、別居している親を求めているのかを、依頼者にもわかってもらうことができます。
よほど無理無理な要求を出してくる相手方でない限り(まあ、そういう人が多いことも事実ですが)、不信感もある程度解けて「子どものためにこうしよう」と考えてもらうこと、つまり親の紛争を子どもと相手の関係に持ち込んではいけないということを自覚してもらうことも可能になります。

それがひいては、長引いていた面会交流、それだけでなく親権争い、果ては養育費や財産分与に関する対立を解消するきっかけになることもあるわけです。

親っていうのはとてもわがままな生き物で、自分の目に映る子供の姿が子どものすべてである、自分が子どものことを一番よくわかっていると往々にして思いがちです(テラバヤシは、生まれてこの方、延々と子の立場であり続けているので、しみじみそう思います)。
大人の都合に子どもは立ち入ることができません。
立ち入ることができないにもかかわらず、大人の都合で、住む場所を変えられたリ、友達と引き離されたり、もう一人の親と会えなくされてしまうわけです。
そんな理不尽を心のうちに抱えながら、でも、一緒にいる親の下で生きていかねばならないから、子は、その親との関係を上手くいかせるために、無い知恵しぼって?心にもないことを言っちゃったり、態度で表したりするわけです。

そういうことを実感するためには、面会交流に立ち会うのが一番です。
もちろん、依頼者と相手方の間で面会交流をすることについて何ら問題を抱えていないケースででしゃばる必要は全くありませんが、第三者の立会いが必要なケースでは、可能な限り弁護士が立ち会うことをお勧めします。ホント、1回でもいいから。
そうすれば、依頼を受けた内容の違う側面が見えてきます。違う側面が見えることによって、解決するためのアイデアも湧いてきます。

一昔前は、こういうことを普通にやる弁護士はごくごく少数だったんだろうな、と想像します。
もちろん今現在も、多数派というわけではないでしょう。
でも、テラバヤシは、子をめぐる紛争が増加・深刻化している(ように思われる)今の時代、面会交流にも立ち会うというのが代理人のスタンダードなスタイルになればよいように考えています。








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by terarinterarin | 2016-11-21 01:21 | Comments(0)
弁護士の業務広告のお話をした以前の投稿でも触れましたが、今年度、テラバヤシは東京弁護士会の所属派閥の執行部のお仕事をしています。
担当は弁護士業界の「業務改革」分野の様々なことです。
そんなわけで、月に1回ほど同じ担当の同業者と会合を開いては、弁護士業務にまつわる現代の問題点、新たな問題点について議論したり話し合ったりしています。

そんな会合があった先月終わりのこと。会合後の飲み会の席で、事務所のホームページの話になりました。
このブログでも何度か触れていますが、ともえ法律事務所のホームページは業者に頼まずにテラバヤシ本人が作りました。
見ていただければわかりますが、全く法律事務所っぽくないホームページです。自分の趣味全開です。
昨日なんぞ、とある法律事務所のホームページについてあれこれ論評していたところ(まあ、あまり褒めてはいない)、我が妹から「ひと様の事務所のホームページにあれこれケチつけてる場合か」というきっつい一言をもらってしまったくらいのものらしいです、どうやら。

これらに加え、このブログや各種ウェブサイトの記事などから、ともえ法律事務所にたどり着き、テラバヤシに依頼しよう、相談しようと思う人は、かなりな程度限定されているようで、お陰様で、事務所開設以来、依頼者との関係で大トラブルが生じたということは今のところほとんどない状況です。
つまり、様々な媒体を使って?テラバヤシの趣味嗜好を前に出した結果、テラバヤシでも我慢できるという方々だけが来てくださっている、と言ってよいと思うのです。

そういう話を飲み会の席でしたところ、とある大大大先輩にして、修習生や若手弁護士のセミナーでも有名なとある弁護士から、こんな話を伺いました。
少し前に、事務所のホームページの文字を小さくして、記載する内容を増やしたのだそうです。
そうしたところ、冷やかしみたいな法律相談の依頼や、法律相談・依頼をめぐるトラブルが格段に減ったのだとか。
「ホームページの業者の言うなりになっちゃだめだよね」と、その大先輩は話していました。

似たような話は、弁護士業界以外にもありました。

もう10年以上も前から、我が妹がお世話になっているフラワーアレンジメントの先生がいます。
先生は、普段はお花屋さんをやっています。
大きな通りからは少し離れたところにある、「知る人ぞ知る」お店です。
私も何度か訪れたことがありますが、置いてあるお花は白やくすんだ色のものばかり。赤や黄色やピンクなど鮮やかな色の花はほとんど置いてありません。

このお店のホームページは、先生がご自分で作っています。
ホームページには、お花の注文フォームはありません。
注文は来店か電話でしか受けません。
お花業界では(どこもそうかもしれませんが)、インターネットの注文のトラブルがとても多いらしいのです。
先生のお店では、注文をめぐるトラブルは一切ない、とのことです。

大先輩の話、お花の先生の話を聞いて、「自分のやり方はやっぱり間違っていなかったのだ」と思えました。

弁護士とてサービス業の一種(と私は思っています)。
そうである以上、常にトラブルとは隣り合わせです。
そのトラブルの因子を少しでも少なくするのが、仕事をスムーズに運ぶ大きなひとつのコツであることは間違いありません。
そして、トラブルを回避する1つの方法として、間口の部分で、自分の仕事のコンセプトや事務所の特質などを理解してくれる人がたどり着けるようにしておくことは、とても有効なのです。
ホームページを自分で作る、ホームページに自分なりの工夫を加えるということは、まさにその第一歩だといえるでしょう。

仕事をどういうルートで受けるかということも、「間口」の部分で、自分にマッチした人がたどり着くようにするという意味では非常に重要ではないかと思います。
テラバヤシは、電話相談もメールのお問い合わせもしているので、一見かなり受注のルートは広いように見えるかもしれません。

しかし、実際には、お問い合わせ方法は、事務所にダイレクト電話、弁護士ドットコム及び「シェアしたくなる法律相談所」サイトを通じての電話又はメール、ホームページのお問い合わせメールフォームだけで、あとは時折紹介で事件をお受けするのみです。
これだけたくさんの「登録サイト」の営業が日常的に来ることを考えれば、大都市圏で、上記だけのルートであれば、特段多い方とは言えないと思います。

ルートを広げれば広げるほど、様々な人が自分のところにたどり着きます。
登録サイトによって紹介のされ方は様々でしょうから、十分に弁護士の人となりや事務所の雰囲気などを考えずにたどり着く人がかなり増えてくることになります。そうすると、事件の処理方法や相談への回答をめぐってトラブルが発生しやすくなる。
必然的に、他の仕事に影響が生じてなかなか進まないことにもなるわけです。

このブログでは、今までも弁護士の広告方法について何回か投稿をしています。
斬新なことを言っているとか思われたり、「いろんな人を受け入れてやっていくことが弁護士なのに、間口狭めてどうすんの」といった否定的な受け止め方も少なからずあるようでした。

しかし、うまく言えないのですが、「自分の仕事」を仕事として全うしようと思えば、それを理解してくれる人に来てほしいと思うのはある意味当然であって、そういう視点からホームページ作りというものを考えた場合、立派なものよりはその人のカラーが出るものを作ることが必要であることは間違いなさそうです。









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by terarinterarin | 2016-11-06 00:53 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin