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先日の投稿で年内終わりの予定でした。

しかし、今年を閉めようと思った時、ひとつ気になることが出てきてしまいました。

このブログが法テラスネタで注目されてから、「弁護士として生活していく中で思ったよしなしごと」を書こうという初心をやや忘れ、社会的な出来事ばかりについて書くようになってしまいました。
無意識のうちに「取り上げられたい」「いいね!いっぱいほしい」などというあさましい気持ちが芽生えていたのです。

お陰様で?BLOGOSのブロガーにもしてもらい、投稿が転載されるようになりました(コメントは罵詈雑言が多そうだと思って怖くて見ていませんが)。

弁護士10年目を過ぎた2016年の年の瀬、初心に戻って、何の示唆もない話を投稿して終わろうと思うに至りました。そうしなければ、なんだか悔いが残りそうだと。

そこで、今日はくだらない話を書くことにしました。

弁護士にとってスケジュール帳は、なくてはならない必須アイテムのひとつです。
訴訟や調停の期日、打ち合わせや相談の期日をすっぽかすわけにはいかないですし、何か月も先のスケジュールを押さえなければならないこともあります(テラバヤシは、つい最近2017年9月のスケジュールが押さえられてしまいました)。
そんなことを覚えていることは不可能ですし、埋まったスケジュールの隙間にさらにスケジュールを入れなければならないこともあります。手帳とにらめっこする必要があります。
家族や恋人よりも一緒にいる時間が長い、スケジュール帳は、弁護士にとって、そんな存在です。

最近では、スマホのスケジュール機能やグーグルカレンダーでスケジュール管理をしている弁護士も結構いるようですが、テラバヤシは手帳派です(大きな事務所ではグーグルカレンダーで弁護士のスケジュール管理をしているところも少なくないようです)。
以前、スケジュールから友人知人の連絡先からデータ化して管理していた友人が、それらをすべて誤って消去してしまうという大惨事を見たことがあるからです。

さて、弁護士が持つスケジュール帳と言えば、「訟廷日誌」という分厚い黒い手帳と「弁護士日誌」という薄手の毎年表紙の色が変わる手帳があります。
前者は有料で値段は2000円弱。後者は無料で、毎年確か11月くらいに無料で配布してくれていました(東京限定かもしれませんが)。
毎日のスケジュールを記載する欄が市販の手帳よりもかなりたくさんあること、翌年のスケジュール記載欄も3月末までの分は設けられていること、前年と翌年のカレンダーがついていることなどが特徴です。一冊にまとまっているか分冊されているかは別として、訴訟の手数料等など業務上必要な情報についても手帳化されて一緒に配布されることもまた、大きな特徴でした。

テラバヤシは、5年ほど前に一度だけ訟廷日誌を買ったことがありましたが、分厚くて使いにくいと感じたため、その後は無料配布される弁護士日誌の方を愛用しておりました。
そして、翌年3月の分までスケジュールが記載できるのをよいことに、毎年年末ぎりぎりになるまで、スケジュール帳の書き換えを行っておりませんでした。

12月も半ばを過ぎたころ、ハタと気づきました。
そういえば今年は、2017年の弁護士日誌が送られてきていないことに。

しかし、ちょうどそのころ、民事裁判の期日でお会いした相手方の代理人の手元には、ブルー系の2017年のものと思しき弁護士日誌があるのを見ておりました。

なぜだ。
なぜ私のところにはないのだ。
その話を私の友人にしたところ、その友人のところにも弁護士日誌が来ていないことがわかりました。
なぜだ、なぜだとふたりしてひとしきり話していましたが、ある日、その友人がとある情報を仕入れました。

2017年の弁護士日誌から有料になった。
値段は1000円である。

そういわれてみれば、何か月か前に弁護士協同組合から冊子が届いた際に、そんなことを書いている紙が入っていたような記憶が、どことなーく蘇りました。
もしかすると、ネット販売などで入手することも可能だったのかもしれませんが、帰省の予定であるとか諸々考えて、今年は弁護士日誌の入手をあきらめ、市販のものを購入することにしました。

で、書店に行って手帳を買おうとしたのですが、弁護士日誌に慣れていた身からすると、どれもこれも使いにくいものばかり。
まず、時間の流れが左から右に向かって区切られているものは(ことのほかこのタイプが多い)、我々の職業からすると、その時間に予定されている用件をスペース的に書けないため、完璧にアウト。おそらく、ビジネスマンなんかを念頭に置くと「会議」とか短いワードでしか予定が記載されないから、こういう作りになっているのではないかと推察されます。
用件を書くスペースが日ごとにしっかり確保されている手帳を買おうとすると、サイズが大きくなるか、分厚くなるかのどちらか。
荷物をできるだけコンパクトにしたい身からすると、どちらも選びたくない。
そして、全体的に必要ないページが結構ある印象(メモ部分や連絡先の記載欄がやたら多いなど)。

弁護士日誌や訟廷日誌は、自分たちの仕事にとって「必要にして十分な手帳」であることを改めてしみじみ感じました。

で、結局、テラバヤシの2017年のお供は、モレスキンのスケジュール帳になりました。
一番シンプルで無駄がなかったというのが理由です。
実は、モレスキンのノート自体は、消耗品として高すぎると感じており、日々のメモどりにはダイソーが販売しているB6判のモレスキンもどき、俗称「ダイスキン」を愛用しております。
そういうテラバヤシにとっては、モレスキンのスケジュール帳を使うなどという行為は、なんというか踏み絵を踏むような複雑な心境でした。が、他の手帳は、もうどうしてもいやだったので、思い切って購入に至りました。

舶来物のため、日本の祝祭日の記載等は全くなく、かつ、2016年12月の最終週から始まり、2017年12月の最終週で終わるというまさに「1年物」の手帳です。まさに究極のシンプルです。
購入して一番最初にしたのは、2017年の日祝祭日に赤丸をつけることでした。
そして、2018年の手帳は相当早めに買うことがもはや義務付けられているといっても過言ではありません。

ですが、モレスキンのおニューの手帳に、スケジュールを記載してみたところ、手帳としての使い勝手は、かなり良いな、と感じるようになりました。
究極のシンプル故、自分なりに使いやすいように作りこんでいくことができるように思います。

これから1年お世話になることになりますが、転記を意識しなければならない時期になったとき、果たして弁護士日誌に戻るのか、2018年もモレスキンで行くことにするのかは、まだわかりません。
が、今年私と同じように(あんまりいないか)弁護士日誌を入手しそびれた人には、モレスキンのスケジュール帳をお勧めしたい気分なのでした。

これでほんとに今年の投稿は終わりにします。

皆様、よいお年を!!




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by terarinterarin | 2016-12-28 22:32 | Comments(0)
ASKAさんが不起訴で釈放でされました。

その理由はまさかの嫌疑不十分です。検察側の発表によれば、どうやら、採尿手続の際に不備があり、提出されたものが本人の尿であることの立証ができないから、でした。
ASKAさんが言う通り、中にお茶が入っていたのかどうか真偽のほどは不明です。個人的には、いくらなんでもそれはないだろうと言いたいのですが、その点に関して正面から「それはない」というコメントすら発表できないほど、採尿や尿提出の段取りがボロンボロンだったということになります。

マスコミでは、前代未聞の不備みたいな言われ方をされていますが、実はこと覚せい剤の使用の捜査(逮捕や採尿、尿鑑定ひっくるめて)については、私たち弁護士の目から見ると、「こんなことがまかり通るのは怖い」と思うほど、不備あるいは不備的なものが結構な頻度で見受けられます。

具体例に関しては、園田寿弁護士が今までの実例をブログでお書きになっているので詳しくはそちらをご覧になっていただければ良いと思いますが、例えば、採尿後に警察官が一部を別なカップに移しちゃって、その際に他人の尿が混入されたことが否定できないとして証拠採用されなかった件などが紹介されています。

今回は、再鑑定用に尿を残していなかったことも立証不可と判断した理由のひとつのようですが、私がやった案件では、再鑑定用に尿を残していたケースは一度もありません。尿が少なくて…というのは、苦しい言い逃れで、日常的にある意味こういう不備が蔓延していると言っても過言ではないように思います。

問題があるのは採尿そのものに限られません。
覚せい剤使用者の身体拘束は、かなり暴力的に行われることも少なくありません。
例えば、路上で使用の疑惑がある人を拘束しようとする場合、まずは、職務質問とこれに付随する所持品検査から始まることも少なくありません。

職務質問や所持品検査は、知っている方も多いと思いますが、逮捕や差押と違って令状が発布されている状況下で行われるものではありません。強制的に何かをさせることができるものではないのです。

しかし、実際には、職務質問と言って何名もの警察官が容疑者を取り囲んで時には腕などをつかんで警察車両に引きずるようにして乗り込ませたり、本人に無断でカバンを開けて中をぶちまけたり、ポケットの中に手を突っ込んできたりというかなり乱暴な行為が行われていることも少なくないようです。

このようなやり方は、その後逮捕された人が使用を認めてしまった場合には表に出ることはほとんどありませんが、使用を否認したりする場合には、一連の捜査手続の違法という形で裁判上主張されることも少なくありません。

しかし、警察官は、自分たちがひどいことをやっているという自覚がなかったり、バレたらまずいという気持ちがあったりして、決して法廷で自分たちのやり方がまずかったということは認めません。
仮に多少力づくのことをやったとしても、覚せい剤使用という事件の特殊性(密行性、秘匿性と申しましょうか)から、裁判所も職務質問や所持品検査として行われた警察官の乱暴なやり口について問題視することはほとんどありません。

つまり、覚せい剤の捜査に関しては、職務質問から所持品検査と、採尿(その後のサンプルの保管についても個別に管理されているわけでは決してないという問題もありますが)に至るまで、ある意味警察官やりたい放題の状態だったといえましょう。

別にかばうわけではないのですが、刑事さんにしてみたら、覚せい剤の使用ですわなんかしなくちゃいけないという状況に至った時、現場はもうてんやわんやでしょうし、明らかに挙動がおかしい輩がいるのに、これをみすみす逃してしまったら、不祥事として世間に責め立てられるという、非常にお気の毒な立場にあるのではないかと推察されます。

で、そういう部分があるものだから(我々弁護士は置いとくとして)世間的にも裁判所的にもある程度のところを黙認していた結果、今回の「ASKA、まさかの不起訴」の事態を招いてしまったのだと思うのです。

今回、不起訴にした検察官の判断は懸命だったと私は思います。
採尿の状況は、写真に収められているはずで、公判請求して裁判になった際、ASKAさんが否認を継続していたら、その写真は弁護側の請求で開示され、弁護側から証拠として提出されることになることも予想されました。

実際にそうなったときに、公判に耐えられないものであったのかどうかは写真を見ていないのでわかりませんが、少なくとも今回の担当検察官は、上司とも協議して、耐えられない可能性が相当程度あるという判断をしたということなのでしょう。

今回のこの件は、なんでもありの覚せい剤使用の捜査をもっと慎重に適正に行うべきという方向に捜査機関をシフトさせるきっかけになるものだと思いますし、そうなることを願ってやみません。


今年の投稿は(よほどのことがない限り)おそらくこれが最後になると思われます。
今年もたくさんの方にお読みいただいて、ありがとうございました。
みなさま、良いお年をお迎えください。






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by terarinterarin | 2016-12-22 13:27 | Comments(0)

最終弁論に涙するとき。

以前も投稿しましたが、テラバヤシは、日弁連の法廷技術小委員会というところに所属しており、ときおり各地の弁護士会を訪れて裁判員裁判における弁護人の法廷技術の研修を他のメンバーらとともに行っています。

12月1日から3日までは、札幌弁護士会の会館をお借りして、3日間の法廷技術研修を行いました。
今回の受講者は、北海道各地の弁護士会所属の弁護士が中心でしたが、中には、東京や栃木、埼玉からの受講者もいました。

冒頭陳述、主尋問、反対尋問、最終弁論、果ては異議まで含めたトータルの研修です。
事前に研修課題として事件の記録を受講者に配布します。それで、どのような事件なのか、登場人物がどのような主張をしているのか、どのような証拠があるのかを確認します(記録は部外秘です)。

座学の研修ではなく、受講者全員が、各パートの実演をすべて行い、それに対して講師側がコメントをするという形式の研修です。
3日間の研修は、各パートの中でも特に尋問に力を入れることになっています。最後は交互尋問といって、弁護側と検察側に分かれて実戦形式で研修の成果を試して終了(その時その時の都合で、何をどの程度やるかは微妙に変わりますが)。
受ける側も講師を務める側も疲労困憊して3日間は幕を閉じる…今回ももちろんそうでした。

研修の中では、冒頭陳述や反対尋問、最終弁論で講師によるデモンストレーションが行われます。
冒頭陳述や最終弁論では、受講者による実演研修の前に、まずは検察側冒頭陳述、論告のデモンストレーション。
その後の実演では、この検察官側デモンストレーションを前提とした実演を行います。
そして、実演研修の後には、弁護側の冒頭陳述と最終弁論の講師デモンストレーションを行います。
見ていただいて、講義の中で触れられ実演の際にコメントを受けたことがどんなことなのかを感じ取っていただくのです。

デモンストレーション前には、講師ミーティングで、担当講師が「リハ」をしてみます。
そこで、他の講師から、こっぴどいダメ出しを食らう場合もあります(特に若手が担当する場合には。テラバヤシも、以前はデモ30分前に全部考え直さなくてはいけない羽目に陥りました。最近はデモをやらなくなってので、そういう目に遭わなくなりましたが)。
そうやって、真剣にできる限りのいいデモンストレーションをしようと、ぎりぎりまで頑張って、受講者の皆さんに見てもらうのです。

今回、最終弁論の講師デモンストレーションは、大阪弁護士会の後藤貞人弁護士が担当しました。
後藤弁護士は、日本が誇る「無罪請負人」のひとりです。
法廷技術に関して語る一言一言に常に説得力があり、講師陣に参加するだけで受講者も講師陣も気分が引き締まる、そんな大重鎮です。

テラバヤシは、研修のちょっとした合間に、隣で後藤弁護士がデモンストレーションに使うパワーポイントや、話す内容のメモを作成しているのを横目でチラチラ見ていました。
昼食休憩の際に、「こういう風に始まろうと思う」というアイデアを他の講師に披露して、ほぼ全員からダメ出しされたのも見ていました。

どんな最終弁論になるんだろう。
ワクワクしていました。
もちろんテラバヤシだけではありません。
受講者も講師陣も、お手伝いに来てくださった札幌弁護士会の弁護士も、裏方の日弁連の職員さんも、そこにいた全員がかたずをのんで見守る中、後藤弁護士の最終弁論が始まりました。

今回使用した記録は、とある公園内で起こった日雇い労働者同士の酒代をめぐるトラブルに関するものでした。
仕事にあぶれた日雇い労働者たちが集まり、金を出し合って酒を酌み交わしあう。
そんな中で起こった事件という設定でした。
被告人は、金を奪い取った仲間の片棒を担いだとして、強盗致傷の共同正犯に問われたということになっていました(重ねて申し上げますが、記録自体は部外秘です)。

後藤弁護士は、グラフ様のものを用いて、被害者や目撃者の証言が信用できないことを淡々と説明していきます。
映し出されたパワーポイントの前に立って、淡々と静かに、そして1つ1つのポイントを丁寧についていきます。
大げさな身振りは一切ありません。
聴衆を煽るような言葉も、もちろん一切ありません。
検察側が出してきた証拠、証人の供述について、それが有罪の証拠にはならないのだと、被告人の主張が真実なのだと、ただひたすらにそんな話を続けていきます。

弁論が終盤に差し掛かりました。
被告人が有罪であることの立証責任が検察官にあることを話した後、後藤弁護士は静かにこう言いました。

○○さんが再び仲間と酒を酌み交わすことができるようにしてください。
お願いします。

涙腺が緩みました。
胸がジーンと熱くなりました。
他人の弁論を聞いてこんな気持ちになったのは、初めてでした。

この言葉だけでは、単に弁護人が裁判官や裁判員に被告人を無罪にしてくださいとお願いしているようにしか見えません。
しかし、そうではないのです。
冷静に、淡々と証拠について議論を尽くした最後の最後に、この言葉が出てきたのです。
(模擬の記録ではあるけれど)たった1つの願いを裁く人たちに伝えるために、後藤弁護士は、それまでの間、持てる技術を駆使し緻密な論理を重ねてきたのです。
(模擬の記録ではあるけれど)この言葉に、膨大な技術と努力が込められているかと思うと、感動せずにはいられませんでした。

以前の投稿でも触れましたが、我々委員が研修を行っている法廷技術のメソッドは、元々は米国の陪審裁判におけるメソッドでした。
そのせいか、同業者の中でも「パフォーマンス重視の中身のない下らん技術」という偏見を強く持つ人たちが少なからずいます。
「日本人には合わない」と決めつける人もいます。

しかし、およそ技術というものは、実現したいことがあるからこそ開発されるものなのであって、「技術ありきで中身がない」などということは存在しないはずなのです。
我々が研修しているメソッドも実際のところ、弁護戦略と深く結びついているものです。技術だけが独り歩きしているわけでは決してありません。

どんな技術も、それを使う人の魂がこもってこそ生きるものだと、テラバヤシはずっと思っていました。
技術の前には、想いが先行していなければならないはずです。
今回見た後藤弁護士の最終弁論は、改めてその考えが正しいと思わせてくれました。

しかし、「あんな弁論やってみたい」と私は決して言いません。
私は後藤弁護士とは違う人間です。
真似をしたって始まりません。
誰もが自分なりの「想いを込める技術」を会得しなければならないのだと、そう思います。










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by terarinterarin | 2016-12-04 22:27 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin