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AV出演を拒否した女性に対する事務所側の損害賠償請求を代理した男性弁護士が日弁連により懲戒審査相当と判断されたというニュースが、我々弁護士の間で、物議を醸しています。

ニュースのURLはこちら。
http://www.sankei.com/affairs/news/170119/afr1701190001-n1.html

弁護士に対する懲戒請求は誰でもすることができます。今回の件も事件とは関係のない一般の男性が行ったようですが、全く無関係な誰かによる懲戒請求も認められるのです。

懲戒請求があると、まずは、請求された弁護士が属する弁護士会の綱紀委員会というところが、懲戒の審査をするのが相当かどうかを判断します。この決定に対しては、日弁連に不服を申し立てることができます。
弁護士会や日弁連の綱紀委員会で懲戒審査相当という判断をすると、今度は、その弁護士会の懲戒委員会というところが、懲戒すべきかどうか、懲戒するとしてどの程度の処分にすべきかを決めることになります。この決定に対しても日弁連に不服を申し立てることができます。

今回の件は、一度、第二東京弁護士会の綱紀委員会が懲戒審査不相当という決定を出したことについて、懲戒請求した男性が日弁連に不服申立をしたところ、日弁連が判断を覆したとのことです。

このニュースを額面通りに受け取ると、弁護士は依頼を受けて、その依頼に沿って訴訟提起をしたことによって、同業者の団体により「あいつは罰するべきだ」と判断されたことになります。
もしそうだとすると、その判断は、弁護士自身が自分たちのクビを締めることになってしまいます。

依頼者が弁護士に対して本当のことを話さないということもあり得ます。
実は結構あります。
裁判してみて、相手方から出てきた(致命的な)証拠を見て、「え、聞いてない」ということもあります。

不利な点も含めて事情を説明してもらった結果、訴訟を起こしたのだとしても、その請求が「不当請求」と考えざるを得ないかどうかについての判断は、実際には難しいことも少なくありません。

この男性弁護士が、依頼者から、女性がAV出演を拒否した際に違約金を支払えと言った話を聞いていたとしても、もしかすると女性と依頼者の間の契約書にAV出演を前提とする条項等があった可能性もあるわけですし、そうではなくても、弁護士から見て、請求が認められないほどの脅迫行為があったとは判断しないだけの事情があったということも、状況によっては十分にありうるのです。

つまり、何が言いたいかというと、訴訟なんてものは、やってみないと、反対当事者からどんな反論が出てくるかわからないし、裁判所の判断は、「結果論」でしかない場合が往々にしてある、ということです。

日弁連の判断が仮にニュースに書かれている通りの内容なのだとしたら、少しでも不当な請求との認定を受けそうな事件を、弁護士は一切受任できなくなってしまいます。
しかも、さっきも書いた通り、裁判所の判断は結果論でしかない場合が往往にしてあるのですから、「不当請求って言われるかも」という反応が過剰に行われてしまい、弁護士が、「余裕で勝てる案件」しか受任しなくなるなんてことにもなりかねません。
市民に対する司法サービスが著しく低下する事態を招く現実的な危険性があります。

それだけではありません。
これは、FBで私の元兄弁が書いていたことですが、「刑事弁護」というものが一切できなくなってしまいます。
無罪を主張したり、もっと軽い罪だと主張したりしても、裁判所が「結果として」有罪、あるいは検察官が主張する通りの重い罪だと認定した場合には、弁護人が懲戒されうることになります。
ついでに言うと、例えば離婚訴訟を起こした側について、判決で「結果として」不貞などの有責性が認められ、請求が棄却された場合にも、代理人は懲戒されうることとなってしまいます。
刑事事件も離婚事件も、怖くて誰も受けられなくなってしまいます。

確かに、弁護士法の1条には、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と定められています。
当たり前のように併記されていますが、「基本的人権の擁護」と「社会正義の実現」は時として相反するものです。
死刑求刑が予想されるような残忍な事件の弁護活動などは、まさにその最たるものでしょう。

さらに弁護士法3条には、弁護士の職務として、「当事者その他関係人の依頼…によって、訴訟事件…その他一般の法律事務を行うことを職務とする」と定められています。これは、弁護士の職務が「個」の利益の実現を図ることを定めているといえましょう。
これも「社会正義の実現」とは時として相反するものになります。

つまり、弁護士は、「個の利益の実現」と「社会正義の実現」という相反する利益を追求するという矛盾した責務をそもそも負っている職業ということになるわけです。

検察官は法的に「公益の実現者」であることが求められ、裁判所は中立公正を堅持しなければならないとされています。
法曹の中で「個」を守りなさいと言われているのは、唯一弁護士だけなのです。

その弁護士が、純然と個の利益を図ろうとした結果、「社会正義」の名のもとに、それが悪いとそしりを受けてペナルティを科されるとなると、「全体の中の個」を守ることを法的に保障される立場の存在が、日本社会から消されてしまうことになります。
仮に、日弁連の今回の決定が報じられている通りなのだとすれば、日弁連は、自分たちの職責を放棄せよと言っていることになるのです。

そんなアホなことがあっては、たまりません。

よく「盗人にも三分の理」という言葉があります。
盗人の三分の理が何なのかを考えて、それを主張するのが、弁護士の仕事なのです。
それがたとえ、裁判所に受け入れられなくても、検察官にせせら笑われても、弁護士はそれをしなくてはならないのです。

ニュースには、必ず裏側があると私は思っています。
今回の件だって、きっときっと、表面の部分だけをなぞって報じた結果、あんな書かれ方になったに違いない、そう思っています。
いくら「個の利益」を守ることが職責だとしても、「品性」失ってはいけないのであって(弁護士法2条参照)、例えば、明らかに不当な高額要求をしていたり、女性について事実に基づかない誹謗中傷を裁判中に繰り返したりなどということがあって、今回の逆転「懲戒審査相当」になったのだとすれば、理解できます。

しかし、そんな事情すらなかったのだとすれば、今回の日弁連綱紀委員会の「懲戒審査相当」判断は、はなはだ疑問としか言いようがないのです。

*追記*2017.1.20
表現に不適切な個所がありましたので、本日修正いたしました。







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by terarinterarin | 2017-01-19 18:14 | Comments(3)
皆様、あけましておめでとうございます。
明日も休んでしまうテラバヤシです。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

年末年始は、独り身のこともあって、毎年帰省しております。
帰省すると、いつもは、何人かの友人知人らに連絡をしてランチをしたりのみに行ったりしますが、今回は、ほとんどそういうことをしませんでした。
「人に会って気を遣う」ことをしない過ごし方をしたかったわけです。

弁護士というと、「人」や「人に会うこと」に対するストレスや苦手意識がない人、あるいはむしろ得意とする人の集団であるというイメージを持つ人が多いと思いますが、実際のところ、必ずしもそうではありません。
そういうことが苦手な人が、実際のところは大勢いるようです。

まず自分の話をしますと、(前にも何度か書いた気がしますが)テラバヤシはもともと結構な人見知りです。
白状すると、「中途半端な知り合い」が自分の少し前を歩いていたり、同じ地下鉄の車両に乗っていたりすると、歩くスピードを落としたり、道を変えたり、その辺の店に入ったり、車両を変えたりします。

学生時代に家庭教師やら塾の先生やら予備校講師やらをするようになって、後天的に、社会生活を送るために必要な程度までは克服し、周囲の人からは、一見人見知りとは程遠い人間に見られるようになりました。
が、実際のところは今でもこんな体たらく。
自分の方から、発見してしまった「中途半端な知り合い」に声をかけることは、100回に1回あるかどうかです(正面からいらっしゃった方には、脊髄反射で、ニコニコご挨拶します)。

もちろん、他人と会話することが常にストレスになっているわけではなく、仕事で初めてお会いする方とお話しすることは全く平気ですし、「本当に仲が良い」「本当に気心が知れている」と自分が認識している人と会ったり、一緒にご飯を食べたりすることは、楽しいです。苦になることはありません。
が、プライベートで「本当に仲が良い」「本当に気心が知れている」と思える人の範囲が非常に狭く、かつ、その範囲に収まらない人と仕事を離れて一緒に時間を過ごすということになると、ある程度、あるいは相当程度の気合を入れる必要が生じてしまうのです。

大勢が集う飲み会というのも苦手意識が強いイベントのひとつです。
これも常に全ての飲み会がダメというわけではなく、「立ち入った話」をしないで済む、完ぺきに「仕事上の行事のひとつ」と割り切れる飲み会であれば、苦も無く出席できるのですが、中途半端に「立ち入った話」が生じてしまったり、見たくもない醜態がさらされがちな「仕事上の行事」とは言い切れない飲み会になると、お断りできない場合には、相当な覚悟を持って臨むこととなってしまいます。

こういう大勢の飲み会に行くと、気が利いた行動を何ひとつとることができないのがテラバヤシの特徴です。
頃合いを見計らって席を移る人。
ビール瓶や徳利をもって、上下の別なく話をしに行く人。
「写真撮りましょう!!」と声をかける人。
そういう人たちを見ると、「すごいなあ」、「えらいなあ、気が利いて」、「出世するのはこういう人なんだべなあ」などと感心します。
どれひとつとして実行できることがありません。

そして、こういう飲み会から帰る道すがら、気が利くすごい人たちの姿を思い浮かべながら、「やはり自分には社会性がないのだ」「協調性ってものがないのだ」などと落ち込むことがお約束になっていました。

しかし、そんな「社交性のない」ダメ人間?は、ワタシだけではないと思わせてくれる出来事が昨年ありました。
昨年の秋、とある偉い先生のとある記念日を祝うパーティが開かれた時のことでした。
とてもとてもとてもお世話になっていた先生のパーティへのご招待でしたので、テラバヤシはそれなりに張り切って出席しました。
もちろん規模が大きかったため、ある程度の気合を入れての出席となったことは白状しなければなりませんが…

そのパーティは特に席が決まっていない立食のパーティでした。
私がついたテーブルには、弁護士になってわりに間もないころからよく知っている弁護士が集いました。
気心が知れていたり、なんとなく波長が合うと感じている人たちばかりで、とても居心地が良いテーブルでした。

そのテーブルのメンバーは、パーティの2時間ほどのうち、都合1時間半は、ほとんど誰もそこから動こうとしませんでした。
ほぼ全員が同じテーブルを囲んで、酒を飲みつつ、料理を食べつつ、そのテーブルにいるメンバー同士で話をしていました。
カメラを持って、せっかくだから写真を撮ろうと何人もの人が行きかうのをしり目に、「ああいう人たちはえらいなあ」、「自分たち、ここでいいよね」などとつぶやきながら、その場にステイしていたのです。

同じテーブルにいた人たちの名誉のために言いますが、問題がある弁護士は誰一人としていません。
皆、会務活動では積極的に発言し、地元の単位会で重要な役割を担い、そして刑事事件で無罪判決を得るような優秀な弁護士たちばかりです。
そういう面々が、実際のところは、社交性の皮をかぶった「隠れ人見知りちゃん」だったことがわかったのです。

ワタシだけじゃないのかあ。
自分のことをいたずらに「ダメ人間」だと思う必要はないのかもしれない。

とても安堵しました。

考えてみれば、弁護士を目指す人間の中には、「会社勤めは自分は無理、いや」という動機から出発する人間も少なくなく(私も目指した理由の2番目か3番目はそうですが)、そうすると、その中には「人見知り」「団体行動が苦手」という人も結構な割合で含まれているはずなのです。
皮肉なことに、企業法務であれマチ弁であれ、弁護士は人と会って人から話を聞いてコミュニケーションをとるのが仕事。
そういう本来の属性からは得意ではないことを職業的に繰り返していくうちに、後天的に仕事をするうえで必要な程度に、「苦手な人付き合い」が克服されてきた人が、案外大勢いるような気がします。

日本の社会では、苦手を克服することが良しとされる風潮が強いように思えますが、テラバヤシは、この点に関しては開き直っていこうと思います。
2017年は、よりわがままに無理をしない生活を心がけていくのが目標です。





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by terarinterarin | 2017-01-03 18:41 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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