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以前も書いたことがあるような気がしますが、テラバヤシはフィギュアスケートを見るのが大好きです。
この週末も、韓国で開催されているフィギュアスケートの四大陸選手権の放送を楽しんでおりました。

女子シングルでは三原舞依さんという初出場の日本人選手が初優勝を飾りました。
現在の日本のエース宮原知子さんを思い出すような(と言っては三原さんに失礼ですが)、生真面目な人柄と正確な技術。インタビューの受け答えも初々しく生真面目で、キス&クライでの振る舞いも愛らしく、今後彼女のファンがどんどん増えて行くんだろうな、彼女のことを嫌いというスケートファンはきっとあまりでてこないだろうな、と思わせる選手です(私も、非常にほほえましく拝見しておりました)。

その一方で、今回その力を全く発揮できなかった選手がいました。それがタイトルにも書いた樋口新葉さんです。
樋口さんは、まだ高校1年生。今シーズン、ジュニアからシニアに上がって世界レベルの大会にも続々出場。全日本選手権で2位になり、今回の四大陸選手権と3月の世界選手権の日本代表を勝ちとりました。
ジュニア時代からスピード感あふれる演技と難易度の高いジャンプを武器に国際大会で良い成績を収めており、シニアに上がった今年は、さらなる活躍が期待されていました。
宮原知子さんが故障で四大陸選手権を欠場することとなったあと、表彰台に上がることを期待されていたのは、ジュニア時代の成績や全日本の順位から考えて、三原さんではなくむしろ樋口さんだったでしょう。
しかし、ショートプログラムでもフリースケーティングでもミスを連発して、まさかの9位に沈んでしまいました。
フリースケーティングの後はキス&クライで人目もはばからず、号泣していました。

樋口さんは、宮原さんや三原さんとは対照的な選手です。
インタビューを受けても、ニコニコ受け答えすることはほとんどありません。
アナウンサーが、テレビ受けしそうなコメントを拾おうとかなり誘導的な質問をしても、空気を読んで気の利いたコメントを言うこともありません。今回も、アナウンサーがかなり誘導したのに、しばし沈思黙考した後、最低限のコメントしかせずにその場を去っていきました。

日本では、女子スケート選手(特に若い選手)で人気が出るのは、清潔感や可憐さ、愛らしさがある選手です。宮原さんも三原さんもそうですし、昨年世界ジュニア選手権を制した本田真凛さんは、「愛らしい」を体現したような選手です。日本人の多くが大好きな?浅田真央さんもそうでした。
しかし、樋口さんは、それに逆らうかのような大人っぽい色香の漂う演技をする選手です(シニアに上がってから、急にそのような演技になりました。ばっちり本人の雰囲気にはまっています)。メイクも、清潔感よりは色っぽさを強調するものです。

日本の女子フィギュアの歴史をさかのぼると、伊藤みどりさん、荒川静香さん、村主章枝さん、安藤美姫さんなどなどと個性的な選手が何人も思い浮かびます。しかし、最近は、小粒であまり個性が際立たない女子選手が多くてつまらないなと思っていました。樋口さんは、テラバヤシから見れば、久々に出てきた個性派です。

号泣している樋口さんの姿を見ながら、面白い人だな、頑張ってほしいな、と思いました。そして、ふと、考えました。
これって、我々の業界にも言えることなのかなあと。

テラバヤシの事務所は、おひとりさまのこじんまりしたところですから、修習生を迎え入れることは、今のところありません。
しかし、それでも業務上修習生と関わることはありますし、弁護士会の研修などで、新人の弁護士さんにお会いしてお話をさせていただくことも決して少なくありません。
最近の修習生や、新人の弁護士さん、皆さんまじめそうな感じに見えるのですが、爆発力というか、個性というか、「いっちょやったるで」というギラギラした感じを漂わす人に会ったことがないなあと思うのです。
「まじめで」とは書かず、あえて「まじめそうな感じに見える」と書いたのは、実務修習中の修習生なんかに会うと、場合によっては「別に興味ないけどカリキュラムとして必要だからやっている」感ありありの人なんかもいたりするし、新人弁護士の研修も同じで「会でやれって言われたから出ている」という態度がにじみ出ている人も少なくなかったりするからです。
決められたカリキュラムをこなしはするけれど、それさえすれば結末がある程度約束されていて、かつ他に力を注がなければいけないものがある(就職とか2回試験とか、ボスに与えられた仕事とか)のであれば、それ以上はやらない、みんなそうだしね、という「レールの上に乗って右ならえ」的な人ばっかりだよな、と感じるのです。

テラバヤシが弁護士になった10年前も、おそらく先輩弁護士から見れば、「小粒な奴が増えた」と思われていたのだろうと想像します。私が受かったのは、新司法試験元年。旧試験合格者と新試験合格者が初めて弁護士になった「弁護士業界大量流入時代」の幕開けともいえる時季でした。いい具合に希釈された薄味な人間が業界内に急に増えたと思った同業の先輩は、いっぱいおられたのであろうと思います。

しかし、それでも、少なくとも私の周りには、同期や少し上の先輩も含めて、「変な人(注:必ずしも悪い意味ではありません)」は結構な数存在しました。
特に法テラスの同期や1,2年上の先輩(特に1年上の先輩)の中には、社会人としてちょっとどうなのだろうと首をかしげるような言動の方も何人かはいたりして(いや、テラバヤシもそう思われていたのは百も承知で書いてますが)、スタッフ弁護士のメーリングリストは、そういう人たちの発言をめぐって大炎上することもしばしばありました。
もう、樋口新葉や安藤美姫なんてかわいいもんで、(かなり古いですが)トーニャ・ハーディングレベルの人がゴロゴロ?していたわけです。
メーリスの炎上が何かを生んでいたわけでは決してありませんが、あのころ、メーリングリストを炎上させていたスタッフ弁護士の何人かは、今や、自身のフィールドを確立し、大活躍しています(ここで固有名詞を挙げることは控えさせていただきたいと思います)。

弁護士の仕事は、決して社会常識にかなうものばかりではありません。一般の人から「ゲスい仕事している」と非難されることでも、しなければならないことは多々あります。
そういう仕事の中身を考えた場合、長いものに巻かれない(巻かれることができない)個性派が一定数いることは必要ですし、たくさんは必要ないと思うけれど、「ブチ切れた感覚」の持ち主もいなければならないと思うのです。

体を使った技術の極限と芸術の極限を追及していくフィギュアスケート界では、常人と違う感覚を持っていることが有効に働くことが多いといえましょう。レールの上に乗って右ならえ、では、決して、人の心や歴史に残るスケーターになることはできないのではないでしょうか。

かなり無理やりな感じもしますが、一般社会の感覚とは違った感覚で仕事をしなければならないことが多い弁護士の世界も、とても似ていると思います。個性派や異端が必要ですし、それを受け入れる空気が業界内にないといけないように思います(未だ失われはいないと思いますが)。

トーニャ・ハーディングになれ、とは言いません。
でも、修習生や新人の弁護士さんの中に、せめて樋口新葉さんくらいの人はいてほしいなと、思うのであります。




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by terarinterarin | 2017-02-20 01:46 | Comments(2)
行政官はゴルフをやる。司法の人間はテニスをやる。
こんな話を聞いたのは、私がまだ司法試験を受ける前に大学院に所属していたころの話だったでしょうか(つまり、随分古い話です)。

なんとなくそんなことを頭の片隅に置いたまま、司法試験に受かり、修習生になり、そして弁護士になりました。
「司法の人間はテニスをやる」なんて、弁護士になって10年目を迎える今日まで、全く実感したことがありません。

確か民事裁判修習で配属された部(札幌地裁)の部総括判事がテニスをおやりになっていたと思いますが、その部でテニスをやっていたのはその人だけ。刑事裁判修習の配属部では、部長も右陪席も左陪席もテニスには全く縁がありませんでした。右陪席はコンサドーレ札幌の熱心なサポーターであり(試合がある日はそそくさとお帰りになっていました)、左陪席は野球人でありました。
検察修習の際にお会いした検察官は、どなたもスポーツとは程遠い感じの方ばかりでした(どちらかというと「呑む」というイメージです。なお、主観ですので問題発言扱いはしないでください)。

弁護士になった後は、なかなか裁判官や検察官とプライベートの話をすることもなくなりましたが、それでも数人の方とは、ざっくばらんにお話しする機会がありました。
が、やはり「テニス」をやっているという方はどなたもいらっしゃいません。
かの有名な岡口裁判官は、SNSで拝見する限り、筋トレ、そして水泳と、テニスとは全く縁がなさそうにお見受けされます。
知り合いの検察官にも、やはりスポーツのイメージは一個もありません。

弁護士の知り合いの中では、ひとり、東京ディフェンダー法律事務所のY弁護士がテニス男子ですが、「趣味でテニスを楽しんでいます」という爽やかさはみじんもなく、ガチすぎてむしろ怖いくらいです。「司法の人間はテニス」という言葉の趣旨とは全く違うレベルにいるように感じられます。

Y弁護士はさておくとして、弁護士がやるレジャー、スポーツというと、みなさんやはり「ゴルフ」を思い浮かべるのでしょうか。
弁護士というと、依頼者にたっかい報酬を支払わせ、それで豊かな私生活を送っている…というイメージとともに「弁護士=ゴルフ」とワンセットでお持ちの方が、今でもたくさんいらっしゃるのでしょうか。

「弁護士はゴルフをやる」というのは、今は昔のお話、というのが個人的な感覚です。
正しく言えば、ある一定の年齢層の弁護士は、今でもゴルフをある程度おやりになっているように見受けられます。
テラバヤシが所属している東京弁護士会内の派閥のメーリングリストでも、ゴルフの大会や親睦の告知が年に数回はありますので。
が、少なくとも50期代の後半(経験14,5年以下)のゴルフ人口は、激減しているといっても過言ではない、と思います。
多くの弁護士会には野球チームやサッカーチームがあり、大会も開催されています。
そのチームに所属している弁護士の知り合いが結構います。
サッカー、野球以外では、マラソン、そして、目的はよくわからないけれど、やたらめったら鍛えている人(愛知県弁護士会所属で事務所に筋トレのマシンがあるという噂の方もいます。)…個人でスポーツを楽しむ類の人が多いように思います。

ゴルフをよくおやりになる世代というのは、バブル期にすでに弁護士だった方ではないのでしょうか。
このころは弁護士人口も少なかったし、仕事もたくさんあり、たいていの弁護士は儲けていたのでしょう。
人は、もしかするとお金を持つとゴルフをやりたくなるのかもしれません。
グリーンに出るところまで想定すると、ゴルフは、スポーツの中でもかなりの資金を要するものでしょう。
弁護士のステイタスのひとつがゴルフ、だったのだと思います。
顧問先からの接待でゴルフ、というのもあったんでしょうし(縁のない時代の話なので、想像想像)。

しかし、法曹人口が司法改革とともに激増し、そのしわ寄せがドドンと弁護士業界に押し寄せ、今や私たちの業界はパイの奪い合いの状態です。
常に大儲けの弁護士なんてほんの一握りであり、「まあまあ余裕がある生活」を送れるのであれば、弁護士としてはまあまあ成功しているという時代になりました。
また、Jリーグができて日本の社会に定着し、日本人も普通にサッカーに親しむようになったり、一般人がフルマラソンに気軽に挑戦するようになったり、普通の人が触れるスポーツの種類が増えてきたという事情もあるでしょう。
ストレスを解消したり、健康維持するにあたり、別にゴルフみたいにお金かけなくてもできるものがたくさんあるし、ゴルフなんてそもそも興味ないし…という人間が、我が業界の中に普通に増えてきたのだと思います。
顧問先でゴルフ接待できるほど資金があるところも、もうほとんどないのでしょう。

ゴルフというのは、一緒にラウンドを回る人との親睦を深めるのにちょうどよいレジャーのようで、かつて弁護士業界でゴルフをする人が多かったのは、このあたりの事情に負うところも多いのかな、と思います。情報収集の意味もあったのかもしれません。
そういう意味では、ゴルフはその役割を、SNSなどにとられることになってしまった、ともいえるように思います。

ちなみに、テラバヤシは、ゴルフは全くやりません。
やろうとも思いません。
虫が苦手だし、お日様が照るなか、日がな一日表にいるなんて、お肌に悪そうです。
天気の悪い日に一日中外にいるのはもっと嫌です。
なにより、前にも書いた通り、そもそもが協調性がない性格なわけですから、休みの日にまで半分仕事みたいな感覚で、他人と一緒に長時間ラウンドを回るなんて、まっぴらごめんというのが本音です。

テラバヤシは、自宅で毎日ちょこちょこ鍛えるのが好きです。
腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワットに腿上げを毎日日課としております。半年前からはラジオ体操が、2か月前からはエア縄跳びがこれに加わりました。
そして、年明けからは友人と二人、たまにボルダリングを楽しんでいます。

そういえば、ボルダリングは、親睦を深めるにはいいスポーツです。
ひっきりなしに登っているわけではなく、休憩しながらマイペースで登るので、話をする時間がたくさんあります。
運動量もゴルフよりははるかにあるし、健康維持と親睦を両立するには、もってこいではないかと思います。



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by terarinterarin | 2017-02-16 22:30 | Comments(0)
稀勢の里が久しぶりの「日本出身横綱」になりました。
確かに日本出身大関勢の戦いぶりは、しばらくの間物足りないことが多かったですし、相撲は日本の国技。
久しぶりの「日本出身横綱」の誕生が歓迎されること自体は、避けられないことだし、当然のことだと思います。

しかし、明治神宮にびっくりするくらいの人が集まったり、ワイドショーで連日取り上げたりというばか騒ぎぶりを見て、テラバヤシはちょっと嫌な気持ちになりました。

大鵬が持っていた優勝回数の記録を白鵬が超えた時にも感じたことですが、本当は、日本人は、外国出身の関取が日本相撲界で活躍することを快く思っていないのです。いや、正しく言えば、ある程度強くて相撲界を盛り上げてくれること自体は歓迎しているのでしょうが、横綱や大関という頂点の番付に君臨して日本人の上に立っていることを苦々しく思っている人、潜在的に快く感じていない人が思いのほか多いのではないでしょうか。
今回の稀勢の里フィーバーに、私は、「日本人が持つ潜在的な差別意識」を強く感じたのでした(稀勢の里もとんだ重荷を背負ったものだと思います)。

日本では近年在日朝鮮人に対する「ヘイトスピーチ」が繰り返されており、そのような活動を支持する声も存在しています。最近は、日韓合意に反する形で設置された慰安婦像をめぐって日本と韓国の関係はまた冷えたものになりましたし、北朝鮮との関係では、拉致問題について解決の糸口すらありません。
そんな国際関係の問題がお門違いな形で在日朝鮮人に対する嫌がらせや憎悪、ヘイトスピーチの許容につながるようにも思えます。

思えば、戦後の復興期、日本全体が熱狂したプロレスの大スター力道山は、在日朝鮮人でした。
アメリカのプロレス界で「卑劣なジャップ」というキャッチコピーで活躍したグレート東郷というプロレスラーは、その出自が謎に包まれていますが、在日朝鮮人だったとか在日中国人だったという噂が根強く残っています。
アメリカプロレス界から日本にレスラーを招聘したり、アメリカのプロレス界に日本人プロレスラーを送りこんだりして、戦後の日本のプロレス界を盛り上げ、引っ張っていった立役者の二人が、在日朝鮮人の力道山と「生粋の日本人ではなかったのかもしれない」グレート東郷だったのです。

現在の日本の相撲界と非常によく似た構造だったと言えるのかもしれません。
思えば、白鵬がその記録を抜いた大鵬だって、ウクライナ人とのハーフでした。高見山や小錦、曙というハワイ出身力士が日本相撲界の人気を支えていた時代もありました。
なにもプロレスや相撲などの格闘技の世界に限った話ではありません。
私がいる弁護士の業界には、在日朝鮮人や中国人で目を見張るような活躍をしている方が何人もいますし(今回この記事を書くまで、わざわざ思い至ることすらなかったほどです)、少なくとも都市部の飲食店や小売店では、日本出身ではない方々が普通に働いています。

「日本の社会は生粋の日本人のもの」という考えや潜在意識は、根拠なんて全くない空虚なものとしか言いようがありません。

アメリカでは、新しく大統領になったドナルド・トランプが「不法移民の取り締まり」の名目で、メキシコとの国境に壁を作ると言いだしたり、「テロリストの入国を防ぐ」という名目で、中東7か国からの渡航者の入国を規制しようとしました。
確かにお題目自体は正当なもののように思えますが、その芯の部分にある思想は「メキシコ人や中東の人間をアメリカ国外から排除したい」という排外主義にあることはまず間違いありません。

日本では、このトランプの政策は否定的にとらえられており、これに賛同する論調の意見は今のところ目につきません。トランプと仲良くしようとする安倍首相に対して懐疑的な視線が寄せられてもいます。
そして、その否定的な論調の中心は「アメリカは移民の国で、そんなことしたら自国の成り立ちを否定することになるではないか」というものです。
この見方の根底には「アメリカは日本とは違う移民の国」という考えが潜んでいるといえるでしょう。

しかし、ほんとうにそうなんでしょうか?

そもそも、人類の歴史は「移動の歴史」といえます。
アジア人と言えば、日本や韓国、中国等々のいわゆる「アジア諸国」に住んでいる人というイメージがありますが、フィンランドやハンガリー、ロシアにもアジア系の住民は暮らしています。
遠い昔には、中国や朝鮮から日本に渡ってきた「渡来人」と呼ばれる人たちがいました。
テラバヤシの故郷は札幌ですが、今思い返してみると、名前は日本風の苗字と名前ではあったものの、顔立ちから想像してスラブ系のご先祖様が近いところにいるのかもしれないという人が何人かクラスにいました。
「内地の人」に侵略された北海道原住のアイヌの人々も、同じ地域で暮らしていました。

そう考えてみると、日本とアメリカの「移民性」の違いなんて五十歩百歩、大した違いなんかありません。
日本人の多くが想定している「生粋の日本人」「日本出身の日本人」の概念なんて、先ほども書いた通り、実に空虚なもので、トランプが頭の中でこしらえている「アメリカ人」と同じようなものでしかないのだろうと思います。あえて定義するとすれば「支配層の政策によって同化された人種・民族に属する人々」ということにしかならないように思えます

つまり、何が言いたいかというと「稀勢の里万歳」とか騒いでる「日本人」は、実は気が付かないだけで排外主義的な思想に染まっていて、その根っこはトランプやトランプの政策を支持している人々と似たり寄ったりなんではないかということです。
私たち、冷ややかな目でトランプやトランプ支持者を眺めていますが、実は、「日本人くさくない人」に対して、同じような視線を向けているんじゃないでしょうか。

先ほど、今思えば子どものころスラブ系のハーフやクオーターと思しき人がちらほらクラスにいたという話をしましたが、その人たちが自分たちの出自について自ら打ち明けるようなことはありませんでした。
何人か思い当るその人たちは、偶然かもしれないけれど皆おとなしく目立たない人たちでした。
もしかすると、出自がばれた時の差別を恐れていたのかもしれないと、今になって過大に妄想を膨らませてしまいます。

自分の母方の祖母は、輪郭と言い顔立ちと言い、アジア人離れしています(全く私の顔には反映されていませんが)。
祖母の両親は、祖母が幼いころに二人とも早世しており、祖母自体が両親の出自を聞くことはなかったようです。
うちは大した家柄でもないので家系図もありません。もしかしたら改製原戸籍とか丁寧に追っていけば、何かわかることがあるのかもしれないけれど、それで何か知ることがあったとしても、自分の今の生活が変わるわけでもありません。何より面倒です。

自分はこんなことは馬鹿らしいと思っているけれど、世の中にはそうではない人が大勢いるようです。
生産的じゃないと思うのは、私だけでしょうか。








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by terarinterarin | 2017-02-05 21:49 | Comments(4)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin