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昨日今日(2017年3月11、12日)と東京の3つの弁護士会で、米国の「スーパーロイヤー」を招聘して2日間の法廷技術研修を行いました。
米国は古くから一般の方々が、民事刑事の裁判(刑事だけではないのです)に参加する陪審制度が採用されています。
そこで、日本で唯一一般の方々が裁判に参加する裁判員裁判における弁護人の法廷技術を、歴史ある米国のスーパーロイヤー(つまり陪審裁判で大きな成果を上げている弁護士)に伝授していただこうとお呼びしたというわけです。

2日間の研修では、冒頭陳述、主尋問、反対尋問、最終弁論等々刑事裁判の各パートについて必要なテクニックを、受講者の実演とこれに対するスーパーロイヤーによる若干のコメントという形式で主に進めていきました。
これに付随して、ゲーム形式での訓練(ドリル、と呼びます)やパネルディスカッションなども行われました。

今回の研修の実施にあたっては、東京の3つの弁護士会からそれぞれ数名の弁護士が呼び集められてPTが作られ、段取りを立ててきました。
テラバヤシも末席ながら名を連ねておりました(とはいえ、関係各所との交渉等は他の弁護士にやっていただいておりました。せめてもの罪滅ぼしで、当日尋問のパートで証人役を務め、やっと帳尻を合わせた…という感じです)。

お招きするにあたり、PTでは、2日間のカリキュラムを作りました。
講師のスーパーロイヤーに何をやっていただくか、どのようなスケジュールで進行していくか、などなど詳細なカリキュラムを作り、当日を迎えました。

10日は午後から研修開始でした。午前中は、我々招聘側のスタッフとスーパーロイヤーで事前の打ち合わせを行いました(実際にお会いして打ち合わせができたのは、この時が初めてでした。当たり前の話ですが)。

こういうカリキュラムで進めたいということを具体的にお伝えできたのも、確かこの時が初めてでした(スーパーロイヤーなだけになかなかご連絡を取ることも難しく、やむを得ませんでした)。
そうしたところ、スーパーロイヤーの側から、ここはこうしたいという要望が次々に出てきました。

招聘側スタッフ、しばしびっくり。
予定になかったカリキュラムが加わることになり、受講者側にも予定外のことをしてもらうことが必要になりました。
備品を新たに用意しなければならなくなりました。
機器類の動かし方、人員の配置、変えなければならないところが結構出てきました。

えらいこっちゃ、と思いました。が、スタッフの中で「それはできない」という人は誰もいませんでした。
スタッフ側の弁護士とて、この研修についてズブの素人ではありません。日本の弁護士に対して同様の研修の講師をしている者ばかりでした。他に何を用意すれば良いか、どういう立ち位置でサポートすれば良いのかは十分に想像できました(わからなければきけばいいんだし)。

進行はスーパーロイヤーたちに丸投げでお任せして、必要なサポートをしよう。
そんな雰囲気になり、作ったカリキュラムの大半はなかったことにして、自由に進めてもらうことにしました。

スーパーロイヤーの進行は、私ごときがこんなことを言うのはなんですが、秀逸としか言いようがありませんでした。

大枠の時間は守ってくれました。
昨日の終わり時間は、午後8時。その時間ぴったりに終了しました。
外注に出していた通訳は本来午後5時までの約束でした。
通訳の残業はなんとか1時間に抑えてくれました。

11日は、東北の震災の日。地震が発生した時間が研修の時間中に迫ってきました。午後2時46分の地震発生時刻に合わせて黙祷する人もいるだろうという配慮で休憩を挟んでくれました。

ひとりひとりの実演に対するコメントも非常に丁寧です。
まず、最初に必ず、いいところを挙げて、褒めます。
その上で改善点を指摘します。具体的に自分たちが短時間の実演をしてみせます。
身振り手振りを交えて、実演した人だけでなく、傍聴に来た人みんなに語りかけます。
そして、実演担当の受講者だけでなく、傍聴に来た日本の弁護士も参加できるように、ドリルのコーナーでは、マイクをかなり後ろの席まで回していきました。

研修のための模擬の記録は徹底的に読み込んで来ており、わずかな休憩事件以外は、頭も体もフル活動でした。

かなりなチャージをお支払いしたんじゃないのか?だったら当たり前じゃん?などという方もいるかもしれません。が、弁護士会の行事となると、予算はかなり厳しく管理されます。
彼らが日常の業務で手にする報酬から考えるとただ同然のボランティアとも言えるものしかお支払いできておりません。
それでも、スーパーロイヤーは、一切手を抜きませんでした。

今回の研修で学んだことはたくさんありました。
法廷で用いる技術や、今後講師をして行く上で有効なスキルやネタ、段取り、気構え、美しい立ち居振る舞い、などなど。

しかし、一番感銘を受けたのは、やるからには、可能な限り最大限に、サービスの受け手にいいものを提供したい、妥協しないでやれるところまでやりたい、自分たちが正しいと思うものを少しずつでいいから広めていきたい、という彼らのスピリットの部分でした。

こういうスピリットは、時に一緒に仕事をやるスタッフに大きな負担を強いることになります。
そして、確かに突然の変更になって、現場のスタッフは、非常にあたふたしました。
しかし、結果が出てサービスの受け手(今回の件では研修の参加者)が満足し、有益な結果が残せたことで、あたふたしただけの甲斐があったと思えました。

自分は、弁護士になる前から、弁護士ををサービス業だと捉えていて(当たり前だろ!!とかつっこまれそうですが、古い弁護士の中には、こういう捉え方をすることに大きな抵抗感を覚える人もいるようです)、サービス業である限り、依頼者の利益を図ることにできる限りの努力をするのは当たり前だと考えていました。
しかし、実際に自分は、日々の業務の中で、できる限りの努力を本当にしているのか、と自問自答せざるを得ない状況になってしまいました。
ポリシーとしてやり続けていきたい活動もあるけれど、忙しいことを理由にとても熱心にできているとは言えません。そんな自分の不甲斐なさとも直面することとなりました。

2日間圧巻のパフォーマンスを見せてくれたスーパーロイヤーは、私に「弁護士として、あなたはそれでいいのか?」という根本的な問いかけを残して去っていきました。

今回の研修は、実演を担当する受講者だけではなく、様々なところから大勢の弁護士が傍聴に来ていました。
普段は刑事弁護に縁がない弁護士も多数訪れており、飽きることなく夜遅くまで、講義やパネルディスカッションを堪能していました(民事事件にも役立つスキルがたくさんありましたので)。
若い人ばかりではなく、大ベテランに当たる弁護士もたくさん参加していました。
スーパーロイヤーは、参加した弁護士ひとりひとりの胸になにがしか残していったことは間違いないでしょう。

日本の弁護士の世界は、やれ依頼者のお金の横領だの、やれ日弁連総会での委任状の変造騒ぎだの、世間の信頼を失うような話題に、ここ最近事欠きません。

そんな中でも、何かを求めて忙しい仕事の合間を縫ってたくさんの弁護士がスーパーロイヤーの研修に来たことを、喜ばしく感じた週末なのでありました。





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by terarinterarin | 2017-03-12 00:13 | Comments(1)
先日、和歌山で殺人事件の被告人が、それまで事実を争わないかのような姿勢を示していたのに、公判初日の罪状認否で突然否認に転じたというニュースが報じられました。
その日の午後には、元どおりに事実を争わないことにしたらしく、おそらく、ニュースに触れた皆さんの中には、

なんだこいつ、終わってんな
弁護士ちゃんと打ち合わせやってんのか

などと思われた方も少なくないと思います。

がしかし、このニュース、弁護士の多くは、さもありなんという気持ちで聞いていたことと思われます。
刑事弁護をそれなりにかじってきた弁護士の多くは、あるあるあるあると、深くこの弁護士に同情したことと思います。

テラバヤシが修習生の頃、刑事裁判修習を受けていたときのことです。まだ、裁判員裁判は始まってない時代でした。
とある殺人の共犯事件を傍聴することになりました。
第1回公判の前、被告人全員が事実を争わない予定という連絡が裁判所には来ていました。

が、第1回の当日、被告人の1人が、殺意を突然否認しました。
その被告人を担当していた弁護士は、そのまま身動きが取れなくなってしまいました。
誰しも、この弁護士にとって、被告人の主張は、想定外だったのだろうと理解しました。

まだ実務をほんの少し覗き見したに過ぎない状態だったテラバヤシは、なんでこんな事態になってしまったのだろうと疑問に思うと同時に、まだベテランとは言い難そうだったその弁護士が固まっている姿を、なんと気の毒なことだろうと思って見つめておりました。

弁護士になって、まだそれほど経っていない頃のことです。
とある裁判員裁判を友人と担当しました。遂に週明けから裁判員裁判という土曜に、私たちは打ち合わせのために、拘置所で被告人と面会をしました。

裁判員裁判は、事件が起訴されてから公判開始に至るまでの間、一般の人が参加しても裁判がわかりやすいように、法曹三者で争点や証拠を整理する公判前整理手続というものを行います。
その中で、弁護人は、起訴状に書かれている事実に対する認否の予定や、その他主張することを予定している事実を明らかにします。
この事件は、被告人が当初から事実を争わない姿勢を見せており、私たち弁護人も、起訴状に書かれている罪について争わない予定であると、この時点ですでに裁判所や検察官に明らかにしておりました。

しかし、公判開始2日前の土曜日の打ち合わせで、突然被告人は、「その言い分は明らかに事実を争う内容だろう」という話を語り始めたのです。

私と友人はその場で一瞬固まりました。
そして、考えが変わったのか?本当は今まで話していたことは事実と違うのか?などとその人に尋ねました。ものすごく焦りました。
そうしたところ、その人は、ハッとした顔になり、今のは間違いです、すみませんでした、今まで話していたとおり、事実は争いません、などと繰り返し言い始めました。
いやしかし、それは間違いでしたとかそういう話ではないでしょう、いえいえ、本当に間違いです、すみません…などと発展性のに話が繰り返されました。

土曜日の拘置所の接見時間は原則として午前中と決められています。
時間が来てしまい、私たちは、中途半端なまま接見を終了せざるを得ませんでした。

とりあえず、認否は今のままでいいと被告人は言っている。
しかし、このままでは、公判開始までの2日の間に、被告人が再び逡巡し、公判開始直後の罪状認否で、「聞いてないんですけど!!」という事実を語り始めるのではないか…私と友人は、とても不安になりました。
もしそうなったら、裁判自体が空転する危険性もあります。

お昼ご飯を食べながら二人で話し合い、やはり、このままではいけない、拘置所にお願いして、午後からもう一度接見をさせてもらおうと決めました。
そして、二人して、土下座も辞さない覚悟で、再び拘置所に向かいました。

拘置所の前に着いてインターホン越しにもう一度接見させてほしいと頼むと、中から職員の人が出て来ました。二人して事情を説明したところ、20分ほど待たされ、1時間という制限付きで接見をすることができました。

私たちはもう一度話し合い、結局、当初の予定通り、事実を争わないという方針で裁判に望むことになりました。

それでも、実際裁判が始まるまではどうなるかわからないという不安はうっすら残っていました。が、幸い被告人は、私たちが聞いたことのない事実を突然語り始めることもなく、無事に罪状認否を乗り切り、公判を進めることができました。

この事件は、被告人にとって気の毒な事情もあった事件で、その点を裁判員や裁判官に理解してもらうことができ、結果も被告人にとっては良いものとなりました。
被告人の利益を図るという弁護人の使命を果たすことがなんとかでき、私たちもホッとしました(嬉しかったというより、ホッとしました)。
がしかし、彼の事件当時の内心の部分は、今でも謎のままです。

こんなことがあったので、和歌山の今回の事件は、私にとっては、まさに「明日は我が身」な事件でした。「昨日の私」という人も少なからずいる事件であることは間違いありません。

言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私たちは、この被告人やその家族とまめに打ち合わせを行って、種々の手続に臨んでおりました。客観的に見て、コミュニケーションが不十分だったわけではないと自負しています。

しかし、人の内心を理解することは、たやすいことではないのです。
特に、常人ではとても考えられない事件を起こす人の内心というのは、卓越した心理学者でもない限り、理解できる範囲を超えていることがほとんどと言っても過言ではありません。

また、重大な事件を起こしている最中、起こしている人間は、とてつもない興奮状態に陥っていることが多いでしょうから、その時の心境を振り返ってみても、自分自身ですらよくわからない、記憶にないというのが本音ではないかと思います。
どういう気持ちだったのかと尋ねられた時にそれなりの答をしていても、それは、後になってその時の心境を推測したものにすぎないということが多いのではないか、と想像します。

さらに、実際に発生した結果が微妙であった場合、果たして自分はどんな気持ちでその事件を起こしたのだろうかと犯人自身が本気で悩むことも、実は結構あるのではないか、とも思えます。
例えば、「死ね」とか「殺してやる」とか言いながら刃物で切りつけたものの、被害者に与えた怪我が、体の中心部分から外れた部位に対する全治数日程度のものだった場合などは、そんな風に思うのではないかと思います(殺人未遂として立件される事件では、殺意が否認されるケースが少なくありませんし)。

だからこそ、刑事裁判においては、犯人の主観が成立する罪名に影響を及ぼす事件の場合、態様や生じた結果、それまでの経緯などなどから犯人の内心を法的に捉えて判断を行ったりもするのだろうと思います。

ちょっと話がずれましたが、刑事事件を担当する弁護士としては、「人の気持ちはわからない」、「逡巡して言い分が変わるのは当たり前」ということを忘れてはならないということなのでしょう。

そして、いつでも、「突然被告人は認否を変えるものだ」と覚悟して、裁判に臨むしかないのだろうと思います。

今回の和歌山の事件を担当する弁護人に、心からのエールを送りたいと思います、などとかっこいいことを言いつつ、今日は終わりにしたいと思います。






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by terarinterarin | 2017-03-07 22:12 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin