<   2017年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧

先週あたりから、相手方代理人と相手方の関係がどうしようもなく悪化して修復不可能になった件で、相手方本人にも相手方代理人にも困惑させられる事態に至ってしまいました。

訴訟という意味では終了しましたが、まだ事件終了後の残務(しかも結構重大)が残っている状況ですし、詳細に書くことは色々と支障があり、今この記事を書くこと自体が微妙といえば微妙なのですが、なんというかもう書かないと気持ちが収まらない状態に自分がなってしまっているので(ちょっと急に痩せてしまって、どう考えてもこの件のストレスとしか思えない)、細心の注意を払いつつ、「王様の耳はロバの耳」の気分で投稿したいと思います(読み返してよくわからないこのくだりも、テラバヤシの今の状態を表していると思います)。

今回のこの件、相手方と代理人の関係が悪化したということ自体は、まあ致し方ないなあ…と思うのでありますが、どうしてそこまでになってしまったのだろうということを考えた場合に、結局は、相手方代理人が依頼者の特性をよく理解していなかった、あるいはその意向を十分に組みきれていなかった、結果として独善的な解決を図ってしまったということになるのではないかと思うのです。

誤解しないでいただきたいのですが、この限りにおいては、テラバヤシは、別に相手方の代理人を責めているわけでもなんでもありません(それ以外については、一言も二言も何言でも言いたいことはありましたが)。
確かに訴訟途中から、空気をあまり読まずに(あえて読んでいなかったのかっもしれない)、前のめりになってガンガン来ているなあ、あの先生…と思ってはいました。
しかし、これは、真面目に受任した事件をこなそうとする弁護士であれば、誰でも起こりうることと思うのです。

例えば、依頼者が持っている5つの希望のうち、このままいくと1つもかなわないという結論が見えている場合、優先順位をつけて優先順位の高いものを死守しよう、早期解決などという「うまみ」を反対当事者にちらつかせてみようというのは、普通に民事家事をやっている弁護士であれば、実務上当たり前に考えることです。
で、依頼者にそのことを話してみて、あるいは説得して、一見納得を得られたと思い、相手方や裁判所をも説得にかかる。成功して、ある程度の依頼者の利益を守ることができた…

と思いきや、そんなこと頼んでないわ、結局自分が損しているじゃないかなどと大きな不満をぶつけられる。

ここで難しいのは、依頼者と会話すればその意向が全面的に見えるかというとそういうわけではないということです。
所詮、弁護士と依頼者の付き合いなんて数ヶ月からせいぜい1年か2年くらいが普通です(顧問を除く)。
四六時中会っているわけでも、連絡を取り合っているわけでもない。
その人のパーソナリティを真に理解して解決を図るなんてこと、できるわけがないのです。
なので、多くの場合、「経済合理性」とか、「普通に考えてこれが優先と思われるもの」を守ろうと、弁護士は依頼者を説得したりします。

それが最終的には、自分の意に反してこうなった…という反撃を食らうことが往往にしてあるのです。

もちろん、依頼者のそもそもの性格からして、「ああ、この人のこの件に関しては、どんな結論になろうと(注:その依頼者にとって最善の結論が出ることが不可能であることを前提としています)絶対文句が出るなあ」と予想がつくことはあります。
しかし、そういう場合には、最初の段階で受任を回避できるようなんとか持っていくことも可能なんであって、一番怖いのは、最初のうちは依頼者との関係が一見良好だったケースとか、依頼者が弁護士の言うことを理解しているように見えていたりするケースです。
豹変されること、ありますからね。

テラバヤシは(こう見えて)とてもチキンなので、依頼者とトラブルになるのは、もう絶対に絶対に避けたいと考えます。
そのため、受任前の相談の段階で見通しを伝える時には、超ネガティブです。
普通なら「いや、大丈夫ですよ、勝てる可能性高いですよ」と言えるような案件でも、「いやー5分5分ですね。こういうリスクがありますし…」とかマイナス要素をずらずら並べたりします(注:結果を約束してはいけないんですよ、みなさん!!)。
見通しが暗い事件では、「あなたの求める結果にはまず間違いなくなりません」みたいなことを言ってみたりします(そのうえで、次善の策として思い浮かぶものがあれば、それを伝えてみたりする)。

依頼者にとって不利な要素のある調停や和解が打診されたときでも、基本的には説得はしないことにしています。
これは、訴訟外で交渉を進めている場合に「これ以上有利に進めるのは無理だな」という事態に至ったときでも同じです。
メリット、デメリットをできるだけ詳しく伝えて、考えてもらうようにしています。
だって、その人がどういう結論を心の底で求めてるのかなんて、分からないですから。怖くて説得なんてできません。
説得するのは、無理難題を依頼者が求めようとする場合や、「それやったら絶対返り討ちに遭うから!!」というごく限定された場合です。

それでも、トラブルになるときはやっぱりなってしまいます。
トラブルになってしまったケースを思い返してみると、うまくコミュニケーションが取れてなかったなあというケース(自分としては、言っていることを理解してもらえなかったなと思うのですが、依頼者を自分が理解していなかったために自分の言っていることも理解してもらうことができなかったように思います)、珍しく説得してしまったケースです。
結果が芳しくない方向性で受任の段階で見えていて、本当は受けるべきではないんだろうなと思いながら、依頼者の熱意に負けて受けてしまったケースという共通項もあります。

裏切られた、自分の利益のために働いてくれなかったという忸怩たる思いは、時に巨大になって受任弁護士に向かってくるものです。
そうなってしまったら、もう離れるしかありません。

ですが、離れるタイミングによっては、さらに依頼者の利益を損なうこともありえるし、相手方や関係者に不測の不利益をお見舞いすることにもなりかねません。そして、それがまた自分に向かってくることもありえます。
納得できない状況で辞める時でも、周囲に不都合がばらまかれるのは極力回避しなくちゃいけない。
こう考えると、弁護士の仕事も、なかなかストレスフルなものだと思わずにはいられません。

さあ、もう風呂に入って今日は休もう…






[PR]
by terarinterarin | 2017-04-26 12:36 | Comments(3)
ここ数日、世界フィギュアスケート選手権にうつつを抜かしていました。

31から1日にかけての深夜は、仮眠をとってから女子フリーの生放送を見て、本日は、しっかり男子シングルのフリーを堪能しました。
毎年この季節の恒例行事です。
今年は、男子も女子も納得がいく結果で、非常にさわやかな気分で見終えることができました(注:北米大陸の世界選手権や冬季オリンピックでは、いわゆる「忖度」的なジャッジが横行しているといわれています。フィンランドの今大会はとても公平公正だったと感じます)。

テラバヤシは、伊藤みどり世代で、10代のころからフィギュアスケートに親しんでおりました。
元々フィギュアスケートを見るのは好きでした。

が、弁護士になってから、より好きになりました。
毎年10月頃グランプリシリーズが始まるあたりには、ドキドキしてきます。放送予定を確認しては、見たい選手が出る大会がある日を手帳につけたりするようになりました。
今年はついにアイスショーや冬季アジア大会で、自腹でスケートを堪能するようになりました(実は、「テレビが特等席」派だったのですが、やはり生は違うということに気が付きました)。
フィギュアスケートに対する愛は、年々深くなっているように自分でも思えます。

なぜ自分は、こんなにフィギュアが好きになったのだろうと、ふと考えました。

1つには、自分が弁護士になる少し前から、日本のフィギュア界が盛り上がり始めたということがあるように思います。
荒川静香さんがトリノで金メダルを取ったのは2006年のこと。ちょうど修習に入る年のことでした。
浅田真央ちゃんが銀メダル、高橋大輔さんが銅メダルを取ったバンクーバーオリンピックは2010年。
テラバヤシは法テラス愛知に赴任中で、名古屋で生活していました。
名古屋出身の有名選手を栄の繁華街で見つけたり、近所のスポーツジムで、真央ちゃんや安藤美姫さんの実家の話を聞いたりして、盛り上がる日本のフィギュアスケートをより身近に感じる環境がありました。
大きな国際大会で、日本人が一人も表彰台に乗れないということは、テラバヤシが弁護士になって以来ほぼほぼありませんでした。
そのうち、ごひいきの海外選手もできてきて、日本人がダメでも全然楽しめるようになりました。

しかし、それだけではありません。美しいものを見たいのです。

普段仕事で、人の裏の顔、Dvに虐待に、金のためならどんな嘘でもついてやる、みたいなドロドロぐちゃぐちゃばかり目にしています。
仕事とはいえ、場合によっては目の前に突き付けられたドロドロぐちゃぐちゃを見て、「ここまでありですか」なんていう絶望にも似た衝撃を覚えることも少なくありません。

同じ人間とは思えない美しい選手。美しい演技に美しい衣装。これらが「氷上」というピュアな舞台に集結するのを見ると、単純に心が洗われる思いがします。
フィギュアスケートを見ている間、普段のドロドロぐちゃぐちゃからは、離れることができます。
幸せな気持ちになれるのです。

案外、弁護士(特に女子)には、フィギュアスケート好きが多いように思います。
フィギュアスケートの話で盛り上がる方が何人もいますし、この度ヘルシンキに世界選手権を観に行った(ほぼ毎年行っておられるとのことですが)といううらやましいお方の話も聞いたことがありますし。
皆さんが、どういうきっかけでフィギュアスケートを好きになったのかはわかりませんが、「美しいものを見て現実を忘れたいの」という同業者が、一定数いるに違いないと確信しています。

フィギュアスケートは、ある選手にとっては戦いの場でもありました。
先日FBにも書いたけど、スルヤ・ボナリーというフランスの黒人選手は、自分が黒人だから正当に評価されないと訴えていました。採点方法が今と違う時代の話でしたが、表現力の評価がいつも低く抑えられていました。
アメリカのジョニー・ウィアーという選手は、LGBTの男性選手で、その演技は男子シングルの世界ではほとんど見ない「美」を強く意識したものでした。ウィアーが体現しようとしていた美は女性的なもの(というか耽美的な感じでしょうか)でしたが、やはり大きな大会になると、演技構成点が低く抑えられる傾向にありました。

フィギュアスケートは、「選手の全人格が出るスポーツ」と言われていて、選手が何にこだわっているのか、どういう人間なのかが垣間見えます。大きな大会になればなるほど、選手はある意味追い込まれるので、その分、選手の人となりや主義主張、想いが前面に出てきます。
最近でいうと、全日本選手権のフリーを終えた瞬間に下を向いて涙をこぼした宇野昌磨選手の姿なんかがあげられると思います。
差別と闘ってきたボナリーやウィアーについては、滑り続けることそのものが怒りの発現であり、主義主張だったといえると思います。

華やかで美しい舞台で、ふっとしたときに、選手の生々しさ、人間臭さがふっと湧き上がる瞬間があるのがたまらなく面白いのです。

結局自分は、美しいものを見たいと言いながら、人間のカオスな部分に惹かれる傾向にあるようです。
これってつまり、「疲れる」とか言っているドロドロぐちゃぐちゃが実際のところ嫌いではない、ということなんでしょうか。

だからといって、私にドロドロぐちゃぐちゃの事件を振らないでくださいね、同業の皆さん。


[PR]
by terarinterarin | 2017-04-02 02:08 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin