<   2017年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

ジャーナリスト山口敬之さんから準強姦の被害に遭ったにもかかわらず、警察が山口氏の逮捕を直前で取りやめ、山口氏が不起訴になったことについて、「詩織さん」という女性が検察審査会に不服申し立てをしたことが話題になっています。

山口氏も酒を一緒に飲んで詩織さんと性交渉を行ったところまでは認めているようですが、それでも自分のやった行為には違法性がないとSNSなどで発信しています。
女性との性交渉が犯罪にならないということは、法的には、山口氏の主張は「詩織さんとの間に合意があった」、あるいは「合意があったものと誤診した」ということになると予想されます。

強姦・準強姦で立件される場合、女性の膣内からDNAを採取して、被疑者男性と同型のDNAが検出されないか、当然鑑定します。
検出されてしまった場合、「合意の上でした。強姦ではありません」とか「合意があったと思っていました」という主張をする人がかなり多いです。

弁護人として関わっていると、本人の主張もごもっともで、「これは美人局とか、なにか金目当てなんじゃないか」としか思えないような案件もあります。一方、苦し紛れに「合意がありました」「合意があったと思っていました」などと言っていると思われるケースや、「どうしてそれで同意があったと思ったんだ…」と理解に苦しむケースが相当数あることも事実です。

ですが、一般的には、「女性がセックスに合意していたか」ということに関する捜査機関の判断は結構厳しく、有罪シフトで捜査が進められたり、起訴されることが多いように思われます(注:そもそも警察の「被害届を受理する」「事件化して捜査する」という判断は、どう表現してよいのかわからないのですが、かなりマチマチかつブレブレで、「こんなもんの被害届受理して、どうしてこっちは受理しないんだ」と怒りを覚えることも時にあったりします。そういうのを見るにつけ、警察の捜査って裏でなにがしか黒いものが動いているんだろうなと思わざるを得ません)。

例えば、バーなんかで知り合った女性に声をかけて、宿泊先のホテルの部屋に誘ったらついてきた。二人でベッドに腰かけていい雰囲気になってきた。チャンスだと思って男性が押し倒したところ、多少女性にバタバタされたけれど、大声を出されることもなくことを終えた、というケース(現在、5月31日12時10分。昼間から生々しいですなあ)でも、女性が警察に被害を訴えたら、男性は「強姦罪」で逮捕されかねません。実際、こういうケースで逮捕されたという話はいくつか聞いたことがあります。
男性にしてみれば、全然普通にOKと思われるケースではないかと推察しますが、これでも、女性の訴え次第では、最低限「強姦罪の容疑」で捜査対象になってしまい、場合によっては起訴されてしまうこともありうるわけです。

個人的には、(話を蒸し返すようですが)高畑裕太さんの一件は、本人の目線からするとこういう感じに近かったのではないかと思います。つまり、おちおちナンパもできないわけです。いい雰囲気になってきたので、野暮な言葉は出さずに阿吽の呼吸で…というのも、甚だしい勘違いになったりするということです。

ただ、こういうケースでは、迷惑料的な意味合いの示談金を支払う形で事件が終了することも少なくないかもしれません。

私が担当した事件では、おそらくは、「途中から合意がなくなった」と判断されて、逮捕されたであろう案件がありました。
知り合い同士の事件で、過去にも性交渉を何度もしていた人同士のことだったのですが、当初は性交渉に応じていたものの、途中から、男性側の行為に女性が拒絶を示したというケースでした。男性の側は、その拒絶の言葉も、いわゆる「プレイの一環」で(うーん、やはり生々しい)、性交渉の合意がその時点でなくなった、とまでは考えていないようでした。
個人的には、当時の状況からすると、示談が成立しなければ起訴もやむ得ないかもしれないと考えていました。が、幸い女性の処罰感情がそれほど厳しくなく、快く示談に応じてくださり(注:それほど高額なものをお支払いできたわけではありません。)、告訴も取り下げてくださって終了しました。

「性交渉に対する合意」というのは、当然「性交渉とは何たるか」ということを理解したうえで「性交渉をする」という認識を正常な意識下で持ったうえでOKを出した場合に初めて認められるものです。13歳未満の女子に対する姦淫行為が、暴行脅迫を伴わなくても強姦罪を構成するのは、年少の女子が「性交渉とは何たるか」ということを正しく理解できていないと一般的に考えられているからです。
そして、「合意」に対するこのような考え方を前提とすれば、お酒とか薬とかで意識朦朧となっている状況下で「いいよ~」なんて返事をしたとしても、そんなものは合意たりえないということになります。

また、先の条件を全部満たしたうえで女性が性交渉に合意したとしても、その意味は「この先何時までも拒まないし、どんなセックスされてもかまいません」などという趣旨に理解することは、おそらく極めて特殊な事情がないと不可能でしょう。
DV夫なんかが、妻に対して妻であることを理由に、拒絶の言葉を一切聞かずに無理やり押し倒して姦淫したりする話を聞いたりしますが、これだって、本来合意のない強姦になるはずなのです。
「セックスしていいですよ」と一度言ったからといって、いつまでも「まな板の上の鯉」になってくれる意思を表したとは言えないのです。

「嫌よ嫌よも好きのうち」が到底通じる理屈でないことはご承知の方も多いでしょうが、「好きよ好きよは今のうち」ということも広くご理解いただきたいと思うのでありました。

追伸
本当は今週は違うことを投稿したかったのです。本来書こうと思っていたことは、また近々…





[PR]
by terarinterarin | 2017-05-31 12:54 | Comments(3)
先週のことです。
阿川佐和子さんが交際していた男性との結婚を発表しました。
阿川さんは63歳、お相手の男性は69歳とのこと。しばらくの間交際をした末のご結婚だったようです。

テラバヤシは、阿川佐和子さんのファンでした。
週刊文春の対談での軽妙なトークが好きでした(最近読んでいませんが…申し訳ありません)。
親友の檀ふみさんとの往復エッセイ「ああ言えばこう食う」「ああ言えばこう行く」も好きでした。
阿川さんの小説「ウメ子」は、泣きながら読みました。

結婚願望を隠さず、実に数十回のお見合いを重ね、それでも結婚に至らないということをネタにして?活躍し続けて、ついにゴールインしたのです。

「ああ、よかったなあ、おめでたいなあ」と、テラバヤシは、まるで親戚のお姉さんが好きな人と和やかに結婚できたかのような気持ちになりました。

そして、2つのことを感じました。
1つは、「女性が、結婚というものから(徐々にではあるけれど)自由になれつつあるのだな」ということでした。
「結婚」というと、少なくとも日本では、従来から、「男女が新しい家族を形成するために行うもの」「一家の長男がその系譜を残すためにするもの」と位置付けられていて、女性は「子どもを産んでなんぼ」という強い世の中の見方がありました。
こういう見方は、勢い、「子を産める年齢での結婚」が当たり前という考え方につながりがちで、そのため、子を産むことが難しくなった(あるいは難しくなりつつある)女性の結婚というのは、「おめでとう」という言葉とは裏腹に、冷ややかに受け止めらえていました。
(男性はいくつになっても子を作る機能が残るため、高齢で結婚しても、女性ほど冷ややかな目で見られることはないように思えますが、実際、男性のみなさん、どうなんでしょうか。まあ、あまりに若い女性と結婚したりすると、「エロじじい」みたいな心ない言葉を投げかけられたりするのでしょうが…)

阿川さんは、子を産める年齢を遠く行き過ぎて、実にさわやかに初めての結婚をしました(こういう年齢の方の結婚は今まで再婚が当たり前…みたいな空気がありました)。入籍発表時のコメントには「穏やかに老後を過ごしていければ幸い」という言葉がありました。
老後を一緒に暮らしていける相手と結婚するという結婚観がありなのだ、ということを示してくれたのでした。

そもそも、結婚に何かを求めるのか、求めないのか、求めるとしてどんなことを求めるのかは、人それぞれ決めていいはずのものでした。
結婚しても、子どもを産まないという選択も、徐々にではありますが、受け入れられつつあるように思えます。
非婚という選択肢も、大きな声で言えるようになってきました。

阿川さんの結婚とその発表は、そんな結婚観の多様化を表しているように思えました。

一方で、「インテリ女性が幸せに結婚しようとすると足を引っ張ろうとする人間がどうしてもいるんだなあ」と感じました。
これは、阿川さんの結婚だけでなく、菊川怜さんの件の報道を見ても感じたことでした。

阿川さんの旦那様は、元々ご友人の配偶者だった方とかで(本当なんですかね)、一部では「略奪婚ではないのか」などと報じられています。そもそも、旦那様とご友人の離婚が相当前のことであるにもかかわらず、こういう報道が出てくること自体、「足を引っ張ろうとする人たちの負のエネルギー」の恐ろしさを感じずにはいられません。

菊川怜さんについては、旦那様が過去に複数の女性との間で婚外子をもうけている、報道番組のキャスターを務める菊川さんがこのような不埒な男性と結婚して果たしてよいのか、などと報じられていました。
しかし、そもそも、「結婚していない男女の間で子を作ってはいけない」なんていう法規制はありません(そんなルールができたら、少なくとも現行憲法下では違憲だと思いますが)。
確かに、子をもうけた女性の中には、婚姻できなかったことで大きな精神的苦痛を被った人もいるのかもしれません。
が、菊川さんの旦那様が、認知や養育費の支払い、(必要に応じて)一定の慰謝料の支払いなど、すべきことをきちんとしているのであれば、それ自体、非難されることではありません(認知や養育費等の支払いをしていないのだとしても、こういう問題には当事者にしかわからない事情があることが往々にして多いので、外野の人間がとやかく言う筋合いのものではないでしょう)。
こういう報道がされたのも、東大卒のインテリ女子にして結婚願望が強く40第一歩手前まで結婚できなかった菊川さんが、非常にハイクラスの男性と結婚したという「世間の感覚とちょっと違う」という結婚だったからこその嫌がらせ、だったのではないかと思うのです。

そうなのです。
阿川さんも菊川さんも、第一線で活躍されているインテリ女性でした。
インテリ女性にして結婚願望が強い人たちでした。そして、結婚したいのにできない人たちでした。「結婚したい」と公言してきた人たちでした。
「頭がいいけれど結婚したいのにできない」という彼女たちを見て、彼女たちよりもインテリの度合いが低い人々のいくばくかは、わずかながらの優越感を持っていたのかもしれません。
それが結婚してしまった。「頭がいい上に結婚までされた」という敗北感を感じた視聴者が少なからずいたのかもしれません。
少なくとも、マスコミの一部は、そういう層の存在を感じていたのでしょう。
だからこそ、ああいう醜聞記事を素早く出すに至ったのです。

女の子は結婚するのが幸せ、母親になって幸せという価値観を押し付けておきながら、一方で、自身の努力で教養を身につけ、活躍している女性の結婚に関しては足を引っ張る。

先ほど、「女性が非婚という選択肢を大きな声で言えるようになった」と書きました。
非婚という選択肢があるように、従来通りの価値観に乗っかった結婚をする自由だって女性にはあるのです。どんな女性にもあるはずです。
ところが、インテリ女性にはまるでそういう選択肢が許されていないかのような感覚を持ってしまいます。

こういうところを突き詰めていくと、「結婚」というものに対して、どんどん女性が自由になっていこうとする一方で、古い古い従来の女性観(女の子は勉強なんてしなくていい)と結婚観に女性を縛りつけようとする層がはびこっていることを感じざるを得ません。

テラバヤシは、いわゆるフェミニストではありません。
男性とか女性とかそういうことではなく、人間一人一人が、納得がいかない理屈を押し付けられて自分を殺して生きていかねばらならいことがおかしいと思っています。
今の日本には、貧困や過労死、LGBTなど、様々な事情で虐げられている個々人の問題があります。個人が真に自由に生きられる世の中を作っていこうという風潮がある一方で、古い古い時代の価値観を復活させようとする動きが急速に起こっているのが今の日本です。

今回、阿川さんの結婚の報道をじっくり考えていくと、改めて「女性の解放」という古くからのテーマは、単に女性の問題だけではなく、性別や人種を超えて、個々人が真の自由を求めて生きていける世の中を作るための象徴的なテーマ、活動だったのだなと気づかされたのでありました。









[PR]
by terarinterarin | 2017-05-22 22:30 | Comments(2)
テラバヤシは、法テラス東京で民事法律扶助の「審査担当」というものをしています。
これは、援助開始決定や中間報酬決定、終結決定に対する決済をする仕事で、東京の場合、審査担当の名簿に載ると、上半期、下半期にそれぞれ1回から2回回ってきます。
報酬が安くて不人気な仕事と言われています…

先日も審査担当の仕事があり、法テラス東京に出向きました。その日は、書類審査のみで、面談審査はありませんでした。
終結決定の書類を確認していく中で、1件、「確かに規程通りに考えると報酬はこうなるんだろうが、それはかなりこの弁護士には気の毒だ」と思われる件がありました。どうしても署名捺印することができませんでした。
担当の職員に、記録上表れていない活動がかなり大変だったはずなので、そのあたりの事情をもう少し聴取するなりして検討してほしいと伝えました。

法テラスの「弁護士報酬問題」というと、国選弁護費用の問題が取りざたされがちです(なんで、この活動が報酬算定上評価されて、この活動が評価されないのだというもの)。この点に関しては、刑裁サイ太さんをはじめとして、相当数の弁護士がSNSを中心に情報発信しています。

国選弁護の費用に隠れがちですが、民事法律扶助の弁護士費用についても、弁護士の活動が評価されにくいという問題があります。
ただ、民事法律扶助に関しては、国選弁護に比べてそこまで判断基準が固いわけではなく、決定案が回されてくる段階で受任弁護士が文句をつける、もとい、意見を述べればそれが反映されることもありますし、終結決定の段階でも、活動内容次第で、報酬が加算されたり、本来の基準で言えば費用の一部返還が必要なケースでも返還させないなど、柔軟な取り扱いがなされているように見受けられます。

先日の審査担当の際に感じたのは、せっかく審査担当に弁護士が入っているのだから、特に終結決定については、受任弁護士の報告書の中から、資料に浮かび上がってこない「見えない頑張り、苦労」は、どんどん伝えるべきだろう、そういう地道な活動が、最終的に報酬アップや報酬基準の改善につながっていくのだろうということでした。

そして、ふと、国選弁護の終結後の費用算定にも民事法律扶助と同様の審査担当を導入する、というのはどうなんだろうと思いました。

刑事弁護の場合、一般的に「刑事弁護人としてすべき活動」「熱心な活動のあかしとしての活動」は結構クリアであると考えられていて、それが、国選弁護の報酬基準に相当程度反映されています。
例えば、捜査弁護であれば、接見の回数、準抗告が通ったかどうか、不起訴意見書を書いたかどうか、示談したかどうかなど。
起訴後であれば、公判前整理手続中の打ち合わせ等の期日の回数、公判期日の回数、保釈請求が通ったかどうか、などなど。
こういう「熱心活動」を示すであろう事象を事細かに基準化して、これをほぼほぼ形式的に当てはめて報酬を決める方式を法テラスが採用した結果、「なんでこれが評価されてこれが評価されへんねん!!」という不条理を生み出す結果となってしまっているわけです。

この傾向は、各地方事務所から本部の?特定部署で国選の報酬算定を一括管理するようになり、余計顕著になったのではないかと個人的には感じています。

実は先日、保釈申請した件で、保釈決定は出そうだったのですが、保釈保証金額がとんでもなく高額で、到底親御さんも払えず、保釈支援協会からも支援見合わせされてしまい、「諸般の事情」を検討した結果、保釈の取り下げをしたという件がありました。
後に、これって、たとえ釈放されなくても決定をもらっておけば、加算の対象になったんだろうか、などと考えました(実は、保釈請求できない案件ばかりが数年続いたので、そのあたりの加算事由に無頓着になってしまっていました)。
もしそうなんだとしたら、その事案独自の事情とか考えずに報酬加算のためだけに保釈決定もらうとかする人いるんだろうな…と、ちょっと嫌な気持ちになりました。

また、私は、刑事弁護の神様、某K山先生から、かつて「意見書書いたり検事に電話したりするくらいなら、アポなしで会いに行け!!」と、不起訴意見書なんぞより「アポなしでPと直談判」の方が効果があるという教えを得たことがありました(実際、これはその通りだと思います。アポなし直談判事例は、私の記憶では、例外なく不起訴になっています。もちろん、不起訴は120パーセントないという事案では直談判に行っていませんが)。

不起訴意見書は、こちらが証拠も何も見ていない状況で、概ね被告人の供述のみを元にして作成するものなので、却って作成するのが危険、ということも少なくありません。
しかし、やはり、事案独自の事情を考慮せずに「報酬加算のため」に作成することを促す危険性もありますし、それはそれで置いておくにしても、「不起訴意見書」は報酬算定上評価して「検察官と直談判」が評価されないというのは、やはり不合理に思えるのです。

国選の場合、水増し請求問題があったために、客観的に資料が残らない活動については法テラスサイドがかなり神経質になって除外しているのではないかとも思えます。
また、以前物議をかもした(失笑)「法テラスについて書かせてもらうよ」中に記載した「謄写費用の見積もりを事前に出せ」と言われた問題からも垣間見えるように、「犯罪を犯したけしからん奴の活動のために国費をあまり使いたくない」という本音もチラチラ見えるような気がする(いや、被害妄想かもしれませんが)のであります。

基準の見直しをせよと働きかける活動が重要であることはもちろんとして、「基準の運用」に柔軟性を持たせられるようなシステムの導入を促すことも必要ではないかなと思います。
そこで、テラバヤシは、民事法律扶助の「審査担当」システムを参考にして、法テラスサイドでいったん出した報酬決定案を(刑事弁護に精通した)弁護士がチェックして、「基準に該当するとみなしてよい活動の有無」や逆に「基準に該当しているようだけど、そこまで加算しなくてよい活動の有無」(近距離の警察署で5分の接見を毎日行う、とかは対象になりえそう)、「不当請求ではないか」というものを、弁護士独自の目線であぶりだせるようにするシステムの導入を提案したいのであります。

が、こういう手法に合理性があるとして、法テラスが本気で考えるのかな…とも思えます。

民事法律扶助に関しては、法テラスの報酬決定に不満なのであれば、弁護士本人が取りはぐれのリスクを背負って、分割で弁護士費用をもらうということをすることもできます。つまり、民事法律扶助は、そのシステムに対して多くの弁護士が不満を持ち利用しなくなれば、制度自体が立ちいかなくなるという問題があります。
なので、法テラス側も、なるべく弁護士の不服が出ないように、基準に裁量を持たせ、弁護士を審査担当に入れて援助開始や報酬の決定をするのでしょう。
しかし、国選の刑事弁護制度がなくなるということはありません。そのため、弁護士の不服というものに対して、法テラスは取り合わないのだろうとも思えます。

とはいえ、謄写費用がほぼ全額出るようになったり、基準自体に問題はあれど、弁護士の活動内容に応じて報酬加算がされるようになったり、長い時間はかかっていますが、国選弁護の報酬の問題は徐々に徐々に改善されてきています。

疑問があったりアイデアがあったりする弁護士が、そういうことを声にしていくことが、改善に結びつくと信じてやっていくしかないんだろうな…と少し遠い目になったところで、今日は終わりにしたいと思います。





[PR]
by terarinterarin | 2017-05-13 22:57 | Comments(0)
5月6日にアップした「冤罪は「任意取調べ」で作られる」につきましては、BLOGOSに転載されてたくさんシェアしていただき、本当にたくさんの方に読んでいただきました。犯罪捜査の問題の一端をお見せできたかもしれないと思っております。

コメントもたくさん寄せていただきました。全て見きれてはいませんが、その中で、これはお答えしておかねばと(個人的に)思ったものや改めて書きたいと思ったことについて、今回は触れていこうと思います。

1 日弁連や弁護士は何をしているのだ?
任意取調べで苦しむ人がたくさんいるにもかかわらず、弁護士や日弁連は、何をしておるのだ?というご意見がいくつかありました。
まず、弁護士に関していえば、もちろん任意取調べに関する相談が持ち込まれた場合には、その弁護士なりに助言をしたり、対応している人が多かろうと思います(そう信じています)。
全ての弁護士とは言いませんが、任意事情聴取に自分の依頼者が呼ばれた場合には、警察署に同行して取り調べへの同席を求めたり、取り調べが終わるまで警察署の中で待つ(依頼者が助言を求めたいときにいつでも助言できるように)という対応をしている弁護士は決して少なくありません。
しかし、弁護士が対応できるのは、相談や依頼を受けた時に限られてしまいます。つまり、任意取調べにおける弁護士の助力は、システム的に確立、保証されているものではありません。
そして、一般の社会で暮らしながら、犯罪の嫌疑を受けている状況の人というのは、なかなかそのことを他人に打ち明けることが難しく、また「下手なことをするとさらに追及が厳しくなるかもしれない」という思い、あるいは頭が一杯で機転が利かなくなっているという理由から、この段階で弁護士のところにたどり着くことがなかなかできないのではないかと思います。

現在、逮捕後に釈放されず勾留された被疑者及び被告人(起訴後勾留の有無にかかわらない)に対しては、国選弁護の制度が広く適用されるようになっています。また、国選弁護の対象になっていない被疑者のケースでは、日弁連の援助制度を利用して弁護人を付けることができます。
しかし、起訴前の段階で国選や日弁連の制度を利用して弁護人を付けることができるのは、身体拘束されているケースに限られています。
歴史的に、犯罪の嫌疑を受けた人に対する人権蹂躙と身体拘束は、ワンセットでした。とりあえず逮捕して、暴行や脅迫で自白させて、無実の罪をかぶせる。
弁護士業界としては、まず、このような「身体拘束下」での人権侵害をなくすことに長い間取り組まざるを得なかったわけです。

ところが、勾留が却下されるケース、いったん勾留されても準抗告が認められて釈放されるケースがここ数年、ぐんと増えてきました。身体拘束下での取調べが録音録画されるようになり、捜査機関は、穏当に取り調べを行わざるを得なくなってきました。
身体拘束下での人権侵害状況は、一昔前に比べれば随分とマシになりました。
このような状況下で、任意事情聴取がひどい、という話をよく聞くようになってきたという印象です。
もちろん、この問題自体は以前からあったものです。最近になって、件数自体が増えたのかはわかりません。目立つようになってきたにすぎないのかもしれません。ですが、残念ながら、いずれにせよ、弁護士業界が対策をとるのは、これからということになってしまいます。
方法としては、名簿制の当番制度や日弁連の援助制度の拡大などが挙げられると思います。

2 悪いのはむしろマスコミの方では?
今回の件、警察にも問題はあったかもしれないが、むしろ女性を犯人扱いしたマスコミの方がより悪いのではないか、という意見もありました。私は見ていませんが、朝のワイドショーで、自殺した女性の自宅まで映した番組もあったようです。
被疑者や警察が事情聴取しているに過ぎない段階での「犯人扱い」報道には辟易します。が、元をたどれば、そうなる元の情報を流しているのは警察です。

警察がこういう段階で流す情報は、断片的抽象的にして恣意的です。
結構話題になっている事件で、報道を見たうえで接見に行くと、流れている情報と事実が全然違うということがよくあります。「容疑者は事実を認めています」という報道がされているけれど、実際には「認めている」とは評価できないという場合もあります。極端なケースでは、例えば被疑者が「AしかしB」と話しているのに「Aと言った」という報道がされていたりします。
それは、そういう情報を、警察がマスコミに伝えているからです。マスコミが、それが本当かどうか検証しないで垂れ流しにしているのも大問題ですが、検証したうえで「違う」なんていう報道をしたら、締め出しを食ったりするのでしょう、きっと。
そういう弱みを握ったうえで、都合のいい情報を流させているわけですから、やはり、もとを正せば警察の方がより悪質だ、と思います。

今回の件だって、マスコミが亡くなった女性を犯人と印象付けるような報道をしたのは、警察が「こういう女性について事情を聴いている」「防犯ビデオに映っていた」という情報を流したからでしょう。

話は少しずれますが、ここ数日、亡くなった女性のDNAが被害現場の血痕から検出された、女性が履いていた靴底についていた血から被害者のDNAが検出されたという報道がされています。
一般の方は、おそらく「DNA=決定的な証拠」と見るでしょうが、刑事裁判では、DNAに関する取り扱いは皆さんが想像するより慎重で控えめです。
DNAだけで有罪だとされることはまずないと言っていいでしょう。DNA検出という鑑定結果に誤りはないのか(鑑定手法やサンプルの取違、サンプルの量、保管状態等々)、「その人のものと一致した」と評価していいのか、事件の時以外にDNAが検出される事態が生じる機会はなかったのかなどなどが検討の対象になります。
そのうえで、他の証拠とも併せて検討されます。

そもそも、「その人のDNAと一致した」と評価できるのは、厳格な基準をクリアしたときに限定されます(これを説明するとかなり長くなるので、ここでは割愛しますが)。今回の警察の「検出」「一致」の発表は、何をもってそう評価したのかが明らかにされていません。「女性を容疑者とするかどうかはまだわからない」と控えめな言い方を一見してはいますが、そうであるなら、一般の方にとってインパクトが強いDNAの件を発表したのはなぜなのか、という疑問が残ります。

3 「作られる」ではなくて、「創られる」ではないのか?
…というご指摘をもらいました。一見細かい話のように思えますが、実は、どちらを用いるか、悩んでタイトル付けをしました。
本来の意味からすると、ご指摘のとおり「創られる」が正しいように思えます。が、「創」という字には「クリエイティブ」という前向きな意味があり、今回の「つくる」はそうではないだろうと考え、「冤罪をこさえる」くらいな意味で「作る」を選択しました。
まあ、あまり重要ではないかもしれませんが…

4 最後に:刑事弁護人は何を考えているのか
「容疑者は黙秘しています」という報道がされると、「反省しているなら事実を話せ」「黙秘させる弁護士はけしからん」というコメントを最近はウェブ上でよく見かけるようになりました。
刑事弁護人は、犯罪の嫌疑をかけられている人に対して、黙秘を勧めることも多いですし、身体釈放のための活動もしますし、示談も試みます(示談が悪だという意見も最近よく目にします。この意見は、示談金をもらおうとする被害者をも苦しめるもので、いかがなものかと思いますが)。

その第一の目的は、依頼者たる「犯罪の嫌疑を受けている人」の利益を図ることにあります。以前も別な記事で書きましたが、弁護士は依頼者の利益を図ることが仕事の第一です。それが「犯罪の嫌疑を受けている人」でも変わりはありません(但し、依頼者の利益を図る過程で弁護士自身が違法な活動をしてはいけないのは当然のことです。例えば、証拠隠滅であるとか、事件関係者をだます、脅すなどといったことです)。
しかし、その先に、刑事弁護人と呼ばれる人たち(の多く)は「悪いことをしたとされる人を守ることがどんなことにつながるのか」ということを見据えています。
「犯罪の嫌疑を受けている人(犯罪者というレッテルを張られた人」を守るルールは、一般市民がその自由を奪われないためのルール、奪われた自由を取り戻すためのルールでもあります。
ルールは紙に書いてあればそれでいいというものではありません。ルールを使用した実績を積み重ねることにより、初めて意味を持つものです。書かれているだけで使われることがなければ、空文化し、風化し、ないのと同じことになってしまいます。ルールを使い続けることにより、新たなルールの必要性が生まれること、そして作られることもあります。

刑事弁護人も、犯罪のない世の中になることを願っています。
凶悪な犯罪が起これば、一日も早く犯人が捕まればよいと思います。
被害者やそのご遺族の気持ちや姿に、胸を痛めます。
犯罪捜査に関わり、被害者や残忍な現場に対峙する警察官に対して、刑事弁護人(の多く)は(たぶん)、敬意を表しています。
警察を全くの悪だと思っているわけではありません。

ただ、フェアにやってほしいだけなのです。
自分たちの思い込みで、人を傷つけないでほしいのです。
自分たちの保身のために、都合の良い情報だけを流すようなことをしないでほしいのです。
自分たちが持っている権力・権限がいかに一般の人にとって脅威的で恐怖心を与えるものなのか、自覚してほしいのです。

今回の愛媛の事件がどういう決着を迎えるのかはわかりません。
どういう結論になろうとも、警察の方には、被害者やそのご遺族、自殺した女性のご遺族、一般市民が納得がいく、フェアな説明をしてもらいたいと願ってやみません。


[PR]
by terarinterarin | 2017-05-09 00:34 | Comments(2)
愛媛県の今治市で起きた殺人事件で、容疑者として事情を聞かれていた30代の女性が自殺してしまいました。
警察の対応が果たして正しかったのかという疑問が出ていますが、テラバヤシは、かなりな高確率で「正しくなかったのだろう」と考えています。

現在、身体拘束下での取調べに対しては、その際に作成された供述調書について証拠能力がない、信用性がないなどと突っ込まれないようにするために、そして冤罪を防ぐために?、様々な対策、配慮が捜査機関では講じられています。

まず、取調べが録音録画されるようになりました。
さすがに全ての罪名の全ての取調べで、という訳にはまだいかないようですが、裁判員裁判の対象になるような重大犯罪の嫌疑で逮捕勾留されている人物の取調べについては、逮捕直後の1回目の取調べから、原則として全過程録音録画されるようになりました(注:「原則として」と書いたのは、例えば、黙秘で揺るがない被疑者に対しては、時折警察官の取調べで録音録画されないこともあるようだからです。検察官の取調べは例外なく録音録画します)。
録音録画されれば、殴ったり脅したりするようなシーンを残すわけにはいかなくなるので、なかなか「説得」の域を超えた取調べはやりにくくなります。

また、1日の中でできる取調べの時間の長さ、連続してできる取調べの時間の長さも決められており、被疑者が求めたら休憩をさせなければならないと定められるようになりました。体調に不具合がある被疑者に対する取調べも制限されるようになりました。

実際、テラバヤシが弁護士になった頃は、警察官だけでなく検察官が、被疑者に対して暴言を吐くことが結構ありました。さすがに自分が担当した事件で暴行事例までは聞いたことはありませんが、机を何度も何度も叩きつけて恐怖心を煽る真似をする警察官は、何人かいました。
ぶっ通し8時間の取調べというのを聞いたこともありますし、否認している被疑者に対して、朝昼夜と合計で10時間以上に及ぶ取り調べが行われていたこともありました。

最近は、横暴な取調べの話はほとんど聞きませんし、病人を無理やり取調室に呼ぶことも、長時間休憩なく行われる取調べも、少なくとも私が担当する事件では聞かなくなりました。
「身体拘束下」での取調べは、一昔前に比べれば、随分紳士的に行われるようになったと言えるでしょう(もちろん、国際的な基準からすれば、まだまだ人権が十分に保障されているとは言えませんが)。

そう。「身体拘束下」では聞かなくなりました。
その代わり、「任意の事情聴取」の酷さをよく聞くようになりました。

ある犯罪の嫌疑をかけられた少年が、任意での出頭を求められて警察署に赴いたところ、長時間にわたり警察官から怒鳴りつけられ、「ブタ箱に入れて出れなくしてやる」「高校に行けなくしてやる」などと脅されたという話を先輩弁護士から聞いたことがありました。警察官が裏付けのない第三者の話を拙速に信用して、この少年から自白を取ろうとしたのがことの発端だったようです。

私が担当した事件でも、被疑者が、逮捕前に、5、6人の警察官に囲まれて「任意で事情を聞きたい」と言われた、ということがありました。
そのまま警察車両に乗せられて警察署に行かされ、深夜遅くまで食事なしで事情聴取。翌日、早朝に迎えに来ると言われたとのことです。この人はそれで精神不安定になり、自殺を図ったとも話していました。

なお、任意の事情聴取でも、実際に取り調べが行われるのは、身体拘束下で取り調べが行われるのと同じ部屋です。
テラバヤシも何度か刑事さんにお会いするために警察署を訪ねた折に通してもらったことがありますが、窓はあってもかなり上の方に小さいのがひとつだけ。部屋もすごく小さくて、畳2枚か3枚分くらいしかないんじゃないかと思わせます。
よく刑事ドラマに出て来る取調室は、広過ぎます。

そこに最低でも事情聴取のメイン担当の刑事さんが1人、補助役が1人の2人がいるわけです。場合によっては、もう1人2人つくこともあります。
任意でも身体拘束下でも、狭い密室で複数の刑事に取り囲まれる状況で事情を聞かれるわけです。

「任意」というのは、「あなたの意思で」という意味です。つまり、「任意の事情聴取」というのは、本来、「あなたがよければ事情を聞かせてください」という程度のものに過ぎません。
そうであれば、事情聴取に応じるか応じないかは、当然その人が自由に決めていいはずですし、仮に事情を聞くことになったとしても、身体拘束下で「取調べ受忍義務」が科されている被疑者以上の権利保障、配慮がなされて当然なのです。

であるにもかかわらず、実際の「任意」の事情聴取というのは、捜査機関が断れない状況を作り出した上で、本人に何でもかんでも了承させて行われるものなのです。

いかつい警察官5、6人に周りを取り囲まれた結果、「わかりました、事情聴取に応じます」と言っても、任意。
狭い部屋で複数の刑事が取り囲まれて、「休憩なくてもいいよね」「もう少し遅くまで話聞いてもいいよね」と言われて、「はい」と言ったら、それも任意。
警察車両に乗っけて複数の刑事に家まで送り届けられて、「明日また7時に来るから、出てきてよね」と言われた結果、「はい、わかりました」と言ったら、それも任意。

「いいえ」なんて言えたもんじゃありません。
どこが任意なんだよ、という状況です。

しかも、任意の事情聴取では、録音録画もされません。録音録画は、身体拘束下における事情聴取の規制ですから。
一時、任意事情聴取を録音されて、取調べ中の暴言が明るみに出たことが何度かあるので、最近は、任意事情聴取前でも持ち物検査をされることが多いようです。
どんな事情聴取をしても、証拠が残らないのです。

今の犯罪捜査の大問題は、「はいわかりました」と容疑者本人に言わせることによって、身体拘束下の取調べでかかる規制を全て取り払ってしまい、任意事情聴取で、警察官がやりたい放題の取調べを実現していることにあるといえるでしょう

このブログをお読みの皆さんの多くは、犯罪被害に遭う方を心配する方がほとんどだと思うので、「犯人が早く捕まるなら、被害が拡大しないなら、それでいいだろう」と思っているかもしれません。

しかし、この問題を放置することは、冤罪のリスクを拡大することにつながります。
「正義の味方」は、「残忍な虐待者」と表裏一体と言っても過言ではありません。正義を背負えば、人は何をしても許されるという錯覚に陥るものです。「治安の維持」「犯罪捜査」という職務に忠実であればあるほど、手段を選ばなく(選べなく)なってしまうのです。
社会不安が増大している今の世の中では、犯人を早く捕まえなければならないという警察のプレッシャーは非常に大きいと思います。
そう言った事情が令状のない事実上の身体拘束、ルールの及ばない事情聴取、果ては冤罪につながるわけです。

事実、最初に例を出した少年のケースは、全くの事実無根の冤罪でした。
こんな名ばかりの「任意事情聴取」が放置されれば、ある日突然、自分や自分の子どもが罪人に仕立て上げられてしまうかもしれないのです。
また、冤罪というのは、真犯人を取り逃がしていることをも意味するものでもあります。そういう意味でも、社会に暮らす一般市民にとって重大な問題です。

冤罪のケースだけではありません。
「任意取調べ」という名のものとで、容疑者に対して、恐怖心を煽るだけ煽って、拘留できないから自宅にポイとかした場合、どうしていいかわからなくなった容疑者が今回みたいに自殺してしまったら、その人が本当に犯人だったのかどうかすらわからなくなってしまいます。
社会生活を送っている人の不安は、残されたままです。なんの解決にもなっていないのです。

聞くところによれば、今回のケースでは、容疑者本人に疾患を抱えていたようですし、その疾患を抱えていた人に対して9時間にも渡る取調べが実施されていたとのこと。
身体拘束下の取調べでは到底行い得ない取調べが行われていたと言わざるを得ません。

遺書は公開されておらず、現場に指紋も残っていない。
警察からは、取調べは適切に行われていたというコメントしか出ていません。

せいぜい今回のケースで許されるのは、容疑者の自宅前での張り込みや尾行だったのではないかと思われます。
もちろん、警察の負担はこちらの方が重いとは思いますが、拙速に名ばかりの「任意取調べ」を行うよりは、よほど犯人の割り出しに有益だったのではないかと思われます。

いずれにせよ、裁判所がゴーサインを出した令状がない段階で、脱法的な身体拘束や取調べの無理強いは一刻も早くなくすべきでしょう。
誰にとっても、不安な世の中が招かれるだけです。




[PR]
by terarinterarin | 2017-05-06 16:57 | Comments(0)
昨日今日と仕事に出て、GWは5連休止まりという方、GWってなんですか?という方、お疲れ様です。
テラバヤシは、28日夕方から9連休にしてしまい、実家でのんべんだらりと過ごしています。

事務員も置かないおひとりさま事務所で、よくまあそんなことがやってられますなあ、と言われそうですが、元々自分は事務所にあまりいないタイプの弁護士(というと格好いいですが、要はひとつところに腰を落ち着けて仕事をするのが苦手なタチということです)なので、事務所にいなくても仕事ができるよう、サービスやツールを導入しています。
それが、休暇対策にもなっているというわけです。

今回は、お留守番がいなくても気兼ねなく外出できる、休暇が取れる便利ものを中心に、仕事上のお役立ちアイテムやサービスをご紹介したいと思います。

1 電話代行
独立当初は、事務所の電話を携帯に転送する形にしていましたが、そうすると裁判所からかかってきた電話への対応が困難でした。代表番号表示の場合、どこの部からなんの用事でかかってきたかわかりませんので…
電話代行を導入してから、聞き取った用件をメールで送ってもらえるようになり、外出が楽になりました。
なお、電話代行を入れているのは平日の9時から6時限定です。平日のそれ以降の時間や土日祝日は対応なし。
依頼や相談に関しては、上記の時間帯以外は業務用の携帯電話をウェブサイトなどでご案内していますし、弁護士ドットコム経由だと、事務所宛にかかってきてもメールでお知らせがくるので、折り返しが可能です。ウェブサイトのお問い合わせメールフォームのご案内もしています。
特に困ることはありません。

2 FAX対策
FAX対策は2つしています。
まず1つは、事務所の番号宛に送られたFAXをメール受信できるようにしていること。もうひとつはインターネットFAXの導入です。
FAXのメール受信は、外出先からFAXを確認できるようにするためです。テラバヤシは、記録はクラウド管理しているので、例えば裁判資料などをFAX受信した場合には、スマホやタブレットから、そのままクラウドに保存することも可能です。記録管理が非常に楽になりました。
副次的に無駄にFAX受信のために紙を費やさなくて良いという嬉しい効果もあります。
インターネットFAXは、独立して間もない頃に体調を崩して数日間自宅から出られなくなったときに、どうしてもFAXが必要で導入したものです。ほぼ送信用です。
外出先から書面を送らねばならないこともままあり、非常に重宝しています。
月額費用は1500円(確か送受信枚数が決まっていますが、おひとりさま事務所で超過することはありません)。
インターネットFAXは、送信先の番号をメールアドレスとして管理するため、誤送信のリスクも非常に低くなるメリットがあります。

3 iOS版のMicrosoftOfficeの導入
外出先でも休暇中でも書面を書かねばならない時があります。
でも、PCはいくら軽くてもかさばる荷物。せっかくの休暇中に持って行くのははばかられます。
ちょっとした書面を書く、清書は休暇後で済むというときには、iOS版のMicrosoftOfficeのWordをiPadやiPhoneに入れておけば、PCなしでも必要な仕事はできます。
機能が制限されているので、WindowsPCなみとはいいませんが…
今回の休暇も実はPCなし、iPad、iPhoneだけで帰省しました。
書面もちょこちょこ書いていますが、とりあえず不自由は感じていません。
個人的には、メモアプリに文章を書いてWordにコピペという手法が楽だと思っています。

4 Bluetoothkeyboard
普段の仕事でも外出が長くなりそうな時は、必ずと言って良いほどBluetoothkeyboardを持ち歩いています。
これがあると、出先で長いメールを送ったり、ブログを書いたりすることが可能で、後に余計な仕事を持ち越さなくていいメリットもあります。
休暇中の書面作成もお手の物。タブレットにOfficeアプリを入れてBluetoothkeyboardを持参すれば、わざわざ重いPCを持ち歩く必要は全くなく、出先で仕事対応が可能です。
この投稿もBluetoothkeyboardを使用しています。

5 その他(さらに便利という程度)
@ターボスキャン
ターボスキャンは写真をPDFにできるアプリです。
例えば、裁判所で調書類を受け取ってすぐに依頼者にデータを送りたい、あるいはすぐに郵送したいという場合、ターボスキャンのカメラで撮影してPDF化した上、メール添付して送ったり、インターネットFAXで送ったりということが可能になります。
そのままクラウド保存して原本を依頼者に送ることもすぐにできるので、非常に便利です。
ただ、容量がかなり大きくなりがちなのが不満です。

@宅ふぁいる便アプリの導入
これ、実は一昨日導入したのですが…
裁判員裁判とかやっていると、弁護人間で結構な量の記録をやり取りすることがあります。
このご時世、USBとかSDカードなどの小さい媒体はなるべく使いたくない、かと言ってメール添付も厳しい量の記録があります。
一番安全なのはおそらくクラウドで記録を共有化することなのだと思いますが、抵抗があってできないという方も少なくありません。
そういう時に、宅ふぁいる便やデータ便でデータをウェブサイトにアップして記録をやり取りするという方法があります。しかし、宅ふぁいる便やデータ便は、ウェブサイト上にアップできる期間が決められています(セキュリティ上、長期間のアップはなるべく避けたい)。もらう側が取り損ねると、送る側に再アップする手間をかけることになります。
で、宅ふぁいる便、iPhone、iPad用のアプリを見つけたのです!!
WindowsPCを持ち歩いていなくても、このアプリがあれば、出先で展開した上でクラウド保存が可能です。
出先でも対応可能で便利この上ありません。

こういう風に見ると、本当に事務所なんか持たなくても弁護士も仕事ができる時代になったことがわかります。
弁護士の仮装オフィス問題なんかが最近取り上げられるようになっていますが、事務所開設費用を抑えたいソクドク系の人なんかは、これだけのことが可能になると、仮装オフィス(あるいはそれに限りなく近いレンタルオフィス)でやってみたいという誘惑にかられるだろうな、と思わずにいられません。

ですが、できることとやっていいことは違うものです。
弁護士法や職務基本規程上、明確に仮装オフィスが違反するということはどうやらなさそうな感じではあるのですが、仮装オフィスというのは、オフィスの実態があるように偽装することになるのではないかとも思えます。
どんなにちっちゃくてもいいから、やはり自分の城を構えること、つまり、弁護士が責任を持って起点たる場所を作っておくことが、倫理上求められるのかな、なんて思います。

便利なお仕事アイテムが数多あるこの時代、自由に仕事ができることと信頼を保持することのバランス感覚を持たないといけないようです。






[PR]
by terarinterarin | 2017-05-03 00:18 | Comments(0)
先日、フジテレビの「とくダネ!」という番組で、司会を務める菊川怜さんが結婚を発表した折、「祝 脱独身」とか書かれた垂れ幕だかなんだかが番組内で登場したという話がありました。

私は、「とくダネ!」のテイストが合わないのでこの番組はここ数年全く見ておらず、この日も当然見ていませんでした。この騒動?の顛末は、インターネットで知ることとなりました。

どうやら、この垂れ幕だかなんだかが登場した時の雰囲気は、齢39歳まで独身だった菊川さんを茶化すというものではなく、結婚願望が(比較的?)強いらしかった菊川さんが良いお相手とゴールインできたことを祝う和やかなものだったらしいとのこと。

しかし、いくら雰囲気が悪くなかったとしても、この言葉をテレビに映してしまって大丈夫だろうという感覚というか、あるいは、さして事前に問題にもならなかったその感じが、恐ろしく痛々しいと思わずにはいられません。

クリエイティブサーベイという会社と株式会社BSジャパンが昨年3月に行った調査によれば、20代から40代の独身男女各200名のうち、自分が独身であることに危機感が「全くない」」「あまりない」と回答したのは、男性が65パーセント、女性が54%に上っているとのこと。結婚願望がないと回答したのは、男性が40パーセント、女性が22パーセントとなっているとのことです。

2015年の国勢調査によれば、25歳から29歳の男性の独身率は72.7パーセント、女性は61.3パーセント、35歳から39歳では男性が35パーセント、女性が23.9パーセントとなっていて、前回調査と比較するとポイントが下がっているのは、このカテゴリーの中では、35歳から39歳の男性の未婚率のみで、あとはポイントが僅かながら上がっているという結果が出ています。

テラバヤシ自身も中年真っ只中ながら独身ではありますが、周りを見ていると、決して自分が「超少数派」ということはありません。
同業者かそうでないかにかかわらず、同年代の友人知人に占める独身者の数は、まあ結構なもののように見受けられます(平均から見ればかなり多いことは事実ですが)。

そして、その多くは「結婚したくてもできない」という人たちではなく、将来的に絶対に結婚しないと断言まではしないけれども、独身でいることを特に肯定も否定もせず、現状をそれなりに楽しんでいるのです(テラバヤシもそうです)。

もちろん、高齢独身者の中には、「自分は結婚はしない」と決めている人もいるでしょう。しかし、そう決めた理由については、結婚制度というもの自体がおかしいという堅いポリシーをお持ちの人もいれば、自身のキャラクターが結婚向きでないと考えている人もいることは想像に難くありません。

そして、私なんかよりもはるかに年長の世代の人の意識も「結婚絶対主義」とは言えません。
帰省の折に偶然出会った小学校の同級生のお母さんに「結婚は?」と聞かれたので「していません」と答えたところ、「しないで済むなら結婚なんてしなくていいわよ」と思い切り言われました。
近所のおばさんにも「別にねえ、しなきゃいけないもんじゃないんだから、好きにやればいいのよ」なんて言われます。

つまり、「結婚」というものに対する日本人の向き合い方は、おそらくは老若男女問わず少なくともここ数年多様化しており、「人間は一定の年齢になったら結婚するのが当然」、「女はどんな地位にいようと最終的には結婚して子供を産むのが幸せ」なんて固く固く考えている人の方が、むしろ少数派かもしれないとすら思えてしまうご時世だったりするわけです。

そんな中飛び出した、今回の「祝 脱独身」。
インターネットで顛末を知った時、言いようもない脱力感に襲われました。

記事に書かれていた番組スタッフの「アットホーム」な雰囲気が原因というものが本当なのだとしても、この世論の動向を読まない、読めない、見えないこの感覚って、メディアとして致命的なんではないか。
しかも、この番組は老舗の情報番組、世の中の今を伝えるはずの番組なのです。
にして、この残念な感じ。

思えば、今の政権は憲法改正を目論むにあたり、「家族」を重んじる傾向を持ち出して、「家族を作るか作らないか」という価値観すらじわりじわりと封じ込めて行きたさそうな雰囲気を醸し出しています。

仮に、今回の「祝 脱独身」騒動が、そういう政権動向に乗っかって、「脱独身ブーム」が到来すると読んだ上でのものだったのだとしたら、世論の動向の読み違いにもほどがあるとしか言いようがないように思えますし。

確かに、離婚や家事事件の仕事をしていると、都会のど真ん中で夫婦共稼ぎで、妻も夫も結構な収入を得て暮らしている夫婦なんかでも、夫の方の根本的に恐ろしく保守的で、妻を「どこそこ家の嫁になったのに」、「自分は長男で本家を継ぐので、子を産めない今の妻とは別れて、後継を生んでくれる女性と結婚したい」なんて言い出す始末の男性にお会いすることもあります。
女性の側から「夫の母が、あんたは嫁に過ぎないんだから、出て行くなら子供をおいて出ていけとか言われた」とかいう話も聞いたりします。

しかし、さっきも書いた通り、全く別な価値観を持つ人が多数いることも事実です。

まさかとは思うけど、これが日本の夫婦や家族の常識なんていう雰囲気が、テレビ業界全体にそこはかとなく蔓延しているんだとしたら、もう日本のテレビなんて信用するに値しないな、なんて思ってしまうのでありました。

[PR]
by terarinterarin | 2017-05-01 18:23 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin