高畑裕太さんが釈放されました。
なんでも被害者の女性との間で示談が成立したから、とのこと。

前にも書きましたが、被疑者について被害者と示談したら、検察官はまず被害者に示談内容について弁護人からきちんと説明を受けたか確認します。
その上で、被害届や告訴の取下げの手続きをして、完了したら、不起訴、釈放という流れになります。

今回物議を醸しているのは高畑さん釈放後の弁護人のコメントです。

悪質ではなかった。
合意があったという認識を高畑さんが持っていた。
公判になったら無罪主張した可能性がある。

というコメントが被害者に二次被害を与えているのではないか?
同業者間では、このような観点から、たくさんのコメントが飛んでいました。

私の知人で芸能界に割り合い近いところにいる弁護士の推測では、おそらく、口外禁止条項、つまり事件の内容や示談内容について第三者に口外することを一般的に禁じる条項を入れた上、例の内容のコメントを弁護士が発表することについては例外的にOKとしているのではないかということでした。そして、コメント発表をOKとすることを前提として示談の金額を決めたのではないかと。

確かにそういうことであれば、あのようなコメントを発表したことも弁護士としては、ある程度理解はできます。コメント内容自体の評価はさておくとして…

このコメントを受けて、ネット上では早くも、女性の側は金目当てだったんじゃないかという心ないコメントが出回っているそうです。

確かに、強姦や強制わいせつの事件の中には、ざっくり言えば、男女トラブルの延長みたいなものも一定数あり、男性の側がはっきりと女性の拒絶の意思を認識できなかったケースもあります。私も経験があります。
また、美人局みたいに「金目当てのだまし討ち」みたいな例も案外少なくないようです。

美人局的案件はさておくとして、「男女トラブルの延長線上」の事件についてみると、男性側に加害者意識が希薄である一方で、女性側も「無理やりされた(途中からでも)」という意識を持つことが多分にあります。
そうすると、こういう事件の場合、示談に際して、この辺の意識のすり合わせ、相互の認識の理解をするという作業は、普通に考えれば必要なことも少なくないでしょう。

しかし、事件当事者がともに一般人のケースで、「示談すれば釈放がほぼほぼ見えてくる」という案件の場合、様々な事情を考慮したうえで、むしろ、このようなすり合わせを行うことなく、男性の側が女性の側の被害意識をある意味一方的に受け入れたうえで、お支払いをするという選択の方が多い、いやむしろスタンダード、であるように思えます。
男性の側がタレントや政治家のような、常に露出する存在でない限り、どうして示談したのかということを公に問われることは、ほぼないからです。

優秀な刑事弁護人からはぶん殴られるかもしれませんが、「無罪」「悪質でない」という主張で正面から裁判を戦うことのコスパを考えてみた場合、ぶっちゃけたところ、「金で時間を買う」ではないですが、自分の言い分はぐっと飲みこんで示談して釈放された方が本人の利益ということもあるわけです。

つまり、何が言いたいかというと、今回のこの件、高畑さんの弁護人がああいうコメントを発表した大前提として、先に書いたような「意識のすり合わせ」「相互の認識の理解」の作業をしていたはずであろうと、まともな弁護人であれば、当然そのような選択をしていたはずだと、いうことなんであります。

ただ、この作業、そんなに簡単に済むわけではないでしょう。
ある意味、検察側の事件に対する「見立て」との齟齬も問題にされうる話なわけですから、被害者、そのバックにいる検察側との調整には、相当な労力を必要とすることになるだろうと思います、弁護人サイドから見れば。

そして、この点を女性側から見ると、果たして弁護側がどういう態度で、先に書いたような認識理解を女性にしてもらったのか、あるいはさせたのかということが気になります。
高畑さんの側からするとこういう言い分なんですよ、ということが丁寧に丁寧に説明されただけなんだろうか。女性の側の気持ちが十分に聞き取られたのだろうか。
もし、そのような作業に弁護側が終始して、女性の側が納得したのであれば、真の事件解決と言えるでしょう。

しかし、「裁判になったら無罪を主張したであろう」という趣旨の弁護人のコメントを見て、テラバヤシには、「示談に応じないで裁判になった場合に女性の側にどういう嫌なことが起きるか」ということを強くおした示談交渉が行われていたのではないかという、若干の気持ち悪さが残るのです。

裁判になったら、こちらは無罪の主張をします。
強姦の成立を争います。
そうしたら、あなたは裁判所に証人として呼ばれることになります。
裁判所で、傍聴人が大勢見ている前で、あなたは事件の日の夜、彼との間で起こったことを話さなければなりません。
今、示談して終われば、そういうことはしないで済みます。

もちろん、示談に応じた場合に生じる不利益、応じない場合の不利益を説明することは弁護人サイドからすると必要です。
しかし、今回の場合は特に、「応じない場合の不利益」の説明は、言い方ひとつで非常に威圧的になってしまう危険性が高いように思うのです。事件に対する注目度が非常に高いわけですから、「さらされる」恐怖心は女性の側にとっては、ただならぬものでしょう。

女性の側に弁護士がついていて、高畑さん側と対等な力関係が保たれた状態での交渉であれば、ある程度、このような問題は回避されると思います(もちろん、弁護士の力量の差、経験の差にもよりますが)。しかし、仮に女性の側に弁護士がついていなかった場合、真に紳士的な交渉態度だけで、あのようなコメントに至るような示談が成立しうるものなのでしょうか…

そして、ああいうコメントを発することによって、このご時世、インターネット上に女性側を逆にたたくようなコメントが出るということまで予測され、説明されていたのでしょうか。

もちろん、全てのリスクを回避する義務まで、示談に際して弁護人に課されるわけではありません。
「示談交渉」とはつまり「和解契約」の交渉なのですから、男性の側がやみくもに(言葉は悪いですが)下手に出る必要もないという考え方もあるかもしれません。特に弁護側から見て、裁判になったら争う余地がありそうだと考える案件においてはなおさらでしょう。

しかし、刑事事件を前提とする示談を行う場合、お金を支払う側としては、示談成立後に「禍根」を残さないように最大限の努力・配慮をすることが必要ではないかとテラバヤシは思います。

今回の高畑さんの件、それはできていたんだろうか。
弁護人が名高い人なだけに、非常に気になるし、さっきも言ったように一抹の気持ち悪さが残るのであります。
















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# by terarinterarin | 2016-09-10 17:29 | Comments(2)
前回の投稿、「弁護士にはとってもつらい性犯罪」は、犯罪を犯した側に弁護士が立った時の目線で書きました。
今回は、犯罪によって被害を受けた側(被害者やそのご遺族を含みます。)と弁護士の問題について書いてみようと思います。

弁護士の第一の使命が「依頼者の利益を守る」ことにあることは前回もお話しした通りです。
つまり、弁護士は、犯罪を犯した人の弁護人になればその人の利益を守るべく活動しますが、被害者から委任を受ければ、被害者の利益を守るべく活動することになるわけです。
テラバヤシも、比率としては、「弁護人」として犯罪を起こした側、起こしたとされる側に立つ割合が多いですが、被害者側の代理人の仕事をしたことも何度かあります。

被害者側の代理人の活動としては、被害弁償の請求を行うこと、「被害者参加」という刑事手続への参加につき代理をすることが主にあげられます。

被害弁償の請求については、まずは、示談交渉を行うことが考えられます。示談交渉で満足が得られない場合には、従来であれば民事訴訟を起こさなけれがなりませんでしたが、現在は、損害賠償命令といって、有罪判決後に刑事事件を担当した裁判所が、引き続き損害賠償請求について審理を行い、賠償を命じる制度があります。「訴訟提起しなおし」による費用や時間が節約できることになった点で、損害賠償命令は、被害者を経済的に救済する大きな意味を持つ制度であるといえるでしょう。
「被害者参加」というのは、刑事裁判に被害者が参加する制度で、被告人に対して質問することもできますし(質問できる範囲には一定の制限がありますが)、また、裁判の最後に意見陳述することもできます。

もちろんどれも被害者本人が行うことが可能です。
示談に関しては、弁護士が代理人としてついていない場合、捜査中や裁判前、裁判中であれば、検察官が間に入って連絡窓口を務めたりします。
被害者参加についても、意見陳述は、書面に書いたものを裁判官に代読してもらえます。

がしかし、弁護士を頼まずに対応するとなると、なかなかにハードルが高くなって、できなくなることも出てくることは事実です。
例えば、示談の打診を受けたけれど、その金額に納得できないという場合、加害者側についている弁護士と「交渉する」という気持ちを持つことについて気後れする人も少なくないでしょう。
示談書の文言についても、入れてほしい言葉があるにもかかわらず、それがうまく言えないということもあるかもしれません。
なにより、損害賠償命令であるとか民事訴訟に持ち込むということは、一般の方ではかなり難しいように思います。

被害者参加についても、本来であれば、犯人に聞いてみたいことがあるという方も少なくないのかもしれません。
しかし、自分に害を与えた人間と直接対峙することに恐怖心があるでしょう(非公式に検察官が被害者から聴きたいことを聴取して質問していることも少なくないかなあと思いますが)。
弁護士に頼むという選択肢を持たない場合には、あきらめてしまう場合も多いのかもしれないと思います。

犯罪被害者代理人については、法テラスによる費用援助のシステムもありますし、警察や検察庁でインフォメーションがあるようです(一部の検察官は積極的に進めているという話も聞いたことがあります。本当かどうかはわかりませんが)。
そうであるにもかかわらず、思ったほど「被害者に弁護士がつく」という流れは定着していないように思うのです(交通事故による傷害や死亡のケースは除きますが)。

私が被害者の代理人を担当したのはいずれも財産犯のケースで、どちらも示談交渉のみの受任でした。
自身が被告人の弁護人をやったケースで被害者に代理人がついたことは何度かありますが、「被害者参加代理人」として弁護士が関与したケースは少ないです。
性犯罪の被害者の方でも、代理人が付くケースはわずか、という印象です(もちろん正確にデータをとっているわけではありませんが)。

被害者に代理人がつくことは、独りでは躊躇することをできるようにしておくという意味で重要性が高いと思います。そして、さらに「限界を理解する」「できないことを理解する」という意味でも、非常に重要だと思うのです。

一番典型的な問題は、やはり、示談です。

先方から提示された金額が納得できない。
弁護士から見ても、生じた被害を考えれば、本来ケタ一つ違うだろうという提示しかない場合があります(弁護人として示談交渉する場合に、そういう提示しかできない場合もままあります)。
裁判をやれば、もっと多額の支払いが認められることは目に見えている。
それでも、犯人本人に資力がない場合、スポンサーが親兄弟で、出せるお金に限界がある場合、判決で勝っても、その判決が「絵に描いた餅」でしかなくなってしまうことが往々にしてあります。親兄弟のお金を差し押さえたりすることはできませんので。
しかも、刑事事件の判決が出てしまえば、犯人についている弁護人の仕事は終了。交渉の窓口もなくなってしまう。

そういう状況下で「実を取る」としたら、ケタ一つ下がる金額でも、示談に応じる(あるいは被害弁償を受けておく)という選択をしておいた方がまだマシということが往々にしてあります。

もちろん、犯人についた弁護人が、被害者本人に対してこういう説明をすることもすることも多いと思います(まともな弁護人ならやるはずです)。
ただ、被害者からしてみれば、「自分に害を与えた側についてる弁護士」からこんな話されたって、「はいそうですか」とはなかなかなりにくいであろうと思うのです。不条理さが増すばかりということも少なくないでしょう。

「被害者側についた弁護士」が被害者の気持ちを聞いて理解したうえで、「実を取るのはどうですか」と提案してこそ、ある程度納得して受け入れる余地が初めて出てくるのだと思います。
もちろん、「絵に描いた餅でもいいから、犯人に自分がやったことの重みはこれくらいの金額になるんだとわかってもらいたい」と被害者が言えば、被害者の代理人としては示談を蹴って訴訟を選択することになります。そういう意味では、実はとれなくても被害者の意向を反映した手続を踏むことが可能になるわけです。

なのに、被害者の代理人が付かないことが多いのはなぜなのでしょうか。

ひとつには弁護士費用の問題があるように思います。
被害を受けた自分が、さらに弁護士費用を負担しなければならないということの不条理感が、弁護士に依頼することを躊躇させているのかもしれません。

また、特に性犯罪の場合なんかだと、捜査機関に対してだけでなく、弁護士にも被害事実を話さなければならないという心理的負担が足掛けになっているように思います。
それ以前に、外界のあらゆる人物との接触をしたくないという心情から、弁護士にたどり着かないという人も相当数いるのかもしれません。

一般の方からしてみれば、悪いことをした犯人には、金がなくても国の費用で弁護士を付けることができるのに、被害者には弁護士の手が届きにくいという点で、不公平に感じられるのだろうと思います。

そうすると、全ての犯罪とは言わないまでも、性犯罪を中心とした一定の犯罪については、名簿制の弁護士派遣制度を作るのも1つ手かもしれません。
例えば、捜査機関(警察署や検察官)が被害者に対して「弁償などについて弁護士の相談を受けたいか」などと意向を聞き、被害者がイエスという返事をすれば、各地域の弁護士会の担当部署に相談弁護士の要請を行う…といった制度です。
私が思いつくくらいだから、既に導入している弁護士会もあるような気がするんだけど…どうなんでしょうか。

一度犯罪の被害に遭った人の恐怖心や心理面の問題を解消することは(遭った被害の内容にもよりますが)困難で、法律家だけでどうにかできるような問題ではないでしょう。
しかし、助力できる人間が適切に助力することによって、軽減することは可能なはずです。

ちなみに、「優秀な刑事弁護人は優秀な被害者代理人である」と思っています。敵の手の内が大体わかるわけですから。
刑事専門を謳う弁護士の中には、被害者側はやらないという信条の人もいるかもしれません。
が、基準としては間違っていないと思いますので、(必要ない情報かもしれませんが)弁護士選びの参考にしてもらえればと思います。












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# by terarinterarin | 2016-08-29 01:07 | Comments(0)
俳優の高畑裕太さんが、宿泊先のホテルの従業員の女性に性的な暴行をしたという容疑で、強姦致傷罪により逮捕勾留されました。
昨日からテレビは、この話題で持ちきりです。

強姦致傷罪は、法定刑が懲役5年以上20年以下の結構重たい犯罪になります。条文上は無期刑の選択もありえます。
しかし、姦淫が既遂の時だけ成立するものではなく、姦淫が未遂の場合も成立します。
強姦致傷罪の量刑を決めるにあたって、一番大きなポイントはこの点で、姦淫が未遂の場合には既遂の場合に比べて、(他の事情によりますが)相当程度刑が軽くなります。

また、致傷の程度も実は幅がかなりあります。数日あれば治るようなかすり傷程度のものからそれこそ瀕死の重傷まで(注:殺意があったことが認められる場合には強姦殺人未遂になると思いますが)「致傷」に含まれ、けがの程度が軽ければ、その分、刑がかなり軽くなることもあり得ます。
その他、手段としての暴行脅迫が、どれほど悪質か、執拗だったかという点も影響します。

高畑さんがこのままの罪名で起訴されてしまえば裁判員裁判が行われることになります。

おそらく、お母様や事務所やご本人の依頼で、国選ではなく私選の弁護人が高畑さんには就いていることでしょう。
捜査段階であれば、まず、弁護人としては、被害者の方に告訴取下げをしてもらい、不起訴にしてもらうことを目標として活動することになると思います(注:強姦致傷罪はいわゆる親告罪ではありませんが、実務的には告訴状を被害者に提出してもらうのが通例のようです)。
すなわち、真摯なお詫びと示談の申し入れをして、これにより被害者からの許しを得る活動をする、ということです。

これは非常に難しい活動です。
被害者にとっては、被害に遭ってまだ間もないころですから、お詫びや示談などを受け入れる気持ちに到底なれません。それも、女性としての根幹の部分を力によって強引にねじ伏せられて侵害されているわけですから、お金をとられたりしたのとは段違いの抵抗感があります。

最近では被害者の住所等が弁護士にオープンにされることはほぼなく、まずは担当検察官を通じて、謝罪や示談の申し入れを行い、OKの返事が来るのを待つ…となることがほとんどです(もちろん、この段階で被害者に代理人弁護士がついていれば、代理人弁護士との連絡はすぐにつくでしょうが、捜査段階で被害者代理人が付くことはそれほど多くないように思います)。

「示談には一切応じません。お金も受け取りません」と言われるケース、「弁償には応じますが告訴は取り下げません。示談もしません(つまり、今後、さらに訴訟などにより慰謝料を請求する余地を被害者が残しておくということです)」と言われるケース、様々あります。

前者のようなケースでも、例えば、起訴されて審理が済んで、残すは判決のみという時点で、被害弁償に応じてもらえることがありますので、テラバヤシの場合はまだあきらめません。時間をおいて、様子を見ながら、可能であれば、何回か打診することでしょう。
後者の場合も、けがが軽い場合には、被害弁償することによって、「強姦罪」という軽い罪名に落として起訴になる可能性もでてきます。そうすると、法定刑は3年以上20年以下の懲役になりますので、場合によっては、執行猶予まで見えてくることもあり得ます。ですので、示談には至らなくてもお支払いをする方向で考えるのが普通かと思います。

どこかから、「軽くするために金払うのか!!」という声が聞こえてきそうですが、第一目的はその通りとしか言いようがありません。だって、弁護人は「被疑者被告人の利益のために」活動するのが使命なのですから。
しかし、だからといって、被害者の心情に配慮しないわけでもないですし、ましてやだまし討ちみたいなことをしてはいけないのは当たり前のことです。

この手の事件だと、「お金を受け取ることによって刑が軽くなる可能性がある」ということを説明しなかったり、示談書の文言をきちんと説明しないでサインさせたりして、あとで「こんなはずじゃなかった」と被害者の怒りを買う(その意味で二重の被害を与える)ケースもままあります。

ですので、弁護人としては、弁償をする、示談を持ちかけることに関しては、慎重でなければなりませんし、決して無理をしてはいけません。そのあたりの気の遣いようが、我々弁護士の胃痛の原因にもなったりするのです…

裁判員裁判が始まってから、性犯罪の量刑はかなり重くなりました。これは巷で言われているとおりです。従来の量刑が軽すぎたともいえます。このこと自体は、やむを得ない、むしろ女性の権利保護という点では当たり前になっただけと考えるべきであろうと思います。

がしかし、弁護人にとっては非常に悩ましいこともあります。
時に、裁判では、検察官の求刑を超える判決が下されることもあるのです。
示談や被害弁償をしていても、それによって、刑が大幅に下がることも減っています。
示談や被害弁償により、被害が一定程度回復されたと、裁判員の皆さんに思ってもらいにくいのです。

「反省しています」「申し訳ありませんでした」「二度としません」なんて言われたって、ほとんどの場合、被害者の方は救われないでしょう。とすると、やった側がお詫びを形にするには「お金」しかないわけです。
で、出せるだけのお金を出す。しかし、刑がかなり重い、となると、もう性犯罪で、かつやったこと自体を認めてしまっている事件の場合には、弁護人、重い刑が下されるのを指をくわえてみているしかない、という状況に追いやられてしまうわけです。
つらいこと、このうえありません。

こういうことを言うのは不謹慎かもしれませんが、時に性犯罪の弁護は、殺人など人が亡くなっている事件の弁護をするよりも、悩ましいことがあります。

殺人というのは「動機犯罪」と言われています。多くの場合、そこに至るまでの経緯を見ていくと、同情する、理解するとまではいかないまでも、「気持ちはわからなくはない」と言えることも少なくありません。裁判員の皆さんも「どうしてこんなところまで来てしまったのか」というスタンスで裁判に臨んでいることが多いように思います。
弁護人もやってしまった本人も、人が死んでいるわけだから、量刑については、大方の覚悟はできている。
重い判決でも、判決理由の中で一定の理解を示してもらっているような箇所があれば、多少救われる気持ちになることもあります。

が、しかし、性犯罪の場合、一般の人から見れば、何をどうしたって正当化される理由なんて出てこないわけです。本来治療すべき障害に基づいて事件が起こされているケースも少なくありませんが、まだまだそのような理解は広まっていません。
示談しても無駄。その他にもアピールできるポイントなし。性犯罪が、弁護人泣かせの事件であることは、このご時世、間違いないことでしょう(うーん、色んな方面から怒られそうだなあ)。

最後に皆さんに理解していただきたいのは、性犯罪を起こす人間が全員「色欲魔」ではないということです。
今回高畑さんは「自分の欲求を押さえることができなかった」と言っているそうで、これがもとで「性欲の強い男が酒によって起こした事件」みたいなくくりにされているような気がします。

確かに、そういう人もいなくはありませんが、実際には、年齢の割に性的な関係が未熟な人が起こしているケースであるとか、ストレスや性的ではない欲求不満が性的暴行という形で発現しているケースでるとかの方がむしろ一般的ではないか、というのが、今までの経験から感ずるところです。

ここから先は、臨床心理士や医師の出番のように思いますが、そこに私なんかは、病的な歪みを感じることも多く、だからこそ弁護のやりようのない性犯罪について、どうしようもない無力感を感じることも少なくないわけです。

今の日本では、犯罪をした人を処罰すること自体が目的化しているような気がしてならないのです。
処罰することの目的は、その人がそれに懲りて二度と犯罪をしなくなることにあるわけです。
で、様々な犯罪について、その方法があまり意味がないということも、昨今わかってきています。
一度犯罪を犯した人を二度と犯罪に走らせず、全体として犯罪を減らしていくためには、刑罰以外の手段で臨むべきことも往々にしてあって、性犯罪なんかは、薬物犯罪とともにその代表的な例だよなあ…なんて思うのですが。

なんだか話がずれてしまいましたが、様々な意味において、性犯罪というのがカオスなものであるということがお分かりいただけただろうと思うので、今日はこれでおしまいにします。

長文失礼いたしました。












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# by terarinterarin | 2016-08-25 22:47 | Comments(20)
お久しぶりでございます。
現在遅い夏休みをいただいております。
オリンピックにうつつを抜かして更新を怠っていたところ、あっという間に1か月ほどが過ぎてしまいました。

夏休み前というのはバタバタと仕事が入るもので、初めて会う弁護士と名刺交換したり、相手方についている弁護士の情報収集をするためにホームページを見たり、ということが何度かありました。

ダブルライセンス持ちの弁護士が、増えたなあと改めて感じました。

公認会計士とのダブルライセンス持ちの弁護士というのは、実は古くから一定数いて、特段珍しいという感じでもありませんでした。
「法律会計事務所」なる看板も、都市部では、ちらほら見かけるものです。
先日名刺交換した相手方弁護士も、「弁護士/公認会計士」という肩書がありました。
数字がからっきしだめで、時に精算時の足し算引き算も間違えるテラバヤシから見ると、かっこいいことこの上ありません。

他に、税理士、中小企業診断士、社労士、MBAといった、周辺領域や「わかっていると便利な分野」に関する資格を持っている弁護士も、少なくないという印象です。
最近では、不動産鑑定士、弁理士という、超難関資格を持っている超人も、直接ではありませんが存在することを知りました。
司法書士の資格を取ってから司法試験を受けたという方も従来少なくなかったので、司法書士とのダブルライセンス、という人も、結構いたりします。

こういういわば実務的な資格は、弁護士がダブルで持っていても、一般の方々は特に違和感がないかもしれません。

しかし最近は傾向が違う資格のダブル持ちも見受けられます。
例えば、社会福祉士であるとか、精神保健福祉士であるとか、あるいは介護福祉士であるとかの福祉関係の資格。
障がい者高齢者の権利擁護の機運が高まったり、障がい者刑事弁護が注目されるようになったりしたことが影響しているようです。
また、少年事件の達人の先輩が臨床心理士を取得したこともありました。先日は、相手方の弁護士が、保育士資格を持っていることも判明しました。

ダブルライセンス、百花繚乱の時代です。

「弁護士=儲からない仕事」という図式が世の常識になりつつあるこの状況下だと、「仕事を得るための手段としてダブルライセンスを取得する弁護士が増えた」みたいなことが言われがちかもしれません。
「弁護士」の隣に「不動産鑑定士」なんて肩書がつけば、「不動産取引に詳しい弁護士」というイメージになるので、その手の仕事が舞い込むようになる、それを狙ってダブルライセンスを取る弁護士が増えてる、みたいな。

しかし、先に挙げた資格はどれも、そう一朝一夕にとれるような代物ではありません。「儲け」にそんなにすぐつながるわけではないでしょう(もちろん、受験勉強的なことがお得意な方とかかなりな頭脳をお持ちの方であれば、すんなり受かってしまうのでしょうが)。
それに、実務系の資格はさておき、福祉系の資格や臨床心理士をはダブルで持っていたとしても、そんなに儲かる仕事が来るのかと言われれば、かなり「?」ですし。

ダブルライセンスに至った経緯・動機というのは千差万別だと思いますが、個人的には、案外、弁護士の仕事をやっていく過程の中で、ふとしたきっかけがあり、その領域についてきちんとした知識を得たくなる、「そっち方面」の仕事が多いので、資格試験の勉強しながら知識を得ていく、ということの方が多いのではないかと思います。

実はテラバヤシも、一時、仕事の関係で興味が出た分野の資格を取ろうかと逡巡していたことがあったのですが、それにかける時間や気力の点で覚悟ができず、断念した過去がございます。
なんで、動機はどうであれ、忙しい仕事の合間を縫って、テキストを読み、スクールに通い、場合によってはレポートや論文を書き、試験を受けるなんていう作業を、七めんどくさい司法試験の後もやりのけてしまう人たちのことは、純粋にすごいな、と思うのであります。

人間年をとってからの方が勉強がしたくなるというのは、我々の業界でも同じ、ということなのでしょう。
必要にかられて、あるいは、現場を見て形成されたモチベーションに基づいて始めた勉強は、青臭い時代に受験勉強的に取り組んできた司法試験とは、一味も二味も違う深みをその人に与えるのかもしれません。
そういう意味でダブルライセンスを持っている弁護士というのは、「いい仕事」ができるのかもしれないな、などと感じたりします。

ちなみに、ダブルライセンスとはちょっと違いますが、テラバヤシ、英語の読み書きを勉強したいと思っております。
かつて大学院時代は(すごい苦手だったけど)、フランス語や英語の文献を読んでいました(書けませんでしたが)。
今や、読むのもやっとこさっとこ、たまに書く必要があるときには、「グーグル辞書」を首っ引きという情けない状況です。

英語の読み書きできたら便利だなと思う機会が最近多いのです。なんで、始めたい。
始めたいけど根性ないから続かない、と現在葛藤中なのでありました。



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# by terarinterarin | 2016-08-23 16:18 | Comments(0)
いわゆる相模原事件の後、このブログの「事件を起こした精神的にまずい人のその後」という記事のアクセス数が伸びています。
コンスタントにアクセスが多い記事ではあったのですが、この事件でフィーチャーされた「措置入院」について書いていることから、おそらく検索ワードで上位に来るようになったのではないかと思います。

7月31日の夜には、NHKでこの事件を検証する番組が放送されていました。
事件が起こってわずか5日の放送の割には、被疑者が施設を退職してから事件を起こすまでの間の言動のいくらかを明らかにしており、かつ今後の「危険人物」(措置入院歴がある人という言い方をするととても語弊があるので、あえてこの言い方を選択します)への対応方法を考えるうえでの視点を与えるもので、それなりに意義ある番組だったように思います。

この番組を見て、今回の事件は、「他害の恐れがある危険人物に対する医療制度、司法制度の谷間に落ちてしまったために起きた事件」であると強く思いました。

先に挙げた記事でも書きましたし、報道でも取り上げられているのですでにご存じの方も多いと思いますが、「措置入院」というのは、あくまで精神科の指定医が「自傷他害の恐れがある」と診断した人物を強制させることができる制度であり、治療が主目的ではありません。つまり、「自傷他害の恐れ」がなくなってしまえば、その時点で退院をさせなければならないわけです。
相模原事件のケースでは12日間でしたが、ほんの数日で退院になるケースもあります。

実際には、この後、医療保護入院に切り替えて比較的長期間の入院を本人の意思に反して行うことができる場合もあります。これは、対象となる人が自分の意思で入院を選択できない場合(つまり病識がないなど)に適用されます。しかし、医療保護入院はあくまで、その人を「保護する必要性」がある場合に限られるもので、家族や市区町村長の同意が必要となります。

そして、なにより、保護入院が許容されるためには、対象者が精神障害者であることが必要です。
今回の事件の被疑者は、措置入院時に大麻の陽性反応が出たものの、その後、「どうかしていた」などと反省の弁が出た、そこで退院することになったとのことでした。

実際に医療記録を見ているわけではないので、あくまで上記の情報を前提とすればですが、今回の事件では、被疑者の言動が大麻使用による一過性のものであると判断されたか、あるいは依存があるとしても、本人の意思に反してまで入院させる必要性がないと判断された可能性があるように思います。

そのために彼は社会に放たれることになってしまいました。
病院の勧めで、任意に薬物依存の治療に通院したようですが、ほんの数回でやめてしまったという情報も放送されていました。

退院後の彼の言動(友人らに対して犯行を誘ったり障害者殺害の決意を語っていたこと)は、おそらく通報があれば、再び措置入院の対象になりうるものだったでしょう。
しかし、恐らくは比較的狭い人間関係の中でしか語られず、また普通に生活している形跡もあったため、通報に結びつきにくかったのではないでしょうか。友人らとしては、警察に通報したのがばれた場合には、報復されるのではないかという恐怖心もあったかもしれません。
被疑者は、元々善良な人間だったようで、友人らには、自分たちが説得すれば翻意させられるのではないかという思いもあったのかもしれません。

今から振り返れば、退院させるという医師の判断が正しかったのか、友人たちが警察に通報しなかったのはどうだったのかという疑問は当然生じることと思います。

しかし、ここで医師や友人たちを責めても、何の意味もないのは明らかです(特に今日のNHKの番組では、顔をさらしてインタビューに応じていた友人の方がいました。この方には敬意を表するとともに、今後誹謗中傷にさらされることのないよう切に祈ります)。

私も、今まで、措置入院や保護入院の後に事件を起こしてしまった人(あるいは事件を繰り返す人)の事件を何度か受任したことがありました。
主治医に会ってお話を伺ったりもするのですが、私が会った医師は、みなさん、非常に落胆していました。
「自傷他害の恐れがあるかどうか」の判断は非常に難しいものでしょうし、退院後の異変まで読むことまでは到底できないことなのでしょう。

また、こういう「危険人物」の周囲の人々の心境も、また複雑この上ないものです。「止められなかった」ことを後悔し、あたかも自分が犯罪者であるかのように自分を責める人もいたりするものです。

NHKの番組でも示唆していましたが、必要なことは退院後のフォローアップです。
対象者やフォローアップの方法、程度など議論すべきことは多いでしょうが、今回の件に限らず、措置入院後に事件を起こす人というのは少なからずいるわけです。池田小の事件もそうでした。特に「他害の恐れ」があるとして措置入院となった人物については、フォローアップの制度を設けることは必須だと思います。

今回の事件は、健康な?20代の男子という、ある意味の強者が、「重度の障害者」という社会的弱者の中でもとりわけ抵抗できない人をターゲットに、抵抗が極めて困難な真夜中に引き起こしたもので、レイシズムやナチズムなどの危険思想の影響がかなり強いと考えられます。

こういう思想が絡む事件が起こると、事件を「危険思想の蔓延」のせいにして、「危険人物による犯罪の防止」という制度を人権侵害の危険が高いからという理由でやみくもに反対する人が必ずいます。

しかし、そういう社会全体の思想傾向の問題と、「防げる犯罪を防ぐ」という個々の犯罪防止の問題は全く別次元のものなのであって、やはりこういう事件が起きてしまった以上、「制度の谷間」を埋める試みというのは、今後していくべきであると、強く思います。
これは犯罪被害を防ぐためだけでなく、犯罪者を生み出さないためにも必要なものだと思います。


最後になりますが、(これも以前書いたように記憶していますが)テラバヤシの記憶する限り、人生で初めて友達になった人は、当時「自閉症」と診断されていた同い年の男の子でした。
その人とのかかわりは、私の人生に大きな影響を与え、弁護士の仕事をしていくうえでかけがえのないものになっています。

人は、どんな人でも、誰かの人生に影響を与え、導く力があると信じています。

月並みですが、お亡くなりになられた皆さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、負傷された皆さんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。

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# by terarinterarin | 2016-08-01 01:02 | Comments(3)
昨日から今日の朝にかけて、東京弁護士会の自身の所属派閥(一応所属しているんですよ、こんなワタシでも)の大イベント「旅行総会」というものに出かけておりました。
メインイベントは、文字通り「総会」でして、決算予算の承認に会務報告、宣言や決議の採択などなどだったりします。

総会の前座?的なイベントにはシンポジウムが企画されておりまして、昨日、テラバヤシはその企画者として、はたまた登壇者として、参加してきました。
テラバヤシが登壇したシンポジウムのタイトルは、「イマドキな弁護士の業務広告~実例とルールに学ぶ~」というものです。
要は、近年中心になっているインターネット上の業務広告の活用例とその注意点に関するお話です。目的としては、「ルールを頭に入れたうえで適正な広告を有効に活用しましょう」ということを同業者(派閥の皆様)にご理解いただこうというものでした。

テラバヤシの方からは「イマドキな弁護士の広告についてお話します。」というタイトルで10分ほどのプレゼンをしました。
イマドキな「おひとり様事務所」をかまえるテラバヤシが、あまりお金をかけずにどのように集客をしているかという話です。
ザックリ言うと、「基本情報等を載せているホームページや弁護士ドットコムページがあり、ブログ(注:ブログが本当に集客につながっているかどうかは以前からこのブログに書いている通り、なお検討の余地はありますが)、各種SNSがこれへの導線的役割を果たしている。ホームページは自分で作っており製作費ゼロ、弁護士ドットコムへの支払いやホームページの月料金(独自ドメイン取得及び広告非掲載のための費用)くらいしか金はかけていない」という内容です(うーん、10分もいらないなあ…)

その後、別な弁護士が、「ご法度」も取り入れて作成した法律事務所のホームページ例を披露、最後は、弁護士業務広告規制のエキスパート(というとご本人はかたくなに否定されます。)が、弁護士業務広告の規制について解説する…という流れでした。

あんまり詳しく話すと、「会員限定のシンポだったんだぞ!!!」とかお叱りが飛んでくるかもしれないので、ポイントになる部分のみピックアップして、弁護士広告の規制について、ちょっと触れていきます。

日弁連には「弁護士の業務広告に関する規程」というものが存在しております(注:同業者向けに言うと、日弁連には、その他業務広告に関する規制としては、「弁護士及び弁護士法人並びに外国特別会員の業務広告に関する指針」、「弁護士の業務広告の調査及び措置に関する規則」があります)。その第3条に「禁止される広告」が定められています。
具体的には、①事実に合致していない、②誘導又は誤導のおそれ、③誇大又は過度の期待を抱かせる、④困惑させ、又は過度の不安をあおる、⑤比較広告、⑥法令・会則・会規違反、⑦弁護士の品位又は信用を損ねるといったものが禁止されます。
例としては、①年中無休と書いてあるのに土日対応していない、②専門分野表示が要注意(とある分野についてエキスパート表示しているのに、「実は新人で、こういう事件初めてです」)、③「あっという間に解決します」、④「すぐに対応しないと告訴される」と煽る、⑤景表法違反、「**相続センター」などの表示、その他通称、愛称等の表示、⑥違法・脱法の対応をするかのような表示など、が挙げられるとのこと。

また、4条には表示できない広告事項が挙げられています。具体的には、①勝訴率、②顧問先または依頼者、③受任中の事件、④過去に取り扱い又は関与した事件です。②、③については、例外もありますが、いわゆる「解決事例」(とある有名弁護士広告サイトさんが、書いてくださいと推奨するあれですね。)なんかは、何をどう書くかについてかなりな配慮を要することになるわけです(もちろん架空事例を載せると虚偽広告になるので、3条違反となります)。

で、規程違反の広告については、弁護士会に、調査権や、規程違反弁護士に対する違反行為の中止命令等の各種措置権など、種々様々な権限があるわけです(12条)。

ただ、東弁での実情からすると、広告規程違反(いわゆる形式犯)の情報提供自体はあまりなくて、実質的な非行が伴っているケースの情報提供がほとんどとのことです(**センターの表示が、実際に非弁提携を伴うケースもあるようです)。

興味深かったのは、広告が効果を発揮しすぎた結果、依頼を受けすぎて処理遅滞に陥り、そのために例えば債権の消滅時効期間が経過してしまったり、「(提訴していないのに)既に提訴しました」みたいな虚偽報告をしてしまう、そのために懲戒請求を受けるというケースもあるというお話でした。

正直言って、今回の企画に関与するまで、弁護士業務広告の規制の詳細というのはあまり意識していませんでした。
が、結果として、テラバヤシの各種広告的なものは、(ギリギリセーフのものもあるようですが)とりあえず規程違反のものはないようでした。
守秘義務等をはじめとする法令・会則上の義務について、それなりに意識しながらホームページを作ったり、ブログを書いていたのが功を奏したかなと思っています。

で、いわゆる「形式犯」についての多くは、会の方から「ここまずいよ、直しなさい」という指示が飛んで来た場合にきちんと対応していれば、大事にはならないようで、そういう意味でいうと、広告規制について、あまり過度に恐怖心を感じる必要もないのかな、と思っています。

特段の顧客を持たないで独立した人、事務所からの事件の割り振りをあまり期待できない「ノキ弁」的立ち位置で仕事している若手などは、やはり、なんらか広告を出したいという気持ちを持っている人も少なくないと思います。
そういうときに、勢い込んで「自分を大きく見せよう」としすぎちゃうと、規程違反になってしまう危険性が出てくるように思います。

他との差別化をどう図るかというのは、結局広告だけでどうにかなるものではなく、どういうことに興味があるのかとか、どういうことを学んできたのかとか、そういう実質に負うものであるということなのだと思います(まあ、ある意味当たり前といえば当たり前のことなのですが)。

ちなみに、基本事項ですが、氏名と所属会は弁護士広告に記載必須だそうです。案外所属会って記載を落としがちみたいなんで、この際、同業者で何らかの広告をしている皆様においては、ご確認いただくことを推奨します。

ではでは。


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# by terarinterarin | 2016-07-10 17:54 | Comments(2)
先日の高知東生さんネタの続きです。

ワイドショーなんか見てると(特にサンデージャポンのテ〇ー*藤あたり)、覚せい剤や大麻なんかのいわゆる禁止薬物に手を出した人は人間の屑であるという前提で、人格が徹底的にさげすまされている光景が、これでもかってくらい映し出されています。

高知さんが持っていた4グラムという量は個人の所持量としては、結構とんでもない数字だったことは事実(そのために売人説まで浮上している)です。
が、覚せい剤なんかの禁止薬物を売っている側と使った側の悪質さ度合いというのは、もう月とスッポンくらい違います。薬物使用者に「犯罪者」のレッテルを貼る日本の法制度自体にそもそもの疑問を感じたりします。

人の脳や精神に働きかける薬物の中で、どれを市販OKとするか、医師の処方箋により一般人が所持することを認めるか、一定の職業の人のみの利用を認め原則的に所持を禁じるかということは、その薬が持つ危険性という指標が中心になりますが、その他政策的な判断によることも結構多いのが事実でしょう。

たばこについてめんたまひんむいて高い税金をかけている欧米諸国のいくつかでは、一般人が大麻を所持して吸引することが認められています。
そして、これまで所持使用することが特に禁じられていなかった薬物の使用が禁止されることもしばしばあります。

例えば、ケタミンという主に(日本では)馬の麻酔薬として使われていた薬は、2007年に麻薬取締法の禁止薬物に指定されるまでは、合法的に使用できる薬物でした。依存性が高く濫用傾向にあるという理由で日本では禁止されていますが、WHOでは安全な麻酔薬として容易に利用できるようにすべきだとされているようです。

さらに、つい最近抗精神病薬のベゲタミンが販売禁止となりました。
このベゲタミンという薬は、薬物乱用者にとっては有名な薬で、容量が少ないものには「白玉」、容量が多いものには「赤玉」という隠語があります(錠剤の色を示しています)。脳の中枢に直接作用し、過剰摂取のリスクが高いことから販売停止となったようです。

薬を欲する人は、その薬自体が欲しいのではなく、その薬から得られる「薬効」(要は気持ちよさ)を得たいがために、その薬を手に入れようとするわけです。
そうすると、その薬を使ってはいけないと取り上げたり、その薬を使っていることを非難されたりするだけでは、禁止薬物を使わなくなるだけであって、類似の作用を得られる別な薬物に走るようになるのです。

過去、薬物事犯や、薬物を摂取した後のラリってる状態で犯罪を行った人を何度も弁護してきました。
1日に何度も覚せい剤を打つ乱用者だった人が、薬で捕まった後、仕方なしに向精神薬を買いあさって(複数に病院をはしごして薬をもらいまくる。「ドクターショッピング」といいます。)過剰摂取するようになった人に何人もお会いしました。
ケタミンを使っていたけれど、ケタミンが入手しずらくなったうえ、逆に覚せい剤の方が入手しやすいために覚せい剤を買うようになった、という人もいました。

薬で得られるある感覚に固執するのがいわゆる「依存症」という病であり、このような病がある人は、その感覚を得るためにはなんだってします。なんせ、病気ですから。
覚せい剤や大麻を買うことは、問題の本質では全くない。
薬効を欲するその心が本質的な問題なのです。

なので、覚せい剤や大麻を買うことだけを鬼の首取ったみたいに糾弾することは全くお門違いでしかありません。
こういう行為は、他の薬でラリること自体は問題ないという誤ったメッセージを与えかねない危険なものです。
まあ、有名な人が他の薬でらりった結果、不覚のうちに事件を起こしたら、またそれはそれで喜んで叩く連中がいるんだろうな、とは思いますけど。

おそらく覚せい剤や大麻を買って使う人が激しく糾弾されるのは、そういうものを売っているのが暴力団であり、その売り上げが暴力団の資金となるからでしょう。
しかしね、買った側からしてみると、自分が欲しい作用を与えてくれるものを売っていたのがたまたまやくざだったのですよ。
例えば、水が一滴も飲めない状況でやくざさんが自分の目の前に1万円でペットボトル振りかざしたら、自分は買わないなんて皆さんいえるんですかね?

日本の警察というのは、見せしめに芸能人を捕まえてさらしたりしていますが、それで薬物使用者の減少に特段の歯止めがかかっているかというと全然そんなことないわけで。
この問題について(に限らないけど)「つるし上げ」が全く有効性がないってことくらい、明々白々のことなはずです。

薬物使用の問題っていうのは、精神作用のある薬の流通管理をどうするかという側面ととある薬効に依存する病気の人たちをどうケアするのかという側面から考えられるべき問題です。

覚せい剤や大麻の奥に隠された問題について認識理解がない人間は、偉そうに使った人たちを糾弾する資格なんぞないでしょう。



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# by terarinterarin | 2016-07-03 17:01 | Comments(2)
巷では、イギリスのEU離脱を忘れるくらいの?衝撃だったっぽい高知東生の逮捕劇。
世間の興味はどうやら、高知東生と高島礼子の離婚がどうなるか、に移っていっているようです。

今朝方、ヤフーニュースを見ていたら、テレビで有名なK村弁護士が離婚条件として「慰謝料は1000万円を超えるかも」「財産分与も2分の1以上になるかも(ここはもう少し表現があいまい)」「さらにCMを切られたりしたら財産的損害も」みたいなことをコメントしている記事を読みました。

高島礼子という女優さんの知名度や売れっ子具合を考えると、あり得なくない考え方…とは思いますし、決して間違っているわけではないと思います。
が、私なら怖くてここまでは言えないなあというのが正直なところです。

離婚の原理原則でいうと、財産分与が均等割りにならないことっていうのは、よほどの事情がない限りありえないでしょう。なにしろ、現在では、外に働きに出ない専業主婦も立派に均等割りを主張できる世の中なわけです。
高知東生が、たとえ高島礼子のひも人生を長いこと送っていたんだとしても、高島礼子が稼いだ金でヤクを買っていたんだとしても、「ちゃんと財産分与をしましょう」ということになり、高知東生が自身の権利を主張するのであれば、やはりよほどのことがない限り均等割り、ということになるはずです。

慰謝料だって、離婚にしろそうでないにしろ1000万円に行くのは極めてまれなケースです。
婚姻期間や子の有無、年齢、不貞の期間の長さ等々慰謝料の金額を決めるには様々なファクターがありますが、一般人を基準にしてみる限り、離婚慰謝料に関していえば、300万円を超えると「お、結構いったね!!」と思ってしまいます(注:それはテラバヤシがやっている事件単価からくる感覚かもしれませんが)。

個人的には、財産的損害の話がわりにしっくりきたのですが、それでもこういう芸能の世界の出来事、因果関係がはっきり認定できるような契約の切り方を各社さんしたりするものなのかなあとも思います。また、高島礼子の方から進んで降板を申し出たりした場合には、請求しにくくもなるだろうなと思います。

そんなわけで、もし私が、同じ取材を受けることがあったとすれば、ごくごく一般的なこと原則的なことをお話したうえで、「ただ、高島礼子さんという売れっ子の女優さんが奥様ですので、慰謝料の金額を算定する場合には、その点が考慮さえるかもしれません」くらいなことを言って終わりにするかなと思います。

私も経験がありますが、こういう芸能ネタをもとに法律的な話をしてほしいとWEBサイトから頼まれるケースでは、センセーショナルなことを書いて盛り上げてほしいという期待もありつつ、一方で、これを材料にして、法律の基本的なお話をしてほしいという思惑もあるからです。

以前ヤフトピに掲載されたテラバヤシの「副住職 AV女優 離婚」ネタでは、テラバヤシは、ごくごく基本的なことしか書きませんでしたが、ものすごく盛り上がって2日くらいに渡りトップを張っていたくらいですので。

K村先生はテレビにもお出になっていますし、見た目よりは?サービス精神が旺盛な方なんだろうなという気がします。ですので、思い切って、基本よりも「ギリギリな」線で書いたのかなあなどと考えたりしています。

さて、慰謝料うん百万とか財産分与2分の1などという話は、いわば「権利」であって、当然行使するかしないかは、当事者本人が決めていい問題です。
で、今回の件では高知さんは、離婚原因を作ったばりばりの「有責配偶者」になるので、自分から「離婚してくれ」とは強く言えないですし、お金の請求も当然受けて対応する法の立場。

つまり、離婚に関する主導権は、今さら言うまでもありませんが、高島さんが握っているわけです。

まあ、絶対にありえない話ですが、仮に私であれば、高島さんに対して離婚するなら慰謝料も何ももらわず、財産分与なしで早いところ離婚したらどうだと勧めたりするかもしれないなあなどと思います。

お金を請求して長引いたりするよりも、潔くスパッと汚点(=高知さん)を切ることによって、女優としての活動のダメージを極力少なくする方がトータルな意味で得かもしれないとも思うからです。

なんでもそうですが、特に離婚の場合、トータルな意味で何が得か損かというのは、当事者が置かれている状況によって種々様々、ケースバイケースです。
その時もらえるお金が少ないとしても、離婚に関する紛争が長引くことでどういう影響が出てくるかということは、こういう芸能人じゃなくても感情抜きで考えて計算してもらえるといいな、と思います。

もちろん、当事者の方はそんなこと言っていられるような精神状態じゃない…ということが多いと思いますが。

そういうことをWEB上の記事で書く機会があればいいのですが、なかなかないので、今回ブログで書いてみました。

おわり。


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# by terarinterarin | 2016-06-28 23:29 | Comments(1)
最近、テレビを見ていて、「プライバシー」ってなんだろうな、と考えさせられることがありました。

ひとつは、市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんの乳がんに関するニュースです。
これ、確かスポーツ紙がすっぱ抜いて、それでマスコミが海老蔵さんの自宅に押しかけ、海老蔵さんが記者会見をする羽目になりました。

どんな病気にかかっているかということは、極めて個人的なことです。
その病気のことを公開するかどうするかは、その病気の人が自分自身で考え、判断すべきこと。
最近では、自身が重い病気にかかっていること、かかっていたことを公表する人も少なくありませんが、たとえ有名人、芸能人だからと言って、それを公表する義務は全くありません。

今回のスポーツ紙の狙いは、ひょっとしてひょっとすると最近増えている乳がんについて、「こんな若い人でもなるんだよ。だからちゃんと検診に行こうね」というメッセージを送ることにあったのかもしれません。

しかし、それにしてはやり方がひどすぎます。
先ほども書いたように極めてプライベートな「病気」ということがらについて、恐らくはあえて公表していなかったにもかかわらず、本人に対して事前に何の告知もなく、「すっぱ抜き」の形で一面トップで報じるとは。

これに加え、テレビ局の振る舞いもまたひどいものでした。
重い病気の人が静かに暮らしている(当時はご自宅で静養されていたようですので)自宅に大挙して押しかけ、麻央さんだけでなく、幼い子らの生活の平穏さえ脅かしているのです。

もうひとつは、舛添元東京都知事の「せこい」政治資金使途問題です。
一緒に正月に温泉で会議したという故人のxさんについては、結局実名が明かされることはありませんでした。
テレビ局は、その方の経歴については放送しています。
ご遺族のインタビューはないけれど、周辺の人物に対する取材も行って、放送しています。

つまり、テレビ局側、報道する側は「Xさんがだれなのか」ということを知っています。
しかし、それが本当は誰なのか、氏素性を明らかにするテレビ局はありませんでした。

舛添さんが「その人のプライバシーの問題があるので名前は言えない」と言ったからなんでしょうか。
それとも他の圧力があったからなのでしょうか。
ご遺族の方が、名前を出すことをやめてくれと申し出たのでしょうか。

いずれにせよ、何らかの配慮や意向を聞いた結果などに基づいて、名前を公開しないと報道各局が判断したことに間違いはありません。
麻央さんの乳がんのケースでは、こんな配慮は、恐らく一切ありませんでした。

確かに、テレビ局その他のマスコミには、「報道の自由」「表現の自由」、これに基づく「取材の自由」というものがあります。
しかし、これはそもそも、権力を監視するために、政治や国家権力に関する正確な情報を国民が共有できるようにするために認められる自由です。
対国家権力に対する自由なのです。

だからこそ、あまたある人権のなかで最重要のものとして他に優越する地位が与えられているのです。

しかし、マスコミがこの自由を最大限に活用するのは、有名人・芸能人、つまり一般人のプライバシーを暴露するゴシップネタの時ばかりです。
「報道の自由」「表現の自由」を振りかざして、個人が平穏に生活する自由を踏みにじる。
踏みにじられる方は、マスコミを敵に回すと、その後の芸能人生にかかわってしまうので、多くの場合、表立って批判することができません。

それをいいことにやりたい放題です。
つまりは、マスコミは、いいネタのある芸能人や有名人を探しては「弱い者いじめ」をしているといっても過言ではありません。

そして、本来「報道の自由」を目いっぱい振りかざしていいはずの政治の場面においては、様々な配慮の元、問題の核心に迫ることを放棄しています。
その理屈のひとつとして、「プライバシー」が用いられたりするわけです。

舛添元都知事問題も、辞職してしまったら、途端に次の都知事は誰か?ということばかりを各局とも報道しています。
舛添知事の疑惑は何も解明されていません。
そこに突っ込んでいこうという気概が全く見られません。

はっきり言って、誰が立候補するかなんて、立候補すりゃわかります。
今大切なのは、そっちの情報ではありません。

自分たちに逆らえない芸能人をいじめて、たてつくと何するかわからない権力や政治家には下手な手出しはしない。
これって、アメリカにこびて国民からどんどん搾取する時の政権と同じではありませんか。

報道各局の皆様には、プライバシーとは何か、報道の自由とは何か、両者の関係はどうあるべきかを正しく学びなおしていただきたいものです。

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# by terarinterarin | 2016-06-16 21:30 | Comments(1)
皆さんは、今土曜夜にNHKで放送されている「トットテレビ」をご覧になっているでしょうか。
黒柳徹子さん(以下「トットちゃん」といいます。)が体験してきたテレビ創成期から昭和のテレビの時代を、ユーモラスに描く連続ドラマです。

トットちゃんが大活躍していた時代(ある意味彼女は今でも大活躍していますが)を語るに欠かせない大俳優の一人に、森繁久彌がいます。
今の20代の方などは「誰それ」状態かもしれませんが、映画にテレビに舞台に、それはそれは大活躍した往年の大大大俳優です。

森繁久彌は、「エッチなおじさん」で有名な人でした。
通りがかりに女性の胸やお尻にソフトタッチするのは、あいさつ代わり。
「今度、一回どう?」と女性と見るや声をかけて回る(もちろんある程度選んでいたと思いますが)。

現在であれば、「セクハラ行為」として糾弾され、いくら大俳優であったとしても芸能界から抹殺されかねない言動です。

しかし、森繁さんのソフトタッチや夜のお誘いは、女優さん方から「もう、ホントに仕方ないわねえ」と笑ってスルーされ、「愛すべき、ショーもない性癖」と扱われていたのです。
それが証拠に、トットテレビの中でも、こういうシーンはところどころに映し出され、向田邦子の直木賞受賞の祝賀会で「僕が出会ったころ、向田さんは処女だったと思うんですが」で始まった森繁さんの挨拶まで、再現されていたのです。

NHKとしては、昨今の状況から考えて、こういう森繁久彌の性癖をドラマの進行上、どう扱うべきなのかということは当然議論したことでしょう(まさかスルーしたってことはないですよね)。この程度なら問題ないという結論だったのか、「森繁久彌がこういう人だったんだからこれはこのまま流すべき」という結論だったのか、わかりませんが、ある程度の苦情が局に持ち込まれることも念頭においての放送ではないか、と思われます。

森繁久彌のこういう行為が芸能界史上問題視されたことはないのか、何かトラブルになったことはないのかがちょっと気になったので、昨日インターネットで調べてみました。
少なくとも私が調べたところでは、特に見当たりませんでした。

もちろん、だからといって、完全に苦情や問題がなかったなどと断言できるわけではありません。
森繁久彌が亡くなって久しいことを考えると、スキャンダルが風化したことも考えられます。
ものすごい大俳優だったので、事務所が必至でもみ消していたことも予想されます。

がしかし、それ相応のスキャンダルなどがあったのであれば、没後、「実は森繁には!!!」みたいな報道が出てくることは十分あり得ることで、それがないということは、とにかく大きく問題にされるようなことはなかったのだろうと推測されるのであります。

昭和の時代だからと言って、ありとあらゆる男の人が、女性の胸やお尻をソフトタッチ、「今度一回どう?」が許されていたかというと決してそういうわけではなく、「セクハラ」という言葉がなかったとしても、痴漢呼ばわりされたり、慰謝料請求の対象にはなりえたはずです。

そう。
同じ言葉を言ったり同じことをしたりしても許されたり許されなかったりするというのが「セクハラ」問題の難しいところです。
もう少し詳しく言うと、「セクハラ」というのは、している方に「ハラスメントの認識」がないのがほとんどであり、さらに、言われた方の感じ方によってセクハラになることもあればならないこともある、そういう極めて相対的な問題なのです。

森繁さんのケースを見てみると、している方に当然セクハラの認識はなく、そして、ほとんどの女性もセクハラと感じなかったということになるわけです。

これは、なぜなんだろうか?
相対性の強い問題であるのに、不思議です。
トットテレビのおさわりシーン1つから、テラバヤシは週末をかけて延々と考え続けました。

つまるところ、女性をリスペクトする気持ちが表れているかということなのかな、と考えました。
具体的に言うと、ひとつひとつの性的な言動に本気さや裏があるかないか、ということでしょうか。とても当たり前な結論ですが。

森繁久彌は、エッチな言動をするおじさんではありましたが、ソデにする女性に対して何か報復的なことをしたかというとそうではなかったのでしょう。
例えば、「今度一回どう?」に応じなかったからと言って、相手の女優を変えさせたり、変えるぞと脅したり、そんなことをする人ではなかった。
向田邦子の才能を見抜いて、「一回どう?」に応じたことのない彼女を、自身のラジオドラマ「重役読本」の脚本家に抜擢しました。
「アドリブを入れないでくれ」という格下の向田邦子の求めを受け入れ、直木賞のスピーチを買って出る。
だからこそ、森繁久彌のエッチな言動は、セクハラとして糾弾されることがなかったのだと思います。

同じことを言っても、本気さや悪意をちらつかせ、女性を自分の思いのままにしようという欲(女性に対するリスペクトがない)が透けて見えれば、それは受け取る側にとって「セクハラ」になってしまうわけです。

とはいえ、森繁久彌の例は、とりわけ稀有ではないかと思います。

今、世の中は、自分は何らかのハラスメントの餌食になっているのではないかと、戦々恐々としている人であふれているといっても過言ではないでしょう。
そして、そういう人が多いからでしょうか。自分の言動がハラスメントと受け取られたらどうしようと戦々恐々としている人も少なくないように思います。

私の知人にも(男性)、私が髪形を変えたのを見て、「とてもよく似合っているけど、あんまりほめるとセクハラになっちゃうから」と、非常に遠慮がちに話していた人がいました。

悪質なハラスメント行為は、人の尊厳を踏みにじる許せないものです。
でもちょっと、ハラスメントを意識しすぎて、自然な言動すらできなくなっている世の中も、とっても悲しいなと思います。

森繁久彌は今を生きてなくて、本当に良かったように思います。




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# by terarinterarin | 2016-06-06 00:24 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin