俳優の高畑裕太さんが、宿泊先のホテルの従業員の女性に性的な暴行をしたという容疑で、強姦致傷罪により逮捕勾留されました。
昨日からテレビは、この話題で持ちきりです。

強姦致傷罪は、法定刑が懲役5年以上20年以下の結構重たい犯罪になります。条文上は無期刑の選択もありえます。
しかし、姦淫が既遂の時だけ成立するものではなく、姦淫が未遂の場合も成立します。
強姦致傷罪の量刑を決めるにあたって、一番大きなポイントはこの点で、姦淫が未遂の場合には既遂の場合に比べて、(他の事情によりますが)相当程度刑が軽くなります。

また、致傷の程度も実は幅がかなりあります。数日あれば治るようなかすり傷程度のものからそれこそ瀕死の重傷まで(注:殺意があったことが認められる場合には強姦殺人未遂になると思いますが)「致傷」に含まれ、けがの程度が軽ければ、その分、刑がかなり軽くなることもあり得ます。
その他、手段としての暴行脅迫が、どれほど悪質か、執拗だったかという点も影響します。

高畑さんがこのままの罪名で起訴されてしまえば裁判員裁判が行われることになります。

おそらく、お母様や事務所やご本人の依頼で、国選ではなく私選の弁護人が高畑さんには就いていることでしょう。
捜査段階であれば、まず、弁護人としては、被害者の方に告訴取下げをしてもらい、不起訴にしてもらうことを目標として活動することになると思います(注:強姦致傷罪はいわゆる親告罪ではありませんが、実務的には告訴状を被害者に提出してもらうのが通例のようです)。
すなわち、真摯なお詫びと示談の申し入れをして、これにより被害者からの許しを得る活動をする、ということです。

これは非常に難しい活動です。
被害者にとっては、被害に遭ってまだ間もないころですから、お詫びや示談などを受け入れる気持ちに到底なれません。それも、女性としての根幹の部分を力によって強引にねじ伏せられて侵害されているわけですから、お金をとられたりしたのとは段違いの抵抗感があります。

最近では被害者の住所等が弁護士にオープンにされることはほぼなく、まずは担当検察官を通じて、謝罪や示談の申し入れを行い、OKの返事が来るのを待つ…となることがほとんどです(もちろん、この段階で被害者に代理人弁護士がついていれば、代理人弁護士との連絡はすぐにつくでしょうが、捜査段階で被害者代理人が付くことはそれほど多くないように思います)。

「示談には一切応じません。お金も受け取りません」と言われるケース、「弁償には応じますが告訴は取り下げません。示談もしません(つまり、今後、さらに訴訟などにより慰謝料を請求する余地を被害者が残しておくということです)」と言われるケース、様々あります。

前者のようなケースでも、例えば、起訴されて審理が済んで、残すは判決のみという時点で、被害弁償に応じてもらえることがありますので、テラバヤシの場合はまだあきらめません。時間をおいて、様子を見ながら、可能であれば、何回か打診することでしょう。
後者の場合も、けがが軽い場合には、被害弁償することによって、「強姦罪」という軽い罪名に落として起訴になる可能性もでてきます。そうすると、法定刑は3年以上20年以下の懲役になりますので、場合によっては、執行猶予まで見えてくることもあり得ます。ですので、示談には至らなくてもお支払いをする方向で考えるのが普通かと思います。

どこかから、「軽くするために金払うのか!!」という声が聞こえてきそうですが、第一目的はその通りとしか言いようがありません。だって、弁護人は「被疑者被告人の利益のために」活動するのが使命なのですから。
しかし、だからといって、被害者の心情に配慮しないわけでもないですし、ましてやだまし討ちみたいなことをしてはいけないのは当たり前のことです。

この手の事件だと、「お金を受け取ることによって刑が軽くなる可能性がある」ということを説明しなかったり、示談書の文言をきちんと説明しないでサインさせたりして、あとで「こんなはずじゃなかった」と被害者の怒りを買う(その意味で二重の被害を与える)ケースもままあります。

ですので、弁護人としては、弁償をする、示談を持ちかけることに関しては、慎重でなければなりませんし、決して無理をしてはいけません。そのあたりの気の遣いようが、我々弁護士の胃痛の原因にもなったりするのです…

裁判員裁判が始まってから、性犯罪の量刑はかなり重くなりました。これは巷で言われているとおりです。従来の量刑が軽すぎたともいえます。このこと自体は、やむを得ない、むしろ女性の権利保護という点では当たり前になっただけと考えるべきであろうと思います。

がしかし、弁護人にとっては非常に悩ましいこともあります。
時に、裁判では、検察官の求刑を超える判決が下されることもあるのです。
示談や被害弁償をしていても、それによって、刑が大幅に下がることも減っています。
示談や被害弁償により、被害が一定程度回復されたと、裁判員の皆さんに思ってもらいにくいのです。

「反省しています」「申し訳ありませんでした」「二度としません」なんて言われたって、ほとんどの場合、被害者の方は救われないでしょう。とすると、やった側がお詫びを形にするには「お金」しかないわけです。
で、出せるだけのお金を出す。しかし、刑がかなり重い、となると、もう性犯罪で、かつやったこと自体を認めてしまっている事件の場合には、弁護人、重い刑が下されるのを指をくわえてみているしかない、という状況に追いやられてしまうわけです。
つらいこと、このうえありません。

こういうことを言うのは不謹慎かもしれませんが、時に性犯罪の弁護は、殺人など人が亡くなっている事件の弁護をするよりも、悩ましいことがあります。

殺人というのは「動機犯罪」と言われています。多くの場合、そこに至るまでの経緯を見ていくと、同情する、理解するとまではいかないまでも、「気持ちはわからなくはない」と言えることも少なくありません。裁判員の皆さんも「どうしてこんなところまで来てしまったのか」というスタンスで裁判に臨んでいることが多いように思います。
弁護人もやってしまった本人も、人が死んでいるわけだから、量刑については、大方の覚悟はできている。
重い判決でも、判決理由の中で一定の理解を示してもらっているような箇所があれば、多少救われる気持ちになることもあります。

が、しかし、性犯罪の場合、一般の人から見れば、何をどうしたって正当化される理由なんて出てこないわけです。本来治療すべき障害に基づいて事件が起こされているケースも少なくありませんが、まだまだそのような理解は広まっていません。
示談しても無駄。その他にもアピールできるポイントなし。性犯罪が、弁護人泣かせの事件であることは、このご時世、間違いないことでしょう(うーん、色んな方面から怒られそうだなあ)。

最後に皆さんに理解していただきたいのは、性犯罪を起こす人間が全員「色欲魔」ではないということです。
今回高畑さんは「自分の欲求を押さえることができなかった」と言っているそうで、これがもとで「性欲の強い男が酒によって起こした事件」みたいなくくりにされているような気がします。

確かに、そういう人もいなくはありませんが、実際には、年齢の割に性的な関係が未熟な人が起こしているケースであるとか、ストレスや性的ではない欲求不満が性的暴行という形で発現しているケースでるとかの方がむしろ一般的ではないか、というのが、今までの経験から感ずるところです。

ここから先は、臨床心理士や医師の出番のように思いますが、そこに私なんかは、病的な歪みを感じることも多く、だからこそ弁護のやりようのない性犯罪について、どうしようもない無力感を感じることも少なくないわけです。

今の日本では、犯罪をした人を処罰すること自体が目的化しているような気がしてならないのです。
処罰することの目的は、その人がそれに懲りて二度と犯罪をしなくなることにあるわけです。
で、様々な犯罪について、その方法があまり意味がないということも、昨今わかってきています。
一度犯罪を犯した人を二度と犯罪に走らせず、全体として犯罪を減らしていくためには、刑罰以外の手段で臨むべきことも往々にしてあって、性犯罪なんかは、薬物犯罪とともにその代表的な例だよなあ…なんて思うのですが。

なんだか話がずれてしまいましたが、様々な意味において、性犯罪というのがカオスなものであるということがお分かりいただけただろうと思うので、今日はこれでおしまいにします。

長文失礼いたしました。












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# by terarinterarin | 2016-08-25 22:47 | Comments(20)
お久しぶりでございます。
現在遅い夏休みをいただいております。
オリンピックにうつつを抜かして更新を怠っていたところ、あっという間に1か月ほどが過ぎてしまいました。

夏休み前というのはバタバタと仕事が入るもので、初めて会う弁護士と名刺交換したり、相手方についている弁護士の情報収集をするためにホームページを見たり、ということが何度かありました。

ダブルライセンス持ちの弁護士が、増えたなあと改めて感じました。

公認会計士とのダブルライセンス持ちの弁護士というのは、実は古くから一定数いて、特段珍しいという感じでもありませんでした。
「法律会計事務所」なる看板も、都市部では、ちらほら見かけるものです。
先日名刺交換した相手方弁護士も、「弁護士/公認会計士」という肩書がありました。
数字がからっきしだめで、時に精算時の足し算引き算も間違えるテラバヤシから見ると、かっこいいことこの上ありません。

他に、税理士、中小企業診断士、社労士、MBAといった、周辺領域や「わかっていると便利な分野」に関する資格を持っている弁護士も、少なくないという印象です。
最近では、不動産鑑定士、弁理士という、超難関資格を持っている超人も、直接ではありませんが存在することを知りました。
司法書士の資格を取ってから司法試験を受けたという方も従来少なくなかったので、司法書士とのダブルライセンス、という人も、結構いたりします。

こういういわば実務的な資格は、弁護士がダブルで持っていても、一般の方々は特に違和感がないかもしれません。

しかし最近は傾向が違う資格のダブル持ちも見受けられます。
例えば、社会福祉士であるとか、精神保健福祉士であるとか、あるいは介護福祉士であるとかの福祉関係の資格。
障がい者高齢者の権利擁護の機運が高まったり、障がい者刑事弁護が注目されるようになったりしたことが影響しているようです。
また、少年事件の達人の先輩が臨床心理士を取得したこともありました。先日は、相手方の弁護士が、保育士資格を持っていることも判明しました。

ダブルライセンス、百花繚乱の時代です。

「弁護士=儲からない仕事」という図式が世の常識になりつつあるこの状況下だと、「仕事を得るための手段としてダブルライセンスを取得する弁護士が増えた」みたいなことが言われがちかもしれません。
「弁護士」の隣に「不動産鑑定士」なんて肩書がつけば、「不動産取引に詳しい弁護士」というイメージになるので、その手の仕事が舞い込むようになる、それを狙ってダブルライセンスを取る弁護士が増えてる、みたいな。

しかし、先に挙げた資格はどれも、そう一朝一夕にとれるような代物ではありません。「儲け」にそんなにすぐつながるわけではないでしょう(もちろん、受験勉強的なことがお得意な方とかかなりな頭脳をお持ちの方であれば、すんなり受かってしまうのでしょうが)。
それに、実務系の資格はさておき、福祉系の資格や臨床心理士をはダブルで持っていたとしても、そんなに儲かる仕事が来るのかと言われれば、かなり「?」ですし。

ダブルライセンスに至った経緯・動機というのは千差万別だと思いますが、個人的には、案外、弁護士の仕事をやっていく過程の中で、ふとしたきっかけがあり、その領域についてきちんとした知識を得たくなる、「そっち方面」の仕事が多いので、資格試験の勉強しながら知識を得ていく、ということの方が多いのではないかと思います。

実はテラバヤシも、一時、仕事の関係で興味が出た分野の資格を取ろうかと逡巡していたことがあったのですが、それにかける時間や気力の点で覚悟ができず、断念した過去がございます。
なんで、動機はどうであれ、忙しい仕事の合間を縫って、テキストを読み、スクールに通い、場合によってはレポートや論文を書き、試験を受けるなんていう作業を、七めんどくさい司法試験の後もやりのけてしまう人たちのことは、純粋にすごいな、と思うのであります。

人間年をとってからの方が勉強がしたくなるというのは、我々の業界でも同じ、ということなのでしょう。
必要にかられて、あるいは、現場を見て形成されたモチベーションに基づいて始めた勉強は、青臭い時代に受験勉強的に取り組んできた司法試験とは、一味も二味も違う深みをその人に与えるのかもしれません。
そういう意味でダブルライセンスを持っている弁護士というのは、「いい仕事」ができるのかもしれないな、などと感じたりします。

ちなみに、ダブルライセンスとはちょっと違いますが、テラバヤシ、英語の読み書きを勉強したいと思っております。
かつて大学院時代は(すごい苦手だったけど)、フランス語や英語の文献を読んでいました(書けませんでしたが)。
今や、読むのもやっとこさっとこ、たまに書く必要があるときには、「グーグル辞書」を首っ引きという情けない状況です。

英語の読み書きできたら便利だなと思う機会が最近多いのです。なんで、始めたい。
始めたいけど根性ないから続かない、と現在葛藤中なのでありました。



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# by terarinterarin | 2016-08-23 16:18 | Comments(0)
いわゆる相模原事件の後、このブログの「事件を起こした精神的にまずい人のその後」という記事のアクセス数が伸びています。
コンスタントにアクセスが多い記事ではあったのですが、この事件でフィーチャーされた「措置入院」について書いていることから、おそらく検索ワードで上位に来るようになったのではないかと思います。

7月31日の夜には、NHKでこの事件を検証する番組が放送されていました。
事件が起こってわずか5日の放送の割には、被疑者が施設を退職してから事件を起こすまでの間の言動のいくらかを明らかにしており、かつ今後の「危険人物」(措置入院歴がある人という言い方をするととても語弊があるので、あえてこの言い方を選択します)への対応方法を考えるうえでの視点を与えるもので、それなりに意義ある番組だったように思います。

この番組を見て、今回の事件は、「他害の恐れがある危険人物に対する医療制度、司法制度の谷間に落ちてしまったために起きた事件」であると強く思いました。

先に挙げた記事でも書きましたし、報道でも取り上げられているのですでにご存じの方も多いと思いますが、「措置入院」というのは、あくまで精神科の指定医が「自傷他害の恐れがある」と診断した人物を強制させることができる制度であり、治療が主目的ではありません。つまり、「自傷他害の恐れ」がなくなってしまえば、その時点で退院をさせなければならないわけです。
相模原事件のケースでは12日間でしたが、ほんの数日で退院になるケースもあります。

実際には、この後、医療保護入院に切り替えて比較的長期間の入院を本人の意思に反して行うことができる場合もあります。これは、対象となる人が自分の意思で入院を選択できない場合(つまり病識がないなど)に適用されます。しかし、医療保護入院はあくまで、その人を「保護する必要性」がある場合に限られるもので、家族や市区町村長の同意が必要となります。

そして、なにより、保護入院が許容されるためには、対象者が精神障害者であることが必要です。
今回の事件の被疑者は、措置入院時に大麻の陽性反応が出たものの、その後、「どうかしていた」などと反省の弁が出た、そこで退院することになったとのことでした。

実際に医療記録を見ているわけではないので、あくまで上記の情報を前提とすればですが、今回の事件では、被疑者の言動が大麻使用による一過性のものであると判断されたか、あるいは依存があるとしても、本人の意思に反してまで入院させる必要性がないと判断された可能性があるように思います。

そのために彼は社会に放たれることになってしまいました。
病院の勧めで、任意に薬物依存の治療に通院したようですが、ほんの数回でやめてしまったという情報も放送されていました。

退院後の彼の言動(友人らに対して犯行を誘ったり障害者殺害の決意を語っていたこと)は、おそらく通報があれば、再び措置入院の対象になりうるものだったでしょう。
しかし、恐らくは比較的狭い人間関係の中でしか語られず、また普通に生活している形跡もあったため、通報に結びつきにくかったのではないでしょうか。友人らとしては、警察に通報したのがばれた場合には、報復されるのではないかという恐怖心もあったかもしれません。
被疑者は、元々善良な人間だったようで、友人らには、自分たちが説得すれば翻意させられるのではないかという思いもあったのかもしれません。

今から振り返れば、退院させるという医師の判断が正しかったのか、友人たちが警察に通報しなかったのはどうだったのかという疑問は当然生じることと思います。

しかし、ここで医師や友人たちを責めても、何の意味もないのは明らかです(特に今日のNHKの番組では、顔をさらしてインタビューに応じていた友人の方がいました。この方には敬意を表するとともに、今後誹謗中傷にさらされることのないよう切に祈ります)。

私も、今まで、措置入院や保護入院の後に事件を起こしてしまった人(あるいは事件を繰り返す人)の事件を何度か受任したことがありました。
主治医に会ってお話を伺ったりもするのですが、私が会った医師は、みなさん、非常に落胆していました。
「自傷他害の恐れがあるかどうか」の判断は非常に難しいものでしょうし、退院後の異変まで読むことまでは到底できないことなのでしょう。

また、こういう「危険人物」の周囲の人々の心境も、また複雑この上ないものです。「止められなかった」ことを後悔し、あたかも自分が犯罪者であるかのように自分を責める人もいたりするものです。

NHKの番組でも示唆していましたが、必要なことは退院後のフォローアップです。
対象者やフォローアップの方法、程度など議論すべきことは多いでしょうが、今回の件に限らず、措置入院後に事件を起こす人というのは少なからずいるわけです。池田小の事件もそうでした。特に「他害の恐れ」があるとして措置入院となった人物については、フォローアップの制度を設けることは必須だと思います。

今回の事件は、健康な?20代の男子という、ある意味の強者が、「重度の障害者」という社会的弱者の中でもとりわけ抵抗できない人をターゲットに、抵抗が極めて困難な真夜中に引き起こしたもので、レイシズムやナチズムなどの危険思想の影響がかなり強いと考えられます。

こういう思想が絡む事件が起こると、事件を「危険思想の蔓延」のせいにして、「危険人物による犯罪の防止」という制度を人権侵害の危険が高いからという理由でやみくもに反対する人が必ずいます。

しかし、そういう社会全体の思想傾向の問題と、「防げる犯罪を防ぐ」という個々の犯罪防止の問題は全く別次元のものなのであって、やはりこういう事件が起きてしまった以上、「制度の谷間」を埋める試みというのは、今後していくべきであると、強く思います。
これは犯罪被害を防ぐためだけでなく、犯罪者を生み出さないためにも必要なものだと思います。


最後になりますが、(これも以前書いたように記憶していますが)テラバヤシの記憶する限り、人生で初めて友達になった人は、当時「自閉症」と診断されていた同い年の男の子でした。
その人とのかかわりは、私の人生に大きな影響を与え、弁護士の仕事をしていくうえでかけがえのないものになっています。

人は、どんな人でも、誰かの人生に影響を与え、導く力があると信じています。

月並みですが、お亡くなりになられた皆さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、負傷された皆さんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。

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# by terarinterarin | 2016-08-01 01:02 | Comments(3)
昨日から今日の朝にかけて、東京弁護士会の自身の所属派閥(一応所属しているんですよ、こんなワタシでも)の大イベント「旅行総会」というものに出かけておりました。
メインイベントは、文字通り「総会」でして、決算予算の承認に会務報告、宣言や決議の採択などなどだったりします。

総会の前座?的なイベントにはシンポジウムが企画されておりまして、昨日、テラバヤシはその企画者として、はたまた登壇者として、参加してきました。
テラバヤシが登壇したシンポジウムのタイトルは、「イマドキな弁護士の業務広告~実例とルールに学ぶ~」というものです。
要は、近年中心になっているインターネット上の業務広告の活用例とその注意点に関するお話です。目的としては、「ルールを頭に入れたうえで適正な広告を有効に活用しましょう」ということを同業者(派閥の皆様)にご理解いただこうというものでした。

テラバヤシの方からは「イマドキな弁護士の広告についてお話します。」というタイトルで10分ほどのプレゼンをしました。
イマドキな「おひとり様事務所」をかまえるテラバヤシが、あまりお金をかけずにどのように集客をしているかという話です。
ザックリ言うと、「基本情報等を載せているホームページや弁護士ドットコムページがあり、ブログ(注:ブログが本当に集客につながっているかどうかは以前からこのブログに書いている通り、なお検討の余地はありますが)、各種SNSがこれへの導線的役割を果たしている。ホームページは自分で作っており製作費ゼロ、弁護士ドットコムへの支払いやホームページの月料金(独自ドメイン取得及び広告非掲載のための費用)くらいしか金はかけていない」という内容です(うーん、10分もいらないなあ…)

その後、別な弁護士が、「ご法度」も取り入れて作成した法律事務所のホームページ例を披露、最後は、弁護士業務広告規制のエキスパート(というとご本人はかたくなに否定されます。)が、弁護士業務広告の規制について解説する…という流れでした。

あんまり詳しく話すと、「会員限定のシンポだったんだぞ!!!」とかお叱りが飛んでくるかもしれないので、ポイントになる部分のみピックアップして、弁護士広告の規制について、ちょっと触れていきます。

日弁連には「弁護士の業務広告に関する規程」というものが存在しております(注:同業者向けに言うと、日弁連には、その他業務広告に関する規制としては、「弁護士及び弁護士法人並びに外国特別会員の業務広告に関する指針」、「弁護士の業務広告の調査及び措置に関する規則」があります)。その第3条に「禁止される広告」が定められています。
具体的には、①事実に合致していない、②誘導又は誤導のおそれ、③誇大又は過度の期待を抱かせる、④困惑させ、又は過度の不安をあおる、⑤比較広告、⑥法令・会則・会規違反、⑦弁護士の品位又は信用を損ねるといったものが禁止されます。
例としては、①年中無休と書いてあるのに土日対応していない、②専門分野表示が要注意(とある分野についてエキスパート表示しているのに、「実は新人で、こういう事件初めてです」)、③「あっという間に解決します」、④「すぐに対応しないと告訴される」と煽る、⑤景表法違反、「**相続センター」などの表示、その他通称、愛称等の表示、⑥違法・脱法の対応をするかのような表示など、が挙げられるとのこと。

また、4条には表示できない広告事項が挙げられています。具体的には、①勝訴率、②顧問先または依頼者、③受任中の事件、④過去に取り扱い又は関与した事件です。②、③については、例外もありますが、いわゆる「解決事例」(とある有名弁護士広告サイトさんが、書いてくださいと推奨するあれですね。)なんかは、何をどう書くかについてかなりな配慮を要することになるわけです(もちろん架空事例を載せると虚偽広告になるので、3条違反となります)。

で、規程違反の広告については、弁護士会に、調査権や、規程違反弁護士に対する違反行為の中止命令等の各種措置権など、種々様々な権限があるわけです(12条)。

ただ、東弁での実情からすると、広告規程違反(いわゆる形式犯)の情報提供自体はあまりなくて、実質的な非行が伴っているケースの情報提供がほとんどとのことです(**センターの表示が、実際に非弁提携を伴うケースもあるようです)。

興味深かったのは、広告が効果を発揮しすぎた結果、依頼を受けすぎて処理遅滞に陥り、そのために例えば債権の消滅時効期間が経過してしまったり、「(提訴していないのに)既に提訴しました」みたいな虚偽報告をしてしまう、そのために懲戒請求を受けるというケースもあるというお話でした。

正直言って、今回の企画に関与するまで、弁護士業務広告の規制の詳細というのはあまり意識していませんでした。
が、結果として、テラバヤシの各種広告的なものは、(ギリギリセーフのものもあるようですが)とりあえず規程違反のものはないようでした。
守秘義務等をはじめとする法令・会則上の義務について、それなりに意識しながらホームページを作ったり、ブログを書いていたのが功を奏したかなと思っています。

で、いわゆる「形式犯」についての多くは、会の方から「ここまずいよ、直しなさい」という指示が飛んで来た場合にきちんと対応していれば、大事にはならないようで、そういう意味でいうと、広告規制について、あまり過度に恐怖心を感じる必要もないのかな、と思っています。

特段の顧客を持たないで独立した人、事務所からの事件の割り振りをあまり期待できない「ノキ弁」的立ち位置で仕事している若手などは、やはり、なんらか広告を出したいという気持ちを持っている人も少なくないと思います。
そういうときに、勢い込んで「自分を大きく見せよう」としすぎちゃうと、規程違反になってしまう危険性が出てくるように思います。

他との差別化をどう図るかというのは、結局広告だけでどうにかなるものではなく、どういうことに興味があるのかとか、どういうことを学んできたのかとか、そういう実質に負うものであるということなのだと思います(まあ、ある意味当たり前といえば当たり前のことなのですが)。

ちなみに、基本事項ですが、氏名と所属会は弁護士広告に記載必須だそうです。案外所属会って記載を落としがちみたいなんで、この際、同業者で何らかの広告をしている皆様においては、ご確認いただくことを推奨します。

ではでは。


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# by terarinterarin | 2016-07-10 17:54 | Comments(2)
先日の高知東生さんネタの続きです。

ワイドショーなんか見てると(特にサンデージャポンのテ〇ー*藤あたり)、覚せい剤や大麻なんかのいわゆる禁止薬物に手を出した人は人間の屑であるという前提で、人格が徹底的にさげすまされている光景が、これでもかってくらい映し出されています。

高知さんが持っていた4グラムという量は個人の所持量としては、結構とんでもない数字だったことは事実(そのために売人説まで浮上している)です。
が、覚せい剤なんかの禁止薬物を売っている側と使った側の悪質さ度合いというのは、もう月とスッポンくらい違います。薬物使用者に「犯罪者」のレッテルを貼る日本の法制度自体にそもそもの疑問を感じたりします。

人の脳や精神に働きかける薬物の中で、どれを市販OKとするか、医師の処方箋により一般人が所持することを認めるか、一定の職業の人のみの利用を認め原則的に所持を禁じるかということは、その薬が持つ危険性という指標が中心になりますが、その他政策的な判断によることも結構多いのが事実でしょう。

たばこについてめんたまひんむいて高い税金をかけている欧米諸国のいくつかでは、一般人が大麻を所持して吸引することが認められています。
そして、これまで所持使用することが特に禁じられていなかった薬物の使用が禁止されることもしばしばあります。

例えば、ケタミンという主に(日本では)馬の麻酔薬として使われていた薬は、2007年に麻薬取締法の禁止薬物に指定されるまでは、合法的に使用できる薬物でした。依存性が高く濫用傾向にあるという理由で日本では禁止されていますが、WHOでは安全な麻酔薬として容易に利用できるようにすべきだとされているようです。

さらに、つい最近抗精神病薬のベゲタミンが販売禁止となりました。
このベゲタミンという薬は、薬物乱用者にとっては有名な薬で、容量が少ないものには「白玉」、容量が多いものには「赤玉」という隠語があります(錠剤の色を示しています)。脳の中枢に直接作用し、過剰摂取のリスクが高いことから販売停止となったようです。

薬を欲する人は、その薬自体が欲しいのではなく、その薬から得られる「薬効」(要は気持ちよさ)を得たいがために、その薬を手に入れようとするわけです。
そうすると、その薬を使ってはいけないと取り上げたり、その薬を使っていることを非難されたりするだけでは、禁止薬物を使わなくなるだけであって、類似の作用を得られる別な薬物に走るようになるのです。

過去、薬物事犯や、薬物を摂取した後のラリってる状態で犯罪を行った人を何度も弁護してきました。
1日に何度も覚せい剤を打つ乱用者だった人が、薬で捕まった後、仕方なしに向精神薬を買いあさって(複数に病院をはしごして薬をもらいまくる。「ドクターショッピング」といいます。)過剰摂取するようになった人に何人もお会いしました。
ケタミンを使っていたけれど、ケタミンが入手しずらくなったうえ、逆に覚せい剤の方が入手しやすいために覚せい剤を買うようになった、という人もいました。

薬で得られるある感覚に固執するのがいわゆる「依存症」という病であり、このような病がある人は、その感覚を得るためにはなんだってします。なんせ、病気ですから。
覚せい剤や大麻を買うことは、問題の本質では全くない。
薬効を欲するその心が本質的な問題なのです。

なので、覚せい剤や大麻を買うことだけを鬼の首取ったみたいに糾弾することは全くお門違いでしかありません。
こういう行為は、他の薬でラリること自体は問題ないという誤ったメッセージを与えかねない危険なものです。
まあ、有名な人が他の薬でらりった結果、不覚のうちに事件を起こしたら、またそれはそれで喜んで叩く連中がいるんだろうな、とは思いますけど。

おそらく覚せい剤や大麻を買って使う人が激しく糾弾されるのは、そういうものを売っているのが暴力団であり、その売り上げが暴力団の資金となるからでしょう。
しかしね、買った側からしてみると、自分が欲しい作用を与えてくれるものを売っていたのがたまたまやくざだったのですよ。
例えば、水が一滴も飲めない状況でやくざさんが自分の目の前に1万円でペットボトル振りかざしたら、自分は買わないなんて皆さんいえるんですかね?

日本の警察というのは、見せしめに芸能人を捕まえてさらしたりしていますが、それで薬物使用者の減少に特段の歯止めがかかっているかというと全然そんなことないわけで。
この問題について(に限らないけど)「つるし上げ」が全く有効性がないってことくらい、明々白々のことなはずです。

薬物使用の問題っていうのは、精神作用のある薬の流通管理をどうするかという側面ととある薬効に依存する病気の人たちをどうケアするのかという側面から考えられるべき問題です。

覚せい剤や大麻の奥に隠された問題について認識理解がない人間は、偉そうに使った人たちを糾弾する資格なんぞないでしょう。



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# by terarinterarin | 2016-07-03 17:01 | Comments(2)
巷では、イギリスのEU離脱を忘れるくらいの?衝撃だったっぽい高知東生の逮捕劇。
世間の興味はどうやら、高知東生と高島礼子の離婚がどうなるか、に移っていっているようです。

今朝方、ヤフーニュースを見ていたら、テレビで有名なK村弁護士が離婚条件として「慰謝料は1000万円を超えるかも」「財産分与も2分の1以上になるかも(ここはもう少し表現があいまい)」「さらにCMを切られたりしたら財産的損害も」みたいなことをコメントしている記事を読みました。

高島礼子という女優さんの知名度や売れっ子具合を考えると、あり得なくない考え方…とは思いますし、決して間違っているわけではないと思います。
が、私なら怖くてここまでは言えないなあというのが正直なところです。

離婚の原理原則でいうと、財産分与が均等割りにならないことっていうのは、よほどの事情がない限りありえないでしょう。なにしろ、現在では、外に働きに出ない専業主婦も立派に均等割りを主張できる世の中なわけです。
高知東生が、たとえ高島礼子のひも人生を長いこと送っていたんだとしても、高島礼子が稼いだ金でヤクを買っていたんだとしても、「ちゃんと財産分与をしましょう」ということになり、高知東生が自身の権利を主張するのであれば、やはりよほどのことがない限り均等割り、ということになるはずです。

慰謝料だって、離婚にしろそうでないにしろ1000万円に行くのは極めてまれなケースです。
婚姻期間や子の有無、年齢、不貞の期間の長さ等々慰謝料の金額を決めるには様々なファクターがありますが、一般人を基準にしてみる限り、離婚慰謝料に関していえば、300万円を超えると「お、結構いったね!!」と思ってしまいます(注:それはテラバヤシがやっている事件単価からくる感覚かもしれませんが)。

個人的には、財産的損害の話がわりにしっくりきたのですが、それでもこういう芸能の世界の出来事、因果関係がはっきり認定できるような契約の切り方を各社さんしたりするものなのかなあとも思います。また、高島礼子の方から進んで降板を申し出たりした場合には、請求しにくくもなるだろうなと思います。

そんなわけで、もし私が、同じ取材を受けることがあったとすれば、ごくごく一般的なこと原則的なことをお話したうえで、「ただ、高島礼子さんという売れっ子の女優さんが奥様ですので、慰謝料の金額を算定する場合には、その点が考慮さえるかもしれません」くらいなことを言って終わりにするかなと思います。

私も経験がありますが、こういう芸能ネタをもとに法律的な話をしてほしいとWEBサイトから頼まれるケースでは、センセーショナルなことを書いて盛り上げてほしいという期待もありつつ、一方で、これを材料にして、法律の基本的なお話をしてほしいという思惑もあるからです。

以前ヤフトピに掲載されたテラバヤシの「副住職 AV女優 離婚」ネタでは、テラバヤシは、ごくごく基本的なことしか書きませんでしたが、ものすごく盛り上がって2日くらいに渡りトップを張っていたくらいですので。

K村先生はテレビにもお出になっていますし、見た目よりは?サービス精神が旺盛な方なんだろうなという気がします。ですので、思い切って、基本よりも「ギリギリな」線で書いたのかなあなどと考えたりしています。

さて、慰謝料うん百万とか財産分与2分の1などという話は、いわば「権利」であって、当然行使するかしないかは、当事者本人が決めていい問題です。
で、今回の件では高知さんは、離婚原因を作ったばりばりの「有責配偶者」になるので、自分から「離婚してくれ」とは強く言えないですし、お金の請求も当然受けて対応する法の立場。

つまり、離婚に関する主導権は、今さら言うまでもありませんが、高島さんが握っているわけです。

まあ、絶対にありえない話ですが、仮に私であれば、高島さんに対して離婚するなら慰謝料も何ももらわず、財産分与なしで早いところ離婚したらどうだと勧めたりするかもしれないなあなどと思います。

お金を請求して長引いたりするよりも、潔くスパッと汚点(=高知さん)を切ることによって、女優としての活動のダメージを極力少なくする方がトータルな意味で得かもしれないとも思うからです。

なんでもそうですが、特に離婚の場合、トータルな意味で何が得か損かというのは、当事者が置かれている状況によって種々様々、ケースバイケースです。
その時もらえるお金が少ないとしても、離婚に関する紛争が長引くことでどういう影響が出てくるかということは、こういう芸能人じゃなくても感情抜きで考えて計算してもらえるといいな、と思います。

もちろん、当事者の方はそんなこと言っていられるような精神状態じゃない…ということが多いと思いますが。

そういうことをWEB上の記事で書く機会があればいいのですが、なかなかないので、今回ブログで書いてみました。

おわり。


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# by terarinterarin | 2016-06-28 23:29 | Comments(1)
最近、テレビを見ていて、「プライバシー」ってなんだろうな、と考えさせられることがありました。

ひとつは、市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんの乳がんに関するニュースです。
これ、確かスポーツ紙がすっぱ抜いて、それでマスコミが海老蔵さんの自宅に押しかけ、海老蔵さんが記者会見をする羽目になりました。

どんな病気にかかっているかということは、極めて個人的なことです。
その病気のことを公開するかどうするかは、その病気の人が自分自身で考え、判断すべきこと。
最近では、自身が重い病気にかかっていること、かかっていたことを公表する人も少なくありませんが、たとえ有名人、芸能人だからと言って、それを公表する義務は全くありません。

今回のスポーツ紙の狙いは、ひょっとしてひょっとすると最近増えている乳がんについて、「こんな若い人でもなるんだよ。だからちゃんと検診に行こうね」というメッセージを送ることにあったのかもしれません。

しかし、それにしてはやり方がひどすぎます。
先ほども書いたように極めてプライベートな「病気」ということがらについて、恐らくはあえて公表していなかったにもかかわらず、本人に対して事前に何の告知もなく、「すっぱ抜き」の形で一面トップで報じるとは。

これに加え、テレビ局の振る舞いもまたひどいものでした。
重い病気の人が静かに暮らしている(当時はご自宅で静養されていたようですので)自宅に大挙して押しかけ、麻央さんだけでなく、幼い子らの生活の平穏さえ脅かしているのです。

もうひとつは、舛添元東京都知事の「せこい」政治資金使途問題です。
一緒に正月に温泉で会議したという故人のxさんについては、結局実名が明かされることはありませんでした。
テレビ局は、その方の経歴については放送しています。
ご遺族のインタビューはないけれど、周辺の人物に対する取材も行って、放送しています。

つまり、テレビ局側、報道する側は「Xさんがだれなのか」ということを知っています。
しかし、それが本当は誰なのか、氏素性を明らかにするテレビ局はありませんでした。

舛添さんが「その人のプライバシーの問題があるので名前は言えない」と言ったからなんでしょうか。
それとも他の圧力があったからなのでしょうか。
ご遺族の方が、名前を出すことをやめてくれと申し出たのでしょうか。

いずれにせよ、何らかの配慮や意向を聞いた結果などに基づいて、名前を公開しないと報道各局が判断したことに間違いはありません。
麻央さんの乳がんのケースでは、こんな配慮は、恐らく一切ありませんでした。

確かに、テレビ局その他のマスコミには、「報道の自由」「表現の自由」、これに基づく「取材の自由」というものがあります。
しかし、これはそもそも、権力を監視するために、政治や国家権力に関する正確な情報を国民が共有できるようにするために認められる自由です。
対国家権力に対する自由なのです。

だからこそ、あまたある人権のなかで最重要のものとして他に優越する地位が与えられているのです。

しかし、マスコミがこの自由を最大限に活用するのは、有名人・芸能人、つまり一般人のプライバシーを暴露するゴシップネタの時ばかりです。
「報道の自由」「表現の自由」を振りかざして、個人が平穏に生活する自由を踏みにじる。
踏みにじられる方は、マスコミを敵に回すと、その後の芸能人生にかかわってしまうので、多くの場合、表立って批判することができません。

それをいいことにやりたい放題です。
つまりは、マスコミは、いいネタのある芸能人や有名人を探しては「弱い者いじめ」をしているといっても過言ではありません。

そして、本来「報道の自由」を目いっぱい振りかざしていいはずの政治の場面においては、様々な配慮の元、問題の核心に迫ることを放棄しています。
その理屈のひとつとして、「プライバシー」が用いられたりするわけです。

舛添元都知事問題も、辞職してしまったら、途端に次の都知事は誰か?ということばかりを各局とも報道しています。
舛添知事の疑惑は何も解明されていません。
そこに突っ込んでいこうという気概が全く見られません。

はっきり言って、誰が立候補するかなんて、立候補すりゃわかります。
今大切なのは、そっちの情報ではありません。

自分たちに逆らえない芸能人をいじめて、たてつくと何するかわからない権力や政治家には下手な手出しはしない。
これって、アメリカにこびて国民からどんどん搾取する時の政権と同じではありませんか。

報道各局の皆様には、プライバシーとは何か、報道の自由とは何か、両者の関係はどうあるべきかを正しく学びなおしていただきたいものです。

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# by terarinterarin | 2016-06-16 21:30 | Comments(1)
皆さんは、今土曜夜にNHKで放送されている「トットテレビ」をご覧になっているでしょうか。
黒柳徹子さん(以下「トットちゃん」といいます。)が体験してきたテレビ創成期から昭和のテレビの時代を、ユーモラスに描く連続ドラマです。

トットちゃんが大活躍していた時代(ある意味彼女は今でも大活躍していますが)を語るに欠かせない大俳優の一人に、森繁久彌がいます。
今の20代の方などは「誰それ」状態かもしれませんが、映画にテレビに舞台に、それはそれは大活躍した往年の大大大俳優です。

森繁久彌は、「エッチなおじさん」で有名な人でした。
通りがかりに女性の胸やお尻にソフトタッチするのは、あいさつ代わり。
「今度、一回どう?」と女性と見るや声をかけて回る(もちろんある程度選んでいたと思いますが)。

現在であれば、「セクハラ行為」として糾弾され、いくら大俳優であったとしても芸能界から抹殺されかねない言動です。

しかし、森繁さんのソフトタッチや夜のお誘いは、女優さん方から「もう、ホントに仕方ないわねえ」と笑ってスルーされ、「愛すべき、ショーもない性癖」と扱われていたのです。
それが証拠に、トットテレビの中でも、こういうシーンはところどころに映し出され、向田邦子の直木賞受賞の祝賀会で「僕が出会ったころ、向田さんは処女だったと思うんですが」で始まった森繁さんの挨拶まで、再現されていたのです。

NHKとしては、昨今の状況から考えて、こういう森繁久彌の性癖をドラマの進行上、どう扱うべきなのかということは当然議論したことでしょう(まさかスルーしたってことはないですよね)。この程度なら問題ないという結論だったのか、「森繁久彌がこういう人だったんだからこれはこのまま流すべき」という結論だったのか、わかりませんが、ある程度の苦情が局に持ち込まれることも念頭においての放送ではないか、と思われます。

森繁久彌のこういう行為が芸能界史上問題視されたことはないのか、何かトラブルになったことはないのかがちょっと気になったので、昨日インターネットで調べてみました。
少なくとも私が調べたところでは、特に見当たりませんでした。

もちろん、だからといって、完全に苦情や問題がなかったなどと断言できるわけではありません。
森繁久彌が亡くなって久しいことを考えると、スキャンダルが風化したことも考えられます。
ものすごい大俳優だったので、事務所が必至でもみ消していたことも予想されます。

がしかし、それ相応のスキャンダルなどがあったのであれば、没後、「実は森繁には!!!」みたいな報道が出てくることは十分あり得ることで、それがないということは、とにかく大きく問題にされるようなことはなかったのだろうと推測されるのであります。

昭和の時代だからと言って、ありとあらゆる男の人が、女性の胸やお尻をソフトタッチ、「今度一回どう?」が許されていたかというと決してそういうわけではなく、「セクハラ」という言葉がなかったとしても、痴漢呼ばわりされたり、慰謝料請求の対象にはなりえたはずです。

そう。
同じ言葉を言ったり同じことをしたりしても許されたり許されなかったりするというのが「セクハラ」問題の難しいところです。
もう少し詳しく言うと、「セクハラ」というのは、している方に「ハラスメントの認識」がないのがほとんどであり、さらに、言われた方の感じ方によってセクハラになることもあればならないこともある、そういう極めて相対的な問題なのです。

森繁さんのケースを見てみると、している方に当然セクハラの認識はなく、そして、ほとんどの女性もセクハラと感じなかったということになるわけです。

これは、なぜなんだろうか?
相対性の強い問題であるのに、不思議です。
トットテレビのおさわりシーン1つから、テラバヤシは週末をかけて延々と考え続けました。

つまるところ、女性をリスペクトする気持ちが表れているかということなのかな、と考えました。
具体的に言うと、ひとつひとつの性的な言動に本気さや裏があるかないか、ということでしょうか。とても当たり前な結論ですが。

森繁久彌は、エッチな言動をするおじさんではありましたが、ソデにする女性に対して何か報復的なことをしたかというとそうではなかったのでしょう。
例えば、「今度一回どう?」に応じなかったからと言って、相手の女優を変えさせたり、変えるぞと脅したり、そんなことをする人ではなかった。
向田邦子の才能を見抜いて、「一回どう?」に応じたことのない彼女を、自身のラジオドラマ「重役読本」の脚本家に抜擢しました。
「アドリブを入れないでくれ」という格下の向田邦子の求めを受け入れ、直木賞のスピーチを買って出る。
だからこそ、森繁久彌のエッチな言動は、セクハラとして糾弾されることがなかったのだと思います。

同じことを言っても、本気さや悪意をちらつかせ、女性を自分の思いのままにしようという欲(女性に対するリスペクトがない)が透けて見えれば、それは受け取る側にとって「セクハラ」になってしまうわけです。

とはいえ、森繁久彌の例は、とりわけ稀有ではないかと思います。

今、世の中は、自分は何らかのハラスメントの餌食になっているのではないかと、戦々恐々としている人であふれているといっても過言ではないでしょう。
そして、そういう人が多いからでしょうか。自分の言動がハラスメントと受け取られたらどうしようと戦々恐々としている人も少なくないように思います。

私の知人にも(男性)、私が髪形を変えたのを見て、「とてもよく似合っているけど、あんまりほめるとセクハラになっちゃうから」と、非常に遠慮がちに話していた人がいました。

悪質なハラスメント行為は、人の尊厳を踏みにじる許せないものです。
でもちょっと、ハラスメントを意識しすぎて、自然な言動すらできなくなっている世の中も、とっても悲しいなと思います。

森繁久彌は今を生きてなくて、本当に良かったように思います。




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# by terarinterarin | 2016-06-06 00:24 | Comments(0)
どうやらこのブログを始めて2年が過ぎたようでした。
最初の投稿は、2014年5月23日とあります。
まだ、独立する前のことでした。

2年前の投稿を読み返すと、とにかく頻繁に更新しようということだけ考えて書いているのが、ありありとわかります。
しかし、そんな古い投稿でも、コンスタントに読まれている投稿がいくつかあります。
特に、刑事事件関連の投稿は、細々ながらも継続的なニーズがあるようで、今でも自分の投稿のアクセス数で上位に来ることがよくあります。

このブログを始めた5か月後の10月22日に、独立することになりました。
ブログ始めた当初は、まさか5か月後に自分が独立することになるなんて、思ってもいませんでした。

独立する前の投稿と独立した後の投稿では、記事の内容が変わったように思えます。

独立する前は、自分が背負っていたのは自分の名前ではなく、「琥珀法律事務所」でした。
自分の発言が世間に「問題」と判定された場合、自分だけではなく、琥珀法律事務所に火の粉が飛ぶ可能性が高い。
そういう意識が投稿にも反映されているように思えます。
今は、(法テラスの記事なんかは別ですが)何を書いても自分で尻拭いするしかないので、「自分で自分の尻をぬぐえるか」というシンプルな判断基準で原則的には書くことができています。

独立してから、今まであった盾(ボスであるとか組織であるとか)も事務員さんというヘルプもなくなりました(それは自分が選んだことですが)。
その分、色んな事に自分が真正面からドーンとぶつかってしまうことも増えました。
肉体的に疲労するだけならまだよいですが、真正面からドーンとぶつかるということは、精神的にもかなりな疲労を呼び込むのだと改めて分かりました。

今まではあまり感じなかった女性弁護士に対する差別的な視線(それは、男性の年長弁護士によるものでしたが、ことごとく。)を感じることも、何回かありました。

組織にいる、人と一緒にやっているということと、ひとりでやるということが、これほどまでに仕事とのかかわり方を変えるものなのか、と思ったものでした。

しかし、それだけに気づかされることもたくさんあり、「ひとり」でやることについての自分なりのアイデアも沸いてくるようになりました。
そんななかで、私よりもぐんと若い世代の同業者が、期せずして独立しなくちゃならなくなった場合に、役立ててもらえると嬉しいと思うこともいくつか出てきて、そういうことも(そうじゃないこともあるけどね)このブログで発信していければいいなと考えるようになりました。

そういう意味でも、独立前の投稿と独立後の投稿は、内容に違いが出ているかなと思います。

よく「ブログを書いてます」というと、営業目的であるかのように言われますが、自分の場合、あまりそういう意識はありません。
ただ、結果として広告的効果が多少あるというだけのことです。

独立前の自分と独立後の自分を眺めてみて、おひとり様でやり始める方に対して、今何か言えることがあるとしたら、3つに集約されるかな、と思います。

1つは、集客を意識しすぎてはいけないということです。
集客を意識しすぎると、自分の今後の収入もわからないのに過大な広告費をかけたり、あるいは非弁提携しているようなよからぬ業者に引っかかったりするような危険を招くように思います。「ひとり」で独立した弁護士は、常にそういう業者に狙われているといっても過言ではないでしょう。

2つめは、きちんと休むということです。
さっきも書きましたが、おひとり様で何かやるということは、色んなことが真正面からドーンとぶつかってくるということでもあります。
疲れます。そのままにしておくと倒れます。
ですから、1日に1時間、定期的に何日かは仕事からまるっきり離れる日を作って、仕事モードから離脱することが必要だと思います。

3つめは、当たり前の話ですが、仕事の基本をきっちりこなすということです。
たとえていうなら「ホウレンソウ」と「約束を守る」ということでしょうか。
依頼者や裁判所に対してこれらのことをしっかり履行することが、実はどんな広告よりも大切なことではないかと思います。

特に裁判所は、事務所の名前や大きさ、弁護士としての経験によって、弁護士を評価するようなことはしないところだと思います。
書面の締め切りをしっかり守る弁護士か、裁判所に報告すべき事態かどうかを判断できる弁護士か、不在中の電話にしっかり折り返しができる弁護士か、という部分が、信用できる弁護士かどうか判断するにあたって、ある程度のウエイトを占めていると思います(もちろん主張の内容がまともかどうかが一番であることは間違いないでしょう)。

依頼者だって同じです。「いついつまでに提訴します」と約束しているのに、それをとっくに過ぎても何の反応もないということでは信頼を失います。そういうことが続けば、紹介案件のいくつかを失うことにだってなるでしょう。

もちろん全ての約束を守ることは不可能です。守れなかった場合には、そのことについて釈明したりするなど、適切な対応を採らなければならないでしょう。

なんかいい子ちゃんの終わり方でこっぱずかしいことこの上ないのですが、まじめに仕事をしていれば、弁護士の仕事に対して悪い噂は立たないでしょう。
高いお金かけて身の丈に合わない広告をするくらいであれば、「悪い噂」を立てられないようまじめに仕事するということの方がはるかに大切だと思います。

弁護士の名前をネットで検索すれば、今の時代、「悪い噂」だってヒットしちゃう可能性が結構あったりするわけですから。

いつまで続けるかわかりませんが、この先も当面はこのブログ、弁護士として思ったことを不定期に綴っていきたいと思います。
気が向いたときに訪れていただけると幸いです。

ではでは。






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# by terarinterarin | 2016-05-29 18:05 | Comments(0)
ゴールデンウィークの休暇を終えて、通常通りに仕事をしていたある日のことでした。
1枚のFAXが届きました。
電話代行の案内でした。

月額使用料、なんと6000円。
今までに見たことのない破格の料金設定です。

いつもなら、それきりにするところです。
が、最近、以前にもまして事務所を留守にすることが増えてきました。
そのたびに、電話の着信が気になって気になって仕方なくなっていました。

特に裁判所や検察庁からの電話は、メッセージを録音してくれることがほぼありません(裁判所はごくまれにありますが)。
そのため、折り返しのしようもないということがありました。
幸い今まではありませんが、ひょっとすると電話をとれないことで依頼者に大きな不利益が起こることもあるかもしれません。
そんなことが気になって気になって仕方なくなっていました。

ファックスに書かれていたURLにアクセスしてみました。

シンプルなサイトで、「業界最安値!!」とか人を飛びつかせるようなコピーは一切書いていませんでした。
1日10本、月200本で6000円という値段だということがわかりました。
詳しい問い合わせは、メールでしてくれるとのことでした。
何時から何時までの対応なのか、土日祝日の対応はどうなのか、応対はどのような言葉で行うのかなどなどが気になりました。
メールで問い合わせしてみました。

回答によれば、平日9時から18時までで、対応もごくごくスタンダードなもの。電話を受けたら指定メアドにオペレーターから連絡あり。
また、特に注意すべき点は予め指示していれば、それを踏まえた対応をしてくれる、ということでした。

回答は、とても早く返ってきました。
2回問合せをしましたが、どれも1時間以内にレスポンスがありました。
内容はコピペではなく、イチから書いているのがわかりました。

1日10本も電話が来ることはありません。
多い日で、6~7本。
月200本を超えることもありません。

そんなテラバヤシにとって、ここの会社の料金は、とても良心的。
おまけに対応も丁寧。
無理無理契約を取りに来ない。

こんなところが気に入って、その日のうちに申し込み。
翌日の午後には、利用開始できるようになりました。

電話転送手続をした後で、きちんと設定されているか確認するために、自分の携帯から事務所に電話してみました。
事務所から代行会社に電話が転送され、オペレーターさんが出ました。
柔らかく、感じの良い応対で、とてもホッとしました。

翌々日には早速不在中の電話に対応してもらいました。

どこの誰からどういう用件で電話が来たか。折り返し先はどこか。
非常に短いメールの文面の中に、必要な情報が全て盛り込まれていました。
折り返しがとてもスムーズに行きました。

今まで、半ばかたくなに代行を拒否しているところがありました。
前にも書きましたけど、価格設定、が提供するサービスに見合っていると思える業者がなかったからです。
が、そういう「意地?」もどうやら限界を迎えたようでした。
電話をとれないストレスは、予想以上に大きかったようでした。
FAXは、グッドタイミングで送られてきました…

まだ代行さんにお世話になったのは1回だけですが、それでも「ああ、頼んでよかった」と、ストレスから解放された感触を味わいました。
そして、この価格設定であれば、文句はありません。

代行さんをお願いした後は、ホームページ上の土日の連絡先を、業務用の携帯電話番号に書き換えるという作業を行いました。
既に依頼を受けている方は携帯かメールで連絡をくださるので、土日に事務所の電話に誰も出なくても、特に問題ありません。
段取りは、あらかた整いました。

おひとり様事務所のお仲間(?)様、あるいは、登録後まもなくひとりでやらざるを得なくなった方などなど、電話代行を導入するかどうか悩んでいる方、結構いらっしゃるかもしれません。
個人的には、別に最初から代行に頼む必要はないと思います。
自分一人でやり始めてから、テラバヤシみたいに「やっぱり駄目だわ」と利用し始めるのも十分ありです。むしろ、そっちの方が、代行さんに具体的な要望も出せますし。

探せば、たとえ一人でも、登録後まもなくでも、頼れるサービスっていうのは巷にあるものです。
そういうものをうまく駆使すれば、事務員を使わないおひとり様事務所も、なんとか切り盛りしていけるものだと、改めて思ったのでありました。


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# by terarinterarin | 2016-05-15 17:00 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin