オウム真理教の教祖だった麻原彰晃氏の三女、松本麗華さんが、東京拘置所から再三に渡り麻原氏との面会を断られていることを公表して話題になっています。
今回は、松本麗華さんの記事を読んで思いついたことを、つらつらと書いていきたいと思います。

拘置所や刑務所に勾留・拘禁されている人(死刑確定者以外)が外部の人と面会するにあたっては、法律上様々な制限が設けられています。
例えば、まだ刑事裁判によって有罪が確定していないいわゆる未決拘禁者については、「1日に1回、1度に3人まで」と決められています。
受刑者については、まず面会できる相手方が、親族や釈放後に雇用を予定している人など一定の範囲の人に限られます。また、面会の回数は、受刑開始直後は1か月に2回とされています。その後、その回数は、問題行動なく受刑生活を送っている場合には徐々に増えていくことになっているようです。
面会には、刑事施設の職員が立ち会って、会話内容に問題がないかなどをチェックします。
面会時間は1回につき15分から20分と短いものです。
未決拘禁者は、まだ「罪人」と決まったわけではなく、矯正教育を受けている立場ではないので、受刑者よりも幅広く外部の人との面会が認められているのです。
余談になりますが、未決拘禁者は、本や雑誌を購入したり差し入れしてもらったりして、基本的には自由に読めますし、お金があればお菓子などを買うこともできます。

未決拘禁者の場合も、受刑者の場合も、弁護士との面会には、特別なルールが設けられています。
まず、自身の刑事事件の弁護人との面会については「秘密交通権」が保障されているので、職員の立会いも、時間や回数の制限もありません。
また、拘置所や刑務所における処遇の問題について弁護士の法律相談を受ける場合、法的措置に向けて打ち合わせをする場合にも、職員の立会いを排除することができます。
ただ、これらとは関係ない単なる民事事件の法律相談については、一般の方との面会とほぼ同様に扱われることとなります(但し、事前に申請することによって面会時間は一般の方よりも延長してもらえることが多いです)。

死刑確定者の扱いは、未決拘禁者や受刑者とはかなり違います。

法律上は、親族や「心情の安定に資する者」(例えば、旧知の友人などが当たります。)など一定範囲の人から面会の申し出があれば、原則として面会が許可されることとなっています。
がしかし、実際の運用は異なります。
面会の申し出をしても、法律上の例外に当たるとは考えられないようなケースで、面会することが認められないケースが散見されるようです。
従来面会を認められていた人について、ある日突然認められなくなった。そんなこともあるのです。
松本麗華さんの件は、特殊な事例ではありません。

最近麗華さんが面会を求めた際には、麻原氏が面会に応じる意思を表明しなかったからという理由で面会が認められなかったそうです。
麻原氏は現在右も左も全く分からない心神喪失の状態にあるということですから、それを前提とすると、面会に応じる意思表明をすることはありえないわけで、松本麗華さんは、この先も麻原氏には全く会えないということになります。
そして「面会に応じる意思を表明しない限り」面会を許可しないなどというルールは明示的にないわけで、拘置所の職員が松本麗華さんに告げた不許可の理由は、合法的なものとは考えにくいと言わざるを得ません。

死刑確定者の場合は、弁護士との面会も、受刑者や未決拘禁者と異なります。
どんな理由の面会であっても、必ず立会いが付くのです。
施設側の処遇に対する法律相談のために面会する場合、未決拘禁者や受刑者であれば、職員の立会いなくして会うことができます。
しかし、このような相談であっても、死刑確定者の場合には立会いの職員を排除することはできません。

また、再審請求をしている場合、担当の弁護士と打ち合わせをするにあたっても、職員が立ち会います。
先ほども述べた通り、未決拘禁者が弁護人と打ち合わせをする際には立会いが付くのです。これは、職員(国家権力)の監視を受けない弁護人との十分な打ち合わせの機会を確保するためです。
そのような機会が死刑確定者の再審請求には認められていないのです。
死刑確定者にとっては、再審請求は、死刑を回避するための最後の砦です。
通常の刑事手続と同等あるいはそれ以上に弁護士との密な打ち合わせの機会が保障されてしかるべきのはずなのに、それが確保されないのです。
聞いたところでは、職員からの信頼を得ている(例えば、長年コンスタントに面会に通っているような)弁護士との面会の場合には、例外的に立会いの職員が付かない場合があるようですが、特例的な扱いにすぎません。

このように、死刑確定者の外部との接触は著しく制限され、かつ必ず監視がつくことになります。
なぜでしょうか。

簡単に言えば、「ちゃんと死刑が執行できるように」と言われています。
死刑確定者は、いつ刑が執行されるかわからない常人では予想できないような恐怖とともに毎日を過ごしています。
執行に至るまでの過程で精神に異常をきたす人も少なくないと言われています。
つまり、いつどこでどんなタイミングで精神のバランスを崩すかわからないわけです。
死刑の執行は、確定者が「心身ともに健康な状態」でなければできないとされています。
精神に異常をきたされては、死刑を執行できないのです。
自殺されても困るのです。
そのために、余計な刺激が与えられないよう、外部との接触を制限し、監視をつける。

もちろん、死刑になるような重大な犯罪を犯した人間なので逃亡を何としても防がねばならないという事情もあるでしょう。

しかし、それ以上に、死刑確定者が日々どんな暮らしをしているのか。そんな内部事情がさらされないように、ということなのではないでしょうか。
あるいは「死刑確定者」自体を社会にさらしたくない。そんな思惑もあるように思えてなりません。

死刑確定者が施設内に拘禁されていることを「刑に服していること」と思っている人が少なくないようですが、死刑確定者に課される刑はあくまで「死ぬこと」です。
拘禁は刑の執行を確保するために行われているにすぎません。
そうであれば、本来、「刑の執行を確保するために必要な範囲」での権利制限しかできないはずなのです。
そして、「心身ともに健康な状態」を保つためには、然るべき人と自由に会えることが最も重要なことのはずなのです。

これに加え、死刑確定者との面会は、その家族や近しい人の権利でもあります。
麻原氏は、確かに最悪のテロ犯罪の首謀者です。
しかし、麗華さんにとってみれば、お父さんです。
お父さんの今の姿がどんなものなのか。
それを確認する権利が麗華さんにはあるはずです。
それは、麻原氏が凶悪犯罪の首謀者であったこととは関係ありません。

死刑確定者は、被害者やその家族、世論から見れば極悪人です。
しかし、裁判所から「生きる価値がない」と烙印が押されたとしても、この世の誰かにとっては生きる価値がある命の持ち主であること(あるいは、あったこと)は間違いないはずです。
国は、人を殺してはならないと義務を課しておきながら、自ら人を殺せる制度を作っています。
その矛盾を償う意味でも、死刑確定者とその人を大切に思う誰かとの最後の時間を大切に見守るべきではないかと思います。

*なお、私は死刑廃止論者です。

<付記:平成28年10月7日>
本投稿を読んでくださった同業の方から、東京拘置所では、再審事件の打ち合わせに当たっては30分の時間制限は課されるものの、職員の立会いはないという情報がありました。
また、別の弁護士からは、処遇相談と再審事件相談にあたりやはり東京拘置所で職員の立会いはなかったという情報がありました。
テラバヤシ自身が数年前に死刑確定者の処遇に関する相談を受けた際には、都度申し入れをしたにもかかわらず職員の立会いは排除されませんでした。
あたかも原則が「立会いあり」のような書き方を本文中でしてしまいましたが、刑事施設毎・事案毎に扱いが異なる可能性が高そうなので、この点は訂正させていただきたいと思います。

これは、死刑確定者に限りませんが、細かな面会等外部交通の運用は、施設毎、あるいは施設責任者の交代により変わるものです。
以前、名古屋拘置所においては、公判前・公判中の未決拘禁者において、弁護士側による私的精神鑑定を行う際には、数時間にわたりアクリル板のない部屋で面談等を行うことが認められていた時期がありました。
ですが、とあるタイミングで、このようなことが認められなくなりました(現在どのような運用になっているかわかりません)。
東京拘置所においては、(少なくとも数年前までは)アクリル板のない部屋での鑑定のための面談が認められることはなく、面談時間も30分以内だったようです(現在また運用が変わっていれば情報をいただけると幸いです)。







[PR]
# by terarinterarin | 2016-10-06 00:51 | Comments(0)
フリーキャスター長谷川豊さんのブログ「本気論 本音論」の9月19日の記事が物議をかもしていることは、多くの方が既にご存知だと思います。

重い腎疾患で人工透析を受けている患者の多くが「自業自得」であり、こういう人を経済的に年金や保険が救済できるため、病院が大変に大儲けしている。このような利権まみれの保険や年金システムは解体すべきだ…という趣旨の記事です。
この記事が人工透析患者を侮辱していると報じられて長谷川さんには多くの非難が集中し、結果、現在のところテレビ番組2つを降板することになったようです。

私は、一読して、国民の負担の上に一部の病院が大儲けできるような年金・保険のシステムを改革すべきだという趣旨のことを言いたいのだな、と思いました。
また、全ての人工透析患者を一緒くたにして「自業自得」と言っているわけでもないと感じました。
が、糖尿病も含めた生活習慣病は、実は貧困層に多いとも言われています。実際、仕事を通じて、テラバヤシもこの点は強く感じます。
また、体質的な問題で、それほど不摂生な生活を送っていない人でも糖尿病予備軍にはなるものです。何を隠そう、この私も、ヘモグロビンA1Cの値が何年もの間健診でひっかり続けており、遂に今年は栄養士の指導を受ける羽目になったくらいです(テラバヤシをよく知る人は、あのスリムな体型で?運動もある程度しているのに?と思うことと思います)。
一定の「自業自得」層がいることは否定できないとはいえ、それを人工透析患者の「大半」と書いてしまったことは、甚だ勉強不足・調査不足、あるいは「書きすぎ」でしょう。結果として記事のその部分に焦点が当たってしまい、多くの非難が集中したことは、致し方ないのではないかと思います。

長谷川さんといえば、今までもブログの記事が物議をかもすことが何度かありました(注:自分のことは棚に上げています)。
個人的に印象に残っているのは、昨年、安保関連法の議論が華やかに繰り広げられていたところ、日本国憲法と国連憲章の記載の違いを指摘して「憲法9条は違憲だ」という趣旨の記事を書いたことでした。
一国の憲法と国際法規の効力の優劣については、著名な憲法学の本のどれにも記載がありますし、最近であればネットてちょっと探せば苦労せずに調べることができる類のものです。
そういう最低限のことをしていないのか、したうえで敢て書いているのかよくわかりませんでしたが、いずれにせよ、自身の発信力の強さも考えずに、世間をミスリードする投稿を平気でする方なのだなと思いました。

一方で、元少年Aが書いたという「絶歌」については肯定的な意見を述べていました。世間の多くが、元少年A自身や「絶歌」に対して、強い嫌悪感を示していました。
「絶歌」については、テラバヤシも肯定的な意見を述べて非難のコメントもいくつか受けたのですが、正直なところ、長谷川さんが肯定的な意見を出していたことには驚いたものです。

今回の「人工透析騒動」に関しては、今まで長谷川さんに対してたまっていた「ツケ」が一挙に精算されてしまったなと感じています。
今までの様々な刺激的発言がなく、ポッと今回の記事が出てきただけであれば、彼には少なくとも、テレビなどで弁明の機会が与えられたように思うのです。
ですが、今までの物議をかもす発言によって、少しずつたまっていたアンチ長谷川な雰囲気や、テレビ関係者の「あまり何もしてくれるな」というハラハラ感が、この度限界線を越えてしまって、「テレビには出すべきでない」という見る側と作る側の暗黙の合意形成に達してしまった…そういうことではないかと思います。

ただ、長谷川さんの記事の内容が、仮に、例えば「生活保護受給者には人工透析を受けさせるべきではない」とか「貧困層に対する医療費支援策は即刻辞めるべき」、つまり、「貧乏人は医療を受けられずに死んでも構わない」という論調のものだった場合(あるいはそのように受け取られる記事内容だった場合)、今回の様な非難の嵐が巻き起こり、テレビ番組を降板させられるような事態にはならなかったのではないでしょうか(注:長谷川さんがこのようなポリシーの持ち主であることは私にはわかりませんので、あくまで、このようなことを書いたと仮定してのことです。誤解のないようお願い致します)。

今回、長谷川さんがここまで叩かれてしまったのは、世間の大半が「叩いてはいけない」と考えているであろう「人工透析患者」を叩いていると受け取られる記事を書いてしまったからでしょう。
「生活保護受給者」「貧困層」に対しては、「自分たちが納めている税金を食いつぶしている」「ろくに働きもしない怠け者」などと揶揄・非難する層が相当程度おり、そのため、世間の一定数の人々は、こういうカテゴリーに属することになった人々の内情に対する理解もないまま、「叩いていい人」と認定しています。
仮に今回の長谷川さんの記事がこういう「叩いていい人」と世間的に思っている層を叩くとも受け取れるものだった場合、ネット上には、彼を擁護・称賛するコメントが多々寄せられることとなり(もちろん非難するコメントも多々寄せられることとは思いますが)、番組降板という事態には至らなかったと思うのです。

これは、対象が在日朝鮮人・中国人といった人たちでも同じでしょう。在特会の元代表者桜井誠氏が東京都知事選で在日朝鮮人を排斥するような公約を掲げたところ、かなりな票数を獲得したことからも想像に難くありません。

今回の騒動の本質は、結局のところ「リサーチ不足の不適切な発言」や「誤解を生むような過剰な言動」が非難の的になったというものではなく、なんとなく世間的に叩いちゃいけないことになっている層を叩いてしまったというKY感を責めているものにすぎないように思えます。
日本の世の中に巣喰っている、弱者や異物は叩いていい、みんなで同じ方向を向いていて当たり前という同質性を強要する雰囲気が透けて見えてしまう、なんともいやな騒動だと、つくづく思うのです。


[PR]
# by terarinterarin | 2016-10-01 15:33 | Comments(2)
先日、ばったり法テラス時代の後輩に会いました。
結構長いことスタッフ弁護士をやっていたその方、ついに法テラスを出ることになったとのことでした。
退任後は知り合いの事務所に就職することになるそうで、ホッと一安心のご様子。

バリバリと仕事していた人で、私も自分が受けられない件をお願いしたこともありました。良い転職先?が決まったようで、テラバヤシもなんだか嬉しくなりました。

テラバヤシがスタッフ弁護士をやめたのは、2013年の3月のことでした。やめようと決心したのは2012年の12月。考え始めたのはその年の秋頃だったように記憶しています。

これは法テラス以外の事務所を辞めるケースでも同じだと思うのですが、やめようと考えた時、真っ先に考えたのは、辞めたあとどうするか?でした。

友人と一緒に理想に満ちた事務所を立ち上げようとか、こういう仕事がしたいとか建設的な方向性でやめたわけではありません。
その後のことを考えずに、とりあえず辞めることを決めた、という状況だったので、決めた後で辞めた後のことを考えねばならなかったわけです。

独立は、できれば避けたいと考えていました。
最大の理由は、依頼者と「委任契約を交わす」ことの感覚が、どうにもわからなかったということです。

法テラスのスタッフ弁護士として名古屋に行く前の1年間は、一般の事務所にいて、事務所のボスや先輩弁護士たちと仕事をしていました。
が、実際に契約締結の場面に立ち会うということは、ほんの数回だったように記憶しています(ボスはど*@りだったし)。

司法過疎地の法テラス法律事務所は、民事法律扶助や国選に業務が限られないため、地域によっては、スタッフ弁護士でも、依頼者との間で自分が主体的になって委任契約を締結することが比較的多かった人もいると思います(ただ、多分普通の二者間の委任契約ではないと思いますが)。
テラバヤシが赴任していた法テラスはいわゆる都市型。例外的に一定の要件を満たすケース以外は、民事法律扶助と国選以外の仕事はできません。
つまり、依頼しに来た人との間で、着手金や実費、報酬について協議して取り決め、契約書を作るという経験が皆無と言っても過言ではない、ある意味異常な弁護士生活を何年も送っていたということです。

この点においては、法テラスをやめようと決めた時点で、新人弁護士も同然な状況だったといえます。

法律相談の時の相談料のもらい方、着手金や報酬の相場感、提案の仕方、契約書の内容をどうするか?
こういう初歩的なことが真っ白な赤ちゃんの状態でいきなり独立するなんて、もう怖くて怖くて、とってもいきなり独立してひとりでなんてできないわ。
そんな心境で、まずは私を入れてくれる事務所を探そうと思いました。

公設事務所へのアタックという選択肢もなくはありませんでした。
が、(今だから言いますが)自分としては、せっかく法テラスを離れるのに、法テラスに類似した雰囲気がありそうなところに再び入ることには、若干の抵抗がありました。

時はちょうど、弁護士業界の不況が深刻化してきたところでした。

その時点でテラバヤシは弁護士経験6年目でした。普通の事務所に移るとなると、普通に考えれば、パートナーとして一緒にやっていくことを求められることになるでしょう。
しかし、刑事事件や個人破産、財産分与なんて問題にならない離婚、そんな金にならない事件ばかりやってきた自分には、普通のマチ弁の事務所に移ってパートナーになれる才覚はないように思えました。

そもそもが営業下手なうえ、ギリギリまであまりおおっぴらに法テラスを辞めるということも公表したくありませんでした。
就職活動は難航し、このままじゃ、いきなり独立かも、おっかない契約締結も、いきなりひとりでやらなきゃならなくなるかも、と覚悟をしかかった頃、琥珀法律事務所のボスの川浪さんに声をかけてもらったのでした。

琥珀法律事務所に入って、川浪さんと一緒に相談を受けたり、契約締結に同席するようになって、次第に委任契約を結ぶ際のおっかなさがなくなりました。「どういう費用で受けるかについては一応の基準は設けておくにしても、最後は、その場で決めざるを得ないこともままあるのだ」(もちろん暴利を貪ってはいけない)と思うこともできるようになりました。

法テラスを退職してからの琥珀法律事務所での1年半が、普通の?弁護士になるために必要な時間であったことは間違いありません。

私が法テラスのスタッフ弁護士をやっていた頃は、3年の任期を更新する人はそれほどいなくて、おそらく同期の半分以上は1回目の任期を終えて法テラスを退職していたように思います。
元々の出身事務所が公設事務所(やこれに類似する事務所)だった人の多くは、そこに戻って行きましたし、元々は公設事務所出身じゃなかった人の中にも、退職後公設事務所に入るという人がいました。
いきなり独立した人は少数派だった記憶ですが、司法過疎地域の法テラスに赴任した同期の中には、退職後独立してその地に定着するというケースもありました。
公設も含めて出身事務所に帰るケースでは、テラバヤシが持ったような恐怖感を持たずに済むんだろうなと思いますが、いきなり独立した人は、怖くなかったのかな、凄いなと思わずにいられません。

最近は任期を更新するスタッフ弁護士も多いようで、しかもスタッフ弁護士在任中に出向したり、法テラスの本部に在籍したりして、弁護士業務そのものから離れることも少なからずあるようです。
法テラスを辞めて、いざ「普通の弁護士」に戻ろう(というか、「なろう」といったほうが正しいかもしれませんが)というとき、法テラスにいた期間が長ければ長いほど、恐怖心は募らないのかなと、小心者のテラバヤシは考えてしまいます。

それとも、長くスタッフ弁護士をやっていた人の中で、「普通の弁護士」に戻ろう、なろうという人は少数派なんでしょうか。「任期付公務員」になったり、あるいは、スタッフの頃に興味関心を持った分野に特化した弁護士の道を歩んでいくことが多いのでしょうか。
いずれにせよ、門戸はそれほど広くなく、ゆるくない道が待っていることは間違いなさそうです。

これからスタッフ弁護士になろうという人、スタッフ弁護士をやめようと考えている人に、今回テラバヤシが書いたことがほんの少しでも参考になれば幸いです。





[PR]
# by terarinterarin | 2016-09-23 16:24 | Comments(2)
「法廷技術」という言葉は、(特に法曹界以外の皆さんにとっては)耳慣れない言葉かと思います。

我々の業界で「法廷技術」という言葉が意味するのは、裁判員裁判における公判活動(冒頭陳述や最終弁論、尋問、異議)における(弁護人の)スキルをさす場合がほとんどだといってよいでしょう。

裁判員裁判が日本で導入されることになり、それまで書面中心だった日本の刑事裁判は、一般の方が、法廷で弁護人や検察官の主張立証内容を理解し、心証を形成できることを目指す「法廷中心」の裁判に変わることとなりました(なったはずです!!)。
刑事裁判は「法曹だけ」がわかればよかったものから、「法曹じゃない人」もわかるように変わらねばなりませんでした。

そこで、一般人が刑事裁判に参加する陪審制度を古くから採用しているアメリカ合衆国の法廷技術を日本の刑事裁判でも普及させようということになりました。日弁連はプロジェクトチームを作り(その後委員会に昇格)、各弁護士会や日弁連で全国から弁護士を集めて、実演型の研修を行うようになりました(この経緯、かなり省略しています)。

この法廷技術のスキルで一番のポイントは、極めてざっくりいうと、「メモを持たない」「シンプルな言葉・表現」と思います。
例えば冒頭陳述や最終弁論などでは、弁護人の事件の見立て・あるべき結論を事実認定する裁判官と裁判員に対して「説得」しなければなりません。
説得するには、その人の目を見て語りかけなければなりません。メモを見ながらやっていては始まらないわけです。
また、耳で聞いてすぐにわからない言葉や言い回しを使っては、すぐに理解してもらえません。理解してもらえないのですから、共感してもらえるはずもないのです。ですから、難しい専門用語や言い回し、複文的表現を使わず、シンプルに伝えていくことが必要になります。

尋問でも同じことです。
メモを見ながら尋問をしては、メモにばかり気を取られて証人や被告人の話を聞かずに結果として頓珍漢な質問をしたり、必要な答えを言わせようとするがために、かなり無理筋な質問をしてしまうということになります。
難しい言い回しや言葉を使えば、証人や被告人に質問の意図が伝わらず、お門違いな答えが返ってきてしまう危険性もあるわけです。

法廷技術の教えには様々なルールがありますが、テラバヤシ個人としては、スキルのなかで一番大切なのはこの2つだろう、そう考えています。

法廷技術の教えは小手先のスキルに尽きるものではありません。様々なスキルを支える根本には「依頼者の利益を守る(自分たちの主張に対して裁判官や裁判員に共感してもらう)」、「法廷にいるすべての人に敬意を払う」、「フェアな姿勢で法廷に臨む」などといったポリシーが存在しています。

テラバヤシは、実は、先に紹介した日弁連の法廷技術を普及させる活動を行う委員会に所属しております。こんなご立派なことを言っていてなんですが、怠惰な私は、委員会に所属している割にスキルが向上している様子はさっぱりありません。ですが、これまでお話しした法廷技術の教えは、基本的には正しい(注:細部に渡ると委員会内部でも見解が割れたりします)と考えています。

悲しいことに、この技術には、「アメリカ人向けの大仰なプレゼンスタイルに過ぎず、日本人や日本の裁判には向かない」という根強い反発があります。そして、「裁判員裁判」だけのための特異な技術であると考えている弁護士も少なくありません。裁判官の中にも、強い反感をお持ちの方が少なからずいるようです。

しかし、テラバヤシとしては、法廷技術の考え方(特に尋問について)は、裁判員裁判だけに特化したものでもなければ、刑事裁判だけのものでもなく、民事事件や家事事件(離婚など)の法廷活動についても当たり前にあてはまるものだと考えています。

まず、根本的なポリシーのうち「依頼者の利益を守る」「フェアな姿勢で法廷に臨む」というのが刑事裁判以外の場面でも当然必要とされるのは、誰でもわかることだと思います。
しかし、民事事件や家事事件の法廷で、何より忘れてならないのは「法廷にいるすべての人に敬意を払う」ということではないでしょうか。

民事事件や家事事件において、尋問が行われるのは原告と被告の二者であることが圧倒的に多いといえます。とすると、刑事裁判における「被告人と目撃者」「被告人と被害者」という関係にもまして、ガチンコで利害が対立する者が同席して順に尋問を行うことになるわけです。

「法廷にいるすべての人に敬意を払う」という意識を持たないと、自分の依頼者の反対当事者(原告から依頼を受けているのであれ被告、ということですが)に対して、威圧的・侮辱的な姿勢で尋問をしてしまうことになります。
具体的には、うそを言っているだろうと決めつけたり、相手方当事者の回答を歪曲してとらえて次の質問をしたり、ひどい弁護士に至っては、相手方当事者が座っている証言台のすぐ近くに立って、上から当事者を見下ろして尋問を続けたりします。

また、「法廷にいるすべての人に敬意を払う」という意識を持たないと、なにか書面や物を見せながら尋問をしている最中に裁判官や書記官にお尻を向けて、尋問している様子を見えなくするという失態を犯しがちになります。つい先日もこんな場面に出くわしました。

これが自分の失敗だけなら別に構わないでしょう。
しかし、こういう振る舞いは、弁護士本人やその主張に対する信頼を失墜させます。最終的には、依頼者の利益が守れなくなってしまうわけです。

スキルという点でも「メモを持たずに」「シンプルに」が重要であることは間違いありません。
原告や被告は、法律の知識がない一般の人です。テレビで見てる裁判所の証言台の前なんかに座って極度に緊張しています。
当事者がどんな精神状態なのかを把握して、その状態に合わせて話しやすいように尋問を行う、何を聞いているのかすぐに理解してもらう。そのためにはやはり、当事者に目線を向けながら、シンプルに行うことが一番なのです(とはいえ、このテラバヤシも、民事家事の法廷で完全にメモなしで尋問をやり遂げることはいまだできていないことをこの場において自白しておきます。ですが、メモにかぶりつきにはならずに、一問ごとに依頼者と目線を合わせることは忘れないようにしています…という苦しい言い訳)。

最近は、一般の方が法廷で裁判を傍聴することが増え、刑事裁判だけでなく、家事事件や民事事件の尋問にも当事者と関係のない皆さんがちらほらと傍聴にいらしています。
メモにかぶりつきで当事者の顔も見ずに尋問をしている弁護士、批判めいた口調で相手方当事者に尋問している弁護士、相手方当事者と言い合いになっている弁護士などを見かけた方も少なくないのではないかと思います。

「尋問が苦手だ」と感じている弁護士も、実のところ少なくないようです。
「私は尋問が大好きだ」なんて言う弁護士、テラバヤシの周りでは、先ほどお話しした日弁連の法廷技術の委員会のメンバーくらいしかいません(法廷技術のオタクの集団といっても過言ではありませんので)。

「苦手意識」を持っている人の多くは、その苦手意識の理由を戦略的な部分に求めたり、自分のキャラクターに求めがちですが、実際のところは、「心構え」や「スキル」を持たないというところに負うのではないかと思います。
私も「尋問大得意」とはまだ到底言えませんが、法廷技術の研修を何度も受けたり、果ては講師なんぞをするようになって、心構えやスキルが身に着いていくとともに、徐々に苦手意識が払しょくされ、尋問の準備で「これを引き出すにはどう聞くのが効果的か」と考えるのが、楽しくなってきたほどですから…

なので、裁判員裁判なんてやらないよという弁護士も、法廷技術の研修を受ければいいのに、なんて思ったりしています。
志やスキルが高い弁護士がハイレベルな尋問を繰り広げる法廷は、刑事でも民事でも離婚でも、そりゃ迫力があって、裁判官が居眠りするなんてこともなくなるでしょうから。




[PR]
# by terarinterarin | 2016-09-16 22:58 | Comments(0)
高畑裕太さんが釈放されました。
なんでも被害者の女性との間で示談が成立したから、とのこと。

前にも書きましたが、被疑者について被害者と示談したら、検察官はまず被害者に示談内容について弁護人からきちんと説明を受けたか確認します。
その上で、被害届や告訴の取下げの手続きをして、完了したら、不起訴、釈放という流れになります。

今回物議を醸しているのは高畑さん釈放後の弁護人のコメントです。

悪質ではなかった。
合意があったという認識を高畑さんが持っていた。
公判になったら無罪主張した可能性がある。

というコメントが被害者に二次被害を与えているのではないか?
同業者間では、このような観点から、たくさんのコメントが飛んでいました。

私の知人で芸能界に割り合い近いところにいる弁護士の推測では、おそらく、口外禁止条項、つまり事件の内容や示談内容について第三者に口外することを一般的に禁じる条項を入れた上、例の内容のコメントを弁護士が発表することについては例外的にOKとしているのではないかということでした。そして、コメント発表をOKとすることを前提として示談の金額を決めたのではないかと。

確かにそういうことであれば、あのようなコメントを発表したことも弁護士としては、ある程度理解はできます。コメント内容自体の評価はさておくとして…

このコメントを受けて、ネット上では早くも、女性の側は金目当てだったんじゃないかという心ないコメントが出回っているそうです。

確かに、強姦や強制わいせつの事件の中には、ざっくり言えば、男女トラブルの延長みたいなものも一定数あり、男性の側がはっきりと女性の拒絶の意思を認識できなかったケースもあります。私も経験があります。
また、美人局みたいに「金目当てのだまし討ち」みたいな例も案外少なくないようです。

美人局的案件はさておくとして、「男女トラブルの延長線上」の事件についてみると、男性側に加害者意識が希薄である一方で、女性側も「無理やりされた(途中からでも)」という意識を持つことが多分にあります。
そうすると、こういう事件の場合、示談に際して、この辺の意識のすり合わせ、相互の認識の理解をするという作業は、普通に考えれば必要なことも少なくないでしょう。

しかし、事件当事者がともに一般人のケースで、「示談すれば釈放がほぼほぼ見えてくる」という案件の場合、様々な事情を考慮したうえで、むしろ、このようなすり合わせを行うことなく、男性の側が女性の側の被害意識をある意味一方的に受け入れたうえで、お支払いをするという選択の方が多い、いやむしろスタンダード、であるように思えます。
男性の側がタレントや政治家のような、常に露出する存在でない限り、どうして示談したのかということを公に問われることは、ほぼないからです。

優秀な刑事弁護人からはぶん殴られるかもしれませんが、「無罪」「悪質でない」という主張で正面から裁判を戦うことのコスパを考えてみた場合、ぶっちゃけたところ、「金で時間を買う」ではないですが、自分の言い分はぐっと飲みこんで示談して釈放された方が本人の利益ということもあるわけです。

つまり、何が言いたいかというと、今回のこの件、高畑さんの弁護人がああいうコメントを発表した大前提として、先に書いたような「意識のすり合わせ」「相互の認識の理解」の作業をしていたはずであろうと、まともな弁護人であれば、当然そのような選択をしていたはずだと、いうことなんであります。

ただ、この作業、そんなに簡単に済むわけではないでしょう。
ある意味、検察側の事件に対する「見立て」との齟齬も問題にされうる話なわけですから、被害者、そのバックにいる検察側との調整には、相当な労力を必要とすることになるだろうと思います、弁護人サイドから見れば。

そして、この点を女性側から見ると、果たして弁護側がどういう態度で、先に書いたような認識理解を女性にしてもらったのか、あるいはさせたのかということが気になります。
高畑さんの側からするとこういう言い分なんですよ、ということが丁寧に丁寧に説明されただけなんだろうか。女性の側の気持ちが十分に聞き取られたのだろうか。
もし、そのような作業に弁護側が終始して、女性の側が納得したのであれば、真の事件解決と言えるでしょう。

しかし、「裁判になったら無罪を主張したであろう」という趣旨の弁護人のコメントを見て、テラバヤシには、「示談に応じないで裁判になった場合に女性の側にどういう嫌なことが起きるか」ということを強くおした示談交渉が行われていたのではないかという、若干の気持ち悪さが残るのです。

裁判になったら、こちらは無罪の主張をします。
強姦の成立を争います。
そうしたら、あなたは裁判所に証人として呼ばれることになります。
裁判所で、傍聴人が大勢見ている前で、あなたは事件の日の夜、彼との間で起こったことを話さなければなりません。
今、示談して終われば、そういうことはしないで済みます。

もちろん、示談に応じた場合に生じる不利益、応じない場合の不利益を説明することは弁護人サイドからすると必要です。
しかし、今回の場合は特に、「応じない場合の不利益」の説明は、言い方ひとつで非常に威圧的になってしまう危険性が高いように思うのです。事件に対する注目度が非常に高いわけですから、「さらされる」恐怖心は女性の側にとっては、ただならぬものでしょう。

女性の側に弁護士がついていて、高畑さん側と対等な力関係が保たれた状態での交渉であれば、ある程度、このような問題は回避されると思います(もちろん、弁護士の力量の差、経験の差にもよりますが)。しかし、仮に女性の側に弁護士がついていなかった場合、真に紳士的な交渉態度だけで、あのようなコメントに至るような示談が成立しうるものなのでしょうか…

そして、ああいうコメントを発することによって、このご時世、インターネット上に女性側を逆にたたくようなコメントが出るということまで予測され、説明されていたのでしょうか。

もちろん、全てのリスクを回避する義務まで、示談に際して弁護人に課されるわけではありません。
「示談交渉」とはつまり「和解契約」の交渉なのですから、男性の側がやみくもに(言葉は悪いですが)下手に出る必要もないという考え方もあるかもしれません。特に弁護側から見て、裁判になったら争う余地がありそうだと考える案件においてはなおさらでしょう。

しかし、刑事事件を前提とする示談を行う場合、お金を支払う側としては、示談成立後に「禍根」を残さないように最大限の努力・配慮をすることが必要ではないかとテラバヤシは思います。

今回の高畑さんの件、それはできていたんだろうか。
弁護人が名高い人なだけに、非常に気になるし、さっきも言ったように一抹の気持ち悪さが残るのであります。
















[PR]
# by terarinterarin | 2016-09-10 17:29 | Comments(2)
前回の投稿、「弁護士にはとってもつらい性犯罪」は、犯罪を犯した側に弁護士が立った時の目線で書きました。
今回は、犯罪によって被害を受けた側(被害者やそのご遺族を含みます。)と弁護士の問題について書いてみようと思います。

弁護士の第一の使命が「依頼者の利益を守る」ことにあることは前回もお話しした通りです。
つまり、弁護士は、犯罪を犯した人の弁護人になればその人の利益を守るべく活動しますが、被害者から委任を受ければ、被害者の利益を守るべく活動することになるわけです。
テラバヤシも、比率としては、「弁護人」として犯罪を起こした側、起こしたとされる側に立つ割合が多いですが、被害者側の代理人の仕事をしたことも何度かあります。

被害者側の代理人の活動としては、被害弁償の請求を行うこと、「被害者参加」という刑事手続への参加につき代理をすることが主にあげられます。

被害弁償の請求については、まずは、示談交渉を行うことが考えられます。示談交渉で満足が得られない場合には、従来であれば民事訴訟を起こさなけれがなりませんでしたが、現在は、損害賠償命令といって、有罪判決後に刑事事件を担当した裁判所が、引き続き損害賠償請求について審理を行い、賠償を命じる制度があります。「訴訟提起しなおし」による費用や時間が節約できることになった点で、損害賠償命令は、被害者を経済的に救済する大きな意味を持つ制度であるといえるでしょう。
「被害者参加」というのは、刑事裁判に被害者が参加する制度で、被告人に対して質問することもできますし(質問できる範囲には一定の制限がありますが)、また、裁判の最後に意見陳述することもできます。

もちろんどれも被害者本人が行うことが可能です。
示談に関しては、弁護士が代理人としてついていない場合、捜査中や裁判前、裁判中であれば、検察官が間に入って連絡窓口を務めたりします。
被害者参加についても、意見陳述は、書面に書いたものを裁判官に代読してもらえます。

がしかし、弁護士を頼まずに対応するとなると、なかなかにハードルが高くなって、できなくなることも出てくることは事実です。
例えば、示談の打診を受けたけれど、その金額に納得できないという場合、加害者側についている弁護士と「交渉する」という気持ちを持つことについて気後れする人も少なくないでしょう。
示談書の文言についても、入れてほしい言葉があるにもかかわらず、それがうまく言えないということもあるかもしれません。
なにより、損害賠償命令であるとか民事訴訟に持ち込むということは、一般の方ではかなり難しいように思います。

被害者参加についても、本来であれば、犯人に聞いてみたいことがあるという方も少なくないのかもしれません。
しかし、自分に害を与えた人間と直接対峙することに恐怖心があるでしょう(非公式に検察官が被害者から聴きたいことを聴取して質問していることも少なくないかなあと思いますが)。
弁護士に頼むという選択肢を持たない場合には、あきらめてしまう場合も多いのかもしれないと思います。

犯罪被害者代理人については、法テラスによる費用援助のシステムもありますし、警察や検察庁でインフォメーションがあるようです(一部の検察官は積極的に進めているという話も聞いたことがあります。本当かどうかはわかりませんが)。
そうであるにもかかわらず、思ったほど「被害者に弁護士がつく」という流れは定着していないように思うのです(交通事故による傷害や死亡のケースは除きますが)。

私が被害者の代理人を担当したのはいずれも財産犯のケースで、どちらも示談交渉のみの受任でした。
自身が被告人の弁護人をやったケースで被害者に代理人がついたことは何度かありますが、「被害者参加代理人」として弁護士が関与したケースは少ないです。
性犯罪の被害者の方でも、代理人が付くケースはわずか、という印象です(もちろん正確にデータをとっているわけではありませんが)。

被害者に代理人がつくことは、独りでは躊躇することをできるようにしておくという意味で重要性が高いと思います。そして、さらに「限界を理解する」「できないことを理解する」という意味でも、非常に重要だと思うのです。

一番典型的な問題は、やはり、示談です。

先方から提示された金額が納得できない。
弁護士から見ても、生じた被害を考えれば、本来ケタ一つ違うだろうという提示しかない場合があります(弁護人として示談交渉する場合に、そういう提示しかできない場合もままあります)。
裁判をやれば、もっと多額の支払いが認められることは目に見えている。
それでも、犯人本人に資力がない場合、スポンサーが親兄弟で、出せるお金に限界がある場合、判決で勝っても、その判決が「絵に描いた餅」でしかなくなってしまうことが往々にしてあります。親兄弟のお金を差し押さえたりすることはできませんので。
しかも、刑事事件の判決が出てしまえば、犯人についている弁護人の仕事は終了。交渉の窓口もなくなってしまう。

そういう状況下で「実を取る」としたら、ケタ一つ下がる金額でも、示談に応じる(あるいは被害弁償を受けておく)という選択をしておいた方がまだマシということが往々にしてあります。

もちろん、犯人についた弁護人が、被害者本人に対してこういう説明をすることもすることも多いと思います(まともな弁護人ならやるはずです)。
ただ、被害者からしてみれば、「自分に害を与えた側についてる弁護士」からこんな話されたって、「はいそうですか」とはなかなかなりにくいであろうと思うのです。不条理さが増すばかりということも少なくないでしょう。

「被害者側についた弁護士」が被害者の気持ちを聞いて理解したうえで、「実を取るのはどうですか」と提案してこそ、ある程度納得して受け入れる余地が初めて出てくるのだと思います。
もちろん、「絵に描いた餅でもいいから、犯人に自分がやったことの重みはこれくらいの金額になるんだとわかってもらいたい」と被害者が言えば、被害者の代理人としては示談を蹴って訴訟を選択することになります。そういう意味では、実はとれなくても被害者の意向を反映した手続を踏むことが可能になるわけです。

なのに、被害者の代理人が付かないことが多いのはなぜなのでしょうか。

ひとつには弁護士費用の問題があるように思います。
被害を受けた自分が、さらに弁護士費用を負担しなければならないということの不条理感が、弁護士に依頼することを躊躇させているのかもしれません。

また、特に性犯罪の場合なんかだと、捜査機関に対してだけでなく、弁護士にも被害事実を話さなければならないという心理的負担が足掛けになっているように思います。
それ以前に、外界のあらゆる人物との接触をしたくないという心情から、弁護士にたどり着かないという人も相当数いるのかもしれません。

一般の方からしてみれば、悪いことをした犯人には、金がなくても国の費用で弁護士を付けることができるのに、被害者には弁護士の手が届きにくいという点で、不公平に感じられるのだろうと思います。

そうすると、全ての犯罪とは言わないまでも、性犯罪を中心とした一定の犯罪については、名簿制の弁護士派遣制度を作るのも1つ手かもしれません。
例えば、捜査機関(警察署や検察官)が被害者に対して「弁償などについて弁護士の相談を受けたいか」などと意向を聞き、被害者がイエスという返事をすれば、各地域の弁護士会の担当部署に相談弁護士の要請を行う…といった制度です。
私が思いつくくらいだから、既に導入している弁護士会もあるような気がするんだけど…どうなんでしょうか。

一度犯罪の被害に遭った人の恐怖心や心理面の問題を解消することは(遭った被害の内容にもよりますが)困難で、法律家だけでどうにかできるような問題ではないでしょう。
しかし、助力できる人間が適切に助力することによって、軽減することは可能なはずです。

ちなみに、「優秀な刑事弁護人は優秀な被害者代理人である」と思っています。敵の手の内が大体わかるわけですから。
刑事専門を謳う弁護士の中には、被害者側はやらないという信条の人もいるかもしれません。
が、基準としては間違っていないと思いますので、(必要ない情報かもしれませんが)弁護士選びの参考にしてもらえればと思います。












[PR]
# by terarinterarin | 2016-08-29 01:07 | Comments(0)
俳優の高畑裕太さんが、宿泊先のホテルの従業員の女性に性的な暴行をしたという容疑で、強姦致傷罪により逮捕勾留されました。
昨日からテレビは、この話題で持ちきりです。

強姦致傷罪は、法定刑が懲役5年以上20年以下の結構重たい犯罪になります。条文上は無期刑の選択もありえます。
しかし、姦淫が既遂の時だけ成立するものではなく、姦淫が未遂の場合も成立します。
強姦致傷罪の量刑を決めるにあたって、一番大きなポイントはこの点で、姦淫が未遂の場合には既遂の場合に比べて、(他の事情によりますが)相当程度刑が軽くなります。

また、致傷の程度も実は幅がかなりあります。数日あれば治るようなかすり傷程度のものからそれこそ瀕死の重傷まで(注:殺意があったことが認められる場合には強姦殺人未遂になると思いますが)「致傷」に含まれ、けがの程度が軽ければ、その分、刑がかなり軽くなることもあり得ます。
その他、手段としての暴行脅迫が、どれほど悪質か、執拗だったかという点も影響します。

高畑さんがこのままの罪名で起訴されてしまえば裁判員裁判が行われることになります。

おそらく、お母様や事務所やご本人の依頼で、国選ではなく私選の弁護人が高畑さんには就いていることでしょう。
捜査段階であれば、まず、弁護人としては、被害者の方に告訴取下げをしてもらい、不起訴にしてもらうことを目標として活動することになると思います(注:強姦致傷罪はいわゆる親告罪ではありませんが、実務的には告訴状を被害者に提出してもらうのが通例のようです)。
すなわち、真摯なお詫びと示談の申し入れをして、これにより被害者からの許しを得る活動をする、ということです。

これは非常に難しい活動です。
被害者にとっては、被害に遭ってまだ間もないころですから、お詫びや示談などを受け入れる気持ちに到底なれません。それも、女性としての根幹の部分を力によって強引にねじ伏せられて侵害されているわけですから、お金をとられたりしたのとは段違いの抵抗感があります。

最近では被害者の住所等が弁護士にオープンにされることはほぼなく、まずは担当検察官を通じて、謝罪や示談の申し入れを行い、OKの返事が来るのを待つ…となることがほとんどです(もちろん、この段階で被害者に代理人弁護士がついていれば、代理人弁護士との連絡はすぐにつくでしょうが、捜査段階で被害者代理人が付くことはそれほど多くないように思います)。

「示談には一切応じません。お金も受け取りません」と言われるケース、「弁償には応じますが告訴は取り下げません。示談もしません(つまり、今後、さらに訴訟などにより慰謝料を請求する余地を被害者が残しておくということです)」と言われるケース、様々あります。

前者のようなケースでも、例えば、起訴されて審理が済んで、残すは判決のみという時点で、被害弁償に応じてもらえることがありますので、テラバヤシの場合はまだあきらめません。時間をおいて、様子を見ながら、可能であれば、何回か打診することでしょう。
後者の場合も、けがが軽い場合には、被害弁償することによって、「強姦罪」という軽い罪名に落として起訴になる可能性もでてきます。そうすると、法定刑は3年以上20年以下の懲役になりますので、場合によっては、執行猶予まで見えてくることもあり得ます。ですので、示談には至らなくてもお支払いをする方向で考えるのが普通かと思います。

どこかから、「軽くするために金払うのか!!」という声が聞こえてきそうですが、第一目的はその通りとしか言いようがありません。だって、弁護人は「被疑者被告人の利益のために」活動するのが使命なのですから。
しかし、だからといって、被害者の心情に配慮しないわけでもないですし、ましてやだまし討ちみたいなことをしてはいけないのは当たり前のことです。

この手の事件だと、「お金を受け取ることによって刑が軽くなる可能性がある」ということを説明しなかったり、示談書の文言をきちんと説明しないでサインさせたりして、あとで「こんなはずじゃなかった」と被害者の怒りを買う(その意味で二重の被害を与える)ケースもままあります。

ですので、弁護人としては、弁償をする、示談を持ちかけることに関しては、慎重でなければなりませんし、決して無理をしてはいけません。そのあたりの気の遣いようが、我々弁護士の胃痛の原因にもなったりするのです…

裁判員裁判が始まってから、性犯罪の量刑はかなり重くなりました。これは巷で言われているとおりです。従来の量刑が軽すぎたともいえます。このこと自体は、やむを得ない、むしろ女性の権利保護という点では当たり前になっただけと考えるべきであろうと思います。

がしかし、弁護人にとっては非常に悩ましいこともあります。
時に、裁判では、検察官の求刑を超える判決が下されることもあるのです。
示談や被害弁償をしていても、それによって、刑が大幅に下がることも減っています。
示談や被害弁償により、被害が一定程度回復されたと、裁判員の皆さんに思ってもらいにくいのです。

「反省しています」「申し訳ありませんでした」「二度としません」なんて言われたって、ほとんどの場合、被害者の方は救われないでしょう。とすると、やった側がお詫びを形にするには「お金」しかないわけです。
で、出せるだけのお金を出す。しかし、刑がかなり重い、となると、もう性犯罪で、かつやったこと自体を認めてしまっている事件の場合には、弁護人、重い刑が下されるのを指をくわえてみているしかない、という状況に追いやられてしまうわけです。
つらいこと、このうえありません。

こういうことを言うのは不謹慎かもしれませんが、時に性犯罪の弁護は、殺人など人が亡くなっている事件の弁護をするよりも、悩ましいことがあります。

殺人というのは「動機犯罪」と言われています。多くの場合、そこに至るまでの経緯を見ていくと、同情する、理解するとまではいかないまでも、「気持ちはわからなくはない」と言えることも少なくありません。裁判員の皆さんも「どうしてこんなところまで来てしまったのか」というスタンスで裁判に臨んでいることが多いように思います。
弁護人もやってしまった本人も、人が死んでいるわけだから、量刑については、大方の覚悟はできている。
重い判決でも、判決理由の中で一定の理解を示してもらっているような箇所があれば、多少救われる気持ちになることもあります。

が、しかし、性犯罪の場合、一般の人から見れば、何をどうしたって正当化される理由なんて出てこないわけです。本来治療すべき障害に基づいて事件が起こされているケースも少なくありませんが、まだまだそのような理解は広まっていません。
示談しても無駄。その他にもアピールできるポイントなし。性犯罪が、弁護人泣かせの事件であることは、このご時世、間違いないことでしょう(うーん、色んな方面から怒られそうだなあ)。

最後に皆さんに理解していただきたいのは、性犯罪を起こす人間が全員「色欲魔」ではないということです。
今回高畑さんは「自分の欲求を押さえることができなかった」と言っているそうで、これがもとで「性欲の強い男が酒によって起こした事件」みたいなくくりにされているような気がします。

確かに、そういう人もいなくはありませんが、実際には、年齢の割に性的な関係が未熟な人が起こしているケースであるとか、ストレスや性的ではない欲求不満が性的暴行という形で発現しているケースでるとかの方がむしろ一般的ではないか、というのが、今までの経験から感ずるところです。

ここから先は、臨床心理士や医師の出番のように思いますが、そこに私なんかは、病的な歪みを感じることも多く、だからこそ弁護のやりようのない性犯罪について、どうしようもない無力感を感じることも少なくないわけです。

今の日本では、犯罪をした人を処罰すること自体が目的化しているような気がしてならないのです。
処罰することの目的は、その人がそれに懲りて二度と犯罪をしなくなることにあるわけです。
で、様々な犯罪について、その方法があまり意味がないということも、昨今わかってきています。
一度犯罪を犯した人を二度と犯罪に走らせず、全体として犯罪を減らしていくためには、刑罰以外の手段で臨むべきことも往々にしてあって、性犯罪なんかは、薬物犯罪とともにその代表的な例だよなあ…なんて思うのですが。

なんだか話がずれてしまいましたが、様々な意味において、性犯罪というのがカオスなものであるということがお分かりいただけただろうと思うので、今日はこれでおしまいにします。

長文失礼いたしました。












[PR]
# by terarinterarin | 2016-08-25 22:47 | Comments(20)
お久しぶりでございます。
現在遅い夏休みをいただいております。
オリンピックにうつつを抜かして更新を怠っていたところ、あっという間に1か月ほどが過ぎてしまいました。

夏休み前というのはバタバタと仕事が入るもので、初めて会う弁護士と名刺交換したり、相手方についている弁護士の情報収集をするためにホームページを見たり、ということが何度かありました。

ダブルライセンス持ちの弁護士が、増えたなあと改めて感じました。

公認会計士とのダブルライセンス持ちの弁護士というのは、実は古くから一定数いて、特段珍しいという感じでもありませんでした。
「法律会計事務所」なる看板も、都市部では、ちらほら見かけるものです。
先日名刺交換した相手方弁護士も、「弁護士/公認会計士」という肩書がありました。
数字がからっきしだめで、時に精算時の足し算引き算も間違えるテラバヤシから見ると、かっこいいことこの上ありません。

他に、税理士、中小企業診断士、社労士、MBAといった、周辺領域や「わかっていると便利な分野」に関する資格を持っている弁護士も、少なくないという印象です。
最近では、不動産鑑定士、弁理士という、超難関資格を持っている超人も、直接ではありませんが存在することを知りました。
司法書士の資格を取ってから司法試験を受けたという方も従来少なくなかったので、司法書士とのダブルライセンス、という人も、結構いたりします。

こういういわば実務的な資格は、弁護士がダブルで持っていても、一般の方々は特に違和感がないかもしれません。

しかし最近は傾向が違う資格のダブル持ちも見受けられます。
例えば、社会福祉士であるとか、精神保健福祉士であるとか、あるいは介護福祉士であるとかの福祉関係の資格。
障がい者高齢者の権利擁護の機運が高まったり、障がい者刑事弁護が注目されるようになったりしたことが影響しているようです。
また、少年事件の達人の先輩が臨床心理士を取得したこともありました。先日は、相手方の弁護士が、保育士資格を持っていることも判明しました。

ダブルライセンス、百花繚乱の時代です。

「弁護士=儲からない仕事」という図式が世の常識になりつつあるこの状況下だと、「仕事を得るための手段としてダブルライセンスを取得する弁護士が増えた」みたいなことが言われがちかもしれません。
「弁護士」の隣に「不動産鑑定士」なんて肩書がつけば、「不動産取引に詳しい弁護士」というイメージになるので、その手の仕事が舞い込むようになる、それを狙ってダブルライセンスを取る弁護士が増えてる、みたいな。

しかし、先に挙げた資格はどれも、そう一朝一夕にとれるような代物ではありません。「儲け」にそんなにすぐつながるわけではないでしょう(もちろん、受験勉強的なことがお得意な方とかかなりな頭脳をお持ちの方であれば、すんなり受かってしまうのでしょうが)。
それに、実務系の資格はさておき、福祉系の資格や臨床心理士をはダブルで持っていたとしても、そんなに儲かる仕事が来るのかと言われれば、かなり「?」ですし。

ダブルライセンスに至った経緯・動機というのは千差万別だと思いますが、個人的には、案外、弁護士の仕事をやっていく過程の中で、ふとしたきっかけがあり、その領域についてきちんとした知識を得たくなる、「そっち方面」の仕事が多いので、資格試験の勉強しながら知識を得ていく、ということの方が多いのではないかと思います。

実はテラバヤシも、一時、仕事の関係で興味が出た分野の資格を取ろうかと逡巡していたことがあったのですが、それにかける時間や気力の点で覚悟ができず、断念した過去がございます。
なんで、動機はどうであれ、忙しい仕事の合間を縫って、テキストを読み、スクールに通い、場合によってはレポートや論文を書き、試験を受けるなんていう作業を、七めんどくさい司法試験の後もやりのけてしまう人たちのことは、純粋にすごいな、と思うのであります。

人間年をとってからの方が勉強がしたくなるというのは、我々の業界でも同じ、ということなのでしょう。
必要にかられて、あるいは、現場を見て形成されたモチベーションに基づいて始めた勉強は、青臭い時代に受験勉強的に取り組んできた司法試験とは、一味も二味も違う深みをその人に与えるのかもしれません。
そういう意味でダブルライセンスを持っている弁護士というのは、「いい仕事」ができるのかもしれないな、などと感じたりします。

ちなみに、ダブルライセンスとはちょっと違いますが、テラバヤシ、英語の読み書きを勉強したいと思っております。
かつて大学院時代は(すごい苦手だったけど)、フランス語や英語の文献を読んでいました(書けませんでしたが)。
今や、読むのもやっとこさっとこ、たまに書く必要があるときには、「グーグル辞書」を首っ引きという情けない状況です。

英語の読み書きできたら便利だなと思う機会が最近多いのです。なんで、始めたい。
始めたいけど根性ないから続かない、と現在葛藤中なのでありました。



[PR]
# by terarinterarin | 2016-08-23 16:18 | Comments(0)
いわゆる相模原事件の後、このブログの「事件を起こした精神的にまずい人のその後」という記事のアクセス数が伸びています。
コンスタントにアクセスが多い記事ではあったのですが、この事件でフィーチャーされた「措置入院」について書いていることから、おそらく検索ワードで上位に来るようになったのではないかと思います。

7月31日の夜には、NHKでこの事件を検証する番組が放送されていました。
事件が起こってわずか5日の放送の割には、被疑者が施設を退職してから事件を起こすまでの間の言動のいくらかを明らかにしており、かつ今後の「危険人物」(措置入院歴がある人という言い方をするととても語弊があるので、あえてこの言い方を選択します)への対応方法を考えるうえでの視点を与えるもので、それなりに意義ある番組だったように思います。

この番組を見て、今回の事件は、「他害の恐れがある危険人物に対する医療制度、司法制度の谷間に落ちてしまったために起きた事件」であると強く思いました。

先に挙げた記事でも書きましたし、報道でも取り上げられているのですでにご存じの方も多いと思いますが、「措置入院」というのは、あくまで精神科の指定医が「自傷他害の恐れがある」と診断した人物を強制させることができる制度であり、治療が主目的ではありません。つまり、「自傷他害の恐れ」がなくなってしまえば、その時点で退院をさせなければならないわけです。
相模原事件のケースでは12日間でしたが、ほんの数日で退院になるケースもあります。

実際には、この後、医療保護入院に切り替えて比較的長期間の入院を本人の意思に反して行うことができる場合もあります。これは、対象となる人が自分の意思で入院を選択できない場合(つまり病識がないなど)に適用されます。しかし、医療保護入院はあくまで、その人を「保護する必要性」がある場合に限られるもので、家族や市区町村長の同意が必要となります。

そして、なにより、保護入院が許容されるためには、対象者が精神障害者であることが必要です。
今回の事件の被疑者は、措置入院時に大麻の陽性反応が出たものの、その後、「どうかしていた」などと反省の弁が出た、そこで退院することになったとのことでした。

実際に医療記録を見ているわけではないので、あくまで上記の情報を前提とすればですが、今回の事件では、被疑者の言動が大麻使用による一過性のものであると判断されたか、あるいは依存があるとしても、本人の意思に反してまで入院させる必要性がないと判断された可能性があるように思います。

そのために彼は社会に放たれることになってしまいました。
病院の勧めで、任意に薬物依存の治療に通院したようですが、ほんの数回でやめてしまったという情報も放送されていました。

退院後の彼の言動(友人らに対して犯行を誘ったり障害者殺害の決意を語っていたこと)は、おそらく通報があれば、再び措置入院の対象になりうるものだったでしょう。
しかし、恐らくは比較的狭い人間関係の中でしか語られず、また普通に生活している形跡もあったため、通報に結びつきにくかったのではないでしょうか。友人らとしては、警察に通報したのがばれた場合には、報復されるのではないかという恐怖心もあったかもしれません。
被疑者は、元々善良な人間だったようで、友人らには、自分たちが説得すれば翻意させられるのではないかという思いもあったのかもしれません。

今から振り返れば、退院させるという医師の判断が正しかったのか、友人たちが警察に通報しなかったのはどうだったのかという疑問は当然生じることと思います。

しかし、ここで医師や友人たちを責めても、何の意味もないのは明らかです(特に今日のNHKの番組では、顔をさらしてインタビューに応じていた友人の方がいました。この方には敬意を表するとともに、今後誹謗中傷にさらされることのないよう切に祈ります)。

私も、今まで、措置入院や保護入院の後に事件を起こしてしまった人(あるいは事件を繰り返す人)の事件を何度か受任したことがありました。
主治医に会ってお話を伺ったりもするのですが、私が会った医師は、みなさん、非常に落胆していました。
「自傷他害の恐れがあるかどうか」の判断は非常に難しいものでしょうし、退院後の異変まで読むことまでは到底できないことなのでしょう。

また、こういう「危険人物」の周囲の人々の心境も、また複雑この上ないものです。「止められなかった」ことを後悔し、あたかも自分が犯罪者であるかのように自分を責める人もいたりするものです。

NHKの番組でも示唆していましたが、必要なことは退院後のフォローアップです。
対象者やフォローアップの方法、程度など議論すべきことは多いでしょうが、今回の件に限らず、措置入院後に事件を起こす人というのは少なからずいるわけです。池田小の事件もそうでした。特に「他害の恐れ」があるとして措置入院となった人物については、フォローアップの制度を設けることは必須だと思います。

今回の事件は、健康な?20代の男子という、ある意味の強者が、「重度の障害者」という社会的弱者の中でもとりわけ抵抗できない人をターゲットに、抵抗が極めて困難な真夜中に引き起こしたもので、レイシズムやナチズムなどの危険思想の影響がかなり強いと考えられます。

こういう思想が絡む事件が起こると、事件を「危険思想の蔓延」のせいにして、「危険人物による犯罪の防止」という制度を人権侵害の危険が高いからという理由でやみくもに反対する人が必ずいます。

しかし、そういう社会全体の思想傾向の問題と、「防げる犯罪を防ぐ」という個々の犯罪防止の問題は全く別次元のものなのであって、やはりこういう事件が起きてしまった以上、「制度の谷間」を埋める試みというのは、今後していくべきであると、強く思います。
これは犯罪被害を防ぐためだけでなく、犯罪者を生み出さないためにも必要なものだと思います。


最後になりますが、(これも以前書いたように記憶していますが)テラバヤシの記憶する限り、人生で初めて友達になった人は、当時「自閉症」と診断されていた同い年の男の子でした。
その人とのかかわりは、私の人生に大きな影響を与え、弁護士の仕事をしていくうえでかけがえのないものになっています。

人は、どんな人でも、誰かの人生に影響を与え、導く力があると信じています。

月並みですが、お亡くなりになられた皆さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、負傷された皆さんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。

[PR]
# by terarinterarin | 2016-08-01 01:02 | Comments(3)
昨日から今日の朝にかけて、東京弁護士会の自身の所属派閥(一応所属しているんですよ、こんなワタシでも)の大イベント「旅行総会」というものに出かけておりました。
メインイベントは、文字通り「総会」でして、決算予算の承認に会務報告、宣言や決議の採択などなどだったりします。

総会の前座?的なイベントにはシンポジウムが企画されておりまして、昨日、テラバヤシはその企画者として、はたまた登壇者として、参加してきました。
テラバヤシが登壇したシンポジウムのタイトルは、「イマドキな弁護士の業務広告~実例とルールに学ぶ~」というものです。
要は、近年中心になっているインターネット上の業務広告の活用例とその注意点に関するお話です。目的としては、「ルールを頭に入れたうえで適正な広告を有効に活用しましょう」ということを同業者(派閥の皆様)にご理解いただこうというものでした。

テラバヤシの方からは「イマドキな弁護士の広告についてお話します。」というタイトルで10分ほどのプレゼンをしました。
イマドキな「おひとり様事務所」をかまえるテラバヤシが、あまりお金をかけずにどのように集客をしているかという話です。
ザックリ言うと、「基本情報等を載せているホームページや弁護士ドットコムページがあり、ブログ(注:ブログが本当に集客につながっているかどうかは以前からこのブログに書いている通り、なお検討の余地はありますが)、各種SNSがこれへの導線的役割を果たしている。ホームページは自分で作っており製作費ゼロ、弁護士ドットコムへの支払いやホームページの月料金(独自ドメイン取得及び広告非掲載のための費用)くらいしか金はかけていない」という内容です(うーん、10分もいらないなあ…)

その後、別な弁護士が、「ご法度」も取り入れて作成した法律事務所のホームページ例を披露、最後は、弁護士業務広告規制のエキスパート(というとご本人はかたくなに否定されます。)が、弁護士業務広告の規制について解説する…という流れでした。

あんまり詳しく話すと、「会員限定のシンポだったんだぞ!!!」とかお叱りが飛んでくるかもしれないので、ポイントになる部分のみピックアップして、弁護士広告の規制について、ちょっと触れていきます。

日弁連には「弁護士の業務広告に関する規程」というものが存在しております(注:同業者向けに言うと、日弁連には、その他業務広告に関する規制としては、「弁護士及び弁護士法人並びに外国特別会員の業務広告に関する指針」、「弁護士の業務広告の調査及び措置に関する規則」があります)。その第3条に「禁止される広告」が定められています。
具体的には、①事実に合致していない、②誘導又は誤導のおそれ、③誇大又は過度の期待を抱かせる、④困惑させ、又は過度の不安をあおる、⑤比較広告、⑥法令・会則・会規違反、⑦弁護士の品位又は信用を損ねるといったものが禁止されます。
例としては、①年中無休と書いてあるのに土日対応していない、②専門分野表示が要注意(とある分野についてエキスパート表示しているのに、「実は新人で、こういう事件初めてです」)、③「あっという間に解決します」、④「すぐに対応しないと告訴される」と煽る、⑤景表法違反、「**相続センター」などの表示、その他通称、愛称等の表示、⑥違法・脱法の対応をするかのような表示など、が挙げられるとのこと。

また、4条には表示できない広告事項が挙げられています。具体的には、①勝訴率、②顧問先または依頼者、③受任中の事件、④過去に取り扱い又は関与した事件です。②、③については、例外もありますが、いわゆる「解決事例」(とある有名弁護士広告サイトさんが、書いてくださいと推奨するあれですね。)なんかは、何をどう書くかについてかなりな配慮を要することになるわけです(もちろん架空事例を載せると虚偽広告になるので、3条違反となります)。

で、規程違反の広告については、弁護士会に、調査権や、規程違反弁護士に対する違反行為の中止命令等の各種措置権など、種々様々な権限があるわけです(12条)。

ただ、東弁での実情からすると、広告規程違反(いわゆる形式犯)の情報提供自体はあまりなくて、実質的な非行が伴っているケースの情報提供がほとんどとのことです(**センターの表示が、実際に非弁提携を伴うケースもあるようです)。

興味深かったのは、広告が効果を発揮しすぎた結果、依頼を受けすぎて処理遅滞に陥り、そのために例えば債権の消滅時効期間が経過してしまったり、「(提訴していないのに)既に提訴しました」みたいな虚偽報告をしてしまう、そのために懲戒請求を受けるというケースもあるというお話でした。

正直言って、今回の企画に関与するまで、弁護士業務広告の規制の詳細というのはあまり意識していませんでした。
が、結果として、テラバヤシの各種広告的なものは、(ギリギリセーフのものもあるようですが)とりあえず規程違反のものはないようでした。
守秘義務等をはじめとする法令・会則上の義務について、それなりに意識しながらホームページを作ったり、ブログを書いていたのが功を奏したかなと思っています。

で、いわゆる「形式犯」についての多くは、会の方から「ここまずいよ、直しなさい」という指示が飛んで来た場合にきちんと対応していれば、大事にはならないようで、そういう意味でいうと、広告規制について、あまり過度に恐怖心を感じる必要もないのかな、と思っています。

特段の顧客を持たないで独立した人、事務所からの事件の割り振りをあまり期待できない「ノキ弁」的立ち位置で仕事している若手などは、やはり、なんらか広告を出したいという気持ちを持っている人も少なくないと思います。
そういうときに、勢い込んで「自分を大きく見せよう」としすぎちゃうと、規程違反になってしまう危険性が出てくるように思います。

他との差別化をどう図るかというのは、結局広告だけでどうにかなるものではなく、どういうことに興味があるのかとか、どういうことを学んできたのかとか、そういう実質に負うものであるということなのだと思います(まあ、ある意味当たり前といえば当たり前のことなのですが)。

ちなみに、基本事項ですが、氏名と所属会は弁護士広告に記載必須だそうです。案外所属会って記載を落としがちみたいなんで、この際、同業者で何らかの広告をしている皆様においては、ご確認いただくことを推奨します。

ではでは。


[PR]
# by terarinterarin | 2016-07-10 17:54 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin