先日の高知東生さんネタの続きです。

ワイドショーなんか見てると(特にサンデージャポンのテ〇ー*藤あたり)、覚せい剤や大麻なんかのいわゆる禁止薬物に手を出した人は人間の屑であるという前提で、人格が徹底的にさげすまされている光景が、これでもかってくらい映し出されています。

高知さんが持っていた4グラムという量は個人の所持量としては、結構とんでもない数字だったことは事実(そのために売人説まで浮上している)です。
が、覚せい剤なんかの禁止薬物を売っている側と使った側の悪質さ度合いというのは、もう月とスッポンくらい違います。薬物使用者に「犯罪者」のレッテルを貼る日本の法制度自体にそもそもの疑問を感じたりします。

人の脳や精神に働きかける薬物の中で、どれを市販OKとするか、医師の処方箋により一般人が所持することを認めるか、一定の職業の人のみの利用を認め原則的に所持を禁じるかということは、その薬が持つ危険性という指標が中心になりますが、その他政策的な判断によることも結構多いのが事実でしょう。

たばこについてめんたまひんむいて高い税金をかけている欧米諸国のいくつかでは、一般人が大麻を所持して吸引することが認められています。
そして、これまで所持使用することが特に禁じられていなかった薬物の使用が禁止されることもしばしばあります。

例えば、ケタミンという主に(日本では)馬の麻酔薬として使われていた薬は、2007年に麻薬取締法の禁止薬物に指定されるまでは、合法的に使用できる薬物でした。依存性が高く濫用傾向にあるという理由で日本では禁止されていますが、WHOでは安全な麻酔薬として容易に利用できるようにすべきだとされているようです。

さらに、つい最近抗精神病薬のベゲタミンが販売禁止となりました。
このベゲタミンという薬は、薬物乱用者にとっては有名な薬で、容量が少ないものには「白玉」、容量が多いものには「赤玉」という隠語があります(錠剤の色を示しています)。脳の中枢に直接作用し、過剰摂取のリスクが高いことから販売停止となったようです。

薬を欲する人は、その薬自体が欲しいのではなく、その薬から得られる「薬効」(要は気持ちよさ)を得たいがために、その薬を手に入れようとするわけです。
そうすると、その薬を使ってはいけないと取り上げたり、その薬を使っていることを非難されたりするだけでは、禁止薬物を使わなくなるだけであって、類似の作用を得られる別な薬物に走るようになるのです。

過去、薬物事犯や、薬物を摂取した後のラリってる状態で犯罪を行った人を何度も弁護してきました。
1日に何度も覚せい剤を打つ乱用者だった人が、薬で捕まった後、仕方なしに向精神薬を買いあさって(複数に病院をはしごして薬をもらいまくる。「ドクターショッピング」といいます。)過剰摂取するようになった人に何人もお会いしました。
ケタミンを使っていたけれど、ケタミンが入手しずらくなったうえ、逆に覚せい剤の方が入手しやすいために覚せい剤を買うようになった、という人もいました。

薬で得られるある感覚に固執するのがいわゆる「依存症」という病であり、このような病がある人は、その感覚を得るためにはなんだってします。なんせ、病気ですから。
覚せい剤や大麻を買うことは、問題の本質では全くない。
薬効を欲するその心が本質的な問題なのです。

なので、覚せい剤や大麻を買うことだけを鬼の首取ったみたいに糾弾することは全くお門違いでしかありません。
こういう行為は、他の薬でラリること自体は問題ないという誤ったメッセージを与えかねない危険なものです。
まあ、有名な人が他の薬でらりった結果、不覚のうちに事件を起こしたら、またそれはそれで喜んで叩く連中がいるんだろうな、とは思いますけど。

おそらく覚せい剤や大麻を買って使う人が激しく糾弾されるのは、そういうものを売っているのが暴力団であり、その売り上げが暴力団の資金となるからでしょう。
しかしね、買った側からしてみると、自分が欲しい作用を与えてくれるものを売っていたのがたまたまやくざだったのですよ。
例えば、水が一滴も飲めない状況でやくざさんが自分の目の前に1万円でペットボトル振りかざしたら、自分は買わないなんて皆さんいえるんですかね?

日本の警察というのは、見せしめに芸能人を捕まえてさらしたりしていますが、それで薬物使用者の減少に特段の歯止めがかかっているかというと全然そんなことないわけで。
この問題について(に限らないけど)「つるし上げ」が全く有効性がないってことくらい、明々白々のことなはずです。

薬物使用の問題っていうのは、精神作用のある薬の流通管理をどうするかという側面ととある薬効に依存する病気の人たちをどうケアするのかという側面から考えられるべき問題です。

覚せい剤や大麻の奥に隠された問題について認識理解がない人間は、偉そうに使った人たちを糾弾する資格なんぞないでしょう。



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# by terarinterarin | 2016-07-03 17:01 | Comments(2)
巷では、イギリスのEU離脱を忘れるくらいの?衝撃だったっぽい高知東生の逮捕劇。
世間の興味はどうやら、高知東生と高島礼子の離婚がどうなるか、に移っていっているようです。

今朝方、ヤフーニュースを見ていたら、テレビで有名なK村弁護士が離婚条件として「慰謝料は1000万円を超えるかも」「財産分与も2分の1以上になるかも(ここはもう少し表現があいまい)」「さらにCMを切られたりしたら財産的損害も」みたいなことをコメントしている記事を読みました。

高島礼子という女優さんの知名度や売れっ子具合を考えると、あり得なくない考え方…とは思いますし、決して間違っているわけではないと思います。
が、私なら怖くてここまでは言えないなあというのが正直なところです。

離婚の原理原則でいうと、財産分与が均等割りにならないことっていうのは、よほどの事情がない限りありえないでしょう。なにしろ、現在では、外に働きに出ない専業主婦も立派に均等割りを主張できる世の中なわけです。
高知東生が、たとえ高島礼子のひも人生を長いこと送っていたんだとしても、高島礼子が稼いだ金でヤクを買っていたんだとしても、「ちゃんと財産分与をしましょう」ということになり、高知東生が自身の権利を主張するのであれば、やはりよほどのことがない限り均等割り、ということになるはずです。

慰謝料だって、離婚にしろそうでないにしろ1000万円に行くのは極めてまれなケースです。
婚姻期間や子の有無、年齢、不貞の期間の長さ等々慰謝料の金額を決めるには様々なファクターがありますが、一般人を基準にしてみる限り、離婚慰謝料に関していえば、300万円を超えると「お、結構いったね!!」と思ってしまいます(注:それはテラバヤシがやっている事件単価からくる感覚かもしれませんが)。

個人的には、財産的損害の話がわりにしっくりきたのですが、それでもこういう芸能の世界の出来事、因果関係がはっきり認定できるような契約の切り方を各社さんしたりするものなのかなあとも思います。また、高島礼子の方から進んで降板を申し出たりした場合には、請求しにくくもなるだろうなと思います。

そんなわけで、もし私が、同じ取材を受けることがあったとすれば、ごくごく一般的なこと原則的なことをお話したうえで、「ただ、高島礼子さんという売れっ子の女優さんが奥様ですので、慰謝料の金額を算定する場合には、その点が考慮さえるかもしれません」くらいなことを言って終わりにするかなと思います。

私も経験がありますが、こういう芸能ネタをもとに法律的な話をしてほしいとWEBサイトから頼まれるケースでは、センセーショナルなことを書いて盛り上げてほしいという期待もありつつ、一方で、これを材料にして、法律の基本的なお話をしてほしいという思惑もあるからです。

以前ヤフトピに掲載されたテラバヤシの「副住職 AV女優 離婚」ネタでは、テラバヤシは、ごくごく基本的なことしか書きませんでしたが、ものすごく盛り上がって2日くらいに渡りトップを張っていたくらいですので。

K村先生はテレビにもお出になっていますし、見た目よりは?サービス精神が旺盛な方なんだろうなという気がします。ですので、思い切って、基本よりも「ギリギリな」線で書いたのかなあなどと考えたりしています。

さて、慰謝料うん百万とか財産分与2分の1などという話は、いわば「権利」であって、当然行使するかしないかは、当事者本人が決めていい問題です。
で、今回の件では高知さんは、離婚原因を作ったばりばりの「有責配偶者」になるので、自分から「離婚してくれ」とは強く言えないですし、お金の請求も当然受けて対応する法の立場。

つまり、離婚に関する主導権は、今さら言うまでもありませんが、高島さんが握っているわけです。

まあ、絶対にありえない話ですが、仮に私であれば、高島さんに対して離婚するなら慰謝料も何ももらわず、財産分与なしで早いところ離婚したらどうだと勧めたりするかもしれないなあなどと思います。

お金を請求して長引いたりするよりも、潔くスパッと汚点(=高知さん)を切ることによって、女優としての活動のダメージを極力少なくする方がトータルな意味で得かもしれないとも思うからです。

なんでもそうですが、特に離婚の場合、トータルな意味で何が得か損かというのは、当事者が置かれている状況によって種々様々、ケースバイケースです。
その時もらえるお金が少ないとしても、離婚に関する紛争が長引くことでどういう影響が出てくるかということは、こういう芸能人じゃなくても感情抜きで考えて計算してもらえるといいな、と思います。

もちろん、当事者の方はそんなこと言っていられるような精神状態じゃない…ということが多いと思いますが。

そういうことをWEB上の記事で書く機会があればいいのですが、なかなかないので、今回ブログで書いてみました。

おわり。


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# by terarinterarin | 2016-06-28 23:29 | Comments(1)
最近、テレビを見ていて、「プライバシー」ってなんだろうな、と考えさせられることがありました。

ひとつは、市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんの乳がんに関するニュースです。
これ、確かスポーツ紙がすっぱ抜いて、それでマスコミが海老蔵さんの自宅に押しかけ、海老蔵さんが記者会見をする羽目になりました。

どんな病気にかかっているかということは、極めて個人的なことです。
その病気のことを公開するかどうするかは、その病気の人が自分自身で考え、判断すべきこと。
最近では、自身が重い病気にかかっていること、かかっていたことを公表する人も少なくありませんが、たとえ有名人、芸能人だからと言って、それを公表する義務は全くありません。

今回のスポーツ紙の狙いは、ひょっとしてひょっとすると最近増えている乳がんについて、「こんな若い人でもなるんだよ。だからちゃんと検診に行こうね」というメッセージを送ることにあったのかもしれません。

しかし、それにしてはやり方がひどすぎます。
先ほども書いたように極めてプライベートな「病気」ということがらについて、恐らくはあえて公表していなかったにもかかわらず、本人に対して事前に何の告知もなく、「すっぱ抜き」の形で一面トップで報じるとは。

これに加え、テレビ局の振る舞いもまたひどいものでした。
重い病気の人が静かに暮らしている(当時はご自宅で静養されていたようですので)自宅に大挙して押しかけ、麻央さんだけでなく、幼い子らの生活の平穏さえ脅かしているのです。

もうひとつは、舛添元東京都知事の「せこい」政治資金使途問題です。
一緒に正月に温泉で会議したという故人のxさんについては、結局実名が明かされることはありませんでした。
テレビ局は、その方の経歴については放送しています。
ご遺族のインタビューはないけれど、周辺の人物に対する取材も行って、放送しています。

つまり、テレビ局側、報道する側は「Xさんがだれなのか」ということを知っています。
しかし、それが本当は誰なのか、氏素性を明らかにするテレビ局はありませんでした。

舛添さんが「その人のプライバシーの問題があるので名前は言えない」と言ったからなんでしょうか。
それとも他の圧力があったからなのでしょうか。
ご遺族の方が、名前を出すことをやめてくれと申し出たのでしょうか。

いずれにせよ、何らかの配慮や意向を聞いた結果などに基づいて、名前を公開しないと報道各局が判断したことに間違いはありません。
麻央さんの乳がんのケースでは、こんな配慮は、恐らく一切ありませんでした。

確かに、テレビ局その他のマスコミには、「報道の自由」「表現の自由」、これに基づく「取材の自由」というものがあります。
しかし、これはそもそも、権力を監視するために、政治や国家権力に関する正確な情報を国民が共有できるようにするために認められる自由です。
対国家権力に対する自由なのです。

だからこそ、あまたある人権のなかで最重要のものとして他に優越する地位が与えられているのです。

しかし、マスコミがこの自由を最大限に活用するのは、有名人・芸能人、つまり一般人のプライバシーを暴露するゴシップネタの時ばかりです。
「報道の自由」「表現の自由」を振りかざして、個人が平穏に生活する自由を踏みにじる。
踏みにじられる方は、マスコミを敵に回すと、その後の芸能人生にかかわってしまうので、多くの場合、表立って批判することができません。

それをいいことにやりたい放題です。
つまりは、マスコミは、いいネタのある芸能人や有名人を探しては「弱い者いじめ」をしているといっても過言ではありません。

そして、本来「報道の自由」を目いっぱい振りかざしていいはずの政治の場面においては、様々な配慮の元、問題の核心に迫ることを放棄しています。
その理屈のひとつとして、「プライバシー」が用いられたりするわけです。

舛添元都知事問題も、辞職してしまったら、途端に次の都知事は誰か?ということばかりを各局とも報道しています。
舛添知事の疑惑は何も解明されていません。
そこに突っ込んでいこうという気概が全く見られません。

はっきり言って、誰が立候補するかなんて、立候補すりゃわかります。
今大切なのは、そっちの情報ではありません。

自分たちに逆らえない芸能人をいじめて、たてつくと何するかわからない権力や政治家には下手な手出しはしない。
これって、アメリカにこびて国民からどんどん搾取する時の政権と同じではありませんか。

報道各局の皆様には、プライバシーとは何か、報道の自由とは何か、両者の関係はどうあるべきかを正しく学びなおしていただきたいものです。

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# by terarinterarin | 2016-06-16 21:30 | Comments(1)
皆さんは、今土曜夜にNHKで放送されている「トットテレビ」をご覧になっているでしょうか。
黒柳徹子さん(以下「トットちゃん」といいます。)が体験してきたテレビ創成期から昭和のテレビの時代を、ユーモラスに描く連続ドラマです。

トットちゃんが大活躍していた時代(ある意味彼女は今でも大活躍していますが)を語るに欠かせない大俳優の一人に、森繁久彌がいます。
今の20代の方などは「誰それ」状態かもしれませんが、映画にテレビに舞台に、それはそれは大活躍した往年の大大大俳優です。

森繁久彌は、「エッチなおじさん」で有名な人でした。
通りがかりに女性の胸やお尻にソフトタッチするのは、あいさつ代わり。
「今度、一回どう?」と女性と見るや声をかけて回る(もちろんある程度選んでいたと思いますが)。

現在であれば、「セクハラ行為」として糾弾され、いくら大俳優であったとしても芸能界から抹殺されかねない言動です。

しかし、森繁さんのソフトタッチや夜のお誘いは、女優さん方から「もう、ホントに仕方ないわねえ」と笑ってスルーされ、「愛すべき、ショーもない性癖」と扱われていたのです。
それが証拠に、トットテレビの中でも、こういうシーンはところどころに映し出され、向田邦子の直木賞受賞の祝賀会で「僕が出会ったころ、向田さんは処女だったと思うんですが」で始まった森繁さんの挨拶まで、再現されていたのです。

NHKとしては、昨今の状況から考えて、こういう森繁久彌の性癖をドラマの進行上、どう扱うべきなのかということは当然議論したことでしょう(まさかスルーしたってことはないですよね)。この程度なら問題ないという結論だったのか、「森繁久彌がこういう人だったんだからこれはこのまま流すべき」という結論だったのか、わかりませんが、ある程度の苦情が局に持ち込まれることも念頭においての放送ではないか、と思われます。

森繁久彌のこういう行為が芸能界史上問題視されたことはないのか、何かトラブルになったことはないのかがちょっと気になったので、昨日インターネットで調べてみました。
少なくとも私が調べたところでは、特に見当たりませんでした。

もちろん、だからといって、完全に苦情や問題がなかったなどと断言できるわけではありません。
森繁久彌が亡くなって久しいことを考えると、スキャンダルが風化したことも考えられます。
ものすごい大俳優だったので、事務所が必至でもみ消していたことも予想されます。

がしかし、それ相応のスキャンダルなどがあったのであれば、没後、「実は森繁には!!!」みたいな報道が出てくることは十分あり得ることで、それがないということは、とにかく大きく問題にされるようなことはなかったのだろうと推測されるのであります。

昭和の時代だからと言って、ありとあらゆる男の人が、女性の胸やお尻をソフトタッチ、「今度一回どう?」が許されていたかというと決してそういうわけではなく、「セクハラ」という言葉がなかったとしても、痴漢呼ばわりされたり、慰謝料請求の対象にはなりえたはずです。

そう。
同じ言葉を言ったり同じことをしたりしても許されたり許されなかったりするというのが「セクハラ」問題の難しいところです。
もう少し詳しく言うと、「セクハラ」というのは、している方に「ハラスメントの認識」がないのがほとんどであり、さらに、言われた方の感じ方によってセクハラになることもあればならないこともある、そういう極めて相対的な問題なのです。

森繁さんのケースを見てみると、している方に当然セクハラの認識はなく、そして、ほとんどの女性もセクハラと感じなかったということになるわけです。

これは、なぜなんだろうか?
相対性の強い問題であるのに、不思議です。
トットテレビのおさわりシーン1つから、テラバヤシは週末をかけて延々と考え続けました。

つまるところ、女性をリスペクトする気持ちが表れているかということなのかな、と考えました。
具体的に言うと、ひとつひとつの性的な言動に本気さや裏があるかないか、ということでしょうか。とても当たり前な結論ですが。

森繁久彌は、エッチな言動をするおじさんではありましたが、ソデにする女性に対して何か報復的なことをしたかというとそうではなかったのでしょう。
例えば、「今度一回どう?」に応じなかったからと言って、相手の女優を変えさせたり、変えるぞと脅したり、そんなことをする人ではなかった。
向田邦子の才能を見抜いて、「一回どう?」に応じたことのない彼女を、自身のラジオドラマ「重役読本」の脚本家に抜擢しました。
「アドリブを入れないでくれ」という格下の向田邦子の求めを受け入れ、直木賞のスピーチを買って出る。
だからこそ、森繁久彌のエッチな言動は、セクハラとして糾弾されることがなかったのだと思います。

同じことを言っても、本気さや悪意をちらつかせ、女性を自分の思いのままにしようという欲(女性に対するリスペクトがない)が透けて見えれば、それは受け取る側にとって「セクハラ」になってしまうわけです。

とはいえ、森繁久彌の例は、とりわけ稀有ではないかと思います。

今、世の中は、自分は何らかのハラスメントの餌食になっているのではないかと、戦々恐々としている人であふれているといっても過言ではないでしょう。
そして、そういう人が多いからでしょうか。自分の言動がハラスメントと受け取られたらどうしようと戦々恐々としている人も少なくないように思います。

私の知人にも(男性)、私が髪形を変えたのを見て、「とてもよく似合っているけど、あんまりほめるとセクハラになっちゃうから」と、非常に遠慮がちに話していた人がいました。

悪質なハラスメント行為は、人の尊厳を踏みにじる許せないものです。
でもちょっと、ハラスメントを意識しすぎて、自然な言動すらできなくなっている世の中も、とっても悲しいなと思います。

森繁久彌は今を生きてなくて、本当に良かったように思います。




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# by terarinterarin | 2016-06-06 00:24 | Comments(0)
どうやらこのブログを始めて2年が過ぎたようでした。
最初の投稿は、2014年5月23日とあります。
まだ、独立する前のことでした。

2年前の投稿を読み返すと、とにかく頻繁に更新しようということだけ考えて書いているのが、ありありとわかります。
しかし、そんな古い投稿でも、コンスタントに読まれている投稿がいくつかあります。
特に、刑事事件関連の投稿は、細々ながらも継続的なニーズがあるようで、今でも自分の投稿のアクセス数で上位に来ることがよくあります。

このブログを始めた5か月後の10月22日に、独立することになりました。
ブログ始めた当初は、まさか5か月後に自分が独立することになるなんて、思ってもいませんでした。

独立する前の投稿と独立した後の投稿では、記事の内容が変わったように思えます。

独立する前は、自分が背負っていたのは自分の名前ではなく、「琥珀法律事務所」でした。
自分の発言が世間に「問題」と判定された場合、自分だけではなく、琥珀法律事務所に火の粉が飛ぶ可能性が高い。
そういう意識が投稿にも反映されているように思えます。
今は、(法テラスの記事なんかは別ですが)何を書いても自分で尻拭いするしかないので、「自分で自分の尻をぬぐえるか」というシンプルな判断基準で原則的には書くことができています。

独立してから、今まであった盾(ボスであるとか組織であるとか)も事務員さんというヘルプもなくなりました(それは自分が選んだことですが)。
その分、色んな事に自分が真正面からドーンとぶつかってしまうことも増えました。
肉体的に疲労するだけならまだよいですが、真正面からドーンとぶつかるということは、精神的にもかなりな疲労を呼び込むのだと改めて分かりました。

今まではあまり感じなかった女性弁護士に対する差別的な視線(それは、男性の年長弁護士によるものでしたが、ことごとく。)を感じることも、何回かありました。

組織にいる、人と一緒にやっているということと、ひとりでやるということが、これほどまでに仕事とのかかわり方を変えるものなのか、と思ったものでした。

しかし、それだけに気づかされることもたくさんあり、「ひとり」でやることについての自分なりのアイデアも沸いてくるようになりました。
そんななかで、私よりもぐんと若い世代の同業者が、期せずして独立しなくちゃならなくなった場合に、役立ててもらえると嬉しいと思うこともいくつか出てきて、そういうことも(そうじゃないこともあるけどね)このブログで発信していければいいなと考えるようになりました。

そういう意味でも、独立前の投稿と独立後の投稿は、内容に違いが出ているかなと思います。

よく「ブログを書いてます」というと、営業目的であるかのように言われますが、自分の場合、あまりそういう意識はありません。
ただ、結果として広告的効果が多少あるというだけのことです。

独立前の自分と独立後の自分を眺めてみて、おひとり様でやり始める方に対して、今何か言えることがあるとしたら、3つに集約されるかな、と思います。

1つは、集客を意識しすぎてはいけないということです。
集客を意識しすぎると、自分の今後の収入もわからないのに過大な広告費をかけたり、あるいは非弁提携しているようなよからぬ業者に引っかかったりするような危険を招くように思います。「ひとり」で独立した弁護士は、常にそういう業者に狙われているといっても過言ではないでしょう。

2つめは、きちんと休むということです。
さっきも書きましたが、おひとり様で何かやるということは、色んなことが真正面からドーンとぶつかってくるということでもあります。
疲れます。そのままにしておくと倒れます。
ですから、1日に1時間、定期的に何日かは仕事からまるっきり離れる日を作って、仕事モードから離脱することが必要だと思います。

3つめは、当たり前の話ですが、仕事の基本をきっちりこなすということです。
たとえていうなら「ホウレンソウ」と「約束を守る」ということでしょうか。
依頼者や裁判所に対してこれらのことをしっかり履行することが、実はどんな広告よりも大切なことではないかと思います。

特に裁判所は、事務所の名前や大きさ、弁護士としての経験によって、弁護士を評価するようなことはしないところだと思います。
書面の締め切りをしっかり守る弁護士か、裁判所に報告すべき事態かどうかを判断できる弁護士か、不在中の電話にしっかり折り返しができる弁護士か、という部分が、信用できる弁護士かどうか判断するにあたって、ある程度のウエイトを占めていると思います(もちろん主張の内容がまともかどうかが一番であることは間違いないでしょう)。

依頼者だって同じです。「いついつまでに提訴します」と約束しているのに、それをとっくに過ぎても何の反応もないということでは信頼を失います。そういうことが続けば、紹介案件のいくつかを失うことにだってなるでしょう。

もちろん全ての約束を守ることは不可能です。守れなかった場合には、そのことについて釈明したりするなど、適切な対応を採らなければならないでしょう。

なんかいい子ちゃんの終わり方でこっぱずかしいことこの上ないのですが、まじめに仕事をしていれば、弁護士の仕事に対して悪い噂は立たないでしょう。
高いお金かけて身の丈に合わない広告をするくらいであれば、「悪い噂」を立てられないようまじめに仕事するということの方がはるかに大切だと思います。

弁護士の名前をネットで検索すれば、今の時代、「悪い噂」だってヒットしちゃう可能性が結構あったりするわけですから。

いつまで続けるかわかりませんが、この先も当面はこのブログ、弁護士として思ったことを不定期に綴っていきたいと思います。
気が向いたときに訪れていただけると幸いです。

ではでは。






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# by terarinterarin | 2016-05-29 18:05 | Comments(0)
ゴールデンウィークの休暇を終えて、通常通りに仕事をしていたある日のことでした。
1枚のFAXが届きました。
電話代行の案内でした。

月額使用料、なんと6000円。
今までに見たことのない破格の料金設定です。

いつもなら、それきりにするところです。
が、最近、以前にもまして事務所を留守にすることが増えてきました。
そのたびに、電話の着信が気になって気になって仕方なくなっていました。

特に裁判所や検察庁からの電話は、メッセージを録音してくれることがほぼありません(裁判所はごくまれにありますが)。
そのため、折り返しのしようもないということがありました。
幸い今まではありませんが、ひょっとすると電話をとれないことで依頼者に大きな不利益が起こることもあるかもしれません。
そんなことが気になって気になって仕方なくなっていました。

ファックスに書かれていたURLにアクセスしてみました。

シンプルなサイトで、「業界最安値!!」とか人を飛びつかせるようなコピーは一切書いていませんでした。
1日10本、月200本で6000円という値段だということがわかりました。
詳しい問い合わせは、メールでしてくれるとのことでした。
何時から何時までの対応なのか、土日祝日の対応はどうなのか、応対はどのような言葉で行うのかなどなどが気になりました。
メールで問い合わせしてみました。

回答によれば、平日9時から18時までで、対応もごくごくスタンダードなもの。電話を受けたら指定メアドにオペレーターから連絡あり。
また、特に注意すべき点は予め指示していれば、それを踏まえた対応をしてくれる、ということでした。

回答は、とても早く返ってきました。
2回問合せをしましたが、どれも1時間以内にレスポンスがありました。
内容はコピペではなく、イチから書いているのがわかりました。

1日10本も電話が来ることはありません。
多い日で、6~7本。
月200本を超えることもありません。

そんなテラバヤシにとって、ここの会社の料金は、とても良心的。
おまけに対応も丁寧。
無理無理契約を取りに来ない。

こんなところが気に入って、その日のうちに申し込み。
翌日の午後には、利用開始できるようになりました。

電話転送手続をした後で、きちんと設定されているか確認するために、自分の携帯から事務所に電話してみました。
事務所から代行会社に電話が転送され、オペレーターさんが出ました。
柔らかく、感じの良い応対で、とてもホッとしました。

翌々日には早速不在中の電話に対応してもらいました。

どこの誰からどういう用件で電話が来たか。折り返し先はどこか。
非常に短いメールの文面の中に、必要な情報が全て盛り込まれていました。
折り返しがとてもスムーズに行きました。

今まで、半ばかたくなに代行を拒否しているところがありました。
前にも書きましたけど、価格設定、が提供するサービスに見合っていると思える業者がなかったからです。
が、そういう「意地?」もどうやら限界を迎えたようでした。
電話をとれないストレスは、予想以上に大きかったようでした。
FAXは、グッドタイミングで送られてきました…

まだ代行さんにお世話になったのは1回だけですが、それでも「ああ、頼んでよかった」と、ストレスから解放された感触を味わいました。
そして、この価格設定であれば、文句はありません。

代行さんをお願いした後は、ホームページ上の土日の連絡先を、業務用の携帯電話番号に書き換えるという作業を行いました。
既に依頼を受けている方は携帯かメールで連絡をくださるので、土日に事務所の電話に誰も出なくても、特に問題ありません。
段取りは、あらかた整いました。

おひとり様事務所のお仲間(?)様、あるいは、登録後まもなくひとりでやらざるを得なくなった方などなど、電話代行を導入するかどうか悩んでいる方、結構いらっしゃるかもしれません。
個人的には、別に最初から代行に頼む必要はないと思います。
自分一人でやり始めてから、テラバヤシみたいに「やっぱり駄目だわ」と利用し始めるのも十分ありです。むしろ、そっちの方が、代行さんに具体的な要望も出せますし。

探せば、たとえ一人でも、登録後まもなくでも、頼れるサービスっていうのは巷にあるものです。
そういうものをうまく駆使すれば、事務員を使わないおひとり様事務所も、なんとか切り盛りしていけるものだと、改めて思ったのでありました。


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# by terarinterarin | 2016-05-15 17:00 | Comments(0)

憲法記念日が過ぎて。

昨日の昼、テラバヤシは、両親と妹と、帰省した時によく行く札幌市内の寿司屋に行ってきました。
円山公園という(京都の円山公園とは全く趣は違うけど)緑豊かな公園のほど近くにある寿司屋です。

札幌は天気も良く、気温も高い日でした。
お年寄りも子供連れも若い人たちも、たくさんの人がお花見や散歩に公園に向かっていったようでした。
お寿司はとてもおいしく、お店の大将の温かい接客にも触れ、よい気分になりました。
帰りには市内のデパートでケーキを買い、家族4人で3時過ぎのおやつにしました。

夕食は、母が作った生姜焼きでした。
ちょうどテレビは夕方のニュースの時間でした。
憲法記念日ということで、各地で行われた護憲派の集会、改憲派の集会の様子が流れていました。

憲法を改正することはいいと思うけど、やっぱり戦争ができるようになるのはダメだ。

テラバヤシ父が、一杯飲みながらそんなことをつぶやいていました。

一日の終わりに、憲法の前文を読みました。
改めて目にするのは、とても久しぶりです。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

この一説が、心にしみました。

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# by terarinterarin | 2016-05-04 00:22 | Comments(0)
ゴールデンウィークが始まって2日目の夕方です。
テラバヤシは、故郷の札幌に帰ってきております。
夏休み、年末年始などなど、休みが取れるときには、なるべく実家に帰るのが、テラバヤシのポリシーです。
最大の理由は、なんだかんだ言って、齢三十云歳まで過ごした故郷が一番くつろげるから、ということです(もちろん、年老いてきた両親の変化を定期的に見ときたいという、若干白々しい親孝行めいた気持ちもないではありませんが)。

ゴールデンウィーク、盆暮れ正月、我々の業界は、きっちり休むタイプの人と、休まずに働くタイプの人と、割に両極端に分かれているようです。
テラバヤシは、「休む時はしっかり休む」派です。
しっかり休んでこそ、尻に火がついて働くべき時にしっかり働ける、と考えておりますし、気持ちの切り替えが下手なタイプなので自分自身で強制リセットしないと、心身ともに持たなくなってしまうからです。

がしかし、世の長期休暇の際にがっつり休むことについて、いまだに多少の後ろめたさを感じないわけにはいきません。
なぜなら、われらの業界、未だに「休まないで働くこと」が美徳、当たり前、それを若干自慢する、みたいな風潮が消えていないから(というよりは、一部に根強く残っているといってもいいかもしれない)です。

先日も、ツイッター上に「ゴールデンウィークに休む弁護士に未来はない」という趣旨ではないかと思われるような書き込みをしている同業者を見つけました(注:その方の発言の真の意図はわからないし、別にその人をたたくつもりも毛頭ないので、誤解されるの嫌だからこの程度にとどめておきます)。

以前にも、やはりSNS上で「いい仕事している弁護士を見ると、休まずに働いている人が多い」という同業者の書き込みを見つけたことがあります。

確かに、「優秀な弁護士」「いい弁護士」という評価が広く流布している弁護士には、様々な方面からの仕事のオファーがあり、そのために休む暇がない状況になりやすいことは否定できません。
そもそも「いい仕事」がなんなのかということ自体も抽象的過ぎて甚だわからんのですが、まあ、今回その点は脇に置いておきましょう。

しかし、これは弁護士に限ったことではなく、「仕事の質」「仕事の量」「仕事にかける時間」というものには、一般的な相関関係なんてありません。
オンオフの切り替え方法、仕事の効率化をどう図っているか、手をかけるところとかけないところをどう分けるか、というのも仕事をする当事者のキャラクターややっている仕事の内容によって、全然違います。

そういう、いくつもの要素が絡み合い、かつ仕事をしている人間のキャラによっても全然違う形で発現する「休む・休まない」という問題を、「休まないで働くやつが偉い・当たり前」みたいな前時代的なくくり方で片づけて、それを正面から言い切ってしまう人がいまだに存在する弁護士業界というのは、実際のところ、人権もくそもないおっそろしい世界なんじゃないかなどと考え込んでしまいます。

テラバヤシは幸いなことに一番最初に入った事務所が、イソ弁をこき使うような事務所ではありませんでした。
弁護士になって間もないころ、なんとなく日曜日に事務所で仕事をしていたら、やはり事務所に出てきたパートナーに「休めるときは休まないとだめだよ」なんて言われたぐらいでした。いい事務所に入ったものでした。

実際、私の同期でとある公設事務所に入った数名は、休みなく働いて、バタバタと倒れていきました…過労で入院した人もいました。

働くときは働く。
休めるときは休む。
弁護士だろうとなんだろうと、「いい仕事」をするための基本は変わらないと思います。

もちろん、仕事が生きがい、仕事をしてこその自分、休みが必要ない心身ともに稀有な人というのも世の中にいるでしょう。
そういう方は別にのべつまくなに働いてもらって構いませんが、それができるのは、そのひとが超人だからなんであって、当たり前とか美徳とか、そういう感覚はどうか持たないでいただきたい。

なお、「休めるときに休む」ということと「するべき仕事をしない」とは全く違います。
仕事を怠けることを推奨しているわけではありませんので、その辺は、誤解なきよう。




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# by terarinterarin | 2016-04-30 18:32 | Comments(0)
昨日今日と、研修の講師の仕事をしてきました。裁判員裁判の法廷弁護技術研修です。
今回の研修は、ひまわり基金法律事務所や法テラス法律事務所への赴任予定者に対して行われたもので、毎年この時期恒例の研修です。
日弁連の法廷技術小委員会の精鋭講師(テラバヤシを除く→謙遜とかではなくて。最近技術がさびているのを実感しているので…)が集結して、全国から集まった、ひまわり・スタッフ弁護士候補者が2日間腕を磨く貴重な機会です(注:知らない方向けにお話しすると、「ひまわり基金法律事務所」というのは、全国の弁護士過疎地に日弁連や各弁護士会、弁護士連合会の支援を受けて設立・運営される公設事務所です)。

「法テラスの悪口書いてるのに行ったのか?」などと思う方もいるかもしれませんが、講師たるもの、呼ばれれば(どこへでも?)行くのが当然なんであって、プログラムディレクターたる今回の研修の統括者からお声をかけていただいたので、出て行ったまでのことなのです(うーん、カッコよすぎたでしょうか)。

今年の研修、ちょっと驚いたことが2つありました。
まずは、参加人数がかなり減っていたことです。
この研修が始まった最初のころ(テラバヤシ法テラス愛知赴任中)は、確か全部で8班あって、1班の人数も7~8人でした(法廷技術研修の1班の最適人数は8名と言われています)。総勢約60名が参加していたことになります。
ところが、今年は全部で6班。1班の人数も6~7名。参加人数は約40名で、全盛期の3分の2でした。

もうひとつ驚いたことは、受講生の皆さんが、いわゆる「意識高い系」だったことです。
技術レベルも高かったのですが、参加意識自体がとても高かったのです。
この研修に参加する弁護士のほとんどは、登録1年目のいわゆる新人さんです。つまり、つい先日まで、司法修習生だった人々。
最近でこそ、研修所の刑事弁護教官の中には、最先端の刑事弁護を行っている弁護士が増え、法廷技術の醍醐味を研修中に伝授する方々もいらっしゃいますが、みんながみんな、そうというわけではありません。
疑問に思うこと、納得がいかないことは、「ちょっといいでしょうか」と積極的に質問し、自分のものにしようという姿勢を多くの人が持っていました。
テラバヤシは昨年は日程の都合がつかず参加していないのですが、記憶にある限り、参加者の中には正直なところ、「とりあえず研修だから出ないとな」という雰囲気がありありな人も少なくなかったので、この「意識高い系」の多さには、かなり驚きました。

本日の昼食は、受講生も講師も、その他のお手伝いの皆さん(弁護士)も一緒にとったのですが、同じテーブルにいたスタッフ弁護士候補者(注:今回集まっている皆さんは、赴任前でも給料自体は法テラスから出ているので、実際にはスタッフ弁護士なのですが、赴任後の人と区別するためにあえて候補者と呼びます。)やお手伝い弁護士から、昨今のスタッフ弁護士の志望状況、赴任前の研修の状況などについてお話を聞くことができました。

ここ1,2年、スタッフ弁護士の志望者や採用がかなり減っているのだそうです。
具体的な数字については把握していませんが、一般の事務所の採用がかなり回復しているそうで、その影響も大きいのではないかという話が聞こえてきました(一般事務所の採用数の回復は、他の筋からも何度か聞いたことがあり、話としては確かなんだろうな…と思います)。
内定を出しても大量辞退が出たり、1年間スタッフ弁護になるための要請をしている事務所へのリクルートにもわずかな人数しか来なかったり。
つまり、数年前までは、本当は一般事務所に入りたかったんだけど入れなかったのでスタッフ弁護士になったという人が多かったのですが、現在は、最初からスタッフ弁護士を目指してやってきた人が少なくとも数年前よりは相対的に多くなっていると言えるのではないかと…
そして、最近は「生活の安定を求めたい」という人は、インハウスに流れる傾向が強いという話も聞きました。スタッフは、遠くに飛ばされちゃう可能性が高いので、転勤したくない人にはスタッフは敬遠するらしく。
この話が本当であるならば(まあ、事実とかけ離れているということはないだろうな)、スタッフ弁護士の仕事の中身よりはその待遇に惹かれて志望したという割合も、相対的には低くなっているはず、なのです。
「意識高い系」が多くなったのも、うなづける話です。

なんですが、ここ最近は「司法ソーシャルワーク」(いまだにこれって何やるのかよくわからん…)をコンセプトとして全面的に押し出してきた法テラス。
これも複数の関係者から聞いたところによると、最近のスタッフ候補者の中で「刑事弁護をやりたい」と正面切っていう人には会わないほどで、本音か建前かわからないけど、スタッフ候補者の多くは「司法ソーシャルワークをやりたくて法テラスに来ました」と判で押したようにおっしゃるんだとか。
であるにもかかわらず、刑事弁護の研修で、この意識の高さ。
司法ソーシャルワークをやりたいんだけど、裁判員が来ても全力でやらせていただきます、という真の「意識高い系」さんばかりなのか、それとも、「司法ソーシャルワークをやりたい」とか言ってはいるものの、本心では刑事弁護をやりたくてやりたくて仕方ない人が実は多かったりするのか…真相のほどはわかりません。

話は変わりますが、最近は、私がスタッフになったころよりも、候補者向けの研修の回数も減っているんだそうで。

最近、西の巨匠まこつ先生もおっしゃっておりましたが、弁護士を独り立ちさせるためには本来ボスの立場にある人が数年かけていろいろ仕込んでしかるべきところ、スタッフ弁護士は、いわゆる新スキームだと1年間の急ごしらえで旅立たせることになるわけです。
いくら赴任先に先輩弁護士がいるとはいえ、赴任後に、ある程度いっちょ前に仕事ができるように仕込むのは、雇った側の責務だろうと思うのです。行ったら、即大量の引継ぎ事件が待っているなんてことも実際あったりするわけですから(最近はないのかな?)。
予算削減なのか何なのか理由はよくわかりませんが、自分のことを振り返ってみると、1年の間にボスに教わり切れなかったことを、法テラスの(当時は少なくとも)充実していた研修がかなりな程度補完していたのは間違いないんであって、そういう補完の機会が減っているのは、優秀なスタッフの育成っていう点では、なんか致命的な気がするんですがね。
それとも研修に代わるシステムが、内部でしっかり構築されているんですかね。
まさか、研修のために頻繁に東京に行かねばならないのが負担だ…とかいう現場の声があるとか、そんなことないですよね…

「研修に来るのは大変だけど、来ればみんなに会えるから」
私の隣にいたスタッフ候補者の方は、目をキラキラさせながら、こうお話ししておりました。
この人の発言を聞いてうなずいていた別の候補者たちの目も、キラキラキラキラしていました。
大げさな話ではなくて、なんだかまぶしすぎて、どう答えていいものやら分からないくらい、希望に満ちていました。

9年前の私もこうだったのかもしれません。ひょっとすると。
今のテラバヤシは、どうなんだろ?
それは、皆さんのご想像にお任せすることにいたします。




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# by terarinterarin | 2016-04-24 00:40 | Comments(0)
本日、テレビ朝日の方からお電話をもらいました(FBには投稿済み)。
朝のワイドショーの担当の方のようです。

用件は、「DNA鑑定をやった人が依頼者にいたら、紹介してもらうことは可能だろうか」というものでした。

そう、最近話題のDNA鑑定。
一番最近のトピックスでは、片岡愛之助がホステスさんとの間に出来た子(一応愛之助さんとの子ということになっているようですが)について、DNA鑑定を要求して、女性の逆鱗に触れたようだ、というお話でしょうか。

DNA鑑定というと、認知とか、嫡出否認とか、親子関係不存在とか、親子の関係に関する紛争の際に実施されるもの、という印象があります。

が、私からすると、ほんの1、2年前くらいまでは、性犯罪とか、殺人や傷害事件なんかで、被害者の着衣なんかについていた、精液、体液、血液の類から犯人の同一性を判定するために実施されるという印象がダントツで強かったわけですが。

今日のテレビ朝日さんの口ぶりは、明らかに、親子関係に関する紛争を前提にしていて、で、当然のことながら丁重にお断りさせていただきました。
そして、私が言うまでもないかなあとか思いつつ、「それ、OKしてくれる人探すの、相当大変だと思いますよ」とお伝えしました。

そうしたところ、お電話の方に、こう言われました。
「当然プライバシーがかなり強く関わるものですので、そう簡単に見つからないとは思ったのですが、こちらの事務所は、そういう案件に特化しているということを、ネットで拝見してお電話をしました。」

「そういう案件」という言葉が、「どういう案件」を指しているかは、必ずしも明確ではありませんでしたが、話の流れからすると、おそらく、離婚とか親子関係とかの(なかなか儲からない系統の)家事事件を指しているのではないかと推測されました。

思わず、即座に「いやいや、特化なんてしてないんですけど」と返しちゃいました。
テレビ朝日さん、若干焦りつつ、諦めて電話を切りました。

「家事事件に特化してる」と思い込まれる理由もわからなくありません。
だって、最近の、ウェブ上で公開された私の記事って、例の「副住職は元AV女優の妻と離婚できるか」とか「写真送るだけの子の面会交流ってありか」とかそういうネタでしたから。
実は、川崎の中1殺人事件の判決が出た時には、少年の不定期刑に関する取材を受けてそれも公表されているのですが、そっちの印象はどうも薄いようで。

ともえ法律事務所のホームページとか見ていただければわかるのですが、実際、仕事を家事事件に特化しているなんてことを書いたことは一度もなく、ただ、独立してから今日まで、事実上、受任する事件の相当割合が家事事件になってしまっている、というただそれだけのことなんであります。

別に、家事事件に特化している弁護士、みたいな言われ方をして不本意だったとか、腹が立ったとか、そういうことは全くありません。
が、最近、弁護士には専門の分野がある、みたいな刷り込みが、世間の皆さんには結構あるのかなと思っていたところ、今日のこの事態だったので、うーん、なんだかなあと思ってしまいました。

確かにね、専門性を前面に押し出している事務所は、結構あります。
刑事専門とか(松潤もそうだな、そういえば)、労働問題専門とか、医療過誤専門という事務所も見たことあるし。
でも、日本に数多ある法律事務所の大半は、比較的こういう事件が多いということはあるんだろうけど、「うちはこれしかやりません。他の類型の事件はよそに行ってください」なんてことは、あまりないんであって、いろんな事件を担当するもの、ではないかと。

だって、刑事専門のとある事務所の先生に、東京家裁の家事部のフロアで会ったことあるよ。
依頼者と思しき人と一緒だったよ。
まさか、少年部に行こうと思って間違ったわけではないよね。

確かにね、マスコミさんなんかは、記事や発言の信頼性を担保するために、「○○がご専門」とか、「✖︎✖︎を多く取り扱う」みたいな言い回しをすることがある意味求められてしまうんだろうと思うんですが、だからといって、その弁護士が「家事事件に特化している」的なことを大っぴらに言っているかどうかも確認しないで、本人に向かってそう言っちゃうというのは、もう、その人自体が弁護士の世界をわからなすぎというか、「弁護士は専門があってしかるべき」と洗脳されちゃっているというか、そんな気がします。

で、テレビがそういう意識のまま作ってしまった企画をそのまま見せられる一般の皆々様も、また、「弁護士には専門の分野があってあたりまえ」みたいな誤解をするという事態になってしまうのではないかと。

そういえば、元裁判官の弁護士が何人かテレビに出てますけど、そういう人たちって、これに強い、あれに強い、あれが専門、みたいなエクスキューズがつかないな。
やっぱりあれでしょうか。過去に裁判官をやっていた人は、ハイレベルなオールラウンダーという暗黙の了解があるのでしょうか。

それもなんかちょっと解せない事態だったりしますけど、まあ、これ以上考えても仕方ないので、ひとまず終わることにします。

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# by terarinterarin | 2016-04-18 18:27 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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