憲法記念日が過ぎて。

昨日の昼、テラバヤシは、両親と妹と、帰省した時によく行く札幌市内の寿司屋に行ってきました。
円山公園という(京都の円山公園とは全く趣は違うけど)緑豊かな公園のほど近くにある寿司屋です。

札幌は天気も良く、気温も高い日でした。
お年寄りも子供連れも若い人たちも、たくさんの人がお花見や散歩に公園に向かっていったようでした。
お寿司はとてもおいしく、お店の大将の温かい接客にも触れ、よい気分になりました。
帰りには市内のデパートでケーキを買い、家族4人で3時過ぎのおやつにしました。

夕食は、母が作った生姜焼きでした。
ちょうどテレビは夕方のニュースの時間でした。
憲法記念日ということで、各地で行われた護憲派の集会、改憲派の集会の様子が流れていました。

憲法を改正することはいいと思うけど、やっぱり戦争ができるようになるのはダメだ。

テラバヤシ父が、一杯飲みながらそんなことをつぶやいていました。

一日の終わりに、憲法の前文を読みました。
改めて目にするのは、とても久しぶりです。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

この一説が、心にしみました。

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# by terarinterarin | 2016-05-04 00:22 | Comments(0)
ゴールデンウィークが始まって2日目の夕方です。
テラバヤシは、故郷の札幌に帰ってきております。
夏休み、年末年始などなど、休みが取れるときには、なるべく実家に帰るのが、テラバヤシのポリシーです。
最大の理由は、なんだかんだ言って、齢三十云歳まで過ごした故郷が一番くつろげるから、ということです(もちろん、年老いてきた両親の変化を定期的に見ときたいという、若干白々しい親孝行めいた気持ちもないではありませんが)。

ゴールデンウィーク、盆暮れ正月、我々の業界は、きっちり休むタイプの人と、休まずに働くタイプの人と、割に両極端に分かれているようです。
テラバヤシは、「休む時はしっかり休む」派です。
しっかり休んでこそ、尻に火がついて働くべき時にしっかり働ける、と考えておりますし、気持ちの切り替えが下手なタイプなので自分自身で強制リセットしないと、心身ともに持たなくなってしまうからです。

がしかし、世の長期休暇の際にがっつり休むことについて、いまだに多少の後ろめたさを感じないわけにはいきません。
なぜなら、われらの業界、未だに「休まないで働くこと」が美徳、当たり前、それを若干自慢する、みたいな風潮が消えていないから(というよりは、一部に根強く残っているといってもいいかもしれない)です。

先日も、ツイッター上に「ゴールデンウィークに休む弁護士に未来はない」という趣旨ではないかと思われるような書き込みをしている同業者を見つけました(注:その方の発言の真の意図はわからないし、別にその人をたたくつもりも毛頭ないので、誤解されるの嫌だからこの程度にとどめておきます)。

以前にも、やはりSNS上で「いい仕事している弁護士を見ると、休まずに働いている人が多い」という同業者の書き込みを見つけたことがあります。

確かに、「優秀な弁護士」「いい弁護士」という評価が広く流布している弁護士には、様々な方面からの仕事のオファーがあり、そのために休む暇がない状況になりやすいことは否定できません。
そもそも「いい仕事」がなんなのかということ自体も抽象的過ぎて甚だわからんのですが、まあ、今回その点は脇に置いておきましょう。

しかし、これは弁護士に限ったことではなく、「仕事の質」「仕事の量」「仕事にかける時間」というものには、一般的な相関関係なんてありません。
オンオフの切り替え方法、仕事の効率化をどう図っているか、手をかけるところとかけないところをどう分けるか、というのも仕事をする当事者のキャラクターややっている仕事の内容によって、全然違います。

そういう、いくつもの要素が絡み合い、かつ仕事をしている人間のキャラによっても全然違う形で発現する「休む・休まない」という問題を、「休まないで働くやつが偉い・当たり前」みたいな前時代的なくくり方で片づけて、それを正面から言い切ってしまう人がいまだに存在する弁護士業界というのは、実際のところ、人権もくそもないおっそろしい世界なんじゃないかなどと考え込んでしまいます。

テラバヤシは幸いなことに一番最初に入った事務所が、イソ弁をこき使うような事務所ではありませんでした。
弁護士になって間もないころ、なんとなく日曜日に事務所で仕事をしていたら、やはり事務所に出てきたパートナーに「休めるときは休まないとだめだよ」なんて言われたぐらいでした。いい事務所に入ったものでした。

実際、私の同期でとある公設事務所に入った数名は、休みなく働いて、バタバタと倒れていきました…過労で入院した人もいました。

働くときは働く。
休めるときは休む。
弁護士だろうとなんだろうと、「いい仕事」をするための基本は変わらないと思います。

もちろん、仕事が生きがい、仕事をしてこその自分、休みが必要ない心身ともに稀有な人というのも世の中にいるでしょう。
そういう方は別にのべつまくなに働いてもらって構いませんが、それができるのは、そのひとが超人だからなんであって、当たり前とか美徳とか、そういう感覚はどうか持たないでいただきたい。

なお、「休めるときに休む」ということと「するべき仕事をしない」とは全く違います。
仕事を怠けることを推奨しているわけではありませんので、その辺は、誤解なきよう。




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# by terarinterarin | 2016-04-30 18:32 | Comments(0)
昨日今日と、研修の講師の仕事をしてきました。裁判員裁判の法廷弁護技術研修です。
今回の研修は、ひまわり基金法律事務所や法テラス法律事務所への赴任予定者に対して行われたもので、毎年この時期恒例の研修です。
日弁連の法廷技術小委員会の精鋭講師(テラバヤシを除く→謙遜とかではなくて。最近技術がさびているのを実感しているので…)が集結して、全国から集まった、ひまわり・スタッフ弁護士候補者が2日間腕を磨く貴重な機会です(注:知らない方向けにお話しすると、「ひまわり基金法律事務所」というのは、全国の弁護士過疎地に日弁連や各弁護士会、弁護士連合会の支援を受けて設立・運営される公設事務所です)。

「法テラスの悪口書いてるのに行ったのか?」などと思う方もいるかもしれませんが、講師たるもの、呼ばれれば(どこへでも?)行くのが当然なんであって、プログラムディレクターたる今回の研修の統括者からお声をかけていただいたので、出て行ったまでのことなのです(うーん、カッコよすぎたでしょうか)。

今年の研修、ちょっと驚いたことが2つありました。
まずは、参加人数がかなり減っていたことです。
この研修が始まった最初のころ(テラバヤシ法テラス愛知赴任中)は、確か全部で8班あって、1班の人数も7~8人でした(法廷技術研修の1班の最適人数は8名と言われています)。総勢約60名が参加していたことになります。
ところが、今年は全部で6班。1班の人数も6~7名。参加人数は約40名で、全盛期の3分の2でした。

もうひとつ驚いたことは、受講生の皆さんが、いわゆる「意識高い系」だったことです。
技術レベルも高かったのですが、参加意識自体がとても高かったのです。
この研修に参加する弁護士のほとんどは、登録1年目のいわゆる新人さんです。つまり、つい先日まで、司法修習生だった人々。
最近でこそ、研修所の刑事弁護教官の中には、最先端の刑事弁護を行っている弁護士が増え、法廷技術の醍醐味を研修中に伝授する方々もいらっしゃいますが、みんながみんな、そうというわけではありません。
疑問に思うこと、納得がいかないことは、「ちょっといいでしょうか」と積極的に質問し、自分のものにしようという姿勢を多くの人が持っていました。
テラバヤシは昨年は日程の都合がつかず参加していないのですが、記憶にある限り、参加者の中には正直なところ、「とりあえず研修だから出ないとな」という雰囲気がありありな人も少なくなかったので、この「意識高い系」の多さには、かなり驚きました。

本日の昼食は、受講生も講師も、その他のお手伝いの皆さん(弁護士)も一緒にとったのですが、同じテーブルにいたスタッフ弁護士候補者(注:今回集まっている皆さんは、赴任前でも給料自体は法テラスから出ているので、実際にはスタッフ弁護士なのですが、赴任後の人と区別するためにあえて候補者と呼びます。)やお手伝い弁護士から、昨今のスタッフ弁護士の志望状況、赴任前の研修の状況などについてお話を聞くことができました。

ここ1,2年、スタッフ弁護士の志望者や採用がかなり減っているのだそうです。
具体的な数字については把握していませんが、一般の事務所の採用がかなり回復しているそうで、その影響も大きいのではないかという話が聞こえてきました(一般事務所の採用数の回復は、他の筋からも何度か聞いたことがあり、話としては確かなんだろうな…と思います)。
内定を出しても大量辞退が出たり、1年間スタッフ弁護になるための要請をしている事務所へのリクルートにもわずかな人数しか来なかったり。
つまり、数年前までは、本当は一般事務所に入りたかったんだけど入れなかったのでスタッフ弁護士になったという人が多かったのですが、現在は、最初からスタッフ弁護士を目指してやってきた人が少なくとも数年前よりは相対的に多くなっていると言えるのではないかと…
そして、最近は「生活の安定を求めたい」という人は、インハウスに流れる傾向が強いという話も聞きました。スタッフは、遠くに飛ばされちゃう可能性が高いので、転勤したくない人にはスタッフは敬遠するらしく。
この話が本当であるならば(まあ、事実とかけ離れているということはないだろうな)、スタッフ弁護士の仕事の中身よりはその待遇に惹かれて志望したという割合も、相対的には低くなっているはず、なのです。
「意識高い系」が多くなったのも、うなづける話です。

なんですが、ここ最近は「司法ソーシャルワーク」(いまだにこれって何やるのかよくわからん…)をコンセプトとして全面的に押し出してきた法テラス。
これも複数の関係者から聞いたところによると、最近のスタッフ候補者の中で「刑事弁護をやりたい」と正面切っていう人には会わないほどで、本音か建前かわからないけど、スタッフ候補者の多くは「司法ソーシャルワークをやりたくて法テラスに来ました」と判で押したようにおっしゃるんだとか。
であるにもかかわらず、刑事弁護の研修で、この意識の高さ。
司法ソーシャルワークをやりたいんだけど、裁判員が来ても全力でやらせていただきます、という真の「意識高い系」さんばかりなのか、それとも、「司法ソーシャルワークをやりたい」とか言ってはいるものの、本心では刑事弁護をやりたくてやりたくて仕方ない人が実は多かったりするのか…真相のほどはわかりません。

話は変わりますが、最近は、私がスタッフになったころよりも、候補者向けの研修の回数も減っているんだそうで。

最近、西の巨匠まこつ先生もおっしゃっておりましたが、弁護士を独り立ちさせるためには本来ボスの立場にある人が数年かけていろいろ仕込んでしかるべきところ、スタッフ弁護士は、いわゆる新スキームだと1年間の急ごしらえで旅立たせることになるわけです。
いくら赴任先に先輩弁護士がいるとはいえ、赴任後に、ある程度いっちょ前に仕事ができるように仕込むのは、雇った側の責務だろうと思うのです。行ったら、即大量の引継ぎ事件が待っているなんてことも実際あったりするわけですから(最近はないのかな?)。
予算削減なのか何なのか理由はよくわかりませんが、自分のことを振り返ってみると、1年の間にボスに教わり切れなかったことを、法テラスの(当時は少なくとも)充実していた研修がかなりな程度補完していたのは間違いないんであって、そういう補完の機会が減っているのは、優秀なスタッフの育成っていう点では、なんか致命的な気がするんですがね。
それとも研修に代わるシステムが、内部でしっかり構築されているんですかね。
まさか、研修のために頻繁に東京に行かねばならないのが負担だ…とかいう現場の声があるとか、そんなことないですよね…

「研修に来るのは大変だけど、来ればみんなに会えるから」
私の隣にいたスタッフ候補者の方は、目をキラキラさせながら、こうお話ししておりました。
この人の発言を聞いてうなずいていた別の候補者たちの目も、キラキラキラキラしていました。
大げさな話ではなくて、なんだかまぶしすぎて、どう答えていいものやら分からないくらい、希望に満ちていました。

9年前の私もこうだったのかもしれません。ひょっとすると。
今のテラバヤシは、どうなんだろ?
それは、皆さんのご想像にお任せすることにいたします。




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# by terarinterarin | 2016-04-24 00:40 | Comments(0)
本日、テレビ朝日の方からお電話をもらいました(FBには投稿済み)。
朝のワイドショーの担当の方のようです。

用件は、「DNA鑑定をやった人が依頼者にいたら、紹介してもらうことは可能だろうか」というものでした。

そう、最近話題のDNA鑑定。
一番最近のトピックスでは、片岡愛之助がホステスさんとの間に出来た子(一応愛之助さんとの子ということになっているようですが)について、DNA鑑定を要求して、女性の逆鱗に触れたようだ、というお話でしょうか。

DNA鑑定というと、認知とか、嫡出否認とか、親子関係不存在とか、親子の関係に関する紛争の際に実施されるもの、という印象があります。

が、私からすると、ほんの1、2年前くらいまでは、性犯罪とか、殺人や傷害事件なんかで、被害者の着衣なんかについていた、精液、体液、血液の類から犯人の同一性を判定するために実施されるという印象がダントツで強かったわけですが。

今日のテレビ朝日さんの口ぶりは、明らかに、親子関係に関する紛争を前提にしていて、で、当然のことながら丁重にお断りさせていただきました。
そして、私が言うまでもないかなあとか思いつつ、「それ、OKしてくれる人探すの、相当大変だと思いますよ」とお伝えしました。

そうしたところ、お電話の方に、こう言われました。
「当然プライバシーがかなり強く関わるものですので、そう簡単に見つからないとは思ったのですが、こちらの事務所は、そういう案件に特化しているということを、ネットで拝見してお電話をしました。」

「そういう案件」という言葉が、「どういう案件」を指しているかは、必ずしも明確ではありませんでしたが、話の流れからすると、おそらく、離婚とか親子関係とかの(なかなか儲からない系統の)家事事件を指しているのではないかと推測されました。

思わず、即座に「いやいや、特化なんてしてないんですけど」と返しちゃいました。
テレビ朝日さん、若干焦りつつ、諦めて電話を切りました。

「家事事件に特化してる」と思い込まれる理由もわからなくありません。
だって、最近の、ウェブ上で公開された私の記事って、例の「副住職は元AV女優の妻と離婚できるか」とか「写真送るだけの子の面会交流ってありか」とかそういうネタでしたから。
実は、川崎の中1殺人事件の判決が出た時には、少年の不定期刑に関する取材を受けてそれも公表されているのですが、そっちの印象はどうも薄いようで。

ともえ法律事務所のホームページとか見ていただければわかるのですが、実際、仕事を家事事件に特化しているなんてことを書いたことは一度もなく、ただ、独立してから今日まで、事実上、受任する事件の相当割合が家事事件になってしまっている、というただそれだけのことなんであります。

別に、家事事件に特化している弁護士、みたいな言われ方をして不本意だったとか、腹が立ったとか、そういうことは全くありません。
が、最近、弁護士には専門の分野がある、みたいな刷り込みが、世間の皆さんには結構あるのかなと思っていたところ、今日のこの事態だったので、うーん、なんだかなあと思ってしまいました。

確かにね、専門性を前面に押し出している事務所は、結構あります。
刑事専門とか(松潤もそうだな、そういえば)、労働問題専門とか、医療過誤専門という事務所も見たことあるし。
でも、日本に数多ある法律事務所の大半は、比較的こういう事件が多いということはあるんだろうけど、「うちはこれしかやりません。他の類型の事件はよそに行ってください」なんてことは、あまりないんであって、いろんな事件を担当するもの、ではないかと。

だって、刑事専門のとある事務所の先生に、東京家裁の家事部のフロアで会ったことあるよ。
依頼者と思しき人と一緒だったよ。
まさか、少年部に行こうと思って間違ったわけではないよね。

確かにね、マスコミさんなんかは、記事や発言の信頼性を担保するために、「○○がご専門」とか、「✖︎✖︎を多く取り扱う」みたいな言い回しをすることがある意味求められてしまうんだろうと思うんですが、だからといって、その弁護士が「家事事件に特化している」的なことを大っぴらに言っているかどうかも確認しないで、本人に向かってそう言っちゃうというのは、もう、その人自体が弁護士の世界をわからなすぎというか、「弁護士は専門があってしかるべき」と洗脳されちゃっているというか、そんな気がします。

で、テレビがそういう意識のまま作ってしまった企画をそのまま見せられる一般の皆々様も、また、「弁護士には専門の分野があってあたりまえ」みたいな誤解をするという事態になってしまうのではないかと。

そういえば、元裁判官の弁護士が何人かテレビに出てますけど、そういう人たちって、これに強い、あれに強い、あれが専門、みたいなエクスキューズがつかないな。
やっぱりあれでしょうか。過去に裁判官をやっていた人は、ハイレベルなオールラウンダーという暗黙の了解があるのでしょうか。

それもなんかちょっと解せない事態だったりしますけど、まあ、これ以上考えても仕方ないので、ひとまず終わることにします。

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# by terarinterarin | 2016-04-18 18:27 | Comments(0)
裁判所が動かないこの時期。
久しぶりにのんびりした時間を過ごしている同業者の皆様も多いと思います。
たまっていた起案をこの隙に!!!ということになって、結局忙しいという方も少なくないでしょうが。

東京や大阪を初めとする大都市圏では、数年前から「インハウスロイヤー」すなわち企業内弁護士と呼ばれる人が増えていることと思います(激増、と言っていいのか?)。
司法修習終了後、一般企業に就職することを選んだ人の中には、弁護士登録をする人としない人の両方がいます。
登録するかしないかについては、必ずしも自分の意思で決められないことも少なくないと思いますが、弁護士登録をするとなると、弁護士登録をしない場合と異なり、相応の負担を負うことになってしまいます。

例えば、会費の負担。少なくとも月数万円に及びます。
そして、会務の負担。
さらには、新人となると、東京弁護士会の場合、必ず1件は国選の刑事事件を受任しなければならないというルールがあります。

テラバヤシは、新規登録者向けの刑事弁護ゼミの講師を毎年担当させられて、もとい、担当しています。
一班に十数名の新規登録弁護士がいて、ゼミの後も、担当する刑事事件について相談を受ければ助言しています。
班の中には、ここ数年、毎年必ずインハウスロイヤーの人がいます。
そういう人たちから、よく相談を受けるのが、電話問題とFAX問題です。

依頼者本人や家族からの連絡、警察署からの接見希望の連絡などを会社の電話で受けるわけにはいかない、しかし、自分の携帯の番号を教えるのは躊躇する、どうすればいいか?
法テラスから送ってくるFAX、会社のFAXで受けてしまうと、自分がすぐに取れなかった場合にほかの社員が見てしまう、何かいい方法はないか?

相談を受けたときには、電話については、仕事用の携帯電話をひとつ持った方がいいというアドバイスをしています。
別に通話だけできればいいのですから、飛び切り安い通話だけのプランのものでかまわないわけで。
FAXについては、インターネットFAXとハンディスキャンの購入あるいはスマホにスキャンアプリを入れることを提案しています。

しかし、提案はするものの、個人的に最善な策と思っているわけではありません。

まず、経済的な負担が発生するということが挙げられます。
格安の携帯プランとはいえ、月2000円くらいはかかる。
インターネットFAXも、テラバヤシが契約しているのは毎月送受信1500枚までで1500円。
ハンディスキャンも価格は1万円くらいするでしょう。
さらに、法テラスや裁判所は、基本的に携帯電話には連絡をくれません(休日を除く)。
法テラスは、国選事件の指名通知をインターネットFAXの番号には流してくれないという噂もあります(真偽のほどを直接法テラスに確認したことはないのですが)。
つまり、軽くはない経済的な負担を負ったうえ、100パーセント問題が解消されるわけではないのです。
インハウスを続けるのであれば、1件やった後は、国選はやらない、という人も少なくないでしょうし。

委員会活動も、基本的には会社の業務時間帯にかかる時間に行われるため、出席することが難しいことも少なくないのではないでしょうか。

もちろん、「インハウスロイヤー」という存在が全くなかった時代?に、国選や会務の運営方法が決められたわけですから、こういう問題が出てくるのは当たり前の話。

しかし、旧来の「弁護士」以外の形で弁護士資格を保持して働く人が単位会によっては一定数いて、かつ、今後もある程度増えていくことが予測されるのであれば、そろそろ「インハウスロイヤー向け」の支援や対策を、きちんと形にしないといけないのではないかなあと思うのですが、どうなんでしょうか。
会則の変更をしなければならないなど、かなり大掛かりな事態になると思うので、反対派が一定数いるとなかなか進まないとは思います。が、これ、手を打たないと「旧来型の弁護士でない限り、弁護士として認めない」というメッセージを、「旧来型でない」弁護士に送ることにもなりかねず、なんというか、(今でもそう感じているインハウスロイヤーは一定数いるようですが)業界内の差別問題を招く・助長することとなり、「自由と正義」を標榜する(一応ね)弁護士の世界としては、いやーな将来が待っているような気がしてならないのです。

例えば、東京弁護士会のケースでは、インハウスロイヤーとして稼働することになった新規登録弁護士については、国選1件受任ルールを撤廃し、将来、一般の事務所に登録することになった時に新規登録者と一緒に受講してもらうという代替策があると思います。
それでは、他の新規登録弁護士に対して不公平だというのであれば、刑事弁護関係の研修をeラーニングが何かで1つ2つ受講することによって代替するという方法もありうるでしょう。
どうしても、国選を新規登録時に受任するルールを変えられないということであれば、裁判所からの連絡を弁護士会で受けてあげて、それをメールなり携帯なりに連絡するような態勢を整えるとか、インターネットFAX解禁にするとか、柔軟に連絡が取れる方法を会が主導して進めていく必要があるんじゃないかと。

本来であれば、インハウスロイヤーの皆々様から「こういうことで困ってます」というまとまった声が会の方に届くのが一番良いのだと思うのですが、なかなか会に顔を出せないという状況では、インハウス同士が友人関係になる機会にもあまり恵まれず、したがって、まとまって意見を出す機会も設けにくい、声なき声が増幅していくという悪循環に陥っているようにも思えますし。

もっと企業側が弁護士の活動に理解を示すべきだ、なんて言っちゃう人もきっといるんだろうなあ。
でも、その理屈は傲慢だと思うし、われらの業界だって、イソ弁を自分の小間使いくらいにしか思ってなくて、会務も国選もやらせたがらないボス弁が少なくないですよね。人のこと、言えないよね。

というわけで、来年の新規登録者の刑事弁護研修の際には、今年と同じ相談を聞かないで済むようになっていればいいなと願うのでした。




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# by terarinterarin | 2016-04-03 18:17 | Comments(5)
とある50代の女性弁護士が、5年間弁護士としての収入がないという理由で、弁護士登録を抹消した、というWEB記事が話題になっていました。
実は、この手の話題、割に身近で最近聞いたばかりです。知り合いの友人の弁護士が、毎日遅くまで働いているのに収入に乏しく、奥様の収入で家計が回っているというお話。

最近になって、この手の話題が大きく取り上げられるようになったため、こういう事象は、大増員時代だからこそ現れたもの、と思われがちです。
が、テラバヤシは、案外そうでもないんじゃないか、昔から、我らの業界、「仕事が来る人と来ない人」、かなりはっきり分かれちゃう業界だったんじゃないか、などと考えるのであります。

まだ法テラス愛知にいたころですが、債務整理事案で、相手方のヤミ金に代理人が付いたことがありました。
訴訟外の交渉でしたが、テラバヤシの依頼者を誹謗中傷するような、案件と何も関係なさそうな内容の書面を送りつけてくるような弁護士でした。
私よりも何十期も先輩の弁護士でした。
事件が解決した後、1年くらい経った後でしょうか。その弁護士は、自ら命を絶ちました。
自身が後見人を担当している高齢者の預金を使い込んでしまったのです。裁判所から後見人を解任され、後任の後見人からは訴訟を提起されて、会からも重い懲戒処分を受けるのがほぼ確実となっていました。
事務所は自転車操業だったため、返済の資金がなく、生命保険金で返してほしいという遺書を残して自殺した、という話を聞きました。

東京の弁護士の間では(少なくとも東京では、という意味です。最近は地方でも大きな単位会ではあるのかもしれません)、「国選族」という業界用語が比較的古くから流通しています。
不名誉な呼び名です。
他に仕事がないので、国選の刑事事件を(超)積極的に受けている弁護士を指す言葉です。
「族」とつくくらいですから、まあ、それなりの人数がいたわけです。どれくらいかはわかりませんが。
記録をろくに読まず、ほんの数行で控訴趣意書の記載を済ませてしまうような弁護士もいたりします(しかもそれが否認事件だったりするんだな。もちろん、しっかりとした仕事をしている方もいらっしゃいますが)。
要は、まだ、国選事件が費用が安いためにやりたがる弁護士が少なかったころから、手を抜いてもとがめられないのをいいことに、「薄利多売」とばかりに、いっぱいいっぱい国選事件を受け、食いつないできた勢力でした。
しかし、東京では(第〇東京弁護士会はどうかわからないですが)、受任件数の制限、裁判員裁判対象事件の研修受講義務化などが課されるようになったため、国選族の皆々様は非常に生きにくい世の中となっていることは間違いありません。

他にも、解任された前弁護人に記録の貸与などを求めて電話したら、何度かけても出ない(後に、事務員を置かず一人でやっているおじいちゃん先生であることが判明。ギクッ、どこかで聞いた話だ)、たちの悪い案件で、暴力団や反社会集団にいいように使われているおじいちゃん弁護士など、「あ~、仕事ないからこんな事件に食いついちゃったんだなあ」という悲哀がにじみ出ている状況などに何度か遭遇したこともあり。

個人的には、ヒトには向き不向きってものがあって、難関と言われる司法試験を通ったとしても、法曹としての業務にその人が向いていることは保障されているわけではないと思うのです。だって、司法試験はあくまで、「法律的な知識・理解」について、法曹となるべき基準をクリアしているかどうかを判断するものでしかないわけですから。
テラバヤシは、いわゆる旧試験合格者で、法科大学院で教える立場になったこともないので、法科大学院でどういう教育が行われているかは、正直言って分かりません。
しかし、最近の若い合格者や修習生なんかから聞くところから推察するに、「法曹として必要な能力・個性」を磨くようなカリキュラムが広く設けられているというわけではないようだし、よしんば設けられているとしても、どうしたって「まずは合格すること」が目的になるわけだから、特段重視されているというわけでもないんでしょう。そんなカリキュラム1つで、毛虫が白鳥になるみたいに人間簡単に変われるものでもないですし。

ただ、本来「法曹に不向き」な性格の人であっても、法曹としての仕事を続けていくうちに、自分なりに色んなことをこなしていくコツ、みたいなものを会得して、知らず知らずのうちに、なんとかやっていけるようになったりすることもあるものだと思うのです。
やや暴言ですが、私の周りを見てみると、この人どう考えても友達いないよな、絶対この人社会性ないよな(再び、ギクッ。どこかで聞いた話)、よく弁護士の仕事できてるよななんていう人は、もうたくさんたくさんいるんであって(一応自分も含めときます)、要は、弁護士なんて「よく仕事来てるね、あなた」という人のカタマリといってもいいくらいだと思うのです。

なんで、話題になった、50代の元女性弁護士の「自分はこういう性格でこういうことには向いていないから」仕事を得ることができなかった、という総括は、ちょっと違うんじゃないのかなあと思ったりするわけです。

先日、一緒に事件をやってる弁護士とも話していたのですが、弁護士が仕事を選ぶわけではないのです。事件が弁護士を選んでやってくるのです。
これは弁護士に限ったことではないですが、その人に何ができるか、その人は何が向いているか、というのは、自分が決める問題ではなくて、その人の周りにいる人が決める問題ではないかと、そう思います。それが思わぬ仕事を生んだりするのだと思うのです。自分ができることを教えてもらえる機会でもあります。

だから、自分自身は、たとえ「これは苦手だな」と思うところがあっても、何が得意とか何が苦手とか強調せずに、「ご依頼お受けします」というスタンスでいるのが正解ではないのかなあと思うのです(とはいえ、自分のメンタルが崩壊しないようある程度の調整は必要だと思いますが、それはまた別次元の話ではないかと思います)。
その結果、弁護士としての自分に対してオファーが一定期間ないということであれば、諸般の事情を考慮して撤退し、別な世界に行くのは全然かまわないでしょう。
法曹資格は「使っていいですよ」というだけであって、受かった以上使わなあかんという資格ではないのですから。
ただ、「仕事がなくて弁護士をやめた」という人は、えてして、「自分はこれをやりたい」「これはできない」にこだわる傾向が強いように思います。

「刑事弁護がやりたい」と思って、法曹を目指し弁護士になったテラバヤシ。
最近は仕事の8割は離婚、男女トラブル。
結婚も離婚もしておらず、まして子供すらおらず、離婚事件がたくさんやってくるように営業活動した記憶もないのですが、今そういう状態になってしまっています。
女性弁護士は家事事件が多くなるとはよく言われますが、それにしてもこの状況。やはり、「どんな仕事をするか」は自分が決める問題ではないんだなあとつくづく思う今日この頃です。

そう考えてみると、弁護士の「ワーキングプア」を回避するための基本的なポイントは、自分のことを見てくれるヒト(できれば同業者)を絶やさないことではないかと気付かされます。
まだまだテラバヤシも、いつ仕事がなくなるかと不安です(こういう不安がない弁護士は、おそらくいないだろう)。
こんなちっぽけなひとり事務所、つぶれるときは、きっと呆気ないんでしょう。
曲がりなりにも1年半やってきて、最後に救ってくれるのは「自分を見ていてくれる他人」の存在だと、つくづく思うのであります。
そして、そういう存在を持たない人というのは、たとえ弁護士をやめて他の仕事を始めたとしても、やっぱり仕事を得るのに苦労するのかもしれないな…なんて、考えてしまうのでした。





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# by terarinterarin | 2016-03-27 22:41 | Comments(2)
連休ということもあり、久々のほぼ2連投です。

覚せい剤の所持と使用で起訴された清原さんが保釈されました。
保釈保証金は、報道によれば500万円。
保釈後、清原さんは松戸市内にある病院に直行(しかし、どうも、それは覚せい剤治療の専門ではなく、糖尿病治療の専門の病院とのことです)。
報道によれば、デラックスな個室への入院とのことです。

確か、ASKAさんの覚せい剤所持・使用の折も、高額の保釈保証金を積んで保釈された後、覚せい剤依存の治療のため、病院に入院したという話でした。

清原さんの件があってから、「覚せい剤の依存は病気。更生のためには治療が必要」という、刑事事件をある程度担当している弁護士からするともはや常識的な話が、やっと世間にそこそこ流布することになり、それ自体はよかったと思っています。
が、今回の清原さんの件といい、ASKAさんの件といい、今後の薬物事犯の保釈の実務・量刑相場の傾向を、悪い方向で予感させるもので、なんだか気分がよろしくないのも事実です。

とある弁護士が、覚せい剤の使用事犯では、保釈を得るために治療計画を裁判所に出すことが必須みたいなことをWEB記事に書いているのを目にしました。保釈後病院に直行するのが、薬物事犯ではもはや必須なのだとでも言いたげな内容です。
テレビのワイドショーなんかでも、「保釈をとったらまずは治療に専念することになりますね」みたいなコメントをする元警察官を目にしたりしました。

はっきり言いますが、日本という国の中で、薬物依存症について専門的に治療を行っている精神科は、まだまだ少数です(大学病院の多くは、薬物依存症患者の治療はお断りと言われています)。
まして、入院施設がある病院なんて、ごく限られています。
病院に予約をとって診察を受けたり検査を受けたりするのだって、大変です。
まして、入院できるケースなんて、よほど重度なケースに限られ、「一度入院して集中的に治療した方がいいですね」くらいのレベルの人は、順番待ち。
保釈後すぐに入院できる段取りが取れるなんて、よほどお金があるケースに限られるでしょう。何しろ、その病院の医師は、おそらくは患者候補者たる被疑者被告人本人を診察しているわけではないでしょうから(もちろん一部のきちんとした弁護士は、接見室での面談ができるよう段取りをとりますが、ASKAさんや清原さんのケースなんかだと時間的にその段取りをとるのはかなり厳しいんじゃないかと思う)。
清原さんの場合は、おそらく、糖尿病の状態が命にかかわるレベルだったと思われ、そちらの治療を最優先したものと思われますが、入院の段取りがスピーディーにとれた背景事情は、おそらく同じでしょう。

テラバヤシが危惧するのは、「薬物事犯で保釈をとれるケースが、保釈中の治療を約束し、その具体的なプランが裁判所に提示されるケースに限られる」運用がこの先定着し、かつ、初犯であったとしても、執行猶予判決をとれるケースが保釈中に一定程度の治療を行い、何らかの効果をあげられたケースに限られるようになってしまう、ということです。

不公平でしょう。こんなの。
お金があったり、薬物依存症専門の病院に伝手がある弁護士が弁護人についたりしたケースでは、すんなり保釈されたり執行猶予が取れたりするけれど、そうじゃないケースでは、身体拘束が無駄に長引くことになりかねないわけですから。

本来、違法薬物使用の問題は、刑罰論、果ては犯罪論として論じるべき問題です。
かなり斬新な案ではありますが、覚せい剤や大麻を合法化して、その代わり高額の税金をかけることによって流通を防ぐという方法も一案です(私は必ずしも賛成ではありませんが、実際、このような考え方自体はあります。喫煙者を減らすのとほぼ同じやり方です)。
そこまで斬新なことは言わないまでも、そもそも、生命・身体拘束・財産のみを柱とする刑罰のみで、種々様々な背景や本質がある犯罪について、これを犯した者を処罰しようという考え方そのものが古いのです。
薬物使用者については、その依存の程度・症状の程度に合わせて、治療を受けることを刑の内容とする、あるいは司法取引や指定病院での治療を受けることを条件に不起訴処分とすることを検討すべきではないかと思うのです。

つまり、何が言いたいかというと、薬物依存症対策は本来国家がしなければならない問題であるにもかかわらず、このままでは、被疑者被告人の自助努力・弁護人の伝手に委ねられ、結果的に不公平な運用が定着してしまいかねないのではないかということです。

これは、実は、薬物事犯の問題に限られる話ではないでしょう。
知的障害等の障害がある被疑者や被告人の刑事弁護も、近年社会福祉士や福祉施設との連携をとって「更生支援計画」を弁護人が提出することにより、不起訴や執行猶予に持ち込もうという流れが定着してきています(その流れについては、地域差もあるようですが)。
これも、本来は、国が知的障碍者に対する刑罰の在り方として本来論ずべき問題を、被疑者被告人や弁護士の自助努力に委ねる流れを作るものであり、結果としてアンラッキーな被疑者被告人が救われない結果を招きかねないのではないかと危惧します(尽力している弁護士や福祉関係者の皆さんの働きを何ら否定するものではありませんので、誤解されませぬよう)。

窃盗や詐欺などの財産犯で、金がないばかりに刑が重くなるという事態は、致し方ないとは思います。それは被害回復ができないのですから、それに見合った刑を受けるのは、言葉は悪いが理に適っていると言わざるを得ないでしょう。

しかし、被害者がいない犯罪の薬物事犯で、金や人脈で受ける刑に差が出てしまう、知的障がい者が起こした事件で、その人のめぐりあわせで受けるべき刑に差が出てしまう、というのは、処分の公平性という観点から見た場合、あまりに不条理なのではないでしょうか。

清原さんの保釈劇は、そんな胸くそ悪い昨今の「処罰」の実態を、思い起こさせるものなのでした。








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# by terarinterarin | 2016-03-19 23:36 | Comments(0)
どうも。ご無沙汰しております。
前回の投稿から1カ月以上が経ってしまいました。
できるだけ月に2~3回は更新しようと思っているのですが、やはり、都会の片隅の「ボッチ事務所」とはいえ、この時期はかなり忙しく(多くの弁護士は2月から3月にかけては大忙しなのではないかと思います。あと12月ですかね)、考え考え投稿するゆとりというものが、時間的にはもちろん、精神的にもありませんでした。

さてさて。
もう結構前の話になりますが、テラバヤシが弁護士ドットコムに書いたとある記事がヤフートピックスで数日の間、トップを張っていたということがありました。とある寺の副住職さんがホステスさんと結婚したら20年前にAV女優だったことが判明、これを理由に離婚できるか、という記事です。
書いた本人は、フェイスブックで知り合いの弁護士がシェアしてるのを見て、初めて話題になっていることを知り、その後、依頼者さんや他業の友人なんかに「見ましたよ~」などと言われて、結構みんな見てるんだなあなんて思ったという状況だったのですが。

以前、やはり自分が書いたWEB記事がヤフートピックスのベスト10に入り、結構な話題になったところ、ついてるコメントの9割が中身を読んでいない、いわれのない誹謗中傷だったということもあり、今回もなに書かれているかわかったもんじゃないな…と思いつつ、恐る恐る引用先のコメント等を見ていました(見なきゃいいのに、と思いつつ)。
そうしたところ、大半は、チクッた親がクレーマーだろう、とか、坊さんのくせして職業で人を差別するのか、とか、このAV女優誰だ、とか、かなりまともなコメントばかりで、ほっと胸をなでおろし、逆にコメントを読むのが楽しいという状態になりました。

そんな中、この記事をシェアしたとある方が、こんな投稿をしていたのを見つけました。
「弁護士というのはたいがいクズやけど、この人はまともなんやな」(引用が不正確だったら申し訳ありません)。

いや。
なにも、自分が「まとも」と評されたことを自慢しているわけではありません。
私がこの記事で書いた法的な(というか実務的な)見解は、離婚事件をある程度担当している弁護士であれば、まあ大体こういう思考回路で考えるだろう(字数の関係でいくつか落としている細かい要素はありますが)というもので、私の感覚からすると、ごく常識的な落としどころと思えるものでした。
実際、私の記事を読んだ同業者(複数)も、「まあ、こんなもんじゃないすか」「極めて常識的な内容」と評してくれておりました。
つまり、この方の感覚を基準とすると、「まとも」な弁護士は、テラバヤシの周りだけでも相当数おり、したがって全体的に見れば、「まともな感覚」を持っている弁護士というのは、決して少数派ではない…と思うのであります。

がしかし、世の人の弁護士に対するイメージが悪いというのは、最近身に染みて感じるところでもあります。
打ち合わせ中に、依頼者の方から、「弁護士っていうのは黒も白にするような輩ばかりだから」なんて言われたこともありますし、相談の後で依頼したら費用はいくらくらいになりますか、と聞かれたので、私の思うところを話したら、「先生、儲かってますか」なんて言われたこともあり(たいていの弁護士は、とんでもなくぼってると思われているのだろうか)。
WEB上の記事で、「弁護士は訴訟にした方がもうかるから、訴訟の手前で示談でまとめようとしないもんだ」なんて書いてるのを目にしたこともありますし(注:ちなみに、これ、多分計算根拠がないと思います。早く終われば違う事件を担当することもできるわけですから)。

で、個人的には「まともな弁護士たくさんいるぞ」とは思うものの、「まあ、イメージ悪くても仕方ないよなあ」なんて思うことも、最近しばしばあり…

最近、弁護士の不祥事のニュースが結構多いというのが、まず挙げられると思います。預り金を横領したとかいうニュースが多いですが、それ以外にも事件を起こして逮捕されたとか、有名な弁護士さんが依頼者から懲戒請求されたとか、そういうニュースが流れる頻度が、数年前よりも格段に増えた印象があります。
おそらく、テレビなどのマスメディアに出る弁護士が増えて、弁護士がある意味「有名人」枠のひとつの肩書になったり、突っ込んでも許される人種という認識が広がったからなのではないかと思うのですが。

こういうニュースが流れると「弁護士は金の亡者」「金が欲しかったら何でもする」「高い金もらって何しとんじゃこら」→金満のろくでもない奴みたいなイメージが広がってしまうんだろうな…と。

そして、ここ最近、事件の相手方についている弁護士とか、依頼者が過去に頼んでたり相談していたりした弁護士とか、友人の同業者から聞く弁護士の対応や言動が、「は?それやる?」と感じることが増えてきました。
あまり詳しくは書けないのですが、とある金銭請求を受けている(と思しきとあえて書きます。理由はこの後読んでもらえればわかります。)事件で、「これこれこういう理由で慰謝料を払え」と長々書いた書面を送りつけてるのに、「いくら支払え」ということが書いていない。挙句の果てに、代理人のところに電話してきて「争うのか。裁判になってもいいのか。裁判でも争うのか」なんて語気を荒げて迫ってくる。
これ、一歩間違うと、「ほら、誠意を見せてもらおうか、誠意を」なんて人気のない路地裏に人を押し込んじゃうチ○ピ●さんの恐*とおんなじことになっちゃうと思うんですけど。
訴訟で、原告側が請求原因を新たに加えたのに、「必要だったら反論します」と弁論準備期日中に発言しちゃって、裁判官に「このままスルーしたら認めたことになっちゃいますけど」と指摘された弁護士とか(修習生でもわかるレベルだろ)。
そのほか、投資詐欺の案件なんかで、反社会的集団の雇われ弁護士が、受け子など下っ端の弁護人にも就任して、半分脅しながら供述の口裏合わせを行うようにさせるとか、弁護人になっていないし、なる予定もないのに「弁護人になろうとする者」として接見し、同様のことを行う、なんてことも複数耳にしたことがあります。

こういう話が、噂として、クチコミとして、徐々に広まり、「弁護士ってやっぱり、くずばっかりだよね」みたいな結論が導かれることに
なってしまうんではないかと。
むしろ、テレビとかインターネットとか、不祥事とかなんかより、こっちの方がよっぽど怖いよな、と。

でもね、やっぱり、大概が、こういうアレな弁護士ってことはないと思うんですわ。
だって、テラバヤシの周りにはほとんどいないもん(全くとはいえないが)。
テラバヤシの周りだけに天使がそろってる、なんてことはあるまい。
やっぱり、こういうよろしくない「クズ」的評価を受ける人というのは、珍しいから目立つし、評判が飛んで行っちゃうわけですよ。
こういう人がね、多くのまじめにやっている弁護士の努力を無にしてくれちゃうわけですよ。

ここ数日にぎにぎしい話題になっているショーン川上さんの件を受けて、とある経営コンサルタントの方が「経営コンサルタントみんながこんなふうにうさんくさいと思わないでほしい」という趣旨のコメントを出していました。
経営コンサルタントもまた「うさんくさい」感が漂う職業名として、弁護士と同じにおいを発しています。

世間の皆さんよ。
弁護士がみんなクズだと思わんでください。
弁護士がみんなうさんくさいと思わんでください。
アレだと思わんでください。
額に汗して、地をはいつくばって、家にも帰れず仕事に精を出す弁護士がたくさんいるのです。

と、大きな声で叫んで、今日は終わりにしたいと思ひます。


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# by terarinterarin | 2016-03-17 22:33 | Comments(0)
川崎中1殺人事件判決を受けての投稿と思われてる方が多いと思いますが、その通りです(最近このパターン、多いな)。
昨日出たこの事件の判決。とあるサイトからの取材を受け、判決についての簡単な感想と少年事件特有の「不定期刑」について、コメントをさせてもらいました。

少年事件については以前にも違うサイトでコメントをしたことがあるのにこんなことを言うのは何なんですが、自分自身がやるときには、かなりな苦手意識があります。
国選事件で少年事件の配点を受けると、いまだにものすごく緊張します。

まず、私の感覚では、「時間がない」。
裁判員対象事件ではない少年事件の場合、捜査が終わって家庭裁判所に事件が送られて、観護措置決定が出てから(つまり少年が鑑別所に入ってから)、原則4週間以内に少年審判が行われることとなります。
そして、成人の事件の場合は、起訴されてから裁判になるまでの間、裁判官は記録を見ていません。ですので、それまでの間に、判決が決まっているということも(少なくとも建前上は)ない。

がしかし、少年事件の場合、審判が始まるまでの間に、裁判官は捜査記録を見ており、また社会記録という少年の成育歴に関する記録も見ており、「裁判官の片腕」たる調査官という人が処分に関する意見書を作成している。
この意見書の影響が、裁判官にとってはかなり絶大。
だから、少年に対する処分を軽くするための活動というのは、調査官が意見書を書く前にある程度結果を出すところまで行ってなくちゃいけないわけです。
示談するとか、就職口見つけるとか、そういうことを短期間で調整するというのは、結構至難の業だったりします。
(自白事件前提です。)

そして、少年事件の最大の難しさは、処分の見通しが立ちにくいところにあります(あくまでテラバヤシ的にはですが)。
成人の刑事事件の場合は、基本的には、どんなことをどんな方法でやったのか(結果の重大性とか態様の悪質性とかですね)ということで、量刑のおおよそが決まります。あとは前科がどれくらいあるかとか、示談しているかとか、その他考慮してあげてよい事情があるかということが、ある程度加味されるにすぎません。
ですので、事件を受けた時点で、ある程度量刑の見通しが付きます。

がしかし、少年事件の場合、少年の処分(保護観察にするか、少年院に入れるか、入れるとしてどれくらいの長さが必要か)は、「やったことの悪さ」だけでは決まらないのです。
重要な指標として「要保護性」というものがあるのです。この要保護性というもの、一言で言うと、「再び非行に陥らないようにするための改善教育の必要性」ということだと思うのですが、もう少し分解してみていくと、少年の性格がどれくらい非行的か、少年の環境がどの程度非行を発生しやすいものか、という具体的な要素に分かれていくことになります。

ですが、かなり極端な例を除くと、どんなに具体的な指標を立てられようとも、結局見方によって評価が変わりうることが多いように思え、時として「うー、処分の見通しが立たねえ!!!」と頭を抱え込んでしまうことになるわけです(つい最近そういう事件がありました。めでたく保護観察で終わりましたが)。
つまり、テラバヤシ的には「いや、この子の場合、性格も素直だし、家庭環境もそんなに悪くないし、保護観察でいいでしょ!!」とか思って調査官の意見書を見ると、「少年院送致相当」とか「在宅試験観察(いったん釈放したうえで、このまま少年院に入れなくてもいいかどうか観察したうえで最終的に判断するという中間的処分。この場合、数か月後にもう一度審判が行われます)」とか書いてあって、ショックを受けたりするのです。
で、逆転一発ホームランが打てない限り、意見書のまま処分が出てしまう、という…

さらに、正直に言おう。テラバヤシ、若い子、苦手なんです。
これは年をとったからではありません。
若いころから?、若い子(未成年とかそれに近い子)は苦手でした。
どうコミュニケーションをとればいいのだろうか…
どうやって話しかけたら、ちゃんと答えてくれるのだろうか…
私の言ってること、わかってもらってるんだろうか…
接見の前も後も、そんなことで頭がいっぱいになるのです。 

少年審判の席も、事実の確認というよりは、審判官(裁判官)が反省させるために、なんだか上から目線で威圧的に「どうして、こういうことになっちゃたか、ちゃんと考えてないんじゃないのかなあ」みたいな言い方をするのも、内心イライラさせられますし。
でまあ、現実こういうことになるわけなんだから、接見の時にもそれを想定して、若干説教的なことを本来したほうがいいのかなと思いつつ、説教はするのもされるのも嫌いなので、ヒールになり切れない自分がいたりして。

とまあ、私にとってはやりにくいこと満載なのが少年事件、だったりします。

テラバヤシの場合、少年の裁判員裁判は経験したことがありません。
捜査段階では裁判員裁判対象事件の罪名がついていたものの、家裁送致時に非対象事件の軽い罪名に落ちて、そのまま少年審判で処分が下ったということはありますが。態様もかなり悪質、被害もかなり大きくて、私としては、裁判員になってもおかしくないと思っていましたが、どうやら検察官が、少年がかなり若年だったことやかなり精神不安定であったことを考慮したようでした。

このケースも含め、弁護人・付添人として会った事件を起こした少年は、うまく言えないのですが、みなさん、「ふつうの子」でした。
思春期特有の恥じらいや反発心はあれど、性根が腐りきっていて、この後、社会生活は送れそうにないという子は一人もいませんでした。
こちらが挨拶をすれば、きちんと挨拶を返してくれましたし、私が尋ねることについて、自分なりに考えたことをきちんと話してくれましたし、私が話すことをちゃんと聞いてくれました(確かに、その答えが的外れになってることはありますが、まあ、それは置いておくとして)。そして、事件は起こしてしまったかもしれないけれど、とても働き者だったり、体を一生懸命鍛えていたり、両親や兄弟のことを思いやっていたり、尊敬できるところを持っている人ばかりでした。

私は、川崎中1事件の首謀者だった少年と会って話したことはありません。
だから、本当はどんな人なのかなんて、全くわかりません。
彼がしてしまったことは、とても凄惨なことです。
殺害された上村君のご両親が厳しい処罰感情を持つのは当然だと思います。
彼をモンスターだと感じるのも理解できます。

しかし、少なからず少年事件をやってきた弁護士たるテラバヤシの立場から見ると、きっと彼にだって、「ふつうの18歳」の側面があったと思うのです。
身近にいる人からすれば、「彼はここがいいとこだったよね」と言えるところがあると思うのです。
そういう普通の子が、こういう凄惨なことをしでかしてしまいかねないところに少年の微妙さがあり、少年事件の本来の難しさがあるのではないかと考えます。

テラバヤシの少年事件に対する苦手意識の本質は、ひょっとするとこういう「難しさ」が原因なのかもしれません。


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# by terarinterarin | 2016-02-11 21:27 | Comments(0)
清原逮捕!!を意識したネーミングと思われた方が多いと思いますが、その通りです。

「清原覚せい剤所持で逮捕」は、あ~そうだったのか~という「やっぱりね」感があると同時に(噂ありましたしねえ)、ああ、ちょっとショックだなあという気持ちもありました。
これを言うと年がばれますが(もうばれているか)、PL学園で清原桑田が大活躍していたころ、私はちょうど同じ年頃で、自分が体育会だったせいもあって、結構熱心に高校野球は見ていました。
巨人に移籍してからの清原はどうでもよかったけど、西武ライオンズ時代の清原の姿はとても印象に残っています。
それだけに、あ~、きよはら~…という残念な気持ちに昨夜は襲われました。

本日のワイドショーの前半は、もう清原一色。
警視庁本部に向かう警察車両の中でうつむく清原を大写しにして、その落ちぶれ具合を演出するマスコミに、今更ながらいやらしさを感じました。
とあるコメンテーターが、元警視庁の刑事とかいうゲストに対して「有名人や芸能人の逮捕は見せしめという意味もあると聞いていますが」などと言っており(元刑事さん、もちろん肯定)、もちろんテラバヤシ自身も、まあそうなんだろうな、とわかってはいたのですが、この芸能人を見せしめにする手法、果たしてホントに薬物使用者を減らすために効果なんてあるんでしょうか?とはなはだ疑問なんであります。

有名人・芸能人のみせしめ的意味合いは、おそらく今回の清原みたいに逮捕されたときの情けなさげな姿を大写しにして「クスリをやるとつかまるんだよ」と知らせたり、「こんな落ちぶれた感じになるんだよ」というイメージを植え付けたりというのが、まず第一だと思われます。
加えて、特に最近は芸能界から「干す」という手法を取り、「クスリをやると仕事をなくすよ、周りから人もいなくなるよ、人生取り返しつかないよ」というメッセージを与えることを指しているものと思われます。

個人的には、これは、手抜きであるとともに村八分的手法であり、全く意味がないのではないかと感じます。
死刑の存在が凶悪犯罪の減少に役立たないのと全く同じです。

手抜き…つまり、「覚せい剤その他の薬物の恐ろしさ」を子供のころから教育して、使用することによる危険を刷り込むという手間をかけていない。再犯防止のための治療、サポートの手間をかけていない(国が、という意味です)。

村八分的手法…よってたかって攻め立てて仲間はずれにすることにより、「仲間はずれ怖いでしょ。されるの怖かったら、するんじゃない」というものですが、これについては、かえって再犯を増加させる方向に働くように感じられます。
クスリをやる人は、何かにすがりたくて、すがる対象として薬を選ぶわけです。村八分にして周囲にすがれなくすればするほど、かつてすがって一時の享楽を得させてくれたクスリに回帰するのは、目に見えています。

また、「覚せい剤」や「大麻」などという法律で所持や使用が禁止された薬を所持使用したことだけが問題視されるのも、実に片手落ちです。
こういう薬に手を出すのと、精神科や心療内科で処方される向精神薬や睡眠薬を乱用することの根は、実は一緒だからです。つまり、後者も「頼るよすが」を、気持ちをどこかに飛ばしてくれるクスリに求めるものだからです(アルコール依存症なんかも同じですよね)。

今までやってきた刑事事件の中で、覚せい剤の使用歴のある人は結構な数いましたが、その中に一定割合、覚せい剤卒業後、「ドクターショッピング」(薬を処方してもらうために精神科や心療内科を受診しまくる)を繰り返し、向精神薬等を大量服用するようになってしまった人にお会いしました。
覚せい剤使用の後遺症や向精神薬等の過剰服用による副作用などが相まって、幻覚幻聴、それに伴う徘徊、奇行などが日常的に表れるようになった人も少なからずいました。
しかし、こういう人については、他に犯罪を犯さない限り、法的に問題視されることはないのです。

覚せい剤や大麻などを使ったことだけを取り上げて、芸能人をつるし上げにしたって、世の中にとって何の解決にもなっていない。
なのに、最近特に、この「つるし上げ現象」はドンドン増していくばかりではないかと思うのです。

かつては、大麻や覚せい剤に手を出した芸能人でも、芸能活動を続けて、その後活躍した人がたくさんいました。
研ナオコしかり、
コロッケしかり(コロッケが捕まった時は「コロッケあがる」とスポーツ新聞に書かれました)、
マッキーしかり。

脳に働きかける薬の恐ろしさを、教育としてしっかり伝える。
失敗しても、その失敗を回りが受け入れて、あなた自身も一生懸命できることをやっていれば、いつか道が開けるんだよというメッセージを与える。
これこそが薬物事犯をなくす王道ではないかと。

みせしめなんて、ナンセンスでしょ。




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# by terarinterarin | 2016-02-03 23:26 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin