別居期間と離婚の問題

川崎麻世さんが奥様のカイヤさんに離婚訴訟を起こしていたことが判明して、まあまあのニュースになっています。
なんでも別居期間は18年間に及んでいるとか。
ネットニュースの論調は、「今更ですか」というものが大半のようです。
これまでも、双方の不倫など、すったもんだが多い夫婦だったせいでしょうか。

一方、先日お亡くなりになった樹木希林さんは、夫の内田裕也さんと40年以上の間別居していたそうです。
一度、相当前に内田裕也さんが樹木希林さんを相手取って離婚訴訟を起こしたことがあったようですが、離婚は認められず。
その後は、内田裕也さんの愛人問題が何回か持ち上がっても、内田裕也さんが事件を起こしても、離婚の話題が出ることはなく、樹木希林さんが亡くなるまで、ある意味添い遂げる形になったのです。

最近、離婚をめぐる司法の世界では、(婚姻期間との相関関係はあれ)おおよそ3年ほどの別居があれば離婚が認められるようになってきたといってよいのではないかと思います。
10年、7年、5年と、実務の運用は、長い時間をかけて、婚姻破綻を認定しうる別居期間を短くしてきました。

これだけを見ると、川崎・カイヤ夫妻も、樹木・内田夫妻も、余裕で婚姻破綻が認められる別居期間のハードルを越えているといえます。

ですが、あくまで感覚的な問題ではあれ、川崎・カイヤ夫妻のほうは、婚姻破綻しているという評価に異論を唱える人は非常に少ないであろうと思われるのに対し、樹木・内田夫妻のほうは、婚姻破綻していたという評価は非常にしにくいと言わざるを得ないように思われます。
樹木・内田夫妻のほうが、別居期間は圧倒的に長く、また内田さんの破天荒な夫ぶりは、川崎さんの夫ぶり、カイヤさんの妻ぶりを凌駕しているように見えるにもかかわらずです。

それはおそらく(あくまでマスコミが作り上げたイメージといえばそれまでですが)、川崎・カイヤ夫妻の場合には、夫婦として心が通っていない雰囲気がにじみ出ているのに対し、樹木・内田夫妻の場合、夫婦がうまくやっていくためのスタイルとして別居を選択せざるを得なかったのであって、(一時内田さんが離婚しようと思ったことはあったとしても)、夫婦としてそれなりに心が通っていた様子が見受けられるからなのでしょう。

こう考えていくと、離婚の実務において、不貞やDVなどの他の離婚原因がないケース、あるいはこれらの証拠が希薄なケースで、別居期間の長さを婚姻破綻の大きな大きな柱とみることは、ひょっとすると正しくないのかもしれないという結論に行き着いてしまいます。

もちろん、離婚などという当事者の主観の塊のような事件においても、判決は証拠に基づいて行わなければならないわけで、そうすると別居期間というのは非常にわかりやすい客観的なメルクマールなわけですから、裁判実務がこれによりかかってしまうのは致し方のないところだろうとは思うのです。

ですが、夫のほうがもう40年も別居していますという主張をしてきた際に、いやいや、別居している最中でも、夫婦として日常的にこのようなかかわりを長年していましたよという証拠がきちんと残っていたのであれば、それはやはり婚姻破綻とは言えないわけです。
別居期間の長さの前に離婚したくない当事者がひれ伏してしまうケースの中には、もしかすると、離婚を主張される割に近いタイミングに至るまで、居は別にしていても夫婦としてのかかわりはちゃんとあった、ただ証拠がないだけということが、案外多いのではないかと思うのです。

改めて、過去に自分が相談を受けたり、担当した事件を振り返ってみても、そう感じます。

婚姻破綻しているかどうかという判断は非常に難しいと言わざるを得ません。
離婚の相談に来た当事者に対して、別居期間が長いから云々、短いから云々というような紋切り型のお話は、実は結構しにくいなあと感じる、二組の夫婦の姿なのでした。


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# by terarinterarin | 2018-10-14 22:39

私、声が大きいんです。

昨日開催された第28回司法シンポジウム。
そこで私、総合司会をさせていただきました。

総合司会は、私と長崎県弁護士会所属の曽場尾雅宏弁護士の2名で行いました。

司会用の台本を作成したのは曽場尾弁護士、気の利いたアドリブを繰り出したのも曽場尾弁護士で、私は、与えられた台本を(基本的には)そのまま読み上げ、ひたすら噛まないようにと気をつけながら、なんとかやり通すという感じでした。

しかし、そんな私でも、何人かの方から昨日の司会をお褒め頂きました。

お褒めのポイントは、すべからく以下の2点でした。

声が通る。
滑舌が良い。

そうなんです。
私、声が大きくて滑舌が良いのです。
これは自分でも否定しません。

これは、前職で鍛えられた賜物です。
テラバヤシは長い受験時代、某資格試験予備校の札幌校で、公務員試験講座の講師をしておりました。
その前の大学院生時代も違う資格試験予備校で公務員や行政書士の講座を持っていたことがありました。

時代はバブル崩壊後の公務員試験人気花盛りの時期で、50人を超える受講者が広い教室に散らばっているという状況でした。

一応マイクはありましたが、マイクだけに頼っていては、端っこや後ろまで声が届かない、そんな状況でした。

何年も何年もその仕事をやっているうちに、自然と遠くまで明瞭な発音で声が届くすべが身についたようです(ちなみに腹式呼吸を自然と身につけたようで、長い時間大きな声で話した後は、オペラ歌手みたいに、体の中に空気が溜まった状態になります)。

新人の頃、初めての尋問の際にも、当時のボスに「声が通るのはとてもいいことだ!!」と褒めてもらったことがありました(おそらく褒めるポイントはそこしかなかったと思われます)。

まさか予備校講師時代に身につけた技?が弁護士になって10年以上たった今、こんな形で役に立つとは思ってもみませんでした。

弁護士としての能力に直結しなくても、やはり褒められるのは嬉しいもので、昨日は何人もの方にお褒め頂き、非常に良い気分になれました。

とはいえ、思うのです。

弁護士は、声が大きい人間が多くないか、と。

昨日の司法シンポジウムの登壇者の中でも、私以上に声が大きい人が何人かいました。

例えば、弁護士任官パートで、旬なネタをバンバン繰り出しながら漫才を披露した、旭川弁護士会のくまちんこと中村元弥弁護士。

マイクいらないんじゃないかと思いました。それくらい、よく通るお声でした。

委員長の中村隆弁護士(札幌弁護士会)も響きのある良いお声です。

新人の頃に尋問時の私の声を褒めてくれた元ボスも、いい声かどうかはともかくとして、声は大きいです。
その事務所のパートナーの1人も、よく通る声をしています。

弁護士には、声が大きい人間が多いように思います。

よく、政治家は声が通らないとダメだ、と言われます。あれは、街頭演説の際に聞いてもらえないからというのが理由なのだと思います。

弁護士に、声が大きい人間が多いのはなぜなんでしょうか?

政治家みたいにしょっちゅう?人前で話すわけではありません。
「口喧嘩は声がでかい方が勝つ」とは言いますが、別に弁護士、口喧嘩が仕事ではありませんし(いや、過去に相手方などと電話で口論になったりしたことはありますが)。

もしかすると、声が大きい方が、同じことを話していても説得力が大きいのでしょうか。
声質にもよりますが、話すことに自信を持っているように聞こえるというのもあるのでしょうか。

ちなみに、無罪判決を何件も勝ち取っている高野隆弁護士は、低い声質でボソボソ話すお方です。
いいお声をしてらっしゃいますが、決して声を張っているわけではありません。

それでもきちんと裁判員や裁判官の説得に成功してらっしゃるということです。

やはり、弁護士は、ただ声が大きければいいというわけでもないようです。






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# by terarinterarin | 2018-09-30 18:19
東京限定の話なのでしょうか。

よくわかりませんが、弁護士(特に男性弁護士)の服装が、ここ1,2年非常にラフになってきたなと思うのです。
ラフになったと思うのは、ノーネクタイの男性が増えてからということが理由です。

世間の働く男性の服装はどんどんカジュアル化していますが、男性弁護士もご多分に漏れずそうなっているようです。

もちろん、夏場は裁判所が「クールビズ」なので、それに合わせて?男性弁護士もクールビズ(私も相当クールビズ)していて、ノーネクタイに半そでシャツ、あるいは長そでシャツの袖をまくって、というのはわかります。

が、近年は、クールビズ期間じゃなくてもノーネクタイの男性弁護士が増えたように思います。
若い方中心ですが、若いとはいいがたい方もそこそこノーネクタイです。

ジャケットは着ていてもネクタイはしないというスタイルが非常に浸透しているのではないでしょうか。

それだけでなく、いわゆる「スーツ」ではない方も非常に増えたと思います。
単品のジャケットと単品のスラックスを合わせるスタイルの男性弁護士も、とても多くなったなと思います。

個人的には、クールビズが浸透した結果なのではないかと思っています。

クールビズ浸透→そもそもネクタイ自体が季節問わず窮屈→1年通して別にしなくても構わないんじゃないか→ジャケット着てれば別にスーツじゃなくてもいいんじゃないか
…とこんな思考過程で(「チコちゃんに叱られる」の「たぶんこうだったんじゃないか劇場」風にお届けしたつもりです)、男性弁護士の服装がどんどんラフになっているように思うのですが。

裁判所職員(裁判官、書記官、事務官含めて)の雰囲気が、年がら年中ラフな雰囲気にシフトしてきたせいもあるように思います。
裁判官は法廷では法服着ているからあまりわかりませんが、書記官事務官なんて、夏場じゃなくても、基本的にネクタイしている人とかジャケット着用の人はものすごい少数派。
一昔前は、もう少しいたような気もするのですが…

これだけラフだと、こちらも「そこまで気合い入れる必要ないんじゃない?」と思うのは、当然でしょう。

これらに加え、ユニクロをはじめとして、ライトなビジネスファッションを展開するブランドが増えてきたというのも更なる追い風になっているように思います。

男性弁護士はこういう風潮をどう思っているのでしょうか。

ネクタイしめなくてもいいというのは、非常に楽だと思って喜んでいる人が多いのでしょうか。
もしそうだとしたら、その考えは非常に甘いと言わざるを得ないでしょう。

スーツというのはいわば制服みたいなもので、極端な話、そこそこ質の良いスーツを着て、そこそこちゃんとしたネクタイをしていれば、男性のお姿は「それなり」に見えるものなのです。
そのようなものを脱ぎ捨てて、カジュアルなファッションにシフトするということは、自分のファッションセンスがもろに人目にさらされることを意味します。

つまり、「おしゃれ」「おしゃれじゃない」「きちんとしている」「だらしない」「かっこいい」「かっこ悪い」という残酷な品評が待ち受けるということになるわけです。

これは実は、「スーツ着てればOK」ではなかった女性たちが常にさらされてきた道でもあります。

ついに男性も(というか男性弁護士も)そういう残酷な目に遭うときがやってきたのだなあと感慨深い思いになったりするものです。

そういえば、最近男性化粧品や男性エステが着実に浸透しているようですが、これも男性の「脱スーツ化」→「自分で気を遣わないと見た目がとんでもないことになるかもしれない」という危機感の表れではないでしょうか。

今まで男性弁護士は、見た目に気を遣わない人が多すぎた気がするので、個人的には悪くない風潮かなと思ってはいます。
化粧やエステは勘弁してほしいですけれど(差別的でしょうか)。


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# by terarinterarin | 2018-09-23 17:06

実家が被災しました。

今日は法律関係の話では全くありません。

テラバヤシの実家は北海道札幌市にあります。

朝目が覚めてスマホを見ると、6時過ぎに母からメールが来ておりました。
それで明け方に北海道で大きな地震があり、札幌の実家でも電気と水道が止まってしまったことを知りました。

幸い、家具が倒れたり食器が割れたりすることもなく、自宅自体の被害はほぼない状況で、家族も怪我はしていないようです。
ですが、なんと北海道全域で停電してしまい、本格的復旧まで1週間ほどかかる見込みだという話で、これから先の暮らしがしばらく大変そうな状況です。

以前にもこのブログで書きましたが、寺林は、東日本大震災の時に名古屋から東京に出張中で、日帰りの予定だったのが弁護士会館で一夜を過ごす…という目に遭ったことがありました。

そのとき、弁護士会館の電気はきちんとついていましたし、トイレも使える状況でした。
食べ物も、地下にあるレストラン「メトロ」からカツカレーの差し入れがあり、ひもじい思いをしないで済みました。
そんなわけで、「明日は帰れるかな」くらいの気持ちで夜を明かしており、ものすごく心細いという気持ちはありませんでした。

今回の家族の被災状況は、私が経験したものよりも深刻なもので、大きな不便を強いられています(それでも、自宅が倒壊した方やお亡くなりになった方もいるわけで、それに比べれば全然大丈夫なのですが)。
両親は70代の半ばで、一応大きな病気もなく元気に暮らしてはいるものの、復旧までのストレスは大きなものだろうなと案じずにはいられません。

飛行機も飛んでいないので、様子を見に行くこともできませんし。
自分が大地震を経験した時よりも、はるかに大きな心配を感じています。

改めて災害は他人ごとではないと思います。
大阪をはじめとしてつい先日までの台風で大きな被害を被った人、未だに停電続きで生活に大きな不便を感じている人、たくさんいらっしゃることと思います。

一日も早い復旧を祈らずにはいられません。

復旧に向けて全力で取り組まれている皆様、お疲れ様です。そして、よろしくお願い致します。

私も他人ごとではありません。
自分の災害対策は極めて不十分なので、できることから始めようと思うのでした。



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# by terarinterarin | 2018-09-06 19:07
今回のお題は、まさしく、富田林警察署で起きてしまった被疑者逃亡事件についてです。

今回逃げたのが、なかなかな凶悪罪名の被疑者だったので、付近住民の皆さんはさぞ不安なことと思います。
そして、富田林警察署の署員の皆さんは、今も肝が冷えきったままのことでしょう…

今回の逃亡の手口は、

接見室のアクリル板をブチ破って、面会者側サイドに出て、施錠されてないドアを開け、
その後、おそらくは留置管理室の前ないし付近をすり抜けて、
どこかから署外に出た…

というもののようです。

警察官の皆さんは、アンビリーバボのようですが、我々弁護士から見ても、アンビリーバボです。

さっき、NHKニュースで、あたかも本物らしい接見室のセットを使ったり、ガラス屋さんで実際にアクリル板を使ったりして、手口を解説してました。

が、我々弁護士が知る接見室のアクリル板は、あんなちゃちいもんじゃございません。

犯罪の嫌疑をかけられて身体拘束されている人の中には、精神疾患や人格上の問題などなどにより、留置施設の中で、大暴れしちゃう人もいます。
接見中もしかり。

なもんですから、接見室のアクリル板は、尋常じゃないくらい分厚いです。
一般家庭用は厚さ3ミリとか言ってましたけど、そんなペラッペラ感は、微塵もありません。

加えて、アクリル板は枠にただはめ込まれるだけではなく、隙間が隙なく充填剤で埋められています。

実は本日接見で警察署に行ったのですが、私の依頼者が中に入って来る前に、思わずしげしげとアクリル板を見てしまいました。

そして思いました。

ここをブチ破った彼は、ものすごい力持ちだと…

接見が終わった後に、弁護士が留置管理室の職員に声をかけていかなかった、などとあたかも弁護士に非があるかのような報道がなされていますが、これについては、真偽の程はわかりません。

どうやら接見が終わったのは、午後8時頃のようです。

留置施設の就寝時刻は午後9時。
8時頃から就寝準備のため、留置管理室の職員の多くは、施設内に入ってしまって、受付まわりにいないこともあったりするのです。

留置管理室だけではありません。
夜や土日の警察署は、人が少ないです。
東京の都市部の警察署ですら、夜は、シーンとしています。

逃げた彼は、その時が留置管理室が手薄な時間であることに気がついて、今回の方法をとったのかもしれないし…

逃げちゃった以上、警察署が矢面に立たされるのは仕方ないかもしれませんが、被疑者が怪力で、盲点を突かれた上に手薄な時間帯だったという不運が重なった、不幸な不幸な出来事としか言いようがない、と思います。

なので、富田林やその周辺の皆様の不安はお察ししますが、誰も責めないで欲しいな、と思うのでした。



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# by terarinterarin | 2018-08-13 21:31
猛暑から一転、雨だわ、寒いわ、の東京です。
皆様、お元気にお過ごしでしょうか?(って前回投稿からあまり時間は経っていませんが)。

テラバヤシは、インターネット上の法律相談サイトに登録しております。
そこでの法律相談とか、あるいは事務所サイトのメールフォームから問い合わせがある相談の中で、実はかなり多いのが、

この件、慰謝料取れますか?

です。

「この件」は様々なのですが、目につくのは、男女トラブルや友人トラブル。
なかでも、「妊娠させられたので、相手の男に慰謝料請求したい」という相談が、かなり目についたりします。

この「妊娠させられたので、相手の男に慰謝料請求したい」の中身も、よくよく見てみるといろんなパターンがあるのですが、例えば、

・避妊してくれといったのに避妊してくれなかったので妊娠した→妊娠したのは男のせい→慰謝料請求したい、とか
・妊娠した後に連絡取れなくなった→慰謝料請求したい、とか
・妊娠した後に、「俺の子供じゃない」とか「堕ろせ」とか言われた→慰謝料請求したい

などなどが多く見られます。

慰謝料を、「嫌なことされた、嫌な思いさせられた、その分お金ちょうだいよ」という、感情を害されたことに対する対価みたいに思っている方が結構多いんだな…と最近実感しています。

が、慰謝料というのは、不法行為、すなわち「相手方の故意過失に基づく法的利益の侵害による精神的苦痛」があって初めて生じるものなのであって、「嫌な思いさせられたからもらえる」などというものではない…と思うのです。

なので、先に挙げた3つの例にしても、他によほどの事情がない限り、慰謝料請求の対象にはならないということになる…はずです(もちろん、認知とか養育費の請求は別の話。それと3つ目の問題なんかは、これに脅迫暴行が伴ったりすると慰謝料請求しやすいパターンになるかと思いますが)。

個人的に、こと日本という国においては、慰謝料というのはそう易々と認められる類のものではないと思っています(とはいえ、依頼者の意向によって、請求するかどうかが左右されることも付言しておきますが)。

なんで、法律相談サイトとか当事務所のウェブサイトでお問い合わせくださった方には、結構高い率で「請求は難しい」とお伝えすることが多いです。
まあ、ぎりぎりとれなくもないかというときでも、「とれたとしてもかなり低額になるので費用倒れになる可能性がある」とお伝えすることが多いです(商売っ気がなさすぎでしょうか)。

しかし、これも最近実感するのですが、「慰謝料とれるとれない」「慰謝料どれくらいとれるか」ということに関する感覚って、弁護士によって結構差があったりするようです。

例えば、法律相談なんかで、「これは(私が過去にくらった判決から考えて)ちと無理だろう」とか思ったものについて、「請求できます!!」とか断言していたり、なかには「○○円くらいは請求できます」とか、金額断言してる弁護士が目についたりするわけです。

実際の訴訟で考えてみても、「お。この訴訟でこの金額来るかい」と思うほど高額の慰謝料請求の案件を見聞きすることもありますし(このあたりは依頼者の意向もあると思うので、その弁護士自身が「これくらい請求してオッケー」と思っているとは限らないでしょうが)。

不貞の慰謝料でも、私なんかは、不貞の期間とか態様とか、今までに自分が受けた判決とか、過去に読んだことがある判例とか、種々様々考えたうえで、それに+ムニョムニョして請求金額を決めています。
これは、頭の中に、不貞の慰謝料は大よそ最高額500万円という実務の言い伝え?が頭の中にあったりするからです(500万越えの話も何度か聞いたことはありますが。どんな事案だったのか詳しく知りたい)。

つまり、テラバヤシ個人は、「慰謝料請求は不法行為に基づく請求」「実務的に認められそうな金額」というものが、どうしても慰謝料のことを考えるときに離れなかったりするのですが、ひょっとしてひょっとすると、世間の弁護士の中には、この基準がない、もしくはものすごーく緩い、という人も案外いるのかなあと。

ウェブ上で流れる「嫌な思いさせられたから慰謝料請求」みたいな相談と同じ感覚の弁護士って、少なくないのかもしれないと思うのです。

そして、少なくない弁護士の皆さんが、そういう相談に対して自信をもって「請求できます」とか書いているのを見ると、「それおかしいだろ」とか思ったりするわけでもなく、逆に「私が難しく考えすぎてるのか?」と自信がなくなったりして。

実務の動きに対する感覚というのは、当然人によっても、経験値によっても違うものですが、慰謝料請求の世界って、もしかすると、中でも、その違いの差が大きい世界なのかな、と思ったりするのでした。







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# by terarinterarin | 2018-08-07 17:14

死刑と弁護士。

ご無沙汰しております。
暑い日が続いておりますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。

テラバヤシは、早くも夏バテ気味です(ブログの更新が滞っていた理由のひとつでもあります)。

暑い日が続く中、オウム真理教の死刑確定者13名が、7月6日と26日の2回に分けて刑を執行されました。

今年の4月だったでしょうか。東京拘置所に収容されていた13名の死刑確定者が各地の拘置所に分散収容されて以来、死刑執行が近いのではないかと言われておりました。

それでも、個人的には、分散収容されてから執行まで、「早かったな」という印象でした。

日本の中では、死刑賛成派が多数を占めておりますが、国際的には日本の死刑制度は非難の的にさらされています(注:今回は死刑制度の賛否について論じるつもりはありません)。
天皇の退位であるとか2020年の東京オリンピックが迫りつつある中で、オウム真理教の死刑確定者の刑の執行をそういうおめでたい行事から時間をおいて執り行いたい、そういう意思がなんとなく感じられるような時期の執行であったように思われます。

「死刑」というものに対して、弁護士は、様々な段階、あるいは様々な角度から関わるものです。

死刑事件(あるいは死刑求刑や判決がなされる事件)で、被疑者被告人の弁護人を務める。
死刑確定者の再審請求事件で、再審の弁護人を務める。
死刑確定者から、法律相談や民事事件等の依頼を受ける。
死刑事件の被害者側の弁護士となる。

テラバヤシは、死刑事件の弁護人を務めたことはありません。再審弁護人を務めたこともありません。
被害者側の弁護士となったこともありません。
が、死刑確定者の方から法律相談を受けたり民事事件の依頼を受けたことが数回あります。

死刑確定者でもその他の受刑者でも(注:死刑確定者が獄中にいるのは死刑という刑を受けるために身体を確保されているだけのことであって、その身体拘束自体は刑罰ではありません)、法律相談を受けたり、民事訴訟を起こしたりする権利が奪われるわけではありません。
「獄中にある人が、一体どんな法律相談があるというのだ」と驚かれる方もいるかと思いますが、その内容は実に様々です。
市井に暮らす人の法律相談と、特段変わることがないというのが私の印象です。

離婚の相談。
相続の相談。
借金の相談。
貸金の請求の相談。
損害賠償請求の相談。

そんなものが多くありました。中には、体調不良や病気で悩んでいるのに、施設の中で満足な医療的対応をしてもらえないという相談もあります。

私が、死刑確定者から受けた相談や依頼も、「普通に暮らしている人でも、そりゃ訴えたくなるよな」という内容のものでした。

法律相談や事件の打ち合わせのために、拘置所に赴きます。弁護人としての面会ではないので、拘置所の職員の方が立ち会います。面会時間も弁護人のように無制限ではなく、延長の申請をしても30分だけという制限がつきます(これは拘置所ごとに運用が少し違うかもしれませんが)。
その時間の中で、一般の方の法律相談や事件の打ち合わせと同じように、言葉を交わしていきました。
メールのやり取りはできませんが、手紙のやり取りで打ち合わせをすることもありました。

相談や依頼を受けている立場からすると、その人たちは、単なる「相談者」であり「依頼者」でした。
もちろん、どんな事件を犯して死刑が確定することになったのかは、知っていました。
しかし、私にとっては、その人は、「人」でしかありませんでした。

ふと、自分が依頼を受けた死刑確定者の人が刑を執行されたら、自分はどんな気持ちになるだろうと、考えたことがありました。
普通に悲しいだろうな、と思いました。
知り合いがひとり、命を失うわけです。それが当たり前の感情であるように思えました。

私は、死刑事件の遺族の皆さんが、死刑確定者の死刑執行にあたってどんな気持ちを持とうが、何も口出しできることはないと思っています(当たり前のことですが)。
かたき討ちをやっと果たしてもらえたと思う方もいるでしょう。
事件の区切りがついたと安堵する方もいるのだと思います。
一層のやりきれなさを覚える人もいるのだと思います。
そして、そういう気持ちに寄り添う弁護士が必要であることは言うまでもありません。

ただ、先ほども書いた通り、一方で、死刑を受ける側の立場に寄り添う弁護士も、少なからず存在しています。
死刑事件の弁護人や再審弁護人は、私が関わった程度をはるかに超える濃密なかかわり方を、その被疑者被告人や死刑確定者としています。
そうであれば、たとえ、目を覆いたくなるような残虐な事件を起こした張本人であったとしても、その人の中にある「人間性」というものに触れる時間は、かなりな程度あるだろうと思うのです。
そうすると弁護士は、その人が「依頼者」「人」という、いわば中立的な存在に見えてくるものではないか。そう思うのです。

私の周りには、今回刑を執行されたオウム真理教の死刑確定者の弁護人だった方が何人かいらっしゃいました。
全員から気持ちを聞いたわけではありませんが、少なくともその中の何人かは、やはり悲しんでいました。
その悲しみは、「自分が死刑判決を防ぎきれず、結果死刑になってしまった」という部分も大きいかと思います(死刑制度がある日本において、今回の13名の死刑はどんな優秀な弁護士をもってしても防ぎきれなかったででしょうが)。
と、同時に、かつての依頼者が命を落としたことに対する「普通の悲しみ」でもあるように思えます。

このような感情は、異常なものでもなんでもないでしょう。

今日は、この一言が言いたくて、久しぶりにブログを書いたのでした。








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# by terarinterarin | 2018-07-27 16:12
ご無沙汰しております。
東京は早くも?ジメジメムシムシしていて、辟易気味のテラバヤシです。

ここ最近、立て続けに2つの研修を受けました。

1つは、2016年刑事訴訟法改正に関する研修です。
ざっくりいうと、世間の注目も集めまくりの「日本版司法取引」に関する研修です。

もう1つは、2020年に迫った民法改正に関する研修です。

どちらのトピックスについても昨年くらいから、研修が行われていましたが、体調不良もあり受けそびれてここまで来てしまいました。そこで、今回受講するに至ったというわけです。

この2つの研修、非常に対照的なものでした。そこで、今回はこの2つの研修を比較して、感想を述べたいと思います。

*刑事法改正研修:複数解説者の登壇と実演入りで飽きさせない工夫*

刑事法改正研修の方は、司会の他に4人の解説者が登壇していました。トピックスごとに司会者が解説者の一人を指名してコメントを求めるという形式を中心に進行されました。

これに加え、トピックスごとに11の場面を設定した実演が5人の「役者」(全員弁護士ですが)によって行われました。その実演を元に、解説者によって、問題点や対応方法などが説明されるという流れになっていました。

途中10分の休憩をはさんで3時間の研修でした。

解説は非常にわかりやすかったですし、実演も臨場感があるものでした。
が、それ以上に、先ほどお話した進行方法が実に絶妙でした。
3時間という長い時間の研修だったにもかかわらず、最後まで飽きずに受講することができました。

また、配布されたレジュメの中には、協議や合意に関する書面のサンプルが豊富に取り揃えられていました。単なる講義レジュメにとどまらない、今後も使える資料を頂戴できて、とてもお得感のある研修でした。

*民法改正研修:外部講師によるマシンガントークで最後まで引っ張る*

対して民法改正研修は、外部からお招きした講師おひとりが2時間に渡って、改正債権法のポイントを解説するという内容のものでした。

時間は2時間。休憩はなしです。
講義は、講師が作成した詳細なパワーポイントに基づいて進行されました(パワーポイントのデータを資料として配布)。

パワーポイントは、カラフルで図や表も多く、とても工夫されているものでした。
文字も色分けされており、ぱっと見で改正のポイントが分かるように工夫されています。

講師は、1つ1つのパワーポイントの着眼点をよどみなく説明していきました(お手元に原稿があったのではないかと思いたくなるほどでした)。

受講している側は、ただひたすらにそれを追いかけて、重要項目に印をつけたり、付随して必要なメモを取ることを黙々と続ける…そういう研修でした。

研修が終わって感じたのは、「民法改正に関しては、もう1回研修を受けなければならないな」ということでした。

*研修には十分な時間を割くべき(当たり前だけど…)*

当然のお話ですが、研修は、その研修のテーマについて、受講者たる弁護士に対して理解をしてもらうために行うものです。

研修のテーマが非常に重たいものやボリュームの多いものの場合には、それ相応の時間を割く必要があると思います。

刑訴訟法改正の研修は、そのために必要十分な時間が設けられていました。
だからこそ、ゆとりをもって、講師側のアイデア(複数解説者による司会進行方式、実演入り)がいかんなく発揮されたのであろうと思います。

民法改正研修は、明らかに時間が少なすぎたと思います。
今回の改正はかなり幅広いものです。これを2時間で研修するというのは、重要ポイントに話を絞ったとしてもかなり無理がある設定だったように思います。

もちろん外部講師の方にお願いしたので、時間の制約もあったことと思います。
また、短い時間の分、詳しい資料を配布して「填補」もされていました。

でも、受けている側としては、講義する講師の方もゆとりがなくてご苦労されているのではないかと気になりました。

要は、研修を主宰する側の意識の問題ではないかと思うのです。
研修というのは、ただ、講師を招いて(内部でも外部でも)話をさせればいいというものではありません。

研修を受ける側の身になって、どうすればわかりやすくなるのか、そのためにどういう段取りを当日とることが必要か、講師にどのような依頼をしなければならないかということを検討することが必要だと思います。

そして、講師に過度の負担をかけないことも必要ではないかと思います。
過度な負担をかけすぎると、それが悪評になって、外部講師を招聘しにくいということもあるでしょうから…

私はそうではありませんが、我々の業界には研修マニアの方が多数いらっしゃるようです。
そういう方は、研修の良し悪しを見る目が、私なんぞよりも格段に肥えていると思います。

今後は、時間が許す限り色んな研修に出て、自分の幅を広げるとともに、研修をもっと深く批評できるようになれると面白いかもしれないと思ったりしたのでした。








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# by terarinterarin | 2018-06-01 16:46
日大アメフト部の選手が、関学大アメフト部との試合で、プレイ後の選手に後ろからタックルをして怪我をさせた件が話題になっています。

この問題、監督がこういうラフプレイをするように選手に指示していたかどうかが現在の世論の注目どころと言えるのではないかと思います。

法的にいうと、この監督、少なくとも具体的な指示がなかったとしても、怪我をさせてしまった選手ともども民事上の責任、すなわち損害賠償責任を問われる立場になりえます。
監督と選手の間には、「指揮監督関係」があることは明らかであり、民法715条が適用される場合に該当すると言えるからです(使用者責任という呼び名が良くないけど、要は、指揮監督下にある者が不法行為を働いた場合には指揮監督者も責任を取れということを定めている条文ですからね)。
もちろん監督は、「相当の注意」をしていたときなどには免責されますが、今回のケースでそれが認められる可能性は高くないと言えるように思われます。
全治3週間の怪我ということですから、賠償額もそこそこの金額になると思われます。

さらに、これは見解が分かれるかもしれませんが、監督がラフプレイをするよう具体的に指示していたことがわかれば、監督自身の責任ということで民法709条に基づく一般的な不法行為が成立するということもできるでしょう。

怪我を負わせた学生は、傷害罪という刑事責任を問われる可能性もあります(被害学生が被害届けを出せば)。
で、監督の方も、ラフプレイに対するなんらかの指示をしたということであれば、共犯の責任を問われる立場にあるわけです(さすがに指示がなかった場合に刑事責任を問われることはないでしょう)。

今回の問題は、こういう重大な法的責任を孕む問題であるということがあまり説明されず、テレビなんかでは「監督の指示があったかどうか」が「監督自身の謝罪の必要性」という枠組みだけで語られたことは残念でなりません。

なんだかこういうのをみると、「スポーツなんだから多少のことがあっても謝ったら済ませればいいでしょ」という風潮があるような気がしてなりません。
しかし、(これは何人かの人が言っていたけど)スポーツで怪我させて済ませられる場合というのは、ルールに則ってプレイした場合に限られるのであって、ルールを無視した状態で怪我させたりする場合には、怪我をさせたことについて正当性がないのですから、一般社会のルールに則って事態が処理されることになるわけです。

…と書いたところで、ニュース速報で日大の監督が辞任しただの関学大に謝罪しただのと流れてきました。
が、これでことを済ませるかどうかはあくまで関学大の学生の意思ひとつということになります。
謝ってもらったからといって、怪我が治るわけじゃありません。
治療が必要です。
精神的にもダメージを負っていることと思います。
治療費や慰謝料を支払ってくれと請求できる権利を、彼は持っています。
傷害罪で被害届を出すことだってできるわけです。

監督の謝罪は「やっとこさっとこ」出てきたというところですが(加害者の選手は謝罪したのだろうか?)、ここまで謝罪が後手後手に回ると、どうしても、「いろんな責任を背負うところから逃げていて、逃げきれなくなってしまった」とか「法的責任を回避するためにも謝罪したほうがいいとだれかに説得された」かのような印象を受けてしまいます。

だけど、繰り返しになりますが、責任とるってそういうことにつきるわけじゃないですからね。謝りゃいいってもんじゃないし、辞めりゃいいってもんでもない。被害を負った人が「こういう形で責任を取ってほしい」というものに応えることこそが責任をとるということの意味ではないかと思います。

しかし、日本というのは、責任取れない大人がいっぱいな国なんですかね。
森友や加計、財務省事務次官のセクハラの問題と今回の問題、大人が責任の取り方を忘れているという点で根が同じのような気がしてなりません。


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# by terarinterarin | 2018-05-19 16:10
昨日今日とお休みをもらっちゃっているテラバヤシです。
そんなわけで、つい先ほどまでTOKIOの4人の会見を見ておりました。
ワイドショーのコメンテーターは、皆一様にそう言わなきゃいけないみたいに厳しい意見を述べていて、ここはひとつ、この事件のここまでの顛末について弁護士として感じている違和感を書いておこうかなと思ったりしました。

この事件はリアルタイムのものではなくて、2月に起こったもののようです。
被害者の方とは既に示談が終わっていて、報道された時点では、被害届も取り下げられようとしているところでした。最終的には、山口さんは起訴猶予になりました。
被害者の方の親御さんは、山口さんが社会的地位を失うことを望まないという趣旨のコメントを発表されていました。

この時点で、私は、山口さん側は単に金を積んだだけではなくて、相当誠意をもって被害者の方に謝罪し、対応したのだなと思いました。おそらく弁護士の多くがそのように感じたのではないかと思います。
一般的に示談の成否というのは、当然のことながら、被害者の方の感情に左右されるもので、ましてわいせつ系の事件ともなれば、「あんな人間からお金をもらうこと自体が汚らわしい。絶対に許してなるものか」と被害者が考えることが少なくありません。以前にも書きましたが、性犯罪における示談は、非常に難しいものなのです。

ところが、今回の件では、被害者の方が示談に応じてくれた上、親御さんはあんなコメントまで出してくれた。
単に高額な金を積んだだけではこうならなかっただろうことは、我々弁護士から見れば、非常に明らかとしか言いようがありません。
本人も弁護士も本当に誠心誠意対応したんだろうと推測されます。

もちろん、被害者の方はまだ16歳だったということですから、これ以上騒がれたくないという気持ちでの示談だったかもしれません。親御さんとしても、娘さんがマスコミやネット上で特定されるのを回避するために、示談の話に乗るという選択をしたのかもしれません。
しかし、仮にそのような気持ちがあったとしても、相手方の対応が誠意を欠くものであった場合、到底被害者の気持ちは収まりません。厳重に処罰してください、という話になるのです。
被害者側の皆さんが、騒がれたくないという気持ちを持っていたとしても、やはり示談が成立し、あのようなコメントが発表された背景には、山口さん側の真摯な対応があったからに他ならないのだろうと思うのです。

そうであるにもかかわらず、山口さんにTOKIOをやめる決心をさせ、退職願を書かせるまで、山口さんバッシングをするのは、今まで「ジャニーズ」だからといってちやほやしていた人間の汚らしい掌返しにとどまらず、被害者の方の気持ちを踏みにじる本末転倒な仕打ちなのではないかと思われてなりません。

これで、山口さんが本当にTOKIOから脱退し、芸能界から追われることになったとしたら、被害者の方はどう思うでしょうか。
自分が被害届を出したことを後悔するのではないでしょうか。
示談に応じたこと、おやごさんがコメントを発表したこと、その他今回の事件にまつわる全ての言動や行動を被害者やその親御さんは後悔するかもしれません。

これら全ての行動はどれも被害者の方が決めることであって、どの選択肢も間違っているなんて決して言えるものではありません。
山口さんを責め立てれば責め立てるほど被害者の方の「そっとしておいて欲しい」「もう終わらせたい」という気持ちは害され、二次的な被害が拡大して行くことになるのではないかと思います。

同じ年頃のお子さんを持つ親御さんがこの事件を見て嫌悪感を抱くのは、当たり前のことと思います。
ですが、だからといって、世間がよってたかって被害者が許している人間をバッシングすることが正しいということにはならないのではないでしょうか。

山口さんは少なくとも被害者の方との関係では、リカバリーの行動をとり、結果を出したと言えるでしょう(ここではアルコールの問題などは置いておくことにします)。
過ちがあってもリカバリーができたのであれば、それを傍観者の人間たちがとやかくいう筋合いはありません。
被害者の方がもういいと言っている件をほじくり返すのは、結局被害者の方を傷つけることにしかなりません。

そこのことろちゃんとわかっているのかなと思わずにいられない、マスコミのヒステリックぶりにちょっと嫌気がさしたりしたのでした。




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# by terarinterarin | 2018-05-02 16:03

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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