刑事事件は疲れますな。

平昌オリンピックが始まった今日この頃、久しぶりに刑事事件付いてきたテラバヤシです(注;刑事専門になったという趣旨ではありません)。

これらについてはFacebookに投稿しているので、Facebookのお友達はお分かりかと思います。
疾患をいくつか抱えて治療しながら(かつ夜間業務を医師に制限されている中)、刑事事件を「まじめに」やるというのは、なかなか骨が折れます。

もちろん負担が多いのは、捜査弁護の方です。
一番負担が重いのは接見です。次に、警察や検察に対する抗議。場合によっては、接見させない刑事にその場で文句つけなきゃいけない場合もあり、そうすると頭は冷静なまま、相手の出方によっては本気で喧嘩しなければならないという、非常に難しい小技を使わねばなりません。

それがね、この歳になると疲れるのです。

単純に接見のための移動も疲れます。最近、割と遠方の刑事事件を受任してしまい、移動だけで半日潰れ、東京に戻ってきた時にはそれなりにへとへと、となってしまいます。

実は、それ以外にも示談で被害者に怒鳴られるとかそういう精神疲労もあるのですが、私の場合、理由は置いておくとして、そういうことがそもそも無理という事件しかほぼないので、この点の疲労はないのですが。

起訴後の弁護活動も疲れます。
特に否認事件の場合は疲れます(が、最近否認事件ばかりです、はい)。
証拠の精査、証人尋問の準備、被告人質問の準備、その実践に最終弁論。
しかし、この辺りは、民事でも和解できない事件の場合、似たような労力がかかるわけなので、特に刑事事件だから、ということもないように思います。

ですので、刑事事件が非常に疲れると思わせる要素というのは、捜査段階にあると言っても過言ではありません。

恐ろしいのは、刑事事件の場合、民事と違って、手を抜こうと思えばどこまでも手を抜くことができ、それを、無意識のうちにできてしまう人には、この感覚はわからないということです。

もし、今日のこのブログに共感できない読者の弁護士がいたら、ひょっとすると、依頼者から、ちゃんとやってくれないと不満を持たれているかもしれません(注;依頼者にもあれな方がいるのは、民事も刑事も変わらないので、そういう場合は当然除外します)。



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# by terarinterarin | 2018-02-10 17:15
ウェブサイトや各種雑誌等々の記者の方からインタビューを受けることも少なくないテラバヤシ。
先日もフェイスブックにアップしましたが、インタビューを受けた本が発売され、1冊献本していただきました。
このインタビューは電話で行われたもので、取材料はいただいていないのですが、このように本をお送り頂く(お礼の一筆付き)と、その方の感謝の念というものをジンと感じて、インタビューを受けてよかったなと思うものです(記事内容も私が話したことを忠実に反映してくれておりましたので、なお嬉しかったです)。

このようなインタビューに際して、取材料を頂く場合といただかない場合があります。
電話インタビューでいただいたことはありません。
面談でのインタビューでは、いただいたことといただかなかったこと、両方あります。

この点に関しては、面談インタビューはせめて取材料もらうべきだろう、と思う人もいるかもしれませんし、いやいや電話インタビューだってもらってしかるべきでしょう、と、同業者の中でも、色々と考え方にさのあるところだと思います。

テラバヤシは、その点、ぶっちゃけどうでもいいかなと思っています。
もちろん、発行部数が多い雑誌のインタビューで小1時間ほど割いた場合には、そりゃあんた、多少はいただいてもいいんじゃないですかね、と思ったりしますが、WEBサイトや地方紙のインタビューなんかだと予算も乏しいだろうし、インタビュー代出すのも大変よね、と思ったりするもので。

いずれにせよ、自分から要求したことは一度もありませんし、これからもするつもりはありません。

無料でインタビューに応じた場合、記者さんの対応で、ああ、応じてよかったなと非常に気分良く終われる場合と、2度と応じるもんか、あそこはという場合があります。
前者は、インタビューに応じた後、きちんと記事全文の案を自発的に読ませてくださり、訂正にもきちんと応じてくださって再確認、アップした時には連絡をくれる場合です。対応が丁寧な分、こちらも手間がかかるわけではありますが、記者としての心意気も感じますし、こちらの発言も大切にしてもらえたと感じるので、たとえ無償でも、非常に清々しい気持ちになります。

後者は、記事の確認でも全文を読ませない(注:他者のインタビューも入っている場合、現在はこちらが主流だそうです。個人的には匿名にしてでも全文を確認させるべきだと思いますが。発言というのは編集の妙で意味合いが変わりますので)、訂正を求めたら、自分で対応せずにいきなり上司を出してくる、訂正後の記事を確認させない、挙句、アップした時に連絡もよこさない、というようなケースです。
「あんたの名前出してやってんだから広告になるでしょ」という横柄さがプンプン匂います。そこまで上から目線に立たれる必要もないので、こんなところのインタビューは2度と応じてやるもんか、と思います(ちなみに割と最近、フルコースでこれらの要素が詰まっているインタビューを受けました。不快な気分になりました)。
弁護士としての時間をいくばくか費やさせていることに対する敬意を多少でも払ってもらいたいものです。

インタビューに答えることがもたらす広告的効果というのは別に絶大なわけではありません。1つ1つをとってみれば、極めて限定的と言っても過言ではありません。
マスコミの方の中には、そこを何かとんでもなく勘違いしている人もいるようで、そういう方って、一般の方に一体どういう対応しているんだろうと思うと、ちょっと恐ろしくなったりします。

話は変わりますが、依頼を受ける際の料金体系や、正式には契約は終了したけれども事件の残務処理的な仕事について、あらためて料金を頂くかいただかないか、頂く場合もあるとしてその線引きをどこに置くか、ということも、弁護士それぞれ違うものだと思います。

最終的にはケースバイケースということになるのでしょうが、私の場合、依頼者のほとんどが個人の大金持ちではない方(すみません、みなさん)なので、弁護士費用は、比較的低額になります。残務処理的なものでも、単なる事務連絡レベルであれば、特に追加料金を頂くこともありません。
が、安売りすればいいというものでもなくて、事件を受けた時の手間暇を予測した上で、「これ以下の料金は絶対譲れない」という線は設けておくことが必要ですし、残務処理で一定の「手間」がかかるものの場合には、追加料金を頂くことも必要でしょう。

安売りしすぎることは、結局、依頼者につけ込まれる隙を与えたり、「あそこはなんでもかんでも最初に払った安い料金内でやってくれる」という噂が流布し、安い金で弁護士を使いまわそうという良くない依頼者に取り憑かれることもあるからです。

かといって、なんでもかんでも「金換算」というのもいかがなものかと思います。
普通に着手金取っていて、別に遠方の裁判所に出向くわけでもないのに、さらに裁判期日や調停期日について時間給で日当を取るとかいう事務所を聞いたことがありますが、着手金がごく低額であれば話は別として、原則的には、依頼者に過剰な負担を強いる、すなわち、依頼者に利益を逆に損なう料金体系ではないかと思うのです(依頼者を金づるにしていると言ってもいいでしょう)。

以前同業の誰かが、弁護士費用が自分の弁護士としての価値だと言っていたのですが、自分としてはものすごい違和感を覚えた発言でした。
弁護士費用って、原則的には、事務所の規模(つまり事務所経費がどれくらいかかるか)、自分の手間がどれくらいかかるか、依頼者に過剰な負担を強いることにならないか、という諸事情を勘案して決まるものではないんでしょうかね。

決して安売りのしすぎはないように配慮しているものの、テラバヤシは個人的には、依頼者の利益を守れた、勝訴判決をもらった!!という方に価値を見出しているので、諸事情により、低廉な弁護士費用で受けた事件でもこのような結果が出た場合には、小躍りするくらい嬉しくなったりするものです。
依頼者が、喜ばしい結果を手に入れて嬉しそうな顔をするのを見れるのがなによりだと思っています。

幸い、マスコミの方と違って、事件が終わって、いい結果が出たにもかかわらず、ありがとうの一言もないという方はいらっしゃいません(別にお礼を言われるためにやっているわけではありませんが、でも、軽くでも言われたいですよねえ、やっぱり!!)。成功報酬の出し渋りにあったこともありません。

テラバヤシの弁護士としての値段を色々考えて見ましたが、取り立てて高額ではない一方で、安い値段や無償で何でもやるぞというお人好しでないこともお分かりいただけたかと思います。
弁護士に限らず、人間は見返りを求めるものです。
その見返りが金銭に限られないこともあるということです。
テラバヤシは多少気難しい弁護士なのだと思いますが、別におかしなことを皆様に要求しているわけでもないと思うので、これからも、こういうスタンスで弁護士稼業をやっていこうと思います。


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# by terarinterarin | 2018-02-03 15:53
来週の金曜日からいよいよ平昌オリンピックが始まります。
競技自体は木曜日から先行して始まり、日本期待の?フィギュアスケート団体も開会式前から始まります。
南北統一チームがうまくいくんかとか、ほとんどロシア選手団といって差し支えないだろうというもはやいじめとしか思えないロシアドーピング問題、本気で寒くて選手が出場する前に凍死するかもしれないスタジアムでの開会式などなど、気になることはたくさんありますが、スポーツ好きにとっては、やはり冬のスポーツの4年に1度の祭典。
ハヤシは、少しずつ気持ちが盛り上がってきています。問題は仕事とオリンピック観戦とのバランスですが…

私が住む札幌は冬の体育の授業にスキーがあって、小学校の頃は、3、4時間目めがけてスキー担いで近くの山(注:スキー場ではない。ちなみに札幌の皆さん、旭山公園です)に行き、給食食べるためにまたスキー担いで下山するという、ほとんど拷問としか言えない教育を受けていました。
よく北海道の人だからスキーは上手なんでしょうね、とか言われますが、私は札幌っ子の中では、上手ではないグループに入れられていたので、正直、スキーをやるのは好きではありません。
が、見るのは別。特にスキージャンプとノルディック複合は非常に興味があります。

最近は陰が薄いですが、実は冬季オリンピックの中で一番好きなのはカーリングです。
カーリングほど面白いスポーツはないと思います。
日本チームが出ていなくても面白い競技です。
ルールは単純、駆け引きが大切、駆け引きを実現する腕前はもっと大切という頭と体力が両方必要というのも当然魅力です。

が、それ以上に魅力なのは、これ以上にフェアなスポーツはないというところにあります。
まず、競技審判はいません。ジャッジは原則として、自分たちで行います。
競技場は観客から丸見え。ズルは一切できません。
もう勝てないと、ギブアップの判断をするのも自分たち。

そこにいる選手やコーチ全員がフェアでなければ成り立たない、実におとななスポーツなのです。

日本でカーリングが盛んな地域は、北海道は北見と長野。女子は北見のチーム、LS北見が、男子はSC軽井沢クラブという長野のチームが出場します。今回は、どちらもメダルや入賞の期待がかかっています。
競技期間が長いので、一生懸命お仕事しているみなさんも、夜の部にやる試合くらいは1度や2度見ていただきたいと思います。

フェアであること、誠実であることを求められる?法曹のみなさんは、きっとはまるに違いないと思います。

スポーツはやはり、日本人が活躍してもしなくても、その競技自体が楽しめるものがいいですね。
テラバヤシにとって冬季スポーツでは、それはカーリング(フィギュアスケートも最近は、外国人選手の方が好きだったりしますねえ。)であり、夏のスポーツでは陸上競技です。

そういう風に純粋に競技を楽しみたいのに、イケイケ日本を煽られるとなかなかに白けたりするので、やはり観戦は、無駄な盛り上げのないNHKになるかなと思っております、はい。

私の場合、きちんと受信料は払っているので、文句を言われる筋合いもなく堪能できるでしょう。

とにかくみなさん、平昌では是非、カーリングにご注目ください。




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# by terarinterarin | 2018-02-01 17:30

脆すぎる東京の交通機能

寒い日が続いておりますが、皆様風邪など引いておりませんでしょうか。

北海道出身のテラバヤシは、中途半端に8度とか10度とかで空っ風がずっと続くくらいなら、これくらいの気温の方がシャキッとして心地いい気がします(ですが鼻炎や咳喘息の悪化の原因になるので、身体的には良くないのですが)。

さて、今回の話題は他でもない、今週月曜日の首都圏大雪?事件についてです。
北海道出身のテラバヤシであれば、あれくらいの雪なんともないだろう。
そう思われる方もいるように思います。
確かに雪の量自体は、大したことありません。
あの日の雪は、札幌では、11月頃、まだ積もる前に降るちょっとした吹雪のようなものです。

が、裁判所の期日もなく来客もない日だったので、あの日は自宅でおとなしく起案をしておりました。

なぜなら、雪質自体が北海道育ちの私には馴染みの少ないべた雪。歩行の感触がサラサラ雪とは勝手が違うし、転んだら悲惨だろうと思ったからです。
そしてもうひとつ、こういうとき、東京は外に出ると帰れなくなる危険が高くなる厄介な町だと思っていたからです。
言うまでもなく、主要交通機関が概ね止まる、交通渋滞が起こる、この二つが理由です。

そして、これに拍車をかけているのが、各種鉄道会社と地下鉄の相互乗り入れではないかと、テラバヤシはそう思うのです。
日頃は便利な相互乗り入れ。
しかし、あれもこれもどんどこ繋いでしまっているため、1つの路線がダメになると、連動して他の路線もダメになる、支障のない範囲で折り返し運転にするということになってしまいます。

札幌の場合、私鉄はありませんし、市営地下鉄とJRは、相互乗り入れを一切していません。人口が人口だけに、それをするだけの経済的効果がないと言うこともあるのかもしれませんが、今回の騒動を見て、大雪対策の意味もあるのかもしれないと思いました。
地下鉄は地下鉄のみで独立しているので、雪の影響を受けずに走行することができます。市内であれば、JRが止まってしまった場合や大幅に遅れてしまった場合、代替手段として地下鉄が使える場合が結構あるでしょう。
そして、多くの家庭が自家用車を所有しているので(テラバヤシ家はありませんが)、最寄の地下鉄駅までたどり着けば、家族が車で迎えにきてくれる、最悪タクシーでなんとかなる。そういうことだと思うのです。
冬場のノロノロ運転やある程度の渋滞は、札幌っこは慣れっこです。さすがに今回の首都圏の大雪で起こった大渋滞ともなれば話は別ですが。

これくらいの天気ならこうなるだろうという想像力は、大悪天候時のために交通機関はどんな備えをしておくべきか、人はどんな対策を考えておくべきかということのために、非常に重要なのだと、悪天候の中レポートさせられている各報道機関の記者の皆様を見て思ったりしたのでした。

ちなみに、東京メトロの中では、丸ノ内線だけが、私鉄などと相互乗り入れせずに環状になってるんですよね。
地上を通る部分があるので、完全に安全路線とは言えないと思いますが、さすがに、国の中枢部分を通っていく丸ノ内線、不測の事態で安易に止まらないように独立させてるんだな、と思わずに入られません。

しかし、丸ノ内線だけ生きていても、あの日、夕方に期日があった弁護士や、午後からの家事調停が長引いた皆さんは、事務所や自宅に帰るのが非常に大変だったのではないかと思います。

日頃の便利をとって悪天候や災害時に泣くのを我慢するか、備えをとって日頃の不便を甘受するか。喉元過ぎればなんとやらで、前者を選ぶ方が多いとは思いますが、便利というものは一つ歯車が狂うとどうしようもない不便を引き起こすということだけは、忘れてはいけないのだよなあ、などと思う寒い寒い木曜日なのでした。

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# by terarinterarin | 2018-01-25 14:12
昨年の話題の中に、間違いなく入るであろうというのがLGBT問題の進展だと思います。
同性カップルに法律婚夫婦と同等の行政サービスを提供する自治体が複数出てきたり、会社の中でも、手当などの面で男女の夫婦と同じ扱いを行うところが増えてきました。
こんなに心の性の問題が注目された年は今までなかったかなと思います。

そんなところで、マツコ デラックスです。名前が長いので、以下マツコさんと表します。悪しからず。
マツコさんといえば、4日午後の情報番組ミヤネ屋で、宮根誠司さんと確かジョナサンで飲み食いしながら対談したVTRが流れていました。

2人は、ビールを飲みながら話していて、途中多少酔いも回りながらのトークとなっていったのですが、途中、マツコさんがこんな趣旨の言葉を言っていました。

テレビの世界は、こんな自分を受け入れてくれた。
だから自分は、テレビの世界に魂を売るって決めたの。

寺林はマツコさんのファンで、著作も数冊読んでいるので、マツコさんが、テレビ界や文筆の世界で活躍していることについて、非常に謙虚な姿勢を持っていて、言葉は違えど似たような趣旨のことを書いていたのは何度も読んだことがあります。

が、いくら旧知の宮根さんを前にして酒が入っていたとしても、まさかテレビでこれを言うとは思っていませんでした。
それだけ、自分がゲイであることに対するコンプレックス、申し訳ない思いが強いのだと、感じました。
だからこそ、強烈な毒の間から、気遣いや優しさが垣間見えるのだとも感じました。

日本には、割りに古くから、オネエタレントと呼ばれる人々がいます。
マツコさんもそうですが、はるな愛さんや、ミッツ マングローブさん、ナジャ グランディーバさん、KABA.ちゃんなど、多数の方が属している芸能人のカテゴリーです。

これも、マツコさんが以前有吉さんとの番組で言っていたことですが、オネエタレントって一括りにするけど、その中に含まれている人って、全然みんな違うからね、と。
例えば、はるな愛さんは、本当は法律上戸籍を女性に変更できる人だけど、自分たちはそれはできない(当時は違いましたが、KABA.ちゃんは、その後性適合手術を受けて、戸籍上の性別の変更許可申し立ても行いました。今や女性であります)。
自分の性認識が、男性という人もいれば、女性という人もいる。恋愛対象が同性の人もいれば、異性の人もいる。女性の服装をしたいか、男性の服装をしたいかという違いもある。

これらを掛け合わせていけば、オネエタレントと呼ばれる人たちの属性は、実に千差万別です。オネエタレントの中には、すでに完全に女性になっている方もいるわけですから、オネエタレントという呼称には、実は、たいした意味なんかなくて、世間がオネエタレントと位置付けた人、あるいは、そういうカテゴリーのタレントとして扱われることを厭わないタレントさんたち、ということにしかならないのでしょう。

寺林が得た情報では(書籍で事実上公表されているので、ここで書いても問題ないと思いますが)、マツコさんは、性認識は男性で、恋愛対象は男性、お仕事以外では女性の格好はしないと聞いています。仲良しのミッツさんは、普段も女性の服装だそうですが。

こんな風に多種多様な性的背景を持つ人が、オネエタレントというカテゴリーに限定してもあるにもかかわらず、マツコさんがなぜ、自分の属性について「こんな私」と卑下するほどの申し訳なさや、コンプレックスを抱いたのかはわかりません。

でも、LGBTというのは、おそらく今も多くの性不適合な人々にとって、そんなもの、それに近いものだったりするのでしょう。

他のオネエタレントのみなさんの中で、マツコさんほど自分を卑下する気持ちを吐露した人を、私は見たことはありません。
いつも、楽しそうに、明るく、振舞って見せています。
でも、蓋を開けてみれば、マツコさんと同じくらい、それ以上の気持ちでいる方はたくさんいることと思います。

LGBT問題が進展を続ける昨今、オネエタレントのあり方、ありゃどうなんだという批判をする人もいるようです。ふざけていると。問題を歪めていると。

ですが、寺林は、逆の考えで、オネエタレントと呼ばれた人が長い時をかけて、テレビで堂々とふるまっってきたことは、間違いなく、LGBTのみなさんの地位向上に繋がってきたのではないかと思います。

それと同時に、マツコさんの告白も、LGBTのみなさんに「自分だけではないんだ」という孤独感を解消することに役立っている側面もあるように思うのです。

話はそれますが、栗原類さんは自身の発達障害を告白して、芸能活動を続けておられます。

どこの世界でも、いろんな属性を持った人が、その属性を自身のものと受け入れて生きていける世の中になればいいな、と思うのでありました。






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# by terarinterarin | 2018-01-06 23:45

弱った時に見えたこと。

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

さて、年末に復活宣言をしたので、せっかくですから、休んでいた最中に見えたこと、考えたことを書いていきたいと思います。

私は、今も疾患が治っているわけではありません。従来の持病の悪化は、根気強く付き合うことが必要になってしまいました。
それでも、医師に診断や治療、投薬してもらってコントロールして、弁護士業務をこなしている状況です。

私は、もともと体が丈夫ではありませんし、父も母も40代の頃から病院の世話になりながら、日々の生活を維持してきました。
今回のことは、父や母の目から見てもそれなりに大変そうに写ってはいるようですが、無理さえしなければ、なんとかやっていけそうな感じだと思っているようです。

私自身、体調最悪の時期(6から9月)の時ですら、一生こうなわけではないだろうし、あらかじめ決まっていたスケジュールはキャンセルせずにこなしていました。
つまり、薬さえ飲んで、休める時に休んでさえいれば、普通に働ける、そういう意識でいました。会務などは、お引き取りいただいたものもいくつかあり、申し訳なく思っていますが。

しかし、世の中には、薬で体をコントロールしながら生活していること自体を見下してバカにしている人がいるのだとわかりました。

そんな変な薬必要ない、とあからさまに言われましたし、喘息に加えひどい鼻炎で呼吸が苦しい時に、鼻なんてすすっちゃえばいいのにさと言われたことまでありました(注:鼻をすするとそれが気管に落ちて気管支を刺激し、咳や喘息発作の元になるのでご法度とされています)。
ひどい冷房で私がその場で体調が悪化しているのを知りながら、無視されたこともありました。

どんな理由であれ、弱い部分が外部にさらされている人間は、見下される立場にあるのだということを身にしみて感じました。

見下している方には見下している意識はないと思います。
私は、人前では、体調が悪い様子はあまり見せないようにしていました。それでも、この始末でした。

弱い部分があるのはその人間のせい。だから自分で帳尻合わせたり、工夫して普通の丈夫な人間に合わせろというのが、基本的には今の日本の社会なのだとつくづく感じました。

自分も元気な時は弱っている依頼者に、無意識のうちに同じように感じさせる対応をしていたんだろうなと思ったりもしました。
解任されてせいせいしたケースもなかったわけではありませんが、傷つけたことはあっただろうと思います。

もし今であれば、ひょっとすると違う対応ができるかもしれないな、と思いました。

そして、自分は障害者の刑事弁護とか、刑事裁判後の支援とか、恐ろしくてできないなと思いました。
知的障害などがある被疑者被告人に対して、知らないうちに彼らができない何かを押し付け、善行を行ったような気分になってしまうことが、された側を体験すると、ひどく怖くなるのです。

人は人の気持ちなんてわからない。
だから、本来的にはそれは自分で抱えて生きていくしかない。
弱い人間は、いざとなったら逃げる場所を探して、嵐が去るまでその場にいるのが最良の方法です。
逃げるのは悪いことでもなんでもない。
逃げるのがベストなことが多々あるのだと思わされたのは、今回が初めてでした。

弁護士は、誰かに何かを教え説くわけでもないのに、先生、先生と言われていい気になって、とかく、気づかぬうちに上から目線になりがちです。

自慢じゃありませんが、私は、先生と呼ばれることは少ない弁護士です。
本来的な弱さがにじみ出てるからなんでしょうか。

依頼で来る方は、なんらかの問題を抱えていて、人より自分が劣っている、こんなことで悩むなんて弱い自分だと思っていたりすることが少なくないものです。

依頼者に寄り添うという言葉は、私は大嫌いです。
十分にコミュニケーションを取れているかどうかもわからないのに、寄り添えているはずなんかないからです。

でも、今回の体調大崩し事件を通して、少しでも相談者や依頼者の弱い部分が自分の中に、ジワンと入って来る機会が増えるなら、それはそれで体調を崩した甲斐もあったかもしれないと思います。

事件をやっていても、健康な人ほど人の気持ちがわからず残酷だとよく思います。

なってしまったものはしかたないので、こうなったことをこれからの自分に役立てなければ意味がないな…

そんなことをよく考えていました。

今年がみなさんにとって、良き年でありますように。

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# by terarinterarin | 2018-01-02 16:47

復活:テラバヤシブログ

大晦日の慌ただしい日に失礼します。

先日一夜限りの復活ということで、記事というか苦情を書きましたが、あの後いろいろ考えて、正式に復活することにしました。

とはいえ、以前みたいな原則1、2週間に一度という頻度ではなく、あくまで自分が書きたいときに書く
その結果、1ヶ月に1度になることもあれば、2日くらいで更新することもあるかもしれない、そんなマイペースで行くことにしました。
コメントも禁止にしました。
明らかに読む価値のないただテラバヤシを不快にさせることが目的のコメントをつける人が少なくないからです。

復活しようと思ったきっかけは、先日の一夜限りの復活に書いたことが原因でした。

正直言って、別名のSNSにフォローしてきた方は皆さんお世話になっている方、仲の良い方でした。
だから、テラバヤシも拒否せず、フォローバックするだろうとお考えになっていたのだろうと思います。
しかし、はっきり言ってテラバヤシという人間は仕事バージョンとプライベートバージョンが、全く違う人間です。
プライベートバージョンの姿を仕事関係の方に見られるのは、とてつもない苦痛でした。

もちろん、仕事関係の方でプラベートでも仲良くしている人はいました。
わたしはその人のことを割と信用していました。
しかし、今回体調を崩した際、侮辱されたと感じるくらいの心無い言葉をかけられ、この人とは今後少なくとも当分の間は関わるまいと決意しました。
仕事とプライベートは厳格に分けようと思いました。

なので、今回わたしの不手際があった際に、それを見逃さず、複数の方が別人のワタシをすかさずフォローしてきたことには恐怖を覚えました(注:一番最初にフォローしてきたのは、職業外の後輩で、体調不良のことも相談していた人でした。ので、フォローバックを厭わずに行いました)。

私の様子が分からないので、心配してのフォローだったのかもしれませんが、本当に本当に嫌でした

で、体調も多少回復してきたので(完全回復ではありませんし、薬でコントロールしながら疲労を極力抑える方法で体調管理しています)、この際こちらのブログを再開して、弁護士テラバヤシが何を考えているのか見える形にしたほうがご心配もかけないし、自分が嫌な思いをすることもないだろうと考えた。

以上の次第で、完全ではありませんが復活することにしたわけです。

また、私に依頼したいんだけど、今ブログ休載している人に頼んでいいのかしらと躊躇している人たちに対して、業務はきちんとしているということをお知らせしようと思ったことも、復活することにした理由の1つです。

ですから、弁護士テラバヤシのブログは、どうぞご愛読ください。
でも、私のプライベートの領域は決して犯さないでください。

そして、依頼を考えている方やWEBサイトなどの記事の作成を依頼しようと思っている方へ。
業務時間などは当事務所のWEBサイトでご確認ください。
最近は書面関係の仕事も多く受けておりますので、どうかご遠慮なくお声がけください。
ただ、業務過多の場合はお断りせざるを得ない場合もありますので、その点ご了承ください。
依頼に関しては、通院等により不定期で事務所を留守にすることもありますので、WEBサイト上のお問い合わせメールフォームをご利用いただくのが簡便かと思います。

今年、劇的に体調を崩して感じましたが、人間関係って油断しちゃいけないんだなと思います。
そして、巷でよく言われていますが、弁護士は、デリカシーがなく、胡散臭い人間がやたら多いというのは本当だなということも思いました。

それでも自分は少なくとも当面の間は弁護士をやっていこうと思います。
自分自身、デリカシーのない振る舞いをしたことも、胡散臭く映る振る舞いをしたこともきっとあるでしょう。
体調不良に陥って、このことを学べたのは最良の宝だったのではないかと思います。

本年はお世話になりました。そして、一部の方には多大なるご迷惑をおかけしました。
体調管理に気をつけながら、テラバヤシは来年はより一層精進してまいりたいと思います。
一度ご挨拶しましたが、改めて、皆様、良い年越しをなさってください。
今年の紅白は何と言っても、竹原ピストル、エレファントカシマシ、そして、安室ちゃんです。

そして、当事務所の来年の仕事始めは9日からです。どうぞ宜しくお願い致します。


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# by terarinterarin | 2017-12-31 09:52
皆様、ご無沙汰しております。
休載していたテラバヤシです。

元気ではありません。空元気はあります。
今日はどうしても書かねばならないと思い、一夜限り復活することにしました。

私は、別名でプライベートのアカウントをいくつかのSNSに持っていてブログもやっています。
プライベートアカウントなので、仕事関係者の方とは一切繋がるつもりはありません。

しかし、何かの拍子で(たぶん私のミスですが)、Facebookに私とそのアカウント名が同一人物であることを示す情報が最近流れたようで、急に、とあるSNSで、フォローする方が出てきました。

しかも、なんの挨拶もなしで。

誠に申し訳ありませんが、そのアカウントで仕事関係の方と接触を持つ気は一切ありません。
仕事関係の方に自分の裏側を見せるつもりは一切ありません。

ですので、大先輩からのフォローも仲良しからのフォローも遠慮会釈なくブロックさせてもらいました。

元は私のミスとはいえ、違う名前使っている時点で察していただきたかったというのが本音です。
体調不良でブログを休んでいるので、お気遣いいただいた方も中にもいらしたとは思います。
それでも、最初に一言いただきたかったと思います。

私は、ごく限られた人、自分を直接知らない人以外に自分のプライベートの深い部分を知られるのは好みません。
今後も同様に別名アカウントの同業者のフォローについては、遠慮会釈なくブロックさせていただきますので、ご了承ください。

本年最後になるであろうブログがこんな記事になってしまったことは誠に残念ではありますが、これでも皆様のご多幸をお祈りしております。

良いお年をお迎えくださいませ。


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# by terarinterarin | 2017-12-29 21:08

休載のお知らせ

皆様

ご無沙汰しております。

今年の6月頃から体調を崩し、現在複数の疾患を患っております。仕事ができないほどの体調ではありませんが、夜遅くの業務、土日祝の業務は医師にしないよう禁じられており、ブログへの投稿もままなりません。

ので、この度思い切って一時休載を宣言することにしました。

たまに裁判所でお会いする方は、不健康には見えていないと思いますが。

ブログに対する考え方も最近変わり始めており、最終的には打ち切りも視野に入れております。

業界には休みにも働いている自分をそこはかとなく自慢するオレ、みたいな風潮がありますが、皆様お身体にはお気をつけください。

土日祝日はメールチェック、電話チェック、一切行なっておりません。

ではまたいつか、万が一お会いできる時にはよろしくお願いします。

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# by terarinterarin | 2017-11-05 10:05
先日も書いた通り、テラバヤシ、やすらぎの郷にはまっております。
さすがにウィークデーにリアルタイムで観るわけにいかないので、録画を週末に観ています。

今週は非常に考えさせられる回でした。

やすらぎの郷の創設者が死の間際に、主人公の菊村、すなわち石坂浩二を呼び出します。
そして、山で死にたいか、海で死にたいか、と、問うのです。
菊村は山と答えますが、創設者の答は海でした。
その理由は、人生観とはまた違う、戦争とも関わる奥深いものでした。
彼は直後に絶命し、遺言に従って、水葬に付されました。日本海軍の方式での水葬だったようです。

劇中、水葬は違法だというセリフがありましたが、確かに調べてみたところ、ごく例外的な場合を除き、少なくとも日本では、水葬は禁止されていました。違反には罰金刑も定められていました。

ウチの母は、もう何十年も前から、自分が死んだあと、焼場で焼いたら、適当にその辺に撒いとくれ、墓は要らないから、などと言い続けており、ザ昭和の男である父を悩ませています。

今回のやすらぎの郷を見て、死んだあと自分をどうしてほしいか考えたのですが、適法か違法かはさておき、波際に遺体を運んで置いておいてもらいたいなあと思いました。

そのうち、波がテラバヤシの遺体を海へ運び、海底に徐々に沈め、その過程で魚やその他の生き物が私の遺体を食べ、残骸は長い時間をかけて海の一部と化していく。

一見恐ろしそうにも思えますが、肉体を支える精神が朽ちて消えているのに、焼かれた肉体の残骸が、後生大事にダレソレ家の墓の下で、どこにも帰ることなく冷たく放置されることは、経済的に云々、土地が云々とか言う前に、自然の摂理としてものすごーく不自然に思われるのです。

ゾロアスター教を始め、いくつかの宗教では、遺体を鳥についばませ、死者の魂を天に運んでもらう鳥葬が行われています。
遺体を野ざらしにして風化するに任せる風葬という方式もあります。
思想と結びついてはいるものの、地球から生まれた命を朽ちた後も地球の一部としてあつかう点において、理にかなった埋葬方法のように思えます。

やれ、戒名だの、やれ永年供養だのなんだのかんだのと、死人に口なしをいいことに生きてる人間の思惑で、死んだ後まで自由にさせてもらえない国って、なんだかホントにめんどくさいなあ、と思うのでありました。

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# by terarinterarin | 2017-09-23 20:48

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terarinterarin