テラバヤシが弁護士になったワケ。

寺林が、「弁護士」という職業を志すきっかけになったのは、テレビドラマです。

この手の話は結構聞かれるもので、冒頭、こういう風に答えると、大概のみなさん、「あ、HEROですか」などと言います。

あのね、あのドラマ、検事のドラマですから・・・
しかも、そんなに私、若くないです。

私が影響を受けたドラマ、それは、懐かしのNHK「ドラマ人間模様」の枠でやっていた、「事件」シリーズです(吉永小百合の「夢千代日記」なんかやってた枠ですね。好きでよく観ていました)。

故若山富三郎(勝新太郎の兄)が、国選の刑事弁護ばかりを引き受ける貧乏な弁護士を演じていたドラマです。

伝書鳩しか友達がいない若い男の子(佐藤浩市のデビュー作)が女の子を殺してしまった話。
ある男(ケーシー高峰)が売春婦(記憶なし)を殺してしまった話。
ある男(丹波哲郎)が幼なじみ?の女性(いしだあゆみ)を殺してしまった話。

こういう、どう考えても訳がありそうな事件について、情状面も含めた真相に、若山富三郎が足を使って情報をつかみ、迫っていくのです(確か2番目の話は殺人で起訴されたけど、実は同意殺人だった、3番目の話も殺人で起訴されたけど、最終的に過失致死に認定落ちした話だった、と記憶しています。法律用語で解説すると、何とも情緒がなくなります)。

一番最初に観たのは、小学校の5年生か6年生でした。

「こんな仕事があるのか!!」

と、ドッカンと衝撃を感じたのを今でも覚えています。

自分には記憶がないのですが、以来私は、「貧乏な弁護士になる」という夢をしばらく周囲に語っていたそうで、法テラスに就職が決まったときには、妹から「お姉ちゃん、夢が叶ったね!!」と、心の底から祝福されました。

弁護士になる夢を心の端に置いて、私は、法学部に入り、司法試験の受験勉強を始めました。が、学力というか能力がどうにも足りず、いったんあきらめてしまいました。

その後、話せばとってもとっても長くなる紆余曲折を経て、27歳から再挑戦。「今年で終わり」と決めた10回目の受験で、何とか合格したわけです。

法テラス愛知にいたときには、ずいぶんと刑事事件をやらせてもらいました。法テラスに入った動機は、「お金のことを気にせず、刑事事件をやりたい」ということでした。
願ったりかなったりでした。

いったん司法試験をあきらめた後も、受験を再開したときも、愛知に行ったときも、そして今も、子供の頃に観た若山富三郎の姿が心の隅に残っています。

今の試験制度は、私が受験していたことの試験制度とは違います。
若山富三郎を夢見て10回も受験するなんて、できなくなってしまいました。

ご存じの方もいるかと思いますが、今は、「法科大学院(日本版ロースクール)」を卒業しないと、受験資格を得られません。
受験回数も3回までと限られています。
受かった後も、司法修習の際にかかる生活費は、「貸与」という形になり、返済しなければなりません。

私たちの頃の制度は、お金がないなりに受験を続けられる制度でした。
自分のライフスタイルに合わせて受験をすることができました。
事実、私は、某予備校の講師の仕事をしながら受験生活を続けていました。
司法修習生のころは、月ごとに17、8万円の給与をもらっていました。

自分の夢を追う回数を、法律によって制限されるいわれはありません。
夢を追った結果、多額の借金を背負わされるいわれもありません。
司法試験、司法修習は、夢を追うために払う代償が余りに大きい試験制度・育成制度になってしまいました。

これでは、優秀な人材(単に頭脳明晰という意味ではありません)が法曹界に集まらなくなってしまいます。

お金や年齢や、そういうことを足かせにしないで夢を見られる受験制度・育成制度に法曹界を戻して欲しい。

10年選手だった寺林は、切に願っています。
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by terarinterarin | 2014-06-01 02:21 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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