たまにはまじめな話をしようと思います。

最近、自分の暴露話で2回ほどブログを引っ張るという、ネタがない苦しい展開になっていました。
が、今回は、ちょっとまじめな話をしようかな、と思います。
慣れないことをやるので、どこかで破綻するかもしれません。

最近、人が亡くなる大きな事件が起きるたびに、日本が「吊し上げ国家」になってきたなあ、とつくづく感じます。
しかも、その吊し上げが人を死なせてしまった本人だけでなく、その家族にも矛先が向くという、そんな感じです。

例えば、犯人の「そんなこと関係ないじゃん」という過去をえぐりだして、無理やり事件に結び付けたり、悪辣な人格の表象みたいな表現をしたり。
インターネットでは、事件の報道を読んだ人(最後まで読んでいるかどうかは不明ですが)が、「死ねばいいのに」くらいでは収まりきらない罵詈雑言を浴びせたり(知らない人に対してよくそこまで書けるもんだ)。

事件直後に混乱しているだろう親兄弟をワイドショーのリポーターが訪ねていって、無理やり謝罪の言葉を言わせたり(世間向けにお詫びなんて言わせてどうするわけ?)。
何か大きな事件が起きると、ヒステリックな恐怖心がどどーんと高まって、「一億総被害者」みたいな雰囲気をマスメディアは煽るし、そんな気持ちになっちゃう人もどんどん増えてきてしまっている、そんな気がする今日この頃です(いや、気づくの遅いと突っ込まないでください)。

もちろん、被害者の遺族の皆さんや親しかった皆さんが、激烈な怒りを持つのは当たり前の話です。
が、世間がそこに乗っかるようにして大騒ぎするのってどうなんでしょう。

そして、私たち弁護士というのは、こういう大きな事件が起きれば、「さて、弁護人の派遣」とか「さて、ご遺族の方はサポートがついているのか」などと一歩引いた目で事件を見るのが普通だと思うのですが、周りを見ていると、「ヒステリー」に乗っかっちゃうタイプの人もいたりするんですよね。
それもどうなのか、と思う。

こういう事件が起きるたびに思い出すのが、母から聞いた、母が子供のころの出来事です。

母は、とある田舎町の出身です。
あるとき、近所の家の方が事件を起こして人を死なせてしまったことがあったんだそうです。
母は、その家の娘と同じクラス。
祖母(母の母)は、その家のお母様と親しくしていたらしい。

娘は、学校に普通に出てきて、普通に生活していた(内心は普通じゃなかったでしょうが)。
母も、他の友達も、「この子が事件起こしたわけでもないし」とそれまで通り普通に付き合っていた。
近所の人が大騒ぎしたり、嫌がらせしたという話も聞いたことがなかった。
祖母も近所の人も、お店をしていたその家にそれまで通りに通っていた。

その家族は、事件の後もその田舎町で近所の人に囲まれながら、普通に暮らし続けたそうです。

もちろん、マスメディアなんて今みたいに発達していません。
しかし、田舎町ですから、「村八分」みたいな現象が起きやすいといえば起きやすい。
そうであるにもかかわらず、この寛容さ。
自分たちには糾弾する権利なんてないということを、周囲の人間がわかっていた大人の町だったんだなあと、しみじみ思ったものです。

関係ない人間がヒステリックに犯人やその家族を糾弾したって、事件がなかったことになるわけでも、「そういう犯人が出てくる世の中」が変わるわけでも何でもない。
だったら、単なる傍観者の立場にしかいない人間は、冷静に事件の解決を眺めるしかないんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか?
ちょっと近いところにいる人も、しょうもない情報や画像流すようなマネはやめたらどうかと思うんですが、どうなんでしょうかね。
傍観者には評価をする権利はあるけど、糾弾する権利はないんですから。






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by terarinterarin | 2014-08-09 02:17 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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