コミュニケーション能力とやらについて考えてみた。

1日中やる気が起きなかった寺林です。

本日は、8日締め切りのウェブ記事集中執筆日に充てておりました(明日は外に出る仕事もあり、書く時間がない)。結構な量だったもので…
裁判所に提出する書面も含めて、(原則的には)締め切りを守る主義であり、本当は昨日だって時間はあったのですが…4月だからでしょうか?3月末がバタバタしすぎていたからでしょうか?まったくやる気が起きず、料理するか食べてるかで1日が暮れていきました。

で、本日もヤル気全開とはならず、もう既に8時になろうとしている。そしてブログを書いている。これはこのまま、コーヒーすすって、「鶴瓶の家族に乾杯」見つつ、ボケっとブログを書いて風呂に入って寝るパターンになりそうです。

さて、先日のことですが、古くからの知人に、話の流れで「寺林さんはコミュニケーション能力があるからねえ」と言われました。
「他人とコミュニケーションをとる能力に優れている」という趣旨(のはず)です。
実は、過去にも、この手のことを言われたことがあります。
もう、当の本人は忘れてしまっていると思いますが、一番最初に入った事務所のボスからです。「あんたは誰とでも話すことができる」と言われたのでした。
この理由は、わりにはっきりしています。
ひとりでやった初めての法テラスの法律相談、相談者の方から、「夫から頭の中に盗聴用のICチップが埋められた」と言われたときに、「それ、手術でとれませんかね」と即答したというエピソードを披露したことがあったからです(ただ、この方には、その後「癒着してるんです」と返されて、閑話休題)。

寺林は、こう見えて(知ってる人向けの言葉)、元々ひどい人見知り。
白状しますが、大宴会とかパーティとかで知り合いに話しかけるのは、かなり勇気が要ります(ビュッフェの料理をとるのも苦手です。ビュッフェ立食形式の宴会が続くとダイエットできます)。
電車なんかで中途半端な知り合いが近くにいると、見つからないように顔を下に向けたりします。

でも、どうやら「コミュニケーション能力」とやらは、ひと様から見るとあるらしいのです。

こいつなに自慢しとんじゃ。
弁護士なんだから、コミュニケーション能力なんて当たり前だべ、ボケ
なんて、思う方がきっと多いんじゃないでしょうか。
そう、そのはずなのです。
いや、そうではないと困るのです。
しかし…この「コミュニケーション能力」とやら、分解するといったい何を指しているのか、意外に判然としない概念だと思うのです(どうやらネットで調べたところ、コミュニケーション学とかいう学問では、きちんとした定義があるようですが、ここでは、世で流通しているこの言葉のイメージ、概念ということで使っていこうと思います)。

一時期、コミュニケーション能力という言葉に、嫌悪感を抱いていたことがありました。
まだ、弁護士になる前の話です。
前にも書いたけど、寺林は、今はなき早○田セミナー札幌校の公務員試験講座の非常勤講師を8年ほどやっておりました。
ここは、2次対策も当時から非常に熱心にやっていて、普段、民法だの憲法だの数的推理だの歴史だの教えている講師が、2次試験の時期は模擬面接官になり、来る日も来る日も面接の練習を繰り返しておりました。
(ちなみに、あるとき、過度の緊張のために模擬面接中に泣き出した受講生が、2ちゃんねるに「T林先生に泣かされた」という趣旨の書き込みをしたらしいのですが、冤罪です。が、身に覚えはあります)。

で、まあ、あなたの売りは何ですか、みたいな質問をするわけですが、かなり多くの人間が「コミュニケーション能力があります」とか答え、仕事をするうえで、最も必要な資質はどんなことだと思いますか、みたいな質問をしても、かなり多くの人間が「コミュニケーション能力だと思います」と答えていたわけです。
まさに、言葉は悪いが「馬○のひとつ覚え」状態。
試しに、コミュニケーション能力って何ですか、と聞いても、「ほお!!」と膝を打ちたくなるような答えが返ってきたことは一度もなく、印象に残らない回答ばかり。

自分にはコミュニケーション能力があります!!必要な資質はコミュニケーション能力です!!という人間に限って、「コミュニケーション能力とやらがどんなもんかわからんが、あんたにそれがないことだけは確かだ」と言いたくなるようなお人柄だったりしたわけです。
とまあ、つまり、就職試験の現場で安易に使われるだけの安直で耳障りのいいキーワード的な、空っぽの言葉としてイメージしかなく、へそ曲がりの私は「うーん、この言葉好きじゃないわ」と思っていたわけであります。

ただ、自分が「コミュニケーション能力がある」などと、しかも同年代(ちょっと上)の人から言われたとなると、それが一体全体どんな意味合いで使われたのか、一般的にどういう意味合いで使われるもんなのか、気になってしまうものです。

人と話をするとき、特に仕事で相談を受けるとき、大切にしているのは、一言でいえば、話を聞くことです。自分の仕事、7割は聞くことなんじゃないかと思うとります。特に仕事のときには、相談者が、どんな顔で、どんなタイミングで、その言葉を発しているのかが、とても気になります。

例えば、ご主人から離婚を切り出されたけれど「自分は離婚したくない」という相談を受けたとしましょう。
しかし、言葉としては同じでも、その背景にある感情というのは、人それぞれ、状況によってそれぞれであって、「まだ愛情があるから別れたくない」「子供が小さいので今別れるのはちょっと」「頭が整理できていないので今は別れたくない」などなど、様々に分かれるものです。
で、人というのは、自分が出した「答」は認識できていても、その「答」が導き出された本当の理由について、自分自身で認識理解しているとは限りません。
こちらが相談に対する答として、例えば「客観的な状況から考えてご主人の要求は通ってしまうだろう」と言わなければならないとしても、それを、受け入れてもらうにあたっては、できるだけ、その人が自覚していない(かもしれない)「本心」に近づくことが必要なんではないだろうかと。その本心から考えて「こういう言い方すればわかってもらえるかな」という言い方をすることが必要なのかな、と思うのです。
そして、その人が認識していない「本心」を認識するためには、その人がどんな表情をしているか、どんな言葉を発したか、などなど言葉に表れないところから察するしかないはず、なのです。

これが完璧にできる人は、おそらく弁護士なんぞよりはカウンセラーとかセラピストになるのがいいんじゃないかと思うし、寺林が、これを完璧にやりこなしていますなんて、とてもじゃないが、口が裂けても言えません。
ただ、結構人の顔色をうかがって話を聞いていること自体は事実です。
日常生活でも、親兄弟以外の人に対しては、(これでも)結構その人の顔色見ながら話しているんですよ~(友人知人のみなさん、信じないだろ~)。

というわけで、仮に寺林に本当にコミュニケーション能力とやらがあるのだとしたら、その言葉の意味するところは「相手の話を聞いて、相手の顔色をうかがって、相手に受け入れられるよう配慮しながら、意思疎通すること」というところかな、と思います。
なんか、イメージ的には、「自分の言いたいことをわかりやすく伝える能力」みたいな発信及び言語的な部分に比重を置いた言葉のような感じですが、案外、むしろ受身的かつ非言語的な要素が強い能力なのかもしれません。

弁護士って、少なくとも弁護士同士だと、人の話大概聞いてないよなあ…





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by terarinterarin | 2015-04-06 21:19 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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