「国選の先生は動いてくれない」について。
2015年 05月 08日
働きに出てはみたものの、いつもの調子に戻りきらないまま、またお休みモードという人も少なくないかもしれません(同業者でお休みがとれていた人は、逆に忙しい土日でしょうか)。
つい最近まで、珍しく私選の刑事弁護を担当していました。
別に刑事専門弁護士を謳っているわけでも何でもないので、法テラスをやめた後も、そんなにどばどば私選の刑事事件が来るわけではありません。
それでも、独立後は2件目の私選刑事弁護。やっていて、思うところがありました。
今回の事件では、家族間の私生活上の連絡にとどまらず、経営している会社の関係者との業務上の連絡もこなさざるを得ませんでした。
やっていたことは、単なる事務連絡でした(当然、証拠隠滅などにつながらないよう、かなり詳細に事情を聞いたうえで行いました)。一度、その延長線上で「これはきちんと委任状とって代理人としてやらなければならないかも」という事態になったことはありましたが、結局は、依頼者の意向でそこまでには至りませんでした。
自分がやっていたのは、あくまで「業務上の連絡」といういわば事実行為に留まるもので、刑事弁護の契約の枠内からはみ出しているとまで言えないものと思われました。が、これ、国選の弁護人だとやりにくいだろうなあ、やらないほうがいいんだろうなあ、とそんな風に思いました。
国選弁護とは、国がその費用である特定の被疑者被告人の弁護活動を弁護士に委託するというもので、被疑者被告人自身との間に契約関係はありません。
加えて、国選の刑事弁護をする場合、職務基本規程上、その事件について報酬その他の対価を受領してはいけないというルールが定められています。
つまり、要は(解釈にもよる…のかもしれませんが)「国が支給する費用だけもらって刑事事件だけを担当する」というのが、国選事件ということになるわけです。
もちろん「だけ」とはいえ、実際にどこまで「だけ」としてやるべきか、やっていいかは、割に微妙な判断になることもあるでしょう。
「差し入れしてほしい」、「息子の○○が就職が決まったので伝えてほしい」みたいな単なる連絡は、特に家族が遠方にいる場合は当たり前にやるとして、よく新人研修のお題なんかに出される「飼い犬のえさやり」までやるべきかどうかは悩むところでしょう(個人的には法的な義務はないと考えます。個々人が責任を持てるかどうかで判断すべき問題じゃないかと思います)。
そして、今回、私がこなしていた「業務上の連絡」は、「民事の代理」と薄皮一枚。民事の代理をやるとなると、やらねばならない内容によっては費用をもらう必要がある。すると、先の「対価受領禁止」のルールとの関係が気になってきます。
「業務上の連絡」はやっていたのに、その延長線上にある「民事の代理」はやらないというのも、実際にはなかなか難しいこともあるでしょう。
そうすると、「業務上の連絡」の段階で、「できません」と断ってしまうという選択肢も、しかたないし、むしろそうしたほうが賢明といえる場合もあるだろうと思われるわけです。
ただ「民事」の問題といっても、弁護活動の一環として当然やらねばならないことはいくつかあります。典型的な例は、示談。これについては、先ほどの線引きのルールは当てはまらず、「だけ」の範疇に入るので、国選弁護人とて、交渉はやらねばならん。
また、「だけ」の範疇については、国選とて、被疑者被告人の利益のために可能な限り手を尽くすことは当然なんであって、例えば、特段の理由がないにもかかわらず、被疑者に勾留中1度しか会いにいかないとか、検察官請求証拠もろくに読まずに公判に臨むとか、たった数行で控訴趣意書を終わらせるとか、そんな活動が言語道断であることはいうまでもありません。
世間では、あるいは、何度か刑事処分の経験がある方たちの間では、「国選の先生は動いてくれない」というのが、ある意味定説化しているようです。
が、この「動いてくれない」の意味するところは、かなり多義的ではないかと思われます。
国選の先生だから、接見にあんまり来てくれない。
国選の先生だから、示談を一生懸命やってくれない。
国選の先生だから、家族と会えるようにしてくれない、保釈の申請してくれない(注:どうひっくり返っても無理という事件もありますが)。
こういう場合は、「国選弁護人としてやるべきこと」を十分にやってくれないといえるので、被疑者被告人の皆さんの愚痴、程度によっては糾弾の的になることは甘受せねばならないでしょう。
がしかし、
国選の先生が、犬にえさをあげてくれない。
国選の先生が、業務連絡をしてくれない。
ということになると、「国選弁護人としてやるべきこと」をやっていないとまでは言えない。特に、「業務連絡してくれない」については、先ほども書いた通り、国選弁護人の権限や対価受領禁止ルールの関係で、むしろ「やるべきではない」「やらないほうがいい」といえる場合が想定されるわけで、そうすると「動いてくれない」と愚痴られるのは、本当は、ちょっと違うんだろうな、と。
そして、こういうある意味における「誤解」を解く術がなかなかないというのも、弁護士としてはつらいところ、なんであります。
多くの場合、被疑者被告人、その関係者の皆様の理解は、「国選はお金が安いからやってくれない」というところですから。
個人的には、「自分は犬のえさやりも、あなたの会社の業務連絡も一切やらない。しかし、弁護人としてあなたが早期に釈放されるよう全力を尽くします」という姿は、非常に正しく(アホみたいな言い方ですが)かっこいいよな、と思います。
自分の場合は、これでも気が小さいので、こんなに堂々と宣言することはできません。
被疑者被告人の顔色を見ながら、機嫌を損ねないよう、やんわりやんわり、じんわりじんわり、ものすごい遠回しな言い方するところから始めることになりましょう。