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私たちの業界に必要なこと。

6月4日木曜日、ともえ法律事務所は臨時休業しました。
とある方の葬儀に出るため、名古屋に行くことにしたからです。
その方は、テラバヤシが法テラス愛知法律事務所で勤務していた当時、同地方事務所の副所長をしていた弁護士でした(報道で名前も出てしまいましたし、隠す必要もないのですが、こういうブログで名前が出るのはご本人にとってあまり本意ではないかもしれないので、名前はあえて出さないで書き進めたいと思います)。

お亡くなりになったのは、突然のことでした。当初、葬儀に出るかどうか迷いましたが、やはり参列したいと思い、向かうことにしました。

テラバヤシは、法テラス愛知法律事務所の第1号弁護士でした。
赴任したのは、弁護士1年目をやっと過ぎたばかりのころでした。
そのうえ、愛知県弁護士会は、法テラス反対派も多いと言われている土地でした。
行ったら、たぶんいじめられるよ、と散々脅されました。
友達も親戚も一人もいない土地での、心細い船出でした(実は人生初のホームシックになったのは愛知でした)。

亡くなった先生は、副所長の中でも民事法律扶助(経済的な事情で弁護士費用のねん出が難しい方のために、弁護士費用を法テラスが一時立て替えるシステム)の担当で、「ミスター法律扶助」と言われるほど、民事法律扶助のシステムに精通している方でした。

法律事務所の事務員(開所時に初対面)Bさん(仮名)は、パラリーガルの経験がない方でした。ワタシが赴任する前の数週間、この先生の事務所で、トレーニングを受けさせてもらっていました。
法テラス愛知法律事務所は、最初の1年間はテラバヤシとBさんしかいませんでした。そのうえ、ぺーぺーの新人弁護士だったテラバヤシは、Bさんにろくすっぽ教えることもできませんでした(注:Bさんは、電話応対も帳簿の付け方も文句のつけようがなく、パラリーガルの独特の部分さえ覚えていただければ十分な方でした)。先生の事務所の事務員の皆さんは、その後もBさんと交流をしてくださって、ふがいないワタシの代わりに、精神的な部分も含めて色々と手助けをしてくださいました。

この先生がいなければ、テラバヤシは、法テラス愛知での仕事を全うすることはできませんでした。
都市部の法テラスには、刑務所や拘置所からの法律相談が相当数持ち込まれます。
刑務所や拘置所からの法律相談は、解決が困難なものや相談者がひと癖ふた癖ある場合が多く、対応に時間がかかることも少なくありません。一般の事務所の弁護士がやるには、負担が多いものも相当数あります。
そこで(もちろん全てではありませんが)、赴任して半年くらい経ったころからでしょうか、先生から、こういった案件で法律相談に行ってほしい、場合によっては事件を受けてくれないかと相談されることが出てきました。
自分としては、こういう「負担は重いけれど経済的にはペイしない事件」をやるのが給料取りのスタッフ弁護士の仕事、と思っていたので、当然のように引き受けていました。

実際に法律相談に行ってみると、その後どのように対応すればよいのか迷うことも多く、そのたびに私は、先生に相談していました。
あるとき、この手の案件で、かなり本格的なクレームがついて、下手をすると懲戒請求されかねないという事態になったことがありました。
相手に納得してもらうために、手紙のやり取りを続けなければならなくなったのですが、この時も、先生は面倒そうな様子を一切見せずに、手紙の書き方や返すタイミングなど、ひとつひとつ丁寧に対応を教えてくれました。
なんとか事態を切り抜けることができました。

後で知ったのですが、当時、先生は、「面倒な仕事をやらせているのだから、懲戒を受けさせるわけにはいかない」と漏らしていらしたとのこと。「反対派がいる土地」にスタッフとしてやってきた、どこの馬の骨ともつかぬワタシのことを大切に思ってくださっていることがわかって、ちょっとジーンとなったものでした。

それだけではありません。週に1回法テラスの地方事務所に来ると、必ず法律事務所の方をのぞいて下さいました(法テラス愛知は、法律事務所と地方事務所がドア1枚で繋がっています)。
ワタシがいない時でも顔を出して、Bさんに一言二言、声をかけてくださっていたようです。

葬儀には、Bさんと一緒に参列しました。
葬儀の受付には、先生の事務所の弁護士や事務員の皆さんが立っていました。
ひと段落した後、Bさんと一緒に、事務員の方とお話をしました。今でもBさんと事務員の皆さんが連絡を取り合ったり、会ったりして、交流を続けていることがわかりました。
先生の事務所から法テラス愛知法律事務所に入ったワタシの後輩弁護士も、いまだに先生や先生の事務所と深いつながりを持っていました。
そして、先生は司法修習生を一人抱えていました。その修習生はワタシに、「こんなときなのに、事務所の皆さんは私のことをとても気遣ってくれるんです」と話していました。
突然のことだったので、先生が担当していた案件の対応も相当大変だったはずです。そんな中でも司法修習生に対する配慮を忘れない先生の事務所の皆さんに、テラバヤシは、感動すら憶えてしまいました。

大袈裟に表現しているわけではありません。

うちの業界、ここまで、周りを思いやったり、人の繋がりを大切にしている場面って、愛知を出て以来、見たことも感じたこともありませんでした。
(悪口になっちゃいますが)私は、その後、法テラス愛知から法テラス東京に転勤したのですが、地方事務所の人との関係は希薄でした。同じ法律事務所には何人も弁護士がいたはずなのに、一緒に仕事をしている仲間という気持ちには全くなれませんでした。
地方事務所の人も所長や副所長とももちろん関わりはありましたし、相談の機会も設けられていました。が、「腹を割って話す」「親身になって話す」という雰囲気はありませんでした(もっとも私の方に馴染もうという気持ちがなかったと言われてしまえば、それだけの話です)。
そこはかとない孤立感を感じたものです。

なにも、東京の法テラスやワタシに限ったことでもありません。
実は葬儀があった日の夜、事務所に司法修習生女子三人が遊びに来てくれて、いろいろ話を聞かせてくれました(夜には東京に戻っていました)。
まだ、弁護修習前ということもありますが、就職の情報もネット上のサイトに登録されているものしかないらしく、とにかく世界が修習生オンリーでかたまってしまっている感じが見受けられました。

テラバヤシが修習生だったころは、検察修習の時は担当検事と、裁判修習の時は、左陪席や右陪席(たまに部総括)あたりと、よく飲みに行って、いろんな話を聞かせてもらったりしたものです。もちろん、修習先の弁護士に限らず、色んな法律事務所に遊びに行って、先輩弁護士から話を聞かせてもらったものです。
そこで、就職に関する情報を得ることもあったし、法曹として必要な心構えを身につけることもあったし、自分の進路について考えることもありました。
ワタシは修習は札幌で、就職とともに離れてしまったので実感することはできていませんが、札幌修習からそのまま札幌弁護士会に入った人なんかは、たぶん、修習の時の繋がりが、そのまま仕事に生かされていることが圧倒的に多いのではないかと思います。

ヒトと関わる仕事のはずなのに、業界内部でのヒトの繋がりが実は薄れてしまっているんではないか。
ヒトに支えてもらってる、いつでも相談できるという安心感がないと、(特に若手は)難しい案件を抱え込んで、誤った処理をしてしまいがちになります。精神的に追い詰められてしまいがちにもなります。
孤立感を感じる人が増えて、それにつれて、よろしくないとされる弁護士やメンタルやれる弁護士が、じわじわ増えているんじゃないんでしょうか。
それって、弁護士になったばかりの若手やこれからほうそうになろうという人にとってばかりでなく、中堅ベテランの弁護士にとっても不幸なことなんではないかと。
だって、仕事を安心して任せられる人、そこまでいかなくても安心して仕事の話ができる人が、下にいなくなっちゃうってことなんですから。

どうしてこうなってしまったんだろうか。
単に法曹人口が爆発的に増えたという、ただそれだけのこと、なんでしょうか?

くしくも、葬儀の日は、先生のもとにいた歴代修習生と現修習生を集めての飲み会を開く日だったのだとか。
うまく言えないのですが、こういうことが必要なんだよな、弁護士業界。
と、なんとなく漠然と思ったと同時に、先生は、やっぱり時代の問題点にきちんと気が付いて、ご自分なりにこうあるべきということを実践されていたんだなあと感服してしまったのでした。

ご冥福をお祈りいたします。





by terarinterarin | 2015-06-07 01:45 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terabayashi