「被害者の気持ち」について思うこと。

「絶歌」の感想文の投稿、多くの方に読んでいただいているようで、ありがたい限りです。

本日、ヤフーニュースを見たところ、被害者Hくんのお父さんによる怒りのコメントがありました。
お父さんの怒りは凄まじいようで、「息子は2回殺された」とコメントされた、と記載されておりました。
元少年Aから送られてきた「絶歌」は当然読んでおらず、送り返したとのことです。

テラバヤシとしては、お父さんのお怒りを筋違いであるとか、言っていることがおかしいであるとか、そんなことを言うつもりは毛頭ありません。

ただ、まずは、このお父さんの気持ち・考え方は、被害者(やその家族、遺族)すべての考え方を代表するものではない、と、ここで申し上げたいと思います。

被害者やその家族の皆さんの加害者や被害に遭ったことに対する考え方は、実に様々で、「ふつうはこれ」ということはとてもできない、というのが率直なワタシの意見です。

ワタシは、今までわりに多くの刑事事件で弁護人を担当してきました。その多くは、自分がやったことを(全部ではないにしろ)認める事件でした。
刑事事件というのは、多くの場合、被害者がいるものです。
「やりました」と認める事件であれば、当然、被害者の方に謝罪する、被害者の方と示談交渉するということも弁護人の役割となります。
そんなわけで、被害者やそのご家族の皆さんと接触する機会も多数ありました。

成人が犯した数百円程度の万引き事件で、「両親連れて頭下げに来い。誠意のある金額出してくれよなあ」と被害者の方に電話口で巻き舌でまくしたてられこともありました(注:コンビニの万引きなどは、現行犯で犯人を捕まえたりすると、その後実況見分やら何やらで、人件費はかかるわ、その日の売り上げは落ちるわで、実際に店がこうむる損害額はかなり多額であることは事実です)。

かと思えば、高齢の一人暮らしの男性にかなりな大けがをさせた強盗致傷事件で、家庭の事情で示談金として十分とは言えない金額しかご用意できなかったのに、あっさりと示談に応じてくださった上、嘆願書まですらすらと書いていただいたということもありました。

とある殺人事件では、被告人の意向で謝罪すらできなかったところ、裁判が終わった後に、ご家族の方がワタシに会いたいと連絡をとってきたことがありました。
被告人本人にその旨伝えたところ、「会ってあげてください。何でも話してくれていいです」と言われ、事務所でお会いしたことがありました。
もちろん、本人から許可はもらっているとはいえ、ご家族の方には「守秘義務があるのでお話できないことが多々あります」と予め伝えて了承してもらってお会いしました。
その方は、非常に落ち着いた様子で、ご自身の身の上や被害者の方との関係などを小1時間ほどお話しになって、お帰りになりました。

性犯罪の被害者の方で、「お金はいらないけど、お詫びの手紙は受け取ります」と連絡をくださった方もいました。
幼児が被害に遭った事件では、被疑者が精神障害を抱えており、被害者の親御さんから被疑者の両親に逆に励ましの手紙が来たこともありました。
もちろん、何度も連絡を試みても、無反応の方、一切接触したくないという方もおられました。

ワタシが担当した事件以外でも、被害者のスタンスとして、興味深いものがいくつかあります。

1980年に起きた新宿西口バス放火事件。多数の方が亡くなりました。
生き残った被害者杉原美津子さんという方がいました。
杉原さんは、拘置所にいた犯人の丸山氏に対して、自分はあなたのことを一度も恨んだり憎んだりしなかった、さばくつもりもなかったなどと手紙をしたため、会いに行きたいと申し出ました。そして、面会が実現したというのです。
丸山氏は心神耗弱が認められ、無期懲役となりました。しかし、その後、獄中で自殺しました。
杉原さんは、NHKのドキュメンタリー番組の中で、丸山氏が自分で自分の命を絶ったということに対して、大きな怒りの気持ちを吐露していました。

また、どの事件の話だったかは忘れてしまったのですが、殺人事件の被害者のお兄さんが死刑宣告された犯人と何度も面会を重ね、その結果、この犯人を死刑にしないでほしいという気持ちを持つに至り、法務大臣に嘆願書を出したという話を、深夜のドキュメンタリー番組で見たこともありました。
結局死刑は執行され、被害者のお兄さんは、無念の思いを最後に吐露されていたわけですが。

自分の経験やテレビなどで垣間見た、実に様々な被害者やその家族の対応を振り返ると、被害を「受け入れる」「納得する」(こういう言葉が果たしてふさわしいのかどうかはわかりませんが、今選択するとしたら、私のボキャブラリーとしては、これしかありえません)という言葉の意味は、被害に遭った人それぞれ違うのだろうし、「受け入れる」「納得する」というところに達する方法も、それぞれ違うのだろう、そう思うのです。

元少年Aのもう一人の被害者Yさんのお母さんは、今回、Aの真意を知りたいというようなコメントを発していて、その心中は明らかにはなっていませんが、少なくともH君のお父さんのような怒りを前面に出す(これも報道によれば、なので真意の細部についてはわかりませんが)には至っていません。

Hくんは、元々はAの弟の友達でAともよく遊んでおり、しかもAがHくんをひどく殴ったりしてもご両親は許してくれるような存在でした。Hくんが行方不明になり、Aの所業だと明らかになる前には、寝込んだHくんのお母さんをAの母親が見舞ったということもあったようです。
そのような経緯を考えると、Hくんのお父さんの反応も無理はない、と思います。

一方で、このお父さんが「受け入れる」「納得する」ためのステップというものを踏むことができないでいるのではないか、とも思うのです。むしろ、そのことが、非常に悲しくむなしく思えます。
こういうステップを踏めない限り、被害者や遺族は、怒りや恨みという感情を抱いて生き続けなければなりません。
怒りや恨みはエネルギーを要する感情であるうえ、生産性がない。こんな感情を何十年も抱き続けなければならないことは、ご本人にとってこの上なくつらいはずです。
本来、自分自身で「受け入れる」ステップを踏むことが難しいのであれば、他者(多くは、医者やカウンセラー、あるいは被害者支援に携わる人々)の助力を得て試みるということになるのでしょうが、そのあたりはどうなっているのか、ということも気になります(このあたり、以前お父さんが書かれた本に書かれていることがあるということでしたら、どなたかご指摘いただけると幸いです)。
お父さんの感情は、誰にもケアされずに放置されてきたように思えてなりません。

個人的には、今回の「絶歌」をめぐる世の反応を見ると、報道されているお父さんの言葉だけが独り歩きして、それが「犯罪被害者一般の代表的な意見」であるかのように流布され、全面的にこれに従うのが加害者としてあるべき姿という結論になっていることに、気持ち悪さを覚えます。

だって、本当はお父さんはどうしたいのか、どうされたいのか、心の中を覗いてみないと何もわからないわけですから。
被害者の気持ちというのは、それだけ深く複雑なものだと思うのです。

傍観者は傍観者でしかありません。
被害者でもなければ加害者でもない。
そして、被害者にもなりうるけれど加害者にもなりうる、そういう立場にいるはずです。

そういう傍観者の立場を忘れて、被害者気取りになり、マスコミで報道されている表面的な言葉だけにのっかって、とりあえず同情してみる、とりあえずこっちが多数派っぽいから元少年Aをたたいてみる、というのは、実は被害者にとっても非常に失礼なことではなかろうか。

自分の近しい人物すら、そういうことに気が付いていないということにショックを受け、書かずにいられなかった月曜の夕方だったのでした。





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Commented by これは、ひどい。 at 2015-07-07 22:07 x
被害者Hくんのお父さんは
様々の犯罪事件の被害者を代表している等とは言ってないと思います。

「ふつうは、受け入れる、納得する」
「筋違いで言っていることがおかしいから、医者やカウンセラーにかかれ」
とテラバヤシさんがおっしゃったとしても
筋違いであるとか、言っていることがおかしい、などと
そんなことを言うつもりは毛頭ありません。
ただ、気持ち悪さを覚えます。
テラバヤシさんの感覚は、誰にもケアされずに放置されてきたように思えてなりません。

随分ひどいをことしていませんか?
身の毛のよだつようなひどいことを。
金銭賠償は代替手段であり、本質的な解決ではないと思います。
いくら稼いでも、いくら支払っても
生き返して恥辱を除かないとダメなんじゃないですか。
Commented by terarinterarin at 2015-07-08 00:13
> これは、ひどい。さん

コメントをくださりありがとうございます。

おそらく、私のことを心が病んだひどい人間だと思われたかもしれませんが、自分自身、もしかすると自分はそういう人間なのかもしれないという意識は常に持っております。
そして、こういう仕事をしている以上、この意識を忘れてはいけないと考えております。
改めてそのような認識を持たせていただいたことに感謝します。

確かにAはひどいことをしていますよね。
生き返していくことも必要ですよね。
でも恥辱を覗くってどういうことなんでしょう。
被害者の反応が実に様々であるということは、Aにとって、自分がすることに対する被害者の遺族の反応は読めないということでもあるのではないでしょうか。
そうすると、どうすることが正解であるかということもわからないですし、我々がそれを決めることもできないのではないかと思います。
Commented by terarinterarin at 2015-07-08 00:13
> これは、ひどい。さん

コメントをくださりありがとうございます。

おそらく、私のことを心が病んだひどい人間だと思われたかもしれませんが、自分自身、もしかすると自分はそういう人間なのかもしれないという意識は常に持っております。
そして、こういう仕事をしている以上、この意識を忘れてはいけないと考えております。
改めてそのような認識を持たせていただいたことに感謝します。

確かにAはひどいことをしていますよね。
生き返していくことも必要ですよね。
でも恥辱を覗くってどういうことなんでしょう。
被害者の反応が実に様々であるということは、Aにとって、自分がすることに対する被害者の遺族の反応は読めないということでもあるのではないでしょうか。
そうすると、どうすることが正解であるかということもわからないですし、我々がそれを決めることもできないのではないかと思います。
Commented by 心が病んだひどい人間 at 2015-07-08 13:07 x
「絶歌」を買った、本日も晴天なり? → うわぁ、
「絶歌」感想文書いた。みんな見てね → ぐはぁ。

被害者遺族が怒っているらしいとの報道を知りながら、やってしまうとは
その人を軽視してる、あるいは無関心なんだろうかと感じてしまいます。
金銭差し押さえりゃいいんじゃね、というのもどうだろうか、
お金に換算できるものばかりじゃないと思います。

どうすることが正解であるかということもわからない、みたいなことが書いてありますが、
ふつうに考えて、すべきことは
「損害の公平な分配、被害者のケア、加害者更正」
になるんじゃないですか。

殺された側は、この世を去り、辱めを受け、利用され、
殺した側は殺人犯の経験と立場を利用して作家として社会的に成功
→ 不公平じゃないですか。
  殺人犯の経験と立場を利用して収益することを許容すべきですか。
被害者のケア
→ 反応が読めない?怒ってる?この場合はどっち?
加害者更正
→ 殺人犯の経験と立場も利用する合理的性質を持っており、ある意味で優秀。更正成功?
許容し難いことです。

心が病んだひどい人間でも別にいいと思います。ひどいことをしなければ。
ただ、殺人犯の経験と立場を利用して収益することも、それを許容することも
ひどいことのように感じられます。個人的には、いずれも罪に定めるべき行為だと思います。
「理不尽な感情の猛威から人間を守る」という観点もあるべきでしょうが、
どこか理不尽な点はありますか。特に病院にかかるようなおかしな点は見当たらないように見えます。
情報は多い方がいいという考え方もあると思いますが、毒樹の果実はとってはいけない気がします。
日頃から社会的役割を問うておれば、おのずとなにかしらの使命感も生じ、
どうすることが正解かわからないとか、決めることもできないとか、
恥辱を除けと言ってるのに恥辱を覗く、ということには、ならないように思います。

歌はよいですよ。ときどき歌ってみてはいかが。
https://www.youtube.com/user/ulenanohico/playlists
Commented by terarinterarin at 2015-07-08 14:45
> 心が病んだひどい人間さん

コメントをくださってありがとうございます。

まず、誤字のご指摘ありがとうございました。

今回の件で、元少年Aは作家として成功したことになるのでしょうか。
私といたしましては、非常に疑問が残ります。
また、被害者の反応につきましては、マスコミの報道は非常に一面的で、報道されている言葉だけで、遺族の方がどのように思われているか断定することは大変危険ではないかと考えております。
加害者の更生につきましては、非常に容易に言われることが多いのですが、実際に現場を見ている人間からすると、更生とは何か、どうなれば更生といえるのかという問題は非常に難しく、安易に定義づけることはできないと考えています。
私本人、Aとじかに接しているわけでもないので、彼が更生したかどうかということはわかりません。

申し上げたいのは、実際によくよく考えてみるとわからないことだらけの中で、安易にどちらかの立場に与したり非難することは許されないのではないかということです。

また、現在まで凶悪な事件を起こした加害者たちが出版をすることは相当事例あり、ご遺族が厳しい意見を公表されたという報道がもあったにもかかわらず、ことAに対しては世間の反応が極端に厳しいのも個人的には解せないところです。

おそらく私の意見に賛同できない方は数多くいらっしゃると思いますが、私は自分の意見は間違っていないと考えておりますし、現にご賛同くださっている方もいらっしゃいます。

この点は私も貴方様も、双方理解認識すべき事柄ではないかと考えます。

Commented by 心が病んだひどい人間 at 2015-07-09 23:19 x
マスコミ伝聞に操られず第三者は第三者の領分をまもれっ、紛争当事者の代理人として適切な行動ができるのは弁護士だけだっ、てことかな。うまく言えませんが、その点は正直わかる気がします。

私は、元少年Aに興味がなかったらしく、その書いた本を読もうと思わず、彼に対する非難が比較的強いかどうか気にもとめませんでした。かつては取り締まられてなかった行為についてこれから取り締まる議論が出てきても、Aに結び付けずに「社会が成熟してその時期になったのかな」くらいにしか思わなかっただろうと思います。

ところがAに結び付けて考えたり、「ことAに対しては世間の反応が極端に厳しい」とかばう方もいらっしゃる。本もよく売れているようです。初版10万部印刷して売り切れ店続出だそうです。おそらくAは魅力的なのだろう、ということに気づき、少なからず興味を持ちました。どのあたりが魅力的なんでしょうか。テレビに映る通りすがりの方とAとの差がイマイチわからない。やはり買う気も読む気もおきません。

ところで、たとえば、
(1)親と第三者が共謀して子どもを殺して収益するケース
(2)偶然共謀がないケース
について
a.許容。当該行為を非難することは許さない、という立場
b.当該行為を厳しく非難する、という立場
という対立があるとしたら、個人的にはbの態度を選び、それを他者にもお勧めします。
殺人犯の経験と立場を利用して収益することも、それを許容することも、ひどいことのように感じられるからです。
そろそろaを規制すべきじゃないでしょうか。21条も表現による収益まで保障するとは言ってないし。
https://www.youtube.com/watch?v=MRDNQgIX10Q&index=7&list=PLDfDtpgfIQ420yXeth4oPJDsIWl4yT3S1

あくまで、わからない、とか、aの立場をとる、とかの識者の悲惨な態度は、おそらく意図的なもので、対抗言論にさらされるリスクをもとより覚悟の上だろうと思いましたが、違ってたらごめんなさい。
世知辛い世の中です。せめて、賛同してくれる方を大切に。
(賛同してくれる方々をご自分の楯にしないように!)
Commented by terarinterarin at 2015-07-11 17:27
> 心が病んだひどい人間さん

コメントをありがとうございます。

最後の21条は表現による収益まで保障するとは言っていないという点について、一言お話させていただきたく存じます。
人権保障というのは、間接的な規制による権利行使の抑制をも問題とされるものです。
21条は出版の自由も保障しております。
そして、出版という行為には、収益の発生が前提とされているといえるでしょう。
収益を国がある意味没収できる、収益を国が認めないというルールができたとしたら、それは間接的な規制(個人的にはかなり直接規制に近いと思いますが)による表現行為の制約として許される範囲を超える可能性が極めて高いと考えます。
これを認める法規制を作るとしても、要件は非常に厳格にすべきだと考えております。



Commented by sayaka at 2015-07-21 15:24 x
はじめまして。
私もこの本を読んで、面白いとおもったのでコメントさせていただきます。
なかなか純粋に読み物として見られない苦しい部分がありますね。
被害者の気持ちを脇に置いてでしかものが言えないなと思っていましたが、被害者側の反応も実に様々なのですね。
被害を「受け入れる」と言うよりは、加害者の心情に「興味を持つ」と言う感じでしょうか。
本を読んだというとやはり糾弾されます。
この本のに対する日本の糾弾ぶりの方が私は不自然で気味悪く思えてしまうのです。表面的な人がこんなに多かったかしらって。
メディアの誘導は強烈な洗脳ツールです。

でも、同じことを考えていて、発信してくれていて、大きに安心いたしました。
この本の著者にも救いがあればいいですね。生きていかなければいけないのですから。
Commented by terarinterarin at 2015-07-21 15:52
> sayakaさん

コメントをありがとうございました。

この本の存在価値は、まさに「加害者の心情とはどういうものなのか」ということを示すことにあります。
また、私たち専門家からすると、少年時にこのような凶悪犯罪を犯した人の社会復帰に当たってのインフラとして何が必要かを考えることも存在意義の一つといえるでしょう。

被害者のH君のお父さんは、加害者の出版を規制する法案の制定を自民党に申し出たなどと報じられておりました。
もちろん、H君のお父さんの心情がそのようなものであるということについて非難・糾弾するつもりは全くありません。が、被害者の心情も実に様々ということを考えると、このお父さんの申し出だけで法規制の動きが出てくるとしたら、やはりそれは表現の自由の不当な制約という一大事ではないかと考えます。

今回の問題の根本には、被害者と加害者の間のコミュニケーションの問題があるのではないかと考えています。
間に入って、両者の関係を調整する役割を持てる人がいたら、このようなことにはなっていなかったのだろうな、と思います。
それも、最初にお話した社会復帰後のインフラ整備の問題の一つかと思います。

日本におけるヒステリックな糾弾ぶりには私も異常さを感じます。
と同時に、この事件が社会に与えた衝撃や恐怖の大きさも改めて感じているところです。
Commented by sayaka at 2015-07-21 20:18 x
私も「被害者の心情」を印籠にして、口を塞がれようとしているように感じました。自分もこの本を読み、肯定的な意見を言ったところでフルボッコにされ、最後に「被害者の気持ちを考えろ」で負けでした。
実はその気持ちを言ったのは被害者の父親一人であり、メディアによって拡散され、あたかもその意見が一般常識のものであるかのようにされていることがわかりました。

18年の間に、著者はいろんな人に出会い、いろんな仕事をし、自分と戦って本の出版に至りました。
18年間時間が止まっているのは実はお父さんの方かも知れません。
それはお父さん本人なら仕方がないと思います。しかし、メディアによって一般の人までがそれにつられるのは良くない現象ですね。
著者は人間として前進していると思います。なぜ過ちを犯すのか、加害者の心理の分析とケアをし、一度過ちを犯した人を、もう一度受け入れる社会であって欲しいです。
by terarinterarin | 2015-06-29 19:10 | Comments(10)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


by terarinterarin