法テラスについて書かせてもらうよ。
2015年 07月 05日
このブログでも、ちろっとそれ的なことを書いたことがあります。
どうも、どれも結構話題になっていたようで、色んな人から「読んだよ~」と言われました。
元々法テラスで一緒にやっていた人からも、今現在も法テラスで働いている人からも、コメントをもらいました。
その中に、「何バカなこと言ってんだよ」「訂正しろ」みたいなものはありませんでした(一部事実関係の記載に誤りがあった点について指摘がありましたが)。
この業界では、まだ「言論の自由」というものが、かろうじて?保たれているのかと思い、ちょっとホッとしているところです。
この件で、とあるサイトの記者さんからも取材を受けて、その際に結構色々ぶっちゃけてお話ししてしまったので、本来であれば、その記事が出てからこちらに書こうかと思っていました。
が、「シェア法」の方は、字数制限もありますし、一般の方向けということもあって、まあ、ある意味奥歯に物が挟まった言い方しかできなかった部分がありました。
で、自分のブログで、本音のところ?というか深の部分を書かせてもらうことにしました。
法テラス東京に来てから、居心地の悪さを感じていたことは、シェア法の記事でもこのブログの以前の記事でも書いた通りです。
私が法テラス東京に来て程なくしてから、法テラスは「福祉との連携」というテーマをぶち上げ、各自治体の福祉事務所と連携して高齢者や障がい者が抱える問題に、ケースワーカーの皆さんと協議しながら解消していこうという動きが出始め、急速に動いていくようになりました。
今やこの動きは各地の法テラスで当たり前な動きになっているようで、公設事務所でもこのような試みをしているところがいくらかあるということは聞くに及んでいます。
個人的には、この動きには、はっきり言って反対でした。
なぜかというと、結局、法テラスのスタッフが行政にとって都合のよい「使い走り弁護士」みたいにされてしまうのがオチだし、依頼者を助けるために行政と対決することが必要な場面で、利益相反的な問題で身動きが取れなくなる危険性が出てくるだろうと思ったからです。
実際、私が法テラスにいる間、相談の電話は、当時事実上提携的な関係にあった福祉事務所から何件も持ち込まれていたものの、逆にこちらが「こういう案件で相談に乗ってほしいんだけど」と電話をしても、体よく断られたことが複数回ありました。
また、福祉関係の方から触法障がい者を受け入れているとある施設の内紛で、当時の代表が解任されてしまい、施設入居者さんの処遇が宙に浮いてしまっているのでどうにかならないかと相談を受けた際、法テラス東京の福祉に明るい他の弁護士に相談したところ、「内紛に巻き込まれるだけだから関わらないほうがいい」と言われて、それ以上話すら聞いてもらえず、放置されてしまったこともありました(今だから言いますが、その後も個人的に相談を継続しておりました)。
この一件で、私は法律事務所の方向性にさらに大きな疑問を抱くようになりました。
その後、法テラスをやめようと決心した一件がありました。
法テラス愛知でもそうでしたが、法テラス東京も、刑事施設収容者(まあ、管轄から言って東京拘置所にいる方がほとんどでしたが)からの法律相談の申し込みが数多くありました。
法テラス東京では、民事法律扶助課というところにそのような相談が持ち込まれると、法テラス東京法律事務所のスタッフ弁護士に「相談に行ってもらうことが可能か」と尋ねる回覧が回ってきます。それに〇か×をつけて、全ての人が×であれば「相談に行ってくれる人が見つかりませんでした」という返信を民事法律扶助課が返すという運用をしているということでした。
私が行った直前直後、法テラス東京法律事務所はスタッフの異動が多く、とある時期からは、私ともう一人の弁護士以外、〇をつける弁護士はほとんどいない状況となっていました。
あるとき、とある死刑確定者から法律相談の申し込みがありました。
内容については触れることができませんが、その内容は、非常に真摯で困っている様子がひしひしと伝わってくるものでした。
常に相談を受けていたもう一人の弁護士が、確か体調不良か何かで休んでいるときのことでした。
私以外のスタッフ弁護士のところには既に回覧が回っていた状態でした。
全員が×をつけていました。
刑事施設収容者の法律相談は、受刑者の場合であれば、社会復帰後のトラブルを未然に防いだり、あるいは社会復帰後にこうしてくださいというアドバイスをすることができる点で、有意義であることが少なくありません。
また、死刑確定者というのは刑の執行を確保するために身体拘束されているだけで、執行までは本来一般人に限りなく近い権利が保障されていなければなりません。
しかし、実際には、多くの権利が制約されており、不便な生活を強いられ、かつ心の平穏を保つことが難しい状況となっています。
やはり法律相談に応じることには大きな意味があります(この点は一般の方には、なかなかご理解いただけないでしょうが)。
しかも、手間がかかるうえに経済的には全くペイしない仕事です。
スタッフに回ってくればやるのが当然です。
なのに、全員が×をつけていたのです。
「高齢者や障がい者の権利擁護に努めます。そのために行政と連携します」というのは、とても耳触りのよい、素敵なお仕事です。
一方で、刑事施設収容者というのは、「悪いことをした人たち」。そういう人たちの利益になる仕事をしても、社会からの脚光は全く浴びません。むしろ「税金の無駄遣い」なんて非難されるかもしれません。
しかし、弁護士の立場から司法アクセスという点で考えた場合、行政に守ってもらっている高齢者や障がい者に比べて、遥かに手が届きにくいところにいる人たちです。
そして、法テラスというのは「司法アクセスが行き届かなかった人に対する司法サービスの提供」を標榜して設立された組織なのです。
その組織に属している「弁護士」が、行政とつながっていて司法アクセスが比較的容易な人たちの仕事は受けるのに、司法アクセスに遠い刑事施設収容者の仕事は、あっさり断る。
その価値判断に腹が立って腹が立ってどうしようもなくなりました。
「要はわかりやすく気の毒な人たちの仕事はするけど、気の毒であることがわかりにくい人たちの仕事はしたくないわけね」「褒めてもらいやすい仕事だけするわけだ」と、思いました(腹が立っていたので)。
しかも、後日聞いたところでは、私の知らないところで、とあるスタッフ弁護士が法テラス東京の所長副所長ら(地方事務所も含めた法テラス東京全体の運営のトップ。弁護士と司法書士で構成されます。)に「刑事施設入居者からの法律相談については負担が大きいから、公設事務所などに振ってほしい」などと申し入れて、所長副所長らからも「ここは福祉をするからそうしたほうがいいね」などと了承を得られたとのこと。
この話を聞いて、がっかりしました。
人権擁護って、そういうことじゃない。
たとえ、万人がそっぽを向いて糾弾する人でも、その人の権利を守るのが弁護士です。
こんなところで仕事できるか。
そう思いました。
私は、法テラスをやめる決心をしました。
実際、私が辞めた後に法テラス東京が刑事施設収容者の法律相談をどうしているのかはわかりません。
もし今も続けているのだとしたら、おそらく一部の人にその負担が重くのしかかっていることと思います。
刑事施設収容者の法律相談や、事件受任は、非常に負担が重い仕事です。
ごく少数のスタッフ弁護士に全て任されているのだとしたら、その人たちのケアや「いざという時の対応」の相談の体制がどうなっているのか、とても気がかりです(刑事施設収容者の法律相談や事件受任はトラブルも起こりがちなので、ある程度のノウハウが必要です)。
法テラスのスタッフの中には「スタッフはみんな頑張っている」と言い張る人がいますが、そんなことはありません。
不公平な仕事の配分で負担の大きい仕事を一気に引き受け、つぶれそうになるほど仕事をしている人がいるかと思えば、ろくに事件の受任もせず働かない弁護士も一定程度います。これも「シェア法」で書いた通りです。
聞いたところでは、最近は、手持ち事件の件数が赴任後一定期間を超えても一桁という人もそれなりの数いるようです。
私が愛知でスタッフをやっていたころには信じられない話です。
私なんて、手持ち件数40件で少ないと陰口をたたかれていたくらいです(そのうち刑事事件が9件あったり、裁判員裁判対象事件が複数あったりしたので、許してほしいとやや縮こまりながら内心思っていました。刑事事件は事務員に任せられる仕事が少なく、接見通いもあるので、一件当たりの負担は民事よりもかなり重いのです)。
そんな状況が許されているのは、要はスタッフが余っているからに他なりません。
1年間の養成期間が終わっても赴任先が決まらず、法テラス東京にしばらく留め置きということが私がスタッフをやっていた当時もありました。
また、最近は、法務省にスタッフを出向させたり、法テラスの本部で弁護士業務と離れた業務をスタッフにやらせていることもあります(しかも、ひとりやふたりの話ではない)。
法テラスとしては、こういう人事に一応それらしい理由をつけてはいるのでしょうが、例えば本部でスタッフにやらせている仕事の中には、以前はスタッフ以外の別な弁護士が非常勤という形でやっていたものもあります。
たくさんスタッフはいるけれど、弁護士としての配置ができないからの苦肉の策であることは言うまでもないでしょう。
そして、大分や札幌など、今まで反対派が多くてスタッフ弁護士の配置を断念していた地域に、突如法律事務所を開設するな方針を打ち出したりしているわけです。
札幌に関していえば、人口や弁護士会の人数、その多くが国選契約・扶助契約をしている現状から考えて、スタッフを置く必要性はまるでありません。
これは実は今から何年も前に法テラスに深く関与していたとある弁護士が話していたことです。
弁護士の数が増えている現在の状況では、益々設置する必要性はないと思われます。
やはり、法テラスは、大分や札幌に今更法テラスを置こうとするそれなりの理由をつけているのだと思います。しかし、本音は「スタッフあまりの解消」にあるのではないでしょうか。
新しく法律事務所を作るとなると、新たにお金もかかります。
余っているスタッフに対する給料だって、総額にすれば結構な額になります。
はっきり言って無駄なお金です。
本来、弁護士しか助力ができない人々を切り捨てるようなことを半ば容認し、その一方で必要のない人員を確保し、必要のない法律事務所を置こうとする。
法テラスは、いったい何がしたいんだろう。
どっちを向いているんだろう?
私が愛知でスタッフ弁護士をやっていたころ、1期上の先輩スタッフの一部の人たちはとても元気で、事件処理方法や本部の対応を巡って、頻繁にメーリングリストが炎上していました。
物の言い方や、言っていることの内容が「????」なことも少なくありませんでしたが、事件に真摯に向き合おうとする気概であったり、中にいるスタッフは権力者である本部に右ならえではいけないという姿勢であったり、まあ、ざっくりとした方向性としては「権利擁護の最後の砦」たる弁護士として正しかったのではないかと思います。
そして、本部もいろいろ問題があったとはいえ、そういう元気のいいスタッフのやり取りを容認している雰囲気がありました。
今、当然私はスタッフのメーリスは見ていないので、スタッフ同士のやり取りがどうなっているのかはわかりません。
しかし、今でも現場にいる人たちから聞く話の中に、「おう、そりゃいいじゃないか」と思える話は、最近一個もありません。
一生懸命頑張っている現役スタッフにたまに会っても、出てくる話は、愚痴ばかりです。
法テラスって何のために作られたの?
スタッフ弁護士って、本来何をするために設けられた役割なの?
今でも中にいて仕事をしている人に自問自答してほしいと願ってやみません。
ですが、私の家族は通常の弁護士に相談へ行けない家庭でしたが、法テラスさんにご助力いただき、今があるという経験をしております。
理念通り助かってるものもいるということも悪れて欲しくはないです。
コメントをくださってありがとうございます。
法テラスの理念自体を否定するつもりは一切ございません。
私も、現在もなお法テラスと契約し、民事法律扶助制度を利用して依頼者の方と契約したりしています。
法テラスには、つじさんのご家族のような方に支持してもらっていることを忘れないでほしいと思います。
人権擁護委員会の活動は主に「人権救済申立」案件で、施設内での人権問題に特化する傾向が強いかと思います。
私が言っている施設収容者相談はそれにとどまらず一般民事なども含まれる広いものです。
各弁護士会の中では、刑事弁護委員会や刑事処遇委員会の委員などが主体となって、国選のような名簿を作り、持ち回りで、このような施設収容者相談を行っているところもあるようです。
このような動きが加速すれば、それこそスタッフ弁護士の存在意義は薄れていくように思います。
しかし、それは別に悪いことではなく、各弁護士会が司法アクセスの強化に乗り出したことのあかしなのですから、喜ばしいことではないかと思います。