貧困と排除と戦争と。

昨日、東京三会主催の「集団的自衛権にNO! 女性弁護士101人大集合」というイベントに参加してきました。
まずは弁護士会館で憲法学者の小林節さんのトーク、それから作家の雨宮処凛さんのトークを聞くなどして、その後有楽町駅に女性弁護士が大挙して押し寄せ、安保法制反対の街宣活動を行う、というイベントです。

本来、人と群れるのは好きではなく協調性もない性格。特に「女の集まり」というのは、得意でないタチです。
そして、「女性の視点」というある意味新しさがないお決まりな枠組みでのイベント開催に疑問が呈されるだろうということもわかっていました。
が、今のこの状況下、FBでせこく「集団的自衛権反対」に関する記事をシェアする以外に、自分にできることがないかと思っていました。
そんなところにお声掛け頂いたということで、渡りに船の客寄せパンダになるべく、参加してまいりました。

参加は、私にとって非常に意義があるものでした。
雨宮さんのお話を聞いて「すべてがつながった」とわかりました。
(これから書く話は、もしかすると分かっていた人はたくさんいたかもしれません。テラバヤシが不勉強だったということです)。

もう何年も前から、ネットカフェ難民などしている生活苦の若年層に対して、自衛隊が盛んに入隊のスカウトをしているとのこと。
若いころ、フリーターでお金もなかった処凛さんは右翼のパンクバンドで「平和を壊せ、戦争を始めよう」などと歌っていた。その心理は今にして思えば、この世の中が続いてしまえば、既存の枠組みは変わらず、自分のような人間はいつまでも「このまま」の状態でいなければならない、戦争になればすべての秩序が変わり、自分にもチャンスが訪れるというものであったこと。
貧困で虐げられている立場からすると、少しでも自分より下の人間がいれば、それを叩いて優越感を感じたいという心理になるということ。
かなりザックリですが、こんなことをお話しされていました。

物を破壊し、人も殺しかねない勢いの「ヘイトスピーチ」とそれを支持するネトウヨの存在。
殺人などの重大事件を起こした者に対する強烈な糾弾(元少年Aの騒ぎもこれに含まれるという認識です)。

ここ数年進んでいるこのような事態について、なんだか同じ根がありそうな気がしていました。
が、それが何なのかという核心に迫ることができず、気持ち悪さを感じていました。
「異物排除」という共通項がある、ということしか思い浮かんでいませんでした。

定着してしまった劣悪な環境での非正規雇用。
いくら働いても生活が安定しない。
役所からは生活保護の水際作戦に遭う。
帰る家すら持つことができず、ネットカフェで過ごす毎日。

20年前には想像できなかった貧困がすっかり日本には根を張ってしまいました。
そんな貧困は「自分に対する誇り」を人からすっかり奪ってしまいました。

貧困に陥った人が自分のアイデンティティーを保つには、「自分より下」と位置付けられる人間を見つけて、徹底的に叩くしかない。
そのため、在日の朝鮮半島出身者、アイヌ民族といういわゆる少数派の人々や、犯罪者をやり玉に挙げて、まったく理由のない、あるいは不必要に過剰に、尊厳を奪うほどの糾弾を行う。
その場しのぎの優越感に浸るために。

恐ろしくなりました。
日本の貧困は、一定割合の人をここまでにしてしまいました。

そして、日本の貧困は、「福祉の充実」というキーワードがもはや全くの信用性を持たないほどまでに貧困層の人を追い詰め、全ての社会秩序を破壊することを望むまでに至らしめてしまったわけです。

確かに「戦争」になれば社会秩序は変わるでしょう。
しかし、戦争に参加することによって、自分たちが上に上がれるなんて、全くの幻想です。
貧困層の人が日の目を見るためには、戦地に赴いて(軍人になってという意味だけではありません)、危険な地域で働くしかありません。
命を落とす。
手足をもがれ、社会参加が難しいほどの障害を負う。
あるいは、凄惨な現場に長期間身を置くことにより、精神が蝕まれる。
それがオチです。ヒーローになれる人なんて、たぶんいないでしょう。

でも、そんなことも想像できないほど、自分たちが置かれているバッドな状況を変えるには戦争しかない、そう思い込んでいる人たちが少なくないわけです。
戦闘モノのゲームがどうとか、そんなちんけな問題じゃあないのです。

街宣前の弁護士のリレートークで、とある女性弁護士が「大学生の息子がまだ高校生の時にはなかったけど、今18歳の息子のところには自衛隊の入隊の勧誘の郵便が届いた」と話していました。
徴兵制なんて必要ないのです。
今や、パンフひとつで、「高額」な給料を保障され、ヒーローになれるかもしれない「軍隊」に入隊したいという志望者が、たくさんいるのですから。

いつのころからかはわかりません。
しかし、私たち国民が気づかないように気づかないように、いずれ日本が軍隊を持てるように、戦前の「愛国主義」の国になるように、長い時間をかけて仕組まれていたような気がしてなりません。

「貧困層」は、「愛国」(=異物排除)や戦争肯定の世論を作るために、意図的に作られてきたのではないでしょうか。
財政状況が悪いから。
企業の効率性をアップするため。
優秀な人材の流動性を高めるため。
その時その時で体のいい理由をつけて、そこに批判の目を集中させて、虎視眈々と「戦争ができる国造り」は裏で進んでいたのだと、そう思わずにはいられません。

確かに、戦後、途中で政権が交代することはありました。
一時的に「戦争ができる国造り」の動きが止まったことはあるでしょう。
しかし、細かいことはわからないけど、ある節目の時点から、表に出ている政党や政権とは違うところで、こういう計画はゆっくりゆっくり進められてきたような気がしてなりません。
でも、悲しいかな。それがどんな存在なのか、テラバヤシにはわからないのです。

あまりに壮大で、あまりに不気味で、日本て国や日本人という人間は、この先どんなふうになってしまうのだろうと、不安で不安でたまらない気持になります。

一縷の望みは、若い世代の人たちの中には、「自分たちが狙われている、取り込まれようとしている」ということに気が付いている人がいて、その人たちが、今この時勢の中で大きなムーブメントを作っているということです。
また、雨宮さんのお話では、3.11の大震災を契機に、東北を中心として(と確か言っていたような)若い人たちが権力やマスコミというものに懐疑的になっていて考える力を身に着けているということです。
若い人に頼るのはいけないことだけれども、大きな防波堤となってくれることを今、切実に祈っています。

しかし…
未来永劫、戦争なんてしない国にするためには、どうすればいいんだろう。
「貧困対策」なんて言葉が生ぬるく思える。
通り一遍の貧困対策では、絶望的な貧困にあえいでいる人々の尊厳まで回復することなんてできないんじゃなかろうか。

長年かけてスポイルされた人々を正気に戻すには、さらに長い年月がかかる。
そう思うと、テラバヤシが生きているうちに日本がまともな国になることは期待しない方がいいのかもしれない、なんて思ってしまうのでした。

うーん。
今回のこのブログ、昔研究者の端くれ(あえなく挫折)をしていたころの感覚で書いたかもしれん。
「弁護士テラバヤシ」という看板は、似つかわしくないかもしれませんね。










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by terarinterarin | 2015-07-11 19:08 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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