少年事件について思うこと。

川崎中1殺人事件判決を受けての投稿と思われてる方が多いと思いますが、その通りです(最近このパターン、多いな)。
昨日出たこの事件の判決。とあるサイトからの取材を受け、判決についての簡単な感想と少年事件特有の「不定期刑」について、コメントをさせてもらいました。

少年事件については以前にも違うサイトでコメントをしたことがあるのにこんなことを言うのは何なんですが、自分自身がやるときには、かなりな苦手意識があります。
国選事件で少年事件の配点を受けると、いまだにものすごく緊張します。

まず、私の感覚では、「時間がない」。
裁判員対象事件ではない少年事件の場合、捜査が終わって家庭裁判所に事件が送られて、観護措置決定が出てから(つまり少年が鑑別所に入ってから)、原則4週間以内に少年審判が行われることとなります。
そして、成人の事件の場合は、起訴されてから裁判になるまでの間、裁判官は記録を見ていません。ですので、それまでの間に、判決が決まっているということも(少なくとも建前上は)ない。

がしかし、少年事件の場合、審判が始まるまでの間に、裁判官は捜査記録を見ており、また社会記録という少年の成育歴に関する記録も見ており、「裁判官の片腕」たる調査官という人が処分に関する意見書を作成している。
この意見書の影響が、裁判官にとってはかなり絶大。
だから、少年に対する処分を軽くするための活動というのは、調査官が意見書を書く前にある程度結果を出すところまで行ってなくちゃいけないわけです。
示談するとか、就職口見つけるとか、そういうことを短期間で調整するというのは、結構至難の業だったりします。
(自白事件前提です。)

そして、少年事件の最大の難しさは、処分の見通しが立ちにくいところにあります(あくまでテラバヤシ的にはですが)。
成人の刑事事件の場合は、基本的には、どんなことをどんな方法でやったのか(結果の重大性とか態様の悪質性とかですね)ということで、量刑のおおよそが決まります。あとは前科がどれくらいあるかとか、示談しているかとか、その他考慮してあげてよい事情があるかということが、ある程度加味されるにすぎません。
ですので、事件を受けた時点で、ある程度量刑の見通しが付きます。

がしかし、少年事件の場合、少年の処分(保護観察にするか、少年院に入れるか、入れるとしてどれくらいの長さが必要か)は、「やったことの悪さ」だけでは決まらないのです。
重要な指標として「要保護性」というものがあるのです。この要保護性というもの、一言で言うと、「再び非行に陥らないようにするための改善教育の必要性」ということだと思うのですが、もう少し分解してみていくと、少年の性格がどれくらい非行的か、少年の環境がどの程度非行を発生しやすいものか、という具体的な要素に分かれていくことになります。

ですが、かなり極端な例を除くと、どんなに具体的な指標を立てられようとも、結局見方によって評価が変わりうることが多いように思え、時として「うー、処分の見通しが立たねえ!!!」と頭を抱え込んでしまうことになるわけです(つい最近そういう事件がありました。めでたく保護観察で終わりましたが)。
つまり、テラバヤシ的には「いや、この子の場合、性格も素直だし、家庭環境もそんなに悪くないし、保護観察でいいでしょ!!」とか思って調査官の意見書を見ると、「少年院送致相当」とか「在宅試験観察(いったん釈放したうえで、このまま少年院に入れなくてもいいかどうか観察したうえで最終的に判断するという中間的処分。この場合、数か月後にもう一度審判が行われます)」とか書いてあって、ショックを受けたりするのです。
で、逆転一発ホームランが打てない限り、意見書のまま処分が出てしまう、という…

さらに、正直に言おう。テラバヤシ、若い子、苦手なんです。
これは年をとったからではありません。
若いころから?、若い子(未成年とかそれに近い子)は苦手でした。
どうコミュニケーションをとればいいのだろうか…
どうやって話しかけたら、ちゃんと答えてくれるのだろうか…
私の言ってること、わかってもらってるんだろうか…
接見の前も後も、そんなことで頭がいっぱいになるのです。 

少年審判の席も、事実の確認というよりは、審判官(裁判官)が反省させるために、なんだか上から目線で威圧的に「どうして、こういうことになっちゃたか、ちゃんと考えてないんじゃないのかなあ」みたいな言い方をするのも、内心イライラさせられますし。
でまあ、現実こういうことになるわけなんだから、接見の時にもそれを想定して、若干説教的なことを本来したほうがいいのかなと思いつつ、説教はするのもされるのも嫌いなので、ヒールになり切れない自分がいたりして。

とまあ、私にとってはやりにくいこと満載なのが少年事件、だったりします。

テラバヤシの場合、少年の裁判員裁判は経験したことがありません。
捜査段階では裁判員裁判対象事件の罪名がついていたものの、家裁送致時に非対象事件の軽い罪名に落ちて、そのまま少年審判で処分が下ったということはありますが。態様もかなり悪質、被害もかなり大きくて、私としては、裁判員になってもおかしくないと思っていましたが、どうやら検察官が、少年がかなり若年だったことやかなり精神不安定であったことを考慮したようでした。

このケースも含め、弁護人・付添人として会った事件を起こした少年は、うまく言えないのですが、みなさん、「ふつうの子」でした。
思春期特有の恥じらいや反発心はあれど、性根が腐りきっていて、この後、社会生活は送れそうにないという子は一人もいませんでした。
こちらが挨拶をすれば、きちんと挨拶を返してくれましたし、私が尋ねることについて、自分なりに考えたことをきちんと話してくれましたし、私が話すことをちゃんと聞いてくれました(確かに、その答えが的外れになってることはありますが、まあ、それは置いておくとして)。そして、事件は起こしてしまったかもしれないけれど、とても働き者だったり、体を一生懸命鍛えていたり、両親や兄弟のことを思いやっていたり、尊敬できるところを持っている人ばかりでした。

私は、川崎中1事件の首謀者だった少年と会って話したことはありません。
だから、本当はどんな人なのかなんて、全くわかりません。
彼がしてしまったことは、とても凄惨なことです。
殺害された上村君のご両親が厳しい処罰感情を持つのは当然だと思います。
彼をモンスターだと感じるのも理解できます。

しかし、少なからず少年事件をやってきた弁護士たるテラバヤシの立場から見ると、きっと彼にだって、「ふつうの18歳」の側面があったと思うのです。
身近にいる人からすれば、「彼はここがいいとこだったよね」と言えるところがあると思うのです。
そういう普通の子が、こういう凄惨なことをしでかしてしまいかねないところに少年の微妙さがあり、少年事件の本来の難しさがあるのではないかと考えます。

テラバヤシの少年事件に対する苦手意識の本質は、ひょっとするとこういう「難しさ」が原因なのかもしれません。


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by terarinterarin | 2016-02-11 21:27 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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