執行猶予も人脈と金次第なのか。

連休ということもあり、久々のほぼ2連投です。

覚せい剤の所持と使用で起訴された清原さんが保釈されました。
保釈保証金は、報道によれば500万円。
保釈後、清原さんは松戸市内にある病院に直行(しかし、どうも、それは覚せい剤治療の専門ではなく、糖尿病治療の専門の病院とのことです)。
報道によれば、デラックスな個室への入院とのことです。

確か、ASKAさんの覚せい剤所持・使用の折も、高額の保釈保証金を積んで保釈された後、覚せい剤依存の治療のため、病院に入院したという話でした。

清原さんの件があってから、「覚せい剤の依存は病気。更生のためには治療が必要」という、刑事事件をある程度担当している弁護士からするともはや常識的な話が、やっと世間にそこそこ流布することになり、それ自体はよかったと思っています。
が、今回の清原さんの件といい、ASKAさんの件といい、今後の薬物事犯の保釈の実務・量刑相場の傾向を、悪い方向で予感させるもので、なんだか気分がよろしくないのも事実です。

とある弁護士が、覚せい剤の使用事犯では、保釈を得るために治療計画を裁判所に出すことが必須みたいなことをWEB記事に書いているのを目にしました。保釈後病院に直行するのが、薬物事犯ではもはや必須なのだとでも言いたげな内容です。
テレビのワイドショーなんかでも、「保釈をとったらまずは治療に専念することになりますね」みたいなコメントをする元警察官を目にしたりしました。

はっきり言いますが、日本という国の中で、薬物依存症について専門的に治療を行っている精神科は、まだまだ少数です(大学病院の多くは、薬物依存症患者の治療はお断りと言われています)。
まして、入院施設がある病院なんて、ごく限られています。
病院に予約をとって診察を受けたり検査を受けたりするのだって、大変です。
まして、入院できるケースなんて、よほど重度なケースに限られ、「一度入院して集中的に治療した方がいいですね」くらいのレベルの人は、順番待ち。
保釈後すぐに入院できる段取りが取れるなんて、よほどお金があるケースに限られるでしょう。何しろ、その病院の医師は、おそらくは患者候補者たる被疑者被告人本人を診察しているわけではないでしょうから(もちろん一部のきちんとした弁護士は、接見室での面談ができるよう段取りをとりますが、ASKAさんや清原さんのケースなんかだと時間的にその段取りをとるのはかなり厳しいんじゃないかと思う)。
清原さんの場合は、おそらく、糖尿病の状態が命にかかわるレベルだったと思われ、そちらの治療を最優先したものと思われますが、入院の段取りがスピーディーにとれた背景事情は、おそらく同じでしょう。

テラバヤシが危惧するのは、「薬物事犯で保釈をとれるケースが、保釈中の治療を約束し、その具体的なプランが裁判所に提示されるケースに限られる」運用がこの先定着し、かつ、初犯であったとしても、執行猶予判決をとれるケースが保釈中に一定程度の治療を行い、何らかの効果をあげられたケースに限られるようになってしまう、ということです。

不公平でしょう。こんなの。
お金があったり、薬物依存症専門の病院に伝手がある弁護士が弁護人についたりしたケースでは、すんなり保釈されたり執行猶予が取れたりするけれど、そうじゃないケースでは、身体拘束が無駄に長引くことになりかねないわけですから。

本来、違法薬物使用の問題は、刑罰論、果ては犯罪論として論じるべき問題です。
かなり斬新な案ではありますが、覚せい剤や大麻を合法化して、その代わり高額の税金をかけることによって流通を防ぐという方法も一案です(私は必ずしも賛成ではありませんが、実際、このような考え方自体はあります。喫煙者を減らすのとほぼ同じやり方です)。
そこまで斬新なことは言わないまでも、そもそも、生命・身体拘束・財産のみを柱とする刑罰のみで、種々様々な背景や本質がある犯罪について、これを犯した者を処罰しようという考え方そのものが古いのです。
薬物使用者については、その依存の程度・症状の程度に合わせて、治療を受けることを刑の内容とする、あるいは司法取引や指定病院での治療を受けることを条件に不起訴処分とすることを検討すべきではないかと思うのです。

つまり、何が言いたいかというと、薬物依存症対策は本来国家がしなければならない問題であるにもかかわらず、このままでは、被疑者被告人の自助努力・弁護人の伝手に委ねられ、結果的に不公平な運用が定着してしまいかねないのではないかということです。

これは、実は、薬物事犯の問題に限られる話ではないでしょう。
知的障害等の障害がある被疑者や被告人の刑事弁護も、近年社会福祉士や福祉施設との連携をとって「更生支援計画」を弁護人が提出することにより、不起訴や執行猶予に持ち込もうという流れが定着してきています(その流れについては、地域差もあるようですが)。
これも、本来は、国が知的障碍者に対する刑罰の在り方として本来論ずべき問題を、被疑者被告人や弁護士の自助努力に委ねる流れを作るものであり、結果としてアンラッキーな被疑者被告人が救われない結果を招きかねないのではないかと危惧します(尽力している弁護士や福祉関係者の皆さんの働きを何ら否定するものではありませんので、誤解されませぬよう)。

窃盗や詐欺などの財産犯で、金がないばかりに刑が重くなるという事態は、致し方ないとは思います。それは被害回復ができないのですから、それに見合った刑を受けるのは、言葉は悪いが理に適っていると言わざるを得ないでしょう。

しかし、被害者がいない犯罪の薬物事犯で、金や人脈で受ける刑に差が出てしまう、知的障がい者が起こした事件で、その人のめぐりあわせで受けるべき刑に差が出てしまう、というのは、処分の公平性という観点から見た場合、あまりに不条理なのではないでしょうか。

清原さんの保釈劇は、そんな胸くそ悪い昨今の「処罰」の実態を、思い起こさせるものなのでした。








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by terarinterarin | 2016-03-19 23:36 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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