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セクハラについて、考えてみた。

皆さんは、今土曜夜にNHKで放送されている「トットテレビ」をご覧になっているでしょうか。
黒柳徹子さん(以下「トットちゃん」といいます。)が体験してきたテレビ創成期から昭和のテレビの時代を、ユーモラスに描く連続ドラマです。

トットちゃんが大活躍していた時代(ある意味彼女は今でも大活躍していますが)を語るに欠かせない大俳優の一人に、森繁久彌がいます。
今の20代の方などは「誰それ」状態かもしれませんが、映画にテレビに舞台に、それはそれは大活躍した往年の大大大俳優です。

森繁久彌は、「エッチなおじさん」で有名な人でした。
通りがかりに女性の胸やお尻にソフトタッチするのは、あいさつ代わり。
「今度、一回どう?」と女性と見るや声をかけて回る(もちろんある程度選んでいたと思いますが)。

現在であれば、「セクハラ行為」として糾弾され、いくら大俳優であったとしても芸能界から抹殺されかねない言動です。

しかし、森繁さんのソフトタッチや夜のお誘いは、女優さん方から「もう、ホントに仕方ないわねえ」と笑ってスルーされ、「愛すべき、ショーもない性癖」と扱われていたのです。
それが証拠に、トットテレビの中でも、こういうシーンはところどころに映し出され、向田邦子の直木賞受賞の祝賀会で「僕が出会ったころ、向田さんは処女だったと思うんですが」で始まった森繁さんの挨拶まで、再現されていたのです。

NHKとしては、昨今の状況から考えて、こういう森繁久彌の性癖をドラマの進行上、どう扱うべきなのかということは当然議論したことでしょう(まさかスルーしたってことはないですよね)。この程度なら問題ないという結論だったのか、「森繁久彌がこういう人だったんだからこれはこのまま流すべき」という結論だったのか、わかりませんが、ある程度の苦情が局に持ち込まれることも念頭においての放送ではないか、と思われます。

森繁久彌のこういう行為が芸能界史上問題視されたことはないのか、何かトラブルになったことはないのかがちょっと気になったので、昨日インターネットで調べてみました。
少なくとも私が調べたところでは、特に見当たりませんでした。

もちろん、だからといって、完全に苦情や問題がなかったなどと断言できるわけではありません。
森繁久彌が亡くなって久しいことを考えると、スキャンダルが風化したことも考えられます。
ものすごい大俳優だったので、事務所が必至でもみ消していたことも予想されます。

がしかし、それ相応のスキャンダルなどがあったのであれば、没後、「実は森繁には!!!」みたいな報道が出てくることは十分あり得ることで、それがないということは、とにかく大きく問題にされるようなことはなかったのだろうと推測されるのであります。

昭和の時代だからと言って、ありとあらゆる男の人が、女性の胸やお尻をソフトタッチ、「今度一回どう?」が許されていたかというと決してそういうわけではなく、「セクハラ」という言葉がなかったとしても、痴漢呼ばわりされたり、慰謝料請求の対象にはなりえたはずです。

そう。
同じ言葉を言ったり同じことをしたりしても許されたり許されなかったりするというのが「セクハラ」問題の難しいところです。
もう少し詳しく言うと、「セクハラ」というのは、している方に「ハラスメントの認識」がないのがほとんどであり、さらに、言われた方の感じ方によってセクハラになることもあればならないこともある、そういう極めて相対的な問題なのです。

森繁さんのケースを見てみると、している方に当然セクハラの認識はなく、そして、ほとんどの女性もセクハラと感じなかったということになるわけです。

これは、なぜなんだろうか?
相対性の強い問題であるのに、不思議です。
トットテレビのおさわりシーン1つから、テラバヤシは週末をかけて延々と考え続けました。

つまるところ、女性をリスペクトする気持ちが表れているかということなのかな、と考えました。
具体的に言うと、ひとつひとつの性的な言動に本気さや裏があるかないか、ということでしょうか。とても当たり前な結論ですが。

森繁久彌は、エッチな言動をするおじさんではありましたが、ソデにする女性に対して何か報復的なことをしたかというとそうではなかったのでしょう。
例えば、「今度一回どう?」に応じなかったからと言って、相手の女優を変えさせたり、変えるぞと脅したり、そんなことをする人ではなかった。
向田邦子の才能を見抜いて、「一回どう?」に応じたことのない彼女を、自身のラジオドラマ「重役読本」の脚本家に抜擢しました。
「アドリブを入れないでくれ」という格下の向田邦子の求めを受け入れ、直木賞のスピーチを買って出る。
だからこそ、森繁久彌のエッチな言動は、セクハラとして糾弾されることがなかったのだと思います。

同じことを言っても、本気さや悪意をちらつかせ、女性を自分の思いのままにしようという欲(女性に対するリスペクトがない)が透けて見えれば、それは受け取る側にとって「セクハラ」になってしまうわけです。

とはいえ、森繁久彌の例は、とりわけ稀有ではないかと思います。

今、世の中は、自分は何らかのハラスメントの餌食になっているのではないかと、戦々恐々としている人であふれているといっても過言ではないでしょう。
そして、そういう人が多いからでしょうか。自分の言動がハラスメントと受け取られたらどうしようと戦々恐々としている人も少なくないように思います。

私の知人にも(男性)、私が髪形を変えたのを見て、「とてもよく似合っているけど、あんまりほめるとセクハラになっちゃうから」と、非常に遠慮がちに話していた人がいました。

悪質なハラスメント行為は、人の尊厳を踏みにじる許せないものです。
でもちょっと、ハラスメントを意識しすぎて、自然な言動すらできなくなっている世の中も、とっても悲しいなと思います。

森繁久彌は今を生きてなくて、本当に良かったように思います。




Commented by at 2019-04-22 00:01 x
エッチがセクハラになるかならないかの境に力関係(権力)があるのではないかと思います。以前介護施設で嫁舅の芝居を見ました。(主役は片腕が不自由なおじいちゃん(舅)でした。)普通の二世帯問題は重々しく見ていてつらくなる話題が多いのですが、この時は違いました。現代的な考え方で気の強い嫁と説教好きで少し惚けた姑が対立している時、おじいちゃん(舅)が取った行動。それは・・・
まるで忍者のようにお嫁さんの背後に忍び寄り、動く右指を駆使して、なんと嫁のお尻をちょいとタッチ。これには怒り心頭震え上がる嫁さん、おばあちゃんも嗜め、会場も一気に戦慄がよぎりますが、おじいちゃん無邪気な少年のようにはにかみ、謝った傍から、「よいしょっと」またも嫁のお尻をスリスリ。これにおばあちゃんは大爆笑。してやられたとずっこける嫁。会場も一気に和やかに。
セクハラになりそうな現象がそうはならなかったのは、おじいちゃんの非力さ、そして非力さゆえの勇気だったと思います。力の無い老人のか細い一本の指が、ストレスの中心である嫁のおきなお尻に向かってすっと伸び、お尻をひとしきり悪戯、嫁の怒りを見事な機転でかわすと会場もおじいちゃんに大拍手、これにおばあちゃんも悪戯な知恵を出しておじいちゃんを押すと、おじいちゃんよろけながらも「よいしょー!」とお顔ごと嫁のお尻にタッチ。降参する嫁に小さくガッツポーズのおじいちゃん。大喜びのおばあちゃんと、会場の雰囲気。大きな嫁をターゲットにスケベ心で大暴れするおじいちゃん、そこに厭らしさは無く、むしろ私達が当たり前と思っているモラルを突き破り、そこから解放してくれる自由と勇気を与えてくれたように思いました。終わった後も会場は笑顔で満ちていて、おじいちゃんの指に「もっともっと」とアンコールを託すお年寄りも続出するほど。セクハラを超えて性を忌避するのではなくどう楽しむか、考えさせる体験の一つとなりました。
Commented by 通りすがりの名無しです。 at 2019-06-17 23:33 x
以前にTV番組で見たのですが、森繁久彌氏のセクハラは凄まじいもので、若手の女優さん相手だと正面から股間を触るのだとか。
それも中指を立てた状態でズボッと。
証言している人はTVで顔を晒していましたから本当の話なのかなと。
芸能界では権力を持っている人には逆らえない。
昔は特に酷かったとも聞きます。
確かに森繁久彌氏は今生きていなくて良かったと思います。
by terarinterarin | 2016-06-06 00:24 | Comments(2)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terabayashi