薬物使用者を叩く輩は、なんにもわかっていない人。
2016年 07月 03日
ワイドショーなんか見てると(特にサンデージャポンのテ〇ー*藤あたり)、覚せい剤や大麻なんかのいわゆる禁止薬物に手を出した人は人間の屑であるという前提で、人格が徹底的にさげすまされている光景が、これでもかってくらい映し出されています。
高知さんが持っていた4グラムという量は個人の所持量としては、結構とんでもない数字だったことは事実(そのために売人説まで浮上している)です。
が、覚せい剤なんかの禁止薬物を売っている側と使った側の悪質さ度合いというのは、もう月とスッポンくらい違います。薬物使用者に「犯罪者」のレッテルを貼る日本の法制度自体にそもそもの疑問を感じたりします。
人の脳や精神に働きかける薬物の中で、どれを市販OKとするか、医師の処方箋により一般人が所持することを認めるか、一定の職業の人のみの利用を認め原則的に所持を禁じるかということは、その薬が持つ危険性という指標が中心になりますが、その他政策的な判断によることも結構多いのが事実でしょう。
たばこについてめんたまひんむいて高い税金をかけている欧米諸国のいくつかでは、一般人が大麻を所持して吸引することが認められています。
そして、これまで所持使用することが特に禁じられていなかった薬物の使用が禁止されることもしばしばあります。
例えば、ケタミンという主に(日本では)馬の麻酔薬として使われていた薬は、2007年に麻薬取締法の禁止薬物に指定されるまでは、合法的に使用できる薬物でした。依存性が高く濫用傾向にあるという理由で日本では禁止されていますが、WHOでは安全な麻酔薬として容易に利用できるようにすべきだとされているようです。
さらに、つい最近抗精神病薬のベゲタミンが販売禁止となりました。
このベゲタミンという薬は、薬物乱用者にとっては有名な薬で、容量が少ないものには「白玉」、容量が多いものには「赤玉」という隠語があります(錠剤の色を示しています)。脳の中枢に直接作用し、過剰摂取のリスクが高いことから販売停止となったようです。
薬を欲する人は、その薬自体が欲しいのではなく、その薬から得られる「薬効」(要は気持ちよさ)を得たいがために、その薬を手に入れようとするわけです。
そうすると、その薬を使ってはいけないと取り上げたり、その薬を使っていることを非難されたりするだけでは、禁止薬物を使わなくなるだけであって、類似の作用を得られる別な薬物に走るようになるのです。
過去、薬物事犯や、薬物を摂取した後のラリってる状態で犯罪を行った人を何度も弁護してきました。
1日に何度も覚せい剤を打つ乱用者だった人が、薬で捕まった後、仕方なしに向精神薬を買いあさって(複数に病院をはしごして薬をもらいまくる。「ドクターショッピング」といいます。)過剰摂取するようになった人に何人もお会いしました。
ケタミンを使っていたけれど、ケタミンが入手しずらくなったうえ、逆に覚せい剤の方が入手しやすいために覚せい剤を買うようになった、という人もいました。
薬で得られるある感覚に固執するのがいわゆる「依存症」という病であり、このような病がある人は、その感覚を得るためにはなんだってします。なんせ、病気ですから。
覚せい剤や大麻を買うことは、問題の本質では全くない。
薬効を欲するその心が本質的な問題なのです。
なので、覚せい剤や大麻を買うことだけを鬼の首取ったみたいに糾弾することは全くお門違いでしかありません。
こういう行為は、他の薬でラリること自体は問題ないという誤ったメッセージを与えかねない危険なものです。
まあ、有名な人が他の薬でらりった結果、不覚のうちに事件を起こしたら、またそれはそれで喜んで叩く連中がいるんだろうな、とは思いますけど。
おそらく覚せい剤や大麻を買って使う人が激しく糾弾されるのは、そういうものを売っているのが暴力団であり、その売り上げが暴力団の資金となるからでしょう。
しかしね、買った側からしてみると、自分が欲しい作用を与えてくれるものを売っていたのがたまたまやくざだったのですよ。
例えば、水が一滴も飲めない状況でやくざさんが自分の目の前に1万円でペットボトル振りかざしたら、自分は買わないなんて皆さんいえるんですかね?
日本の警察というのは、見せしめに芸能人を捕まえてさらしたりしていますが、それで薬物使用者の減少に特段の歯止めがかかっているかというと全然そんなことないわけで。
この問題について(に限らないけど)「つるし上げ」が全く有効性がないってことくらい、明々白々のことなはずです。
薬物使用の問題っていうのは、精神作用のある薬の流通管理をどうするかという側面ととある薬効に依存する病気の人たちをどうケアするのかという側面から考えられるべき問題です。
覚せい剤や大麻の奥に隠された問題について認識理解がない人間は、偉そうに使った人たちを糾弾する資格なんぞないでしょう。
・依存する病気の人たちをどうケアするのか
という論点がメディアにはいつも不足しており、
そもそも「つるし上げ」には有効性がないのに過分の報道資源を充てるのは合理性がないのではないか
ということを考えさせられました。首肯首肯。

