子どものころから、本を読むのが好きでした。
幼稚園に通っていたころ、親に無断で童話の全集を申し込んできたり(もちろん全て読破)、小学生のころ、図書館に会った伝記本を、ほぼすべて読破したりしていました。
中学生のころは、松本清張や向田邦子を読み漁っておりました。
高校時代は体育会で脳みそ筋肉状態で、あまり読書した記憶がありませんが、大学生以後は、椎名誠、よしもとばなな、村上春樹、東野圭吾、宮部みゆきなどにその時々ではまりつつ、読書から離れる生活は送っておりませんでした。
本の好みはうるさい方で、「どんなジャンルでもどんな作家でもいけます。」「本ならなんでもオッケーです。」というタイプではありませんが、本を読むことは私の人生に欠かせないものでした。
ところが、弁護士になって数年経ったころから、なかなか読書が楽しめなくなってしまいました。
特に、自分の人生の一部であった「小説を楽しむ」という行為がなかなかできなくなってしまいました。
本屋には、しばしば発作的に行きたくなり、主に小説売り場をうろついたりしています。
ですが、なかなか、表紙のデザインやタイトルでピンとくるものに出会えません(最近の本の表紙は、なかなかに毒々しくうるさいデザインが多いような気がします)。
ちょっと気になるタイトルのものがあって、最初の数行を読んでみても、入ってこない。
裏表紙などに書いてある簡単なあらすじを見ても、ときめかない。
1年に1回か1回くらい、「あー!!小説読みたい!!」と猛然と思い、数冊買って読んだりすることはあるのですが、「うーむ。この本は一生涯忘れないなあ」という自分的名作には、本当に近年会いにくくなりました。
自分としては、これは職業病ではないかと思っています。
新人のころから、「テラバヤシは引きが強い」といわれておりました。
スタッフ弁護士のMLや勉強会で事件相談をしても、(濃い事件を多く抱えているはずのスタッフ弁護士の面々によって)ドン引きされるような事件に当たることが数多くありました。
その引きの強さは、弁護士生活10年を超えた今でも変わりなく、たまにこういう事件をやっていてね、と同業の友人知人に話すと、「重たいのやってるね~」と妙に感心されたりします。
つまり、ある意味追体験したり依頼者とともに関与している現実の事態が、あまりにも奇想天外だったりドラマチックだったり、緊張感マックスだったりするために、並大抵の小説では、ドキドキわくわくできなくなっているということなのではないかと思うのです。
もちろん、私以上にインパクトの強い事件をやっている弁護士はたくさんいるわけで、そういう人たちの中には、信じられない読書量をこなす読書家も多数いると思います。
そういう人たちって、心のコントロールの仕方が上手なんだろうな、と思います。
私のように、いちいち「うわー」とか「まじかよ」などと一喜一憂したりしないのでしょう…
なので(?)、ここ数年の間に読んだ本の中で「これは面白かったなあ」と思った本は、たぶん本当に面白く、生涯忘れないだろうななどと考えます。
そういう本を2冊ほどご紹介したいと思います。
まずは、私なんぞが紹介する必要もありませんが、村田沙耶香の「コンビニ人間」です。
コンビニの仕事でしか生き生きできない主人公のありようがおかしくもあり、「これでべつにいいんじゃないか」とも思わせる、何とも爽快感のある一冊でした。
もう一冊は、瀬尾まいこの「そして、バトンは渡された」です。
親が何人も変わってきた女性の生活を描いているのですが、「親と子」の関係や「親の情」というものの多様性を感じさせられる作品でした。
実は、ここ数日「本読みたい。でも何読んでいいかわからない」という状態だったのですが、昨日北千住ルミネのブックファーストを何周もして、買いました。
益田ミリの「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」という本です。
何とも脱力したエッセイです。
小説に向かい合う気力は、残念ながら湧いてきませんでした。
移動時間に楽しめればと思います。
もっと気楽に本が読みたいです。
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