先月のことだったでしょうか。
俳優の新井浩文さんが、強制性交罪で逮捕勾留後起訴されました。
昨日の深夜には、コカインの使用でピエール瀧さんが逮捕されました。
ピエール瀧さんに関しては、NHKでニュース速報で放送するほどの大騒ぎぶりでした。
新井さんは名バイプレイヤーとして知られており、たくさんの作品に出演していました。
ピエール瀧さんは、元々ミュージシャンにして俳優。電気グルーブには数々の名曲がありますし、今年は大河ドラマにも出演しています(毎週楽しんでいます)。
新井さんが出演した映画はお蔵入り、上映延期になっているようです。
ピエール瀧さんの番組も一部はお休みが決定しています。電気グルーブは今年デビュー30周年で、CDショップでは特設コーナーが設けられていますが、おそらく既に多くは撤去されていることでしょう。
性犯罪や薬物犯罪、それを犯した芸能人に対する風当たりは非常に強い。
自分が被害者でもその家族でもなんでもないのに、よくまあ、そこまでヒステリックになれるもんだと思うことしばしばです。
こんな奴らは人間じゃない、世間から抹殺しろ、とばかりに、口汚い罵詈雑言が、インターネットで浴びせられます。そのコメントにいいね!する人も多い。
そして、お約束みたいに、出演作品や製作物が、まるで元々この世になかったみたいに、消し去られてしまうのです。
新井さんについてはわかりませんが、ピエール瀧さんについては、今のところコカインの使用は争っていないようです。
仮に新井さんも容疑に問題がなかったとしましょう。
その場合、2人が出た作品や電気グルーブの曲の価値に何か違いが出てくるんでしょうか?
いい映画、いい作品だったものが、そうじゃなくなるのか?
シャングリラとか、富士山とかが、突然駄作になったりするのでしょうか?
おそらく、こういう扱いの根底にあるのは、
犯罪者が出ているもの、作ったものなんて汚らわしい
という意識なのだと思います。そして、そういう意識が正しいと信じて疑わない日本人が少なくないということなんでしょう。
まあ、生理的なものかもしれないので、言っても仕方ないと思います。思いますが、敢えて言います。
この感覚、おかしいでしょう。
こういう感覚の蔓延は、文化の停滞を招くことにしかなりません。
素晴らしい作品であっても、容赦なくなかったことにされてしまうんですから。
井上陽水や槇原敬之も、薬物犯罪経験者でした。
彼らは今ほど世間がヒステリックじゃなかったことも手伝って、自身も作品も抹消されずに済みました。
しかし、捕まるタイミングが今だったら、少年時代も、どんなときも。も、世界にひとつだけの花も、この世から抹殺されていたのかもしれないのです。
勝新太郎なんて、パンツ事件に代表されるように品行方正からは真逆のところにいる人でした。
しかし、彼の代表作、座頭市なしで、日本の映画史なんて語れないはずです。
海外を見ても、薬に身体や精神を蝕まれながら、ギリギリのところで、名曲、名演を生み出してきたミュージシャンは沢山います。
これら全てが抹殺される世界はあり得ません。
むしろ薬に己を蝕まれながらの名演に、心打たれた人も少なくなかったはずです。
犯罪者が関わったものという理由だけで、様々な作品を抹殺することによって、文化は表層的なものに成り下がるでしょう。
人間の心の奥底をあぶり出したり、あるいはそこに働きかけるような深い作品は、なくなってしまうのではないでしょうか。
もっと言えば、犯罪者を汚らわしいと一律に排除する精神は、人間の多面性多様性を全く理解していないことの表れです。
そして、自分は被害者にしか、あるいはその家族、友人にしかならないという一面的な思い込みの表れです。
誰の心にも誘惑に弱い面があります。
一線を踏み越えるか越えないかは、絶対的な差ではありません。
誰にも被害者やその家族友人になる可能性があると同時に、加害者やその家族友人になる可能性があります。
そんなことも理解できない大人が最近の日本には多いようで、恐ろしいったらありゃしないのです。
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