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「被害者」を語れば、何もかも許されるのか。

*このブログは、私の私見であり、私が所属するいかなる団体(所属事務所含む)と関係ないことをあらかじめ申し上げます。

前々から気になっていたものの、この1週間「被害者」という名の下での横暴なふるまい、言動に憤り、嘆いてまいりました。

前回投稿で(追記あり)、3月に4件続いた性犯罪無罪判決に対する批判が急進的な動きを示していることについて、懸念を示しました。
ご存知の方も多いと思いますが、この動きは、後に「裁判官罷免訴追キャンペーン」へと続きました。名古屋地裁岡崎支部判決(娘に対する準強制性交等剤に問われた父を無罪とした判決)を出した裁判官の罷免キャンペーンです。私が2日前に確認したときには6000人を超える賛同者が集まっていました。
出した判決の中身もろくに吟味することもせずに、一人の裁判官のクビを平気で飛ばそうという人が6000人以上も集まったのです。

これに続いて、同じ裁判官について、週刊誌に、名前と写真を挙げて過去の無罪判決まで晒し、口汚い言葉で罵倒する記事が掲載されました。この記事はオンラインでも配信されてしまったため、ツイッターなどSNSを中心として記事が出回ることとなりました。
一般の人がこの記事を見て(面白半分の人もいたとは思いますが)、やはりかなり口汚い言葉でののしっていました。
裁判官個人に対する人格攻撃自体は、新潮の記事の前からもありましたが、自分が娘にレイプしているんじゃないかとか、ウジ虫野郎、極悪人、性差別主義者など、名誉棄損罪や侮辱罪に該当すると思われるような言葉をいくつも目にしました。

一連の性犯罪無罪判決批判運動の象徴的なものとして、4月11日の丸の内でのデモ(主催者はスタンディングと言っていますが)がありました。
このデモが具体的にどのようなことを訴えていたのかは、今でも謎です(賛同者や参加者の一部の方からは、無罪判決を求めるものではなかったという声がありますが)。教えてほしいといっても答えてくれる人がいません。主催者は、賛同者以外に対して、デモの主旨を説明する義務はないと表明してもいます。
ただ、実際に、このデモに対して積極的な賛同を示しているとある女性ライターは、前記の新潮の記事を拡散するツイートをしており、これをデモ主催者もリツイートしているという事実があります。
性犯罪に対する厳罰を求めるデモ(とここではしておきましょう)は、性犯罪の被害者の人権を保護してほしいということを訴えるものでしょう。その関与者、賛同者が、個人をつるし上げて貶め、ののしる記事を多くの人に読んでほしいと、積極的に触れ回っているのです。人権保護を訴える人が、人権を蔑ろにする行為を平然としているのです。

さらに、デモを先導するとある弁護士は、刑事司法の原則を軽視する動きに警鐘を鳴らした弁護士に対して、言ってもいないことを言ったかのように触れ回り(例「大衆は有罪無罪に口を出すな」)、自身への支持を取り付けようとします。

そして、こんなこともありました。
昨日のことです。私は、以下のようなツイートをしました。

「以前ブログにも書きましたが、性犯罪を犯す人は性的に未熟な人がかなり多いです。
性的コミュニケーション力が未発達といいますか。
傷害の影響がある場合もあれば、過去のトラウマ、女性が苦手などなど。
母子関係に問題がある人が多いともいわれています。
そういう点にも目を向けてほしいです。」

そうしたところ、とある方から、「自分も含め、ここには(ツイッターのこと)性被害に遭った人がたくさんいる。このようなツイートが不適切だとは思わないか」という趣旨のリプがつきました。
自分たち被害者が不快になるような言動は、封鎖されるべきだという考えです。

性犯罪に限らず、犯罪被害に遭った方については、被害回復を含め、対応の仕方に配慮することが必要であることは言うまでもありません。
ただ、だからといって、「私は被害者だから」「被害に遭った人がいるから」「被害に遭ったのはかわいそうだから」という理由で、どんなことをしてもいい、何を言ってもいいというわけではありません。
「被害に遭ったこと」「被害者がいること」「被害者側に与していること」は、あらゆることの免罪符ではありません。

「被害に遭った私が面白くないことを誰も言ってはいけない」なんていうルールは、この世にありません。
被害者に都合が悪い判決を書いた裁判官をつるし上げていいというルールも、この世にはありません。
被害者保護の運動に苦言を述べた弁護士に対して、ありもしないことをねつ造して誹謗中傷してよいというルールも、この世にありません。

私は、性犯罪無罪判決が続いてそれが大々的に報じられたときから、現在のような状況が生じることを懸念しておりました。
だからこそ、その動きをヘイトスピーチなどになぞらえて警鐘を鳴らしてきました(注:前回投稿でも記載した通り、現在は、この動きはヘイトスピーチに代表される「レイシズム」だけでは括れない現象だと思っております)。
現実になってしまって、なんて世の中なんだろうと悲しく思うと同時に、憤りが止まりません。

被害者も被害者支援者も、偉い人でもなんでもありません。
「被害者」を盾にとって、個人攻撃をしたり、他者の言論を封じるような行為には、これからも強く異を唱えていきます。











Commented by 通りすがり at 2019-04-22 13:27 x
復讐なら悪い事もOK、先にやってきたのはそっちだ!という考えを持っている人が多いのでしょう

暴走した民意による私刑がどれだけ危険な事か、その危険性を回避するために様々な決め事(法律)が存在している事を理解していない人が多い

ただその決め事を作る、立法を行う者達は民意(投票数)が欲しくてたまらない
故に全てを理解しているか否か分かりませんが、民意が集まりそうな意見を表明しがち

そして有力者の後押しを受け、最後は自分達が損する世の中になる事も知らず民意は更に煽られがち

政治関係なく様々なコミュニティで、良い人の仮面をかぶった怖い人が私益の為に、精神的に弱っている群集を動かし結果全体利益が下がるという流れが存在している気がします

人間って怖いですね(着地点なぁなぁ)
Commented by terarinterarin at 2019-04-22 14:02
本当に怖いです。
Commented by オーウェル at 2019-04-23 01:45 x
はじめまして。
今回の罷免騒動で、先生が奮闘されていることを知り
書きこませていただきました。

「被害者」が正しいとは限らない、というのはその通りで、少しばかり被告人の支援に携わったことのある私には、共感できる言及でした。実際、「被害者」の犯罪が原因で、加害者が犯行に至るケースはそれなりにありますが、現在ではそうした事件でも死刑判決が下されています。
「フェミニズム」「左派」の人々は、岡崎支部事件に、尊属殺人違憲判決を持ち出していますが、あの残虐な虐待を行った父親は、「犯罪被害者」に他なりません。被害者が正しいって、そうした人間まで正しいと考えなければならないのでしょうか?

ゼロ年代の厳罰志向の犯罪被害者たちの運動、今回の「フェミニズム」界隈の運動について、疑問を呈したり、総括を行おうという姿勢は、運動側は全く感じられません。
日本の政治運動は、自浄作用が欠片もないのでは、と思えます。それは、社会やマスコミが、声の大きい人間、力の強い人間に忖度し、空気を読んでばかりであることが原因の一つだと思います。ゼロ年代も提灯持ちの記事ばかりでしたが、今回の騒動でも、「フェミニズム」団体のあり方に疑問を呈す記事はありませんでした。新聞は、鵜飼裁判長罷免キャンペーンについては、批判的に報じたくないためか黙殺していました。
また、気軽に声をあげることができない日本のあり方も、「声をあげた人間」の無謬性を作り上げるのに、一役買っているのではないか。気軽に声を上げ、気軽に批判できる社会の方が、はるかに息苦しくないのでは?
「声をあげた人間」が、声をあげられる側になることも、十分あり得るわけで、「被害者」「声をあげた人間」を無謬な存在としている人たちは、それを考えて居ないと思います。

ゼロ年代は、厳罰化が進行し、「被害者」に異論を唱える人間は、激しくバッシングされました。その頂点が、光市事件の懲戒騒動だったと考えます。
岡口裁判官騒動、性犯罪示談者のネット晒し、鵜飼裁判官罷免騒動を見ていると、最近は、そのゼロ年代が復活しつつあると感じています。

これからどうなっていくのか。ゼロ年代が、もっと暗さを増して戻ってくるのか、令和の時代には不安以外、感じられません。
by terarinterarin | 2019-04-21 22:54 | Comments(3)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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