ツイッターに関する一考察。
2019年 05月 06日
刑事法に疎い私にとり、実務的空気感には魅力的に映る部分がありました。
日本国のオピニオンリーダーの一人である先生のご活躍を祈念します。
ありがとうございます。今日の記事もお読みいただけると嬉しいです。
被害者の存在している具体的事件について、被害者側に無頓着な態度を目にしてしまうと不親切な印象を受け、義憤や応援することについての躊躇が生じることがあります。
そもそも報道等が表示する事実認識と、裁判所の認識、それから当事者が知っていること、はそれぞれ異なっている場合があり、その意味では裁判についても「裁判所の認識が正しい」という仮説の上のことですから、裁判が常に必ずしも正しいということでなく、不確かさの残る中で割り切るという側面(社会的合意)があるものと基本的に思ってます。
そして、もちろん資格者だからといって特別な地位にあるわけではなく、ある具体的事件について「分かったような態度」をとることは不適当な場合は多いかもしれません。「分からないところがある」のが本当のところで、さらにもしかすると、言い間違いや書き間違いから、ミスリードになることもあるかもしれませんし、是正すべき悪を助長してしまう場合もあるかもしれません。とにかく意見はあくまで、当該いくつかの仮説の上での論理しか示せず、しかもその論理は新たな情報が加わると覆ってしまう性質です。もともと当事者ではない以上、当事者と分かち合うところのない無責任な態度になってしまう危険もあります。そういうなんらかのチャレンジを専門性の範囲でうまくハンドルできたとしても、それは偶然が重なったマグレで、「分からないこと」「知らないこと」に関する畏れのような姿勢のある方が模範的かもしれないと感じます。
ところで、抽象的事例にかかる考え表明なら、比較的安心して批判したり応援したりできそうではあります。ただ、論点によっては分かり難く盛り上がりにくいかもしれません(もりあがりそうな案としては例えば、キスについて概ね合意はあったが臭くて嫌だった場合とか、予期せずベロをべろべろ入れられた場合、性交について合意はあったが腰の振り方が気に入らなかったら強姦か、ゴム姦につき合意はあったが生だった、などの中学男子的設例や、紀元前くらいの古文献に見られる強姦事例について専門的考えを伺ってみたい気持ちはあります)。
いささか分不相応のマジレスになりましたが、アクセス数を増やそうとする志向について応援したい気持ちは本心から持っています。
第一人者の視点で、ますます工夫し発展されることを楽しみに、また頼りにしています。
もりあがるといいね(心から)

