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名古屋地裁岡崎支部平成31年3月26日準強制性交罪無罪判決、分析してみました。

*今日のブログはかなり長いです…*

かねてより話題になっている上記判決、やっと時間ができて分析することにしました。

なお、私が分析するにあたって参照にしたのは、奥村徹弁護士が全文掲載したブログ記事です(一旦削除されましたが、2019年5月18日付で再掲載となっております。掲載にあたっての法的問題をクリアされたうえでのものと認識しております)。

→http://okumuraosaka.hatenadiary.jp/entry/2019/05/18/105015

1 起訴された事実
 詳細は避けますが、この事件で起訴されたのは、平成29年8月12日及び同年9月11日の2回の性交です。これ以前の過去の性交については、経緯としてあるいは「抗拒不能」の要件を満たすかという判断に必要な事情として記載されていますが、そもそも検察官が起訴していない(=有罪認定して処罰する旨を裁判所に求めていない)ということを、まずは皆さんにお判りいただきたいと思います。
 
2 ポイントその1:「抗拒不能」の解釈
 今回の事件で被告人が無罪となった1つめのポイントは、なんといっても「抗拒不能」という概念だったと思われます。
準強制性交等罪の趣旨及び「抗拒不能」概念の解釈について、この判決は、従来の裁判所の立場を踏襲して、概要、以下のように述べています。

「刑法178条2項は、意に反する性交の全てを準強制性交等罪として処罰しているものではなく、相手方が心身喪失又は抗拒不能の状態にあることに乗じて性交した場合など、暴行又は脅迫を手段とする場合と同程度に相手方の性的自由を侵害した場合に限って同罪の成立を認めているところである。」
「同項の定める抗拒不能には、身体的抗拒不能と心理的抗拒不能とがあるところ、このうち心理的抗拒不能とは、行為者と相手方との関係性や性交の際の状況等を総合的に考慮し、相手方において、性交を拒否するなど、性交を承諾・認容する以外の行為を期待することが著しく困難な心理状態にあると認められる場合を指すものと解される。」

この解釈は、「抗拒不能」という文言自体や、暴行脅迫を手段とする準強制性交等罪と法定刑が同じであることから考えて、決して不当なものではなく、裁判所としては、ここから逸脱して解釈を拡大することは不可能だったといわざるを得ません。

3 ポイントその2:事件前の被告人の暴行と娘の抵抗や行動
 今回の判決では、被告人が娘に対して、長年に渡り暴行や性的虐待を行っていたことが認定されています。その認定は、非常に詳細なもので、暴行の強度や頻度、娘が嫌がったり抵抗した場合の被告人の対応などについても、直近のものだけではなく、過去に遡ってなされています。また、判決を読む限り、これらの事実の認定は、娘の法廷での証言に基づいてなされているものと考えられます。

 まとめると、
・被告人の娘に対する暴行は小学生のころから始まったが、中学生になるとその頻度は小学生の頃より少なくなった。
・被告人による娘への性的虐待は娘が中学2年生ころから始まった。高校を卒業するまで、週1,2回の頻度であった。
・娘は、抵抗していた。
・娘が専門学校に入ると、性交の回数は週3,4回に増加した。
・娘の抵抗の程度は従前より弱くなった。
・H28に娘は弟らに性的虐待を打ち明け、同じ部屋で寝るなど対策をとったところ、性交はしばらくなかったが、H29に同じ部屋で寝るのをやめると再開された。
・H297月後半から8月11日までの間、就寝中に性交されそうになった際、娘が抵抗したところ、被告人が殴る踏みつけるなどの暴行を行うなどするが、結局性交はしなかった。
・娘がそれ以前にも大声で「嫌だ」と強く拒んだ際にも、被告人から暴行を受けたが執拗なものではなかった。
…というのが主要な事実かと思われます(学費負担などに関する記載は補充的なものと考えられるため、割愛します)。

 上記の事情は、被告人の娘に対する暴行や性的虐待は長年に渡り継続反復されてきた根の深いものであることを表すと同時に、娘がそういった父親の自身に対する異常な行為に対して嫌悪感を抱いて、(どの程度のものであったかはさておき)時にはノーという姿勢を表してきたこと、そのこと自体を娘自身が自認していることを表しているものといえます。

4 ポイントその3:娘に対する精神鑑定の内容と裁判所の評価
ア 娘の本件当時の精神状態について精神鑑定を行った医師は、「被告人による性的虐待等が積み重なった結果」娘において「被告人には抵抗ができないのではないか、抵抗しても無理ではないかといった気持になっていき、被告人に対して心理的に抵抗できない状況が作出された」旨、法廷で証言しており、この証言について裁判所は信用性を認めています。
 ですが、裁判所は、娘が「抗拒不能の状態にあったかどうかは、法律判断であり、裁判所がその専権において判断すべき事項である」として、精神鑑定の結果は娘の「精神状態等を明らかにする限度で尊重されるに止まり」、娘の「抗拒不能に関する裁判所の判断を何ら拘束するものではない」としました。
 この点は、一般の方にはわかりにくいと思いますが、要するに「医師が鑑定した結果、事件当時、娘が心理的に被告人に抵抗できない状況にあったことはわかったが、だからといって、その状態が、準強制性交等罪の「抗拒不能」の要件を満たすかどうかは別な問題であって、その点は、裁判所が判断すべき事柄だ。」ということです。

 この部分の記載は、被告人の責任能力が争われている場合にも裁判所がよくするものであって、特段珍しいものではありません。医師の診断結果が、即法律上の概念に判断されるわけではないというもので、個別の事件で、「この鑑定結果でこの法的判断はないだろう」と思うことはあれど、一般的にはおかしなことを言っているわけではない部分ということになります。

イ また、鑑定医は、娘が「本件各性交時において離人状態に陥っていたと推測できる」と述べていた点については、裁判所は、本件各性交時の娘の記憶が比較的よく保たれていることや解離性障害の程度に関する心理検査が実施されていなないことから、「離人状態にまで陥っていたものとは判断できない」としていますが、「推測」として述べられた評価を、裁判所が他の根拠もないのに認定の基礎事情にすることができないことは当然のことといわざるを得ないでしょう。

5 ポイントその4:被告人の供述調書の取り扱い
 被告人は、捜査段階で供述調書を作成されており(なんで黙秘させなかったのかが疑問です。当該事案はどう考えても黙秘事案です。もっとも、被告人のキャラクターが黙秘向きではなかったのかもしれませんが)、供述調書中には、被告人が娘の抵抗不能状態を自認していた旨などが記載されていた部分があります。
 しかし、法廷で捜査段階の取調を録音録画したDVDを検討した結果、「同供述部分に対応する被告人の供述が見当たらないか、取調べを担当した検察官が問いただした内容に対して被告人が明示的に否定しなかったことをもって被告人が明示的に否定しなかったことをもって被告人が供述したかのような内容として記載されていることが確認できる」として、証拠として採用されませんでした。
 被告人の供述調書は、娘の心理状態やこれに対する被告人の認識を示す大きな証拠だったはずですが、裁判所が認定した取調状況を前提とすると証拠採用されないのは当然のことと考えざるを得ません。

6 判決に対する私見
 以上、今回の無罪判決のポイントとなった点と思われる部分を4つほどピックアップして、それぞれ検討してきました。
そのうえで、今回の判決については、立法論云々の前に、「捜査段階、公判段階における検察官の活動に問題があり、これが無罪判決につながった」といえるのではないかと考えます。

ア まず、捜査段階の問題として、被告人の供述調書の「捏造」が挙げられると思います。5で記載した部分です。
 実は、この程度のことは、捜査段階で結構な頻度で実施されていることであり、要するに供述調書は、捜査機関にとって「被告人による署名捺印さえもらえればそれでOKの、警察官や検察官による作文」でしかないのです。今回の起訴検事(捜査を担当し起訴をした検事。岡崎支部だと公判を担当した検事と異なるのではないかと思います)もまた同様の認識で、詳細な被害者の供述調書があり、これに沿う被告人の供述調書も作文できたことから、「抗拒不能」及び「これに対する認識」について、(鑑定書もあることだし)問題なく公判で立証できると安易に考えて起訴してしまったのではないかと思われます。DVDに取調べを録音録画していることを軽く見すぎだと言わざるを得ません。
 つまり、無罪判決のベースは、すでに捜査段階にあったといっても過言ではありません。
(ただ、逆に言えば、先ほども述べた通り、捜査段階で黙秘を貫いていれば起訴されること自体がなかったのではないかと思われ、弁護人サイドとしてはいかに捜査段階での対応が大切かを改めて感じざるを得ません。)

イ また、公判段階では、鑑定意見に頼りすぎたことが無罪判決が出た大きな要因だったと思われます。
 娘の証言自体から、事件に近い時期も含めて、その時その時で被告人に抵抗していた事実や事件当時の記憶が比較的よく保たれている事実が表れているのですから(注:記憶の問題に関しては、あくまで裁判所の認定を前提とすることになりますが)、鑑定事案を扱ったことがある法曹であれば、到底この状況をもって「離人状態であった」という評価はされないとわかるわけですし、「抗拒不能」という要件にはとても当てはまらないということもわかります。また「離人状態」については、あくまで医師の「推測」の域を出ていなかったという事情もあります。
 そうであるにもかかわらず、鑑定意見に依拠して「抗拒不能」を立証しようとしたというのは、検事の公判活動として大きな間違いだったのではないかと思います(もっとも、公判検事と起訴検事が別な場合、公判検事は起訴検事がやった「無理筋起訴」の尻ぬぐいをしなければならない立場にあります。もしかすると、公判検事は、アに書いた被告人供述調書の問題点に気づき、「抗拒不能」要件について、苦肉の策として鑑定意見に依拠するという方法をとったということもありうると思います)。

ウ この事案は、現在は監護者性交罪が適用される事案であり、事件当時は当該条文がなかったことから、検察官としては対応が難しかったものと思われます。だからといって、この事案で「抗拒不能」を要件とする準強制性交罪というハードルが高い罪名で有罪を狙うのは、対応として不適切だったのではないかと思われます。

 ただ、捜査状況を知らない私の勝手な感想なのですが、むしろ、8月の1件に絞って、「強制性交等罪」で起訴するということは考えなかったのか、という疑問があります。
 判決を読む限り、8月の事件の直前には、(少なくとも)強制性交未遂があり、その際に相当程度強度な暴行が加えられています。脅迫的な文言もあります。娘の体にはあざも残っており、弟らがそのあざを見ています。この1件に絞れば、あるいは、強制性交等罪にいうところの「暴行脅迫」が認められた余地があるのではないか、などと考えました。
 むしろ、9月の分も含めて、「心理的抗拒不能」に基づく準強制性交等罪で起訴(8月の件も訴因変更)してしまったために、8月の件1本に絞っていれば、「強い事実」として使えたかもしれない直前の暴行等が使えなくなってしまった。そういう問題があるようにも思われました。

7 控訴審はどうなるか?
 一般論としては、高裁で判断が覆る可能性は残されています。
 私としては、今回の件は、検察官の対応がまずかったために無罪になったといえる事案であると思います。したがって、検察官の追加立証や訴因変更等次第で、判断が覆る可能性があるのではないかと思います。
 インターネットに寄せられている弁護士のコメントを見る限り、「微妙な事案の微妙な判断で、裁判官次第で有罪になる可能性がある」という意見が多かったように思いますが、判決全文を読み込んでいくと、そのような感想にはなりませんでした。
 実際には証拠を見ないと分かりませんが、一審判決を読む限り、この件では、起訴された事実に対して、準強制性交等罪は無罪とされざるを得なかったのではないかと考えます。

8 最後に
 この判決には大きな抗議の声が上がり、裁判官をつるし上げて罷免を求める活動まで起こりました。しかし、改めて判決を読むと、裁判官が非難される事案では全くもってないと強く感じます
 むしろ、この判決は、結論こそ無罪ではあるものの、「裁判所」として、被告人による長年の暴行や性的虐待の事実を認定しました。それだけに、被害者や同様の立場に置かれた人からは「ここまで認めておきながらなぜ無罪なんだ」という気持ちが沸き上がったことと思います。しかし、それが刑事裁判というものなのだとしか言いようがありません。
 最初にも書きましたが、今回「有罪か無罪か」の判断の対象となっているのは、あくまで平成29年8月と9月の2回の性交だけであり、それ以前の暴行や性的虐待は判断の対象になっていないのです。そして、この事実だけをピックアップして「有罪か無罪か判断してくれ」と設定するのは検察官の仕事です。裁判所は、検察官が設定した判断対象に対して「準強制性交罪としては有罪とはいえない」と判断したに過ぎないのです。

 裁判所が、過去の暴行や性的虐待について詳細に事実認定したことには、大きな意味があるでしょう。
 まず1つは、(どうも被告人は当時生活保護受給者で、経済的には余裕がなさそうなので、実際には意味がないかもしれませんが)この判決をもって、損害賠償請求が可能となるということです。もちろん、幼少期のものを含めて請求できるかどうかについては、継続的不法行為が成立するか(時効の問題をクリアできるか)といった問題はあります。が、今回無罪になったものも含めて民事上の責任が肯定されるに足りる事実が認定されたのは大きいことではないかと思います。

 2つめは、家族の関係も含め、このような事態をなぜ誰も防げずに長期化させてしまったのかということが「公的な」資料として残ったということです。今回の事案は、決して性虐待事案では珍しい話ではないでしょう。行政機関レベルでは、事情聴取に基づく様々な資料があることとは思いますが、それらが表に出てくることはほぼないといっても過言ではありません。この判決は、そういう「実はよくあるけれど公開される資料としては残りにくい」というケースで、「公開の判決」という形で残すことができたという意味で、大きな意味があると思います。

 今後、今回のような事案について処罰ができるよう立法の動きが活発になってくると思います。
 しかし、先にも見た通り、今回の件は「処罰の間隙の不幸な事案」だとは、必ずしも思いません。また、拙速な立法は、かえって不都合を生むと思います。それはもしかすると、思ったよりも処罰できる範囲が狭いという被害者側の不都合かもしれませんし、えん罪の危険が拡大するという刑事司法の根幹にかかわる不都合かもしれません。
 拙速に不十分な立法をするのではなく、「どうして無罪判決が出たのか」「どうして気付かれない、対策がされない性虐待事案が蔓延するのか」を検討していくことが必要なのではないかと考えます。

長文失礼しました。


by terarinterarin | 2019-05-19 21:16 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


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