小室圭さんのお母様と元婚約者の方の間の金銭問題が、最近かなり話題になっています。
小室圭さんがこの問題に関する小室家側の言い分を28ページもある書面にして主張し、その上、解決金を支払う意向があると発表したというのが、世間の注目を浴びる原因となったのでしょう。
この金銭問題に関しては、世間的には小室圭さんのお母さんの方にマイナスイメージがついてしまっています。
「婚約者という立場を利用して400万円もせしめた女」という、お金に汚いイメージがついてしまったものと思われます。
小室さんが発表した28ページの書面も、元婚約者の方をディスっているなどというコメントもあり、あまり好意的には受け取られていないようです。
この問題、弁護士の立場から見ると、どのように映るのか、これからお話ししていきたいと思います。
男女間の金銭トラブルというのは、割によく相談を受ける問題です。
ネット上の法律相談でも、「結婚の約束をしたから援助をしたのに、結婚を反故にされた。援助したお金を返して欲しい」というのは、よく見かけます。
しかし、「援助」というのは、つまり「あげたもの」です。「貸したもの」ではありません。
契約で言うと、贈与契約になり、しかもお金を渡すことによって、契約の履行は終わっています。
この場合、法律上お金を援助した側は、契約を解除する、お金を返してくれと言う権利はありません。
渡したお金を返してもらえる権利がある場合は、貸した場合です。
しかし、お金を貸したと主張できるためには、貸した側が貸したことの証拠を出す必要があります。
代表的なものは借用書です。
法律相談でも、このお金は貸したものです、だから返して欲しいのですと言われても、借用書はおろか、貸したことを示す証拠が何もない場合には、手の打ちようがありませんと回答するしかないのです。
友人知人間、恋人同士でお金のやり取りをしていても、借用書を作っていることはないことの方が多いでしょう。
そうすると、仮に、こちらは貸したつもりだったと思っていても、借用書がない場合には、関係を清算することになってもやはり返してもらえないと言わざるを得ません。
小室圭さんのお母さんの問題について、元婚約者の方は、400万円もの大金の問題であるにもかかわらず、トラブルの存在を主張するだけで、一向に裁判にする気配というものがありませんでした。
また、お母様の方も、歯切れ良く「お返しします」ということもありませんでした。
ということは、法律上、元婚約者の方には、400万円を法律上返してもらえる権利があることを示す証拠がないと考えるのが自然であるように思われます。
そうであれば、小室さんのお母様は、「これは贈与に過ぎないのでお返しは致しません」と最後まで突っぱねてしまうこともできたのです。
ですが、今回、小室圭さんがこの400万円について「借りたものではない」と明確に主張しておきながら、「解決金を支払う用意がある」と表明しました。
これは小室さん側には返す法的義務はないけれども、問題を解決するために、任意にお支払いをするというものに過ぎません。
自分たちの「負け」を認めたわけではないのです。
推測になりますが、小室圭さんと眞子内親王の結婚の話を進めるためには、世間のマイナスイメージを払拭するために支払いをした方が得策と考えた結果ではないかと思われます。
しかし、一般的に、法律的に支払う義務のないものを、相手側が執拗に支払いを求めるからといって、支払ってしまうことは、慎重に判断すべき問題です。
支払う側は、「これを支払えば終わりだ」「これで関係を清算できる」と思うのでしょうが、そうとは限りません。
相手は、一度支払いを受けたことによって「ごねれば金を引き出せる」と考えてしまう場合が往々にしてあります。
そして、また、なんだかんだと理屈をつけてお金を支払わせようとしてくるのです。
恐喝に近い状況になることもあり得ます。
注)小室圭さんのお母様の元婚約者の方がそうだと言っているものではありません。
ですので、私の場合は、「援助してもらったお金を元交際相手から返せと言われている。」と相談された場合には、電話やメールを着信受信拒否して連絡を取れないようにした上で、絶対に返さないようにと回答することも少なくありません。
請求があまりにも執拗な場合には、受任して、代理人名で支払い拒否の書面を送付することもあります。
小室圭さんのお母様と元婚約者の方の金銭トラブルについては、先にも述べた通り、お母様側に悪いイメージがついてしまっております。
ですが、「男女の間の金銭トラブル」という視点で掘り下げて考えてみると、このイメージはかなり一方的なものではないかと感じられます。
とはいえ、人の感情が絡む金銭トラブルは、かなり面倒な対応を迫られ、エネルギーを消費するものです。
どんな関係にある人であっても、お金の問題にはシビアでいるくらいの方が、後々嫌な思いをしないで済むように思うのです。