2カ月ぶりの投稿です。
皆様ご無沙汰しております。
東京はコロナ感染爆発真っただ中、他地域(特に西日本方面)は災害級の大雨と、なかなかに大変な状況の昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。
東京オリンピックが閉幕して1週間余りが経ちました。
見る人が見たら、今更感が強いこととは思いますが、終わって感じたことを、つらつらと書いていきたいと思います(今回は法律問題とは全く無縁な投稿です)。
以前にも書いたかもしれませんが、私はスポーツ観戦が大好きです。
一番好きな競技はフィギュアスケート(中でも男子シングル)、次が陸上競技、カーリング、大相撲なども大好きです。
2年に1度(夏冬含めると4年に1度ではない)のオリンピックも今までずっと心待ちにしていて、オリンピック期間中は、毎日血沸き肉踊り、終わったらオリンピックロスになる、そういう人間でした。
(ただ、一言お断りしておきますが、私はスポーツ、オリンピック大好き人間ではありますが、スポーツやオリンピックによる国威発揚には全く興味がありません。有権者になってから一度も自民党に投票したこともなく、常に自民党政権には批判的、そういう人間であることを付言しておきます。)
その私が、今年のオリンピックに関しては、始まる前も、そこまでのワクワク感がなく、オリンピック期間中の血沸き肉躍る感もなく、終わった後のロスもない、そういう状況でありました。
東京オリンピックの開催に関しては、コロナ感染拡大に付随して、様々な意見がありました。
中止すべきという意見、無観客開催にすべきという意見、観客を入れるべきだという意見、実に様々でした。
私自身は、コロナの第4波のころに、オリンピックを開催してはいけないのではないかという消極論に一時傾きました。
それはオリンピックを開催することによるコロナの蔓延を心配する気持ちと同時に、アスリートも安心して競技ができないだろうという気持ちがあったからでした。
ただ、第4波がそれなりに落ち着き、1年待ったアスリートの、それでも腐らない声を聴き、「無観客での開催」が適切なのではないかと考えるに至りました(個人的には、国内のワクチン接種があと3カ月早く進行していれば、ある程度の有観客開催が可能だったのではないかと思います)。
そして、自分の考え通りに無観客でのオリンピックが始まったわけです。
テレビの前で、時間が許す限り楽しもう。
私はそう思っていました。
が、先ほども述べた通り、血沸き肉躍る感はほとんど訪れませんでした。
もちろん、競技によっては、盛り上がったものもありました。
女子ソフトボール決勝。
フェンシングエペ男子団体決勝。
陸上男子3000メートル障害。
陸上女子1500メートル。
ですが、これ以外の競技に関しては、目が釘付けになって離れないということはほとんどありませんでしたし、日本人の活躍に「よっしゃー!!」となることもありませんでした。
理由ははっきりしています。
コロナの感染爆発です。
いまさら言うまでもありませんが、コロナのデルタ株が本格的に蔓延し始め、東京では、オリンピック開催期間中から、感染者が4000人、5000人とうなぎ上りに上っていく状況となりました。
私はオリンピック期間中に2回目のワクチンを接種しましたが、それでも感染のリスクを思うと日々の生活の中で予防に一層努めなければというプレッシャーがかかり(人に会う仕事なので、自分が感染すると誰にうつすかわからないという恐怖があります)、そちらに神経が行くようになってしまいました。
心にひっかりがあると、楽しめるものも十分に楽しめなくなってしまいます。
コロナの感染爆発は、私の気持ちをそのような状況に落とし込んだ気がします。
加えて、今回のオリンピックでは、「コロナとオリンピックの両立」の部分で、政府や組織委員会の不始末というか、国民が納得できない対応や物議をかもす言動が続きました。
オリンピック中に感染者が急増しても、政府は感染を抑える手を打とうとせず。自粛のお願いを繰り返すだけで、「オリンピックは中止しません」と断言しました。
オリンピック後には、バッハ会長が、緊急事態宣言で外出自粛が国民にお願いされている中「銀ブラ」してしまい、「オリンピックのVIPは特別扱い」という事象がまざまざと見せつけられました(そういえば、歓迎会なども多人数で行われていましたね…)。
このような政府、組織委員会の対応や言動は、オリンピックが「アスリートファースト」でもなんでもなく、スポーツを最大限に利用した大きなビジネスであり、利権によりいくらでもご都合主義が通るのだという印象を、見る側に与えたと思われます。
つまり、今回のオリンピックでは、コロナのおかげで?今まで「影」の部分をくるんでいたオブラートがびりびりと破れ、競技を純粋に楽しみたい人に、余計な雑音をまき散らしたものであったといえるのではないかと思います。
そんなわけで、オリンピックを見る目が、かなり白けたものになってしまいました。
だから、血沸き肉踊らず、ロスもない、そういうオリンピックになってしまったのだと思います。
こういうことを言うと、障がい者スポーツを差別していると言われかねませんが、私は、パラリンピックはあまり見ないと思います。
オリンピックで、アスリートファーストでない利権で動かされる部分をまざまざと見せつけられ、それに踊らされる祭典に対して食傷気味になってしまいました。
これ以上は、お腹いっぱいでちょっと見たくないなという感じがするのです(パラアスリートの皆さん、ごめんなさい)。
そして、今回のこの気分は、今後のオリンピック観戦にも響いてくるものと思います。
私は二度と、オリンピックで純粋に競技を楽しみ、血沸き肉踊れないのではないかと感じています。
それを思うと、このコロナ禍でオリンピックを強行したことが果たして正しかったのかという問いが改めて出てくることになります。
アスリートにとっては、念願の活躍の舞台がようやく訪れてよかったのかもしれません。
でも、それ以上に良かったといえることはないのではないか。
そんなふうに思います。
今、私が言いたのは、「純粋に楽しめるオリンピックを返せ!!」ということです。
もっともっと、東京オリンピックを純粋に楽しみたかったです。
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