大方の予想通りだったかもしれませんが、死刑判決でした。
判決言い渡しでは、まず裁判長が「有罪判決です」と宣告し、主文を後回しにしました。
しかし、ほどなくして、責任能力ありと宣告されたことから、主文を聞かなくても、途中で死刑であることがわかりました(主文を後回しにした意味があったのか疑問です)。
昨日の判決報道を見て感じたことがいくつかあったので、今日はその点についてつらつらと書いていきたいと思います。
まず、死刑求刑が明らかな事件については、裁判員裁判は不適だと感じました。
というのも、判決後の記者会見で、女性の裁判員が「被害者や遺族のことを思うと今でも涙が出てくる」と言ったのです。
これは明らかに、被害者や遺族に肩入れして裁判に臨んだことを告白するものです。
このように一方当事者?に肩入れして、不公正不公平な審理をしていた人が、裁判員の中にいたのです。
もちろん裁判官だって人の子です。
京アニ事件のように凄惨な事件について、被害者に思いをいたすこともあるかもしれません。
しかし、そこはそれ、職業的に訓練されているので、一定程度の節度は保つでしょうし、判決後に口が裂けたって公にこんなことは言わないでしょう。
報道された判決理由の中には、くどいほど、被害者や遺族の心情について述べているくだりがありました。こんな抒情的な死刑判決が許されるのかと耳を疑ったくらいでした。
このことは、先の女性だけでなく、他にも被害者に肩入れした不公正不公平な姿勢で裁判に臨んでいた裁判員がいたことを示していると思います。
責任能力の判断も裁判員はまともにできていたのか、大いに疑問です。
というのも、他の裁判員が「被告人が判決の内容を理解しているとは思えない」と記者会見で述べたのです。
それはまさに責任能力の問題ではないでしょうか。
こう感じたのに、責任能力ありという判断をしたのでしょうか。
疑問を持たなかったのでしょうか?
裁判前に、裁判官は責任能力について説明していることでしょう。おそらく弁護人も冒頭陳述や弁論で述べていることと思います。
しかし、それでも理解できていない人が少なからず含まれていたということです。
そのために「判決を理解しているように見えない人」に対して死刑判決を出してしまったのです。
死刑の執行方法について裁判員が知識を持っていたかどうかも気になります。
おそらく絞首刑であることくらいは知っていたと思いますが、実際にどのように行われているのか知っている人は果たしてどれほどいたでしょうか。
私は、死刑自体が残虐な刑罰に当たり違憲だと思っていますが、百歩譲って死刑自体が合憲だとしても、現在の執行方法は違憲だと考えています。
前近代的な床抜け式の首つりで、執行途中に首の骨が折れることもあります。一度の執行で死にきれず、苦痛の中、医師に別な措置を施されて絶命する人もいます。
こんな知識もない人たちが、36人殺したからあなた死んでくださいと言ったのだとしたら、それは集団リンチと同じでしょう。
正当性ある判決と言えるのか、はなはだ疑問だと思います。
先ほども述べたように、私は死刑求刑が明らかな事件については、裁判員裁判はやめるべきだと思いますが、もし続けるのだとしたら、審理前に死刑の実際の執行方法を裁判員にレクチャーすべきだと思います。
そうじゃないとフェアな判断はできないのではないかと思います。
本件、控訴するのでしょうか。気になります。もちろん私がこうすべきなどと言える立場にあるわけではありませんが。
今はただ、無知な権限者相手に極めて難しい戦いを強いられてきた弁護人をねぎらいたいと思います。
本当にお疲れ様でした。
追記 2024.1.26