先日日弁連の委員会で、共同親権制度に関する勉強会があり、参加しました。
細かいことを言うと色々ありますが、かなりざっくりいうと、今回成立した共同親権制度のポイントは以下のとおりになるかと思います。
・未成年の子どもがいる夫婦は離婚するときに、いずれかの単独親権を選択することもできれば、共同親権を選択することもできる。
・ただし、DVや虐待が一方にあった場合には、裁判所の判断により他方の単独親権としなければならない。
・共同親権か単独親権か、当事者では話し合いがつかない場合には、裁判所が判断する。
・共同親権制度をとった場合、進学や転居については、双方の合意が必要であるが、日常的なことや急迫の事情(緊急手術とか)がある場合には、一方の判断で対応することができる。
・進学や転居等について双方の合意が取れない場合には、裁判所が判断する。
このような共同親権制度の説明を受けて、私は、「争いの種が増えただけで問題は何にも解決しない」と思いました。
まず、一般的に言われている懸念点として「DVや虐待の被害者が離婚しても被害を受け続ける」ということが挙げられますが、これはまさにその通りだと思います。
DVや虐待というのは、客観的証拠が不存在の場合が多く、巧妙な加害者ほど証拠が残らないようにします。
なので、裁判所が、DVや虐待を理由とする単独親権の申し出に対して、(従来通り)客観的証拠を重視した判断をするのであれば、実際に被害に遭ってきた人が全く救われないことになってしまいます。
今でさえ、調停委員の一部(少なくない一部)や裁判官は、DVや虐待の本質が何かという理解に乏しく、DVや虐待の主張をする当事者や弁護士に対して、「証拠もないくせに」「具体的なことも言えないくせに」(日常的にやられているといつ何があったかなんてわからなくなります)と冷たい対応をすることが結構あります。
これがそのまま共同親権制度発足以降も持ち込まれると、日本は、裁判所や調停委員がDVや虐待に加担するとんでもない国に成り下がることになると思います。
ぜひ、裁判官や調停委員には、DVや虐待の実態に即した「物の見方」ができるようになってほしいと思います。
逆に、共同親権のメリットとして、「離婚時の争いが減る」といわれていますが、今回の制度のつくりを見て、「そんなことなかろう」と笑いそうになりました。
そもそも、離婚をしようと思うということは、少なくとも一方には、相手に対する嫌悪感があることが普通であって、「離婚した後は関係を断ち切りたい」と考えて当たり前なのです。
にもかかわらず、共同親権になって、離婚後も子どものことで、進学や引っ越しの度に話し合いをしなければならなくなるなんて、まっぴらごめんなはずです。
加えて、両親とも「子どものことはかわいくて手放したくないけれど、相手と関わるのは金輪際ごめんです」というケースも多いはず。
となると、共同親権制度が始まれば、親権をめぐる争いは「共同親権vs単独親権」と「単独親権vs単独親権」の二本立てになるということになります。
夫婦ともども「共同親権で良いです」というパターンなんて、離婚しても夫に養育費とかきちんと支払わせたい妻とやる気がなくて結構どうでもいい夫のケース…というのが多くて、結局、共同親権にしたものの、夫がきちんと意思表示しないために、進学のことも決められない、養育費も滞るなんてことが起こるんだろうなと容易に推測されます。
また、裁判所の判断で無理くり共同親権とされた元夫婦は、子どもの進学等についてことごとくもめることになり、その度に裁判所に持ち込まれることになるわけです。
それまでは、子どもはどこの学校に行くかも決めることができず、大きな不利益を被ることになります。
少し前出しになりましたが、共同親権のメリットとして、もうひとつ、「養育費の確保ができやすく、面会交流の実施もされやすい」ということが挙げられていますが、眉唾だと思います。
親権を持っていようが持っていまいが、金にだらしない、子どもの養育に無関心な親は、この先も養育費なんて払わないでしょう。
そして、共同親権が実現しても、実際に子どもを監護するのはどちらか片方の親なのですから、その親がどうしても子どもを相手に会わせたくなければ会わせないでしょう。
いくら会う権利があるといっても「会わせない」という事実に勝てないのは、面会交流の根拠が「離婚した後も子どもに会う権利」から「親権」に格上げされても全く変わりません。
養育費や面会交流の問題と親権の問題は別だと、これまで再三に渡り言われていましたが、出来上がった制度を見てみても、そこはいかんともしがたいとしか言いようがありませんでした。
親権なんかなくても、子を思う親は養育費を払い、子を相手に会わせる。
親権があっても、子どものことなんてどうでもいい親や養育費を払わず、相手に子を会わせたくない親は会わせない。
ただそれだけのことです。