ご無沙汰しております。
東京は早くも?ジメジメムシムシしていて、辟易気味のテラバヤシです。

ここ最近、立て続けに2つの研修を受けました。

1つは、2016年刑事訴訟法改正に関する研修です。
ざっくりいうと、世間の注目も集めまくりの「日本版司法取引」に関する研修です。

もう1つは、2020年に迫った民法改正に関する研修です。

どちらのトピックスについても昨年くらいから、研修が行われていましたが、体調不良もあり受けそびれてここまで来てしまいました。そこで、今回受講するに至ったというわけです。

この2つの研修、非常に対照的なものでした。そこで、今回はこの2つの研修を比較して、感想を述べたいと思います。

*刑事法改正研修:複数解説者の登壇と実演入りで飽きさせない工夫*

刑事法改正研修の方は、司会の他に4人の解説者が登壇していました。トピックスごとに司会者が解説者の一人を指名してコメントを求めるという形式を中心に進行されました。

これに加え、トピックスごとに11の場面を設定した実演が5人の「役者」(全員弁護士ですが)によって行われました。その実演を元に、解説者によって、問題点や対応方法などが説明されるという流れになっていました。

途中10分の休憩をはさんで3時間の研修でした。

解説は非常にわかりやすかったですし、実演も臨場感があるものでした。
が、それ以上に、先ほどお話した進行方法が実に絶妙でした。
3時間という長い時間の研修だったにもかかわらず、最後まで飽きずに受講することができました。

また、配布されたレジュメの中には、協議や合意に関する書面のサンプルが豊富に取り揃えられていました。単なる講義レジュメにとどまらない、今後も使える資料を頂戴できて、とてもお得感のある研修でした。

*民法改正研修:外部講師によるマシンガントークで最後まで引っ張る*

対して民法改正研修は、外部からお招きした講師おひとりが2時間に渡って、改正債権法のポイントを解説するという内容のものでした。

時間は2時間。休憩はなしです。
講義は、講師が作成した詳細なパワーポイントに基づいて進行されました(パワーポイントのデータを資料として配布)。

パワーポイントは、カラフルで図や表も多く、とても工夫されているものでした。
文字も色分けされており、ぱっと見で改正のポイントが分かるように工夫されています。

講師は、1つ1つのパワーポイントの着眼点をよどみなく説明していきました(お手元に原稿があったのではないかと思いたくなるほどでした)。

受講している側は、ただひたすらにそれを追いかけて、重要項目に印をつけたり、付随して必要なメモを取ることを黙々と続ける…そういう研修でした。

研修が終わって感じたのは、「民法改正に関しては、もう1回研修を受けなければならないな」ということでした。

*研修には十分な時間を割くべき(当たり前だけど…)*

当然のお話ですが、研修は、その研修のテーマについて、受講者たる弁護士に対して理解をしてもらうために行うものです。

研修のテーマが非常に重たいものやボリュームの多いものの場合には、それ相応の時間を割く必要があると思います。

刑訴訟法改正の研修は、そのために必要十分な時間が設けられていました。
だからこそ、ゆとりをもって、講師側のアイデア(複数解説者による司会進行方式、実演入り)がいかんなく発揮されたのであろうと思います。

民法改正研修は、明らかに時間が少なすぎたと思います。
今回の改正はかなり幅広いものです。これを2時間で研修するというのは、重要ポイントに話を絞ったとしてもかなり無理がある設定だったように思います。

もちろん外部講師の方にお願いしたので、時間の制約もあったことと思います。
また、短い時間の分、詳しい資料を配布して「填補」もされていました。

でも、受けている側としては、講義する講師の方もゆとりがなくてご苦労されているのではないかと気になりました。

要は、研修を主宰する側の意識の問題ではないかと思うのです。
研修というのは、ただ、講師を招いて(内部でも外部でも)話をさせればいいというものではありません。

研修を受ける側の身になって、どうすればわかりやすくなるのか、そのためにどういう段取りを当日とることが必要か、講師にどのような依頼をしなければならないかということを検討することが必要だと思います。

そして、講師に過度の負担をかけないことも必要ではないかと思います。
過度な負担をかけすぎると、それが悪評になって、外部講師を招聘しにくいということもあるでしょうから…

私はそうではありませんが、我々の業界には研修マニアの方が多数いらっしゃるようです。
そういう方は、研修の良し悪しを見る目が、私なんぞよりも格段に肥えていると思います。

今後は、時間が許す限り色んな研修に出て、自分の幅を広げるとともに、研修をもっと深く批評できるようになれると面白いかもしれないと思ったりしたのでした。








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# by terarinterarin | 2018-06-01 16:46
日大アメフト部の選手が、関学大アメフト部との試合で、プレイ後の選手に後ろからタックルをして怪我をさせた件が話題になっています。

この問題、監督がこういうラフプレイをするように選手に指示していたかどうかが現在の世論の注目どころと言えるのではないかと思います。

法的にいうと、この監督、少なくとも具体的な指示がなかったとしても、怪我をさせてしまった選手ともども民事上の責任、すなわち損害賠償責任を問われる立場になりえます。
監督と選手の間には、「指揮監督関係」があることは明らかであり、民法715条が適用される場合に該当すると言えるからです(使用者責任という呼び名が良くないけど、要は、指揮監督下にある者が不法行為を働いた場合には指揮監督者も責任を取れということを定めている条文ですからね)。
もちろん監督は、「相当の注意」をしていたときなどには免責されますが、今回のケースでそれが認められる可能性は高くないと言えるように思われます。
全治3週間の怪我ということですから、賠償額もそこそこの金額になると思われます。

さらに、これは見解が分かれるかもしれませんが、監督がラフプレイをするよう具体的に指示していたことがわかれば、監督自身の責任ということで民法709条に基づく一般的な不法行為が成立するということもできるでしょう。

怪我を負わせた学生は、傷害罪という刑事責任を問われる可能性もあります(被害学生が被害届けを出せば)。
で、監督の方も、ラフプレイに対するなんらかの指示をしたということであれば、共犯の責任を問われる立場にあるわけです(さすがに指示がなかった場合に刑事責任を問われることはないでしょう)。

今回の問題は、こういう重大な法的責任を孕む問題であるということがあまり説明されず、テレビなんかでは「監督の指示があったかどうか」が「監督自身の謝罪の必要性」という枠組みだけで語られたことは残念でなりません。

なんだかこういうのをみると、「スポーツなんだから多少のことがあっても謝ったら済ませればいいでしょ」という風潮があるような気がしてなりません。
しかし、(これは何人かの人が言っていたけど)スポーツで怪我させて済ませられる場合というのは、ルールに則ってプレイした場合に限られるのであって、ルールを無視した状態で怪我させたりする場合には、怪我をさせたことについて正当性がないのですから、一般社会のルールに則って事態が処理されることになるわけです。

…と書いたところで、ニュース速報で日大の監督が辞任しただの関学大に謝罪しただのと流れてきました。
が、これでことを済ませるかどうかはあくまで関学大の学生の意思ひとつということになります。
謝ってもらったからといって、怪我が治るわけじゃありません。
治療が必要です。
精神的にもダメージを負っていることと思います。
治療費や慰謝料を支払ってくれと請求できる権利を、彼は持っています。
傷害罪で被害届を出すことだってできるわけです。

監督の謝罪は「やっとこさっとこ」出てきたというところですが(加害者の選手は謝罪したのだろうか?)、ここまで謝罪が後手後手に回ると、どうしても、「いろんな責任を背負うところから逃げていて、逃げきれなくなってしまった」とか「法的責任を回避するためにも謝罪したほうがいいとだれかに説得された」かのような印象を受けてしまいます。

だけど、繰り返しになりますが、責任とるってそういうことにつきるわけじゃないですからね。謝りゃいいってもんじゃないし、辞めりゃいいってもんでもない。被害を負った人が「こういう形で責任を取ってほしい」というものに応えることこそが責任をとるということの意味ではないかと思います。

しかし、日本というのは、責任取れない大人がいっぱいな国なんですかね。
森友や加計、財務省事務次官のセクハラの問題と今回の問題、大人が責任の取り方を忘れているという点で根が同じのような気がしてなりません。


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# by terarinterarin | 2018-05-19 16:10
昨日今日とお休みをもらっちゃっているテラバヤシです。
そんなわけで、つい先ほどまでTOKIOの4人の会見を見ておりました。
ワイドショーのコメンテーターは、皆一様にそう言わなきゃいけないみたいに厳しい意見を述べていて、ここはひとつ、この事件のここまでの顛末について弁護士として感じている違和感を書いておこうかなと思ったりしました。

この事件はリアルタイムのものではなくて、2月に起こったもののようです。
被害者の方とは既に示談が終わっていて、報道された時点では、被害届も取り下げられようとしているところでした。最終的には、山口さんは起訴猶予になりました。
被害者の方の親御さんは、山口さんが社会的地位を失うことを望まないという趣旨のコメントを発表されていました。

この時点で、私は、山口さん側は単に金を積んだだけではなくて、相当誠意をもって被害者の方に謝罪し、対応したのだなと思いました。おそらく弁護士の多くがそのように感じたのではないかと思います。
一般的に示談の成否というのは、当然のことながら、被害者の方の感情に左右されるもので、ましてわいせつ系の事件ともなれば、「あんな人間からお金をもらうこと自体が汚らわしい。絶対に許してなるものか」と被害者が考えることが少なくありません。以前にも書きましたが、性犯罪における示談は、非常に難しいものなのです。

ところが、今回の件では、被害者の方が示談に応じてくれた上、親御さんはあんなコメントまで出してくれた。
単に高額な金を積んだだけではこうならなかっただろうことは、我々弁護士から見れば、非常に明らかとしか言いようがありません。
本人も弁護士も本当に誠心誠意対応したんだろうと推測されます。

もちろん、被害者の方はまだ16歳だったということですから、これ以上騒がれたくないという気持ちでの示談だったかもしれません。親御さんとしても、娘さんがマスコミやネット上で特定されるのを回避するために、示談の話に乗るという選択をしたのかもしれません。
しかし、仮にそのような気持ちがあったとしても、相手方の対応が誠意を欠くものであった場合、到底被害者の気持ちは収まりません。厳重に処罰してください、という話になるのです。
被害者側の皆さんが、騒がれたくないという気持ちを持っていたとしても、やはり示談が成立し、あのようなコメントが発表された背景には、山口さん側の真摯な対応があったからに他ならないのだろうと思うのです。

そうであるにもかかわらず、山口さんにTOKIOをやめる決心をさせ、退職願を書かせるまで、山口さんバッシングをするのは、今まで「ジャニーズ」だからといってちやほやしていた人間の汚らしい掌返しにとどまらず、被害者の方の気持ちを踏みにじる本末転倒な仕打ちなのではないかと思われてなりません。

これで、山口さんが本当にTOKIOから脱退し、芸能界から追われることになったとしたら、被害者の方はどう思うでしょうか。
自分が被害届を出したことを後悔するのではないでしょうか。
示談に応じたこと、おやごさんがコメントを発表したこと、その他今回の事件にまつわる全ての言動や行動を被害者やその親御さんは後悔するかもしれません。

これら全ての行動はどれも被害者の方が決めることであって、どの選択肢も間違っているなんて決して言えるものではありません。
山口さんを責め立てれば責め立てるほど被害者の方の「そっとしておいて欲しい」「もう終わらせたい」という気持ちは害され、二次的な被害が拡大して行くことになるのではないかと思います。

同じ年頃のお子さんを持つ親御さんがこの事件を見て嫌悪感を抱くのは、当たり前のことと思います。
ですが、だからといって、世間がよってたかって被害者が許している人間をバッシングすることが正しいということにはならないのではないでしょうか。

山口さんは少なくとも被害者の方との関係では、リカバリーの行動をとり、結果を出したと言えるでしょう(ここではアルコールの問題などは置いておくことにします)。
過ちがあってもリカバリーができたのであれば、それを傍観者の人間たちがとやかくいう筋合いはありません。
被害者の方がもういいと言っている件をほじくり返すのは、結局被害者の方を傷つけることにしかなりません。

そこのことろちゃんとわかっているのかなと思わずにいられない、マスコミのヒステリックぶりにちょっと嫌気がさしたりしたのでした。




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# by terarinterarin | 2018-05-02 16:03
財務省の福田事務次官のセクハラ問題が取り沙汰されている昨今、テレビに映し出されるご本人様の姿、言動を見て、思ったことがありました。

ハラスメント親父の典型的な人やん…

そう、現段階において福田事務次官のセクハラ問題は、一応まだ真っ黒半歩手前くらいの可能性がないわけではないとも言えるかと思うのですが(かなり控えめに言って)、ご本人のキャラ的には、アウトな感じがフツフツと漂うのであります。

セクハラ、パワハラ、モラハラと、ハラスメントには様々な種類があり、そのハラスメントが行われる関係性や程度なども実に様々です。韓国の某航空会社の問題で出てくるように、暴力を伴う場合もあったりします。

が、関係性や程度の如何を問わず、ハラスメントする側の人の特徴には、ある一定の共通項があるように思うのです。

自分目線しかないということ。
自分の基準、考え方が唯一無二の正当なものであり、それと異なる基準や考え方は全て悪、誤り、制裁を加えられるべきと信じて疑っていないということ。

なので、自分のしていることに少しでも疑義が挟まれれば、相手をとことん責め倒します。
周りがその人に対して、その人の言動に正当性がないことを指摘しても、聞く耳を持ちません。下手すると、指摘した人も責め倒すようになります。
自分の思い通りにならない人間を徹底的に蔑み、罵倒します。
自分を正当化する理屈が、虚実入り乱れて、泉のようにその人の中から溢れ出てきます。
それらが相矛盾するものを含んでいても、全く気にしません。
そして、自分が傷つけられることにはすごく敏感。

弁護士を一定年数やっていた人であれば、事件の相手方、場合によっては依頼者として、このような人物には会ったことがあります。
アホだな、と笑って済む場合もありますが、手を焼く場合、そのために事件が長期化する場合も少なくありません。

かの事務次官さんは、マスコミに対する口の利き方からして、朕は国家なり的な上から目線、つまり自分が一番偉い、自分こそが正当であるというパーソナリティであることがプンプン漂ってきます。また、最初は女性記者と録音されていたような会話をしたことはないと言っていたのに、テレビ朝日の会見の後には、全体を見ればセクハラではないなどと、前言と矛盾する自身の独自理論を堂々と言ってのけました。
ハラスメント親父の特徴をお持ちなのです。

残念ながら、こういう人につける薬はありません。
だって、自分がハラスメント親父だと思っていないから。
頭の中で記憶を都合よく塗り替えて、あったことを無かったことに、無かったことをあったことにしちゃうこともよくありますし。

なんで、こういう人間とは、証拠を評価してもらえる場、すなわち裁判という場所で戦うしかないのです。
しかも、彼らは自分の意に沿わない判決は悪なので、負けに納得することもありません。上告審まで行くことも覚悟しなければならない厄介者なのです。
なんで、裁判にされたら、新潮さんには、上告審までしっかりお付き合いしていただくしかないのだろうと思うのです、この件。

私も今、ハラスメントな人が相手についている件を複数抱えています。私も相当な悪人にされています。終わりが見えない戦いに、依頼者のストレスも溜まりまくっています。
でも、だからといって、おもねることは、こういう輩をのさばらせてしまうだけなので、最後まで戦うしかないのです。
一度ハラスメント人間と関係を持ってしまうと、なかなか負のスパイラルからは抜けられないものなのです。

文中に、ハラスメント親父という表現を使いましたが、ハラスメントする人間が親父に限られるという趣旨ではありませんので、ご理解くださいませ。


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# by terarinterarin | 2018-04-20 12:04

お断りの流儀。

今日のことです。
仕事関係の移動の最中に、行きつけというほどではありませんが、気に入ってたまに行っていたカフェの近くに行きました。
午後2時頃のことでしたが、お昼も食べていなかったので、トーストとコーヒーで一服しようかと店に行きました。
すると、見たことのない男性の店員から、とても無愛想に「満席です」と言われてしまいました。店内はとても賑やかで、多くの客は複数で連れ立ってお茶をしに来ている様子でした。しばらく席は空かないかもしれないと思い、しかたなく、その近くのパン屋で軽い昼食をとることにしました。
満席は満席で仕方ないのですが、繁盛している店の横柄さ、つまり「満席なんだからあんたは入れないよ」と門前払いを食らったような気がして、気に入っていた店だったこともあり、ちょっと嫌な気分になったのでした(以前行った時は、どの店員さんも丁寧な接客だったので、余計にそう感じたのかもしれません)。
こんなことが続けば、SNSなんかでそのうち悪口を書かれるようになるだろうな、とそんなことも感じたりしたのでした。

ひと昔前には、弁護士はサービス業ではなく、高尚な専門職だと認識している弁護士が多数だったと聞いています。
しかし、今やそのように認識している弁護士は少数派になっていると言っても過言ではないのではないでしょうか。
もちろん、提供するサービスは、法的な知識が十分にないとできない専門的なものではありますが、サービス業の1つであることは間違いないというべきでしょう。
そうすると、依頼者はイコールお客様ということになります。
かつては、結構な着手金や弁護士報酬をもらった上で、「先生、ありがとうございます」などと崇め奉ってもらって当然でしたが、それも今や昔のお話。これだけ弁護士余りの世の中になってしまえば、依頼者側が弁護士を選択する主導権を握っているのは間違いないわけで(よほど特殊な仕事をしている弁護士は除きますが)、依頼者や相談者への対応をひとつ間違えれば、とたんに「あの弁護士は…」などという噂が広まる危険性もあるわけです。
客あしらいを間違えたカフェと同じことになりうる危険性が、弁護士にもかなりな程度ある、そう言えるのではないかと思うのです。

だから、というわけでもないのですが、冒頭に書いたカフェみたいに無愛想に「満席です」と、待ちたきゃ待ちな、待ちたくなきゃ帰りなという態度は、弁護士だってとっちゃいけないなあとヒシヒシと感じたりしたのです。

相談希望の方が、できるだけ早い相談を希望している。
でも、日程が混んでいて、相談可能なのは希望よりも遅くならざるを得ない。
そんな時は、やはり、こちらは申し訳ないという気持ちを込めて、その事実をお伝えすべきなんだろうな、と思います。
「あたしの相談がどうしても受けたいなら、待ちな」みたいな態度は禁物。だって、相談に乗ってくれる弁護士なんて、ごまんといるんですから。
自分のところにたどり着いてくれたことに感謝する気持ちは、決して忘れてはならんのだろうと、そんなことを思った今日の出来事なのでした。

ですが、最後に1つだけ。
弁護士名指しで法律相談の依頼をする場合、今日の今日で空いているケースというのは結構まれと言っていいと思います(まれじゃないケースというのは、その弁護士がヒマということです。ヒマな弁護士が、あなたにとって良い結果をもたらすかどうかは疑わしいと言わざるを得ないでしょう)。
急にどうしようもない案件が発生した場合には致し方ありませんが(突然家族が逮捕されたとか)、弁護士としては、最低でも数日の余裕を持って法律相談の申し込みをしていただくのが、大変ありがたかったりするのです。


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# by terarinterarin | 2018-03-16 17:37
7年前の3月11日は金曜日でした。
私は当時、法テラス愛知のスタッフ弁護士をしており、名古屋に居住しておりました。
その日は、会務活動のために東京出張中で、午後から日弁連の建物の16階会議室におりました。夜には新幹線に乗って名古屋に戻る予定でした。名古屋に戻る前に、東京駅近辺をぶらっと見て回り、美味しいご飯を食べるのを楽しみにしておりました。

そんな中、地震が起こりました。
テラバヤシは北海道の出身、それまでも日高沖地震や奥尻島沖の地震などで、比較的大きな揺れを何度か体験してきました。
しかし、その日襲ってきたのは、今まで体験したことのない大きな揺れでした。
しかも、揺れは断続的に何度も続きました。断続的に続く揺れもまた、とても大きなものでした。
私は机の下に何度も潜り込みました。
そんな中でも、会議は粛々と続けられ、予定をすべてこなしたところでお開きとなりました。

震源地が東北沖の方であることがわかりました。
階下を見ると、近辺にある省庁の職員の人たちでしょうか、大勢の人が日比谷公園の方に向かっているのが見えました。
そのうち、その日は新幹線が止まって動かないということがわかりました。
私は、帰る手段を失いました。日弁連で一夜を明かすことになりました。
夜になると、日弁連の地下にあるレストランから、ありったけのカツカレーが帰れなくなった人々にふるまわれました。
日弁連や東京の弁護士会の職員の人たちが、お弁当やカップ麺をたくさん買ってきてくれました。
15階のロビーに設置された大きなスクリーンには、NHKのニュース画像が流れ、津波で東北地方が壊滅的な被害を受けたことがわかりました。
その場に残された帰れぬ弁護士たちが息を飲んで映像に見入りました。
そして、配布された毛布にくるまって、残された弁護士たちは眠りにつきました。

幸い、東海道新幹線は翌日朝から運行を再開しました。名古屋に戻れるようになりました。
霞が関から地下鉄の丸ノ内線に乗り、東京駅に行きました。
地下鉄の駅は照明が落ちており、丸ビルや新丸ビルの入り口付近も真っ暗でした。
昨日までとは全く違う風景に、私は戸惑いを覚えました。
東京駅は、私と同じように足止めをくらった人たちでいっぱいでした。
確か朝9時少し過ぎに駅に着いたのですが、私がチケットを取れたのは11時半頃ののぞみ。時間があったので、駅構内の売店でパンを買って遅めの朝ごはんを食べました。
札幌に住む両親に携帯で電話をしようとしましたが、繋がりませんでした。

いつもなら1時間40分で名古屋に着くはずのところ、その日は2時間以上かかっての到着でした。
私は、自宅に帰る前に法テラス愛知に寄り、国選の配点の当番で休日出勤していた職員に、ことの顛末を報告しました。
自宅に戻ったところ、全く無事であり、ガスも水道も電気も止まっていませんでした。私はなんだか不思議な気持ちで、シャワーを浴びたり、着ていた洋服を洗濯したりしたのでした。

その頃は、概ね月1回から2回程度東京に赴いて日弁連の会議に出ていました。
東京は、その後も長いこと地下鉄の駅などの照明が暗く落とされていました。
華やかだった東京が活気を失っているような、そんな気がずっとしていました。

いつの間にか、照明は震災前の状況に戻りました。
海外からの観光客で街は溢れかえるようになりました。
今や東京は震災前以上の活気に溢れていると言っても過言ではないように思います。
しかし、今でも、7年前の3月11日に経験したこと、その日からしばらくの間東京で見てきたことは、私の記憶に残り続けています。

私があの日やその後に経験したことは、東北の地で大きな地震や津波に遭い、ご家族を失った皆さん方の経験に比べれば、本当に本当に些細なものでしかありません。
それでも今でも忘れることができないのです。
震災の被害に遭った皆さん方が、今でも苦しい思いを抱えていることは、言葉は悪いですが、当然のことのようにも思えます。
ただでさえ辛く苦しい思いをしているのに、例えば避難先の住民の無理解や遅々として進まない復興のために、その辛い思いが膨れ上がっている方々も決して少なくないという報道に触れると、心が痛むことしきりです。

経験がない人間の想像力のなさや残酷さに憤りを感じます。
時が全てを解決するわけではないことにやるせなさを覚えます。
そして、自分の無力さを痛感せずにいられません。

震災でお亡くなりになった皆さんに哀悼の意を表するとともに、被災した皆さん方が少しでも早く安心した日常を取り戻せるよう、ささやかながらお祈りいたします。





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# by terarinterarin | 2018-03-11 15:54

広告復活。だけど無料。

先日、「体調戻りました。また頑張ります」宣言をしたテラバヤシです。
宣言をしたのですから、今までのようにのんべんだらりというわけにもいかないだろうということで、今までサボっていた委員会に出てみたり、珍しく自分から刑事の国選事件を取りに行ったり、とホントーに珍しくアクティブに動いていました。もちろん無理のない範囲で(いきなりバタバタ動きすぎてまた逆戻りになるのもあれなので)。

体調不良の間、有料の広告を打ち切ったり、当面掲載を見合わせてくださいとお願いしていました。
が、紹介案件が少ない東京の街弁テラバヤシ(いや、受けないとか言っているわけではないですよ。紹介案件もちろんお受けしています)。やはり、復活宣言するからには、広告を出すことも必要だろうと考え、複数のウェブの広告サイトに掲載をすることにしました。

が、出したのはいずれも無料の広告です。
有料無料と選べる中、あえて無料の方を選びました。

理由としては、ウェブサイトでの弁護士広告がかなり浸透した昨今、あえて有料で出す理由があるのかということに疑問が生じたからです。

確かに、有料ですと、色々なオプションがあります。掲載できる事項の範囲が広かったり、ウェブサイトから直接事務所にアクセスすることができたり、あるいは、定期的に名前が検索上位に来るようにしてもらえたり、などなど。

しかし、前にも話した通り、真に弁護士を求める人というのは、検索上位の人だからと言って優先するわけではなく、数多ある情報の中から自分が求めている人はこの人だ!!という人物を探すわけです。

実は復活宣言前のもはや広告など皆無と言ってもいい状況下でさえ、ブログの記事を見ました、ホームページを見ましたと言ってお問い合わせくださる方が何人かいらっしゃいました。
テラバヤシの名前やともえ法律事務所にウェブ上で行き着くにあたり、何をどうやって検索したのかは、さっぱりわかりません。どれほどの時間をかけてテラバヤシにたどり着いたのかもわかりません。
しかし、たどり着いてくれる方は、たどり着いてくれるのです。

休業前にすでに「月に*万円かけてウェブ広告出す意味あるかなあ」と思っていたこともあり、復活!!にあたっては、「市井の皆様がテラバヤシにたどり着く窓口を少し広げる」程度でやってみようと思い、あえて無料で勝負しようとした次第です。
「掲載できる内容」という点でいうと、無料でも、そこそこに個性を出すことは可能であり、したがって、他の弁護士との差別化を図ること(平たく言えば目立つこと)は十分にできると思います。

しかし、ウェブ広告を出すにあたり、少し調べていたところ、複数のサイトに有料広告を出しまくっている同業者を何人か見つけたのですが、効果はどれほどなんでしょうか。ちょっと聞いてみたいと思います。もちろんその人にとっては、有料広告を複数出すことにメリットを感じているからやっているのだと思うんですけれどね。
対費用効果が十分にあるのかどうかを知りたいところです。

とはいえ、案外こういうのって、大した効果が感じられなくても、「広告を止めるのが怖い」という気持ちでやめられなくなっている場合も少ないないかな、と思ったりもします。

この記事の目的は、別に有料ウェブサイトの営業妨害ではありませんのであしからず。
無料広告のみで勝負?してしばらく経ったらどうなったか、については、また後日、お知らせいたします。





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# by terarinterarin | 2018-03-07 18:01
意外に弁護士の仕事というのは、訴訟→いい判決もらうというものよりも、交渉によって物事を解決する場面の方が多いように思います。

確かに刑事事件の場合、被疑者が起訴されてしまえば後は判決をもらうだけということになりますが、実際には、その判決の中身をどれだけ被告人にとって有利にするかについては、裁判官を納得させるだけの材料を見抜き、揃え、それをアピールする(尋問や最終弁論で)という点で、実は交渉的な要素があります。
その前の捜査段階ではなおのことで、例えば勾留却下を勝ち取るという意味では上と同じですし、不起訴あるいは起訴猶予を得る段階では、最終的に検察官との交渉が必要になる場面が結構あります。
検察官は、往往にして処分見込みを口にはしませんが、とりあえず話をしてみて、見込みを読み取り、こちらに有利な処分にするために何が必要なのかを的確に分析し、それを示すという過程は、起訴されるのかされないのか微妙という案件では、かなり重要なもので、戦うだけが能ではないということもしばしば起こり得るのではないかと思います(テラバヤシの場合、刑事事件に関しては、もうどうしたって起訴されて仕方ない案件しか最近来ないので、このような交渉をすることがあまりないといえばないのですが)。

民事や家事であればなおのことで、訴訟外の示談交渉案件に限らず、調停や訴訟などの裁判所の手続を利用する場合にも、よりこちらに有利な条件を得るため、あるいはすでに約束してもらったこちらに有利な条件を反故にされないために、交渉をすることが必要となります(調停成立や和解成立に向けて)。

この交渉をするにあたって、忘れちゃならんと思うのは、当事者間の力関係というものかと思います。
弁護士も含めて意外に、交渉というものは対等な立場で行うものという大前提に立っている皆さんが多いように経験上見受けられるのですが、実際のところはそうではない。
原則的には、類型的に「立場の強い、弱い」というのはある程度決まってしまっているのではないかと思うのです。
基準としては、裁判外の交渉事案であれば、仮に審判や判決を下されるとした場合に、こちらの当事者にとってどのような結論が出ることが予想されるかということが大きいかと思います。
そして、交渉をうまく運んで、少しでも依頼者に有利に、あるいは不利にならないような結論を導くためには、弁護士としては、この辺りの理解が一番必要ではないかと思うのです。

また、物事の優先順位をつけることも交渉の上では必要です。一番最優先したい事項はなんなのか、次はなんなのかということ。
この2つの事情を組み合わせて考えることによって、双方妥協することによって、真に有利な交渉の結論というのが出ることになるのではないでしょうか。

しかし、先ほども書いたように、そもそも当事者の有利不利ということを考えずにやたらめったらなんでも押してくるご本人や代理人がいたりすると、交渉はその時点で手詰まりになります。
こちらが有利な立場であれば、だったら交渉なんかやめて訴訟にするわ、判決にするわとなりますし、不利な立場の方でも、裁判所に持ち込んでもらった方が、あるいは判決に持ち込んだ方がまだましな結論になると考えれば、あえて交渉に乗らないということもあります(注:但し、訴訟や判決にすると時間がかかりうるので、それとの兼ね合いということになりますが)。

人によっては物事の優先順位をつけられないことによって、あれもこれも自分の思い通りにしようとして、結果、どれも思い通りにならない危険が生じうることもあり得ます。相手方がそういうタイプの場合には、やはりその時点で交渉を打ち切ることもあり得ます。

じゃ、自分の依頼者が自身の立場の有利不利や物事の優先順位を考えられない人の場合、どうするか、というと、これは説明をして説得するしかありません。
本人の優先順位と法律家の観点から見た優先順位がずれている場合にも、確認の上、それでいいのかと目覚めていただくことを促す必要があります。
往往にしてこういうケースは感情が先行してるがためにこうなってしまっているケースがほとんどなので、元々が理性的で賢明な方であれば、忸怩たる思いは抱えつつも理解して、粛々と進めることを選択してもらうことができます。
が。
元々が感情の生き物、プライドが高く「相手には一寸たりとも引くもんか」というお考えの方を説得するのは非常に困難です。
最悪の場合には、辞任解任ということになりますが、末路について想像がついているこちらとしては、「これでいい結果が出るわけではないんだけどなあ」と多少嘆いたりもするものです。

先ほども書いた通り、交渉というのは、押したり引いたりによって成り立つもの。
真に自分にとって有利な結論を得ようとするのであれば、相手にも不満が残らないように引くことが最善という場合が圧倒的に多いように思います。

ですが、訴訟にする前に交渉で解決したいとご相談に来る方に限って、こういうことを理解していない方が少なくないのもまた事実です。
それは、最初から訴訟になったら自分が不利だとわかっていて、自分や弁護士という肩書きの威圧感を頼りに、相手を力でねじ伏せようとしているからに他なりません。
そもそも望んでいるのが、交渉でもなんでもないというわけです。
なので、テラバヤシは、交渉案件で依頼を受ける場合には、その後に訴訟や調停などになりうることを念頭においてくださいと、ほとんどの場合(訴訟になり得ないものも稀にあるので)依頼者に予め話すことにしているのです。

追伸
体調不良で、しばらくの間スローペースで仕事をしてまいりましたが、大分良くなってまいりましたので、少しペースを上げていきたいと思っています。
一般の皆さんのご相談、心よりお待ちしています。
同業者の皆さんも、テラバヤシに、というものがありましたら、どうぞお声がけいただければと思います。



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# by terarinterarin | 2018-03-03 15:51

頭が痛い代理人。

今抱えている案件の中で、相手方の代理人が非常に痛い、というか、はっきり言えば、「弁護士としての能力には欠けているが、ずるいことや不当なことをする能力には長けている」人物で、対応に苦慮しているものがあります(一部地域では結構有名な弁護士のようです。裁判所的にも。それがどのような意味合いであるかは、ここでは割愛します)。

進行中の事件ですので詳しいことは書けないのですが、自分自身がずるいことや不当なことをするだけでなく、依頼者にもずるいことや不当なことを実践させるというタイプ。

こういう場合、こちらがマメにその証拠さえ取っていけば、あとは正攻法のやり方でなんとかなります。
また、こういう手に相手が打って出てきた時というのは、「今苦しいです」と言うているのと同じなので、特段弁護士としては慌てることもありません。
「あ。効いてるな、こちらの戦略」と思えばいいだけのことです。
対応することに手間はかかるし、腹も立つのですが、先ほども述べた通り、正攻法を続けていけばいいのです。

が、相手が「依頼者に不当なことをさせる」場合というのは、それによる不利益や心情の悪化などが、往々にして、こちらの依頼者に直接的に生じることになります。
しかも、予測不能な手を使ってきたりするため、された時の衝撃というのは非常に重いものがあります。

私の依頼者も突然予測不能な弾が飛んできたために、体に変調をきたすほどのショックを受けてしまいました。

そんな手を使う同業の輩は当然相手方の代理人として許せんなと思うことしきりです。

こんな手を使って、この弁護士、今までに訴訟で良い結果を得たことがあるのでしょうか。
きっと依頼者に不当なことやずるいことをさせるときには、それが有効な手段であるかのように説明しているのだろうと思うのですが、こちらとしては、「いやそれ、依頼者の首を明らかに締めてるでしょ」と簡単にわかるようなやり方だったりします。

実は複数案件がかかっている当事者なのですが、1つの訴訟に関しては、そのやり方があまりに不当だったことが理由で、こちらが勝訴しています。

この弁護士を相手にしたことがある複数の弁護士からも、「ずるいやり口、不当なやり口」の話を聞いていますが、少なくともその全てで、私の知人の弁護士側に有利な判断が出ているのです。
つまり、依頼者の利益を守れていないわけです。

まあ、こういう弁護士がいいと思って依頼する人々ですから、この弁護士のおかしさには気づかないのかもしれません。そういう意味では、非常に相性の良い依頼者をつかんでいると言えなくもありません。

が、終わってみれば、自分の得には何もなっていない。
そこで依頼した人は、依頼した弁護士を間違えたことに気づくことになるのでしょうか。
それとも、精一杯やったから仕方ないと思うのでしょうか。
後者のように思わせるまでいらいしゃを洗脳させられるのであれば、その弁護士も大したもんだと思うのですが、どうしても提出してくる書面を見る限り、そこまで人を口車に乗せる能力があるようには思えない。

いろんな意味で頭が痛い代理人。
こういう弁護士がうまい具合に駆逐される世界にならないと、弁護士業界の信用性というのはなかなか上がらんのだろうなと思うのでありました。

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# by terarinterarin | 2018-02-25 12:50

刑事事件は疲れますな。

平昌オリンピックが始まった今日この頃、久しぶりに刑事事件付いてきたテラバヤシです(注;刑事専門になったという趣旨ではありません)。

これらについてはFacebookに投稿しているので、Facebookのお友達はお分かりかと思います。
疾患をいくつか抱えて治療しながら(かつ夜間業務を医師に制限されている中)、刑事事件を「まじめに」やるというのは、なかなか骨が折れます。

もちろん負担が多いのは、捜査弁護の方です。
一番負担が重いのは接見です。次に、警察や検察に対する抗議。場合によっては、接見させない刑事にその場で文句つけなきゃいけない場合もあり、そうすると頭は冷静なまま、相手の出方によっては本気で喧嘩しなければならないという、非常に難しい小技を使わねばなりません。

それがね、この歳になると疲れるのです。

単純に接見のための移動も疲れます。最近、割と遠方の刑事事件を受任してしまい、移動だけで半日潰れ、東京に戻ってきた時にはそれなりにへとへと、となってしまいます。

実は、それ以外にも示談で被害者に怒鳴られるとかそういう精神疲労もあるのですが、私の場合、理由は置いておくとして、そういうことがそもそも無理という事件しかほぼないので、この点の疲労はないのですが。

起訴後の弁護活動も疲れます。
特に否認事件の場合は疲れます(が、最近否認事件ばかりです、はい)。
証拠の精査、証人尋問の準備、被告人質問の準備、その実践に最終弁論。
しかし、この辺りは、民事でも和解できない事件の場合、似たような労力がかかるわけなので、特に刑事事件だから、ということもないように思います。

ですので、刑事事件が非常に疲れると思わせる要素というのは、捜査段階にあると言っても過言ではありません。

恐ろしいのは、刑事事件の場合、民事と違って、手を抜こうと思えばどこまでも手を抜くことができ、それを、無意識のうちにできてしまう人には、この感覚はわからないということです。

もし、今日のこのブログに共感できない読者の弁護士がいたら、ひょっとすると、依頼者から、ちゃんとやってくれないと不満を持たれているかもしれません(注;依頼者にもあれな方がいるのは、民事も刑事も変わらないので、そういう場合は当然除外します)。



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# by terarinterarin | 2018-02-10 17:15

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


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