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3月、性犯罪について無罪判決が続き、話題になりました。

1つ目は3月12日の福岡地裁久留米支部判決。サークルの飲み会で泥酔させられた女性に姦淫した男性が準強姦罪に問われたもので、判決では、女性が抵抗できない状況であったのを認めつつ、女性が姦淫を許容していると誤信する状況だったと判断して無罪となりました(検察側控訴)。

2つ目は3月19日の静岡地裁浜松支部判決。強制性交等致傷罪に外国人男性が問われたものですが、被告人が、自身の暴行が反抗を著しく困難にする程度のものだと認識していたと認めるには合理的な疑いが残ると判断して無罪を言い渡しました(確定。なお、裁判員裁判)。

3つ目は3月26日の名古屋地裁岡崎支部判決。当時19歳の長女に対する父親(以前から性的虐待をしていた)による2回の姦淫について準強制性交等罪に問われたもので、裁判所は、長女が抵抗する意思や意欲を奪われていた状態だったことは認めたものの、抗拒不能の状態にまで至っていたと断定するには合理的な疑いが残るとして無罪を言い渡しました(確定したかどうかの情報はまだなし)。

4つ目は3月28日の静岡地裁判決。12歳の長女に対する強姦等について父親が起訴されたものですが、約2年間に渡り週3回の頻度で姦淫が強要されていたという主張について、長女の証言内容の変遷や、狭い家の7人暮らしで誰も気づかなかったのは不自然・不合理という理由により、強姦は無罪となりました(児童ポルノ動画所持については有罪。現時点で未確定)。

わずか約2週間の間に、性犯罪について立て続けに無罪判決が4件下されるのは極めて珍しいことです。

日頃、性犯罪も含めて刑事事件をそれなりに担当している身としては、1つ目については裁判官によってかなり判断が分かれるところだろうと思われ、控訴審で判断が覆る可能性が相当程度あると踏んでいます。
2つ目については、裁判員裁判でこのような判決が出たこと自体が非常に興味深く、3つ目については、そもそも準強制性交等罪による起訴が不適切だったのではないかと考えています。
4つ目については、捜査機関が初期の段階で、どのような状況で長女から供述を得ていたのかがはなはだ疑問であり、適切な事情聴取がなされていれば、強姦罪で起訴すること自体がなかったのではないかと思っています。

それはさておき、性暴力は許さないという風潮が強い昨今、4件の無罪判決は、世間から大きな非難を浴びることとなりました。
世間からの非難の中には、「実際に被害に遭っている女性の心理的状況に配慮がなされておらず不当だ」などと判決の事実認定のあり方に疑問を呈する、傾聴に値するものも含まれていました。
しかし、多くは「性犯罪で無罪なんてありえない」、「これじゃ性犯罪者はやりたい放題」などという感情的なものが多く、性犯罪で無罪判決を出すこと自体に対して怒号を浴びせるものでした。今日なんて、性犯罪に対する無罪判決を非難するデモが行われているようです。
弁護士の中にも、日本を「強姦天国」と揶揄する人物が表れたり(その弁護士は、それなりの考えをもってこの言葉を使ったようですが、言葉が独り歩きしていることは否めません)、政治家(共産党)の中にも、内容を吟味することなく一連の判決の非難をSNS上で繰り返す人物がいます。

刑事司法には「無罪の推定」という絶対不可欠の原則があります。
被告人が有罪であることは検察官が立証する責任を負っています。
そして、被告人が罪を犯したことについて合理的な疑いが残る場合には、無罪としなければならないのです。
一般の人にとってみれば、「疑わしきは罰せず」という原則だと説明したほうが分かりやすいかもしれません。
とにかく、どんな罪名であろうと、犯罪を犯したとされる人を裁く時には、この原則が適用されることになるわけです。

一連の性犯罪無罪判決を感情的に非難する人には、リベラル層が多いように見受けられます(これは私だけの意見ではなく、SNS上で同様の感想を述べる方が何人もいます)。先ほども挙げましたが、共産党所属の政治家の方もそうですし、著名人のなかでは、津田大介さんも無罪判決自体を非難していると受け取れるツイートをしていました。
超保守的な現政権が戦前の家族観に回帰することが望ましいといえそうな姿勢を見せていることとの対局に、女性の権利保護という概念があることからすると、「女性の権利保護」の一環として「性暴力は許さない」という考えはリベラルな思想と親和性が高いといえるでしょう。
そして、その「性暴力を許さない」と強く思っている人々が、今回の一連の性犯罪無罪判決に対して「許せない!!」といきり立ったように思われます。

リベラル派というのは、人権保護を重視する思想の持ち主のはずであり、したがって、通常は「冤罪を防ごう」などと叫んでいるはずなわけです。
冤罪を主張する再審事件について無罪判決が出たりすると、肯定的なコメントを出す。
それがリベラル派のはずなのです。

が、こと性犯罪ということになると、どうやら思考が全く逆転してしまう人たちが、中には含まれているようです。
「性犯罪で無罪なんて許せない」という思想はつまるところ、「性犯罪については無罪推定の原則を適用しなくていい」、「疑わしきは罰せよ」ということを意味することになるからです。

つまり、「性犯罪をやったと疑われるような人」なんて人に非ず。刑事司法の大原則を適用して権利を保障する必要なんてないんだという考え方なのです。
嫌疑をかけられた時点でそれなりのことしてるんでしょ。
女の子にテキーラ一気飲みさせるなんてそれ自体が許せない。
児童ポルノ動画持ってるなんて気持ち悪い。
だからこんなやつは疑われて罰せられてもいい。
そういう考え方です。

この「特定範疇に属する人」に対しては不当な取り扱いをしても問題ないという考え方、何かに似ています。
レイシズムです。
日本におけるレイシズムは、主に在日コリアンの方を標的にしており、その徹底的な排除を謳っています。
「性犯罪の無罪判決は許さない」派の人たちは、「性犯罪を犯した嫌疑をかけられた人」を標的にして、徹底的な糾弾を謳っているのです。
在日コリアンは在日コリアンという属性だけで日本のレイシストの標的にされており、良識ある人々、特にリベラル派の人々から見れば、「理由のない排除」として許しがたいと考えていることと思われます。
しかし、「性犯罪の無罪判決は許さない」派の人たちは、これと極めて似たようなことをしているわけです。
「嫌疑をかけられた人」はあくまで「嫌疑をかけられた人」に過ぎません。
排除される理由はありません。
例えば、児童ポルノ動画持っている人が全て性犯罪者なわけではありません。
にもかかわらず、理屈をこねて排除する。
レイシストと同じです。

性暴力被害を起こさないようにすることは大切です。
性暴力被害が起きたら、そこから被害者を救済することももちろん大切です。
ですが、そこだけを見てしまうと、それによる犠牲者が出てしまうことを忘れてはいけません。
1つの価値だけを偏重すれば、他の価値が損なわれることになるのです。

強姦天国と騒ぎ立てることは、日本を冤罪天国にすることです。
決して大袈裟な話ではありません。

性暴力を許さないことと、冤罪を防ぐことは両立する概念です。
両方の重要な価値の元で、では性被害者を救済するには何をすればいいのか、を考えていくことが必要です。

*追記:平成31年4月19日*

4月11日のデモ(スタンディング)等について、ツイッター上でレイシズム、ヘイトスピーチと同じだと投稿したところ、多数の批判が寄せられました。
デモ主催者は、当初「無罪判決を許さない」というスローガンをツイッターのプロフィールページで掲げており、賛同者が用意したプラカードにもその旨が記載されていたり、また参加者と思しき人が「性犯罪無罪撤廃デモにこれから行ってきます」というような書きも身をしているのも見られました(その後、「不当判決は許さない」に変更)。
ただ、昨日、賛同者の方(実際に参加はされていないようですが)とツイッターした際、「無罪判決の撤廃を求めるデモではなかったと思う」と記載されており、他にも「無罪撤廃なんて言っていない」とおっしゃる方が数名おられましたので、その旨は付記させていただきます(とはいえ、では、どういうデモだったのかという問いかけに対しては明確なお返事はいただいておらず、デモ主催者も賛同者以外に対する説明義務はないとして説明を放棄している状況ですので、わかりません)。

また、私自身、デモも含め、現在の性犯罪無罪判決批判の動きは、レイシズムの特徴も有しながら、他の現象(カルト宗教的現象や、安易なバッシング現象)の特徴も有していると考えるに至っております。
その意味で、今回の現象(特にデモ)について、レイシズムと同じだとお話した点については撤回をさせていただきます。

この現象をどうとらえるべきかは、刑事事件を多数担当してきた私にとっては、弁護士としての根幹にかかわる重大な問題ですので、今後も検討を進めていきたいと思います。
また、無罪判決一般の糾弾、無罪判決を書いた裁判官個人の糾弾、人格否定にまでつながっている現在の状況については、憂慮を憶えます。

今後も警鐘を鳴らし続けたいと思います。





by terarinterarin | 2019-04-10 16:52 | Comments(0)
*このブログに書くことは、私が所属する破産者マップ被害対策弁護団や事務所とは一切関係のない私見であることを、予めお伝えいたします。*

破産者マップ被害対策弁護団を立ち上げて10日ほどになります。
この間、破産者マップを巡ってSNSを中心に様々な情報や見解が行き交うのを目にしてきました。
様々な意見の中に、「破産は恥ずべきことではない。だから、破産者マップは問題ない」という趣旨の意見がいくつかあるのが目につきました。
とても気になりました。

確かに破産は恥ずべきことではないでしょう。
法的に言えば、(免責になった場合)契約上の金銭支払義務を履行することができなくなってしまった人が、その債務を法的に免除してもらっただけのことに過ぎません。
しかし、「だから、破産者マップに問題はない」という結論には結びつかないのではないでしょうか。
そこには、大きな論理の飛躍があります。

まずそもそも、今般、プライバシー権というのは、「自己情報コントロール権」ととらえるのが一般的です。
私的情報について、何を公開するか秘匿するかを、個人がコントロールすることができる、それがプライバシー権だと捉えられているわけです。はずかしいと思うかどうかは、関係ないわけです。
例えば、テレビ番組に一般の方が出る場合でも、顔を隠す方、顔は隠さないけれども名前は匿名にする方、家族を出す方出さない方、色々います。
そういう人たちに対して、「あなたの顔は恥ずかしくないのだから出せばいいじゃないか」、「名前は恥ずかしいわけじゃないから出せばいいじゃないか」ということはありません。
顔や名前を出すか出さないかは、個人の自由として尊重されるわけです。
そうであるにもかかわらず、破産したという事実だけが「恥ずかしい情報ではない」から、本人の同意なくして公開されてもいいというのは、あまりに不合理です。
「個人がコントロールできる情報」のひとつであるはずの自己破産という事実について、本人らの同意を一切得ず、コントロールが及ばないところで、誰でも検索できるような状況に置いたということが、そもそも問題なわけです。

また、破産という事実に対する破産者の感情を「恥ずかしい」という一言で表現しているところも、違う、と感じます。
前提として、「自己破産」という事実に対する世間の偏見があることは紛れもない事実です。
おそらくは、破産者マップができる以前から存在していると思うのですが、過去数年分の破産者をデータ化して売却している企業が存在しています。「横領などの危険を防ぐ」という目的をはっきりと明示している業者もありました。
つまり、世間では、破産者を犯罪者と同じように扱う向きもあるということです。

破産した事実を隠したいと思う人は、破産の事実を単に恥ずかしいことととらえているのではなく(あるいは、そうとらえているだけではなく)、「自己破産をしたことが明るみに出たら、自分は世間から排除される」「仕事にも就くことができない」「クビにされるかも」という恐怖心を抱いていることが、むしろ一般的なのではないでしょうか。
その恐怖心は、自分は一生立ち直れないかもしれないという絶望にもなりえます。その絶望と闘いながら、歯を食いしばって生きて行こうとしている人が大勢いるはずです。
そういう人たちに対して、「破産は恥ずかしくないから公開されたっていいじゃないか」ということは、今の日本社会において、破産したという事実がどのように扱われているかを全く理解していない無神経極まりないものです。

「破産は恥ずかしくないから公開されてもいい」という理屈(個人的には理屈にもなっていないと思いますが)は、本来社会的な問題として論じられるべきトピックスを、個人の責任や気の持ちようという問題にすり替えるものです。
こんな理屈をこねる人は、破産者マップを擁護したい理由が他にあるのだと思います。
復活や第二の破産者マップが出てくることを願っているのだけれど、それを正面から言うと、自分がSNS上でフルボッコにされる可能性がある。だから、一見、破産者を励ますような体裁を取り繕うために、こんな理屈をこねているようにすら感じられます。

破産ははずがしいことではありません。
ですが、秘匿するしないを自分でコントロールできる情報の1つです。
無断で、だれでも見られるような形で公開されない権利が、ひとりひとりにあるのです。
「恥ずかしくないから公開されたっていいじゃないか」という理屈は、破産している人を一見励ましているようで、実はないがしろにしている姑息なものです。

どうか騙されないでもらいたいと思います。






by terarinterarin | 2019-03-26 14:09 | Comments(8)
私は、破産者マップ被害対策弁護団の一員です。
今日は、破産者マップのことについて思うことをツラツラと書きますが、以下に書くことはあくまで私個人の考えであって、弁護団とは全く無関係です。
ちなみに所属事務所とも無関係です。
そのことを前提としてお読みください。

弁護団発足が18日、サイト閉鎖発表が19日未明というスピード感からか、マスコミが興味を持ってくださって、弁護団の弁護士数名に対する取材がありました。
私もテレビ朝日から取材を受けて、その内容が、20日朝の羽鳥慎一モーニングショーで放送されました。

その時間まだ自宅にいたので、どんな風に取り扱われるのか、放送を見ていました。
コーナーでは、開設者がサイトを開設した理由についても取り上げていました。

開設者は、概要、こんなことを話していると、番組では整理していました。

データに基づいて物事を理解、判断、実行、評価する国になってほしいという私なりの日ごろの思いを形にしたものでした。

そして、これについて男性のコメンテーターが、技術者の中にはこういう考え方をする人がいる、などとコメントしていました。
著作権の縛りがない、あるいは希薄な、国が持っている様々なデータを広く活用できるように技術開発を進めたいという考えの人が技術者の中にはいる。そのような趣旨の発言でした。

そもそも、この公表された目的自体、私は嘘だと思っています。
なぜなら、このサイトには削除要請フォームがあり、現在の連絡先やメールアドレス、勤務先等々、更なる個人情報を記載させるものになっていたからです。
あくまで私個人の意見ですが、売却目的の個人情報収集が真の意図だったように思われるのです。

仮に被害者マップの開設者が技術者であり、真に先程挙げた目的でこのサイトを立ち上げたのだとしましょう。
しかし、先の考え方がいくら技術者にありがちなものとはいえ、この考え方は、前提として検討しなければならない問題が全く検討できてない間違ったものと断言したいと思うのです。

こういう考えの技術者は、データは色のないニュートラルなものという感覚を持っているのでしょう。
そして、ニュートラルな情報は、どんな風に加工を施してもニュートラルなままだと考えているのでしょう。

しかし、そうではありません。
データは、特定の目的の下で収集、ときに公開されます。
目的に見合った観点から収集すべき内容や収集方法が決められます。公開の有無、するとしてその方法や範囲も決まります。
その結果収集されたデータ、公開されたデータには、目的に見合った色がつきます。
例えば内閣支持率の世論調査でも、マスコミ各社で結果が違います。

官報に破産者の情報が掲載されるのは、一言で言えば債権者の手続保証のためです。
破産手続への参加、即時抗告できる機会を失わないようにするために破産情報が掲載されているのです。
債権者が、債務者の特定、照合が可能なように名前や住所などの情報が掲載されているのです。

確かに官報は図書館に行けば閲覧可能です。しかし、入手は有料です。限られた場所でしか買えません。ネットの閲覧も原則有料です。
日本特有の事情かもしれませんが、破産は不名誉なものと考えられています。
おそらくはそのために、情報提供の必要性と個人情報の過度な流布を回避する意図で、公開範囲がある意味限定的な官報への掲載という方法が採用されたものと推察されます(違う場合は、ご指摘ください)。

もし、破産者マップの開設者が、本気で、破産者の情報を、人口とか地価とか、保育園の待機児童率とか、そういった情報と全く同じものと考えていたのだとしたら、あまりに思慮がなさすぎると言わざるを得ません。
なぜ、破産者情報が官報という、ある意味奥ゆかしい媒体を使ってだけ公表されているのか、思い至ることができなかったのでしょうか。

情報は、使い方を間違えれば凶器になります。
もし、破産者マップが未だ閉鎖されなければ、あるいは今後第2の破産者マップが出てきたりしたら(未確認ですが、その動きがあるという情報もあります。)、どうなるでしょう。

会社では社員の破産者探しが行われ、横領などを防ぐ目的という名目で破産者が解雇される。
採用の応募者について、過去の破産歴の有無をチェックするのが慣例化する。
子どもたちは、誰それちゃんのお父さんが破産したらしいよとLINEで情報を飛ばし、いじめの対象にする。
そういう事態が怖くて、到底返せない多額の借金があるのに、破産できない。

死人が出るでしょう。

情報は単なる客観的事実ではありません。
ニュートラルなものではありません。
その扱いに細心の注意が必要なものです。
技術の名の下に、気軽に弄ぶようなことはしてはいけません。
扱う前に、その情報が持つ意味を考えて欲しいと思います。










by terarinterarin | 2019-03-20 16:02 | Comments(13)
先月のことだったでしょうか。
俳優の新井浩文さんが、強制性交罪で逮捕勾留後起訴されました。
昨日の深夜には、コカインの使用でピエール瀧さんが逮捕されました。
ピエール瀧さんに関しては、NHKでニュース速報で放送するほどの大騒ぎぶりでした。

新井さんは名バイプレイヤーとして知られており、たくさんの作品に出演していました。
ピエール瀧さんは、元々ミュージシャンにして俳優。電気グルーブには数々の名曲がありますし、今年は大河ドラマにも出演しています(毎週楽しんでいます)。

新井さんが出演した映画はお蔵入り、上映延期になっているようです。
ピエール瀧さんの番組も一部はお休みが決定しています。電気グルーブは今年デビュー30周年で、CDショップでは特設コーナーが設けられていますが、おそらく既に多くは撤去されていることでしょう。

性犯罪や薬物犯罪、それを犯した芸能人に対する風当たりは非常に強い。
自分が被害者でもその家族でもなんでもないのに、よくまあ、そこまでヒステリックになれるもんだと思うことしばしばです。
こんな奴らは人間じゃない、世間から抹殺しろ、とばかりに、口汚い罵詈雑言が、インターネットで浴びせられます。そのコメントにいいね!する人も多い。

そして、お約束みたいに、出演作品や製作物が、まるで元々この世になかったみたいに、消し去られてしまうのです。

新井さんについてはわかりませんが、ピエール瀧さんについては、今のところコカインの使用は争っていないようです。
仮に新井さんも容疑に問題がなかったとしましょう。
その場合、2人が出た作品や電気グルーブの曲の価値に何か違いが出てくるんでしょうか?
いい映画、いい作品だったものが、そうじゃなくなるのか?
シャングリラとか、富士山とかが、突然駄作になったりするのでしょうか?

おそらく、こういう扱いの根底にあるのは、

犯罪者が出ているもの、作ったものなんて汚らわしい

という意識なのだと思います。そして、そういう意識が正しいと信じて疑わない日本人が少なくないということなんでしょう。

まあ、生理的なものかもしれないので、言っても仕方ないと思います。思いますが、敢えて言います。

この感覚、おかしいでしょう。
こういう感覚の蔓延は、文化の停滞を招くことにしかなりません。
素晴らしい作品であっても、容赦なくなかったことにされてしまうんですから。

井上陽水や槇原敬之も、薬物犯罪経験者でした。
彼らは今ほど世間がヒステリックじゃなかったことも手伝って、自身も作品も抹消されずに済みました。
しかし、捕まるタイミングが今だったら、少年時代も、どんなときも。も、世界にひとつだけの花も、この世から抹殺されていたのかもしれないのです。

勝新太郎なんて、パンツ事件に代表されるように品行方正からは真逆のところにいる人でした。
しかし、彼の代表作、座頭市なしで、日本の映画史なんて語れないはずです。

海外を見ても、薬に身体や精神を蝕まれながら、ギリギリのところで、名曲、名演を生み出してきたミュージシャンは沢山います。
これら全てが抹殺される世界はあり得ません。
むしろ薬に己を蝕まれながらの名演に、心打たれた人も少なくなかったはずです。

犯罪者が関わったものという理由だけで、様々な作品を抹殺することによって、文化は表層的なものに成り下がるでしょう。
人間の心の奥底をあぶり出したり、あるいはそこに働きかけるような深い作品は、なくなってしまうのではないでしょうか。

もっと言えば、犯罪者を汚らわしいと一律に排除する精神は、人間の多面性多様性を全く理解していないことの表れです。
そして、自分は被害者にしか、あるいはその家族、友人にしかならないという一面的な思い込みの表れです。

誰の心にも誘惑に弱い面があります。
一線を踏み越えるか越えないかは、絶対的な差ではありません。
誰にも被害者やその家族友人になる可能性があると同時に、加害者やその家族友人になる可能性があります。

そんなことも理解できない大人が最近の日本には多いようで、恐ろしいったらありゃしないのです。





by terarinterarin | 2019-03-13 12:59 | Comments(4)

貧困と食生活、健康。

昨年11月から12月、裁判員裁判期間中に、「うわっ」と思うほど太りました。
理由は、一緒に弁護人をやっていた先輩が、おいしくてお手頃なお店を知っていて、ほぼ毎日一緒にご飯を食べていたからです。

しかも年末年始と実家で食っちゃね生活を重ねるなどして、さらにドン。

年齢も年齢ですし、これはさすがにまずいと思い、2週間ほど前からプチ糖質制限を始めました。
糖質制限とはいえ「プチ」ですので、旭川のくまちん先生のように、「これで生きていけるのか」というほどには頑張っていません。
元々甘いもの好き、炭水化物好きでしたので、いきなりそんなことしたら激しくリバウンドしそうですし。

米やパン、パスタなどを食べ過ぎない、タンパク質と野菜中心を心がけるといった程度です。

その程度なのですが、炭水化物を食べない分、いろいろと食材を取りそろえる生活になりました。

豆腐、納豆、サラダチキン、おからパウダー、ロカボナッツ、たまご、キャベツなどなど…

そして、気付きました。
炭水化物や糖質中心の食事って、とても楽であるということに。
外食で気軽に安く食べられるのは、ほぼほぼ炭水化物や糖質中心の食べ物なのです。
うどん、パスタ、ファーストフードにパンにおにぎり…
腹持ちがいいというメリットがあります。
炭水化物、糖質を押さえてバランスよく食べようとすると、タンパク質も野菜も食べなければならない。そこそこ値の張る定食屋さんに行かねばならない。
テラバヤシも、以前より食費がかさんでおります。

よく貧困層には肥満の人が多いといいます。
テラバヤシも、過去、生活保護の方の事件をたくさん受けてきましたが、糖尿病の方が多いという印象があります。
これは明らかに、様々な食材を手に入れるお金がなく、食事が炭水化物、糖質に偏りすぎていることの表れです。
野菜やたんぱく質など、バランスよく手に入れるお金がないから、こういうことになってしまうのです。
貧困⇒食生活の偏り⇒健康不良という負の連鎖が生じていることがわかります。

これ、どうにかならないのでしょうか。
生活保護者の健康不良は医療費の増大を招く原因にもなりますし、働くことが難しくなるのですから、生活保護から抜け出すことも難しくなります。

生活保護者を含めた貧困世帯の栄養補助というのは、長い目で見れば、貧困対策になるはずです。

保護費を削るという目先の削減策は、貧困をさらに悪化させるだけで何の対策にもならないのではないか…

プチではあるけれども糖質制限にチャレンジしたおかげで、貧困対策に思いをはせてしまった極寒の早春なのでした。

追伸
プチ糖質制限に併せて、朝晩もも上げ各200回しているおかげで、体重はそう変わりませんが、多少引き締まった体つきになってきました。


by terarinterarin | 2019-02-11 22:03 | Comments(0)
子どものころから、本を読むのが好きでした。
幼稚園に通っていたころ、親に無断で童話の全集を申し込んできたり(もちろん全て読破)、小学生のころ、図書館に会った伝記本を、ほぼすべて読破したりしていました。
中学生のころは、松本清張や向田邦子を読み漁っておりました。

高校時代は体育会で脳みそ筋肉状態で、あまり読書した記憶がありませんが、大学生以後は、椎名誠、よしもとばなな、村上春樹、東野圭吾、宮部みゆきなどにその時々ではまりつつ、読書から離れる生活は送っておりませんでした。

本の好みはうるさい方で、「どんなジャンルでもどんな作家でもいけます。」「本ならなんでもオッケーです。」というタイプではありませんが、本を読むことは私の人生に欠かせないものでした。

ところが、弁護士になって数年経ったころから、なかなか読書が楽しめなくなってしまいました。
特に、自分の人生の一部であった「小説を楽しむ」という行為がなかなかできなくなってしまいました。

本屋には、しばしば発作的に行きたくなり、主に小説売り場をうろついたりしています。
ですが、なかなか、表紙のデザインやタイトルでピンとくるものに出会えません(最近の本の表紙は、なかなかに毒々しくうるさいデザインが多いような気がします)。
ちょっと気になるタイトルのものがあって、最初の数行を読んでみても、入ってこない。
裏表紙などに書いてある簡単なあらすじを見ても、ときめかない。

1年に1回か1回くらい、「あー!!小説読みたい!!」と猛然と思い、数冊買って読んだりすることはあるのですが、「うーむ。この本は一生涯忘れないなあ」という自分的名作には、本当に近年会いにくくなりました。

自分としては、これは職業病ではないかと思っています。
新人のころから、「テラバヤシは引きが強い」といわれておりました。
スタッフ弁護士のMLや勉強会で事件相談をしても、(濃い事件を多く抱えているはずのスタッフ弁護士の面々によって)ドン引きされるような事件に当たることが数多くありました。
その引きの強さは、弁護士生活10年を超えた今でも変わりなく、たまにこういう事件をやっていてね、と同業の友人知人に話すと、「重たいのやってるね~」と妙に感心されたりします。

つまり、ある意味追体験したり依頼者とともに関与している現実の事態が、あまりにも奇想天外だったりドラマチックだったり、緊張感マックスだったりするために、並大抵の小説では、ドキドキわくわくできなくなっているということなのではないかと思うのです。

もちろん、私以上にインパクトの強い事件をやっている弁護士はたくさんいるわけで、そういう人たちの中には、信じられない読書量をこなす読書家も多数いると思います。
そういう人たちって、心のコントロールの仕方が上手なんだろうな、と思います。
私のように、いちいち「うわー」とか「まじかよ」などと一喜一憂したりしないのでしょう…

なので(?)、ここ数年の間に読んだ本の中で「これは面白かったなあ」と思った本は、たぶん本当に面白く、生涯忘れないだろうななどと考えます。
そういう本を2冊ほどご紹介したいと思います。

まずは、私なんぞが紹介する必要もありませんが、村田沙耶香の「コンビニ人間」です。
コンビニの仕事でしか生き生きできない主人公のありようがおかしくもあり、「これでべつにいいんじゃないか」とも思わせる、何とも爽快感のある一冊でした。

もう一冊は、瀬尾まいこの「そして、バトンは渡された」です。
親が何人も変わってきた女性の生活を描いているのですが、「親と子」の関係や「親の情」というものの多様性を感じさせられる作品でした。

実は、ここ数日「本読みたい。でも何読んでいいかわからない」という状態だったのですが、昨日北千住ルミネのブックファーストを何周もして、買いました。
益田ミリの「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」という本です。
何とも脱力したエッセイです。
小説に向かい合う気力は、残念ながら湧いてきませんでした。

移動時間に楽しめればと思います。

もっと気楽に本が読みたいです。



by terarinterarin | 2019-01-29 18:55 | Comments(0)

拘置所の中。

ゴーンさんの一件で、未決拘留者が過ごす拘置所の中の生活に注目が集まっております。
特に冷暖房がないという話は世間の皆様の驚愕を呼んだようですが、拘置所のあっと驚く生活はそれだけではありません。
今回は、テラバヤシが今までの弁護士生活から知るに及んだ拘置所の中のお話についてお伝えしたいと思います。

1 服装の制限
スウェットなどのウエストを絞る紐は外さないと差し入れできません。
パーカーやタートルネック、ハイネックの服も差し入れできません。
靴下はスニーカーソックス限定。足首が隠れるソックスは差し入れできません。
女性の下着に関しては、レースなどが付いたものは、確か差し入れ禁止だったはず。
Tバックのパンティも差し入れできなかったと記憶しています。
ほつれがあるような服も差し入れできません(一度、差し入れしようとしたスラックスの裾のまつり部分が落ちてしまったいたことがあり、急ぎだったので自分でお裁縫して差し入れしたことがあります)。

服装の制限は、大量な洗濯物を裁かなければならないという施設の都合と、自殺防止の観点からなされていると思われます。
拘置所の中には精神的に追い詰められている人、不安定な人がたくさんいるので、手っ取り早い自殺方法である「絞首」ができないようにするため、ひも状のもの、ひも状にできるものの差し入れが禁止されるわけです。
ですが、これでは、暖房がない施設で、冬場に暖をとれる服装をすることがかなり困難になります。
ツイッターにも書きましたが、私が担当した被告人の中には、あまりの寒さで足の指がひどいしもやけで紫色になってしまった人がいました。

自殺防止のために服装制限するなら、冷暖房何とかしてくれと切に思います。

2 食べ物などについて。
タオルや歯ブラシなどの日用品、雑誌や新聞のほか、パンやお菓子、コーヒーなどは拘置所内の売店で買うことができます。外の人がここから買って差し入れすることも可能です(東京拘置所の場合は、拘置所前にある池田屋という差し入れ専門のお店で買って差し入れすることもできます)。
ただ、買った食べ物などは、自身のみで消費しなければならず、同房の人とかに分けてあげることはできません(とはいえ、暴力団のお偉いさんなんかは買ったものを同房の人にばらまいているという話は幾度となく聞いたことがあります)。
東京拘置所ではチョコパイ、名古屋拘置所ではしるこサンドが人気商品と聞いたことがあります…

お金あれば好きなもの食べれるんじゃないか!!と思う人も結構いるかと思いますが、裏を返せばお金がないと食べられないわけです。
拘置所内の貧富の差は、かなり目を見張るものがあると思われます。

また、飲み物に関しては、確か1日に1回か2回お茶が湯呑1杯分支給されると聞いております。
熱い夏場にこれじゃ足りない…
水分不足で便秘などにもなりやすいでしょうし…

3 医療体制について

体調不良の人については医師の診察も受けられる体制にはなっていますが、「診察願」を出してから、最低でも1週間から2週間は待たねばなりません。
刑務所もそうですが、施設内には准看護師の資格を持った職員が常駐しており、市販の風邪薬や睡眠導入剤などは与えられるようです。
ですが、それ以上の医療についてまともな対応を受けることは非常に困難です(ちなみに刑事施設で処方される薬はジェネリック医薬品です)。
外部からの薬の差し入れもできません。
糖尿病などの継続的な治療が必要な人は、結果として放置される事態となります。
実は、刑事施設からの法律相談や弁護士会の人権擁護委員会への人権救済申し立ての中で非常に多いのが、医療の問題です。

(拘置所の話ではありませんが)ある知的障害の受刑者は、出所時に健康状態があまりにも悪くて入院しなければならなくなり、予定していた就労ができなくなってしまったという話も聞いたことがありました。
拘置所で未決勾留中でも、例えば糖尿病の投薬を受けられないがために、どんどんやせ細っていく人がいて、会うたびにこちらが不安になることも少なくありません。

拘置所の中では、テレビもラジオもなくもちろんインターネットもできず、新聞や雑誌が読めるくらいで情報も遮断されています。
面会も1日3人一組までと制限されている中、食事も服装も医療も制限を受けなければならない状況です。

拘置所に入るようなことをして人は悪い人たちなんだから、これくらいのことは当たり前だろうという人も中にはいるでしょう(実際、私の知人の医者で、悪い奴らなんだからまともな医療なんか受けられなくて当然だとのたまった人がいました。その人とは一生話をしないと決めました)。

しかし、未決勾留の人は、罪人と決まった人たちではありません。
よしんば悪いことをした人なのだとしても、受けるべき制裁は裁判で決まった「懲役」「禁固」「罰金」などに限られるはずです。
健康な体は更生のためにも欠かせません。
不健康な状態で釈放されると就労ができなくなります。その結果、犯罪に手を染めることにもなってしまうのです。

とにかく、拘置所はないものづくし、拷問のような我慢と不便を強いられる場所といっても過言ではありません。

それでも「別にいいんじゃないの」という人には、一度体験入所してみることをお勧めしたいと思うのであります。




by terarinterarin | 2019-01-20 22:03 | Comments(2)
皆様、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、テラバヤシは、2018年年末、実家に帰省したとたんにインフルエンザを発症し、本日まで外出禁止の憂き目に遭っております。
30日から本日まで、お医者さん的には外出禁止期間で、31日に病院に行った以外は引きこもっておりました。
6日に東京に戻りますが、外出らしい外出ができそうなのは明日だけで、実家に引きこもるためだけに帰ってきた正月になってしまいました。

20代のころにインフルエンザになった時には、40度以上の熱が数日下がらず、死を覚悟したくらいでした。
ところが、今回は熱がそもそもそこまで上がりはしなかったものの、ゾフルーザという1回飲むだけのお薬で翌日には嘘みたいに熱が下がり(なんか変な感じは昨日あたりまで残っていましたが)、そんじょそこいらの風邪より全然ラクかもしれないと思ったくらいでした。
時代も変わったものです。

31日に休日の当番病院に行ったのですが、待合室の席がないくらいの激混みで(運よく何とか座れましたが)、診察までに都合3時間ほど待たされました。
診察直前に熱を測ってインフルエンザ検査の綿棒を鼻の穴に突っ込まれ、その後診察。言われた言葉は「インフルエンザA型陽性でした。抗インフルエンザ薬と解熱剤を出しますので。」のみ。
長いことお待たせしてすみません、という言葉もなければ、聴診器あてるとか喉の赤みを見るとかいうことも一切ありませんでした。

それで、お会計3540円(初診料込み)。

1分かかったかかかってないかわからない診察で、この値段です。
我ら弁護士なんて、法律相談30分やって、やっと5400円もらえるかどうかの世界です(初回相談無料を実施している弁護士は30分ただ働き)。

うーむ、なんたるコスパの違い!!

と熱に浮かされた頭でそんなことを考えてしまいました。

弁護士と医者の仕事って、よく比べられますし、確かに似ている側面がないわけではありません。
例えば、非常に深刻な法律問題を抱えている依頼者の場合、弁護士は長期間でわりに深く関わることとなります。その分、精神的にもその人を支える役割を担う必要が出てきます。
お医者様の方も同じで、長い治療が必要な重病の患者に対しては、長期間で深いかかわりが必要になるし、命が関わることにもなるわけだから、精神的にも支えることとなります。
この場合、その仕事の対価がどうなるのか(割いている労力に見合ったものであるかどうか)については、ケースバイケースなので比較することはできないと思いますが、仕事の内容や質としては非常に近いところがあるようにも思います。

が、今回のインフルエンザの件で決定的に医者と弁護士が違う領域があると感じました。
それは、医師や弁護士が権威付け的な意味でしか関与する必要がないルーティンな処理が求められる領域や、最小限のサービスを提供する領域の話です。

例えば、今回のインフルエンザは、検査などは医師以外のスタッフがしていて、医者が必要なのは患者に対する病名の告知と処方箋の作成。それだけでも、患者は文句を言わずにお金を払ってくれます。
持病の定期的な診察で、調子どうですか?じゃ、お口アーンして、胸の音聞かせてください、くらいのほんの10分ほどのやりとりでも、患者は文句を言わずにお金を払ってくれます。

かたや弁護士。
今や個人の債務整理の仕事は、特に破産なんかの場合、概ねルーティン的な処理ができますが、報酬はほぼほぼ扶助基準。
法律相談は無料が当たり前。
お金を払いたくなくて、電話やメールで物凄い突っ込んだ話をまくし立てるなんて人も少なくありません。
アイミツ取られるのも今や当たり前の世界。
つまり、こういう領域で、弁護士は今や徹底的に買い叩かれ、医師は買い叩かれないという違いがあるわけです。

この辺りの差って、開業した場合の事業規模をどうするかという話に結構直結するところになるような気もするのですが…

東京あたりでは、人員を抑えてこじんまり経営しているクリニックも結構あるようではあります。
先日がん検診に行ったクリニックも、先生が受付手伝ったりしていたし…

が、お一人様なお医者様という選択はなかなかないのではないかと思います。

医師と弁護士、食いはぐれる危険度の高さに歴然たる違いを見た、そんな2018から2019のインフルエンザ体験だったのでした。






by terarinterarin | 2019-01-04 16:50 | Comments(0)
師走ももうすぐ終わりです。

今年はいろんなことがありました。
いろんなことがありすぎて、ひとつひとつ挙げるのは骨が折れるので、やめようと思います。

今年一番の出来事は、事務所の移籍でした。
おひとりさま事務所を卒業しました。

卒業してもうすぐ2ヶ月経ちますが、卒業して気づいたおひとりさま事務所の反省点と良かったことをいくつか述べたいと思います。

反省点その1。
ネット集客に頼りすぎたかなあと思います。
ネット集客自体は、この事務所規模とネット営業規模の割にうまく行っていたと思います。
が、ついつい弁護士会の相談申込みを忘れて数年過ごしていたりしたもので、集客ラインがネットほぼ一本になってしまっていました。
集客の波は、どの自営弁護士にも起こりうることですが、これを少しでも抑えるためには、集客ラインを複数作ること、それから仕事をくれる人を早めに抑えることが、ものすごーく大切だと思います。

反省点その2。
クレジット決済を導入しておくべきでした。
法律相談に来る際、意外に小銭がない方、そしてこちらもお釣りがない、という事態がたまに起こります。
また、着手金も法テラス利用じゃなくても分割になる時があります。
面倒な小銭のやりとりや、報酬回収のリスク回避のために、クレジット決済を導入すればよかったと思っています。
まあ、実際取りはぐれは、ほとんどなかったのですが、最近はiPhoneやiPadで簡単にクレジット決済できますし、まだまだ導入してない事務所が多いことを考えるてと、差別化という意味でも導入して損はなかったように思います。

良かったことその1。
事務所をマンションにしたのは良かったと思っています。
物件選びは、その後の顧客層にも繋がる問題ではありますが、家賃を抑えられたことは事務所経営の面で非常に助かりました。
見栄を張って大きなハコを作れば、収入の多くがそちらに割かれてしまうわけです。
ハコを大きくするかどうかは、事務所が走り出してから考えればいいことでもあります。
小さなハコから始めると、精神的にゆとりを持って経営することもできます。
私は卒業するまで小さなハコのままでしたが、自分の選択は間違っていなかったな、と思います。

良かったことその2。
書面を書くのが早くなりました!!
事務局の役割も果たさなくてはならなかったので、長々と書面書きに時間を割くこともできません。
段取りを考えながら、さっさ、ぱっぱと(ある程度の)書面が書けるようになったのは、大きなメリットです。

大変じゃない?と言われたおひとりさま事務所、実際大変でした。
裁判所や相手方から何を言われても構わないのであれば、どれだけグダグダにやっても良かったでしょうが、やはり依頼者を背負っているというのは、大きな歯止めになりました。
私は元々が粗忽者なので、細かいミスはたくさんしましたが、それでも怪しい弁護士認定されずに(だと思うんだけど)やってこれたのは、依頼者に迷惑かけるのだけはあかん!!と思っていたからだと思います。

この気持ちさえあれば、おひとりさま事務所でも、それなりの信用を得て、運営していけるように思います。

私は卒業してしまったけれど、独立するかどうか悩んでる方がいたら、まずはこじんまり始めてみることをお勧めします。

本年もご愛読いただき、ありがとうございました。
たぶん今年最後の投稿になると思います。
来年も引き続き、のんびり書いていきます。

では、皆さん、メリークリスマス🎄
そして、良いお年をお迎えください。




by terarinterarin | 2018-12-23 12:13 | Comments(0)
昨日のことです。
接見があったため東京拘置所に出向きました。
接見が終わった後、正面玄関を出て敷地外に出ようと歩いていると、ビジネスロイヤーのような風貌の弁護士3名が前を歩いています。

敷地を出てすぐのところにはタクシーと、人だかり。

人だかりは、その男性弁護士3人組をめがけてレコーダーを向けます。
誰かが話しかけているようです。
が、そのビジネスロイヤー3人組は、一言も発さずタクシーに乗り、去っていきました。

今話題になっているとある外国人有名人被疑者の弁護人のようでした。

数日前、ツイッターの方でも私の周りで「事件についてマスコミから聞かれたらどうするか」ということが話題になっておりました。

留守ってことにする、一応対応はするが「しゃべれない」で通す、などやり方は様々ですが、少なくとも、ツイッターのテラバヤシ周辺では、「取材を受けたら話す」という人はおりませんでした。
ちなみに、テラバヤシは「対応するけどしゃべれないで通す派」です。
マスコミさんもお仕事で聞いてくると思うし、こちらもお世話になることもあるわけですから、対応するのは礼儀かなと思ってまして。

マスコミやメディアの前の皆さんにとっては、話してくれる弁護士の方がありがたいのでしょうが、少なくとも良識ある弁護士は、「原則話しちゃダメ、だから話さない」と思っています。
なぜなら弁護士には「守秘義務」があるからです。
これは、依頼者との信頼関係を保つうえで、とてもとても、とーっても大事な職業上の義務なのです。

もちろん、依頼者の中には、自分の名誉を守るため、あるいは自分の言い分を世の中に知ってほしいので、どうぞ話してくださいよ、という方もいらっしゃることでしょう。マスコミの耳目を集めた事件の場合は特に(私は会ったことないけどね)。
でも、そういう場合でも、通常は、本人の中で「話してもらいたいこと」「話してもいいこと」「話してもらいたくないこと」というのがあるはずで、本人との間で「話していい範囲」について正しく合意を取っておいて、可能な限り合意書くらい交わしておく必要があるのではないかと思います。

そうでないと、後々「こんなこと話してくれなんて言ってませんから!!」というトラブルが生じかねませんので…

裁判の前後、接見後の突然の囲み取材、あるいは突然の電話でのインタビューなんかの場合、依頼者との間で「話していいかどうか」「どこまで話していいのか」というコンセンサスができていないことがほとんどなわけで、そうすると、弁護士としてとるべき対応は一択にしかならないはずです。原則に戻る、すなわち、守秘義務を順守してしゃべらない、という選択です。

なので、囲み取材で、いとも簡単にぺらぺらとしゃべっちゃう弁護士を見ると、「え、大丈夫なの」とちょっとハラハラしたりするのですが。

単に意見とか感想述べるくらいならいいんじゃないの、という方もいるかもしれません。
が、こういうことを言うと、そこからいろいろな推測が働いてあることないこと報道される危険性もありますので、やはり何も言わない方が無難。

そんなわけで、昨日見た某有名外国人被疑者の弁護人らの対応は、弁護士として極めて正しいものだといえましょう。

テラバヤシも、普段はブログとかでいろいろ言いますが、事件のことはしゃべりませんので、悪しからず。



by terarinterarin | 2018-12-02 15:39 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


by terarinterarin