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脆すぎる東京の交通機能

寒い日が続いておりますが、皆様風邪など引いておりませんでしょうか。

北海道出身のテラバヤシは、中途半端に8度とか10度とかで空っ風がずっと続くくらいなら、これくらいの気温の方がシャキッとして心地いい気がします(ですが鼻炎や咳喘息の悪化の原因になるので、身体的には良くないのですが)。

さて、今回の話題は他でもない、今週月曜日の首都圏大雪?事件についてです。
北海道出身のテラバヤシであれば、あれくらいの雪なんともないだろう。
そう思われる方もいるように思います。
確かに雪の量自体は、大したことありません。
あの日の雪は、札幌では、11月頃、まだ積もる前に降るちょっとした吹雪のようなものです。

が、裁判所の期日もなく来客もない日だったので、あの日は自宅でおとなしく起案をしておりました。

なぜなら、雪質自体が北海道育ちの私には馴染みの少ないべた雪。歩行の感触がサラサラ雪とは勝手が違うし、転んだら悲惨だろうと思ったからです。
そしてもうひとつ、こういうとき、東京は外に出ると帰れなくなる危険が高くなる厄介な町だと思っていたからです。
言うまでもなく、主要交通機関が概ね止まる、交通渋滞が起こる、この二つが理由です。

そして、これに拍車をかけているのが、各種鉄道会社と地下鉄の相互乗り入れではないかと、テラバヤシはそう思うのです。
日頃は便利な相互乗り入れ。
しかし、あれもこれもどんどこ繋いでしまっているため、1つの路線がダメになると、連動して他の路線もダメになる、支障のない範囲で折り返し運転にするということになってしまいます。

札幌の場合、私鉄はありませんし、市営地下鉄とJRは、相互乗り入れを一切していません。人口が人口だけに、それをするだけの経済的効果がないと言うこともあるのかもしれませんが、今回の騒動を見て、大雪対策の意味もあるのかもしれないと思いました。
地下鉄は地下鉄のみで独立しているので、雪の影響を受けずに走行することができます。市内であれば、JRが止まってしまった場合や大幅に遅れてしまった場合、代替手段として地下鉄が使える場合が結構あるでしょう。
そして、多くの家庭が自家用車を所有しているので(テラバヤシ家はありませんが)、最寄の地下鉄駅までたどり着けば、家族が車で迎えにきてくれる、最悪タクシーでなんとかなる。そういうことだと思うのです。
冬場のノロノロ運転やある程度の渋滞は、札幌っこは慣れっこです。さすがに今回の首都圏の大雪で起こった大渋滞ともなれば話は別ですが。

これくらいの天気ならこうなるだろうという想像力は、大悪天候時のために交通機関はどんな備えをしておくべきか、人はどんな対策を考えておくべきかということのために、非常に重要なのだと、悪天候の中レポートさせられている各報道機関の記者の皆様を見て思ったりしたのでした。

ちなみに、東京メトロの中では、丸ノ内線だけが、私鉄などと相互乗り入れせずに環状になってるんですよね。
地上を通る部分があるので、完全に安全路線とは言えないと思いますが、さすがに、国の中枢部分を通っていく丸ノ内線、不測の事態で安易に止まらないように独立させてるんだな、と思わずに入られません。

しかし、丸ノ内線だけ生きていても、あの日、夕方に期日があった弁護士や、午後からの家事調停が長引いた皆さんは、事務所や自宅に帰るのが非常に大変だったのではないかと思います。

日頃の便利をとって悪天候や災害時に泣くのを我慢するか、備えをとって日頃の不便を甘受するか。喉元過ぎればなんとやらで、前者を選ぶ方が多いとは思いますが、便利というものは一つ歯車が狂うとどうしようもない不便を引き起こすということだけは、忘れてはいけないのだよなあ、などと思う寒い寒い木曜日なのでした。

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by terarinterarin | 2018-01-25 14:12 | Comments(0)
昨年の話題の中に、間違いなく入るであろうというのがLGBT問題の進展だと思います。
同性カップルに法律婚夫婦と同等の行政サービスを提供する自治体が複数出てきたり、会社の中でも、手当などの面で男女の夫婦と同じ扱いを行うところが増えてきました。
こんなに心の性の問題が注目された年は今までなかったかなと思います。

そんなところで、マツコ デラックスです。名前が長いので、以下マツコさんと表します。悪しからず。
マツコさんといえば、4日午後の情報番組ミヤネ屋で、宮根誠司さんと確かジョナサンで飲み食いしながら対談したVTRが流れていました。

2人は、ビールを飲みながら話していて、途中多少酔いも回りながらのトークとなっていったのですが、途中、マツコさんがこんな趣旨の言葉を言っていました。

テレビの世界は、こんな自分を受け入れてくれた。
だから自分は、テレビの世界に魂を売るって決めたの。

寺林はマツコさんのファンで、著作も数冊読んでいるので、マツコさんが、テレビ界や文筆の世界で活躍していることについて、非常に謙虚な姿勢を持っていて、言葉は違えど似たような趣旨のことを書いていたのは何度も読んだことがあります。

が、いくら旧知の宮根さんを前にして酒が入っていたとしても、まさかテレビでこれを言うとは思っていませんでした。
それだけ、自分がゲイであることに対するコンプレックス、申し訳ない思いが強いのだと、感じました。
だからこそ、強烈な毒の間から、気遣いや優しさが垣間見えるのだとも感じました。

日本には、割りに古くから、オネエタレントと呼ばれる人々がいます。
マツコさんもそうですが、はるな愛さんや、ミッツ マングローブさん、ナジャ グランディーバさん、KABA.ちゃんなど、多数の方が属している芸能人のカテゴリーです。

これも、マツコさんが以前有吉さんとの番組で言っていたことですが、オネエタレントって一括りにするけど、その中に含まれている人って、全然みんな違うからね、と。
例えば、はるな愛さんは、本当は法律上戸籍を女性に変更できる人だけど、自分たちはそれはできない(当時は違いましたが、KABA.ちゃんは、その後性適合手術を受けて、戸籍上の性別の変更許可申し立ても行いました。今や女性であります)。
自分の性認識が、男性という人もいれば、女性という人もいる。恋愛対象が同性の人もいれば、異性の人もいる。女性の服装をしたいか、男性の服装をしたいかという違いもある。

これらを掛け合わせていけば、オネエタレントと呼ばれる人たちの属性は、実に千差万別です。オネエタレントの中には、すでに完全に女性になっている方もいるわけですから、オネエタレントという呼称には、実は、たいした意味なんかなくて、世間がオネエタレントと位置付けた人、あるいは、そういうカテゴリーのタレントとして扱われることを厭わないタレントさんたち、ということにしかならないのでしょう。

寺林が得た情報では(書籍で事実上公表されているので、ここで書いても問題ないと思いますが)、マツコさんは、性認識は男性で、恋愛対象は男性、お仕事以外では女性の格好はしないと聞いています。仲良しのミッツさんは、普段も女性の服装だそうですが。

こんな風に多種多様な性的背景を持つ人が、オネエタレントというカテゴリーに限定してもあるにもかかわらず、マツコさんがなぜ、自分の属性について「こんな私」と卑下するほどの申し訳なさや、コンプレックスを抱いたのかはわかりません。

でも、LGBTというのは、おそらく今も多くの性不適合な人々にとって、そんなもの、それに近いものだったりするのでしょう。

他のオネエタレントのみなさんの中で、マツコさんほど自分を卑下する気持ちを吐露した人を、私は見たことはありません。
いつも、楽しそうに、明るく、振舞って見せています。
でも、蓋を開けてみれば、マツコさんと同じくらい、それ以上の気持ちでいる方はたくさんいることと思います。

LGBT問題が進展を続ける昨今、オネエタレントのあり方、ありゃどうなんだという批判をする人もいるようです。ふざけていると。問題を歪めていると。

ですが、寺林は、逆の考えで、オネエタレントと呼ばれた人が長い時をかけて、テレビで堂々とふるまっってきたことは、間違いなく、LGBTのみなさんの地位向上に繋がってきたのではないかと思います。

それと同時に、マツコさんの告白も、LGBTのみなさんに「自分だけではないんだ」という孤独感を解消することに役立っている側面もあるように思うのです。

話はそれますが、栗原類さんは自身の発達障害を告白して、芸能活動を続けておられます。

どこの世界でも、いろんな属性を持った人が、その属性を自身のものと受け入れて生きていける世の中になればいいな、と思うのでありました。






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by terarinterarin | 2018-01-06 23:45 | Comments(0)

弱った時に見えたこと。

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

さて、年末に復活宣言をしたので、せっかくですから、休んでいた最中に見えたこと、考えたことを書いていきたいと思います。

私は、今も疾患が治っているわけではありません。従来の持病の悪化は、根気強く付き合うことが必要になってしまいました。
それでも、医師に診断や治療、投薬してもらってコントロールして、弁護士業務をこなしている状況です。

私は、もともと体が丈夫ではありませんし、父も母も40代の頃から病院の世話になりながら、日々の生活を維持してきました。
今回のことは、父や母の目から見てもそれなりに大変そうに写ってはいるようですが、無理さえしなければ、なんとかやっていけそうな感じだと思っているようです。

私自身、体調最悪の時期(6から9月)の時ですら、一生こうなわけではないだろうし、あらかじめ決まっていたスケジュールはキャンセルせずにこなしていました。
つまり、薬さえ飲んで、休める時に休んでさえいれば、普通に働ける、そういう意識でいました。会務などは、お引き取りいただいたものもいくつかあり、申し訳なく思っていますが。

しかし、世の中には、薬で体をコントロールしながら生活していること自体を見下してバカにしている人がいるのだとわかりました。

そんな変な薬必要ない、とあからさまに言われましたし、喘息に加えひどい鼻炎で呼吸が苦しい時に、鼻なんてすすっちゃえばいいのにさと言われたことまでありました(注:鼻をすするとそれが気管に落ちて気管支を刺激し、咳や喘息発作の元になるのでご法度とされています)。
ひどい冷房で私がその場で体調が悪化しているのを知りながら、無視されたこともありました。

どんな理由であれ、弱い部分が外部にさらされている人間は、見下される立場にあるのだということを身にしみて感じました。

見下している方には見下している意識はないと思います。
私は、人前では、体調が悪い様子はあまり見せないようにしていました。それでも、この始末でした。

弱い部分があるのはその人間のせい。だから自分で帳尻合わせたり、工夫して普通の丈夫な人間に合わせろというのが、基本的には今の日本の社会なのだとつくづく感じました。

自分も元気な時は弱っている依頼者に、無意識のうちに同じように感じさせる対応をしていたんだろうなと思ったりもしました。
解任されてせいせいしたケースもなかったわけではありませんが、傷つけたことはあっただろうと思います。

もし今であれば、ひょっとすると違う対応ができるかもしれないな、と思いました。

そして、自分は障害者の刑事弁護とか、刑事裁判後の支援とか、恐ろしくてできないなと思いました。
知的障害などがある被疑者被告人に対して、知らないうちに彼らができない何かを押し付け、善行を行ったような気分になってしまうことが、された側を体験すると、ひどく怖くなるのです。

人は人の気持ちなんてわからない。
だから、本来的にはそれは自分で抱えて生きていくしかない。
弱い人間は、いざとなったら逃げる場所を探して、嵐が去るまでその場にいるのが最良の方法です。
逃げるのは悪いことでもなんでもない。
逃げるのがベストなことが多々あるのだと思わされたのは、今回が初めてでした。

弁護士は、誰かに何かを教え説くわけでもないのに、先生、先生と言われていい気になって、とかく、気づかぬうちに上から目線になりがちです。

自慢じゃありませんが、私は、先生と呼ばれることは少ない弁護士です。
本来的な弱さがにじみ出てるからなんでしょうか。

依頼で来る方は、なんらかの問題を抱えていて、人より自分が劣っている、こんなことで悩むなんて弱い自分だと思っていたりすることが少なくないものです。

依頼者に寄り添うという言葉は、私は大嫌いです。
十分にコミュニケーションを取れているかどうかもわからないのに、寄り添えているはずなんかないからです。

でも、今回の体調大崩し事件を通して、少しでも相談者や依頼者の弱い部分が自分の中に、ジワンと入って来る機会が増えるなら、それはそれで体調を崩した甲斐もあったかもしれないと思います。

事件をやっていても、健康な人ほど人の気持ちがわからず残酷だとよく思います。

なってしまったものはしかたないので、こうなったことをこれからの自分に役立てなければ意味がないな…

そんなことをよく考えていました。

今年がみなさんにとって、良き年でありますように。

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by terarinterarin | 2018-01-02 16:47 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


by terarinterarin