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*このブログに書くことは、私が所属する破産者マップ被害対策弁護団や事務所とは一切関係のない私見であることを、予めお伝えいたします。*

破産者マップ被害対策弁護団を立ち上げて10日ほどになります。
この間、破産者マップを巡ってSNSを中心に様々な情報や見解が行き交うのを目にしてきました。
様々な意見の中に、「破産は恥ずべきことではない。だから、破産者マップは問題ない」という趣旨の意見がいくつかあるのが目につきました。
とても気になりました。

確かに破産は恥ずべきことではないでしょう。
法的に言えば、(免責になった場合)契約上の金銭支払義務を履行することができなくなってしまった人が、その債務を法的に免除してもらっただけのことに過ぎません。
しかし、「だから、破産者マップに問題はない」という結論には結びつかないのではないでしょうか。
そこには、大きな論理の飛躍があります。

まずそもそも、今般、プライバシー権というのは、「自己情報コントロール権」ととらえるのが一般的です。
私的情報について、何を公開するか秘匿するかを、個人がコントロールすることができる、それがプライバシー権だと捉えられているわけです。はずかしいと思うかどうかは、関係ないわけです。
例えば、テレビ番組に一般の方が出る場合でも、顔を隠す方、顔は隠さないけれども名前は匿名にする方、家族を出す方出さない方、色々います。
そういう人たちに対して、「あなたの顔は恥ずかしくないのだから出せばいいじゃないか」、「名前は恥ずかしいわけじゃないから出せばいいじゃないか」ということはありません。
顔や名前を出すか出さないかは、個人の自由として尊重されるわけです。
そうであるにもかかわらず、破産したという事実だけが「恥ずかしい情報ではない」から、本人の同意なくして公開されてもいいというのは、あまりに不合理です。
「個人がコントロールできる情報」のひとつであるはずの自己破産という事実について、本人らの同意を一切得ず、コントロールが及ばないところで、誰でも検索できるような状況に置いたということが、そもそも問題なわけです。

また、破産という事実に対する破産者の感情を「恥ずかしい」という一言で表現しているところも、違う、と感じます。
前提として、「自己破産」という事実に対する世間の偏見があることは紛れもない事実です。
おそらくは、破産者マップができる以前から存在していると思うのですが、過去数年分の破産者をデータ化して売却している企業が存在しています。「横領などの危険を防ぐ」という目的をはっきりと明示している業者もありました。
つまり、世間では、破産者を犯罪者と同じように扱う向きもあるということです。

破産した事実を隠したいと思う人は、破産の事実を単に恥ずかしいことととらえているのではなく(あるいは、そうとらえているだけではなく)、「自己破産をしたことが明るみに出たら、自分は世間から排除される」「仕事にも就くことができない」「クビにされるかも」という恐怖心を抱いていることが、むしろ一般的なのではないでしょうか。
その恐怖心は、自分は一生立ち直れないかもしれないという絶望にもなりえます。その絶望と闘いながら、歯を食いしばって生きて行こうとしている人が大勢いるはずです。
そういう人たちに対して、「破産は恥ずかしくないから公開されたっていいじゃないか」ということは、今の日本社会において、破産したという事実がどのように扱われているかを全く理解していない無神経極まりないものです。

「破産は恥ずかしくないから公開されてもいい」という理屈(個人的には理屈にもなっていないと思いますが)は、本来社会的な問題として論じられるべきトピックスを、個人の責任や気の持ちようという問題にすり替えるものです。
こんな理屈をこねる人は、破産者マップを擁護したい理由が他にあるのだと思います。
復活や第二の破産者マップが出てくることを願っているのだけれど、それを正面から言うと、自分がSNS上でフルボッコにされる可能性がある。だから、一見、破産者を励ますような体裁を取り繕うために、こんな理屈をこねているようにすら感じられます。

破産ははずがしいことではありません。
ですが、秘匿するしないを自分でコントロールできる情報の1つです。
無断で、だれでも見られるような形で公開されない権利が、ひとりひとりにあるのです。
「恥ずかしくないから公開されたっていいじゃないか」という理屈は、破産している人を一見励ましているようで、実はないがしろにしている姑息なものです。

どうか騙されないでもらいたいと思います。






by terarinterarin | 2019-03-26 14:09 | Comments(8)
私は、破産者マップ被害対策弁護団の一員です。
今日は、破産者マップのことについて思うことをツラツラと書きますが、以下に書くことはあくまで私個人の考えであって、弁護団とは全く無関係です。
ちなみに所属事務所とも無関係です。
そのことを前提としてお読みください。

弁護団発足が18日、サイト閉鎖発表が19日未明というスピード感からか、マスコミが興味を持ってくださって、弁護団の弁護士数名に対する取材がありました。
私もテレビ朝日から取材を受けて、その内容が、20日朝の羽鳥慎一モーニングショーで放送されました。

その時間まだ自宅にいたので、どんな風に取り扱われるのか、放送を見ていました。
コーナーでは、開設者がサイトを開設した理由についても取り上げていました。

開設者は、概要、こんなことを話していると、番組では整理していました。

データに基づいて物事を理解、判断、実行、評価する国になってほしいという私なりの日ごろの思いを形にしたものでした。

そして、これについて男性のコメンテーターが、技術者の中にはこういう考え方をする人がいる、などとコメントしていました。
著作権の縛りがない、あるいは希薄な、国が持っている様々なデータを広く活用できるように技術開発を進めたいという考えの人が技術者の中にはいる。そのような趣旨の発言でした。

そもそも、この公表された目的自体、私は嘘だと思っています。
なぜなら、このサイトには削除要請フォームがあり、現在の連絡先やメールアドレス、勤務先等々、更なる個人情報を記載させるものになっていたからです。
あくまで私個人の意見ですが、売却目的の個人情報収集が真の意図だったように思われるのです。

仮に被害者マップの開設者が技術者であり、真に先程挙げた目的でこのサイトを立ち上げたのだとしましょう。
しかし、先の考え方がいくら技術者にありがちなものとはいえ、この考え方は、前提として検討しなければならない問題が全く検討できてない間違ったものと断言したいと思うのです。

こういう考えの技術者は、データは色のないニュートラルなものという感覚を持っているのでしょう。
そして、ニュートラルな情報は、どんな風に加工を施してもニュートラルなままだと考えているのでしょう。

しかし、そうではありません。
データは、特定の目的の下で収集、ときに公開されます。
目的に見合った観点から収集すべき内容や収集方法が決められます。公開の有無、するとしてその方法や範囲も決まります。
その結果収集されたデータ、公開されたデータには、目的に見合った色がつきます。
例えば内閣支持率の世論調査でも、マスコミ各社で結果が違います。

官報に破産者の情報が掲載されるのは、一言で言えば債権者の手続保証のためです。
破産手続への参加、即時抗告できる機会を失わないようにするために破産情報が掲載されているのです。
債権者が、債務者の特定、照合が可能なように名前や住所などの情報が掲載されているのです。

確かに官報は図書館に行けば閲覧可能です。しかし、入手は有料です。限られた場所でしか買えません。ネットの閲覧も原則有料です。
日本特有の事情かもしれませんが、破産は不名誉なものと考えられています。
おそらくはそのために、情報提供の必要性と個人情報の過度な流布を回避する意図で、公開範囲がある意味限定的な官報への掲載という方法が採用されたものと推察されます(違う場合は、ご指摘ください)。

もし、破産者マップの開設者が、本気で、破産者の情報を、人口とか地価とか、保育園の待機児童率とか、そういった情報と全く同じものと考えていたのだとしたら、あまりに思慮がなさすぎると言わざるを得ません。
なぜ、破産者情報が官報という、ある意味奥ゆかしい媒体を使ってだけ公表されているのか、思い至ることができなかったのでしょうか。

情報は、使い方を間違えれば凶器になります。
もし、破産者マップが未だ閉鎖されなければ、あるいは今後第2の破産者マップが出てきたりしたら(未確認ですが、その動きがあるという情報もあります。)、どうなるでしょう。

会社では社員の破産者探しが行われ、横領などを防ぐ目的という名目で破産者が解雇される。
採用の応募者について、過去の破産歴の有無をチェックするのが慣例化する。
子どもたちは、誰それちゃんのお父さんが破産したらしいよとLINEで情報を飛ばし、いじめの対象にする。
そういう事態が怖くて、到底返せない多額の借金があるのに、破産できない。

死人が出るでしょう。

情報は単なる客観的事実ではありません。
ニュートラルなものではありません。
その扱いに細心の注意が必要なものです。
技術の名の下に、気軽に弄ぶようなことはしてはいけません。
扱う前に、その情報が持つ意味を考えて欲しいと思います。










by terarinterarin | 2019-03-20 16:02 | Comments(13)
先月のことだったでしょうか。
俳優の新井浩文さんが、強制性交罪で逮捕勾留後起訴されました。
昨日の深夜には、コカインの使用でピエール瀧さんが逮捕されました。
ピエール瀧さんに関しては、NHKでニュース速報で放送するほどの大騒ぎぶりでした。

新井さんは名バイプレイヤーとして知られており、たくさんの作品に出演していました。
ピエール瀧さんは、元々ミュージシャンにして俳優。電気グルーブには数々の名曲がありますし、今年は大河ドラマにも出演しています(毎週楽しんでいます)。

新井さんが出演した映画はお蔵入り、上映延期になっているようです。
ピエール瀧さんの番組も一部はお休みが決定しています。電気グルーブは今年デビュー30周年で、CDショップでは特設コーナーが設けられていますが、おそらく既に多くは撤去されていることでしょう。

性犯罪や薬物犯罪、それを犯した芸能人に対する風当たりは非常に強い。
自分が被害者でもその家族でもなんでもないのに、よくまあ、そこまでヒステリックになれるもんだと思うことしばしばです。
こんな奴らは人間じゃない、世間から抹殺しろ、とばかりに、口汚い罵詈雑言が、インターネットで浴びせられます。そのコメントにいいね!する人も多い。

そして、お約束みたいに、出演作品や製作物が、まるで元々この世になかったみたいに、消し去られてしまうのです。

新井さんについてはわかりませんが、ピエール瀧さんについては、今のところコカインの使用は争っていないようです。
仮に新井さんも容疑に問題がなかったとしましょう。
その場合、2人が出た作品や電気グルーブの曲の価値に何か違いが出てくるんでしょうか?
いい映画、いい作品だったものが、そうじゃなくなるのか?
シャングリラとか、富士山とかが、突然駄作になったりするのでしょうか?

おそらく、こういう扱いの根底にあるのは、

犯罪者が出ているもの、作ったものなんて汚らわしい

という意識なのだと思います。そして、そういう意識が正しいと信じて疑わない日本人が少なくないということなんでしょう。

まあ、生理的なものかもしれないので、言っても仕方ないと思います。思いますが、敢えて言います。

この感覚、おかしいでしょう。
こういう感覚の蔓延は、文化の停滞を招くことにしかなりません。
素晴らしい作品であっても、容赦なくなかったことにされてしまうんですから。

井上陽水や槇原敬之も、薬物犯罪経験者でした。
彼らは今ほど世間がヒステリックじゃなかったことも手伝って、自身も作品も抹消されずに済みました。
しかし、捕まるタイミングが今だったら、少年時代も、どんなときも。も、世界にひとつだけの花も、この世から抹殺されていたのかもしれないのです。

勝新太郎なんて、パンツ事件に代表されるように品行方正からは真逆のところにいる人でした。
しかし、彼の代表作、座頭市なしで、日本の映画史なんて語れないはずです。

海外を見ても、薬に身体や精神を蝕まれながら、ギリギリのところで、名曲、名演を生み出してきたミュージシャンは沢山います。
これら全てが抹殺される世界はあり得ません。
むしろ薬に己を蝕まれながらの名演に、心打たれた人も少なくなかったはずです。

犯罪者が関わったものという理由だけで、様々な作品を抹殺することによって、文化は表層的なものに成り下がるでしょう。
人間の心の奥底をあぶり出したり、あるいはそこに働きかけるような深い作品は、なくなってしまうのではないでしょうか。

もっと言えば、犯罪者を汚らわしいと一律に排除する精神は、人間の多面性多様性を全く理解していないことの表れです。
そして、自分は被害者にしか、あるいはその家族、友人にしかならないという一面的な思い込みの表れです。

誰の心にも誘惑に弱い面があります。
一線を踏み越えるか越えないかは、絶対的な差ではありません。
誰にも被害者やその家族友人になる可能性があると同時に、加害者やその家族友人になる可能性があります。

そんなことも理解できない大人が最近の日本には多いようで、恐ろしいったらありゃしないのです。





by terarinterarin | 2019-03-13 12:59 | Comments(4)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。ウェブサイト https://attorneyterabayashi.simdif.com  「弁護士テラバヤシ」でツイッターもやっています。


by terarinterarin